第三九一話 舞踏会 前篇
「歓迎すべき当人不在で歓迎会をする企業は存在しないと思うが……国家とは時に複雑怪奇だな」
トウカは酷く呆れた表情で、舞踏会の会場を幕影から窺う。
アルフレア離宮の瀟洒な光景は現実感がなく、煌びやかでいて複雑な形状をした照明に、紅い絨毯は金糸で複雑な模様が刺繍されており、用意された料理や酒も外観に酷く拘っている。トウカからすると華美が過ぎて胡散臭く思える程であるが、節々に軍事施設の側面を隠している様も見受けられる為に複雑な心情を抱かざるを得ない。壁の窓などは実際は魔術投影によるものでしかなく、建造物の構造上の弱点を作らない様に配慮されており、天井には重量物を吊り下げる軌条の影がある。
――内戦中は野戦病院として使われていたのだがな……
アルフレア離宮……当時はアルフレア迎賓館であったが、戦時となれば使える建造物などは軒並み転用されそれはアフフレア迎賓館も例外ではなかった。特に広い空間を計画段階で用意していたアルフレア迎賓館は元よりそうした役目を想定しており、車輛整備施設や野戦病院への転用を前提とした構造をしていた。無論、アルフレア迎賓館に留まらず、ヴェルテンベルク領の公的施設は基本的に有事の転用を想定した構造をしている。
内戦終結直後、負傷兵を見舞う際に訪れた際の広間は乾いた血が床に張り付き、悲鳴と呻き声が満ちた寝台の並ぶ広い空間だった。饐えた匂いと呪詛の滲む空間が、今では煌びやかな空間となり、有力者達が正装をして談笑している。
今際の際の兵士に郷土の繁栄と安寧を手を握り約束した場所の変わり様に、合理性の末路か、とトウカは愉し気に吐き捨てる。
「女性の歓迎で下手を打った男みたいじゃないか。ええ?」
《南エスタンジア国家社会主義連邦》総統の来訪を歓迎するべく開催された舞踏会だが、その総統であるヴィルヘルミナは居ないが、それは会場の血の匂いを察した事が理由ではない。
今現在、叛乱鎮圧の最中にあり、ヴィルヘルミナ当人は戦艦〈剣聖ヴァルトハイム〉で南エスタンジアに帰還して首都奪還に身を投じていた。
「御主……いや、陛下、場末で為す新人の歓迎会如きと同様に扱うのうは問題であろう」
隣に立つベルセリカの言葉を、トウカは、何といえば良いものか、と逡巡する。
「陛下、我が陛下、エスタンジア側も経済人や軍高官が多数参加しております。友好……将来の連携の為、互いの為人を知る事が重要であります」
反対に立つクレアがベルセリカの言葉の意図を汲んで口添えする。
クレアの指摘はトウカも重々と弁えており、経済連携を重視しているのはトウカ自身でもある。ヴィルヘルミナの来訪を歓迎する舞踏会を切っ掛けに両国の経済人や軍高官の結び付きを強めるという意向。
これはトウカとヴィルヘルミナ双方の意向でもある。
軍は兎も角、経済の一体化に関しては失敗した場合、両国間の経済格差は長期化する事になる。経済格差は所得格差となり、その差は隔意となり一つの国家としての一体感を阻害する。
互いにいがみ合う事は避けねばならない。
それはトウカとヴィルヘルミナの共通認識である。
一つの国家となって尚、互いの国民の所得に差がある場合、意識の差は継続する事になる。それでは国内問題が生じた際、独立問題が再燃しかねない。皇国に合流した事は正しかったとの判断を国民が自らがする方向に誘導しなければならない。
そして、軍高官の交流は……序で、である。
南エスタンジア側からの強い要請があってのものであるが、叛乱が勃発した中でも、彼らはヴィルヘルミナの命令で皇国に留まり舞踏会出席と軍事演習や交流会への参加の予定を継続する事になった。
ヴィルヘルミナからすると、叛乱が生じたからと纏めて全員が引き上げては諸外国に、その叛乱が容易に鎮圧できぬ規模だと喧伝する事になるとの判断が大きかった。
――甘い事だ。まぁ、他に手がない事も事実だが。
祖国を、南エスタンジアを取るという判断。
現時点で南エスタンジアの国家指導者の立場である以上、これは正しい判断である。
「まぁ、総統の判断は正しい。同意する事は吝かではないか――」
「――愚かな判断。見習っては駄目よ」
背後から抱き寄せられたトウカ。
その声に思わずトウカは苦笑を零す。
「ヴェルテンベルク伯、その様な軽薄な振る舞いは如何なものかと思いますが……」クレアの苦言。
確かに見られて好ましいものではない。気付かれずに背後から迫られたのは問題であり、ベルセリカも止めなかった事に要らぬ想像をしてしまう心情を抑え、トウカは振り返る。
そこには黒を基調とした瀟洒な和服を身に纏ったマイカゼが立っていた。
覗き見える赤い襦袢が艶めかしく、肩を大きく出した出で立ちは何時かのマリアベルを思わせた。和服の模様は多彩な色で刺繍された桜と蝶であり女性らしさを感じさせる。帯は金糸の桜模様で統一されており、後ろ髪を纏める簪の黄金色の簪の桜模様に合わせたものだと理解できた。
トウカは簪を一瞥し、自身が買い与えたものだと気付く。
その視線に気付いたマイカゼは、右手を簪に添えて微笑む。
クレアがその簪を見て息を呑む。
――クレアに与えたものは銀の雪結晶の象意だったが……制作者は同じだ。
道具には制作者の傾向が出るものである。
兵器でもそうであるのだから、装身具の類であれば猶更である。トウカはそう信じて疑わない。兵器開発にそうした個性が不要と考えるトウカだが、開発者という偏屈な生き物は個性的である。そうした者達が開発する兵器に個性が宿らぬ訳がない。
個人が纏う装身具……それも個人製作のそれなど、兵器よりも自由気儘な意思の下で作製されている。個性は大いに宿るだろう。寧ろ、個性を以て他者を惹き付ける。トウカも惹き付けられ購入した一人である。
「あら、お揃いね?」行き成り踏み込んだマイカゼ。
「はい、恐縮な事ですが」上品な笑みで応じたクレア。
第一種軍装……その胸衣嚢に差し込まれた簪をクレアは優しく撫でる。
威圧感や隔意の片鱗を感じさせる程に二人は単純で迂闊な人物ではないが、トウカとしては自身の落ち度を自覚せざるを得ない。その程度は学んだという事である。天帝から下賜された装飾品を身に着けず、天帝御臨席の舞踏会に参加するというのは不敬の誹りを免れない。無論、トウカはフェルゼンの裏町を散策する中、露店で見つけたそれを土産にした程度の心算であったが、天帝の権威はそれを許さなかった。
とは言え、クレアもマイカゼも与えられたものを忘れてはいないと示し……会話の相手次第では、トウカから与えられた事を示してトウカという名の皇権との距離を誇示するという意図があった。
そうトウカは察して、余計な発言は猶更控えるべきだと考えたが、実際のところ、二人揃って贈り物に舞い上がっていただけであった。
「これは義母様が二人に増えたと喜んで宜しいのでしょうか?」
強烈な一撃を加えるクレア。
トウカは、ヨエルの様に油断できない義母が増えるという迂遠な批難なのか、亡き恋人の母親なのだから立ち位置を弁えるべきと牽制を加えているのか、と判断に迷う。視線はマイカゼに向いているが、言葉はトウカ自身に向かってのものなのかという迷いもあった。
「私も義娘が増えた様で嬉しいわ。子供は幾ら居ても良いものよ?」
マイカゼは嫋やかに応じる。
それは、親しみを以て若い娘を実の娘の如く扱っている様に聞こえるが、トウカと自身の間に義娘が増えたようで嬉しいとも聞こえた。迂遠に娘みたいなもので好敵手足り得ないと取れなくもない。
二人からトウカに対して威圧感を向けられる事はないが、互いに力量を推し図らんとしている様にも見えた。
しかし、トウカにはそれ以上に気になる事があった。
「ヴェルテンベルク伯。貴女は総統の判断が気に召さぬ様だが、どの辺りに問題があると考える?」
トウカの最善が政策の最善とは限らない。トウカはそれを常に疑う。そして、自身が未だこの神秘と幻想の満ちた世界の基準と常識を前提とした政策を詰め切れないとの自覚もある。
「ふっ、陛下は女心を解さぬと見える」ベルセリカの苦言。
マイカゼとクレアの心情に配慮した言葉もなく、政策上の問題を問う事への非難……という程のものではなく、
「欲しいと望めば拒ませないし、愛する義務まで負わせる。そんな皇権を持つ男に迂闊な発言をさせたいのか? 例え、剣聖たる貴女でも例外でもない」
不幸な事故で後宮に押し込むぞ、という迂遠な恫喝。
ベルセリカは肩を竦めるに留め、マイカゼへと視線を巡らせる。これ以上は面倒を見ないとの意思表示。
「皆様、考え方が御上品に過ぎますわ。一切合切悉く、舞踏会で泣き付いて軍を借りて解決してしまえば良いのです」
母狐の言葉にクレアが盛大に眉を潜めたものの、マイカゼが言うには、涙する乙女の願いを受けて軍を与え、叛乱軍も……そして北エスタンジアも撃破して統一まで進めてしまえばよいとの事であった。無論、被害の補填や復興まで皇国に泣き付けばいいとの判断。
「半端に泣き付くから譲歩が必要だと考えてしまうのです。男への泣き付き方を知らぬ愚かな娘……ああ、そちらの憲兵総監殿は時節に恵まれたとはいえ、中々なものだったと評価できましょう」
両手を合わせ、笑顔で評価を下すマイカゼ。
中々に煽る、というのがトウカの評価であったが、トウカとしては言わねばならなかった。
「では、おねだり上手な貴女に警戒するべきなのだろうな」
「閨にお呼びいただけるならば、陛下に本当の”おねだり”をお見せ致しますわ」
言葉と酷く乖離した表裏を感じさせない笑み。
ミユキが幾星霜の時を重ね、落ち着きと妖艶さを身に纏ったかのようなその雰囲気と、それを漂わせるだけの身体付きをした姿にトウカは何時も目を奪われるが、そうであるからこそ胸に迫るものがある。
だが、流れる様な白雪の如き髪が浮世離れしたかの様な感覚を助長させるマイカゼは、結局のところ、やはりミユキではない。
「ならば、猶更だな。愛した者の母に節操がないなどという評価を”俺”は許容できない」
「……ならば、私はその想いも超えていかねばならないのですね」
仕方のないヒトですわ、とマイカゼは苦笑を零す。そこにミユキの面影はなく、やはりマイカゼはマイカゼである。トウカはミユキの面影や仕草と重ねてしまう己を恥じた。
「話を戻しましょう。私としては総統が今回の併合に於ける最大の障害と考えております。多くを背負い込み、何もかも己の力量を以て示そうと試み、エスタンジア国民に固執している。反って隔意の象徴になるでしょう」
考えていた以上に不安視している発言に、トウカは北部貴族の中にもそうした意見があるのだろうと察する。
マイカゼを通してトウカの意図を探ろうと試みている、とトウカは考えない。そうした意見がマイカゼに持ち込まれる前に動くだけの力量はあると確信している為である。
純粋にマイカゼがヴィルヘルミナを不安視しているとも考えられるが、ヴェルテンベルク領とエスタンジア地域が輸出業で競合する可能性を見ているのだろうとも取れる。
エスタンジア地域は平地が少ないものの、南エスタンジアの国家指導者のヴィルヘルミナは工業化重視の政策を採用しており、北エスタンジアを併合した場合、人口面でも相応の規模となる。何より、地政学的に見て大星洋に面するエスタンジア地域は、シュットガルト運河という交通量に制限のあるヴェルテンベルク領とは違い船舶航行に制限がなく、輸出入の面で有利である。軍事的には防衛の容易なヴェルテンベルク領が望ましいが、輸出入という面を見ればエスタンジアに軍配が上がる。
しかし、産業面からみるとヴェルテンベルク領に軍配が上がる。
そもそも、エスタンジア地方の平地面積を踏まえると工業地帯の拡充には限界がある。農地と工業地帯の隣接は望ましい事ではない。現在の農業地帯を転用し、現在の皇国領土の食糧に頼るという選択肢もあるが、皇国側に食糧生産を依存する事をヴィルヘルミナが懸念する事は間違いない。
トウカとしては土地面積と算出資源の都合からヴェルテンベルク領の立場を、エスタンジア地方が脅かすとは考えていない。寧ろ、トウカは鉄道路線を結合し、エスタンジアの港を最大限に利用し、ヴェルテンベルク領の輸出入の規模拡大を図る心算である。
――エスタンジアに軽工業を、ヴェルテンベルクに重工業を集約する心算だが、あくまで予定である以上、断言はできない。
帝国南東部は広大な森林地帯がある為、エスタンジア地方を押さえれば、そうした地域に進出し、木材、食料品、皮革、繊維などの加工を中心に産業振興を行う事ができる。エスタンジア地方も鉄鋼資源は存在するが、峻険な山岳地帯の採掘には大規模な設備が必要になる為、採掘を行うにしても採掘技術の向上を待って行うべきであるとトウカは判断していた。
ヴェルテンベルク領の多種多様な鉱物資源と魔導資源に匹敵する質と量を持たないエスタンジア地方の発展には時間を要する。その間にヴェルテンベルク領は更に発展する上、現状では遷都により行政の中枢となってゆく流れにあった。
ヴィルヘルミナはエスタンジア地域の重工業化を目指していたが、現実問題としてヴェルテンベルク領の生産量に優越しない。長期的に見れば優位を獲得できるかも知れないが、現在でもヴェルテンベルク領の戦災復興に目を付けて出稼ぎ労働が増えており、労働人口が減少している。ヴィルヘルミナは外貨獲得の機会だと見ている様子であるが、トウカとしては賃金に差がある為、家族を呼んで定住する傾向が増えると見ていた。
エスタンジア地方からの人口流出は併合によって更に進む。
近傍地域により優れた労働環境が存在すると労働人口の偏りが生じるのは歴史が証明している。
「そうした側面がある事は否定できない……しかし、皆が総統の力量に随分と期待を寄せているようだ」
トウカは苦笑するしかない。
ヴィルヘルミナは小国とはいえ、一国を相応の期間に渡って統率していただけあって力量も経験もある。経験などはトウカより遥かにあった。
しかし、トウカには異なる世界の歴史的知見がある。
近代の大まかな潮流を理解しているという長所は未来を覗く魔法の手鏡があるに等しい。
「総統が輪を乱す事にはならない。彼女は影響力と遠ざかる運命にある。これはヨエルも同意している……いや、私が教えられたという言うべきだな」
情けない話であるが、とトウカは肩を竦める。
独裁者以上に人気商売としては流行り廃りがある女優という立場は不安定である。国家指導者と女優という二つの要素の結合はトウカも先例を知らぬ事であるが、女優という立場を以て耳目と支持を集めた側面がある以上、そこが損なわれるともう一方にも多大な影響がある。
今迄の実績が国家指導者としての支持を維持するとトウカは考えてたが、ヨエルは異なる見解を持っていた。
実績などヒトは容易く忘れる。
権力を手に入れた。ならば次は、その権力を強く抱き締めるのだ。決して離さぬ様に。
権力を護る藩屏を編制し、政敵を睥睨し、時に国家臣民の敵だと弾圧する。
ヴィルヘルミナはそれをしなかった。
力量で大事を為すという事に拘り、権力保持の正当性や権力基盤の盤石化を疎かにした。政策が全てだと、所得向上と労働環境改善、公共施設整備を為せば支持は欲しい儘となるという幻想。
ヒトは恩知らずだ。
トウカの場合、軍事力の整備と諜報機関や憲兵隊の拡充で政敵を抑えている為、政策だけに依存している訳ではないが、耳の痛い話ではあった。大部分の支持を得れば問題はないと考えている部分はトウカにもある。支持を常に維持できるという保障など何処にもないというのに。
「憲兵総監、貴官の豊かな想像力に宰相は大層と驚いていた」
一拍の間を置いて口元を抑えたクレア。
「それは……暫くは顔を合わせられません……」
理解の早いクレアは多くを語らずとも察してくれるが、マイカゼとベルセリカは首を傾げている。事の経緯も知らぬのでは致し方ない事でもあった。
「教えるべきだろうな。総統への牽制に熾天使が第二皇妃になると勘違いした可愛い妖精が居たのだ。一理あるとは思ったが、皆が総統の影響力を過大評価していると、熾天使には呆れられた」
トウカもその一人であり汗顔の至りであるが、同類が多い様を見て安心できる部分もあった。結局のところ、トウカは政戦に対して造詣が深いものの、世間については無知に等しい。偏った知識を自覚してはいるものの、トウカとしてはただ詰られるだけでは面白くない。
しかし、この場の面々も立場や生い立ちが世間一般の大多数とは掛け離れているので当てにはならない。寧ろ、世の中を多面的に見ているヨエルが不可思議という話であるが、トウカとしては天使系種族最上位の熾天使という部分に理由があると考えていた。
――恐らく天使系種族には、そうした部分も含め、ある程度の思考並列や情報共有が可能なのだろう。
表面的には天帝の権能が、それは正しいと伝えるものの、天使系種族はそもそも天帝の権能にも記載が少ない。他の種族と異なる起源の系統種族であるが故であるとの事であり、天使系種族も種族特性を広く開示していなかった。種族全体で徹底した情報統制ができるというだけでも、何かしらの情報結合が形成され、強固な指揮系統に従属する様な種族的特性が遺伝子に内包されているという傍証である。
部隊に天使を一人配置したら、距離と時間を無視して部隊間の意思疎通が可能になるのではないか?という皮算用すら脳裏を過る。実際のところ制限が多く、情報伝達速度にも大きな斑があったので、これは実際に皮算用に過ぎなかった。
「熾天使は大層と呆れていた。小国の徒花を皆が揃って過大視している、と」
トウカは杞憂だと肩を竦める。
詳しく説明したいところであるが、口にすると要らぬ誤解が増す気がしたので、トウカは早々に話題を変える。
「ところで、二人は軍装なのか? 特段と指定はないはずだが……」
ベルセリカは皇州同盟軍、クレアは陸軍の第一種軍装に身を包んでおり、略綬と階級章を見ても要人と分かるが、軍装である為に会場の多くの女性達の様な華美な印象は受けない。舞踏会に於いて衣装の指定は為されておらず、軍人でも軍装以外の衣裳を纏っている者も多い。民族や種族由来の衣裳も多く、皇国では公式の場では珍しくもない光景であった。
去りとて、特注されたであろう軍装は細身の印象を与え、凛々しさを感じさせる。
「陛下は軍装の女性を好まれますので」
「某は衣裳を考えるなど面倒での」
クレアとベルセリカが其々の理由を述べるが、揃いも揃ってそれでいいのかという言葉である為、トウカは返答に窮した。
クレアの場合、トウカに好かれる為だと言い放ったに等しく、或いはマイカゼに対する牽制の心算かも知れないが、周囲に寵愛を得るべく動いていると明言したに等しい。幸いにして周囲には近しい者しかいないが耳の良い種族も存在する。
「あらあら」マイカゼは口元を押さえて笑う。
楽しくなってきたと言いたげなマイカゼだが、トウカとしては面倒事を増やされては困るというのが正直なところであった。
トウカはクレアが寵愛を公式の場で臨むというのであれば与える心算であったが、クレアが立場にあまり固執していない為、そうした動きは今まで取っていなかった。立場を得るという事は立場に縛られるという事でもある。トウカはクレアを不可視の鎖で縛る事を望まない。
「陛下……陛下が軍装の女性を好まれているのは市井にも広く知られておりますゆえお気になさる必要はないかと」
トウカの内心を察したクレアが注釈を入れる。
「そうなのか? そうした心算はないが……文屋が要らぬ風聞を書き立てたということか」
一様に苦笑する女性陣。トウカの報道関係者嫌いは広く知られており、それを理解しての反応であった。
「まぁ、動きも制限される衣裳で前に立たれるよりは好ましい。裾を踏んで倒れそうだと見ていて落ち着かない」
会場を覗き見れば、そうした衣裳の女性が数多く存在する。女性が美しさを求める姿は男が強さを求める姿と重なるものがある。自覚的であれ無自覚であれ、理屈ではなく本能に近い部分にある様にトウカには思えた。
人体に有害と分かっても危険性のある染料を使い続け、その衣裳による事故死が多いと知っても尚も使い続けるという現象は地球世界にもあった。トウカは産出資源や文化の把握の必要性からそうした過去を知る機会があった。
――マリィは特に傾いた恰好をしていたから落ち着かなかった……
そのトウカの視線すらもマリアベルは独り占め……独占欲を満たすものと楽しんでいたが、トウカはその意図を理解していなかった。
「ああした衣裳で踊るというのは大したものだと思う」
トウカは心の底からそう思う。曲芸の類であり、政務の一環で要らぬ曲芸をするなど狂気の沙汰である。
断じて踊らぬというトウカの決意は固い。幸いにしてヴィルヘルミナは不在でありトウカが態々踊る必要はなくなった。天帝の権能が知識を用意してくれる為、知識としては不足はないが、経験はトウカが時間を割いて用意せねばならない。
――それなりに踊れるだろうが、好んでやるものではない。
断固として面倒事を避ける決意をするトウカ。
「陛下、そろそろ御準備を御願い致します」
見覚えのある侍女の報告を受けたクレアがトウカに耳打ちにする。
トウカは、致し方なし、と胸中では辟易としつつも表面上は鷹揚に頷いて見せる。
「では、往くとするか」
流石に軍帽は気が引けると、トウカは見覚えのある侍女に軍帽を手渡す。佩いた軍刀を一瞥するが、話が拗れたならば無礼打ちも有り得るので軍刀はその儘とした。武門たるを忘れはしない。
トウカは控えていた小部屋から紗幕を押し退けて進み出る。
舞踏会場は瀟洒な広間であるが、一段高く設置された場所……露台から階段が伸びている間取りをしている。上位者が高所から登場するという権威的演出の為であろうが、トウカとしてはアルフレア離宮……当時のアルフレア迎賓館の建設をしたマリアベルに使う予定があったとは思えなかった。それ程の収容能力を必要とする行事を行える程にマリアベルは人望がない……毀誉褒貶の激しい人物であった為である。
露台に姿を見せたトウカ。
一斉に注目が向き、トウカは居心地の悪さを覚えた。
歓声と蛮声が響く。
――御成り、という言葉は使われないのか。
時代劇で主君が登場する際、配下の者が事前に口にする登場の口上に類するものがない事をトウカは安堵した。一般的感性として気恥ずかしさを覚えた為である。威圧感を与えぬ様に警護の鋭兵は舞踏会場の外にあり、そうした口上を述べる者が居なかったという要因もあったが、最大の理由は典礼などを取り仕切る皇城府が関わっていない事に起因する。
歓迎の形式は陸軍が友好国の高官を迎える為の準備として行われ、人員も軍から拠出された。皇州同盟軍はこうした案件には慣れておらず、そもそも北部貴族の歓迎というものが床に茣蓙を敷いて大皿料理と酒を山と用意して車座で宴席を行うというもので、その隷下にあった領邦軍を再編して成立した皇州同盟軍に対外的な歓待などできるはずもない。蛮族の宴では権威に差し障ると陸海軍が懸念した。
文武の高官だけが参加している為、北部貴族や皇州同盟軍関係者の割合は少ないが、トウカからすると礼儀作法で咎める心算はなかった。
露台の中央に立ち、トウカは広間の参加者達を睥睨する。
「天皇大帝、サクラギ・トウカである!」
腰の太刀の抜刀を想定してトウカの左へと立ったベルセリカに対し、マイカゼは扇子を手に左へと立つ。トウカは挟まれた形である。対するクレアは右後ろに控えていた。
さぞかし見栄えのする光景だろうと、トウカは他人事の様に思う。
漣の様な歓声。
戦野の将兵の如き鯨波とは異なる上品なそれに、トウカは居心地の悪さを覚えた。桜城家は武家であるが権力者の虚飾に付き合う趣味はなく、トウカもそうした場面に遭遇する事は稀であった。
故にトウカは得た権能が権力者の振る舞いを教えるが、結局は桜城家たるの振る舞いを優先する。
「諸君、我が皇国とエスタンジアの同胞諸君! 今日は両国の新たなる関係の始まりを祝福する佳き日である!」
両手を広げ、その意思を示すトウカ。
「……尤も麗しの総統閣下は帰国為されたが……気にする事はない。後には小五月蝿い親類縁者が群がる結婚という機会もある」
肩を竦めたトウカに、会場からは再び漣の様な笑声が零れる。
実情としてトウカはヴィルヘルミナの帰国に理解を示す立場を取らねばならない。実際に理解を示しているが、それを行動で示さねば在らぬ不和を錯覚する者が現れるものである。隙があるなら不和を作り出すのが政治である。
ならば隙を見せる動きを座視する訳にはいかない。
トウカは理解を示さねばならないのだ。
故にその行動は、この場に在って明確である。
「さて、長々と話しては嫌われるだろう! 戦野でも議会でもそれは変わらない! 早々に切り上げるとしよう! 後は好きにせよ!」
トウカは右手を上げて切り上げる。
どよめき。
こうした場では長々と口上を述べる事が政治とも言えるが、トウカは口先だけで示す事を好まない。
だからこそ、〈第一戦略爆撃航空団〉と〈第四航空艦隊〉の国境沿い航空基地への展開を以て知らせねばならない。
――今頃、攻撃を開始している頃合いだろう。
北エスタンジアは早々に滅亡させるべきだろうとトウカは考えていたが、早々に機会が訪れた事はまさに天祐であった。
国力を見れば北エスタンジアは然して脅威ではなく、一重に地政学上の要衝である事だけが問題であった。帝国との緩衝国としての存在以上に、帝国の属国を可能な限り減少させる事で孤立を印象付けるという目的がある。実情は兎も角としても、小国でも一つの国家であり国名が並ぶと孤立感は薄れた。帝国が皇国侵攻前の兵力を有しているならば、硬軟織り交ぜた外交によって離反を招くべきであるが、戦力比率が傾いた今となっては軍事力で小国を滅亡させるという選択肢が取れる。迅速でいて確実な手段として。
――帝国軍が増援として現れるならば各所撃破の好機なのだが、な。
トウカは階段を下りながら、ありもしない好機に想いを馳せる。
帝国もそう愚かではない。属国を見捨てて戦力保全を図る事は容易に想像できた。
「陛下……御顔が歪んでおられます」
「卑しいと正直に言ってやるが良かろうて」
クレアの指摘にベルセリカが肩を竦める。それを見てマイカゼが笑声を零し、トウカもそれに釣られた。
三人は遮音術式を駆使して内容が外に漏れぬようにしている為、その直截的な物言いは外に流れないが、女性達の大胆な振る舞いには驚くしかない。
「気を付ける事にしよう」
トウカは歓声に片手を上げる。
階段を下ると早々に囲まれるトウカ達であるが、見覚えのない顔ばかりであり、長々とした挨拶をする者達に囲まれるが、平素から距離を取る者が多かった為、トウカには新鮮であった。
挨拶に伺う者達は必死であった。
トウカの権勢は北部貴族や陸海軍の強い支持を背景に確立されつつあるが、その国土改造と呼ぶに遜色ない開発事業の進展が各地の貴族や官僚に焦燥感を齎した。
莫大な予算と人材の投じられる計画に有力者達は目の色を変えた。
その莫大な予算に釣られたという事実よりも、その予算が投じられた地域との経済格差が生じる事への危機感がより大きかった。統治者にとって周辺の発展から取り残される危機感は金銭的欲求に勝る。
「陛下、久方振りに御座います」
「貴官は……ロコソフスキー中将か。久しいな。貴官の忠誠を受けて以来だ。錬成中の亡命帝国軍の様子はどうか?」
つい軍人として応じるトウカに、初老の将帥は背筋を伸ばして敬礼する。
アレクサンドル・ロコソフスキー亡命帝国軍中将。
「順調に御座いますが、余りにも厚遇を受け過ぎて地に根を張ってしまいかねないと懸念もしております」
「住み心地が良いか。時が来れば、皇国に帰属するといい……まぁ、帝国側も事が終われば住み易くなるだろう。気が変わるやも知れない」
朗らかに応じるトウカ。
予定調和の演出。
他国の政府閣僚や大使も参加する催事の中で亡命帝国軍の存在を開示するという思惑が枢密院に諮られ、合意を経て今回の南エスタンジアの政府閣僚を始めとした文武の重鎮を歓迎する舞踏会で御披露目を行うという事になった。
――枢密院の連中は揃いも揃って逃げ出したが。
専門家としての力量のみを基準に選ばれた者達であり、対人関係が破滅的な者も居れば、組織の管理者として疑問符が付く人物も少なくない。各府長官を除いた枢密院の面々は諮問機関の一員として有用な意見ができるという一点を見て登用された人物が多い。公式の場を好まないのは当然と言える。自身に足りぬものを解しているとも取れるが、大部分は面倒事だと見て逃げ出したのだとトウカは確信している。
トウカはアレクサンドルの力量を良く理解している。
〈アルターノヴァ軍集団〉隷下に於いて消耗した五個師団を再編した軍団を指揮下に収め、帝国陸軍、南部鎮定軍が総崩れとなった際も最後まで踏み止まり、帝国軍将兵の撤退を助けるべく全滅する覚悟で抵抗した。
最終的に消耗激しく移動力を喪失したアレクサンドルとその隷下の軍集団は兵力を三割まで喪失したところで降伏を選択した。
これは、その勇戦に感嘆を零した皇国軍将官も少なくなく、助命嘆願が出た事を鑑みて寛大な条件での降伏要求を行った結果である。火砲による曳火砲撃と近接航空支援による激しい要撃に晒された事で生存する将兵も茫然実質の有様であり、アレクサンドルも最早これまでと降伏を受け入れた。
――まぁ、降伏の処理で追撃の戦力が減るとの算段もあったのだろうが。
トウカは南部鎮定軍主力の包囲殲滅に注力しており、〈アルターノヴァ軍集団〉の攻勢を受け止めた戦力の大部分が歩兵師団であった為、現場に判断を一任した。移動力の遅い……それも予備兵力に等しく、兵数は定員を満たしていたものの、車輛数は大きく定数を割り込んでいた歩兵師団。練度も低い為、追撃に加わり包囲殲滅の一翼を担う機会がないとトウカは重視しなかった。
関係者の思惑が一致したからこそアレクサンドルとその隷下将兵は捕虜としての待遇を受ける事になった。
事後承諾であったが、トウカがこれを咎める事はなかった。当然であるが陸軍に対する配慮や人道などが理由ではない。
そもそも、トウカは南部鎮定軍の撃滅後、人事不詳に陥ったのでそうした判断を下す事が出来なかったのだ。
「食い扶持を頂けた事、住居を用意していただけた事、深く感謝しております」
一礼したアレクサンドルに、トウカは朗らかに笑う。
「無意味に兵を区別しては戦意に差し障る事もあるが、帝国は兵に満足に飯を食わせなかった。どうも体格……筋肉の付きが悪いと聞く。それはいかん」
トウカは亡命帝国軍の実情から攻勢任務に短期間の錬成では投入できないと見做していた。
現時点では、あくまでも政治演出の道具としか扱えない。
戦闘教義と一般常識が大きく異なり、それらを身に着ける期間と予算……エスタンジア地域や部族連邦から切り取った南域新領土からの志願兵を実戦に耐え得る様に錬成する方が費用対効果に優れる。言語問題もあれば宗教問題もある。
栄養不足による身体能力の低さに加え、帝国軍は多種族的差異は少ないものの民族的差異も捨て置けなかった。速成錬成による画一化も最低限を割り込んでおり、帝国軍内でも方言が出て意思疎通に支障が出る。
「とは言え、帝国に踏み込むのは直ぐという訳ではない。予定外が多くてな」
笑うトウカは朗らかな佇まいを努めて維持する。
帝国への攻勢を取れる状況ではなくなりつつある為、トウカがそれに苛立ちを募らせているという風評が流布していた。要らぬ振る舞いをしてその傾向を助長させる事は好ましくなかった。
止むを得ない均衡状態。
だが、戦略爆撃は継続できる。
勇者という不確定要素は有れども、共和国や協商国とも連携の話が進みつつあり、航空基地をより広範囲に用意して帝国各地を航続圏内に収める事は既定路線である。
帝国諸都市、産業地域、鉄道結節点、採掘場、橋梁……より多くを破壊して国力を削ぐ事はトウカにとって好ましい。その辺りを理解しない者は多い。
合理的により多くを破壊して殺戮するという方針。
「臣の命有る内に帝国の土を踏む許可を戴きたいものに御座います」
アレクサンドルの言葉に、トウカは、曲者め、と朗らかに笑う。
故郷へ帰還したいとの考えからではなく、帝国に対する憎悪が在ってのものである事は明白であった。
アレクサンドル・ロコソフスキーという老将は怒れる老人でもある。
帝国に於いて豪農の出身であるが、事実上の敗戦によってそれらの資産は全て没収されたとの事である。その遺恨があるというのは当人談であり、露骨過ぎて納得する者は多い。確かに勝算のない後衛戦闘を行った者に対しての仕打ちではなく怒りは正当なものである。
「無論だ。その準備を怠らぬ者に正当な戦場を与えるのは武門の責務ぞ」
戦備が少ない現状、トウカとしては利用する事も吝かではない。戦力を底上げする必要がある。
「おお、それは有難い事に御座います」
トウカはアレクサンドルの戦意に鷹揚に頷くが、殺意の高い老人は北部貴族だけで間に合っている。
トウカは適度にアレクサンドルを持ち上げつつも、次の挨拶があると別れる。
順番に挨拶に向かわせれば良いとの意見も枢密院では出ていたが、こうした場面では上位者が好意を示す演出をする事に意味があるとトウカは考えていた。上位者が関心を持っていると示す事ほど自尊心と意欲を増進させる事はなく、そして何よりも費用対効果の高い方法である。
クレアとマイカゼ、ベルセリカも当然の様にトウカに付き従う。女性を侍らせて政治をしている様な姿を望ましいとは思えないが、統合憲兵総監と主要貴族、剣聖という肩書を持つ女性達である。
トウカは次の話しかける相手へと近付く。ゆったりと歩き、警戒心を与えない様に配慮する。
次の相手は南エスタンジアの軍高官であり、この夜会の主役である。
南エスタンジアらしい黒を基調とした軍装であるが、全体的に細めでありながらも、左右に赤の縦線があしらわれた乗馬用の軍袴が特徴である。山地の多い地形であり騎兵の活躍できる国土ではないが、その軍装は初代総統の意向が反映されている事は明白であった。胸元の鉄十字の勲章にもトウカは既視感があった。
略綬を見れば相当の実績はある様に見えるものの、国家毎に勲章の性質が異なる場合があるので、その数が戦功に直結しているとは限らない。
「クレメンツ大使と、其方は国防軍総司令官のヨルドシュテット元帥と御見受けするが相違ないか?」
慌てて立ち上がるクレメンツとヨルドシュテット。
半ば予定調和であるトウカの問い掛けに、老将は白髪の長い眉毛を揺らして相互を崩す。
「おお、これは天帝陛下。御尊顔を拝し――」
「――ああ、そのままで御願いしたい。私も座りたいので」
トウカは努めて朗らかに椅子の背凭れを掴み、ヨルドシュテットに着席を促す。
実際のところ老将の相手は多々ある。皇国は人間種離れした容姿の将官も多いが、年齢通り……或いは年経た姿の将官も少なくない。そして、前提として皇国軍は将官の数……士官の定数が多い。有事の際、短期間で部隊数の拡充を図る為であり、育成に時間を要する士官は平時より充実した定数を維持していた。トウカの軍拡に於いて部隊数の拡充だけを見れば急速である事はここに理由がある。
そうした経緯もあり、トウカは老将の扱いを心得ていた。祖父以外の老人を無暗に立たせてはならない。
ヨルドシュテットの着席を確認し、トウカも臨席に座る。
「皆も座れ。至尊の存在を見下ろすのか?」
そう言われては断れないと周囲の者達は次々と着席する。
慣習から舞踏会と銘打たれてはいるが、そうした名前通りの振る舞いをする者ばかりではない。そうした区画は出入り口付近に設けられており、軍楽隊もそれに合わせた位置に配されている。
大部分は歓談という名の情報収集と人間関係の構築である。
踊りながらそれを為せる人種などそうはおらず、そもそも北部貴族などは貴族的風習などに対して意味を見出していない。下手に踊る機会など与えては無様を晒すという事もあるが、そもそも酒を飲み過ぎて足腰が立たない事は目に見えていた。
「総統閣下の事、誠に残念でした。それはそれは綺麗に着飾っていただけると確信していたのですが」
トウカの笑みにヨルドシュテットとクレメンツは顔を見合わせる。
その仕草に、トウカはヴィルヘルミナはやはりそうした事を好んでいないのだと確信する。政戦に対して理解と情熱がありながら、着飾って女優をする事にも前向きという姿が想像できなかった事もあるが、トウカから見て女優業を抑えている様に感じた事も大きい。
――歌って踊って支持を得られるならば積極的になっても良い筈だ。
ヒトには言えないが、トウカも歌って踊って支持が得られるなら驚くべき費用対効果であるので、そうした振る舞いをする事も吝かではなかった。無論、馬鹿げているので有り得ぬ妄想であるが。
「確かに総統閣下は撮影後によく胡乱な目をしておられますなぁ」
仙人の様な顎鬚を撫でながらヨルドシュテットが回顧する。
「引退を記念した行事をするとか……私もゆくべきだろうか?」
ヨルドシュテットは好々爺然とした笑声を零し、クレメンツは俯いて苦笑を嚙み殺している。トウカも思わず苦笑するしかない。
ヴィルヘルミナが嫌がる事を察した上での発言であるが、トウカはヴィルヘルミナの女優業に対する姿勢が確認できた為に満足であった。
トウカはヴィルヘルミナの為人を公式記録程度しか知らない。
併合の都合上、余り周囲を嗅ぎ回る真似は避けたいが、トウカはヴィルヘルミナを深く知る必要があった。政治都合とはいえ、伴侶となるのだから知らぬままでは済まされない。アリアベルの様に距離を置く事が望ましい伴侶というのは極めて特殊である。
「陛下は御人が悪く御座います。あの娘は華美で乙女らしい衣裳を纏う事に苦痛を感じる質でしてな。どうか”副業”については御放念いただきたいところです」
笑声交じりのヨルドシュテットにトウカも笑声を以て応じる。
女優業を副業と表現する辺り、ヴィルヘルミナの発案による支持獲得の方法ではない事が窺えるが、それは南エスタンジアの政府中枢ではそれなりに知られている様にも見受けられる一幕。
「武辺者ゆえ、最近は軍と得物ばかり送り付ける事になってしまっているが……反って良かったのだろうか?」
「総統閣下は喜んで居られますぞ。ただ、余りにも膨大な贈答品に戸惑いもあるのでしょう」
国防に絡む兵器供与や航空戦力の派兵は国家への支援であるが、独裁国家に於いて独裁者とは国家である。個人と統治機構の同一化著しい以上、トウカの軍事支援はヴィルヘルミナに対する贈答品とも言えなくもない。
「女というものは難しいな。まぁ、日々それを実感している訳だが」
トウカは鼻で笑うが、同時に権力者の女性関係が政治情勢に影響を与える事を知る為、胸中では振り回される訳にはいかないという心情もあった。現状ではトウカは振り回している側であると考えているが、この先もそうであるとは限らない。
ヨルドシュテットは髭を撫でながら、興味深げな表情を隠さない。
「で、あれば、向こうの姫君はどうなさる御心算ですかな?」
「ん……ああ、そう言えば、北には王族が居ると聞くが……貴国の領分だ。我が国が横槍を入れるべきではないだろう。総統であれば上手く対応してくれると思うが」
皇国側……枢密院で北エスタンジア王国王族への対応が議論の俎上に乗せられる事はなかった。これは一重に併合……合流までに王族が軒並み排除されていると考えていた事が大きい。
南エスタンジア併合前に北エスタンジアへの軍事行動を行う場合、中途半端なものにはせず完全に南エスタンジアに併合させる事は枢密院内でも一致した見解だった。その場合、北エスタンジア王国王族の処遇は南エスタンジアが健在である為に一任するべきであり、干渉は不興を買うとの判断である。配慮とも言えるが無理をする程の場面ではない。
「帝国に落ち延びても構わない。開戦事由の一つとなるだけだ」
心底とどうでも良いというのが皇国の偽らざる心情であった。
欲を言えば、悪評を負わぬ様に上手く族滅に追い込んで欲しいが、遺児があるならば旗頭として周囲に不穏分子が集まる為に利用もできる。ただ、無秩序に亡国の貴族が世界各地に拡散するのは好ましい事ではなく、逃亡する王族も把握しておきたいというのが枢密院の本音であった。
――まぁ、旗頭の役目はヴァンダルハイム侯爵にでもさせればいい。
トウカの勅命を以てエスタンジア地方とヴェルテンベルク伯爵領の間の土地に領地替え……転封させたヴァンダルハイム侯爵家はトウカに対して娘が自害した事で遺恨がある。併合後、エスタンジア地方の有力者で不満のある者達が頼る相手としては最適であった。
その為の餌なのだから機能して貰わねば困るというのがトウカの本音であった。当初よりそうした意図もあった転封なのだ。
「困り事とあらば相談に乗りましょう。最早、我らは同胞に等しい」
主君と臣下という実情をトウカは敢えて避ける。
頼りになり軽妙な主君という姿勢を崩さないトウカ。
苛烈なのは政戦だけでよく、今は日常会話程度の内容に過ぎないと、トウカは見做していた。
しかし、そうした余裕は減ずる事となる。
「いえ、実は北エスタンジアの姫君を娶るのではないかという邪推をする者が内閣におりましてね……いやはや、困りますわい」
軽やかに告げるヨルドシュテットに、トウカは、貴方の懸念ではないか?と思えども尋ねる無粋はしない。
だが、胸中では思わぬ角度からの内容であった為、戸惑いを些か持て余した。
北エスタンジア王国王族には確かに年若い娘が居たが、トウカも枢密院もそうした発想はなかった。これはヴィルヘルミナとの婚約により、彼女の助言の下で南北エスタンジア併合を遅滞なく行えるとの判断があった為である。
北エスタンジア王国は絶対王政の下での閉鎖的な国情も相まって情報が少ないが、工業技術は連合王国よりは幾分か進んでいるものの、国民の生活水準は連合王国と然して変わらない。生活水準向上を以て人心を掴む事は容易であるとの判断があった。
――何より、火中の栗は南エスタンジア人に拾わせるべきだとの意見が多い。
エスタンジア地域統合に於ける確執や遺恨まで皇国が前に出て受けねばならないのは道理が通らない、との意見を無視しては皇国内に不満が出かねない。
――最悪、分断して統治せよ、とも考えていたが……
北エスタンジアと南エスタンジアが反目し合う状況……皇国への憎悪が向かぬ内に経済的依存の状況を形成する事で併合の流れに理があると実感させる。トウカとしてはそれでも良いと考えていた。
トウカは頭を掻いて曖昧に笑う。
「失礼、正直なところ予期しない発想であった、と言ったところです」
南エスタンジアはトウカや枢密院の配慮をかなり高く見積もっている様子であるが、実情としては神経質に対応しているものの、エスタンジアという要衝を国内不安を招かず版図に加える事を最優先していた。
ヨルドシュテットは、まさか、と驚いて見せる。疑いは消えない。
「南と北の象徴的な女性を娶る事で、天帝の御稜威の下での融和を演出する……一理あると言えませぬか?」
理がある様に思える意見だが、ヨルドシュテットは皇国側の実情を見ているようで見ていない。
権威主義的政治力学ばかりを見て皇国政治の実情を見ていない。皇国はそもそも南北エスタンジアという小国相手に国家指導者の婚姻政策というある種の権威主義国の外交に於ける最終手段を利用したいとは考えていなかった。そうした中で地域の分かたれた小国二つからそれぞれ花嫁を迎えるというのは、国家指導者の婚姻の価値を下げる行為である。
――俺の心情以前の問題だ。枢密院がヴィルヘルミナとの婚姻に賛成したのは、後継者がない状況を懸念したからだ。
本来は、枢密院もエスタンジア地域という小さな地域を併合する為に婚姻政策は過剰だと考えている者が多いのだ。それでも賛成したのはヴィルヘルミナの力量とトウカの後継者不在を問題視した為である。大層な美人で力量もあるならトウカも満足するだろうという枢密院の透けて見える思惑にトウカとしては思うところがあるが、安易に否定できる懸念でもない。何より本格的な併合政策としては最初となるエスタンジアで躓くというのは避けるべきである。
「ふふふ、なら総統と姫君を競わせるのも一興か……どう思う?」
莫迦らしくて最早、その程度しか価値のない話である。
もし北エスタンジアの姫君がヴィルヘルミナに匹敵する政治的力量の持ち主であるならば話は変わるが、そうであるならば北エスタンジアの状況はこれ程に悪化していない。そうでなくとも、力量あらば成果は伝え聞こえるはずであり、それは容姿の面でも同様である。特段と目を惹く容姿であるならば話題になるのは容易に造像できる。
ヴィルヘルミナが圧倒するのは明白である。
両国の関係を踏まえれば比較されるのは明白であり、それを踏まえれば軋轢にかならない。
「気にする必要はない。気に入らぬなら先に処分しておくがいい」
トウカは含みのある笑みと共に席を立つ。
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