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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》

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第三八八話    アトラス協商国 前篇












「貴官ら全員、前線送りだ」


 背筋を震わせた小狐は近くの机に置かれた硝子杯(グラス) の米酒を飲み干し、酒精交じりの吐息と共に吐き捨てる。


 何が悲しくてひらひらのふりふりとした衣裳を身に着けて撮影を受けねばならないのか。


 陸軍大佐を辱めるなど慮外者の誹りを免れない。


「いえ、これも軍務ですので。あ、もう一枚、お願いします」


 大仰な撮影機を手にした武官の声に、小狐……ネネカは狐耳をぴこぴこさせ、筒衣(スカート)の両端を摘まんで微笑む。軍務であるなら仕方ない。給金が発生しているのだ。ネネカが心情として許すかは別問題であるが。


「なに、最近は野戦撮影小隊というものも編制されている」


 戦場で諸々がぶち撒けられる不幸を存分に撮影する機会を与えてやると、ネネカは息巻く。


 トウカは情報集積に対して並々ならぬ関心があり、野戦撮影小隊は激戦が予想される地域には配置されていた。ネネカはトウカに思うところがエルネシア連峰の全高を超える程にあるが、戦場の記録を可能な限り残そうという試みに関しては大いに共感していた。記録は戦訓となり明日の兵士を生かすのだ。撮影意欲溢れる士官を推薦するにネネカとしても吝かではない。


 無論、駐在武官には分からぬ御高説だろう、とネネカは腕を組む。


「共和国に特使として赴かれたハルティカイネン大佐は、煌びやかな衣装を身に纏いバルバストル大統領と踊られたと聞きます」


 あの紫芋は慎みがないだけで、そもそも携えている内容が重大にも関わらず目立ってどうするのかと、ネネカは頬を引き攣らせる。


 そこで一枚、撮影される。


 とは言え、ネネカもそれを咎められる立場にない。機密保持は何処かへ吹き飛んだ。


 寧ろ、派手過ぎて事の本質が分からなくなっているかも知れないが、それは怪我の功名であり想定されたものではない。リシアが口にする、過大な振る舞いの下に本質を隠す、というのはネネカにとって戯言に過ぎない。周りが配慮して辻褄を合わせるという幸運を、その紫苑色の髪が齎しただけであるとの確信が彼女にはあった。銃口の先の敵国兵士は紫苑色の髪の神秘を理解しないが、自国内の有象無象となれば話は変わる。


 協商国は特使のネネカを大歓迎した。それはもう盛大に。


 トウカの親書を手渡し、その返答は色良いものであったが、贅を凝らした歓迎と明らかに賄賂にしか見えない金品を次々と手渡されて辟易としていた。挙句に夜はどうなさいますか?と異性か同性かは知らぬが用意できる事を匂わせられ、ネネカとしては商人の国の無節操に心底と呆れ返っていた。貰った金品は路外の物乞いや募金箱に撒いたし、異性も同性も鼻で笑って固辞している。


「油断してはなりません。貴女という人間を推し量ろうとしているのです。銭だけで伸し上がれる程に世界は甘くないのですから」


 部屋の隅の席で優雅に紅茶を嗜む退廃的少女趣味の衣装……トウカが見ればゴシック・アンド・ロリータというものか、躓きそうだな、と目を背けるであろう衣裳を身に纏う年若い娘の忠告に、ネネカは呆れを積み増しする。


「推し量るにしても、他に費用対効果の高い方法があるでしょう。 品位を疑われる真似は慎むべきだと思います」


「相変わらずお堅いわね。その様子だと天帝陛下のお手付きにもなってないのでしょう」


 黒を基調とした華美な衣装で呆れ返る美少女の姿は様になるので、美人は何をしても様になると更に辟易とするネネカ。


 陸軍大学同期と他国で遭遇する事になるとは思わなかったネネカとしては、同時にひらひらでふりふりの駐在武官となっているとも思わなかった。調子が狂い、気の利いた返答ができず更に機嫌を損ねる。



 ユウカ・シルトライヒ。



 美貌の陸軍少佐であり、ネネカの同期でもある。黒の長髪を左右で括り、廃的少女趣味の衣装からはとてもそうは見えないが、良く見てみるとその奇妙な衣装には肩章が付けられている。皇国軍が許容する軍装の改造を大きく逸脱しているが、寧ろここまで来ると階級章や徽章が別の服に取り付けられているのであって軍装の改造とも言い難い。


 陸軍大学ではネネカと同期であるが、士官学校の年次で言えばリシアの一つ上である為、実はリシアとも面識のある人物である。軍装虎兵学校を経て、強襲装虎兵大隊や有翼騎兵大隊などを歴任。その後、陸軍主計学校と陸軍法務学校、陸軍憲兵学校を経て、その上で陸軍士官学校に入学し卒業、陸軍大学へと進んだ異色の経歴を持つ陸軍士官であり、同期の間でも美人だが不思議な人物とされていた。兵科学校を三つも卒業した士官は彼女以外ネネカの知る限り存在しないが、そもそも、陸軍大学卒業後は同窓会にも参加せず、活躍も失態も噂も耳にしなかった為その存在を忘れていた。  


 無論、兵科の異なる実戦部隊を幾つか経験し、後方勤務の複数分野に明るい稀有な人物である為、民間に出ても軍関連の企業に引く手数多である事は疑いない。人生設計としては良いが、有事の際は真っ先に徴兵対象となる上、現在の天帝はトウカである。挙句に現在は協商国に駐在武官として駐在している。


 ――相変わらず掴みどころがない……


 確かに皇国陸軍では当人が希望する場合、陸軍士官学校や各兵科学校は前後を問わず入学できるが、装虎兵兵科学校を卒業し、実戦部隊を経て各兵科学校……陸軍主計学校と陸軍法務学校、陸軍憲兵学校に入学。尉官への昇格に必要な陸軍士官学校を経て、 平時では佐官への昇格には必須の陸軍大学に入学するというのは異色であった。何よりネネカが言えた義理ではないが、尉官から佐官への昇格がかなり早く何かしらの特務に従事していたと予想できた。


 ネネカは陸軍士官学校を首席で卒業し、幾つかの実戦部隊を歴任。その後、佐官になるべく陸軍大学に入学し、首席で卒業。陸軍参謀本部の一員となった。ほぼ不可能に近い最短距離での陸軍の枢機である参謀本部への経路である。


 基本的に兵科学校とは一つ行くのが基本で、その後は昇進に合わせて陸軍士官学校や陸軍大学に入学するものである。ネネカの場合、最初から士官として軍役に付く為、 陸軍士官学校を最初から志し、兵科学校には入学しておらず、これは皇国陸軍の士官では多くはないが少なくもない程度ではあった。ネネカがそうした道を選択したのは、各兵科の専門知識より戦略を重視した為であり、志望動機が戦略指揮に携わる事であった為である。


 無論、兵科学校を経ていないと昇格に影響がある事も確かである。専門性は成果に直結する部分もあり、専門分野での活躍は目に留まり易い。そこから評価を得て昇格するというのが通常である。


 ネネカの場合、陸軍大学で執筆した多数の論文の影響が大きく、そうした例は過去にない。


 それ故にトウカの論文に敗北感を覚え、そして欠点が多い人物であるが、支えるのも吝かではないという心情に最終的には至ったのだ。そうでなければ階級章を叩き付けて陸軍から飛び出している。


「じめじめした図書室の隅で論文を書き散らしてた貴女が同期で一番の出世頭なんて……と思ったのだけど、階級では後輩と並ばれているわね」


 リシアの事を言っているのだろう、とネネカは更に気分を害する。


 縁故採用、御気持ち昇格が罷り通る領邦軍を経由して陸軍に転籍した相手と比較されるのは甚だ不本意である。とは言え、実戦経験という意味では、内戦で暴れたリシアに軍配が上がる。陸軍は実力組織であり、国家の暴力を担う都合上、どうしても実戦経験というものに注目が集まった。機甲戦から塹壕戦まで行ったリシアは、確かに赫奕たる武勲の持ち主であり、実際のところネネカですら気後れする部分がある。


 塹壕で曲剣(サーベル)を振るって敵兵を斬り倒しながら、部下を鼓舞するというのはネネカには縁遠い話である。そもそも、体格の問題から一息に鞘から曲剣を抜き放つという芸当ができなかったが。


 ネネカはリシアに嫉妬する。幸運だけで困難を踏み越えた様にしか見えない為であるが、同時に幸運を掴み取る為の命懸けがある事を理解していたからこそである。


「もう、祖国(おうち)帰る」


「冗談よ。帰らないの。というより、これからが本番でしょう?」


 実家に帰らせていただきます、と去ろうとしたネネカをユウカが呼び止める。


 確かに本番は今日からである。


 長々と歓迎の諸々があったが、そうした建前もひと段落し、協商国軍との実務会談をこの後に控えていた。


「噂の要塞線を見られるのは有難い事だけど、今となっては地上貫通爆弾(バンカーバスター)の標的でしかない」


 皇国軍で要塞という防御施設の価値は暴落していた。


 高高度から地上貫通爆弾で絨毯爆撃をすることで無力化できるとの目算が立った為である。トウカは誘導方式の開発に予算を投じる意向を示しており、将来的には司令部や弾火薬庫などの急所を精密爆撃できるようになる事も予測できた。要塞に対して攻城戦を実施するよりも遥かに費用対効果の面で優れる精密爆撃の登場は皇国陸軍の基本戦略を転換させた。


 それならば何故、エルライン要塞を再建するのかという話は陸軍でも持ち上がっているが、将来的に予想される本土への難民流入阻止という側面が大きい事は陸軍参謀本部も認識していた。


 無論、難民が必ずしもエルライン回廊を超えて本国に侵入してくるとは限らない。


 エルネシア連峰を踏破して侵入するという例は過去に存在しない訳ではなかった。 寧ろ、帝国成立時、迫害を恐れた獣系種族などは追っ手を撒きつつも、優れた身体能力で踏破できると踏んでエルネシア連峰の踏破を試みた者はそれなりに存在する。無論、年若い男女に限られた話であり、家族・子供や老人が居る団体では行われなかったものの、若者であれば相応の踏破率があった。


 人間種であれば成算は低いが皆無ではなく、寧ろ現代ならば土木機械で無理やり経路を構築される可能性もあるのではないかと陸軍は恐れてもいた。


 帝国軍は、一度、対要塞破城槌なる兵器を用いてエルライン要塞を突破している。 エルネシア連峰を踏破する為、専用の土木機械を製造するというのは有り得ない話ではない。それ故に航空偵察も為されているが、エルネシア連邦は気紛れな天候がそれを阻む。


 そうした推測もあり、再建されるエルライン要塞は帝国侵攻に於ける要衝の保持という意味だけではなく、エルネシア連峰の広域監視をも担う予定となっていた。


 しかし、協商国の要塞は違う。長大な国境線を要塞で遮断しているのだ。


 国名を冠したアトラス要塞線と呼ばれるその要塞は、帝国と面する国境と、一部それ以外の帝国と近い国境を持つ国家との国境に建造された長大な要塞であり、その規模は史上最大にして最長であった。建造期間も二五〇年を超え、未だに増強が続いており、戦訓と兵器の進歩に合わせて改修が行われている。


 国境と近しい他国が迂回路となる事を想定し、帝国以外の国家の国境線の一部まで要塞化している様は狂気に尽きる。


 馬鹿げた予算が投じられた結果でもあるが、時に不況の際は公共事業として利用し、 帝国軍の侵攻は悉く跳ね除けてきた事を思えば費用対効果として悪くないというのがトウカの評価である。ネネカは 些か過剰ではないかと考えていたが。


 経済的に見て長大な国境線を塹壕戦と変え、火力を叩きつけ合って人命と予算を蕩尽する事は、共和国の慢性的な経済難を見ても相当な負担であるが、ものには限度というものがある。


 手にした扇子を閉じ、ユウカは告げる。


「この国は少なくとも帝国からは安全よ。ゆっくり見分していきなさいな」


「あの要塞の御蔭……不愉快な」


 ネネカの嫌悪感の根拠をユウカは察していた。


「機動戦論者からすると勝利を目指さない軍事戦略は噴飯ものでしょうね」


 肩を竦めた姿すら様になるそれに、ネネカはユウカが協商国で平素からその取り回しに難のある衣装を着ているのだろうと唇をへの字に曲げる。或いは、協商国の権力者をその奇抜さを以て攪乱する心算かも知れ ない。


 ネネカは機動戦重視の将校である。


 だが、そもそも皇国陸軍は機動戦重視であった。これは内戦戦略という本土決戦を前提とした防衛計画の産物であり、機動力を以て迅速に戦域に駆け付け、敵野戦軍を包囲殲滅するという方針の下での教育が大きく影響していた。防衛的戦略であるからこそ機動力を重視した皇国と協商国では根本的に異なるものがある。


 トウカは侵略的意図を露わにしており、他国領土への侵攻を意図した外線戦略への転換を号令したが、意外な事に内戦戦略下によって取り決められた計画なども継続されているものが多い。寧ろ、予算不足で行われなかった国土内での兵力再配置の時間短縮を意図した大規模な鉄道網整備などは、トウカの下で大々的に開始されており、内戦戦略下の嘗ての皇国陸軍にとって悲願であった鉄道輸送の強化は以前よりも前進していた。


 攻めるも引くも速度と効率からは逃れられないという傍証と言える。


 そうした状況下でネネカは軍の機動力に関連する論文を特に多く提出していた。


 物資輸送の効率化は特に重視しており、砲弾の事前集積や鉄道貨車への積載状態での物資保管辺りの改善はネネカの論文に依る所が大きい。


 部隊の機動力が戦場での打撃力に加算されると信じるネネカは、要塞という防御施設に対して確かに好意的ではない。


 機動できない以上、主導権は相手に在り、異なる地で決戦を強要された場合、要塞は意味を為さない。


 魔導障壁や防護術式の先進性から要塞建築の評価が高い皇国だが、実は皇国陸軍内では要塞に対する評価というのは限定的であった。


 しかし、実績は認めねばならない。


「あの要塞線で国土と人命の損失を大幅に圧縮できているじゃない? ここ二〇年近くは帝国も攻めきれないと見て大規模な侵攻は行っていない。最早、兵器ではない建造物もまた抑止力として機能するという例ではないかしら」


 ユウカの言は正しい。


 だが、一歩足りない。


 ネネカもそうした点は否定しない。


「それは副産物だ。協商国が求めたのはそんなものではない。分からない? 彼らは商人。商売の安全の為に作った。何よりも安全であるという評価と印象が得られるならば採算が合う。安全だから投資も生産も期待できる。戦火に怯える土地に資金が流入する事はないから」


 実際、稀な例として軍事力や経済力で均衡しつつも対立する二国以上の国家の狭間にある国家の場合、商取引の場として資金が流れ込むという事は有り得た。実際、皇国と帝国、共和国と国境を面する中原諸国などはそうして利益を貪った。


 結果、帝国に侵攻を受けて壊滅した。


 厳密に言えば、皇国侵攻に失敗した帝国陸軍の野戦軍が退路として中原諸国を選択し、破壊と略奪を行いながら撤退した事が致命的な荒廃を招いた。


 軍事力が伴わなければ抑止力足り得ない。


 そうした他国の善意と常識を前提にした安寧と利益よりは、要塞建設による安全の提供がより現実的と言える。


「協商国は商取引の安全の為に要塞を建築したということ?」


「そう。それ以外は副産物。天帝陛下もそう仰られた」


 尻尾を一振りするネネカ。閉じた扇子で口元を隠したユウカは思案顔。


 ネネカの見たところ、既に要塞建設に関わる費用は回収できている筈であった。


 そうした安全が経済活動の拡大に影響するという事はネネカも理解はしていたが、 トウカ程ではなかった。


 トウカも経済活動の安全に対して相当に神経質である。


 現に皇国北部地域の経済発展の試みの一環に、装甲師団や戦闘航空団の配備があった。


 エルネシア連峰を飛び越えて航空騎が侵入したという例は、皇国軍事史の中ではそれなりにあり、エルライン回廊の突破も最近発生した。そうした過去と不安を一掃する手段として軍事力の展開を行っていた。


 軍事力による安全の担保。


 本来、軍を編制する理由の一つであるが、トウカほどに徹底している国家指導者は皇国でも初めてである。


 ――正直、遷都という話もその一環だと思うけど……無茶をする。


 自らが北部に座して安全を示す。


 決して支持母体である北部貴族に対する配慮や策源地の防衛という意味だけではない。無論、人口の少ない北部の問題を是正するという意味もあった。軍隊という働き盛りの年齢層が主体の巨大組織が存在するという事は、それだけ多種多様な物資が消費され、資金が流動するという事でもある。


 ――他地方出身の陸軍将兵に北部との相互理解の機会を与えるという事もあるのだ。


 これは陸軍参謀本部にも示されたトウカの意向であり、民間は経済的交流があれば嫌でも人的交流は発生するが軍隊は異なる。基本的に軍隊は人材の流動性に乏しく、 外部どころか内部での交流も乏しい。軍に属すると世間との感性が乖離するというのは民間からよく聞かれる言葉だが、実際のところ軍内でも乖離する。


 駐屯地や衛戍地に駐留する部隊が演習などで他地方に展開した場合くらいのもので、それ以外は任務地を離れる事は少ない。ネネカの様な参謀将校となると話は変わるが、戦闘による消耗と配置転換の続く戦時でもない限り、軍隊という組織の大部分は酷く停滞している。


 トウカはそれを懸念した。


 戦線を形成するに当たって師団ごとの策源地を考慮して展開しなければならないという事を嫌った為である。


 地域毎の確執や問題を軍事行動に持ち込ませないという事である。これはトウカが内戦や対帝国戦役の最中、皇州同盟軍内のあらゆる差異の前に編制や展開に苦労した経験が元になっている。編制は練度や装備の違いを踏まえれば当然だが、北部地域内にも確執はあり、領邦軍はそれを根拠に確執が生じる行動を黙認される傾向があった。 領邦軍とは私設軍であり、貴族の好悪に影響を受けるという事もある。


 戦場で隣接地域に展開したが、相互支援を拒絶した例もある。


 明日から御前らの姓はサムソノフとレンネンカンプだ。


 ネネカにも意味は不明であるが、トウカは地域的問題で連携を拒否した指揮官にそう吐き捨てた過去がある。その場で銃殺にしなかったところが対帝国戦役時のトウカの不安定な権力基盤と、寄せ集めである皇州同盟軍の弱さが見て取れる。尤も、それに勝ちきれなかった皇国陸軍に属するネネカは、トウカのそうした部分を笑えないのだが。


「あら? 陛下と仲がいいのね」


「聞きたい事は聞くに決まっている。勝手に考えて異なる解釈をするほうが、後々に問題になるかも知れないし」


 問題は早々に上奏し、疑問は早々に尋ねろ、というのはトウカの言である。


 至尊の座に在る者へそう簡単に意見できるものか、とネネカは思う。無論、これは参謀本部の関係者の一致した見解であるし、誰しもが大蔵府長官であるセルアノの如く振舞えるものではない。とは言え、ネネカは大いにトウカの言い付けを守っているが。


 あまり配慮すると、皇州同盟軍出身者の影響力ばかりが増して健全ではない。縁故に等しい人間関係で政戦をされては堪ったものではない。無論、ネネカはそうした言葉を口にする事はない。狐系種族がそれを口にしても鼻で笑われるだけである。狐ほどトウカの加護篤い種族はない。


「横紙破りが当然だと考えてるし、必要以上に殺すけど、皇国を発展させる力量だけは信頼している」


 多分に問題点はあるが、卓越した力量と意志を持つ人物である事は確かである。少なくとも歴代天帝の中で難局を乗り気り、容赦ない発展を希求するという点に関してはトウカに勝る天帝は存在しない。己の敵を国家の敵と看做せるだけの自負心がありながら、自己の無謬性を疑う事は止めない奇妙な人物……独裁者というには己すらも信ずるに値しないと考えている節がある。ネネカのトウカに対する評価とは、そこに集約される。


 自己を疑うという機能を独裁者は持たないというのがネネカの持論であったが、トウカの場合は当人は独裁者という意識に乏しく、統治機構の必要性という意識が強い。自己を国家の中枢部品であるかの様な姿勢。


 必要性それ自体が自身であると自負しているからこそ果断で容赦がないとも言えるが、確かに嘗ての皇国には必要であるという理由で全てを踏み越えて断行する天帝は初代を除いて存在しなかった。


 ユウカは、その言葉に眉を顰める。


「……それ、言っていいの? 聞かれてるわよ?」


「聞かせている。聞きたいだろうし、事実を知れば馬鹿な真似はしない」


 監視が付いている事はネネカとしても百も承知であるが、トウカの力量を見誤って馬鹿げた振る舞いをされる事はネネカとしても我慢ならない。馬鹿げた振る舞いの後始末を陸軍がする事になれば、参謀本部のネネカの残業と時間外労働は激増する事になりかねなかった。外交や交渉を飛び越え、早々に軍事力の行使に及ぶ国家指導者である事は間違いないのだ。


 ――あの戦争屋相手に馬鹿げた交渉を持ち掛けられたら私に飛び火しかねない。


「馬鹿は一人で死ねばいいのに、周りを巻き込んで死ぬから馬鹿と言うのよ。心配しなくても貴女は巻き込まれるわ。保証してあげる」


 その馬鹿はトウカを指しているのか協商国を指しているのか気になる所であるが、 ユウカも中々どうして際どい発言をすると、ネネカは同期にも巻き込まれると鼻を鳴らす。


「参謀将校としては、勘弁願いたいところだが―――」


 大きな鐘の音。


 正午を知らせる音色。


 ネネカその音の出所である古時計に視線を向ける。


 ユウカが立ち上がり、ネネカも自身の衣装に手を掛けようとする。


「貴女はそのままよ。この国を堪能していると姿で示す必要があるじゃない」


「軍務だが? 遊びに来た訳じゃない」


「友好関係を築けるなら安いものじゃない。我慢しなさいよ」


 そう言われるとネネカとしては弱いところがある。ユウカの服装もそうした部分があるのかも知れない。郷に入っては郷に従うという事か、とネネカは渋々と頷く。


ひらひらのふりふりの御嬢様という風体の二人はその場を後にした。



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