第三八六話 叛乱鎮圧
「速やかに原隊に復帰するのだ! 罪は問わない!」
騎乗した見目麗しい総統の大音声。
指揮官を狙撃し、指揮官不在となった瞬間の提案に、前方に展開してる歩兵部隊が目に見えて動揺する。内戦ともなれば昨日までの友軍との交戦は避け難い。無罪で逃れられる提案があれば逃れる者は少なくい。何より指揮官の口を銃弾で塞ぎ、死人に口なし、という状況を用意した。
叛乱に賛成だった士官の中にも、戦死した指揮官に叛乱部隊として運用された事実を全て押し付けて原隊復帰を望む者は少なくない筈である。
叛乱とはいえ、首都を押さえて要求を通す、という事が主眼に在り、本格的な戦闘への参加を覚悟していない者は多い。
トウカに耳打ちされた叛乱の対処方法は実に有効だった。
昨日までとは異なる指揮系統に与せよ言われて部隊全員が理解と納得をするはずもなく、叛乱に於いて既存体制側が行うべきは叛乱側部隊指揮官の排除である。部隊移動が叛乱に与した指揮官の命令によって為される事は、軍の強固な服務規定の範疇でも生じる余地が十分にあるものの、戦闘命令となると隷下将兵の相応の理解と納得の必要があった。昨日の友軍を撃つ。その命令を部隊に実施させるには指揮官の類稀なる統率力が必要である。そうでなければ、叛乱側に万人が納得できる程の大義名分が必要であった。
そんなものは存在しない。少なくともトウカはそう断言していた。
友軍を撃つ程の強固な意志を士官と兵士の大部分に要求し、それを受け入れる状況を作り上げる事は容易ではない。
――なら皇国北部貴族による叛乱はどうなのだ?
ヴィルヘルミナはトウカに尋ねた。
あれは経済問題の解決と脅威の排除を目的とした独立を求める行動で、単なる政治的要求に留まらない、という返答が返ってきた。
政策変更と独立強要では性質が異なる。
そう言われれば、そんな気もするが、自国内で陸軍と領邦軍の衝突を躊躇せず、そして隷下将兵に実施させるというのは尋常ではない、とヴィルヘルミナは思う。
実際、皇国北部の閉鎖性から他地方への同朋意識に乏しく、陸軍との交戦に心理的抵抗がなかったという部分が大きい。寧ろ、遺恨で戦意旺盛であった。トウカが少々の勝利を得て、それを以て当たり障りのない決着を用意する事を早々に諦めた理由もそこにある。
一切合切悉くを投じる事を前提とした叛乱。
歴史的に見て、あまり前例のない話である。
全てを投じ、殺しまくって独立を勝ち取る。
余りにも刹那的に過ぎる方法であるが、殺意高くとも烏合の衆である事に変わりはないので、厳密な方針など決めても無意味だろうという判断もあった事は間違いない。
ヴィルヘルミナとしては、そうした覚悟と戦意を持つ叛乱軍を相手にせず済む事には安堵していた。
「総統閣下、白旗です。特使を派遣したいとの事です。予定通り受け入れます」
リンデガルト中佐の言葉に、ヴィルヘルミナは余裕を以て頷く。
焦燥は少なくとも仕草に出す訳にはいかず、 勝利を確信しているかの様に周囲に見せなければならない。軍人ではないがヒトの上に立つ者としての振る舞いは理解している。
大洋艦隊司令長官のリンデガルト大将の妻であるというエミーリア・リンデガルト中佐が命令を出す姿に、ヴィルヘルミナは信頼が置けると感じていた。
軍港へ上陸した際、真っ先に駆け付けてきた佐官であるという事も大きいが、ヴィルヘルミナの帰還を想定し、鎮圧計画を立てていた事も大きい。即座に鎮圧作戦を開始できたのは、偏に彼女の計画あってのものであ る。
「しかし、皇国製の対物狙撃銃は素晴らしい性能です。 平地での交戦を意識しているのでしょうが、市街戦でも十分に活躍できるでしょう」
重機関銃の弾薬を使用するという対物狙撃銃は極めて精密であり高威力であった。銃床に発條 (バネ)が組み込まれており、銃口に装備された矢印の様な形状の銃口制退器 (マズルブレーキ)と相まって、反動をかなり低下させている。とは言え、皇国軍が採用している13mm通常弾は他国では強装弾に分類される為、散弾銃よりも反動は大きい。
「対人質量弾などという銃弾があるという事も驚きましたが、皇国軍は中々に殺意が旺盛の様です」
叛乱軍の歩兵部隊首都防衛を担う〈第一師団〉に属する歩兵中隊と思しき部隊は、中隊長が馬上で挽肉となった事で早々に交戦を断念した。
無論、ヴィルヘルミナが存在する時点で銃口を向ける将兵は限られる。
ヴィルヘルミナの婚姻政策に対する問題を解決する為、当人に銃口を向けるのでは本末転倒である。馬鹿馬鹿しいと考える者は少なくないだろう。
無論、ヒトの形を留めていない中隊長を見て戦意を喪った事も大きい。
皇国軍が使用する重機関銃の銃弾はかなりの種類が存在し、現在は互換性がある皇国北部で生産された種類まで混在している。共通規格化で今後減少していくと予想されるが、今回譲渡されたのはその中でも皇州同盟軍が使用していた対人質量弾である。
これは魔導障壁の破砕を目的に利用される銃弾であり、皇州同盟軍では徹甲弾と交互に弾帯に装填されて使用している。
皇州同盟軍の場合、成立時は周辺の”敵対的な”軍事勢力に対して総兵力で劣るという慢性的な問題があり、その結果、対魔導士を想定した能力を多くの武器に開発計画時点で求めざるを得なかった。無論、これは明らかに主敵を皇国陸軍に据えた話であり、皇国陸軍ほど魔導戦力の充実した軍隊は存在しない。
通常兵器で魔導士を相手にせねばならない場合、その強固な魔導障壁を貫徹、或いは消耗させる必要性に迫られる。前者を選択するには高初速の対空砲や対戦車砲が必要であり、製造単価と可搬性、速射性の問題が生じた。特に製造単価は配備数の問題に直結する為、皇州同盟軍はより安価な武器である重機関銃の運用による解決を目指した。
魔導障壁は、貫徹しても全体が崩壊する訳ではなく、それ故に貢徹を重視する武器が多い。魔導士自体を殺傷すると展開は解除される為である。しかし、皇州同盟軍は遠距離から高機動も可能な魔導士は困難と見て早々に魔導障壁に負荷を与えて破壊する事を重視した。
そうした中で採用されたのが対人質量弾である。
これは弾芯が軟鉄で製造されており、硬装甲目標の表面で魔術効果を伴って均等に拉げ、数倍の被弾面積となり運動熱量 (エネルギー)を魔導障壁のより広い範囲に伝え、負荷を増大させる効果を齎す銃弾であっ た。
徹甲弾が魔導障壁を貫通したとしても後方の魔導士を殺傷できるか不明瞭である為、 魔導障壁に負荷を与えて魔力消耗の増大を強要する事を優先した形である。魔導障壁が無ければ一般兵士と変わらぬ防御力であり殺傷は容易となる。
だが、これは一般兵士が相手でも使用される。
重機関銃に交互に装填する事で、咄嗟の魔導士との戦闘にも対応できる形を取った為であり、装甲兵器には通常弾が有効な為、より多めに銃弾を撃ち込む方針となっていた。
その結果、対人質量弾が敵兵の殺傷に使用される場面が増えた。
小銃弾と比較して一〇倍を超える運動熱量を有する重機関銃弾の威力が人体に伝わるのだ。皇国軍は基本的に魔術刻印で軍装に相応の防護性能を有している事も在って貫徹し難く、より人体に衝撃が伝わる形となった。結果、人体は弾け飛ぶ。
大口径拳銃などには、貫通力ではなく対象の人体に衝撃を伝えて行動不能にする事を重視……阻止威力を優先したものが存在するが、重機関銃用の対人質量弾はその比ではない。無論、人体は柔らかく、運動熱量を完全に受け止める前に貫通してしまうが、それでも伝わる衝撃だけで人体は盛大に損壊する。
「北部は殺意が高いのだ……」
双眼鏡で下半身だけが騎乗した指揮官の姿に、ヴィルヘルミナは周囲に控える分隊規模の魔導士達を一瞥する。一様に顔面蒼白であった。
重機関銃の集中射撃でなくとも、相応の負荷が生じるのだろう、とヴィルヘルミナは緊張する。
「総統閣下、前進致します。車輛へ搭乗を」
リンデガルト中佐……エミーリアの言葉に、ヴィルヘルミナは鷹揚に頷いて車輛へと乗り込む。ヨゼフィーネやエミーリアも続いて乗り込み、車列は進み始めた。
「どうなのだ? 何とかなるのだ?」
「順調です。しかし、逃走の時間を奪う程ではありません。最悪、叛乱軍司令部は地方へと再配置を試みる可能性に留意する必要があるかと」
ヴィルヘルミナの問い掛けに、エミーリアが問題点も添えて返してくる。レイムがそれを認めるかと言えば、ヴィルヘルミナとヨゼフィーネなどの為人を良く知る者達からすると有り得ない事であるが、直接の遣り取りがない者達であれば想定して然るべき事でもあった。
勝ち目はないが、捲土重来を期して地方に逃れる。
峻険な山々が連なるエスタンジア西部に逃れられると、軍事行動での打倒は難易度が跳ね上がる。エスタンジアの歴史上でも幾度かあった為、エミーリアの懸念は至極真っ当なものであった。
「それは我が軍の艦上偵察騎に移動を監視させよう」
最前列の補助席に収まった老提督からの野太くも頼もしい声。
そう、ヒッパーも同行していた。
孫に土産を約束した事を思い出したとの事であったが、ヴィルヘルミナやヨゼフィーネからすると眉唾な話であり、陛下への土産話だろうと見ていた。要するに反乱鎮圧までの経緯の把握である。海軍の実戦部隊の統括者にそうした役目を負わせるとは、ヴィルヘルミナも思わなかったが、叛乱鎮圧に協力を仰いでいるという負い目がある為、拒絶はし難い。
「ここまで付いてくるとは思わなかったのだ」
「なんの。明日の同朋の為ならば容易い事ですぞ。それに海軍は理解ある皇妃が欲しいという事もありますな。遠慮は不要ですぞ?」
朗らかな声に、エミーリアは素直に感謝を述べているが、 ヴィルヘルミナとしては負債が増える感覚がある為、素直に感謝できるものではない。
「でも、北への爆撃は聞いていなかったのだ」
「贈り物は突発的であると奇襲と同様に効果が増す、と陛下であれば言われるでしょう」
陛下は艶福家なのだ、とはヴィルヘルミナも言わない。そこまで器用ならマリアベルを制御できていた筈である。その口振りから北エスタンジアへの航空攻撃の詳しい内容はヒッパーも与り知らぬ事である様に見えた。
「何処で納めるか……ちょっと想像が付かないのだ」
エスタンジア統一は、ヴィルヘルミナにとって望んで巳まない事であったが、降って沸いた様に機会が訪れるとは考えていなかった。
何より、皇国側の戦力投射の内容が不明瞭である事がヴィルヘルミナを不安にさせた。不足するのであれば南エスタンジア軍が補えばよいが、問題は過剰であった場合である。焦土作戦を展開された場合、その復興と遺恨は南エスタンジア側の負債になりかねない。皇国が併合するに当たって損害が少ないほうが良いと考えていた場合は民間への被害は抑制されるであろうが、問題はエスタンジア内の不和を以て、分断して統治せよ、という方針を持っていた場合である。
エスタンジア地方の中でいがみ合う未来を、ヴィルヘルミナとしては何としても避けたい。
「空襲は軍施設や軍需工場に絞っているとのこと。心配召されるな」
察したヒッパーの言葉にヴィルヘルミナは安堵する。
心配事のある美少女は何時だって配慮される。
「それなら安心なのだ?」
「総統閣下が傷物にでもなれば、話は変わるでしょうが」
色々な支援をしても尚、ヴィルヘルミナが負傷するのであれば、皇国としては面子を潰されたと捉えても可笑しくない。
「レイムが傷物にするかも知れないので、私が早々に撃ち殺す所存です。御心配なく」 ヨゼフィーネが満面の笑みで応じる。
それはそれで心配であるが、ヴィルヘルミナとしてはレイムの処遇についての妙案がなかった。死刑とするにしても手順というものがある。法的な部分は独裁国家である以上、相当の融通が利くが、国民の把握と納得と理解は別物である。その辺りを軽視しては事後処理に支障が出かねない。
――まさか、処刑した事にして他国に逃がす訳にも……
親衛隊司令官であるレイムは叛乱の責任を取る必要がある。
もう、纏めてトウカに輿入れしてはどうだろうか? とすらヴィルヘルミナは考えたが、確かにそうなると親衛隊からは裏切り者扱いされる上、当人は同性を好む性格であると広く知られている。トウカに嫁入りとなれば、見方によっては懲罰とも取れなくもない。
――併合の話題で持ち切りになるのだ。話題から逃げ切る必要のある時間は短いのだ。
トウカに投げ付ければ、上手く収めてくれるのではないか、という皮算用もあったが、負担を強いる事自体がエスタンジアの失点と成り得ると考えるヴィルヘルミナには取れない選択肢であった。何より、トウカは早々に不慮の事故死を選択する可能性が高い。
総統府へ至る道路の障害を排除しつつ車列は進む。
大抵はヴィルヘルミナが姿を見せると命令に応じ、原隊復帰を開始する。抵抗した指揮官が忽ちに肉片に変わった事実が通信で広く事も影響していたが、何よりヴィルヘルミナに銃口を向ける本末転倒をする兵士が皆無に等しいのだから、指揮官としては戦闘など困難であるというのが最大の理由である。
「何故、こんな勝算のない真似を……称賛はあったとはいえ……分からないのだ」
ヴィルヘルミナは見え始めた総統府を見つめ、レイムの軽挙妄動を思う。何をどうしたところで勝機はなかった。
国民感情を前面に押し立てて、と言うには同調した軍内の人員は限られており、国民も大部分は発展の為の健気な挺進という印象操作の結果として、安易な同調は少数に留まった。
この戦乱の時代、弱者であるという事は罪なのだ。
そこから逃れる必要性を、大国の狭間に存在する南エスタンジアの国民は良く理解していた。それを、今現在、頭上を飛行する戦略爆撃騎の群れが証明してもいる。
ヴィルヘルミナが、そう涙ながらに訴えたのだから効果は絶大である。新聞はその意義と覚悟を連日書き立て、その必要性を広く知らしめた。
それを心情だけで覆そうとして成功するものではない。少なくとも祖国の独立性を訴えたならば、賛同者は軍内にも少数ながら現れたかも知れないが、レイムの主張は全て婚約問題に終始していた。
過激な支持者が発狂している。
大部分の国民はそう見ていた。
想像以上に計画性がない。
首都近郊の陸軍部隊に同調した部隊が多いかと思えば、これらの大部分は元よりヴィルヘルミナの帰還に合わせて旗色を変える予定であったらしく、次々と旗幟を鮮明にしている。首都を戦場にするくらいならば、親衛隊に軍隊ごっこ(パレード)の機会を与えてやれ、との判断であった。ヴィルヘルミナとしては”聞いていないのだ”と叫びたいところであったが、首都を戦場にした場合、権威と国民への被害が莫大なものとなる事は明白だった。復興には長期間を要する上、皇国側の心象も悪化しかねない。
その辺りの腹芸のできない面々が指揮する部隊にには精々、派手に抵抗して貰って、 対立軸を保持して国家指導者と体制が未だに変化してはいないと国内外に見える様に対応する。国防陸軍司令部は信頼の置けると判断した大隊以上の戦力を有する指揮官に通達し、叛乱軍に消極的協力をする流れとなった。被害を最小化する為の努力。
ヴィルヘルミナに伝えられなかったのは情報漏洩を懸念しての事であるのは明白であった。
誰が叛乱軍側に付くか分からない状況で、幾人もの人物を経由して皇国軍の庇護下にあるヴィルヘルミナに伝えるというのは 難易度が高い。特使として送り出しても叛乱軍側に捕縛されては情報は漏洩する。
――皇国側への漏洩も気にしていたと思うのだ。
そもそも、この感情任せの勝算に乏しい奇妙な叛乱の首謀者がレイムであるとは限らない。裏で糸を引いている存在が居ても不思議ではない程に突発的であり支離滅裂である。
それは叛乱の被害を最小化した何処かの将官にも言える事である。
――こんなに政治を考えられる将官なんて記憶にないのだ。
叛乱軍との致命的な戦闘を完全に回避した手際は見事の一言に尽きる。そんな政略家が居ると知っていたならば、ヴィルヘルミナは早々に政務面の側近として取り立てていただろう。 ヴィルヘルミナの与り知らぬところで祖国に紛れ込む意図がある。
「総統閣下は考え過ぎに御座います。総統閣下が欲しくて堪らない雌犬が吠えただけではありませんか」
ヨゼフィーネは、飽く迄もレイムの激発に過ぎないと主張する。
「当官は分かりかねます。腹芸のできない指揮官程度に御座いますので……」エミーリアは真実を知って自信を失っていた。
腹芸のできない指揮官なので放置され、適度な抵抗をしていたのだ。気落ちするのも已む無しであり、ヴィルヘルミナも掛ける言葉が見つからなかった。
「北の兵を招き入れる事が勝算だったのではありませんかな?」ヒッパーからの問い掛け。
ヴィルヘルミナとヨゼフィーネは思わず顔を見合わせる。
最近は共産主義が浸透し、軍事行動を行える程の指揮統制を欠き、北エスタンジア軍の作戦遂行能力が大きく低下している事は南エスタンジア側でも把握していた。同時に、だからこそ南エスタンジア側の混乱を求めたという考えもできる。
総統府を望む小高い丘を望む地形で 車列は止まる。
道路を出て車列で円陣を形成し、ヴィルヘルミナの搭乗する車輌を守る陣形を取る。 兵員輸送車から降車した歩兵達が小銃を手に周辺警戒を開始する。
「砲兵が欲しいところですが、軽迫でもこの距離なら支援は可能です」
エミーリアが総統府突入を想定した発言をするが、ヴィルヘルミナとしては咄嗟に突入の判断をできなかった。総統府に政府閣僚を人質として拘束している可能性もあれば、内部に相当数の親衛隊兵士を展開している可能性もある。一個中隊程度の戦力でこれを撃破できるのかという確信もない。何より包囲が為されていない状況での突入は 首謀者を逃す可能性もある。
「御待ちしておりました。総統閣下」
振り向けば軍装の麗人。
エミーリアとヒッパーが咄嗟にヴィルヘルミナを守る為に進み出るが、ヴィルヘルミナは、用意周到でもおかしくない、と溜息を零す。
皇州同盟軍の第一種軍装を身に纏う麗人。頬に傷があり、荒事に慣れた気配を漂わせた姿は、特定の同性からの受けが良いと思わせる佇まいである。
「何奴か! 総統閣下の御前なるぞ!」
ヒッパーが伺いた軍刀の柄に手を掛けて誰何する姿に、権威主義国で主君筋を背に現れた者の名を問う情景が実在するのだと、ヴィルヘルミナは僅かな感動を覚えた。
「セルベチカ・エイゼンタール中佐であります。此方には天帝陛下の勅命を受け、 罷り越した次第に御座います」
敬礼ではなく、片膝を突いて一礼したエイゼンタールに、ヴィルヘルミナはどうしたものかと逡巡する。面を上げよ、とでも言えばいいのだろうか?という想像。
「用向きを伝えよ。総統閣下は御多忙で在らせられる」
「はっ、承知しました」
見かねたヒッパーが代わりに要件を問い、 エイゼンタールは立ち上がる。
ヴィルヘルミナは南エスタンジアの戦力を不安視してトウカが水面下で非公式の戦力を派遣してくれたのだと考え、それはちょっと困ると考えていた。併合路線とはいえ、未だ他国である。勝手に軍を領土に浸透させられるのは明るみに出ると好ましくない。無論、ヒッパーの様に皇国からの送迎で押し切る事もできるが、皇国の配慮を無為にする論調が生じる事はヴィルヘルミナとしては避けたい。
「陛下は、発情した雌犬を引き渡せ、と仰せです」
「……理由は……聞いても良いのだ?」
想像とは異なる理由に、ヴィルヘルミナはヨゼフィーネと顔を見合わせる。ヒッパーは怪訝な顔をしており、皇国で広く合意の取れている話ではなく、突発的な判断から生じたものだろうとの見当は付けられた。エイゼンタールは直立不動で経緯を説明する。
「陛下が此度の叛乱の経緯を非常に気に掛けておられます。我が国で発生した暗殺未遂事件にも関りがある可能性がある、と」
叛乱の首謀者を他国に引き渡すというのは、見方を変えれば叛乱に皇国が関与していたという疑念を抱きかねない話である。それは軽率に過ぎるのではないかとヴィルヘルミナは考えたが、トウカがそれを考えていないはずがなく、それを押してでも必要だと判断したというならばエスタンジア地域にも関わる根深い問題であるかも知れない。
何より皇国内の問題と連動しているならば、複数国家を巻き込んだ謀略と言える。現状、皇国の威勢に掣肘を加えようと試みる国家や組織が少なくないのは容易に想像できる上、その中で隙があると見える南エスタンジアとの関係などは以降も謀略の対象となる公算が高い。
十分に配慮された併合であっても、神経質な問題である事に変わりはない。
「許可するのだ……ただし判明した情報は此方にも提供して欲しい」
「勿論です。その様にせよと……事が終われば、首にして御返しするとも陛下は仰られております」
情報を絞り出した後、遺体を返還するとの配慮。貴国の国益か、或いは心情に基づいて埋葬すると良い、との意図。
ヴィルヘルミナは、そこまで迷惑を掛ける訳にはいかない、と首を横に振る。
「処分してからお返しいただけると? それはいけないのだ。事が露呈した際に陛下を恨む者が出てくるのだ」
死者は鎮圧行動に当たって最小限に留まっているが、それでも一〇〇名は超えるだろうというのはエミーリアの見立てである。立場の是非を巡って歩兵連隊司令部で銃撃戦が生じた例もあった。誰も彼もが物分かり良く、時世に流されてくれる訳ではない。
ましてや政治的混乱は相当なものがある。
政治的権威は傷付いたのだ。
対応次第では政府の正統性への疑問に転じかねない。
そうした中で身柄要求に応じたとなれば、内政干渉も甚だしく、例え死亡との報があっても疑う者が出る筈であった。
無論、ヴィルヘルミナが自らの命令で盟友を殺害する必要はなくなる。不可抗力であり自身の手は汚れない。卑怯な事であるが、ヴィルヘルミナは提案を聞いた際に僅かな安堵を覚えた。
「南エスタンジア内部で総統閣下が情のない方であると……要らぬ波風が立たぬ様にする必要性があると陛下はお考えです」
叛乱を起こした以上、レイムの処刑は避けられないが、ヴィルヘルミナの命令で刑が執行されるのは盟友を殺害したという側面がどうしても生じてしまう。今後の親衛隊との関係も悪化する。即座に解体し得る程に親衛隊は小さくなく、ましてや支持者は国中に存在した。
対応次第では再度の叛乱も有り得た。
「では、こうするのだ。我々は皇国の依頼を受け、暗殺未遂事件と叛乱の関係性を調査する。しかし、身柄を押さえ続ける事は国内事情から困難。なので、両国は皇国本土で叛乱に与した者達の共同調査を行う」
トウカの疑念に対応しつつ、南エスタンジア側の問題を最小限に抑える事もできる。実際、調査を行うという事であれば、南エスタンジア側も内容は知る必要がある。そして、南エスタンジア国内で調査を行おうとした場合、レイムの暗殺や奪還という可能性が付き纏う為、皇国本土で調査を行うというのは一定の妥当性があった。皇国で発生したヴァレンシュタイン上級大将暗殺未遂事件の調査も含まれるのだから、南エスタンジア側が借りを作ったとも見られ難い。
「それは……陛下に諮って宜しいでしょうか?」
当官の職責には余る判断だと言うエイゼンタールに、ヴィルヘルミナは鷹揚に頷く。即決できる程の権限が佐官にある筈もない。
「総統閣下、私は反対します。禍根を断つべく、早々に殺してしまうべきです。妥協するとしても……せめて手足を落として表舞台には立てない様にすべきかと」
ヨゼフィーネの意見に、ヒッパーやエイゼンタールが、何とも言えぬ表情をする。話を蒸し返された事を咎めるより、その過激な姿勢への驚きが大きい様に見受けられた。
「もぅ……少し黙って欲しいのだ。私は今、国家指導者として決断してるの」
ヨゼフィーネの大きな胸を鷲掴みにして怒るヴィルヘルミナ。
自身より高身長のヨゼフィーネと視線合わせるには、ヨゼフィーネに視線を下げさせる必要がある。
これはいけないと思ったのが、エイゼンタールも口を挟む。
しかし、それは高度な職業意識からの視点で在って、二人を心配したからではない。
「情報将校から言わせていただきますと、欠損部位が多いと薬の効果が不規則性を増すので御遠慮願いたいところです……御返しした遺体を刻む事で我慢していただけませんか?」
怪しげな薬を利用した自白をすると匂わせた上、返還した遺体なら好きに刻んで構わないと言うエイゼンタール。ヒッパーは天を仰ぐ。自国の情報部の非正規任務の実情を想像した結果である。
「勿論です。刻んで調理するも、実家に投げ込むも、我々は咎めは致しません……ただ」
「ただ?」
疑念を口にしようとしたエイゼンタールに、ヴィルヘルミナ先を促す。
そして、後悔した。
「刻めば表面積が増えるので痛み易い。刻むのは何をするにしても直前が良いでしょう。ああ、これは実体験に基づく話ですので間違いありません」
善意で事前に問題点を指摘しておくといった様子であるが残虐性の追加でしかない。 ヨゼフィーネも専門家を前にしては、安易な事を口にできないのか沈黙している。
「陛下の裁可を仰いで欲しいのだ……正直なところ、事後処理に大国が加わる……それも自国の問題が理由となれば、我が国の失点とは成り難いし、体面を気にして話も早く進む……筈なのだ」
負い目なく皇国を事態解決の為に巻き込めるというのであれば、国内の政治勢力は皇国の目を気にして派閥争いなどを控える筈であった。混乱の収束の遅延は皇国の面子に泥を塗るに等しい。
「承知しました、総統閣下。恐らくは色よい返事をいただけるかと。枢密院も此度の叛乱の被害低減を大きく評価していると聞きますゆえ」
頬に傷を持つエイゼンタールの笑みは野性を感じさせるが、傷痍軍人の熱烈な支持者も多いヴィルヘルミナは慣れたものである。自身の横顔を入墨した腕を見せられるより遥かに可愛げがある。
「枢密院……それは光栄なのだ。叛乱を未然に防げない無様を嘲笑されていると落ち込んでいたところなのだ」
統治能力の欠如を言われると、ヴィルヘルミナも弱いところである。
叛乱の理由が有史以来初めてのものであったかと言えば、他国との政略結婚に対しての否定的感情と見るならば、或いは存在するかも知れない。その婚約が国益にならない、或いは権威が傷付くと見て反対するという建前ならば持ち出せなくもない。無論、そうした部分を踏まえての婚約である。人質だと看做されない為の方便。
しかし、エイゼンタールの見方は違った。
否、トウカの見方であるかも知れない。
「いえ、見事な政略でした。いや、謀略というべきでしょうか? 貴国の陸軍には政略に秀でた方がいらっしゃると当官も感服致しました」
「とは言え、私も誰の発案かはまだ調べていないのだ。後に探すことになるのだ」
全面的に知らぬ存ぜぬを通す判断を早々に下すヴィルヘルミナ。
実際、発案者は不明であり、ヴィルヘルミナとしても安易な発言はできなかった。 下手に知っていると見られると、皇国の軍事力を国内に引き込むべく、謀略を企てなどと邪推されかねないとの判断であった。
しかし、エイゼンタールは、ヴィルヘルミナの言葉を予期していた。
「陛下の御懸念の通りですね……」
「陛下は何と仰られたのだ?」
首都ゲルマニアでの軍事衝突が極小規模なものに留まり、多くの部隊が旗幟を鮮明していたが、その確認に追われて叛乱軍は身動きが取れなくなった。旗幟を鮮明にしたことろで、国家指導者と一部政府閣僚は外遊中で国家中枢を押さえたとはならない。 明らかに叛乱は失敗が想定され、被害も極小化している。
ヴィルヘルミナとしては、レイムがトウカの疑心暗鬼を狙ったのか、ただ感情に流されたのか判断が付かないが、一面だけを見れば謀略としての叛乱と見られかねない程に被害と効果の乏しいものである事は自覚していた。
トウカがそれをどう見るか。
ヴィルヘルミナとしては恐怖よりも好奇心が勝った。
「莫迦は捨て置いて良いが、軍事行動を手際良く手仕舞いした者は確認しておけ、と」
エイゼンタールの言葉に、ヴィルヘルミナはトウカが軍高官の一部が何処かの国家と紐付いているのではないかという懸念を有しているのだ。
――帝国……神州国……或いは皇国内の領土拡大を望まない勢力……
叛乱終結に寄与……陸軍部隊の大部分に、総統帰還までは一時的に国防軍総司令部の指揮統制下から外れる事を黙認する、という凡そ国軍司令部とは思えない命令を下した人物。確かに友軍同士での戦闘が極小規模に留まった実績はあるが、指揮権を盛大に放り投げたのだ。中々どうして処遇が難しい。徹底抗戦ともなれば首都が灰燼と帰した可能性も高い。
首都近郊は三個戦略予備師団が衛戍地としており、その編制は重打撃……砲兵火力を重視したもので、劣勢の戦線の火消しを意図している。そうした戦力が首都で砲兵戦を行うのは悪夢に等しい。
「共産主義者の可能性もあります。あの主義者共はどうも皇国からは全容を把握し難いもので、陛下も気を揉んでいらっしゃる様子」
「……我が国では確認していなかったはずなのだ。でも、水面下でも浸透があっても不思議ではない……かな?」
ヴィルヘルミナは内心、この情報将校がどこまで知っていたとしても、安易に口をすべきではないと共産主義問題は知らぬ存ぜぬを押し通すつもりであった。
共産主義の震源地はトウカである。
ヴィルヘルミナは知っている。
マリアベルが手紙でそう得意げに記していたのだから間違いない。
大層な危険物を送り付けてくると、ヴィルヘルミナはその手紙を早々に自らの手で燃やしたものである。
地方貴族が敵対的な隣国に危険思想を投げ込んでいるなどという事実は、知った側にも延焼しかねない。地方国家の南エスタンジアには過ぎたる真実と言える。活用するには共産主義者は派手に暴れ過ぎていた。多くの国家が危険視している為、扱いを間違うと南エスタンジアも被害を被る。
「北には浸透の形跡が見られるとの事です。南には国境が戦線に等しい為、流入がし難いのでしょう」
「交易路……海路からは入ってこないのだ?」
エイゼンタールの指摘に、ヴィルヘルミナは疑問を返す。
船舶による人流は入国管理という面では甘い部分がある。旅客輸送だけならば管理は比較的容易だが、各地の港に入港する商船などまで含めると話は変わる。資源や製品の輸送をしているからと、第三者が搭乗していないとは限らず、近年の密入国は船舶によるものが特に多い。入国管理を司る機関は存在するが、船舶による商業活動全体を監視する事は現実的ではない。場合によっては漁船でも密入国は可能である。寧ろこちらが主流であった。
「何故か海を使う事には消極的な様です。帝国内での覇権を確立 地方に独立国を形成する事を重視しているという分析が主流ですので、これから先も内に籠り続けるとは限らないかと」
情報部かトウカの分析か知りたいところであったが、 ヴィルヘルミナとしては共産主義勢力も暗殺未遂事件に関わっているのではないかという可能性を見ているのかも知れない、と沈黙する。
そうなると、或いはトウカは自らが流布した思想が巡って己の友を直撃したのではないかと懸念している可能性がある。
「つまり、可愛らしい天帝陛下の御宸襟を案じ奉るには、 叛乱を早々に収める必要があるのだ」
国益の毀損を憂慮している体の国家指導者だが、マリアベルとの文通から読み取れるトウカの為人は決して友人に対して冷淡なものではなく、今回の一件が自身の政略によって生じたものだと考えて気を張っているならば、ヴィルヘルミナとしては”可愛いところもある”という評価せざるを得ない。
――でも、共産主義者かぁ……
ヴィルヘルミナも”共産党宣言”という書物を入手して読んだものの、そうした空想主義的な思想に耽溺する者達であっても、謀略染みた動きを取るには早すぎるのではないかと考えてもいた。現状の組織規模で帝国外に警戒されるような動きを取るのは愚策に他ならない。
実際、共産主義者の暗躍は在り得るのだろうか?
その点については、ヴィルヘルミナとしても、ないとは言い切れない、と評するしかない。
連合王国と帝国の連携は南エスタンジアにも聞こえている。
両国を用いて皇国や共和国を挟撃しようという意図を警戒する事は自然であり、共産主義勢力が権威主義勢力の影響力を削ごうと試み、皇国の内政を揺るがそうと考えたというのは考えられる話である。
――帝国ではない帝国からの謀略 宣戦布告の理由に使えそうなのだ。
謀略の実行者が誰かなどトウカは重視しておらず、帝国領土からの謀略が生じたという事実を以て、帝国本土侵攻の口火を切るという事も有り得た。
考えれば際限がない話であるが、周辺諸国の動向の把握に努めているというのは評価できる。
「総統閣下、陸軍〈第一師団〉から機械化歩兵大隊が向かっているとの事です。到着を待って突入を図るべきと判断致します」
エミーリアの提言に、ヴィルヘルミナは躊躇する。
早々に突入して返り討ちにされるというのは、この場にヴィルヘルミナが存在し、相手が親衛隊である以上、考え難い事であるが、叛乱側要人脱出の時間的猶予は与えてしまうかも知れない。ヴィルヘルミナは北エスタンジアに落ち延びられる事を懸念したが、エイゼンタールの顔を見て国境沿いでは小競り合いと空襲が生じている事を思い出す。
「許可するのだ。陸軍に花を持たせないと」
今回の叛乱に於いて、国防陸軍総司令部からの命令であったとは言え、叛乱軍寄りの立場を取った事実を国民は見ている。ヴィルヘルミナも市街戦を避ける為、友軍相打つ事態を避ける為の英断だったと考えており、十分に称賛する心算であるが事実は消えない。故に戦功を添えて妥当性を補強する。
そうした意図が在ってのエミーリアの提言であろうし、それをヴィルヘルミナも阻む心算はなかった。
――逃げてくれてもいいのだ……
政治家としての立身を支え、総統就任まで大きな役目を放した戦友の末路が陰惨である事をヴィルヘルミナはやはり望めなかった。
眉を跳ね上げたヨゼフィーネだが、何かを口にする事はない。
黙ってヴィルヘルミナを抱き寄せるヨゼフィーネ。
ヴィルヘルミナは為すが儘にされるだけであった。




