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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》

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第三八五話    薄汚い犬



「確定的な情報は見つからなかった……という事になっている様です」


 アリカが陸軍府の公式見解を鼻で笑う。


 公式見解を捻り出す事に窮していると見える、という心情も露わにした姿であるが、 それを対面で眺めるクレメンティナは、陰のある表情が様になる、という感想を抱いていた。そうした危険な気配を纏う容姿端麗な貴人……女性に評価を受ける類の女性というのは鑑賞しているに限り悪くないものであった。


「でも、連合王国発祥の犯罪組織が関与してる程度の情報を有耶無耶にしたいものなんですか?」


 クレメンティナには、そこが分からない。


 結局、対戦車砲の開発を担っていた閉鎖事業所に踏み込んだ筆舌に尽くし難い面々からなる不愉快な仲間達は、正体不明の武装集団と交戦して勝利するに至った。その後、報告を受けた情報部の面々が調査団を派遣するまでの半日。クレメンティナとアリカ、〈恋する乙女の棍棒〉達は大いに手前勝手な調査を敢行した。現場保全の意識などなく、戦闘の余波で破損という建前を以て怪しい壁や床を爆破し、保管されていた兵器なども解体して素人調査を行った。その結果、一枚の書類を発見した。


 命令書や指示書、計画書の類ではなく、魔術的な画像複製念写によって複製された。

          

 一枚の紙。


 古惚けた古文書の一篇を破り、その画像を複製したと思しき一枚の内容は意味が酷く不明瞭であった。


「古きヨルダですか 。大地に染み入り、大海へと流れ世界を覆う……誇大妄想の類だろうが」


 アリカも一枚の紙片に記された文言をどこまで信用できるのかと言いた気であるが、 クレメンティナとしてはそうした事もあるだろうと考えていた。


「でも、宗教の経典って、元よりそうした出来の悪い小説みたいなのが蔓延ってますよね? 宗教じゃなくて犯罪組織? 秘密結社? みたいな方向になっちゃう事もあるんじゃないですか?」


 実存が確認される神を崇敬する宗教もあれば、銭集めの詐欺団体が作り上げた妄想も存在する玉石混合の宗教界を見れば、奇妙な経典を抱えて世界を水面下から動かそうとする組織を作ろうと試みる者が出ても不思議ではない。クレメンティナとしては、そこに資金力が伴った結果として、そうした集団が生まれる事はあるのではないだろうか?と考えた。


「拝み屋共に袋叩きにされそうな事を言う……」


 アリカが鼻白む姿に、クレメンティナは更に過激な言葉が返ってくるものかと考えていたが、実際は肩を竦める程度のものであった。


 クレメンティナは軍に信心深い者が多い事を思い出す。


 悲哀と絶望が蔓延る戦場、死が吹き荒ぶ戦場で何かに縋る事は珍しくない。塹壕で不運な直撃弾を避けるべく祈り、突撃命令を受けて戦果と幸運を祈る。軍人は、特に実戦経験のある軍人は努力が血涙の流れ落ちる量を減らすと知るが、同時にそれ以上の部分を決めるのが運であるとも理解している。


 だからこそ信心深い者が多い。


「袋叩きにされそうになったら助けてくださいね?」上目遣いで助けを請うクレメンティナ。


 自画自賛であるが、クレメンティナは自身の容姿がそれなりに可愛らしいとの自覚がある。


 何より、その愛らしい容姿の小柄な女性を昨日に病院の寝台上で散々に楽しんだのがアリカである。


「……飽きない内は、まぁ気に留めておく」


 酷い物言いだが、閉鎖事業所に踏み込んだ頃……七日前だが、を思えば大きな成長を短期間でしているとも取れる。


「酷いヒトですねー。女の子を散々、弄んでおいてー」


 女性同士で……そんな世界があるとは知っていたが、自分がそんな事になるとは夢にも思っていなかったクレメンティナ。しかし、そうなって見れば悪くない。寧ろ、良い。そう満足していた。


 我が事ながら下種な自尊心であるが、軍装の麗人に寄り添って歩くというのは羨まれるものであると、クレメンティナが自覚したという事も大きい。


「病床では暇だったから良い暇潰しになった。物覚えの悪い犬ほど可愛いく感じるというのは真理だった訳ね」


 煙草の灰を路傍に落とし、深く腰掛けた長椅子から空を見上げるアリカ。


 真理に到達したいう境地であるが、それは酷いのではないかと、隣に座るクレメンティナはアリカの膝へと上半身を投げ出す。


「酷いですよ。私、そんな軽い女じゃないです~」


「あー、そうね。不用意に鉄火場を歩き回る挙句に、病院の寝台に引き擦り込まれても抵抗しなかったけど、付き纏われて重い女だと後悔してるわ」


 がしがしと乱暴に頭を撫でられたクレメンティナは、嫌われている訳ではないが、 好かれている訳でもない関係も気軽で悪くはないと思い始めていた。


 アリカは女性でありながら女性関係が奔放であるのか、それが必要だと見た場面ではクレメンティナも女性として恭しく扱うので、クレメンティナは手慣れているとの感想を抱いた。


「ちょっと味見したくらいで付き纏われるのは御免蒙るのだけど」


 運がないと言わんばかりに溜息を吐くアリカ。


 昇進が遅れているという噂の原因は、そうした部分にあるのではないか、とクレメンティナは笑う。清々しく本音を口にされてはあまり腹も立たぬもので、何より本音を隠して貪られる儘に任せるよりは遥かに救いがある。あくまでも距離を置く際の主導権が自分にあるという事実がクレメンティナの感情を軽くしていた。


「それ、何時か後ろから刺されちゃいますよ?」


 隙が無い憲兵士官も寝台の上では無防備である。人間、隙など容易く見せてしまう羽目になる生き物である事は、クレメンティナが寝台の上で実体験した話であり、何時かはアリカの隙を突いてやろうとの野望もあった。


 アリカは自身の価値観に基づいて反論する。


「私は美しい女性に美しい思い出を提供しているだけに過ぎない。揉め事になる理由など何一つないわ」


 実際、今迄そうだった、と断言するアリカの声音に嘘の気配はない。本気でそう考え、自らの振る舞いに瑕疵がないと考えている様子であった。


「さっき味見って言ってましたよね?」


「相手がどう捉えるか。その点が重要なのよ。勉強なさい」


 そう考えろ、と言われているようで、クレメンティナは鼻白む。


 こんなに酷い人間も居るのかと思える程に振り切っているが、同時にアリカが何処かで襤褸雑巾の如く扱われた後に優しくしてあげようとクレメンティナは斜め上の慈愛を見せる。


「きっと何処かで痛い目に遭いますよ。その時は仕方ないんで慰めてあげますね」


 アリカは、クレメンティナの斜め上からの目線を鼻で笑う。


 そして、煙草を近くの側溝に投げ捨てる。


「私が中尉なのは、既にとある女に痛い目にあったからよ」


「さっき、揉め事になる理由は一つもないとか言ってたのに」


 理想と現実の差異(ギャップ)に苦しんでいるんですね分かります、とクレメンティナはアリカの慎ましやかな胸をよしよしと撫でる。


 アリカはクレメンティナの手を跳ね除け、クレメンティナの鼻を摘まむ。


「思い出を提供する前に手を払われたのよ。数には含まれないわ」


 摘ままれて赤くなった鼻を押さえ、寧ろ完全な敗走をしているではないかと呆れ返る。


 しかし、興味は出た。


 麗人然とした悪人に敗北を齎した女の話である。興味を持つのは乙女として当然と言えた。新聞記者という肩書を持ち出すまでもない。


「私、相手が気になります!」


「私の個人情報まで嗅ぎ回るの? 薄汚い犬ね」


 本当に卑しい生き物を見るかの様な視線を向けられ、クレメンティナは照れる。 視線とそこに宿る感情は別として麗人の顔は美しい。


 アリカは、懐から半ば潰れた煙草箱を取り出し、その中から飛び出していた煙草の一本を咥える。


 クレメンティナは右手人差し指に火魔術で灯した火で煙草に火を付けようとするが、 アリカは何も言わず……遠いと言わんばかりにクレメンティナの肩を右手で抱き寄せ、 灯された火に顔と煙草を近づける。


 立ち上る紫煙。


「……今は憲兵総監をしてるわ」


 ハイドリヒ統合憲兵隊総監。


 皇国内の全憲兵隊の統率者である。


 そして、皇国北部に於ける騒乱でも重要な立場を占め、今では天帝に侍る機会もあるという清楚華憐な氷妖精であった。


「聞いたら死ぬ話だったりしますか?」


 想像以上に大きな名前が出てきて、流石のクレメンティナも頬を引き攣らせる。


「そんな醜聞は互いに望まないものよ。特に女同士では」


 男は言い寄った女の数を自慢する者も多いが、女はそうした戦果報告を聞かされて喜ぶ感性を持つ者は稀である。


 ――あんな感じの女の子がいいんだ……面食いじゃないですか、厭らしい。


 諸々棚に上げ、クレメンティナはアリカに非難がましい視線を向けるが、本気で凹んでいる様子なので非難の声までは上がらなかった。


「それで私は考えたの」


「諦めないんですね」


 蛇の様な執念だが、憲兵なのだから納得できる部分もある。


「だから上官になって手籠めにしてやろうと職務に精励したの」


 ――全く分からないなぁ。


 クレメンティナは空を仰ぐ。


 上官という立場が一般企業の上司よりも遥かに部下へと多くのものを強要できるというのはクレメンティナも聞くところであるが、流石にそれは軍事裁判沙汰ではないかと思わざるを得ない。皇国軍でも職務外、或いは個人的問題の強要で軍事裁判となる例は毎年存在する。多種多様な種族の混成軍であるからこそ軍上層部が神経質になっているという事でもあるが、報道関係者が幅を利かせていた先皇時代にそうした輩が介入し、騒ぎ立てる余地を無くす為、軍内の諸問題を早期解決させる風潮が形成された事も大きい。莫迦は早々に締め上げて問題の拡大を防止するという話。


「まぁ、結果としてはこうなったのよ。分かるかしら?」


「いえ、全く分かりませんけど?」


 アリカが両手を広げて、自身の無様を自己主張してみせるが、説明が省かれている為あまり要領を得ない。


 相手が悪い。


 平時でも防諜任務で凄まじい実績を上げた人物であり、皇国北部が帝国から盛んに浸透を受けていたとはいえ、その実績は中央にも聞こえてもいた。無論、報道に関わる者として、北部出身の軍人であるが話の通じる人物という事で名が知られていた為、クレメンティナもその名は以前より把握していた。


 最近、セラフィム公ヨエルの義娘であるとの情報が出たものの、その実績が陰る事はなく寧ろ以前からヨエルが皇国北部との関係を重視していたとして巷を騒がせていた。


 実績も後ろ盾もある清楚華憐な要職者。


 手籠めにしてやろうなどとは片腹痛い、という話である。


 アリカは法的違法性のある取り締まり行為で実績を上げていたが、問題としても見られていたからこそ未だ憲兵中尉の立場にあるのだとばかりクレメンティナは考えていた。しかし、そうした屈折した色恋沙汰を聞けば、クレアとの面倒毎を嫌った皇州同盟軍憲兵隊司令部が昇格を控えさせていたとも取れる。ヨエルとの関係をマリアベルが知っていたならば、その関係悪化を恐れて不安の芽を摘む為に行ったという事も有り得た。


「まぁ、もう綺麗に諦めたのだけど。食べ頃じゃなくなったから」


 相も変わらず清楚華憐であったはず、とクレメンティナは首を傾げる。戦傷もなければ、寧ろ最近は憲兵隊志願者を求め、私服姿が新聞に掲載された事もあり対外的な露出も増えている。以前より身嗜みにも気を使っていると言えた。


 ――食べ頃とは?


 酷い物言いであるが、好みから外れたと言われる理由がクレメンティナには理解できなかった。


「相変わらず凄く清楚華憐で異性からは持て囃されそう……同性からの受けは悪そうですけど」


 クレメンティナのクレアに対する評価をアリカは鼻で笑った。


「嫌よ。男のお下がりなんて」


 その男、天帝陛下ですよ?とはクレメンティナも流石に口にはしない。


 実際、お下がりを貰える機会などないのだから、クレメンティナとしても届かぬ女優に酷評している……結婚したら不平を零す類の熱烈な支持者(ファン)の様にしか見えない。


「何が清楚華憐よ。貴女、色町で清楚を売りにしてる遊女を信じるの?」


 清楚ならそうした職業には就かないと言わんばかりの発言だが、トウカの即位前の不況ではそうした職業に就かざるを得ないかった者も居たと聞くので、クレメンティナとしては酷い言葉だと思わずには居られない。無論、心ならずもそうした職業を選択した女性もいますよ、とはクレメンティナも言わない。なら、初物を物色しに行く、とでも返されかねない為である。


「信じたいものを信じるのがヒトですからね~」


 真実や道理など、信じたいという欲求の前では然したる意味を持たない。寧ろ、屁理屈で後から武装するなど路傍の石の如く巷によく転がる話である。事実だから信じるのではない。信じたいから信じるのだ。


「私も氷妖精の清楚華憐を信じてしまったのが間違いだった……まぁ、上も今回の一件は国内問題と信じていたから大慌て、と言ったところね」


 肩を竦めたアリカ。それは酷く様になっている。


 クレアに対する清楚華憐という印象は当人が自称している訳ではない為、勝手に思い込んだアリカの落ち度以外の何物でもない、とクレメンティナは鼻で笑うが、今回の一件が憲兵隊司令部が想定していた国内間題に留まらないという話は重要であった。


 勝手に落ち込んだアリカは憲兵隊司令部の醜態を吐き捨てる。


「想定外のものが飛び出てきたから上は慌ただしいのよ」


 困惑ではなく慌てている。


 想定外よりも不都合が勝る状況という事である。


「陸軍府は帝国以外との戦争なんてしてる暇はないのに、連合王国が国内に手を突っ込んできた様にしか見えない今回の一件。面倒事と考えている」


「でも、そのヨルダなんて名前の組織が連合王国の政治権力と結び付いてるとは限りませんよ?」


 連合王国の陰謀だ、などと吹聴する者も出てくるかも知れないが、現実問題として国境を面していない連合王国が皇国に手を伸ばす理由は乏しい。寧ろ、共和国との戦争で限界の中、皇国まで敵に回す事は愚策と言える。それならば、連合王国に見せかけた帝国の謀略と考える方が余程に筋が良い。皇国の参戦を実現する為に共和国が偽装したという可能性も捨て切れない。


 クレメンティナは、犯罪組織の一部が何かしらの利益の為に謀殺を企てた程度の話だと予想していた。


「かも知れない。だけで十分に世論は刺激されるのよ。今の皇国は潜在的脅威を無視する程に妥協的じゃない」


 軍人らしい物言いのアリカに、クレメンティナは閉口するしかない。


 細かい事を咎める程に神経質になったのは、軍事に傾倒した当代天帝の即位からである。陸軍もその片棒を担いだに等しいのだから、今更、他国との戦争は困るなどと言い出しても鼻で笑うしかない話である。


 現在の皇国の好戦性はトウカに由来するものである。


「今頃、天帝陛下が何を言い出すか気を揉んでいるのでしょうね」


「当たり障りなく上奏する方法を話し合ってるんじゃないですか?」


 クレメンティナとしては、既に内容が余さず伝わっているのではなく、未だ報告を穏便に済ませるべく陸軍府で議論しているのではないかと邪推していた。国家という巨大組織の情報伝達は遅い。


 それを喜んで叩く立場のクレメンティナは良く理解していた。


 関係者と関係組織が多いなどという事実はどうでもよく、結果として遅くなったという事実が問題なのだ。そして、糾弾者が居なければ体制は劣化するものである。無論、それは報道機関も同様であるが、嘗てのクレメンティナはその様な事は露程も考えなかった。


 ――まぁ、当代天帝陛下は報道機関を糾弾するんですが……


 皇州同盟軍憲兵隊などは、文屋は定期的に水死体として晒される事で報道の健全化に寄与する機会がある、と公式発表に付け加えた過去もある。


「馬鹿ね。憲兵隊が関わってるのよ。清楚華憐な憲兵総監が寝台で報告書を読み聞かせるでしょ」


 組織としての情報伝達経路ではなく、個人的な人間関係によるものであるならば、迅速であっても不思議ではない。


「そもそも、報告が遅い事を天帝陛下は何よりも嫌うわ。意図的な遅延なら、それ死を賜るわよ」


 当代天帝の政策は強力であり対応は迅速である。それはクレメンティナも認める所である。減税を官僚や主要商会を締め上げる事で為した点は報道関係者も評価する者は多い。無論、商人から金を掴まされた新聞社は例外であるが。


 そうした迅速な動きは、報告の速さもあるのだろうと納得できるものがある。


「誤報や間違いは笑って許すし、何なら組織の予算と人員の不足を心配される。でも、意図的な遅延は駄目。遺書を書く時間が貰えるだけ恵まれているのでしょうけど」


 厳しい、とクレメンティナは改めて認識する。


 国家を預かる者が統治の一翼を担う者に対して厳格なのは国民からすると好ましい事ではあるが、常に死の気配が漂う統治というのは忌避感を抱かざるを得ない。無論、それを頼もしいと感じる者が多いのが現在の皇国であるが。


「私も首筋が寒い。給金が良いのだから、まぁ給料の内なのでしょうけど」


「貴女の首筋が寒いのは自業自得に依る所が大きいんじゃ?」


 即座にアリカに頭を掴まれて蜂谷を両手でぐりぐりと圧迫される。


「癖になったらどうするんですか。止めて下さい」


「夜の営みを格闘技と勘違いする類のヒトだったの? ちょっとそういうのは」


 アリカが汚らわしい者を見る目付きで、クレメンティナの頬を両手で挟み込む。


 歩行者達が二人を避けて通行するが、二人は気にも留めない。


 総じて暇である為である。


 アリカは調査中に思い掛けない組織が出てきた事で、憲兵隊の方針が迷走している……司令部で議論の最中に在る為、待機を命じられた事が大きい。クレメンティナも報道が許されなくなったが、所属新聞社に統合憲兵隊司令部名義で尋常ならざる圧力が加わった事で無任所の暇人となった。編集長は、どんな特種か分からんが将来は報道が許されるかも知れないから引っ付いておけ、とクレメンティナの行動を全面的に容認する構えとなった事も大きい。


 ――しれっと軍属にもなったし、お給料二重取りは美味しいんですよね。


 編集長が、だが何かあっても遺体になるな。殉職手当の手続きが面倒臭い、と言い放ち、クレメンティナを送り出した事もあり、爛れた生活ばかりでもクレメンティナの気は咎めなかった。


「そう言えば……天帝陛下を嫌ってるんですか?」


 中々どうして当代天帝に対して当たりが強く感じたクレメンティナは思わず尋ねてみる。直後に不敬な言葉を大音声で叫ばれたらどうしようか?と余所余所しくなってしまうが、アリカはそんなクレメンティナの姿はお構いなしに応じる。


「何を馬鹿な事を。愛すべき軍人の御代、齎したのは天帝陛下。その手腕は敬愛して已まない」


 手腕だけを敬愛しているという物言いにも聞こえる。詳細を問う程にクレメンティナも鈍感ではない。


「私も天帝になれば摘まみ食いし放題なのに……同盟軍の下士官なんて何処かの韋駄天に食い荒らされない様に気を使わないといけないのに……不公平よ」


 韋駄天の異名を持つザムエル・フォン・ヴァレンシュタイン上級大将。


 余りにも浮名が流れ過ぎ、報道もその色恋沙汰は一々記事にしなくなってしまった知将……恥将である。何故か痴情の縺れにはならない事も話題性を損なっていた。気が付けば寝台で天井の染みを数える状況まで女性を誘導できるなら大したものであるが、ザムエルがそれ程の人物である様にクレメンティナには見えなかった。


 しかし、一つおかしな事があると、クレメンティナは気付いてしまう。


「でも、顔佳人のハルティカイネン大佐とかとは熱愛報道なかったじゃないですか?」


 無論、二人して急激な昇進であった為、報道が注意していなかった事もあるかも知れないが、二人は仲が良いものの何故か色恋が介在する様には見えない。


 アリカは、知らないの?と呆れる。


「あの二人は同じ孤児院出身なの。幼少の頃、ハルティカイネン大佐が随分とヴァレンシュタイン上級大将を締め上げていたみたいだから異性と見れないのでしょう。まぁ、母親みたいな先代ヴェルテンベルク伯と面影が似てる事もあるんでしょうけど」


 いくつかの理由で二人がそうした仲になる事はなかった。


 ヴェルテンベルク伯爵領出身者はアリカを含めて変わった人物が多い為、そうしたあまり聞かない経歴が原因であっても不思議ではないと思わせた。


「そう言えば、ハルティカイネン大佐って、実は先代ヴェルテンベルク伯の娘だったりします?」


 噂にはなっているが、何一つ証拠のない話。


 しかし、誰がどれだけ調査すれども何一つリシアの過去は出てこない。それが逆に不信感を掻き立て、未だそうした噂は燻っていた。


 しかし、アリカは、有り得ない、と断言する。


「それなら後継者にしていたでしょうね。でも、しなかった。軍人なんて因果な仕事はさせるのに、危ないからと後継者にしないというのも考え難い」


 ヴェルテンベルク領では、よく話題になる事なのだろう、とクレメンティナは結論が出ているかの様に話すアリカを見て、隠し子説はなさそうだと考えた。


 血筋が怪しくとも近しい顔立ちと紫苑色の髪という特徴を前面に押し出して後継者に仕立て上げ、トウカと結婚させてヴェルテンベルク伯爵領の将来を盤石化させようとは考えなかったのだろうか、とクレメンティナの脳裏を過る。


 しかし、マリアベルのトウカへの執着を踏まえれば、リシアをトウカの配偶者にするというのは有り得ない話だと妄想を振り払う。それなら私が配偶者になると騒ぐだろうと確信できる程には、マリアベルが我の強い女性であるとは世間一般に知られている。


「北部ってなんか色々と特種転がってそうな気がするんですよね~」


「そういうものを嗅ぎ回る連中の首ならよく転がっている」


 生首生産者側と思しき憲兵の指摘に、今度はクレメンティナの首筋が寒くなる。北に向かう程、人命が軽くなるという通説は事実かも知れない。


 何の益体もない物騒な話が続くが、それは二人が暇であるから。


 だからこそ、ふと思い付く事もある。


「ラムケ少将は孤児院にお戻りになられたから、後を追い掛けても良いかも知れない。フェルゼンなら情報が転がってないとも限らない……そう、北部は逃げ込むには最適」


 ヴァレンシュタイン上級大将暗殺未遂事件調査が思わぬ方向に進んだ事で、ラムケ自身も孤児院の様子を見る為、一時的にフェルゼンへと舞い戻っている。


 対する二人は皇都に留め置かれた。


 急な遷都という話が出たものの、未だ主要な行政中枢は皇都に存在し、各憲兵隊からの聞き取り調査に時折、応じる必要がある為である。ラムケは聞き取り調査をしても尋常ならざる主観を入れる事が明白な為、元より聞き取り調査の対象には入っていなかった。


「船舶で移動するならシュットガルト湖を使うのが一番早くて、大きな荷物も運べますもんね」


「それもある……何より、種族と人種の坩堝。紛れるのは容易でしょう。申請が通るか、というところだけど……まぁ、通るでしょう」


 あくどい事を考えているのかアリカの口元が歪む。


 憲兵という職業は、こんな人物ばかりなのだろうか?と思わずにはいられないが、 同僚曰く、筋者(ヤクザ)との違いは統治機構からの公認か否かという差しかない、という言葉を思い出したクレメンティナは特に口を挟む真似はしない。


「私、ヴェルテンベルク出身だけど実家はフェルゼンじゃないの。向こうでも出張手当が出るわ。 しかも、一旦留め置かれているとはいえ、調査任務は特務……経理も上にお伺いを立て難いから、少々無理がある領収書でも通るでしょう」


 組織体制の構造的問題を突く様な発言であるが、クレメンティナからしても所属企業から可能な限り費用を引き出す”献身的努力”は欠かさないので非難はできない。


「でも、ヴェルテンベルクへの出張自体が否定されるんじゃないですか?」


 上で揉めている中、調査の中断をさせている現場が動き回るというのは望ましい事ではない。ラムケの様に憲兵隊でもなく、妙に天帝と距離が近いという特異な立場であれば止める者はいないが、アリカはその様に見えない。


「私はヴェルテンベルクで全ての憲兵を采配する憲兵総監に報告を求められている……かも知れない。そして、副官としてラムケ少将の御機嫌伺もある……かも知れない」


 あ、これ、凄く上の面々が関係してる雰囲気を出して、所属部門と経理を委縮させて申請を通してしまおうとするやつだ、とクレメンティナは軍隊も企業と変わらずヒトの組織なのだと思い知る。尚、クレメンティナが新聞社で似た様な真似をすると確実に通らない。上の面々と言えども半端な職級では効果は知れており、そもそも齟齬を生じさせない程の、或いは説得力が生じる程の案件を用意できる機会はほぼない。そして、そうした手法は数を打つと、そもそも信頼されなくなって全ての書類を尋常ならざる警戒感を以て精査されるので寧ろ後々不利になる。重箱の隅を突かれる下っ端の創意工夫。


 アリカとクレメンティナは無言で頷き合う。


 経費で調査……旅行がしたい。


 一応、それらしく見せる為、軍需企業に言い掛かりを付けて踏み込んで調査の様な事をすればいいのではないか、とクレメンティナも大雑把に皮算用をする。


 しかし、二人の企みに割り込む者が居た。




「許可します……ただし費用請求は程々に」




「ホーエンシュタイン少佐」


 振り返り、慌てて軍帽を直し、即座に立ち上がり直立不動のアリカが敬礼する。


 クレメンティナも何か分からないがいそいそと立ち上がる。自覚はないが軍属であるので、アリカが姿勢を正す以上、それなりの階級という事になるので彼女も立ち上がらざるを得ない。


 気が付けば、背後に立たれているというのはクレメンティナからすると衝撃だった。 一般人のクレメンティナならば兎も角、銃弾飛び交う戦場で活躍していたアリカが簡単に背後を取られるというのは信じ難い事である。


「貴官らを探していた……そちらの御嬢さんに自己紹介は必要ですか?」


「いえ、当官が後で説明いたしますので不要です。お手を煩わせるのは心苦しいので、御用件を先に聞かせて頂きます」


 アリカの一分の隙もない凛々しい姿に、切り替えが早い、とクレメンティナも真似て敬礼をしてみる。

 アヤヒは答礼すると緩やかに微笑む。


「皮算用程度に目くじらは立てないし、軍属に軍人としての作法を求める事もしません。寧ろ、御嬢さんはそのままで良いのです」


 何時ぞやにアリカが口にしていた情報漏洩前提が理由なのだろうか?ともクレメンティナには思えたが、奇妙な犯罪組織に関しては箝口令が敷かれている。


「調査を継続せよ。盛大に調査せよ。不良神官の直感に大いに期待するところ大である。ハイドリヒ憲兵総監は、その様に仰せです」


 命令書を差し出したアヤヒに、クレメンティナは神州系の顔立ちで高身長な軍装の麗人……アリカと似た要素が多い二人が向かい合うのは劇場舞台の一幕の様ですらある。


「見せ札という事でしょうか? それならば存分に暴れて御覧に入れましょう……ラムケ少将が」


 野性的な笑みを以て了承するアリカに、アヤヒはやかな笑みで応じた。


「成程、達成は約束されたも同然の人選であった様ですね」


 ラムケだけでなくアリカも含めた意味であるのは明白であったが、当のアリカは何一つ動じる事もない。


「期待しています」


 用は済んだとばかりに背を向けたアヤヒ。


 しかし、思い出したかの様に振り向く。


「ああ、一つ……高嶺の華を手折る力量がない貴女に助言をすると、妖精という生き物はね、追えば逃げるのですよ。寄り添う相手は、何かの為に全てを擲つ事ができる戦士だけ。そこは天使と似ています。貴女はそうした生き物達とは縁を結べないでしょう」


 聞かれていたのか、とクレメンティナは危機を悟る。


 上官侮辱の類と言えなくもない。アリカの立場が危ういものになるのかと緊張の面持ちで二人を見る。


 アリカは肩を竦める。


 アヤヒはクレメンティナを一瞥する。


「貴女には無理です。その薄汚い犬で我慢なさい」


 正面から貶されたクレメンティナ。


 お、軍人風情が喚きますねぇ、というのがクレメンティナの正直な感想であったが、 アリカに頭を撫でられて落ち着く。


 取り合えず腹の虫が収まらないので、アリカに撫でられたままにアヤヒへと吠える。


「わんわん!」


 アヤヒが何とも言えない表情をする。


 何故か良く分からないが、クレメンティナは勝った気がした。


 諦めたように首を横に振り、去ってゆくアヤヒの背を二人で眺める。


「まぁ……よくやった……と思う?」


 アリカもどう評して良いか分からない様子である。


「くぅん……」


 取り合えず、クレメンティナはアリカに擦り寄って犬の真似を続けた。




SNS(元青い鳥)での感想などは拝見させていただいております。

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