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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》

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第三八二話    覇権国家

前話と繋がっています。




「ロマーナ王国に手を伸ばすのは”現時点”で夢物語に過ぎない。特に軍事行動の場合は短期間で済ませる必要があるが、失敗は泥沼化を招く可能性もある。大胆であるべきだが無謀であるべきではない」


 クレアからすると驚くべきことであるが、トウカは外征戦争に慎重であった。


 近代国家が外征戦争の失敗で忽ちに命数を使い果たした事を知る為である。外征戦争は国力の優越のみで語る事はできず、時に攻め込んだ筈の大国にすら致命傷を与えた。


 強硬姿勢ではあるが帝国侵攻には入念な準備を継続しており、部族連邦との衝突では首都への空挺降下を以て短期決戦を図った。トウカは野放図な戦線の拡大に対してかなりの警戒感を示している。軍事的打撃を与えても、政治的決着が付くかは別問題であるとの視点もあった。その点を踏まえれば名君と言えよう。


「戦力の不足ゆえですか? ……いえ、戦力投射の基盤が脆弱という事ですか?」


 憲兵であるクレアからすると印象の薄い話であるが、皇国軍はトウカの即位まで内線戦略を採用し、本土防衛を前提とした編制と戦争準備をしていた。ここからの転換が上手く進んでいない。部族連邦北部進駐……南域新領土獲得時の侵攻で明らかになった事であり、そうした外線戦略への転換を想定した経験の獲得も意図した進駐でもあったが、想像以上に問題点が多く、陸軍府は一方的な戦勝であるにも関わらず憂色に包まれた過去がある。


 トウカの要望で首都への空挺降下作戦が行われていなければ、決定打に欠ける事で部族連邦に領土割譲を認めさせるまでに時間を要したのではないかという評価もあった。他国の介入を招く恐れもあり、計画を根本的に修正する事態となるという可能性に陸軍参謀本部辺りは大きな危機感を見せている。


「外征の難しさを事前に思い知る機会があったのは良いが、政治がそれを求めるならば為さねばならないのも確かだ。そうした政治情勢にならない様に注意しなければならない」


 現在の政治情勢に対して最も危機感を有しているのはトウカかも知れない、とクレアはトウカの物憂げな表情に思う。


 巨大組織の転換は時間を要する。特に現在の皇国では経済発展や公共事業の推進、軍備拡大を大々的に並行して実施しており、予算は湯水の如く吸い取られていく。前例のない転換を望むトウカの理想を実現するだけの人材を十分に確保できないという点も響いていた。


 ――そもそも、そうした人材がこの世に存在するとは思えませんが……


 先進的に過ぎ、トウカの脳裏にしかない軍組織を実現するのだから多大なる困難が伴うのは当然と言えた。直近でも弾道弾の開発の進展を見た海軍が、そうだ戦艦に搭載しよう、と言い出して一悶着あったばかりである。トウカの求めた新兵器を奇妙な方向で取り入れようとした結果であるが、そこには貧乏海軍の定めとして艦艇を多機能にしようとの止むを得ない事情もあった。無論、真の思惑は戦艦の増勢を実現しつつ、弾道弾は頃合いを見て適した装備ではなかったと取り外そうと皮算用を試みていたというもので、トウカが居なければ計画段階で止まる事はなかった。


 ――いずれ潜水艦に搭載する。正面戦力に搭載するのは愚の骨頂だ、ですか。


 クレアは、その時の光景を思い出す。


 海軍府側は、それなら事前に長期計画として提示していただけませんかね?と言いた気な表情を一様に浮かべていたが、弾道弾配備を利用して戦艦増勢の皮算用を企てていた立場なので明確な反論はなかった。クレアはそうした経緯をヨエルから事前に聞かされていた為、酷い茶番劇です、と失笑するしかなかった。


 最近の陸海軍のトウカに対する”おねだり”は度が過ぎるが、見ている分には楽しいものがあるとクレアは内心で考えていた。しかし、同時に憲兵隊出身であるクレアは軍人でもあり、仲間の様なものなのだから口添えをして欲しいと言わんばかりの視線に晒されてもいる為に辟易としてもいる。本来はリシアが受けるべき期待が、その不在によってクレアに飛び火した形であった。


 ――新型短機関銃に関しては……思わず口添えしましたが……


 軌条型固定台(ピカティニー・レール)を装備し、懐中電灯や補助銃杷(フォアグリップ)光像式照準器(ドットサイト)、暗視装置、予備弾倉などを装備できる汎用性に優れる短機関銃に対して導入の口添えをしてしまった経緯がある。憲兵隊への導入があれば、治安維持に於いて大きな活躍をするであろうとの判断からであったが、陸海軍はその口添えを見てクレアが軍拡に協力してくれるものと早合点した。


 クレアとしては、その可能性を踏まえても新型短機関銃は魅力的であった為に口添えしたが、対するトウカは終始消極的であった。そうした事は閨で強請るがいい、とまで言われてしまった事もある。


 一部の特殊任務に従事する部隊への導入に済ませるべきとトウカは考えていたが、陸海軍府や憲兵隊、果てには警務府もその流れに乗った。


 複数の府で共通装備化する事で予算削減を図る。トウカが積極的に推進している導入方式であり、新型短機関銃に関しては大蔵府……造幣局直属の武装集団までもが運用を望むに当たってトウカが押し切られた形で決着した。


「最近は各府も大御心を汲んで富国強兵の政策立案に励んでいる様子です。見守るのが宜しいかと」


「増長を招く気もするが……萎縮させても問題か……」


 トウカは強大な天帝である。


 その若き天帝に畏怖し、消極的判断をする組織は多い。


 自発的な動きをトウカは歓迎しているが、各府の連携が規定化する事に対する懸念もある事は疑いなかった。クレアもその辺りを警戒しており、その片棒を担いだ事には反省があった。強権的な天帝からの反論を避ける為、連携するというのは自然であるが、異なる職域を持つ組織の連携というのは癒着の温床となりかねない。そこに取り締まるべき憲兵隊や警務府が加わるとなると猶更である。


 トウカの懸念も理解できる為、クレアとしては反省すること頻りである。


「そんな顔をするな。臣下の企てを看破して応じるのも主君の力量だ……それを傍目から見て大過なく為せているか……近衛が消え失せた現状の考慮せずとも、その辺りは無視できない」


 軍事的裏付けを前提とできない不安。


 皇州同盟軍を頼る事を忌諱している訳ではなく、軍事力を背景にした交渉が生じる事を避けたいとの意図があるのだと、クレアはその姿を愛らしく思えた。迂遠な物言いで大変に分かり難いが。


 圧倒的権力と軍事力を持ちながらも、そうしたものに頼らず内政を済ませるべきという努力をクレアは愛すべきものだと考えている。そうした努力を放棄した時、皇国や世界は屍山血河となる事を避けられない。


 クレアはそうしたトウカの動きを自身の成果と思う程に自惚れていないが、トウカの果断に寄り添うだけではない己が何処かにあるのではないかという期待はあった。


「国家は陛下を必要としております。これが最後の機会だと多くの者は理解しているのです。無理をなさらずとも実績を積み上げれば道は拓かれるでしょう」


 変哲のない言葉であるが、クレアにとってそれは真理でもあった。


 陸海軍や枢密院でもそうした考えを持つものは多く、急いては事を仕損じる、という点を寧ろ恐れてもいた。大胆な政策故に失敗時の影響も大きいという懸念。国民は成果あらば付き従う。現状、トウカの焦燥による失敗こそが最大の懸念点である。


 とは言え、果断が必要な程に皇国は追い詰められていた。


 しかし、それは帝国の侵攻を跳ね除け、経済活性化の道筋を付けた辺りまでの話である。


 だが、トウカはそうは考えない。


 誰しもに見えないものがトウカには見えているのか、或いは立ち止まる事への恐れがあるのか。クレアにはどちらもある様に思えた。


 ――皇国に時間と余裕があるか……陛下はその点を懸念されているのでしょうが……


 その計算の全容をクレアは理解できないが故に、思うところはあるが多くの言葉を飲み込む。


「そうだな……そうした道もあるのかも知れん……」


 否定なく可能性に同意するトウカにクレアは満足する。破壊と否定は国家指導者の本分ではないのだ。

 

 非難がましい事を口にしたと、クレアは話題を変える。


「そう言えば、クローベル辺境伯は大層と美しいと評判ですね。関係を確実なものとする為、婚姻政策を選択するかも知れません」


 セルアノに関する話から逃れる為、別の女性の話を出すクレア。女性の問題は女性で打ち消す。市井の女性にはない感性である。


 クレアとしてはクローベル辺境伯を調査した限りは人畜無害の善人である為、あまり脅威とは考えていなかった。輿入れ前の実家も貧乏貴族であり、彼女を通して影響力を行使するには身代が慎ましい。クローベル辺境伯領の発展も亡夫である先代クローベル辺境伯の手腕によるところが大きく、近年は家臣団が彼女を支えているという現状である。


 トウカが迎え入れる程の力量も支持母体も有さない為、釣り合わないというのがクレアの正直な印象であった。裏を返せば、トウカが気に入るなら迎え入れても政治的混乱を起こし難い人物とも言えるが、トウカが気に入る様な人物とも思えず、寧ろ母性や前夫との子を持つという要素が琴線に触れると言うのであれば、狐系種族や嘗ての恋人の母という立場まで携えたマイカゼがより脅威である。


 ――義母様(おかあさま)が最も危険視していた方ですから……


 その間に気が付けば義娘が寵愛を受けているのだから世の中分からないものだと、 クレアは自身の奇妙な立場を心底と不思議にも思う。ヨエルからすると噴飯ものかも知れないが、満を持して登場するべく姿を見せる機会を先延ばしにし続けたのも事実なので、クレアとしては素直に同情もし難かった。リシアが、あれだけ生き続けて身体だけじゃなくて心まで処女なんて哀れ、だと鼻で笑う程である。ヨエルが男性と深い関係になった事があるかクレアは分からないが、リシアは己の直感を根拠に確信している様子である。当然だがヨエルには言えぬ話である。確実にリシアの身体の風通しが良くなる。


 トウカは少し困り顔で頬を書く。


 自身の嫁に、という部分からではなく、自身の思考には余るという心情を察したクレアは黙ってトウカに左手に右手を添えて見つめる。言葉だけで押し通るばかりが思いやりではなく、寄り添う事で伝わる思いもある。最近のクレアが学んだことである。


 トウカは溜息と共に語る。


「……母性のある人物と聞く。人間種の様だが遠縁に他の種族の気配のある美貌だとも噂にはあるようだ……ザムエルの嫁にどうかとも思ったのだがな。子が居るというのは……とは言え、孤児院で子供の相手をしている姿を見るに上手くやれる気もするが……」


 ザムエルの配偶者に、と考えているのだと知ったクレアは納得の念を覚えた。


 心傷のザムエルを癒すだけの母性を持ち合わせ、何よりも現時点で他国の要地を押さえる人物で皇国内の権力者との繋がりもない。亡夫との子の存在はザムエルの感情次第であるが、統治の面で言えば亡夫との子はクローベル辺境伯位と領地を継承させればよいので問題は生じ難い。


 クローベル辺境伯領の困難を思えば、ザムエルの奔放な女性関係が継続しても尚、 忍耐や我慢を強要できるだろうとの打算がトウカにある事もクレアは看破していた。残酷であるが国益からすると有効な政策でもある。


 しかし、そうなるとザムエルに爵位を与える必要がある。


 軍内の実力者というだけでなく、政治権力が付随した立場を与える事で箔を付ける。 爵位だけでも良いが、トウカとしてはエーリカの事を踏まえ、ザムエル個人にとっての策源地を用意したいと考えている筈であった。


 ――幸いな事に”草刈り”を終えれば、領地の用意は可能でしょうから。


 多数の下手人と充実した武装を踏まえれば、暗殺未遂事件に関わった貴族が皆無であるとは思えず、そうした貴族は間違いなく爵位剥奪と領地召し上げとなる。そこから斬首になるか自裁……三親等まで連座となるかはトウカや枢密院次第だが最低でも領地の召し上げは行われる筈であった。権威は死を求めている。


 クローベル辺境伯も皇国内に領地があり、軍でも有力な立場である貴族の妻として遇されるのだ。クローベル辺境伯領の後ろ盾としては十分なものがある。付け加えるならば、ザムエルはトウカに近しい。


 クローベル辺境伯ミュゼットとザムエルの婚約は都合がいいのだ。トウカでは都合が悪い。


 戦乱に紛れて独立した後進国の地方貴族如きに天帝に侍る立場を与えてしまえば、他国を併合する際に頻繁に婚姻政策を持ち出されかねない。南エスタンジアの国家指導者との婚約すらも格が釣り合わないと考える者が出ている中でそうした動きは望ましい事ではない。


 ――側妃ではなく、寵姫という立場で辛うじて、という所ですね。


 実情、クレアはその寵姫ですらないが、寵姫というのは皇妃や側妃が有する特権を持たない寵愛を受けるだけの存在である。外との交流を制限され、後宮に押し込まれ、高嶺の花として天帝が失われるまで咲き続けるだけの存在。


 政治的権限が皆無に等しく、歴代天帝は後ろ盾や身寄りのない寵愛を与えた女性を寵姫としていた。政治権力はないが、それ故に政争に巻き込まれず、寵姫はただ天帝を愛する義務だけを負う。天帝に寄り添い、心身共に支え、国営に協力する皇妃や側妃とは根本的に異なる立場である。


 そうした位置付けであるが、皇国史では時折、政治権力に等しい影響力を発揮する寵姫も存在した。行儀見習いとして預けられた貴族令嬢や有力商家令嬢の教育を慣例的に任されており、そうした中で信頼と尊敬を受け、教育した令嬢が寵姫に配慮や忖度を行う事で政治が動いた例がある。行儀見習いを経た令嬢が皇妃や側妃となる事は珍しい事ではなく、そうした人間関係からの影響力というのは起き得た。


 しかし、トウカの場合、特殊な即位であった為、行儀見習い自体が極めて低調であり、後宮などは閑古鳥が鳴いている上、そもそもトウカ自身が強引な遷都でフェルゼンに居を構えている。皇都の皇居は人員整理も行われ……皇都擾乱などで逃げ出した者も多く最低限の人員となっていた。若い侍女は暇を出され、残っている侍女が高齢な者ばかりで、お化け屋敷ではないか、と口にした枢密院議員すらいた。トウカはそれを耳にして、それなら一般開放して入館料を取るぞ、と発言した事は有名である。


 実情、後宮はアリアベルだけを主としている。


 トウカは、数多くの要素を勘案した上でクローベル辺境伯ミュゼットを受け入れようとしているが、クレアとしては引っ掛かるものがあった。


「若しかして、私に配慮して下さっていますか?」


 皇妃を迎え入れているので、寵姫を迎え入れても問題は生じないが、寵姫を用意するという事は後宮に二人目の妃を迎え入れるという事でもある。


 皇妃アリアベルの立場は特殊である。


 内戦を激化させたという点から冷遇を避け得ず、トウカがフェルゼンに居を移しても皇都の後宮に留め置かれている。アリアベルの立場を踏まえれば、内戦で不利益を被った者達からすると至尊の座に侍る姿は反感を覚えるものであり、その解決は時間のみである。


 だからこそ、後宮を、アリアベルを皇都に留め置く事は内外に厚遇はしないと示す意義がある。


 少なくとも、そうした主張でトウカはフェルゼンに後宮を用意しなかった。


 大蔵府長官であるセルアノも、天帝府にそうした予算があるなら寄越せと文句を言いかねないが、トウカ自身もそうした事に予算を割くなら軍備拡大に利用したいと考えているのは明白であった。


 だが、クローベル辺境伯ミュゼットを寵姫として迎え入れるならば話は変わる。フェルゼンに後宮を用意する必要が出てくる。流石に迎え入れて遠方に放置するでは外聞が悪い。


 費用の問題もあるが、クレアが近くに侍る事が難しくなるという側面も出てくる。


 現在のトウカの居城は、フェルゼンのアルフレア離宮である。マリアベルが建築したアルフレア迎賓館を転用したもので、元より準軍事拠点の側面を持つ設計が為されていた。トウカの統治に協力する枢密院や陸海軍高官を始めとした面々が参内する事はあるが基本的に閑散としている。無論、最大の理由は天帝が居城を地方に移すという建国以来初の政策を合意形成を最低限で行ったが故の混乱と権力構造の変化に伴う事が要因であった。


 アルフレア離宮は、防御設備の面で皇都の皇城と同等であるが、権威を示すという意味では質実剛健な点が前面に出ており味気ない様に見える。そして、何よりトウカは催事を非常時に付き最低限とするという名目で大部分を中止しているので、防衛を担う鋭兵以外の姿は殆どなかった。しかも身の回りの世話をする者達も必要最低限にしている。


 そうした状況であるからこそ、寵姫ですらないクレアに侍る余地があった。


 公務上では、クレアのアルフレア離宮への滞在は、治安維持の問題に関する折衝という事になっており、他にも公務として滞在する者は少数ながら存在しており、そうした事もありクレアとトウカの関係は関係者の間で公然の秘密となっていた。


 完全な機密を維持できる訳ではないが、状況を知る者達は相手が誰でも良いから一人は子を為して欲しいという切実な心情があった。トウカに何かあった場合、 皇国は次期天帝を選出するまで権威を喪う。それまでの間を枢密院を中心とした集中指導体制で乗り切るとしても象徴は欠かせない。


 北部貴族などは、北部を巡る軍事的脅威や発展の都合から特にそうした心情が強く、当代ヴェルテンベルク伯マイカゼが侍る様に望む者も居た。年長者で死別した恋人の義母であれば、トウカが配慮するだろうとの目算。夫であるシラヌイが行方不明の中で酷い話であるが、貴族とはそうしたものである。


 対する陸海軍府に関しては、リシアに期待を寄せている。


 軍備拡大による適正な軍事力の保持を目指す両府は、トウカの不予や崩御、戦死で改革が中断される事を恐れている。軍人であるリシアの政治姿勢は軍備拡大の猛烈な推進である為、国母として望ましいとの判断であった。


 ――私では中道派に配慮してしまうと考えているのでしょうね。


 陸海軍が武断的に過ぎる事を懸念するクレアに対しては”次点”というのが両府の偽らざる本音であり、寧ろ彼女を積極的に推すのは統合情報部長のカナリスであった。


 現状で最もトウカに近いという現実と、著しく不足する諜報や防諜の分野に於ける人員の確保を推進する事を望む人物という背景がある。そして何よりトウカの心情に対しては意外な程にカナリスは配慮していた。


 クレアとしては揃いも揃って好き勝手に期待すると呆れるしかないが、心情としては分かる話でもあり、危機感から自身の慣習破りを見逃されているとなれば異論を差し挟む余地はない。


 連合王国や部族連邦、ロマーナ王国……皇国で南方諸国と呼ばれる国々への政策が、 ザムエルの婚姻問題や後宮問題へと繋がる事に、クレアは宮廷政治の恐ろしさの一端を見た。何処で何が繋がっているか分からず、人間関係の比重も大きい。それでもトウカの前に宮廷に蔓延る魑魅魍魎すら逃げ出している事から、以前より問題の複雑化や暗闘は大幅に減じている事は間違いない。


 現状で宮廷政治と皇権を携えたトウカは一体化している。


 トウカの近くに侍るからこそ大部分の概要は窺い知る事ができる。


 そのトウカを公私共に支える事は、クレアにとっての理想でもあった。


 だが、トウカの携える問題は大きい。


「帝国ばかりではなく、神州国とも戦争になる公算が高い。時期次第ではその負担を許容できない。それは好ましくない。クローベル辺境伯領を介して連合王国分割を長引かせる。その後の神州国による連合王国植民地の不安定化工作も力を入れる……皆に苦労させる中で幸福な姿を見せるのは憚られる」


 クレアは苦笑するしかない。トウカの軍人に対する配慮。そうした点をクレアは好んでおり、同時に過ぎたる配慮は心配を招くとも思うが、それが市井からの意見として生じるまでは敢えて指摘するべきではないと沈黙を選択する。


 それよりも、負担が増えるという物言いに、クレアはトウカが帝国と神州国の両国を相手に戦争をしても、最終的には勝利することは可能と見ていると察した。


 空母機動部隊と潜水艦隊が計画通りに整備できたならば、不可能ではないとクレアも見ているので将来的に神州国に勝利する事は可能と見ていた。無論、帝国との戦争と並行するのは国庫への負担が尋常ではない。何より神州国が交戦国となった場合は商用航路の保全は極めて困難である。海路による輸出入の途絶は経済被害が大きい。自然と短期決戦を志向する事になる。


 クレアは神州国を必ずしも下す必要があるとは考えていない。


 国力だけを見れば皇国が勝り、人口や工業化でも抜かれる公算は低い。寧ろ、皇国は慎重な併合政策で国土と資源、人口が増加する為に神州国の国力差は増大する。短兵急に事を進めず、一〇年、二〇年と待てば優位性は更に増す。


 頭に右手を当て、クレアは考え込む。


 クレアにはトウカが神州国との戦争を急ぐ理由が見つけられなかった。


 資源的に特筆すべきものはない。商用航路の面では神州国本土は大いに邪魔な位置にあるが、結局のところ位置を別にしても強大な艦隊があるので商用航路への脅威という点では変わらない。戦争でそうした脅威を打ち払うのは可能であるが時間を要する上、それに伴う支出増大と被害を思えば不利益が大きいとクレアは見ていた。長期的には利益が勝るかも知れないが、帝国という敵を抱えている中で長期的利益を追求する余裕など皇国にはなく連戦も国力の疲弊を招く。


 クレアが納得していないと見たのか、トウカは一瞬の逡巡を経て告げる。


「……神州国に二つ欲しいものがある」


 あまり口にはしたくない、或いはクレアには言うべき話ではないと考えていたのかトウカの逡巡の意味を、クレアは個人的感情に根差した大きなものと捉えた。


 国家機密や重要政策ならば、公務上の問題と言及をしない筈であり、そうした事実を口にするなら、それは別に意味のある……クレアの職責に求めるところがあってのものである。


 少なくともクレアは、トウカがそうした人物であると看做していた。


 公務に私情を挟まない……様に見えるよう取り繕う事ができる人物。


「それは……女性ですか?」


 白銀の毛並みを持つ九尾の狐が脳裏で嗤う。


 あの九本の尻尾の一つくらい譲って貰えないだろうか?と思う程度には、トウカの好みを満載した狐の姿を思い出し、クレアは思わず表情を硬くする。


 表情を硬くした自覚はあるが、突然に油断ならぬ女狐が乱入する可能性が出てくるのだから致し方ない。内心、そうした自己弁護のクレア。


「……ああ、あの陰陽師を疑っているのか……あれは難しいだろう。立場を得ずとも、好感だけを浚う真似くらいはするだろうが」


 意外と辛辣なトウカに、クレアは猜疑の念を覚えていた事を恥じた。


「あの狸……いや、狐だが……あれは蝙蝠を上手く演じられる女だ。そうはならんだろう」


 中々酷い言い様である。何より、狐なのか狸なのか蝙蝠なのか分からない。合成獣 (キメラ)である。


「要らぬ邪推をしてしまいました」


「これが焼き餅というものなのだろう? 男としては心地良い」トウカは苦笑する。


 恥じたクレアは黙ってトウカに身を寄せる。顔を見られたくない。


「あの狐はそれいい。互いに後腐れなく楽しむだけで済む。まぁ、利用もできるし、国益に反さない程度には目溢ししてやるとも」


 前言撤回である。


 トウカの太腿に添えた手で、その太腿を抓る。


「ああ、心地良い事だな」


 トウカはクレアを抱き寄せる。


 揶揄われているのだと気付いたクレアは、トウカの背に手を回して強く抱きしめて愛情を示す事で対抗する。あまりに強い愛情にトウカの身体から軋みが聞こえた。


「愛情は時にヒトを傷付けるらしいが……実体験としては初めてだな」


「愚者は経験に学ぶと陛下は仰られたではありませんか。存分に学んでください」


 そうは口にしても力を緩めて抱き締めるだけとなるのは惚れた女の弱みである。


 啄む様な口づけをして、二人は身を寄せ合って座る。


「九条の姫だ。些か気になる事がある。捨て置けない。必要とあらば腹を切らせる心算だ」


 余韻も感じさせずに物騒な事を告げるトウカに、クレアは胸を高鳴らせる。常人と異なる感性であることは彼女も自覚しているが、危険と果断を携えた姿は斯くも好ましい。


 トウカの表情は愉し気であるが、好戦的な感情が入り混じっている様にクレアには見えた。女性に対して向ける感情ではない。


「理由は教えていただけないと思いますが……もう一つの欲しいものは国益という荒れ狂う理想を満足させ得るものですか?」


 欲しいもの二つ、そのどちらもが国益に資さぬというのであれば、神州国との戦争は枢密院や陸海軍府の理解を得られないだろう。それでも尚、開戦に踏み切るというのであれば、餓えたる国益を満足させるだけの方便が必要となる。


 九条の姫の一件もまたクレアとしては気になるところであるが、そこにあるのは愛情ではなく興味と稚気であるようにも見えた。猛獣の好奇心が小動物を死なせてしまうが如き有様にならぬよう配慮する必要があるようにすら思える。ヴァンダルハイム侯爵令嬢の如き有様が頻発する様では権威に差し障る。


「国益か……そうした迂遠な物言いは霞むだろうな」


 トウカは国益という表現すら霞むと断言する。


 今後の国家戦略に多大な影響を齎すナニカが神州国に存在し、それは神州国が与り知らぬものであるのだと、クレアは推測するが、その正体は予想すらできない。


「覇権を握る為に必要だ」


 武断的な現実主義者から出た覇権という言葉。


 クレアも大陸東部地域に覇を唱える程度はできるだろうと見ていた。少なくとも他大陸の超大国を相手にするには、それだけの地域から生じる各種資源と経済力が必須である事もある。


「大陸の覇権ですか?」


 少し踏み込むクレア。


 大陸統一国家。


 胸躍る言葉である。


 それは不利益と不安定と不確定を進んで内包するという事に他ならず、耳障りの良い理想でもある。


 しかし、トウカは眇めた瞳でクレアを一瞥する。


「馬鹿な事を」


 短慮を咎める様な強い否定。


「世界の覇権、だ」


 灰と炎で舗装された覇道を征く決意。


 天帝の傷は癒えず、世界に災禍を齎す事を躊躇しない。




一応、SNSでの感想などは、時折、覗いております。

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