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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》
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第三八一話    連合王国という虚構




「連合王国か……確かに何かがあるのは間違いないだろうが」


 トウカが興味深いと頷く姿に、クレアは首を傾げるしかない。


 ヴァレンシュタイン上級大将暗殺未遂事件に関係していると思われる武装集団と化学兵器を含む武器弾薬の保管庫の存在は皇国の政治指導層を揺るがした。


 内戦と対帝国戦役の混乱が、そうした存在を見逃す原因であった事は疑いなく、備蓄されていた化学兵器や重装甲車輛の存在は、道筋の付いた各貴族の領邦軍削減が逆行しかねない話でもある。領邦軍削減に伴いその人員を吸収する形で陸軍は規模を拡大しているが、陸軍には各地の治安維持は警務府の役目であるとの意識が未だ強い。


 実際、国内の治安維持に陸軍部隊を充てるという意見は枢密院でも出ていたが、動員の常態化を懸念する声が多く断念された。


 基本的には警務府の権限と人員の増強を以て対応し、国政に関わる犯罪や重大な犯罪は憲兵隊が主導で行うという職域に面で争いのありそうな判断となった。


 しかし、警務官の増強が即座に叶う訳ではない。


 人材育成には時間を要する上、経済状況の健全化に伴い多くの分野で人材不足が叫ばれており、危険のある仕事を選択する者は限られている。


「陸海軍が人材を求めており、同じ公的組織で人材の奪い合いが生じている点も捨て置けない。


 そうした最中に起きた事件であり、トウカや枢密院の失点と見る向きも少なくない。クレアとしては帝国軍侵攻で国内情勢が致命的に不安定になったと考えているので、ならば誰が国内の軍事組織を纏めて帝国軍に抗してここまで持ち直したというのかと呆れていた。


 トウカは報告書を見落としはないかと眺めている。


 クレアはその時間を邪魔しない。公務に励むトウカは幾ら見ても飽きないというクレア自身の個人的事情によるものだが、対外的には、天帝陛下の御深謀を邪魔立てすること能わず、と口にしていた。


「あの国家が未だに国家として存続している事を不思議に思っていた」


 思い掛けないトウカの言葉。


 クレアは返答に窮した。


 踏み込んだ発言であるという懸念からではなく、封建的に過ぎ、分権が目に余る為、確かに地方領主には独立の機会があるようにも見える。実際、クローベル伯爵領が今現在、独立の動きを取っていた。


「……確かに王権は弱く、封建主義に過ぎるとは思いますが、周辺諸国の国力を思えば安易に独立という選択も取り難いのではないでしょうか? フローベル伯爵領の件は亡国沙汰あっての動きですから」


 周辺諸国が優越した国力と軍事力を持つが故に、独立国となった場合、単独でそうした国々と相対せねばならない。連合王国自体が国力と軍事力で劣勢である中、更に不利な立場となる独立という選択は冒険的に過ぎた。無論、他国の調略……切り崩し工作による独立すらなかった点は不自然に思えるが、国境を接する国家は帝国との戦争で慢性的に予算と軍事力の不足する共和国に、部族間での軋轢で対外政策が御座なりな部族連邦、銭儲けにしか興味を示さない協商国である。切り崩しを行わなかったとしても納得できる部分がある。


 トウカとてその辺りは理解しているであろうが、それでも存続に対する疑義があるのはクレアにはない視点からであろう。


 トウカは曖昧な笑みで告げる。


「まぁ、そうだが……貴族は軋轢が多いだろう? 内戦とは言わないが、領邦軍による軍事衝突すらないというのは、な。中央政府の指導力や統制は感じられないが……」


 小競り合い程度は聞くが、逆に言うならば小競り合い程度で済んでいる事も確かである。


 皇国では地方貴族が連帯して内戦を起こし、それは大規模なものとなった。


 当事者であるトウカが口にすると説得力のある話である。そして、それ故にトウカは皇国でも内戦があったとは口にしない。


 クレアとしては 再び返答に窮する話である。


 皇国貴族よりも連合王国貴族が行儀が良いという話ではないが、封建的で工業的にも司法的にも劣る国家の貴族の思考を推し量る事はクレアにも些か厳しいものがあった。


「国内の武装集団を中央集権化した指導層が集中管理できているというのは近代国家最低限の条件だと思うが……それを言うならば我が国も怪しいが……」トウカは首を傾げる。


 中央集権と軍指揮権の統一はトウカにとって、近代化に伴って避けられない改革という意識があるが、クレアにそうした意識はなかった。


 無論、それは共和国が近年に流血沙汰の政治闘争を経て何とか漕ぎ付けた話である。


 だが、その成果は目に見える形ではなかった。


 少なくとも国内武装集団が再編され国軍に編入されたものの、帝国との戦争で大きな変化はなかった。


 国民軍による破竹の快進撃は失敗した。


 成功なき政策は評価を受け難い。目に見える成果に傾倒するのは人の世の習いである。


 結果として模倣する国家は少なくなり、国民主権による軍事的優位性は証明されなかった。寧ろ、立憲王国や皇国という君主が異様な実力と実績を持つ指導者に率いられて発展や大勝利を得る例がある為、君主や貴族が独裁的権力を手に治世を担うという政治体制が有効だと判断され続けていた。


 特異な指導者の選定や特異な血筋の権能による統治……そうした者達が形成する指導層を打ち破るだけの能力を持つ議会制度や中央集権は困難だと見られているのだ。


 神々が時世に合わせて指導者を選択し、特異な血筋が一騎当千の槍働きをするという理不尽。


 民衆が数を恃んだだけでは簡単に優越できない。


 尋常ならざる力量……神々の推認や特異な血筋、種族的特性を背景とした者達に強大な権限を与えて物事を進める以上、権利の分散は避けられない。信頼や恩賞という側面から権限や領地を与えざるを得ない為である。


 相当の技術革新と、富の再分配、教育水準の向上を経なければ、議会制民主主義は成立し得ない。トウカの元いた世界よりも、遥かに議会制民主主義が根付く為の難易度は高い。そうした世界は中央集権との相性が悪い。


 権力者や実績ある者への恩賞。


 それらを金銭だけで補うには相当の経済規模が必要であった。資金力というだけでなく、それを行使できる程の市場の充実がなければ恩賞の価値は大きく削がれる。加えて資金の流通量や取り引きに於ける利便性が向上しなければ、土地や権利を対価として運用せざるを得ないという側面もある純粋に主君側が用意できない。


 共和国の場合、建国以前の混乱で多くの種族が現在、皇国が領有している地域に移住した事も大きい。種族的差異の少ない種族ばかりが残った為、尋常ならざる個人を頼る事ができなかったからこそ中央集権化を進める事ができた。権力集中による国力増進と軍備拡大への試み。それしか選択肢がなかったと言える。


 だが、連合王国はそうはならない。


 無論、連合王国の種族分布も共和国と大差ないが、共和国が皇国や帝国に対して優位すら確保できなかった為、中央集権や議会制度に対して必ずしも優位性を見出せなかった事が致命的であった。


 諸国の民衆は共和国を見て、自由と平等と権利があっても状況が良くなっていない事に失望した。帝国には軍事的に押され、経済的には皇国が勝っている、と判断した。 無論、各国の指導層がそうした風潮を助長させた事も一因である。民衆が騒ぎ立てる事を望む指導層など居ない。実際、帝国は共和国の領土を指して切り取る事はできず、皇国との経済格差は海と面しているか否かの差が大きく、決して制度の不備ばかりではなかった。


 斯くして連合王国では旧態依然とした封建主義が存続する事となった。


 だが、トウカはそれでも国家体制の崩壊が既に起きていて然るべきだと考えていた。


 他国よりも文化的にも経済的にも軍事的にも劣るのだ。


 工業は平均的な大陸国家と比較して二〇年以上の遅れがあり、農業も制度と技術導入の遅れから生産量が国内需要を上回る程でしかない。どちらも旧態依然とした輸送手段や流通経路から地産地消の傾向がある。


 だからこそ帝国との密約である。帝国への食糧輸出や武器支援を受けての共和国挟撃という提案に同意した事は疑いない。帝国は農業技術を教え、輸出する為に港湾設備を整備した。連合王国は利益が大きいと見たのだろう。故に連合王国は帝国と組んだ。


「各分野で優越する帝国の技術が既に流入しているとの報告も受けている……それは帝国人との交流が拡大するという事ではないのか?」


 奇妙な判断だ、とトウカが唸る。


 内向きの閉じた国家として他国との交流を最低限にしなければ、自国の発展の遅れを認識して不満が出るのではないとトウカは見ていた。トウカが連合王国を路傍の捨て石の如く放置していたのは、その点があったからこそである。少なくとも現在は事を構える必要も友好の努力をする必要もない。その辺りはクレアにも理解できる話であった。


 しかし、連合王国の指導者層は帝国との交流を選択し、究極の異文化交流である戦争すら選択した。


 亡国沙汰である。


 変革を望む集団と権利拡大を意図した集団を、現状の存続を願う集団が大きく優越し、国内が停滞しているというトウカの予想は外れた。そう言われるとクレアも不審が芽生える。


「それは……交流から自国の発展の遅れを自覚する国民が増加するという事でしょうか?」


「そうだな。自国の世界からの落伍……その自覚は派手に国を割る筈……だった」


 しかし、トウカの予想に反してそうした動きは少なく、連合王国の貴族もそうした点を不自然なまでに想定していない。まるでそうした発想が抜け落ちているかの様である。


 トウカの元いた世界でも中東が宗教と発展の狭間で大きく分断されていた。それらに振り回されて断絶した王室も少なくない。その辺りをクレアは知らないが、トウカの警戒心は伝わった。


「連合王国を纏め得る権威や事象があるならば話は変わるが俺には見えない。そうなると国家維持の為に動く組織があると見るべきではないか?」


 かなりの飛躍がある事を自覚しているのか、トウカの表情も少し胡乱であったが、 クレアとしても紐帯に乏しい貴族の集合体である連合王国が、外敵も権威も乏しい中で大きな混乱もなく存続できたのは確かに幸運の一言だけで済ませるには不審があるように思えた。


「随分と牧歌的な暮らしをしている様子だ。揉め事を起こすだけの軍事力と政治力に乏しいとも考えたが……共和国を奇襲できるのだから国内戦力をある程度、糾合しての軍事行動は取れるというのも事実だ」


 そう言われると、クレアとしても頷ける部分もある。


 もし貴族が聡明なら文化や産業の面で周辺諸国に大きく後れを取っている筈もなく、貴族達が聡明であるという線はない。強制力を持つ利害調整組織の存在があるかも知れないというのは否定し難い。


「王室……という事は考えられませんか?」


「それは考えたが、共和国の軍事侵攻に当たっては門閥貴族の政治闘争の影響が大きい。ここで主導権を取れない王室が長期に渡って国内貴族を上手く抑え続けたというのは考え難い」


 クレアとしても、それは否定し難い。


 去りとて複数の集団に派閥化している門閥貴族にそれが為せるか、と問われると厳しいものがあった。複数に分かれるという事は、それだけ権力や影響が分散するという事でもある。


「まぁ、外敵が乏しく、利害の不一致も今迄少なかったと言われればそれまでだが」


「争う理由が少ない環境だった、と? 確かに発展は必要性あってのものですから、そう言われれば納得できる気はしますが……」


 どちらとも取れる。逆に考えるならば、連合王国の政治情勢を誘導できる組織が存在する場合、巧妙に存在を隠蔽しているという事でもあった。


 トウカとしても確証がないからこその遣り取りであろうが、そうした相談を受けるというのはクレアにとり、自身の存在価値を認められているように思えて心弾むものがあった。


 クレアとしては、何故、ヨエルではないのか?と問いかけたいところでもあるが、 皇国宰相もまた外務府の付けをを払う形で多忙となりつつあった。ヨエルの存在感は外交を行う上で大きな優位性となり、大使や公使との会談を含め、隣国の総統の歓待も任されている。時間的余裕がないのだろうとクレアは考えた。


 無論、自身に配慮してヨエルを遠ざけたのではないか、ともクレアは考えていた。義母同伴がクレアの負担になるのではないかという配慮。


 ――確かに身構える部分はあるのですが……


 同情を禁じ得ない事も確かであるが、本人相手に口にしてしまえば、立場の誇示と捉えられそうでクレアは決して口にしない。


 対面の応接椅子で寛ぐトウカ。不明瞭な状況ではあるが焦燥の色は見受けられない。


 連合王国自体が国境を接しておらず、分割計画に関しても皇国は軍事力のを最小限に留め、領土割譲を求めないという方針となっている。無論、部族連邦が国防の観点から皇国を深入りさせようと試みているが、皇国に妥協を認めさせる程の材料が部族連邦には乏しい。


「情報部を動かして調査したいところだが、今現在は帝国や神州国の諜報に国内の防諜、挙句に暗殺の一件もある。余力は裂けないだろう」


 商人を利用した情報収集も連合王国では効率が悪い。経済規模と各貴族領の交通網が貧弱である事もあって商業活動を拡大し難い為である。貴族の利権に絡み付いた地元商会の優位性への挑戦に対して費用対効果が見出せないという点もあった。皇国商人の商業活動は低調である。


 トウカとしては放置が妥当と考えているのだろう。


 しかし、クレアとしては情報収集が貧弱な地域への足掛かりに心当たりがあった。


「クローベル辺境伯を引き入れるべきではないでしょうか?」


 盛大な身売りを試みているクローベル辺境伯ミュゼットを皇国が受け入れる事で、クローベル辺境伯領という足掛かりと情報収取拠点を手に入れることができる。無論、 クローベル辺境伯家が有する情報や情報収集手段を皇国が活用できるという点が最も魅力的であった。


 トウカは、そうした視点はなかった、と何度も頷く。


 感心したという様子だが、クレアからするとトウカは貴族を利用する事が不得手である。利用が謀略に傾倒しているという事もあるが、貴族社会の関係性や複雑な構造を前に想定通り利用できないと見て長期的に利用する事を控えている様に見えた。


 だからこそクローベル辺境伯の価値を軍事的、経済的な視点から見ていた。


 飛び地の辺境伯という価値。


 対するクレアは、貴族的政治的価値があると判断する。


「……そうした利用価値もあるか……問題点はどの辺りだと思う?」


 トウカの問い掛けに、クレアも問題点がある事は察して当然だと、対面の応接椅子からトウカの隣の座席へと移動して身を寄せる。


「辺境伯は辺境……国境線の防備という役目を負い、その為にかなりの権力と兵力を有している実力者ではありますが、辺境故に中央との距離が遠いのではないかと。政治は距離の影響を受けますので、中央の情報を有していない、若しくは情報を得るのが遅れている可能性もあります」


 封建的であり分権的でもある連合王国だが、政治中枢が首都にあるのは変わらず、 情報が最も集積し、意思決定の場が他にある訳でもない。そうした意味で中央と距離がある辺境伯という立場は不利である。


 クローベル辺境伯ミュゼットは後継者育成という名の子育てを名目に自領に逼塞している。貴族の中には代官や親族に領地運営を任せ、自身は中央に居を構えるという例も少なくないが、ミュゼットはそうではなかった。連合王国内の情報という面でミュゼットは不利にも見える。


 無論、強力な情報収集手段をクローベル辺境伯家が別で用意している可能性もある。辺境であるが故に他国と国境を接し、中央の意向次第では真っ先に戦場となる以上、無関心では居られない。通常はそうした動きが当然であり、皇国北部の貴族達の様に全方位敵であるとばかりに、ただ軍事力だけを頼みに情勢を切り抜けようとする集団は稀である。


「ですが、ここで大博打を仕掛ける御夫人であらせられます。何一つ情報を持っていないとは考え難いのではないでしょうか?」


 クレアはこの辺りの所見に自信があった。必要とあれば、ミュゼットから情報を絞り上げる事も吝かではない。対価で渋る事も 蝙蝠の如き振る舞いも認める心算はなく、可及的速やかに情報を文章化させるべきだと考えていた。当然、それは皇国側の主観で時間の浪費をミュゼットが選択した場合であり、協力的であるならばクレアもクローベル辺境伯領の保全に協力する事は吝かではなかった。


「道理ではあるな。確かに連合王国方面も一筋縄では行かない。ロマーナの件もある。クローベル辺境伯領を足掛かりにするのも悪くはないか」


「ロマーナですか?」


 思い掛けない国名が出た事に、クレアは思考を切り替える。


 ロマーナ王国。


 大陸南部、連合王国領土南部から突き出たロマーナ半島を領土とする君主制国家であり、温暖な気候と大規模な海流と風の経路である事から自然豊かで農作物や海産物の面でも名を知られている。同時に、ロマーナ半島の 面積自体がそう大きいものではない為、国力は大陸内の国家と比較すると小国と言える規模であった。当然、国力を源泉とする軍事力もまた、それに応じた規模であった。


「クローベル辺境伯領を押さえれば、戦略爆撃騎の航続距離圏内に国土の一部を収められますが……僭越ながらお聞きいたしますが南方航路でしょうか?」


 国家方針に基づいた軍事戦略であるならば、統合憲兵隊総監にも伝えられない内容があるかも知れない為、クレアは踏み込み過ぎたのではないかと考えつつも尋ねる。


 トウカが支配欲から領土を求める様な指導者ではない事は、クレアも良く理解している。領土よりも金銭や資源を重視し、寧ろ統治費用が嵩むならば領土を手放す事も厭わない人物であった。領土面積が増す事を喜ぶ単純な人物ではない。


 大蔵府長官であるセルアノが南方航路の利用による輸出拡大を望んでいるという話もクレアは耳にしている。輸送費を考えれば船舶が鉄道よりも有利であることは明白であり、他大陸だけでなく同じ大陸内の国家であっても船舶による交易がより輸送費を安価に収められる場合がある。


 トウカはクレアを抱き寄せる。クレアは為される儘に身を任せる。


「神州国から見て、あの位置に半島があるのは目障り極まりない。連合国領土への航路迂回を迫られる。翻って我が国から見れば、ロマーナを押さえれば神州国と連合王国領土の航路を脅かす事ができる」


 軍事的な視点であるが、クレアはそれだけではないと胸を高鳴らせる。抱き寄せられた緊張感への言い訳でもあったが。


「分割統治を経て連合王国領土を植民地として得た神州国は、航路保全の必要性に迫られるだろう。海軍力の分散と運用への負担を強いるのは国益に叶う。枢密院も前向きだ。何より守銭奴が好意的なのが良い」


 クレアとしては苦笑するしかない。トウカも苦笑している。


 枢密院全体での合意は意外と少ない。


 決定権はトウカにあり合理性や国益を理由に相応の妥当性を提示して決定するが、 政策決定に於ける最大の脅威である予算を握るのは大蔵府長官のセルアノである。銭の話をされると政治権力者は弱いというのは古今東西変わらない。


 あの小さな妖精を雑巾みたいに絞ってやろうか、とはトウカの言であるが、それに対するセルアノも、破壊と収奪が趣味なら匪賊に転職すればいいのよ、と吐き捨てるという様相を呈している。


 しかし、何故か仲がいい。


 少なくとも枢密院に於ける白熱した議論を見た各府の長官達はそう見ていた。


 互いの提案に国益の観点から理解を示すが、優先順位が異なるからこそ意見が分かれるとは、統合情報部部長カナリスの指摘である。クレアも同様に感じていた。


 軍事と経済のどちらを優先するという単純な問題ではないが、トウカとセルアノでは手段と想定が異なる。


 トウカはより強力で最悪を想定した強力な手段を選択するが、セルアノは安全性が高く、致命的な軋轢の出ない手段を選択する傾向にある。とは言え、それは傾向の話であり、どちらにせよ敵対勢力や他国からすると最終的に不利益を被るので油断できる話ではない。非情にして非常な手段を躊躇しない人物と、合法であれば何であれ許されると考える人物の対話でしかないのだ。


 そうした二人と、皇国の枢機を担う者達が合意するのだ。


 滅多とない事である。そして、他国からすると警戒すべき案件である。


「影響力を行使して皇国寄りの統治権力とする事で、航空艦隊や艦隊の展開に同意させる。干渉する時期は慎重を期す必要があるだろうが」


 トウカの思惑が噛み合えば、神州国による連合王国植民地の統治費用は激増する。 航空艦隊や艦隊の脅威に備えるべく、商用航路を警護する必要性が生じるのだ。商用航路全体の防衛は広大である為に現実ではなく船団護衛という形になるであろうが、 商船が独行艦ではなく船団を形成しなければならないだけでも大きな負担になる。


 無論、そうした状況自体が神州国に譲歩や融和を選択させる理由にも成り得る。


 トウカが神州国に対して何かを要求する場合の手札にもなり、開戦ともなれば航路護衛と艦隊分散で神州国に多大な負担を強いる事もできる。


「天帝陛下の御深謀には臣としても感嘆を禁じ得ませぬ」


「二人の時は言葉に装飾は不要だ。言葉まで着飾った御前を見たい訳ではない」


 憮然とした顔のトウカに、クレアは小鳥の囀りの様な笑声を零す。


 クレアが着飾る事は稀であるが、トウカが軍装を装飾の様に考えている節がある事をクレアは十分に理解してもいた。


 ――先代ヴェルテンベルク伯がその様に仰っていましたし、実際に夜会で軍装に袖を通されたのは、陛下の歓心を買う為だったのでしょう。


 着物を着崩して煙管を燻らせる傾奇者という姿が一般的に知られるマリアベルは、公式の場でも着物を変えても傾奇者の出で立ちそれ自体は変えない人物でもある。衣装の好みが奇抜であるという印象だが、クレアからすると相手を試している節もあったので第一印象からして油断のない人物であった。そうした人物が男の気を引く為に衣裳を変えたのだ。天変地異である。ヴェルテンベルク伯爵家家臣団が来歴の定かではない異邦人を主君の配偶者として迎え入れるのも已む無しと覚悟したのは、この時であったともされている。


 実際、その機会はなかったが。


 クレアは、そうした”戦訓”を十分に反映している心算である。


 だからこそ軍装を好んで纏っている


 実は自ら製作した細身の軍装もあるが、上位者が進んでそうした軍装を纏うと軍内の風潮を過剰なものとしかねないと懸念して、未だに官舎に収納に仕舞い込まれたままであった。リシアなどとは違い、クレアはトウカに合わせる事を躊躇せず、そしてトウカが過度に統制を乱す事を嫌っている事も理解して適度な振る舞いを心掛けていた。


 クレアはトウカの言葉に甘え、装飾の多い言葉を避ける。


「航空艦隊の南方への進出は良いと思います。ですが、連合王国やロマーナの貴族に思う程の外交的譲歩を得られるでしょうか?」


 クレアとしては甚だ疑問である。


 トウカの動きは余りにも早い。


 世の潮流が追い付けぬ程に。


 戦略爆撃で帝国の諸都市が灰燼と帰したのは相違ないが、その威力と被害を実感している他国の有力者は未だ少ないというのがクレアの所感であった。


 把握と理解と実感は異なる。


 トウカは、そこに差異がない、或いは極めて少ない人物である。


 クレアは以前、トウカのそうした姿勢を彼自身の知能や理性、知識に依るものだと考えていたが、最近は元居た世界がそうしたものだったのだろうと理解しつつあった。 自身だけでなく、相手も同等、或いは相当の情報を有している前提が過ぎるのだ。


 ――恐らく情報量と伝播速度が桁違いだったのでしょう。


 得る情報量が多く、そして伝播速度が早ければ状況の把握は誰しもが迅速になる。 無論、判断を過つ悪意ある情報の片鱗に結論を過つ事が無ければという前提が付くが、トウカがそうした環境にあった事をクレアは信じて疑わない。


 だからこそ、封建的な貴族の保守性という建前に守られた緩慢と怠惰を理解し得ない。


 なまじ有能で果断な者が多い北部貴族との交流が多い事が仇となっている部分もあると、クレアは見ていた。


 帝国と皇国政府の圧倒的軍事力と経済力を持つ相手を前に皇国北部地域だけで独立性や独自性を保とうとした面々である。並大抵の力量ではなく、その力量に相応しからざる者と見て一族から隠居を強いられた北部貴族も存在する。皇国北部に向けられる外圧を踏まえれば有力者に無能は許されない。そうした苛烈な面々が文字通り尻尾を丸める人物がトウカである。


「運用は為されないと見られる、と?」


「いえ、どちらかと言えば、航空攻撃の恐ろしさを実感していないので脅威と考えないのではないか、という話なのです」


 実感、実感か、とトウカは得心する。


 話が早いとクレアは称賛をしたいところであったが、もう少しばかり頼られたいと残念にも思う。屈折した感情の名を女心と言うが、そこで文句を言うのはリシアであってクレアの気性ではない。


「良くも悪くも実感する機会が必要と言う事か……確かに実感がないと納得できない事も多い」


 トウカはクレアを抱き寄せ、両手で逃れられない程に抱き締める。


 浅黄色の髪へと顔を埋められたクレアは匂いは大丈夫だろうかと心配になる。軍務中に香りの付く者を身に着けるのは憚られるという事もあるが、任務上、折衝も多く、特定の香りを嫌う種族も多い為、クレアはそうしたものを一切身に付けないようにしていた。当然、出勤前に身綺麗にしていたが、今は夕暮れ時であり、執務が主体とは言え女としては匂いが気になる時間でもあった。


 クレアは努めて気恥ずかしさと困惑を顔に出さぬ様に務めているが、頬に朱が散る自覚もしていた。


「……実感できましたか?」


「ああ、大いに実感したとも。……実体験の機会の重要性を痛感したよ」


 偶に甘えてくるが、一々理由を付けるところが愛らしいと思うクレアは気恥ずかしさも入り混じった感情で尋ねるものの、トウカは和やかに応じるだけである。


「より深い実体験の機会は夜に置いておくとして……他国への効果は限定的か」


 トウカはクレアを放して立ち上がると、壁に貼り付けられた大陸地図の前へと進む。クレアは乱れた軍装を整え、気分を変える為……そして弄ばれた事に抗議を示す為に咳払いをし、立ち上がるとトウカへと近づいた。


「消極的だが神州国を大陸に引き込む事に注力すべきか……」


 連合王国地域での反発やロマーナの警戒を招くだけで、踏み込む余裕もないのであれば無駄に敵意を買う真似をする意味はない。トウカの治世はそれ程に不安定ではなく、攻撃的な政策を大陸南方で行う意義は乏しかった。


 トウカは戦力投射を行う要地に ”進駐”する事に拘りを見せているが、不利益との兼ね合いも忘れない。


「友好を以て事を進められれば宜しいかと。経済支援に条約……軍事力だけが枷や首輪になる訳ではありません」


「大蔵府長官の様な事を言う……それも考慮しなかった訳ではないが……」


 歯切れの悪いトウカを見るに、そうした議論や逡巡があったのだろうと、クレアは察する。


 確かに枢密院から出そうな話である。支出増大や戦力の広域展開を懸念する者は少なくない為、安価で戦力投射をしない提案や方針が出る事も少なくなかった。トウカ自身も軍備拡大に影響が出始めている為、これ以上の戦力投射を避けようと試みている節がある。


 ――それ故の航空艦隊なのでしょうが。


 航続距離圏内をその影響下に置ける航空戦力の有用性をトウカ自身からクレアも聞かされたが、その影響を認めない、或いは気付かない相手には意味を為さない。政治的、経済的な影響力に関しては関係者の認識と理解があって初めて意味を持つ。対する軍事行動では攻撃的運用で認識と理解を直接的に強要できるが、政治や経済に於ける影響を想定した戦力投射程度では限界がある。


 それらは、強力な示威行動(デモンストレーション)で示さねばならない。誰しもが理解できる様に。


 連合王国分割に於ける軍事行動などは打って付けである。


 ――恐らく陛下はそこまで考えておられた。


 しかし、ロマーナ王国が神州国艦隊に脅威を覚え、皇国の航空艦隊展開に同意するとは限らない。逆に神州国への依存や協力を以て安定を図る可能性はあった。ロマーナ王国の輸出入手段として船舶利用の割合が高い事を踏まえると、寧ろ皇国を呼び込む可能性は低い様にも思える。


 指導層が冒険的であれば、逆に皇国を呼び込んで神州国と嚙合わせる事で両国からの利益供与を貪るという選択肢も有り得たが、現在のロマーナ王国は政治的混乱を収拾し終えて経済発展を試み始めた最中にある。不確定要素の多い政策を取るよう真似を可能性は低い。再度の混乱をの余地を認められるとは思えなかった。


 それ故にトウカは首を縦には振らない。


「経済関係の深化は商用航路への依存に繋がる。それは神州国が商用航路の遮断を起こせば途切れかねない。去りとて鉄道路線の延伸は時間を要する上、安全の担保が難しい。となると条約という事になるが、実利のある関係にまで発展させるには時間を要する」


 嘗ての外務府は友好関係に対して只ならぬ拘りを見せていたが、実情としては友好関係の構築ではなく、友好関係の演出でしかなかった。クレアから見ても金銭で信頼を買おうと振舞っているようにしか見えず、非常の時には頼りにならぬ友好関係に過ぎない様に思えた。金銭で友好を買おうとする者は表面的な関係しか得られない。無理なく共に実益を得られる様に関係構築を続けてこその友好関係だが、演出ばかりを気に掛ける者達は共栄の精神を疎かにしていた。


 そうした点もトウカの勘気を買う事になったのだろうが、同時にトウカは外交関係に神経質な部分があった。他国は悉くが仮想敵国だという思想の下で国営をしている為、 当然と言えば当然であるが、クレアとしては偏執的なまでに外交関係構築を先延ばしにする意図を、自身の代では不要だと見ていると考えていた。


 乱世へと至る最中に在る以上、今の友好関係は継続性に乏しい。


 動乱の時代を終えた世代で友好は紡ぎ始めれば良いという割り切り。


 外交関係が最低限まで縮小しているのは、トウカの苛烈なまでの取捨選択の一環であり費用対効果追及の発露である。


 無論、経済発展に伴う輸出入の拡大と、それに裏打ちされた軍事力があれば、友好関係など容易に構築できるという達観が潜んでいる事をクレアは見逃していなかった。


 殴り付けてから優位性を周知させ、関係を強要”する事が友好関係なのかという世間一般の疑問はあるだろうが、国際関係というのは得てしてそうしたものでもある。人間関係程に救いのあるものではない。


「その辺りは既に考えていらしたのですね」


「ああ……考えてはいた。枢密院が騒ぐ前に肯定するにしても否定するにしても詰めておく必要がある」


 小五月蠅い連中への理論武装という物言いであるが、枢密院は其々の分野で特筆すべき力量を持つ人物であるものの、それ故にその分野からの視点で国家を見ている。 意見が分散するのは当然であり、そしてそれを判断するのが天帝である。枢密院議長は議会の進行を担うだけであり、天帝不在の場合は宰相が決定権を持つ。その天帝と宰相の二つの地位の人物が人事不省に陥った場合のみ、枢密院議長に決定権が与えられるがそうした事態はそう発生するものではない。


「一先ずはクローベル辺境伯領を版図に加える。その後は国際情勢を鑑みて……という所か。些か流動的である事は気に入らないが、神州国のお手並み拝見といこうじゃないか」


 トウカは完全に神州国を敵性国家と看做している。


 クレアとしては、帝国という強大な敵国が存在する中で、もう一つの敵国を生じさせ得る動きは避けるべきだと考えているが、トウカの軍事的見識を踏まえると二正面作戦の愚を犯すはずもない。そうした事もあり真意を測りかねていた。


「高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処する……という事ですか?」


「要するに行き当たりばったりという事だな」


 身も蓋もないトウカの言葉に、クレアは苦笑するしかない。


 流動的な情勢であり、結局のところ連合王国方面の諸問題は連合王国分割に於ける神州国陸軍の力量次第で状況が大きく変わる為、計画立案が難しい。


 枢密院や統合参謀本部も、その点は認めており、特に後者は可能な限り戦力投射を避けたいと考えていた。直近でも共和国への増援として投入される予定であるフルンツベルク中将指揮下の傭兵師団の投入を渋っている。


「最悪、全てを投げ捨てて仕切り直せばいい。クローベル辺境伯領も最悪は投げ捨てて構わない。泡銭は失っても懐の痛まぬ出費だ」


 大胆な提案にクレアは、物申すべきだと考えたが、いざ考えてみると反論の言葉があまり思いつかない。


「それは流石に……いえ、元を辿れば神州国に負担を強いるのが主目的ではありますが……」


 連合国方面の諸問題は、元を辿れば神州国の領土的野心に端を発したものであり、 トウカはそれを逆手にとって負担を強いる構えを取ったというのが経緯である。端的に言うならば、ロマーナ王国への干渉も商用航路の圧迫による負担増大を意図した話が発端であった。


 そして、連合王国の奇妙な統治権力に対する諜報活動も、それらに対する副次的な要素でしかない。神州国に負担を掛けるという話あっての必要性である。


 既に部族連邦や南エスタンジアを利用……海軍力増強に手を貸すという体で神州国が利用する商用航路の圧迫の動きを取り始めている皇国としては、指導層が神州国の大陸への領土的野心に無頓着でも無策である訳でもない。


「大陸諸国に対しては既に対応していると示せますし、手を伸ばし過ぎて半端に終わるならば早々に手仕舞いするべきという事ですか……」


「まぁ……この場合、長大な商用航路を脅かすという意味だけでも許容できる。戦力投射自体は半端に終わってもいい。そこに脅威があるかも知れないという遍在性そのものが神州国の負担になる。実際の打撃それ自体が目的ではないのだ……ただ、ロマーナを現状で併合できない以上、悪感情を抱かせるかも知れない強硬姿勢を取るのは得策ではない。神州国との有事で海洋戦力を有する協力国家が減少すると、戦闘海域が小さくなる。それでは神州国の戦力集中を許してしまう」


 トウカの指摘に、クレアは外交という名の国力の削り合いにして、戦争までの前哨戦なのだと認識する。


 ――戦争になる事を想定されている……


 帝国を壊滅状態に追い遣った後、返す刀で神州国との戦争に臨むという当たりだろうとクレアは予想する。


 二正面戦争は愚策である。


 現状、皇国海軍の軍備は神州国海軍に遠く及ばず、期待の航空母艦や潜水艦も初期生産艦の艤装を実施しようとしている辺りである。訓練の為、商船改装空母や試製潜水艦が練兵の為に酷使され、陸上では練習機材を用意して人員の大量育成の目途が立ったが試行錯誤は未だ続いていた。


 陸上戦力と海上戦力を同時に拡充する事への懸念や非難も多い。ロマーナ王国への深入りを現状では避けるというのは、そうした部分への政治的配慮も含まれていた。


 先ずは帝国を打倒すべく、主戦力になる陸上戦力の拡充を最優先するべきではないかという意見は根強く、クレアとしても帝国を打倒できなければ神州国との戦争など皮算用に過ぎなくなる為、現状での海上戦力増強には否定的だった。無論、神州国の商用航路圧迫や友好国への輸出を想定した建造に関しては必要であるとも考えている。


 トウカは帝国打倒に海上戦力も必要であると説いており、確かに帝都空襲という実績がある為、そうした意見には一定の合理性がある。帝国の港湾都市を艦載騎で襲撃して輸出入の機能を麻痺させるというのは、海軍内でも作戦計画として立案されていた。帝国の商用航路は長大であり、何より帝国は相応の海軍を持つが大規模な航空戦力の整備は国情から難しい。海洋航空戦を一方的に展開できる以上、小型の航空母艦を多数就役させ、複数の小艦隊で通商破壊と港湾都市空襲を行うというのは費用対効果の面で優れていた。


「ここで無理をする必要はないし、可能なら無理をさせるのはロマーナ王国自身にさせてもいい。何せ、領土的野心を露わにした海洋国家の艦隊が近海を遊弋する。危機感を覚えて海軍力増強に走るだろう」


「我が国は軍艦の売却先に困らない……ということですね」


 商売上手な話だと、クレアは感心する。


 経済発展を踏まえれば、兵器輸出は大いに為されるべきである。その兵器の運用や整備に関する面でも長期的に利益を得られる上、他国の兵器大系を自国のものと共通化する事で協力や制限を加える事もできた。


 しかし、トウカとしては不満な様子である。


「セルアノが我が国の旧式艦を売り付けろと五月蠅い。耐用年数を過ぎれば新造の要求が出るのだから、旧式化しつつある艦艇は早々に売り付けて新造した方が全体的に見て予算が浮くそうだ。造船所の稼働率も維持できる上、造船設備の増強や更新も進められる。何より、異なる型の艦艇が多いのは整備費用が嵩む。そうした言い分は分からぬでもないが……正直なところ、有事下で消耗の激しい駆逐艦や海防艦でそれをされたくはないのだが」


 セルアノの入れ知恵だと早々に口にする辺り、信用はしているが信頼はしていないと、 クレアは苦笑を隠さない。仲が良いのか悪いのか。二人の関係は後世の歴史家も悩むところだろうと予想できる。


「まぁ、兵器商売は守銭奴の妖精に任せる。彼女が君の様に清楚華憐で心根の優しい妖精と種族系統上、近しいというのは信じ難い事だが、ロマーナ王国の面々もまたそれを思い知る事になるだろう」トウカとしては心底とそう思うのだろう。


 しかし、クレアとしては職務に対する厳しさという点では同様なので、セルアノも個人的な関係を持てば意外とトウカとも私的な部分で気が合うのではないかとクレアは考えていた。職責に対して誠実である事で生じる厳しさが悪しき風評を形成する事は多々ある。何よりセルアノはマリアベルの親友でもある。類は友を呼ぶ。


「そして、陛下が徳を以て仲裁為さるのですね?」


「……見かねて口を挟む事はあるかも知れんな」


 できれば関わりたくないが、度が過ぎて御破算になるなら口を出すというトウカに、クレアは、仕方のないヒトですね、と苦笑するしかない。


 ――恐らく、 蔵府長官との合意があるのでしょう。


 飴と鞭である。


 トウカが飴でセルアノが鞭という立場を取る事で、天帝の権威を高めつつも国家元首同士の遣り取りで外交を性急に纏めてしまおうという魂胆。トウカとしては自身の急進的な印象を軽減する政策でもあり、セルアノからすると自身の強欲を仲裁する体でトウカを引っ張り出す事で国家元首同士の会談に持ち込もうという算段である。


 皇国の国家元首であるトウカが前面に出る以上、格と面子から相手国も国家元首が出ねばならない。国力と軍事力の差を踏まえれば、当たり障りなく済ませる為にトウカが前面に出ればロマーナ王国側も国家元首が出ざるを得なくなる。


 セルアノは大蔵府官僚としての視点だけでなく商人の視点を持っている。搾り取るだけではなく母数を増やす事にも熱心であり、国家元首であるトウカを引っ張り出して輸出入に関する協定なども纏めて結んでしまおうと謀を巡らせているのは明白であった。


 恐らく、大蔵府官僚としての視点しかセルアノが持ち得なかったならば、今の大蔵府長官という立場は与えられていなかった。


 それは、マリアベルの下でヴェルテンベルク領の財務全般を取り仕切る立場を任されていた事も同様である。


 クレアは、そうした部分に言及しない。


 恐らくはセルアノの提案であり、あまり話題にするとトウカが拗ねてしまうとの判断でもあった。トウカはそうした感情を二人だけの際は顔に出すようになり、クレアとしても大変に微笑ましい事であった。


 勿論、ザムエルの前では更に表情が豊かである為、クレアとしてはまだまだ理解と親愛が足りてないと寵愛への決意を新たにする。


 同性と異性で対応が異なるのは当然であり、性質の異なる関係にそうした感情を持ち出すのは筋違いであるが、クレアも生い立ちからそうした部分に疎かった。


「良き関係かと思います。少し焼いてしまいますが」


 連携というには無軌道で、協力というには野蛮。


 トウカとセルアノの不可思議な関係を、クレアは心底とそう思った。





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