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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第一章    戦乱の大地    《紫電清霜》
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第三五話    再遭遇




「御館様、二一時、距離四〇」


 地に膝を付き待機していたベルセリカの横に伏せ、トウカは双眼鏡を覗き込む。


 トウカが使用している双眼鏡は、マリアベルと共にやってきた戦車兵から借り受けたもので、トウカの良く知る軍用双眼鏡に劣らぬ性能を持っていた。


 双眼鏡とは、二つの鏡胴(対物レンズと接眼レンズ)を平行に並べ遠方の対象を両眼で拡大して見る光学器械であるが、トウカの手中で敵を見据える役目を担っている双眼鏡は全く異なる機構を有していた。円形鏡胴(レンズ)状の無色透明な高純度魔導結晶の隅を、魔導陣が一定の周期で巡っており、使用者の目線を感知して対象との距離を右下に表示する。大日連軍用電子双眼鏡に匹敵する精度と機構を備えた皇国軍正式採用の軍用双眼鏡は、使う度に科学と魔導の混在したこの世界の在り様を嫌でも感じさせた。


 隊伍を組んだ傭兵の姿は先程から幾人も散見できたが、ベルセリカが注意を促す以上、これまでと異なった状況であることは察することができる。


「あれは……砲兵段列か」


 トウカは、腹の底から響く様な咆哮を奏でる短砲身の野砲を目にして忌々しげに毒づく。


 砲身長や車輪、馬匹を見るに、騎兵砲などの軽砲であることは理解できたが、その数には不信感を抱かざるを得ない。


 騎兵砲の数は一八門。


 高々、数百人の傭兵団がそれ程の火砲を有しているというのは余りにも不自然。何処かの領邦軍や正規軍が物資を横流し、或いは支援しているとしか思えない規模である。


「無視するわけにもいかぬで御座ろう。御屋形様、御命令を」腰に佩く刀の柄へと手を伸ばしたベルセリカ。


 小規模ながら対軍魔術までをも行使できるベルセリカならば、奇襲同然の状況を踏まえると、確実に騎兵砲を砲兵諸共破壊できるだけの戦闘能力を有しており、トウカの命令一つで壊滅させることは不可能ではない。


 天狐達の魔導資質は特筆すべきものがあるが、対砲防御の為に展開している魔導障壁は堅固なものである代償として多くの魔力を必要とする。皇国は魔導国家と自負するだけあって小都市にまでも魔導炉を設置しており、大型魔獣や匪賊の襲来の際に防御術式や防御障壁、魔導砲の動力源となることで軍事面に於いての長期持久を可能としていた。だが、北部は主要都市などには設置されているものの、小都市……ましてや隠れ里などは当然ながら例外であるはずである。


 現在、里を護る魔導障壁を展開しているのは天孤達に他ならない。


 砲弾の続く限り砲撃を続けるであろう騎兵砲一八門相手に魔導障壁を展開し続ければ魔力の消耗は加速度的に増大する。魔導障壁という防護術式は常に一定の魔力を消費するわけではなく、直撃した攻撃の威力に反発する様に魔力消費を増大させて対応する。攻撃を受ければそれに応じて維持とは別に魔力を消費する一面があった。ましてや個人用魔導障壁でなく、戦線の天狐達の頭上から護る広域型魔導障壁の展開は、軍でも魔導車輛に搭載された魔導炉を使用することによって可能となるだけあり膨大な魔力を消費する。


 長期持久とならざるを得えない拠点防御での魔力枯渇は敗北に繋がる。


 ――問題は、傭兵共の騎兵砲の弾火薬の備蓄だな。


 弾火薬の備蓄状況次第で、砲兵戦力の継戦能力は変化する。僅少であれば、魔導障壁の維持は可能であるが、潤沢であれば貫徹を許す状況が生じかねない。本来であれば、ここで砲兵として行動している傭兵を幾人か秘密裏に捕獲して尋問をするのが上策である。しかし、三人でそれを行うのは厳しく、存在が露呈しては傭兵団による追撃の恐れがあった。


 無論、路銀を稼ぐ為に匪賊と干戈を交えた経験を踏まえ、トウカは潤沢な装備と確固たる作戦目標を有しているとの前提に動いていた。少々の被害に撤退するなどとは考えていない。


「シラヌイ殿の策は初戦から頓挫したと見える。全てを護ろうとするからだ。建造物や自然への被害など無視すればよかったものを。どうしても人命で対価を支払いたいようだ」


「そう嬉しそうに言ってやるでない。斯様に見えても、里を護ろうと必死なのだ」


 トウカの毒舌をマリアベルが嗜める。


 対するベルセリカは周囲を警戒した状態で無言を貫いていた。


 軍事に明るいベルセリカは、シラヌイの防御中心の戦術が最善ではないことを理解しているだろうが無言を貫いている。魔導障壁の展開による防御よりも、砲撃魔術による騎兵砲の漸減に力を入れるほうが最終的な被害は減少する。魔力が枯渇した瞬間、騎兵突撃を受ければ天狐達は大被害を免れない。長距離戦の優位性を今この機会に最大限生かして、敵の長距離攻撃の手段を潰しておかねば最終的な死傷者の数は増大するだろう。


 咄嗟の砲撃に保守的な対応をしたシラヌイに非はない。軍事に於ける素人であり、戦を生業としたものではないのだから。


 叶う限り早い段階で騎兵砲を潰さねばならない。初期目的は偵察であったが、騎兵砲を攻撃できる位置にありながら見逃すわけにもいかない。ベルセリカならば単騎で突入すれば容易く撃破できるだろう。


 だが、ベルセリカを戦車と共に中盤戦で投入し、敵戦力を一挙に漸減させようというシラヌイの目論見に反する。トウカもその戦術に関しての異論はない。


 ベルセリカの存在が、現時点で敵に露呈することは避けねばならならなかった。


「魔術の使用は控えてください。小銃擲弾を使用して騎兵砲付近の弾薬を狙います。騎兵砲の砲撃の瞬間に合わせて射撃を行えば、まぁ、気取られることもないでしょう」


 トウカは腰の軍用雑嚢(ポーチ)から小銃擲弾を取出して銃口に装着すると、棹桿を引いて小銃内部の撃針を引き弾丸を薬室に送り込む。


 敵の内情を知る為の偵察であったが、このままでは騎兵砲の火力の前に天孤達の魔力が枯渇しかねない。そうなっては敗北も同然である。


 そして、トウカは戦争神経症(シェルショック)で天狐の中に戦えなくなる者が増えることを恐れた。第一次世界大戦に於いて兵士の精神疲労(ストレス)反応を研究した軍医が、爆音を伴う塹壕に対する砲撃によってこのような障害が生じた兵士を見て名付けられたそれは、圧倒的な砲声によって起きる精神的重圧に耐えきれない兵士の病気である。


 例え、砲弾は遠弾であっても、砲声は精神を直撃し得る。


 銃床を地面へ押し付け、仰角を付けて大まかな目測を付ける。


 雪の地面から伝わる寒気と足元から忍び寄る恐怖。吐く息が白く凍りつき、薄く立ち昇る。


 三人程度の吐息で場所が露呈する可能性は低い。特に隣のベルセリカに関しては呼吸の音すら聞こえない。剣聖ともなれば長時間、息を止めることも容易いのだ。


 砲撃音が響く瞬間を待つ。


 小銃擲弾用の照星と照門を覗き込み、騎兵砲の背後に積まれた装薬へと銃口を向ける。


 装薬とは砲弾を所定の砲口速度で発射する為の発射薬や点火薬等と、これを収納する容器を併せた名称で、つまるところは火薬の塊と言えた。軍では鋼鉄製の弾薬箱などに入れられているが、傭兵達は機能性を重視しているのか、直に地面に積み上げている。発射感覚を短縮するには効率的と言えるが、不用心であることも確か。


 ――まだか……各個撃ち方から、一斉撃ち方に変更するのは。


 本格的な砲撃が始まれば、その後はそれを支援として騎兵を中心としての突撃が行われる。砲数が多いので扱う兵も多い。突撃を行う兵力数は実質三〇〇名程度なので、六〇〇名近い戦士を防御に当てている天狐達には敵わないだろうが大被害は避けられない。


 ミユキの悲観に暮れる姿がトウカの恐怖を吹き払う。目的があるからこそ人は戦場という煉獄を戦い往くことができるのだ。無論、覚悟があったとしてもどうにもならないこともあり、現在のトウカが置かれている状況は正にそれであった。


 ――他の狐の死をミユキに見せる訳にはいかない。


 幾つもの考えが浮かび上がるが、根本的な解決は有り得ないという答えに行き着く。既に戦闘が始まり、今この瞬間にも天狐達が、雪の大地に屍を晒しているかも知れない。そして、傭兵という要因はあまりにも強大すぎて、トウカ個人では如何ともし難いという事実。


 苛立ちと焦燥。どの様に動いたとしても避け得ない現実。


 ――今にして思えば、ミユキに迫る悲劇を俺が振り払えたことなど一度としてない。


 奥歯を噛み締める。が、戦場はトウカに思考する時間を与えない。


 凄まじい破裂音の如き砲声。一八門の騎兵砲による一斉射撃。


 緩んでいた戦意を漲らせ、トウカは引き金を引く。砲声に掻き消され、銃声は響かない。


 小さな飛翔体となった小銃擲弾が、放物線を描いて砲兵段列の中央へと落下する。


 そして、閃光と轟音が周囲に撒き散らされる。


 視界が暴力的な光量に、聴覚が圧倒的な音量の前に使い物にならなくなる。戦闘帽の上からの感触は、ベルセリカが破片から護ろうと雪の大地へと押し付けたからだろう、と頬に冷たい雪の感触に感じながら推察しつつも、もう少し優しくして欲しいものだと見当違いな感想を抱く。


 装薬に引火、誘爆したのだろう。


 不用心に大地に野晒しにしていた代償を匪賊達は支払うこととなった。申し訳程度の破片効果しか持たない小銃擲弾では、良くて二、三人殺傷させる辺りが関の山であるが、集積された火薬の塊である装薬に直撃乃至至近弾を与えたのであれば話は別である。


 狙ってはいたが初弾で直撃弾を得られると考えていなかったので、トウカは擲弾用照準器を折り畳む事すら忘れて呆然としていた。


 砲身が爆風で舞い上がる。そして、重力によって雪原に吸い寄せられて地面へと刺さり、大地は原型すら留めることを許されなかった無数の匪賊の屍と血、臓物で舗装された。


 恋い焦がれた光景である。自らの目的の為に敵の死を望み、体制がそれを許容する事が明白である以上、容赦する必要性はない。


殺せばいいのだ。那由他の限り。


 正視に耐えない光景だが、不思議と嫌悪感は抱かなかった。余りにも非現実的な光景であるという以上に、それらがミユキに害を及ぼさないモノへと堕ちたことに安堵する。


「撤収します。……まさか一発目で当たるとは」


 下らない状況で運を使ってしまうとは、とトウカは頬を引き攣らせる。


 長時間この場にいる危険性はそれ程に高くない。匪賊達が正面の天狐達との激しい交戦に目を奪われており、側面は大軍の移動が困難であろう密林であることも相まって警戒している様子は見受けられなかった。騎兵砲の砲撃に合わせての小銃擲弾による攻撃のみであれば気取られることはないという判断は正しかったのだ。天孤達からの攻撃だと誤解することは間違いない。小口径の迫撃砲だと判断するだろう。


「のぅ、トウカよ。御主は、何故に戦う?」


「……何を今更。ミユキの為ですよ」


 今更の発言に、トウカは憮然として答える。


 今この時点でトウカが刃を振るう理由などそれ以外には存在し得ない。ベルセリカの目的も大元の理由はミユキに帰属する以上、その答えは違えてはいない。


「ならば、御主は――」「御館様ッ!」


 ベルセリカが、小さくも危機感を募らせた鋭い声で二人の間に割り込む。


 トウカが風を感じたかと思えば、次の瞬間には眼前で火花が散った。遅ればせながら銃声に気付いたトウカは、ベルセリカが大太刀で銃弾を叩き落としたのだと理解する。


 トウカとマリアベルは、小銃の棹桿(コッキングレバー)を引きつつも木陰に身を隠す。対するベルセリカは、抜き身の大太刀に術式を展開して仁王立ちすることで敵の注意を引き付ける。


 トウカに対して黙って頷くベルセリカ。


 対軍魔術などの目立つ戦闘魔術は控えなければならない。ベルセリカの本来の戦闘能力が相手に知られてしまうとシラヌイの策が破綻しかねないこともあるが、トウカ個人としても存在を表沙汰にしたくはなかった。表沙汰になるとしても、不用意に噂を撒き散らすであろう匪賊は確実に殲滅せねばならなかった。知る者は叶う限り少数であることが好ましい。天狐は外界から遮断されており、ベルセリカの存在が漏れる可能性はなく、マリアベルも不用意に口には出さないだろう。


「くっ、面倒な! 二人は下がっておられよ。此処は某が!」


 銃剣を翳し突撃を敢行する匪賊を長大な大太刀で文字通り薙ぎ払う。強固な魔導障壁を展開する長命種に対して、対魔導術式の刻印が成された銃剣――刃での突撃が最も効果を与えられる可能性があるとは言え、技量に於いても経験に於いても魔力量に於いても隔絶しているベルセリカが相手では分が悪い。


 両断され臓物を撒き散らしながら宙を舞う匪賊を避け、ベルセリカは大太刀に付着した血糊を風圧で払い落とす。


 その圧倒的な光景に一個分隊ほどの匪賊の動きが止まる。


 木々の陰に隠れた匪賊達からの散発的な小銃射撃。


 響く銃声に合わせてベルセリカが片手で大太刀を振るった。卓越した膂力があるからこその芸当に匪賊達も近接戦闘の不利を悟った。無論、有り得ない程の奇蹟を掴もうとするならば、長命種の魔導障壁を貫徹する為の対魔導処理の施された刀剣類でもない限り手傷を負わすことはできない。


 トウカは周囲へと目を配るが、他の匪賊達の姿は里へと続く道での戦闘に終始しており、眼前にいる匪賊以外には附近に潜伏している気配はない。気付かれたとしても余りにも早すぎる対応であり、或いは予め両翼に哨戒部隊を配置して警戒を怠っていなかったのかも知れないとトウカは思わず舌打ちする。


 優秀である。間違いなく軍役経験者が指揮を執っている。ベルセリカの感覚を恃んで大胆な浸透を行ったことが仇となった。


 ベルセリカも警戒してはいたが、砲煙と血の匂いに加えて砲声と銃声、蛮声までもが轟く戦野に於いては天狼の聴覚と嗅覚とて十全ではないのかも知れないと思い当たる。


 棹桿を引き、銃内部の撃鉄を起こし銃弾を薬室に送り込む。排莢口から飛び出した空薬莢には目もくれず、トウカはベルセリカから遠い位置で射撃を行おうとしていた一人の匪賊に狙いを付ける。


 銃声が響き、匪賊達は咄嗟に身を隠す。


 ベルセリカは驚いた面持ちであったが、その意味を察して直ぐに撤退に移ろうとするものの、匪賊も素人ではない。


 トウカは、銃剣突撃を敢行しようとしていた匪賊を小銃で撃ち斃す。


 薬室から弾き出された空薬莢が雪の大地へと落ち、その熱で雪を溶かしながら沈んでゆくのを余所に、トウカは槓桿を引いて次発装填をしながら木影に隠れる。


 幸いなことに乱立する木々が視界を遮り、見通しが悪いので追撃を振り切ることは容易い。


 ベルセリカも警戒を怠ってはいない。


 剣聖と呼ばれるだけあり、その魔導障壁は重砲すらも有効打と成り得ないが、トウカやマリアベルは小銃弾であっても命中箇所によっては致命傷になり得る。マリアベルが一般的な長命種とは違い大きく能力が劣っている……人間種と然して変わらないことは既に聞いており、トウカは少なくとも攻撃がマリアベルへと向かわないように敵の意識を引き付けねばならない。


 短機関銃(マシーネンピストーレ)軽機関銃(マシーネンゲヴェーア)不在の戦場であることが幸いし、匪賊の制圧力は低い。遊底動作(ボルトアクション)式小銃の速射性では、移動目標への命中も困難である。


 木陰から様子を窺おうとした匪賊に向かって、トウカは再び引き金を引く。


 散発的な射撃で牽制を加えつつ、三人は後退を重ねる。


 その時、木々の影から小さな影が飛び出す。


 地を這うような踏み込みは、相手方の視界に映ることを最小限に留める為のものである。当時に、下段に対しての攻撃が難易度も高いことも相まって、武道に通じるものであれば先制攻撃の手段として用いることが多い。無論、難易度の高い業であり、眼前に現れた影は驚くほどに小さく練達の戦士であることを窺わせた。


「――ッ!」


 応戦というには、些か反射的な動作でトウカは小銃の銃床(ストック)で迫る影を殴打する。銃火器といっても、小銃の重量を踏まえれば紛れもなく鈍器に他ならない。


 だが、影が振るう長大な剣が銃床を弾いて軌道を逸らす。間髪入れずに足払いを掛けるものの、不利な体勢もあって影の足を払う程の威力はない。


 思わず転がる様に後退しながら、小銃を負い革(スイングベルト)を利用して背中に回すと、腰の軍刀を抜き放って目線に合わせ水平に正面に構える。


 影もトウカに合わせて下がると大剣を正眼に構えた。


 激しい機動を止め、睨み合う両者。


 その姿、その顔にトウカは言葉を失った。


「貴様……あの時の」


 軍刀の柄を握り締める両手に力が入り、口元が吊り上る感覚をトウカは感じずにはいられなかった。


 その顔に見覚えがあった。


 色褪せた枯れ草色をした長髪の女性。女性にも関わらず荒れくれ者の傭兵達の指揮をしている為か、相応の戦技を持ち合わせたその佇まいは、トウカが初めて目撃した際と全く変わりのないもの。


 あの日、異邦人と仔狐が邂逅を果たした寒村で、暴虐のままに振る舞った傭兵の指揮官。


 トウカは例え殺人という行為であっても無条件に悪と断じる気はない。一人を殺して百人が救われるならば、後者を選ばねばならない立場にある者も往々として存在し、究極的には為政者や軍人、官僚などの責務は殺めるべき命と救うべき命の選別である。そして、それらの立場に在らずとも、それらを選ばざるを得ない状況があり、望む望まざるに関わらず人という生物は外道に甘んじねばならない時がある。


 ――やはり、匪賊ではなく、傭兵なのか。


 装備が充実している訳である。食い詰めた匪賊ではなく、戦闘をする為の集団なのだ。つまり、契約者……誰かの意図によって攻め寄せてきていることになる。傭兵を雇う程の財力を持ち、北部を踏み荒らすことに価値を見いだす集団。


 無論、例え眼前の女傭兵にどれ程の大義があろうともトウカはそれを許容できない。


 ミユキの心を傷つけた時点で相手が正義を僭称しようとも、悪と開き直ろうともトウカの価値観はそれの生存を断じて認めない。


「――――――ッ!」


 言葉としての成立しない喚声と共に、トウカは刃を振り翳し吶喊する。


 本能が赴くままに任せた行動であるが、長年鍛えた戦技は体に染みついており太刀筋に曇りはない。大剣で烈風の如き連撃を受ける女傭兵は、額に汗を滲ませながらも後退を重ねつつ、トウカの刃を()なし続けていた。


 裂帛の意志と形容するには荒々しく、制御すらされていない戦意。


 撒き散らされた殺意に、その場に居る者全てが足元から這い上がるような恐怖を感じずにはいられない。


 トウカにとってミユキこそが世界の中心であり、周囲の人間はミユキが主人公を務める物語を構成する要素に過ぎない。


 それを傷つけんと、今まさに再び傷つけんと姿を現した女傭兵を見逃す心算などトウカにはなかった。必ずや排除せねばならない脅威として認識された女傭兵だが、生粋の傭兵と言っても良い程に長きに渡って傭兵稼業を生業としていた故に、取り乱す事もなく判断も一瞬である。


 傭兵は利益の為に戦う。


 無論、利益とは言葉にしても一言に過ぎないが、人それぞれの価値観に左右されるものとも言えた。そして、傭兵という心が荒み退廃する稼業でありながら、極めて一般人と価値観が近い女傭兵が下した決断は至極当然のものであった。


「野郎共、引くよ!」


 利益と損失を天秤に掛けて釣り合わないと判断した女傭兵。


 トウカの戦意に圧倒されたという理由もあるが、それ以上にベルセリカの存在が抑止力となっていた。分隊規模の傭兵と共に戦ったとしても勝てる見込みすらない存在が後ろに控えている敵を相手にしては利益などない。逆にトウカを斬ったとしても、ベルセリカを激怒させかねないという判断でもあった。


「テメェ、逃がすと思ってんのかァ!!」


 普通ならば傭兵の撤退に合わせて引くべきところであったが、トウカにその心算はなかった。ミユキに迫る脅威を今までに至るまで、一度として自らの力で退けたことがないという事実が、トウカの意思を強硬なものとしていたのだ。


 しかし、トウカの連撃は後方の傭兵から放たれた火球によって遮られる。傭兵の中にはファウストを扱う者もいるということに遅まきながらに気付いてトウカは歯噛みする。その意味するところが、撤退前の牽制であることは明白であった。


 思わず大外套を翻して火球を振り払うトウカを尻目に、女傭兵と半数までに数を減らした傭兵達は後退を始める。


「糞がッ!! 逃がすか!」


 深追いは危険であると理解はしていたが納得はできない。尚も追撃しようと歩を進めんと脚を伸ばしたトウカ。


 だが、肩を強く掴まれ、トウカは後ろへと引っ張られた。


 後ろを睨み据えると、厳しい顔をしたベルセリカは諦めたような表情で首を横に振る。


 異邦人と剣聖の視線が交差する。


 敵の気配は既に消えつつあり、追撃は遅きに失した。


 遣る瀬無い心中のトウカは、荒んだ目でベルセリカを見据えていた。


 トウカもベルセリカの言い分を理解してはいたが、到底納得できるものではなかった。赤の他人が再び現世で見えることなど、無数に瞬く星の輝きと再びの邂逅を果たす可能性と然して変わらないほどに低い。雪辱を果たせる唯一にして最後の機会であったかもしれないのだ。


「何様の心算だ、雌狼。犯すぞ」


 自らよりも長身のベルセリカの襟首を掴んで引き寄せる。


 マリアベルはその光景を沈黙のままに見守っているが、決して割って入る真似はしない。トウカが何故それ程までに一人の傭兵に固執するか分からない状況で仲裁に入っても止められはしないという判断であったが、それ以上に引き止める役目を自身が担えるとは思えないからでもあった。


 ベルセリカは剣聖と呼ばれるだけあって、その魔導障壁は重砲すらも有効打と成り得ないが、トウカやマリアベルは小銃弾であっても命中箇所によっては致命傷になり得る。


 トウカは舌打ちを一つ。


 マリアベルも一般的な長命種とは違い大きく能力が劣っている……人間種と然して変わらないことは既に聞いており、トウカは少なくとも敵の目がマリアベルへと向かわないように敵の意識を引き付けねばならない。己の意志が貫徹できないことを悟ると、素早く新たな状況に対処する為に思考を巡らせることができる点は紛れもなくトウカの美点であった。


 ベルセリカを後ろへ突き飛ばし、後退しつつある傭兵に向かってトウカは小銃の引き金を引く。


 散発的な射撃で牽制を加えつつ、三人は後退を重ねる。


「御館様、申し訳ない」


 傭兵分隊から逃れたベルセリカは片膝を突き頭を垂れる。


 不用意に傭兵の接近を許したことは痛恨の失態だと感じているベルセリカからすれば、この場で腹を掻っ捌かねば面目が立たないほど。トウカは然して気にはしていない……とは言えないが、当人の武人の矜持に傷が付いたことに変わりはなく、ベルセリカ自身が己を許せないでいた。


 ベルセリカが本来の調子であれば気付けた敵であったが、今回は新兵のように砲兵の存在に気を取られていた。長きに渡って隠居同然の生活をしていたベルセリカにとって、後装式砲墳火器は珍しく、そちらへと気を削がれていたのだ。


 そう説明されたとしても、理解はできても納得はできないトウカだが、敢えて口にする真似はしない。


「構わない……とは言いません」


 どの様に慰めたところでベルセリカが納得するとは思えないトウカは、内心を在りのままに吐露する。安易な優しさは武士(もののふ)を刃よりも尚、深く傷つける凶器とも成り得ることをトウカは十分に理解していた。


 しかし、ベルセリカは冷静を欠く行動を取ったトウカの行動を見逃すことはしない。


 自身の失態と、主君の軽挙は別問題である。


「なれど、止めた理由が分からぬ御館様ではなかろう」


 ベルセリカの困惑の入り混じった言葉は正しい。


 追撃は戦術的に正しい判断ではなく、トウカもまた冷静ではなかった。ベルセリカもトウカがそれほどに取り乱す理由を知ってはいなかったが、ミユキが何処かしらに関わっていることだけは理解していた。


(それがし)を慰み者にして気が晴れるなら其れも良かろう……。なれど、この場は収めて戴く」静かな、それでいて凛冽な声音。


 襟を掴んでいた右手は、両手で包み込む様に優しくも力強く引き寄せられて力を失う。振り解くことができる程度の力で優しく握られた手。だが、トウカにはどうしても振り解くことができなかった。


 女性にそれほどまでの言葉を口にさせて尚、トウカは背を向けることはできなかった。それは士道以前に、男としての矜持すら曲げかねない行為であったからでもあるが、ベルセリカという女性に抗い難い魅力を感じたからでもあった。強く自らを導いてくれる要素を持つ女性にトウカが憧れているという一面も少なからず影響している。


 それほどに優しげでいて、力強い瞳のベルセリカは魅力的であった。


 放つ言葉は苛烈で、応じるその手は限りなく優しい。


 一見すると相反する二つであるが、それらの感情を同時に扱って尚、矛盾を感じさせない。それが永き時を生きてきた賜物であるか、剣聖としての生き様がそれを可能とさせたのかトウカには分からなかったが、その気遣いは有り難いと感じた。


 もし、苛烈に引き止められれば、反発しただろう。

 もし、優しく引き止められれば、振り払っただろう。


 そのどちらをも示して見せたからこそ、トウカは冷静になることができた。


「貴女は卑怯だ、ベルセリカ」


 情けないという想、がトウカの心を覆う。


 この心情すらもベルセリカが謀ったものであるとトウカは確信していたが、それでも尚、納得できてしまう。ベルセリカという女性の強さと深謀を垣間見たトウカは、それに抗う術を持たなかった。それほどまでの配慮をさせてしまった以上、トウカにこの場で身を翻すという選択肢はなかった。


 そして更なる刃がトウカへと突き刺さる。


「御館様が求められるならば某は拒まぬよ。いつ何時でも臥所へとこられるが良いさ。……ミユキに対する弁解に自信があるのならば、で御座るが」


 どことなく嬉しげな雰囲気を漂わせた剣聖の言葉。


 本気とも冗談とも取れぬ声音にトウカは判断が付かず、黙って帰途へと就いた。





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