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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》
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第三七八話    恋する乙女の棍棒




「という事です」


 皇州同盟軍の漆黒の軍装に銀の憲兵徽章、片眼鏡(モノクル)に曲剣を佩いた立ち姿も凛々しくアリカは委細抜きにして、問題なし、と告げる。


「御苦労」


 不良従軍神官として毀誉褒貶のあるラムケが巌の如き体躯を翻して労う姿は、通常であれば女性を甚振っている様にも見えるはずであるが、アリカも負けず劣らずの身長である為、そうした雰囲気は然して感じられない。


 バルトシュタイン侯爵領の北に位置するクロイツベックに位置するクロイツベック駐屯地の片隅での二人の遣り取りは近隣が森林地帯である事も相まって目にしている者はもう一人しかいない。


「協力します。なんか諸々解決したら報道していいらしいので!」


 以前とは打って変わって満面の笑みを浮かべたクレメンティナに、ラムケが少しの動揺を見せる。現金過ぎる……満面の笑みの恥知らずに贈る言葉がないのか、女の変わり身の早さを恐れたのか。アリカとしては、ラムケの相手をする負担が減るのならば些事であった。


 ラムケはクレメンティナの扱いに困り、アリカは順当に行けば怪しいので統合情報部に引き渡して、その後は念の為に拷問にかけた後に処分されるのでは?と無情な現実八割増しの情報を与えて同情させた。そこで救済策として、軍属として現地雇用してはどうか?と吹き込み現在に至る。皇州同盟軍では軍規上、現地雇用は認められているが、今回の場合は些か後で問題になる点もある。しかし、正規の任務とは言い難い現状、そうした部分は非公式に処理されるだろうとアリカは見越していた。


 ――今の情報部なら無謀無法も押し通しかねない。


 未だ少女と女性の間で判断を躊躇うかの様な容姿のクレメンティナは、どちらもの魅力を持っている。悪く言えば中途半端であるが、世の男性の大部分がそうした者を好むとアリカは信じて疑わない。無論、自分の高身長からくる被害妄想ではなく、生物学的に見て若い雌と子孫を残す方が確実性が高く、危険性が少ないという点からの判断である。それが性欲という形で顕在化しているに過ぎないとの達観。


 ヒトは生物という頸木からは逃れられない。


 同情を誘いやすい容姿。


 憲兵は、必要とあればそこに付け込む職業である。


「許可が下り次第、ですよ。無許可で馬鹿をするなら、貧民街の男共の玩具になる覚悟はしてください」


 容赦なく釘を刺すアリカは、クレメンティナの活力(バイタリティ)に溢れた姿にうんざりとしていた。


 新聞記者が恥知らずだとはアリカも思うが、クレメンティナの場合、眼前の利益に飛び付いている様にしか見えない。野良犬の類でしかなく、国家の犬とも言われる憲兵の立場からすると、そうした生き物と同種だと言われるのは願い下げであった。


「だ、大丈夫です。そこはちゃんと従いますよ。お給金出るんで!」


 従う基準が金銭なところが、もう本当に言葉もないが、アリカとしてはクレメンティナがそうした人物である方が、いざ切り捨てる段階になった際に良心が咎めないので助かるところであった。


 去りとて、アリカは非道な摘発をする事でヴェルテンベルク領邦軍時代の領都憲兵隊では有名だった。


 最たる例は、犯罪組織の一員である女性を貧民街の男性達にはした金で売り付け、 男性がその女性を散々に利用した後、人買いに売り付けるところから追跡し、人買いを生業とする商人の足取りを掴むというものであった。人身売買は固く戒められていることもあって、ヒトを商品とする商人は簡単に隙を見せないが、売買現場からの追跡であれば足取りを追い、証拠を見つけることは容易であった。売り付ける女性が特定の土地で多ければ多い程に、人買いはそこへ現れる公算が高くなる。ならばそうした土地を貧民街の一角に作り出せばいい。


 無論、証拠現場に踏み込んだ際、はした金で売り付けた女性は”誤射”する。証拠隠滅である。


 しかし、そうした強引な摘発などの結果を以てしても、クレアとの昇進争いで後塵を拝する事になった。クレアは純粋に、その卓越した頭脳からなる調査で尋常ならざる摘発を繰り返していた為である。最終的にクレ アは領都憲兵隊長となり、アリカは未だに中尉の座に留まっている。妹であるはずのアヤヒにも階級を抜かれ、彼女は現在、クレアの副官となっていた。


 だが、意外な事であるが、 アリカはあまり気にしていなかった。


 軍人家系の親類縁者からも罵倒されたが、そういう意見は当官よりも活躍してから申し上げてはどうか?と応じる程度には気にしていない。


 無論、犯罪組織の壊滅に特段の功ありとマリアベルに可愛がられていた為である。 成果報酬は相当なものであり、軍人という職業を辞して起業を試みる事ができる程度には金銭的余裕があった。


 しかし、昇格はしなかった。


 アリカとしては残念に思ったが、風当たりを思えば致し方のない事だとも理解していた。


 だが、マリアベルの意図はそこになかった。


 アリカは特務機関であるマリエングラムへの所属を願われた。


 当のマリアベル自らに、である。


 その日からアリカは憲兵という肩書を持ちながら、マリエングラムという特務機関の一人として活動する事になった。


 そして、今、マリエングラムの命令の下、ラムケと共に皇国西部でヴァレンシュタイン上級大将暗殺未遂事件を調査していた。


 どうした事かマリエングラムは、正式な命令系統からラムケの副官人事を通し、調査任務まで与えた。偽造したものではなく、本当の副官人事である以上、マリエングラムは皇国軍の人事にまで介入できるという事になる。それも、皇州同盟軍とはいえ、 少将の副官人事であった。想像していた以上にマリエングラムは大きな組織であると、アリカは感心したものである。


 ――さて、調査とは言え、 具体的な命令がない以上、できることは少ない。


 そもそも、不良従軍神官と出世街道を外れた憲兵の珍道中である。


 耐えかねて野良犬の文屋を増やしてみたが、その増員要求は皇州同盟軍野戦憲兵隊司令部から早々に認められた。現地に詳しい者を軍屈として雇用したという体であるが、許可が下りたので自腹ではなくなった事はアリカにとって喜ばしい事だった。


「それでそれで! どうしましょう? 何か情報を掴んでいるんですか?」


 難しい事を聞く、とアリカは返答に窮するが、クレメンティナはラムケの周囲を回りながら楽し気な様子であった。


「敵集団の撤退した方角と、海路の利便性を踏まえると、東部に逃れた公算が高い……ですが、誰しもが考える経路からの撤退ばかりを気にしては不毛でしょう?」


 そうした経緯からラムケは足を運んだ。


 ザムエルやエーリカが軍人となる以前に過ごしていた孤児院の院長を務めていたラムケが、エーリカの死に大層と騒いだので、形だけの調査に従事させる。そうした思惑がある事はアリカにも察せた。だからこそマリエングラムがその御目付け役の立場を捻じ込めた可能性もある。誰もしたがらないのだから、問題行動の多い憲兵中尉を付けて可能性の低い地域の調査でもさせておけ、という思惑。


「しかし、 貴女は襲われていた。貴女こそ何かを掴んでるのでは?」


 そう、クレメンティナは襲われていた。


「えっと、使われた兵器は……特に大きいのが対戦車砲だって報道されていたんで開発者の筋から当たったんです」


「開発者?」


 奇妙な話である。


 一千門近く生産された対戦車砲の出どころを追及するには生産施設と運用部隊を割り出すべきであって、開発者を追いかける必要性は乏しい。開発をしても量産に関わる事は稀で、そもそも全ての対戦 車砲に責任を持つ立場でもなく関わりもない。


「いや、だって皆が探しているのに分からないなんておかしいじゃないですか? 兵器を軒並み遺棄して撤退したって話は流れてたのに、兵器の出どころから追いかける事も出来ないみたいなんですよ? 普通は直ぐに出処が分かるはずです。でも、出てこない。じゃあ、もっと遡って追いかけるしかないじゃないですか?」


 意外と考えているクレメンティナにアリカは瞠目する。ラムケも目を見開いていた。 邪悪である。


 しかし、力業が過ぎるし、割り出せるとも思えない。無論、手詰まりであるならば、一応は確認すべきであるし、前提として軍が生産施設や運用部隊を割り出そうとして困難に直面していると推測しているところも評価できる。


「それでも、製造工程を追いかけてある程度分かれば、それを調査報告として喧伝すると思うんです。新しい兵器ではないみたいですし、面子もあるから調査してますって雰囲気を出すに決まってます。報道だってやってる感が重要なんですから。そして、その通り陸軍は小出しに調査報告を出してます。でも犯人まで辿り着いてない」


 明け透けな物言い過ぎて、将来が心配になる新聞記者に不良従軍神官が優しく両肩を叩く。捨て置けない若者に優しいのだ。 韋駄天や軍神、、紫芋娘……


「面子とやってる感……まぁ、理解はできますが……」


 全体として見た場合、陸軍の失態であるので旧式兵器の調査状況の開示くらいは行うだろうという目算は正鵠を得ていた。


 結構な数を部族連邦に密輸出した事が問題を複雑にしているのでしょう。簡単に調査が進むとも思えない。


 何処かで密輸出した対戦車砲が皇国に密輸入された可能性もあれば、密輸出の途中に盗難にあった可能性もある。神州国の目を欺く為、鉄屑扱いで出荷されたものもあれば、予備部品という扱いで損傷品も出荷されていた。そして密輸出の場合、経路が分からぬように皇国自身が諸々の手段を講じていた。


よって追跡は困難を極める。


 そうした困難を理解せずとも、陸軍の面子という点だけを着目して調査が難航していると見るという視点はアリカにはなかった。確かに、調査報告の続報を小出しにしている時点で手詰まりと見るのは当然と言えた。


「だから、あんまり注目されてなくて、軍の製造番号が付いてない兵器を追いかけた方がいいかなぁ、って思ったんですよ」


 理屈は通っているが、試作兵器だからと管理が甘いなどという話にはならない。兵器である以上、軍は相応の管理をするし、予算を割いて製造した試作兵器を実践配備する例も少なくない。試作兵器だからと死蔵させる程に嘗ての皇国軍は予算が潤沢であった訳でもない。実戦配備される量産品と同等の改良を施して配備するというのはよく聞く話である。


「試作品にも試作番号が付与されています。辿る事は可能でしょう。何より、試作兵器を死蔵する程に我が国は余裕がある訳ではありません」


「陸軍の広報部のヒトにも同じことを言われました。だから、もっと詳しいヒトに聞きに行ったんです」


 行動力の塊だとアリカは、クレメンティナを少しばかり見直す。そして、そうした生き物が早々に死ぬ事を知ってもいた。


 もっと詳しいヒト、と聞けば皇都近郊の駐屯地や衛戍地に展開する師団の砲兵将校当たりだろう、とアリカは見当を付ける。軍人とはいえ、ヒトである。酒が入れば、或いは可愛い女性が尋ねればロが軽くなるものである。


 現在調査中であるヴァレンシュタイン上級大将暗殺未遂事件の内容だと知れば、触らぬ神に祟りなしとばかりに逃げ去るであろうが、火砲の込み入った話だけであれば話は変わる。正確な性能の話でもなく、運用されていない試作型ともなれば尚更である。無論、現役の砲兵将校が試作型について詳しいというのは研究開発に関わった場合のみであろうと、アリカは見た。


「だから皇都の砲兵総監部の前で服に装飾品の多いクルツバッハっておじさんに聞いたんです」


 行き成り陸軍砲兵総監部の将校を捕まえたのか、と愕然とするアリカ。ラムケは小難しい顔で唸るばかりであるが、それが流れを分かっていない顔である事を短い付き合いながらもアリカは察していたので意見を交わす真似はしない。


 ヒトには適材適所というものがある。


 棍棒と会話するのは不毛である。


 そこで、アリカはクルツバッハという砲兵将校の名に心当たりがある事に思い至る。


「待て。装飾品……徽章の多いクルツバッハ……まさかクルツバッハ中将ですか? 我が軍の砲兵参謀の?」


 皇州同盟軍参謀本部附き砲兵参謀であるクルツバッハに話を聞けたというのがアリカには信じられなかった。そうした迂闊なまでの軽妙さを持つ人物ではないが、怖い上司(トウカ)が居なくなった事で羽目を外しているなら問題である。


 ――馬鹿か? この時世に頭の可笑しい文屋と話をしたのか?


 北部に関係の深い要人……それも将官が暗殺未遂事件に遭ったばかりの状況で、胡散臭い新聞記者に捕まって砲兵総監部前で話をするなど危機意識の欠如も甚だしい。 憲兵隊だけでは警護が間に合っていないという状況が顕在化した話であった。アリカの立場からすると上申しなければならない案件である。


 皇州同盟軍と陸海軍は兵器の共通化を進めている為、皇国軍全体の再編制に当たって遣り取りが激増していた。その為、クルツバッハが陸軍砲兵総監部を訪れていることは珍しい事ではない。逆もまた然りであった。砲兵管轄の兵器である火砲は主に陸軍が開発する方向で話が進んでいる為、皇州同盟軍の方針や意向を反映する為には意見の擦り合わせが必要であった。


 無論、皇州同盟軍の方針にはトウカの意向も含まれている。直接陸軍の兵器開発に口を挟む事で開発方針の硬直化を招く事を問題視し、皇州同盟軍の方針に追加する事でトウカの意向であるという部分を隠蔽しているのだ。


 そして、皇州同盟軍は兵器開発を弾道弾開発などの戦略兵器に絞っている。故に皇州同盟軍将官というのは戦略兵器開発に関わる者が多く、殊更に身辺に注意しなければならない。


「なんか、一人娘の贈り物の相談相手に丁度いいって言われて、色々と聞かれたりもしました」


「そうか……」


 我が軍は大丈夫なのか?と疑問を抱かざるを得ない話であるが、アリカはその辺りを今騒ぎ立てても無意味なので話を先に進める。


「それで、この地に来たという事か? 何かあるのか?」


「なんか、問題の対戦車砲を試作していた企業の事業所があったみたいです。何でも、最初は微調整も多いから手作業で部品を作ってたみたいで、あそこの事業所でも結構、試行錯誤してたみたいなんですよ。でも、閉鎖されたらしくて……まぁ、御邪魔すれば何か分かるんじゃないかなぁ、と」


「許可は得たのか?」


 不法侵入ではないのかという話だが、この新聞記者なら、周りに気取られて情報取得を他の同業他社に先んじられるのではないかと考えるとアリカは確信していた。野良犬は己の分け前に敏感なものである。


「ちょっと手違いで入っちゃった感じです。草木が茂って敷地の境界とか分からないし、道を聞く為にちょっと建物にお邪魔しただけです」


 ただの住居侵入である。何より敷地は金属網で区切られており、手違いで入れる程度の状態ではない。


 しかし、アリカ達も序でとばかりに優先順位の低い兵器企業の事業所に立ち寄ろうとした経緯がある。本当に偶然であった。ラムケが食後の運動に寄ると言い出さなければ、数か月後に調査するであろう閉鎖された小さな事業所である。


 しかも、試作兵器の部品製造をこの地域の事業所で行っていたとは初耳であった。


 アリカはクレメンティナを見直した。


 ――情報と成果の為なら少々の無理は致し方ない。屁理屈の質は落第点であるが。


「成程、そういう事もあるでしょう。一発だけなら誤射かも知れないという話と同様か」


「いや、それは強弁が過ぎるし、態々狙って撃った類の……いえ、何でもないです」


 腰に佩いた曲剣(サーベル)の柄に手を添えたアリカを前に、クレメンティナは沈黙を余儀なくされる。


 一発だけなら誤射かも知れない、というのはトウカの常套句である。特に文屋相手ならば尚更であろう。誤射なら情状酌量の余地がある。そう口にするとアリカは確信している。マリアベルの後継者なのだ。


 続きを促すアリカに、クレメンティナはうんうんと唸って言葉を続ける。


「だから、試作初期の部品の多くは採算の問題から手作業で試行錯誤しながら製造されたみたいで、その試作に当たったのがあの事業所なんです!」


「それは先程も聞きました……それ、どこで得た話ですか?」


 調査資料全般を読んだアリカだが、そうした記録はなかった。


 確かに初期の試作では、量産も定かならぬ状況である為、量産を想定した大掛かりな設備を作製しての生産とはならない。設備費用を回収できるか不明瞭なので、既存設備の流用や安価な代替設備……そして何よりも手作業での作製が多いのは納得できる話であった。


「その企業で熟練工として扱われていたお爺ちゃんです。家まで訪ねて聞いたら、あの事業所で一杯試作したって自慢するものですから、どのくらいかって尋ねたんですよ。 設計部門の甘さの尻拭いで一〇門くらいは試作を繰り返したそうです」


「一〇門……数としては確かに襲撃に使用された門数を超えますね」


 ただ、それらが雑に管理され、そして奪取されているかは別問題である。兵器である以上、相応の管理は為されている筈であり、そもそも量産が決まった以上、試作による試行錯誤で作製されたものを長期保管しておく理由はない。廃棄されていても不自然ではなかった。無論、その廃棄時に奪取されたという可能性はあるが、正式採用からかなりの期間を経ている事から廃棄が最近であるとも思えない。それ程の長期に渡って練り上げられた計画というには、ザムエルの立身出世は性急に過ぎる。


 ――他の計画を転用した?


 有り得ないとは言い切れない。天帝招聘の儀が帝国の間諜によって妨害された以上、暗殺計画の一つや二つ国内で準備されていても不思議ではない。当時は特に国内の連携が乏しく、地方での動は比較的容易であった。


「ならば、あれが下手人に違いないぃ!」


 暑苦しく犯人断定したラムケに、アリカは関係はしているだろうが、金銭を掴まされただけの傭兵や軍人崩れだった可能性もあると見ていた。無論、規模を踏まえれば金銭を掴ませた者が別にいることは否定しないが、そこに至るには乱暴な調査では辿り着けない可能性がある。


 危機感を覚えて蜥蜴の尻尾宜しく関係者を処分されては、黒幕に至るか細い線が切れてしまうかも知れない。


「でも、解体して使える部品は軍の性能試験に回される試作品に転用されたらしいです」


 黒幕に至る線は既に途切れていた。


「犯人うううう!」ラムケが天を仰ぐ。


「そうなると、運用可能な対戦車砲はないという事ですか……」


 解体されてしまったのなら事業所への訪問は徒労という事になるが、クレメンティナは確信を持って踏み込んだ様に見えるので、アリカとしては話を遮る真似はせず、ラムケの顎を掴んで黙らせる。


「そう思うじゃないですか? 私もそう思ったんですけど、考えてみれば解体された対戦車砲ってどこに行ったのかな?って」


「ああ、部品取りに供された試作品の残骸か。部品によるだろうが……運用は難しいだろうな」


 兵器は精密機械である。部品によるが部品を失っても十全に運用できるというのは考え難い。そもそも、失って運用できる程度の部品ならば軽量化の為に設計段階で取り付けないという判断をされている。例え、されていなくても、その程度の部品取りであれば” 解体”と、クレメンティナは口にしないだろう。


「でも、部品取りの為に解体された対戦車砲は何処かにあるはずなんです。それも陸軍の性能試験の為に引き渡された対戦車砲は三門。後の七門は解体されて放置されているんじゃないですか?」


「そういう事ですか。解体された七門の部品を組み合わせれば幾つかの対戦車砲は用意できるかも知れない、と?」


 クレメンティナは満面の笑みで頷く。


 統合情報部や統合憲兵隊にはない視点である。


 双方の組織は、可能性の高い戦場で遺棄された兵器や密輸出された対戦車砲を主に確認しようと試みていたが、クレメンティナはそもそも軍ならば運用兵器など簡単に所在確認できるだろうとの過大評価からそれはないと見たのだ。密輸出が一般に知られていないのだから当然と言えるが、それを知らないからこそ、軍の管轄下にない対戦車砲を探し始めたのだと言える。


「熟練工だったお爺ちゃんは、 捨てられたとは聞かん、って言ってましたよ?」


「成程……ありそうな話ですが……」


 それでも内戦直後である為、遺棄されたものである可能性も高く、部族連邦への密輸出品である可能性も高い。性能試験の為に生産された試作品の一部が利用されたなどという与太話よりは在り得る話である。


 しかし、クレメンティナは襲撃を受けていた。


 その襲撃者は明らかに非正規戦を意識している様子であり、外観を魔術的に不明瞭にする対策まで行っていた。装備しているにも関わらず、銃火器を利用していなかったのは静粛性を優先した結果であろうが、相手もまさか馬鹿げた近接戦能力を有する不良従軍神官と交戦する事になるとは想定外だった筈である。


 そうした相手に襲撃を受けた以上、何かがあると見るのが順当である。


 与太話が与太話とは言い切れなくなった。


 アリカとしてはクレメンティナを統合情報部に引き渡さなくてよかったと安堵するしかない。


 先程までの取材情報をクレメンティナは手帳に何一つ書いていなかった。こうした場面で情報を収奪される可能性を考慮していたのだろうことは想像に難くない。統合情報部が襲撃者の情報を重視しなければ、クレメンティナの得ていた情報は拷問の末に穴だらけの推論として保管されるに留まったかも知れない。


 ならは取り得る選択肢は少ない。


「さて、ラムケ少将。踏み込みますか?」


「無論であるッ!」


 機略戦である。


 ただ即決即断の意思決定と迅速な部隊運用によって相手の動きを優越するしかない。それで確保が難しいなら元より機会などなかったのだ。


「えっ! 駐屯地の兵隊さんと協力して囲んだり、街道に封鎖線を敷いたりして相手の逃亡を阻止するんじゃないんですか?」


「何を馬鹿な。相手は素人ではないのです。素人の兵隊を並べた程度の包囲や封鎖線など簡単に突破するでしょうし、その準備を見て離脱を判断されては間に合わない」


 少なくとも先に交戦した襲撃者は確保直後に自害している。アリカも与り知らない術式で自らの頭部を破壊したのだ。炸裂し、脳漿を撒き散らして倒れる姿は今でもアリカの脳裏に焼き付いている。


 時間を掛ければ脳から直接情報を得ることは可能である。遺体の鮮度や記憶の断片化に伴う不確実性を伴うが決して不可能ではない。それを見越した自決である。明らかに非正規活動に従事している者の行動であった。


 そうした特殊任務に従事する傭兵も存在するが、そうした傭兵を雇用できる立場の人間はそう多くない。


「うむ! 道理であるっ! 見敵必殺を以て捕縛する!」


「正しい判断です。用意周到な相手に時間を与えるべきではないかと」


 ラムケの判断をアリカは支持する。


 客観的に見て相手は練達者(プロフェッショナル)であり、優位に立つには定石を外すしかなかった。相手の思惑や予想の範疇にある限り接触すら難しいだろうとアリカは判断した。


「ですが、正面から事業所に乗り込もうとしては証拠隠滅を図られるやも知れません。 可能なら忍び込むという事になりますが……」


 ラムケが隠密行動できるなどと考える程、アリカは目出度い人間ではない。


 去りとて、正々堂々、正面から押し通るという訳には行かない。


 敵対者が待ち構えているかも知れない建造物に侵入するには、相応の技量を持つ者が必要である。無論、近傍の駐屯地に展開している通常の歩兵部隊ではそうした技能を持ち合わせていないし、付近の野戦憲兵などもそうした任務は専門外である。


 アリカがそうした任務に対応できるのは、フェルゼンという歪な大都市で超法規的な摘発に従事した経験からの産物に過ぎない。本来、特殊部隊染みた真似をする集団を相手に潜入調査を行うのは憲兵の役目ではなく、情報部員の役目であった。素人や一般軍人の籠城に対処するとは訳が違う。


 ラムケを陽動にして、アリカが事業所に踏み込む。


 現状で取り得る選択肢は、そのくらいしかないが、それもまた成算に乏しい。アリカとしてはマリエングラムが何を求めているか不明瞭な状況で軽率な動きは全体としての思惑から逸脱したくはないと考えていた。


 ――明確な命令がなかった以上、私がここに在るという事それ自体に意味がある……という事でしょうが……


 マリエングラムの命令は曖昧なものが多い。


 そもそも、その命令によって誰が利益を得て、誰が不利益を被るかも判断できない命令が多く、マリアベルが失われた今となっては猶更である。恐らくはトウカの利益の為に動いていると思えるが、命令系統が全く以て不明である為、アリカからしても推測の域を出ない。


「危険じゃないですか?」


「一人で踏み込もうとしていた貴女がそれを言いますか?」


 無論、素性の知れぬ武装集団が待ち受けているとは想定していなかったであろうが、閉鎖された内情も分からぬ事業所に一人で忍び込もうというのだから大したものである。 稼働停止して久しい製造業の薄暗い社屋など地雷原に等しい。ましてや研究や試作を主業務としていた事業所である。非定常作業ばかりで安全管理などあってないようなもの。


「私の記者としての直感がナニカあると告げているんですよ。なら踏み込むしかないじゃないですか?」


 不法侵入だが?とは思うが、クレメンティナの無鉄砲によって明白となった点もあるのでアリカは敢えて指摘する真似はしない。


 新聞記者一人の生命で明らかになるならば、国家にとって懐の痛まない出費であり、彼女達の職種は報道の自由の為に戦死する同業も美談に仕立て上げる。国民もいたく感動するであろうし、これぞまさに天帝陛下が仰られる”三方よし”の精神であるとアリカは半ば本気で考えていた。


 しかし、クレメンティナも馬鹿ではない。


 情報を得る為に確率の高い方法を模索する事を厭う訳ではなかった。


「ところで、我々を助けてくれた人達は協力してくれないんですか?」


 アリカは口を噤む。


 当初のアリカとラムケもあの増援は近傍駐屯地の駐留部隊からのものだと思っていたが、後に聞けば彼らの所属は酷く曖昧で、そもそも私兵に等しい面々だった。


〈北部特殊戦部隊〉


 軍高官ですら名を聞く事がないリシアの私兵である。


 アリカは北部地域の匪賊討伐に加わる不明瞭の部隊の調査をマリエングラムから命令される中で知ったが、〈北部特殊戦部隊〉は北部で銃火器を収集するべく匪賊討伐を行っている。出処の不明瞭な武器を欲している事は疑いなく、今回の容疑者の一人としてマリエングラムがリシアに猜疑の目を向けていてる可能性にアリカは思い至ったが、同時にクレアの動きも知っている為に恐怖を覚えた。今回の事件の第一報が憲兵総監部に届いた際、ハイドリヒ憲兵総監はハルティカイネン大佐の所在を気にしたとアリカは効き及んでいた。


 ――女の勘という事ですか。


 妹のアヤヒがリシアの所在を確認するに当たり、現在は陸軍国家憲兵隊に属する姉であるアリカを頼った経緯がある為、そうした部分をアリカは知っていた。統合憲兵隊司令部から国家憲兵隊本部、陸軍府人事部、共和国駐在武官を経由してザムエル暗殺未遂に伴う安全確認を名目に共和国に特使として派遣されているリシアの所在探ったのだ。


 リシアがザムエルを謀殺した可能性をクレアは即座に考えたのだ。幾らリシアがクレアと交友関係に在れども、機密理に運用している〈北部特殊戦部隊〉の存在を知らせているとは思えず、そしてアリカですら知った事は偶然である。


 それでも、リシアにザムエルを謀殺する動機があると、クレアは考えたのだ。


 ――陸軍府長官の座を狙った謀略と見るには、未だ大佐であり手が届かない……副官である妹が邪魔になった?


 ザムエルが頻りに副官である妹を側妃に薦めているという話は周知の事実である。 ザムエルの立場の盤石化を忌諱したのか、側妃の立場を求めての行動か。リシアがそう考えたと、クレアが見た可能性がある。北部出身でありながら陸軍に転属し、有力な陸軍高官の後ろ盾を持つという点で類似しているエーリカは確かに側妃の競争相手として有力であった。北部出身で陸軍閥という方面から側妃を二人も娶るというのは偏りが出る。


 中々どうして我が国も権力争いが激しくなってきた、とアカリは心躍らせる。


 それらを全て肘するのが国家憲兵隊の役目である。


 国家体制を危うくする政治問題を起こす輩を駆除しなければならない。


 仕事があるのは喜ばしい事である、とアリカは軍帽を被り直す。


「あの部隊は指揮系統が違うので我々の協力要請を受けていただけるとは思えません」


「友愛の精神はないんですか? 御同業同士で助け合うとか。嫌ですねぇこれだから戦争屋は」


 身内で蹴落とし合う新聞記者に言われたくないとは思うが、公務員ににもそうした部分がある。厳密には組織が大き過ぎる為、同朋意識が乏しくなる側面があるのだ。無論、御同業が死ねば全力で報復に乗り出す軍人と警務官だけは異なる部分もあった。こちらは同朋意識ではなく、屈辱を受けたままでは業務(軍事行動、治安維持)に関わるという面子に負うところが大きい。


 軍人や警務官などは、国家公認の筋者(ヤクザ)と口さがない者は言うが、それは強ち間違いでもなかった。戦力を保有し、行使する暴力の源泉が異なるだけでしかない。無論、その点こそが最も重要でもあるのだが。


 そもそも、〈北部特殊戦部隊〉と連絡手段がない。


 リシアの私兵である。


 もし、〈北部特殊戦部隊〉ではなく、〈即応打撃群〉であるならば話は変わる。


 リシアが統合参謀本部直属の〈即応打撃群〉の指揮官を拝命している事はアリカも承知しているが、それは未だ形になっていない。後方で御行儀良くしてる連中に最新装備を与えるのはどうかいう不満が各部隊から出た為、優先的に歩兵師団や装甲師団、 機動師団へと重車輛が配備されている事から有力な部隊を編制できなかった。編制できないなら延期するべきであると、その計画は漂流状態であった。


 意外とトウカは将兵からの印象を気にする。


 戦時は勝利で歓心を得られるが、平時はに歓心を得るのは斯くも難しい、とは当人の談であるが、それを知らぬアリカとしても、トウカは将兵に対して特段の配慮をしている。


 よって、〈即応打撃群〉は未だ書類上にしか存在しない戦力であった。


「諦めなさい。我々は戦力を用意できないのです。特にあの部隊は特殊で、連絡すら困難です」


 軍人が私兵を有し、それが暗躍している事自体が大問題である。そこから戦力を供出させるなど、軍歴に傷が付くどころでは済まない。


だが、今まで沈黙していたラムケが口を開く。


「ふむ、あの親父共にぃ渡りをお付けたいと?」


 ラムケが、そんな事か、と唸る。


 連絡手段があるのかという疑念と、そもそも〈北部特殊戦部隊〉を知っていたのかという驚きをアリカは顔に出さないが、しかし尋ねる必要はあった。


 しかし、尋ねる前にラムケが吠える。


「リシアのぉ! 保護者共ぉ! 集まれい!」


 両手を振り上げて雄々しく吠える姿は巌の如き体格の中年神官という風体も相まって邪悪な存在の咆哮である。


「出てこぬならばぁ、あの娘がぁおねしょをいつまでしていたかぁ言うぞぉ!」


 聞きたいが、聞いたらきっと処されるのではないか?マリエングラムに報告するべき内容なのか?もう隣の新聞記者を機密保持の為にこの場で縊り殺したほうがいいのか?という数々の疑問符が脳裏を満たしたアリカは、背後からの気配に腰の曲剣(サーベル)に手を掛ける。


 ――いつの間に!


 突然、現れたかの様な気配。


 元より佇んでいた事に気付かなかったのではないかと錯覚するかの様な突然の気配は、正に ”御同業”である。


 振り向いた先には中年男性が居た。


 個性に乏しい顔立ちで所在なさげな中年男性。


 情けなさの先立つ雰囲気に、相対したアリカは居た堪れなくなる。そうした相手であった。


「後生ですから我らが我儘姫の醜聞を、これ以上増やさないでいただきたい」


 平身低頭の中年男性。彼の寄る軍装が苦労人の気配を補強している。


 娘の不祥事に対して頭を下げに来た父親の様な姿であるが、先程の動きを鑑みれば素人ではない事は明白であった。


「ふむぅ、来たか! 大尉、後は任せるぅ!」


 呼ぶだけ呼んで丸投げするというのは酷いのではないかとアリカは思うが、確かに戦力は不足しており、呼び出したのはラムケなのだから責任はラムケは負うべきものである。


 鷹揚に頷くラムケを一瞥し、アリカは中年男性へと向き直る。


「貴官は……失礼、所属と姓名を伺ってよろしいですか?」


 名前も不明であり、所属部隊も口に出す事は好ましくない。挙句に階級も不明である。階級章を見れば中尉であるが、階級の偽装すら躊躇する相手ではない。そうした部分を含めて、隣に新聞記者が居るなら猶更言葉に注意を要する。


 中年男性も返答に窮したのか、それぞれの顔を見て後頭部を描く。


「恋する乙女の……棍棒でしょうか?」


「なんて暴力的な乙女なのか」


 こう、何時も握った棍棒を背中に隠している感じなので、と告げる中年男性に、アリカは、今上天帝に靡く女には碌なのが居ない、と胸中でひっそりと嘆息する。


 愛らしい乙女を装う戦争屋ばかりでである。生まれてこのかた何一つ不自由していない世間知らずの愛らしい下級貴族の令嬢でも娶れば良いものを、何をどうしても政戦に関わる女を傍に置こうとする。アリカは全く以て感心しなかった。


 諸々のアリカの不満を他所に、中年男性は恭しく一礼する。


「棍棒一号と御呼びください。棍棒が姓で一号が名です」


 偽名を使うにしても、もう少し他にないのかとアリカは思うが、もう全てが面倒臭いので受け入れる。


「秘匿部隊〈恋する乙女の棍棒〉の棍棒一号さんです。はい拍手」


 アリカはやけくそに拍手する。


「わー、 拍手~この国は大丈夫なのか〜」


 クレメンティナの指摘に、アリカは、奇遇ですね私もそう思います、と応じながら、最も大きな拍手をしているラムケを一瞥する。


 ――乗せられて差し上げますよ、少将閣下。


 全ては逆だったのかも知れないと、アリカは今更ながらに気付く。


 茶番に付き合わされたのだ。


 ならば、その茶番。全力で面白可笑しい茶番にしてやる、とアリカは決意する。


 その裂帛の意思と目付きに周囲は慄いた。


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