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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》

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第三七七話    文屋と憲兵



「うううついいあああぁ!」


 謎の奇声を発して無防御(ノーガード)の殴り合いに及ぶ筋肉質高身長の中年。


掛けている眼鏡は既に割れ、口元から血を吹き出し、青痣は無数とある。挙句に両手の白手袋は血に染まり、衣類は破れと血と砂塵で悲惨な有様であった。


 よく見れば軍装であり、色は黒で凛々しさを掻き立てるであろう細身の作りをしたものであり、それが皇州同盟軍のものであるのは明白であった。軍事に疎い一般人でも理解できる程には毀誉褒貶の激しい戦争集団の軍装。挙句に血に染まった徽章は従軍神官を示しており、邪神の類に仕える神官も従軍できるのかという誤解すら与える。   


 ――どうしてこんな事に……


 そう彼女は思いはすれども、自分の自負心と功名心が死へと踏み込ませたので、完全に自己責任であった為、最早、泣く事しかできない。彼女は泣きながら怪獣大決戦を見る事しかできなかった。


 一応、後から現れた皇州同盟軍の邪神官は、彼女を守る位置で戦っているので助けようと試みている様に見えなくもないが、犬歯を剥き出しにして殴り合う光景はとてもそうは見えない。どちらが勝っても頭から齧られて死ぬんだ、と思える程には邪悪な光景であった。


 数の上では六対一と邪神官が不利であったが、既に五人を拳で沈め、隊長格と思しき不審者と壮絶な殴り合いを継続している。


 相当に喧嘩慣れしている様に見え、軍人の格闘術というよりも裏路地の筋者(やくざ)の如き姿であった。


「笑止ぃ!」


 邪神官の拳が黒い影に突き刺さる。比喩表現ではなく、言葉通り身体へと突き刺さったのだ。


 魔術で何かしらの隠蔽をしているのか、黒い影は正体が不明瞭であったが、突き刺さった拳の威力の前に徐々にヒトとしての輪郭が明瞭となる。


 あまり個性を感じさせない中年男性の姿に、呆気に取られる彼女だが、邪神官は問答無用で拳を相手の中年男性の顔面へと叩き込む。打撃音と言うには殺意の高い破壊音と共に相手が豪快に吹き飛び、付近の針葉樹へと叩き付けられる。頭部は大きく抉れ、中年男性であった事が辛うじて判断できる程度の有様となっていた。


 無残な光景であるか、彼女にとっては初見という程でもないので、それ程には衝撃を受けなかった。無論、これは彼女の職責に起因している。


「無事かぁ!」


「はひぅ」


 吠えたのかと勘違いする様な尋ね方に、その内容を理解する前に応じる彼女のその悲鳴に、邪神官は鷹揚に頷く。右耳に垂れ下がっていた用を為さなくなった眼鏡の残骸が落ちる。


「おおぅ! 文屋かぁ!」


 今度こそ齧られると思えば、彼女は職業を言い当てられて余計に混乱する。


 しかし、客観的に見れば大型の撮影機 (カメラ)を持ち、小物を幾つも収納できる上着を着込んだ彼女は、皇国に於ける一般市井が思う典型的な報道関係者の姿であった。 彼女もその姿に憧れて報道を志したのだから当然である。


「おうちかえりたい……」


 立ち上がろうとするが、 中々、 足に力が入らない。 逃げ出せなかったのは腰が抜けていたというのもある。


「漏らしておるからなぁ!」


 立ち上がろうとした彼女は再び地面にへたり込む。


 配慮(デリカシーに欠けるという表現では生ぬるいが、顔よりも下半身を抑えているので隠しようのない赤面顔で彼女は邪神官を罵倒する。


「この邪教徒! 私を生贄にするんでしょ!? 死んだら祟ってやる!」


 筆舌に尽く難い辱めを受けて殺されるという確信を持って彼女は叫ぶ。邪神官は両腕を組み、あらん限りに背筋を伸ばして天に吠える。


「汚らしい女めぇ! 文屋の命を差し出して歓ぶ神がおるものかぁ!」


「ああぁ! 邪神官! 貴方のほうが汚らしいでしょ!」


 血塗れの邪神官に汚らしいと評されるのは甚だ不本意である彼女だが、乙女の尊厳が致命的な状況であることも確かだった。


 皇州同盟軍が狂った戦争屋の軍隊であるというのは、政治思想に関わらず、皇国内の新聞社の共通見解であった。


 彼女の先輩に当たる記者は、内戦の際、戦場を見せてやる、と皇州同盟軍の銃剣突撃に同行させられ、この世の地獄を見たのか依願退職している。その辺り、彼らからすると善意であるらしく、確かにその先輩記者の撮影した写真は名だたる賞を獲得している。


 そして、後に先輩記者は自殺した。


 皇州同盟軍はそうした軍隊である。


 軍閥であるが軍閥ではなく、軍隊であるが軍隊ではない。


 死を撒き散らす事が目的になっている。


 通常の軍隊では、実情はそうした部分あれども、建前や汎用性の下で曖昧となり、当たり障りない言葉を掲げるが、皇州同盟軍は殺意を全面に押し出した組織となっている。マリアベルの復讐心ありきの軍隊だったのだから当然であるが、その軍を継承した軍神もまた狂気の人物であった。


 邪神崇拝者を神官として戦列に加えていても何ら不思議ではない。


 そうした遣り取りを聞き付けたのか、深緑の軍装を纏う兵士達が針葉樹林の間を縫う様に現れる。油断なく小銃を構えた姿は、素人目には勇ましく一分の隙もない様に見えた。


 その軍装は陸軍のものである。


 彼女は助かったと思った。


「救助者である! そして、怪しげなる者共であるぅ! 召しとれぃ!」


 邪神官の言葉に兵士達が即応する。


 周囲で倒れ伏す謎の襲撃者達が拘束される。


 そして、彼女も拘束された。


「いや、私は記者ですよ! 報道の自由の侵害です! 放しなさい!」


「ほぉ! 記者になればぁ、命の数も増えるとぉ」


 殺せば静かになると迂遠に言われた彼女は、大人しくするしかなかった。


 西部地域の片隅で偶発的に起こった争い。


 それは大きな影響を及ぼすことになる。









「クレメンティナ・メルトマンです」


 女性新聞記者……クレメンティナは渋々と名前を口にする。


 少ない抵抗として、それ以外は決して口にしないが、そもそも所属する新聞社の社員証まで確認されているので身元は完全に露呈している。今頃、新聞社への照会も行われているかも知れない為、クレメンティナとしては憂鬱であったが、状況は複雑であった。


 しかし、状況を全く把握できていないクレメンティナは真実の追及を諦めていない。 例え、身体検査で裸に剥かれて反抗的だと平手打ちを受けても尚、諦めない闘志を持つ彼女は誠に新聞記者の鏡であった。


 ――疑惑は益々、深まった! 軍は何かを隠している!


 トウカが聞けば、ついうっかり殺して埋めてしまいそうな心の声と共に確信を得たクレメンティナは意地でも、この問題に齧り付く心算であった。


「それで、あの場にいたのは偶然と?」


 妙齢の女性士官の言葉に、クレメンティナは何度確認するのだと憤慨する。


「偶然です! 近くの村の猟師に不審な連中が森に居るって聞いて調査に来たら、黒ずくめの化け物と邪神崇拝者に襲われたんです! それより、撮影機(カメラ)は返してくれるんでしょうね!」


 給料半年分の結晶を、クレメンティナは特に心配していた。


 軍事機密が漏洩しては、と念の為に破壊でもされては一大事である。とは言え、彼女からすると取り立てて問題となるものを撮影できていなかった事も問題である。クレメンティナは皇都の新聞社から排斥された身である。


 どうも踏み込み過ぎる取材姿勢で不興を買っている中、トウカの即位に伴って新聞社に対する圧力が強くなり、その中で序とばかりにクレメンティナも退職を強要された。 実はそうした記者は少なくない。組織運営に当たって反骨精神に満ちた、或いは理想に酔った者達など邪魔でしかなく、それは新聞社でも例外ではない。報道の公平性を歌えども、所詮は営利企業に過ぎないのだ。面倒を投げ出せる機会があるならば喜んで投げ出す。無論、それは新人で実績の乏しいクレメンティナであれば余計に当てはまった。


 だからこそクレメンティナは力量を証明する為に躍起になっている。


 その中でヴァレンシュタイン上級大将暗殺未遂事件が起きた。


 クレメンティナは好機到来と見て、調査を開始した。


 しかし、軍から情報は得られない。


 元来、閉鎖的で機密性の高い軍隊であるが、今回は揃ってロが重く、何一つ漏らすことはなかった。


 調べる内に、ザムエルの行動日程が軍から露呈したのではないかというという調査が行われている事が判明し、軍人達が揃って口が重い理由が理解できた。


 天帝の信篤い名将の暗殺未遂に身内が関わっているかも知れない。


 万が一、疑われは事だと口を閉ざすのは当然と言えた。そして怪しまれる理由を進んで作るような人物が軍で要職を得られるはずもない。よって手掛かりとなる情報は得られない。断固たる構えで、クレメンティナは調査する。


 名誉と正義感が彼女の執念を形作っている。


 しかし、面と向かって死ぬと言われては怯むものがある。


「貴女、最悪の場合、拷問に掛けられますよ。そして事が大きくならない様に身包み剥がされて物取りの犯行に見せかけて処分されても不思議ではない状況なんです」


 心底と心配されているのか女性憲兵は、クレメンティナを巡る状況が良くないと指摘する。


「法治国家はどこ行ったの?」


「奇遇ですね。私も探しているところなんですよ。どこかで見かけませんでしたか?」


 女性憲兵も酷くうんざりとした表情で質問を返してくる。


 想像以上に状況が拗れているのだと、クレメンティナは思い知ることになった。


「それは……」


 皇権への批判と捉えかねないのでクレメンティナは言い淀む。


 しかし、女性憲兵は苦笑する。


「天帝陛下が今迄の負債を忽ちに支払おうと……踏み倒そうと為さっているからです。 ですが、我々はそれを歓迎する。例え、法律が戦死したとしても」


 トウカが狂っていると、そして例え狂っているとしても付き従うのだという決意に、クレメンティナは言葉がない。


 陸軍の軍装だが中身は皇州同盟軍だと、クレメンティナは確信する。


「貴女の素性は既に把握しています。取材に対する姿勢も。今一歩、足りていないと同僚には言われているようですが……」


 今も昔も編集長にも言われる言葉であり、どこか調査が甘く肝心な部分に踏み込めないと指摘されていた。行き成り、突かれたくないところを踏み抜いてくる姿に、憲兵は俺達と同じで他人の不幸で飯を食ってる、という自殺した先輩の言葉を思い出す。


「五月蠅いですよ! そういうのは給料を払ってないヒトから言われるのは我慢ならないです!」


 給料の支払い元の組織の上位者であれば、傾聴する事も吝かではないが、それ以外からは聞きたくない言葉である。クレメンティナとは詰まるところそうした女性であり、そして報道に携わる者で名を挙げる者は得てしてそうした者であった。


「これだから文屋は……この状況でも……恥知らずな事です。軍人のほうが向いているのではないですか?」


 軍人から恥知らずなので軍人に向いている問われたクレメンティナは、どうしてよいか判断が付かなかった。皇州同盟軍は誠に一般市井の感覚から乖離している。


「やっぱり、北部の……皇州同盟軍のヒトは頭がおかしい.……」


「恥を知っていれば、笑顔を張り付けて戦場で引き金を引くことなどできませんからね」


 笑顔で引き金を引く必要などなく、引き攣らせた顔で良いではないか。クレメンティナはそう言い募る。


「まずは戦野を愛さねば。好いてこそ生き延びられるというものです」


 精神性が違い過ぎる。


 クレメンティナは、そもそも自国民どころか同じヒトと思えなかった。どちらかと言えば、神州国の武士に近いが、それよりも悍ましく理解し難い気配がある。


「さて、話が逸れましたが、情報部が貴女に興味を持っています」


「情報部なら特種も!」


 遭遇する事すら難しい手合いと引き合わせられるのだから好都合だとクレメンティナは考えた。重要情報の一端でも掴めれば御の字である。


 しかし、女性憲兵は、その姿を憐憫と共に否定する。


「貴女は情報を絞られる側です。勿論、命諸共絞られる可能性もあります。今の情報部はね、何でもします。一つでも掬い上げられる情報があるなら文屋の命など奪ってしまっても構わないと思う程に」


その言葉に、クレメンティナは恐怖を覚える。


 憲兵将校が、狂ってると言わんばかりの指摘をする情報部に興味を持たれている。 恐らく殺されはしないだろうと考えていたクレメンティナは恐怖を覚え始めた。


 今上天帝の御代となり、報道関係者は特権的な立場ではなくなったのだ。そもそも、元より特権的な立場など当人達の錯覚でしかなかった。


「陛下は文屋が大嫌いですからね。少々の ”手違い”が露呈したとしても、次からはもっと上手くするといい、と叱責する程度でしょう」


 次からはもっと上手くするといい、は一般市井では叱責ではない。クレメンティナはそう思うが、今上天帝と不愉快な仲間達が別の現実を生きている事を新聞記者達は良く理解していた。


 女性憲兵は溜息と共に言葉を続ける。


「流石の我々も直近の情報部の動きは過ぎたるものと考えているのですよ。特に貴女のような木っ端……失礼、場末の新聞記者が何かを知っているとも思えません。そうした者まで念の為に締め上げるなど不毛でしょう」


 この女、私の事嫌いなんだ、とクレメンティナは怒髪天を衝く内心を押し殺し、渾身の笑み……客観的に見て引き攣ったそれで尋ねる。


「なら、無価値な私を見逃してくださると?」


「さて、新人の教育序での拷問などもあると聞きましたから……文屋の命一つで情報将校の実践的教育ができるならば御国としても……」


「ヒトの命をなんだと……」


 皇州同盟軍の将兵はいつもそれだ、とクレメンティナは悪態を吐く。


 唾棄すべき全体主義の権化。隣の国家社会主義に被れたという非難は適正なものだったのだとクレメンティナは確信する。南エスタンジアからの思想流入が看過し得ない規模になっているとの意見もある。


「消耗品ですよ。たった一つのの掛け替えのない消耗品」


 女性憲兵の言い様に、クレメンティナは愈々と進退窮まる。


 消耗品として御国の為に死ねと言われている気がした事も、 祖国でそうした論調が罷り通る現状も、クレメンティナには衝撃であった。


 確かに皇国は北部地域だけに負担を押し付けて安堵していた部分がある事はクレメンティナも認めるところであるが、存続の為に強く在るという結果が眼前の国家に属するヒトすらも機械の様に機構へと当て嵌め、そして消耗していく形であると突き付けられた気がして言葉がなかった。


「私も貴女も……故にどう死ぬか建設的に考えるべきでしょう」


 死という結末にこそ意味があると言いた気な女性憲兵。


 どう生きるかではなく、どう死ぬか。


 皇国北部はそうした教育の下で日々を生きていた。


 前向きに生きることができない閉塞感の中、北部臣民は個人よりも全体を優先する気風が生まれた。それが北部地域という共同体を存続させる唯一の方法だった為である。


「貴女に死に際を決める権利を差し上げます」


 女性憲兵が手を差し出す。


「アリカ・ホーエンシュタイン憲兵中尉です。あの不良神官の御目付け役をしております」


女性憲兵……アリカは笑みの一つもなく告げた。





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