第三七二話 独裁者と独裁者
「随分と変わったな……設計図は見たが、想像以上だ」
トウカは曳船で軍港に横付けされつつある戦艦〈猟兵リリエンタール〉を一瞥し、そうした感想を零した。
一番艦の〈剣聖ヴァルトハイム〉が内戦での損傷で修理が長引き、加えて改装も帝国軍侵攻により中断していた時期があった為、改装を経た〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦の姿をトウカが見たのはこれが初めてであった。
特徴的な三胴艦構造はそのままに、副砲が全て撤去され高角砲や機関砲、 機銃、高射装置などに置き換わっている姿は針鼠を思わせる。
具体的な改装案を投げた甲斐がある。
トウカの知る日本海軍戦艦の雛壇状の銃座を参考にしている為、その姿は何処か似通っている。
高射装置の生産が遅延している点まで同様なのはトウカも頭を痛めたが、それもまた大東亜戦争時の日本海軍の事情と同様であり奇妙な一致を見た。実際、余剰の高射装置を二番艦〈猟兵リリエンタール〉に優先させたからこそ一番艦〈剣聖ヴァルトハイム〉の再就役が遅れている部分もあった。
高射装置を削減し、死角の多い状態で戦海に出た艦艇の末路を知るが故に、トウカは削減案にも多大な忌避感を示した。
「思い切って空母に改装しては如何でしょうか?」
「ベルクヴァイン中将……貴官、それを各所で口にしてシュタイエルハウゼン司令長官に叱責されたのではないのか?」
周囲の将官が呆れる程度には、広く知れ渡っている出来事である。
トウカとしても無茶を言うと苦言を呈せざるを得ない。
戦艦を航空母艦に改装するのは容易ではない。
本来の用途が異なるのだ。
長所としては戦艦を改装した場合、船体強度が強靭となる点であるが、そもそも航空母艦は砲戦を想定していない。
日本海軍で山口提督が砲戦を行った先例をトウカは知るが、それも飛行甲板が大きく損傷して空母二隻が半年間も戦列から離脱した事で時の聯合艦隊司令長官から叱責を受けている。当人はその場で激怒したが。
対艦戦闘に対する堪航性に優れるが、それは本来の航空母艦では不要なもの。
寧ろ、航空母艦として重要な速力は船体重量の問題から低下する。高速戦艦とでも言うべき艦種を流用するならば話は変わるが、未だそうした艦種は世界に存在しない。
速度と自然風を合わせた合成風力によって発艦距離を短縮できる為、速力は航空母艦にとって重要な要素である。
皇国海軍は、航空母艦の飛行甲板裏面に大規模な魔術刻印を施し、風魔術による揚力確保を試みている。射出機の開発も行われているが、生体である航空騎はそうした発艦方法に拒否感を示す個体が多い為に難航している。
トウカは、ただ射出機の高出力化のみを命じ、航空騎での運用を想定しないものを研究開発させる様に海軍に提言した。後の航空機に利用する為である。
加えて、飛行甲板を魔導障壁で延伸する魔術刻印も採用されている。
しかし、これには問題があり、規模の大きい魔導障壁の展開は当然ながら魔術的探知を避け得ない。見敵必殺が空母航空戦の本質だが、それでも発見時期を早める真似は被害拡大の要因となりかねない。無論、敵の索敵に補足された後ならば、魔導封鎖は意義が乏しいので利用価値がない訳ではない。
皇国独自のそうした改良を踏まえた上でも、速力を重視している。
発艦距離に余裕があればある程、大型騎を発艦させる事が可能であり、発艦距離の短縮は甲板の作業空間の増加を意味する。運用面での意義は大きい。無論、小型の空母でも発艦距離の必要な航空騎を運用できるという意味もある。
「まぁ、損傷の大きい巡戦を改装するというのは性能的には有りだが……」
エルシア沖海戦で擱座大破した巡洋戦艦を改装したならば、相応の航空母艦を戦列に加えることができる。巡洋戦艦は装甲を妥協して速力を優先した艦種である為、速度という面で戦艦を改装したような欠点は生じない。
「それは良い案です。是非とも」
「新造であれば運用が容易で予算も安価で済むが?」
カリアの感動の面持ちを無視し、 トウカは端的に覆し用のない事実を述べる。
本来の用途とは異なる艦艇を改装するのだ。運用面での制限は多く、艦内配置などの問題から搭載騎数も船体規模に比して少ない。その上、現在ある上部構造物や砲塔などを撤去しての大改装には相当な予算と時間を必要とする。
搭載騎数と速力、そして建造期間と建造費を踏まえれば中型空母の新造で済ませる事が合理的であった。
訳の分からぬ同型艦もいない艦艇では艦隊行動の足並みも乱れる。
日本海軍にも戦艦改装空母が存在したが、速度の面で艦隊行動に制限が付き、旋回半径の問題から回避行動にも難があり、挙句に維持管理の面で煩雑になった。同型艦のいない艦の維持ほどに費用対効果の乏しいものはない。実験艦以外でそうした艦を認める事をトウカは避けたいと考え ていた。
――海軍は直ぐに一点物を作りたがる。
規格の共通化による低減は生産数が元より少ない艦艇という兵器では軽視される傾向にある。
無論、輸送船や強襲揚陸艦、工作艦、補給艦、潜水母艦などは傑作輸送船の船体形状を流用する形で予算削減を図っているが、戦闘艦は建造費や維持費よりも性能を重視する風潮にある。神州国海軍に劣る規模を、少ない将兵で受容しなければならない都合上、戦闘艦艇の高性能化による個艦優越主義は最早、深層心理に刻まれていると言っても過言ではない状況であった。
「費用対効果を考えて貰わねば困る。奇妙な一点物では水兵の訓練にも影響が出る」
トウカとしては、同型艦であれば習熟の面で応用が効くので、可能な限り皇国海軍の艦種は絞りたいと考えていた。
海戦で艦艇が喪われても、乗員の大部分を救助できたならば、その乗員を新造した同型艦に搭乗させる事で早々に戦力を回復できる。建造能力の拡充さえ叶えば、後は将兵の質と量であるが、戦力補充までの期間という意味では同型艦を揃える意義は大きい。同型の兵装や機関などは最たるものである。無論、設備更新による改修は必要であろうが、余りにも雑多な艦種は乗員の配置変更による負担を招く。
「どの道、戦艦の改装などしても、航空母艦の大量配備が始まる時期と重なる。編制上で持て余すだけだ……これ以上、騒ぐなら御前をヴァレンシュタイン上級大将の嫁にするぞ」
トウカは心底と面倒臭い、と言わんばかりに溜息を吐く。
皇州同盟軍の頃の様に互いに軍人という立場からの発言をする者が多いが、そのある種の気安さが面倒を増やす事もある。去りとて、上意下達が過ぎて意見を封殺するに等しい状況は健全ではない。間違いは正されねばならない。
無論、その間違いが確定するのは今が歴史となった頃であるが。
カリアは引き際と見たのか一礼して沈黙する。
ザムエルの自由奔放な動きは陸軍でも問題になっており、彼自身を輩出した自軍の風評被害になりかねないと皇州同盟軍でも重く受け止める者が出始めていた。
嫁を迎えれば静かになるのでは?
そうした意見が出るのは当然と言えた。
無論、ザムエルを良く知らない者達の言である。
去りとて、不満を宥め、或いは意見を聞く姿勢を示す為に配下の将軍に嫁を世話するというのは極めて費用対効果の高い宣伝となり得る。
トウカはカリアを一瞥する。
起伏に富む妙齢の貴婦人が軍装を纏った姿は様になる。諸外国でも高位種や中位種が軍に多く属する皇国では年若く見える将官は公式の場でも奇異の視線を集め易い。トウカも未だに慣れない部分があった。仮装と見るには所作も気風も気配も軍人のそれなので特に奇妙な感覚をトウカは覚えている。
トウカは他の女性将官達にも視線を向けるが、揃って目を逸らされる。
対する男性将官達が苦笑しているところに、ザムエルの評価が性別で分かれている事が分かる。女に好まれる男と、男に好まれる男では大きな隔たりがある事が察せる光景であった。
下船用の階梯が用意され、〈猟兵リリエンタール〉に接続される。
湖風が軍装を揺らし、その塩気を伴わないながらも生命の循環に伴う香りを運ぶそれは、琵琶湖沿いでの情景を思い起こさせるが、シュットガルト湖の生態系は遥かに多様性がある為に懐古の念を呼び起こす程ではなかった。
――訳の分からぬ軟体生物が跳ねているな。
遠方で航行する掃海艇を追い掛けて飛び跳ねる名状し難い軟体生物を一瞥し、トウカは生態系の不思議を実感する。
そうした光景を他所に、軍楽隊と儀仗隊の整列を見て取り将官達も姿勢を正す。
トウカは旭日の片外套を翻し、儀仗隊が両側に整列した真紅の絨毯の終端に進む。
国待遇で持て成す以上、トウカが先頭に立つしかない。
枢密院などは「くれぐれも穏便に」と言う程に、トウカの歓待を不安視しており、その為に傍にはヨエルが控えていた。無論、事前の予備交渉でもヨエルが同席している。枢密院の不安がいかに大きいかが見て取れた。
トウカとしては、甚だ不本意……そう言うには自身の武断的な姿勢を自覚していたので不満はないが、そもそも、そうした方向に枢密院を誘導したのがヨエルではないかという疑念を抱いていた。
トウカとヨエルが共に過ごす時間は、エスタンジア問題を巡る一件で増加した。役立つ姿勢を印象付けようと健気に試みている様に思えたトウカは指摘しなかったが、クレアがどう思うかという一抹の不安もあった。ヨエルは治安関係の問題ではクレアを同行、或いは呼び付ける事も多い。義母娘で奇妙な紐帯が見えるので、トウカとしては掛ける言葉を見つけられなかった。揃って苦言を呈されるのは心労に他ならない。
「陛下、ハイドリヒ中将がお見えです」
皇州同盟軍航空参謀であるキルヒシュラーガー中将が近づいて耳打ちする。ヨエルは変わらず嫋やかな笑み。
トウカは想定外があったのだろうと察し、クレアを近付ける様に命じる。鋭兵達が最敬礼を以てクレアを通す。
「陛下、 御耳を」
湖風が強く吹く。
近づいて顔を寄せたクレアの言葉に、 トウカは溜息を吐く。
「……そうか」
ちょび髭伍長殿の建国した国家だけあって想像を超えてくる、とトウカは関心と呆れを覚えた。
異世界でも国家社会主義とは想定外の集合体である。
ヴィルヘルミナは早鐘を打つ自らの胸を叩き、ともすれば要らぬ誤解をしてしまいそうな己を戒める。
航海中に幾度となく観覧した甲板を、国賓たるに相応しくゆったりと余裕を持った様に進むヴィルヘルミナだが、内心ではトウカを相手にどの様な顔をして良いのか判断が付かなかった。
マリアベルの友人として遇されるのか、それとも亡き恋人の父親を罵倒した女として扱われるのか、或いは小賢しい動きをする小国の小娘と見られるのか。今更になって判断が付かなかった為である。
公式の場だから控えておく、などという常識がトウカにあると考える程に、ヴィルヘルミナは楽観的ではない。
階梯を下るヴィルヘルミナ。
直線的であり折り返しもない階梯は酷く長い。戦艦の乾舷の全高を踏まえれば当然と言えた。
因みにその階梯は砲弾搬入用の自動揚弾装置を転用したものであって、本来はヒトの乗艦や退艦を行う為のものではなかった。式典に合わせ、見栄えが良い様に折り返しのある階梯を避けたいという意向の結果である。実は、この時、トウカも見覚えのない階梯に目を丸くしていたが、未だ遠い為に互いを認識していなかった。
「赤絨毯なのだ……」
二〇〇mという全長のあるであろう赤絨毯と、その左右に並ぶ儀仗隊。五列横隊で左右に並んでいる姿を見れば、一個連隊は存在しそうな規模である。
ヴィルヘルミナは赤絨毯に足を踏み入れる事に少し躊躇った。
グリムクロイツは名家であるが、南エスタンジアの成立と情勢を踏まえれば分かる通り、莫大な資産を持つ名家など残存してはいない。資産と特権に固執する者は独立の最中に北エスタンジアに資産と共に逃げ去った。残った名家は独立に賛同し、資産を擲つ事で国家の体裁を整える事に邁進した為、多数の資産を有する名家は存在しなかった。少なくとも皇国貴族と比較すると、その身代は乏しい。
軍帽を被り直し、ヴィルヘルミナは赤絨毯を踏み締める。
貧乏性が出た形であるが、その姿もまた少女が健気に決意を見せている様に見えて様になる。美しいとは、それだけで利益を生むという傍証であった。
――ふわふわなのだ。なんか縁が金糸で刺繍されてる……
絶対高価に違いない、とヴィルヘルミナは自国では考えられない式典に肝を冷やす。
事実、ヴィルヘルミナを迎える式典は多大な労力と予算を短期集中で投じられた結果として為されている。
外交的演出という部分を超えて皇城府が張り切った為である。典礼の大部分を戦時下につき中止するとしたトウカによって皇城府は予算と立場を失った。そうした中で降って湧いた見せ場が隣国である南エスタンジアの国家指導者、グリムクロイツ総統の訪問である。
本来であれば、外務府が責任と主導権を以て一切を取り仕切る案件である。
しかし、外務府は遅々として進まぬ再編の只中にあり、そして華を持たす様な真似をする必要もないという枢密院の判断もあって皇城府への要請が行われた。
皇城府は短期間ながらも最善を尽くしたと言える。今、式典の設営に当たった皇城府職員はフェルゼン鎮守府の倉庫で折り重なる様に眠っていた。不眠不休の代償である。
「盛大ねえ。これ、結婚式は凄い事になりそうね」
背後からのヨゼフィーネの声に、ヴィルヘルミナは、寧ろ婚約は個人の案件なので内々に済ませて予算削減すると言い出すだろうと内心で確信していた。
無論、周囲がそれを認めるか否かは不明であるが、トウカは合理主義者であり、演出よりも実績による支持拡大に重きを置いている。可能な限り数字を以て示すという点ではヴィルヘルミナも信頼を置いていた。口先だけの政治家など消耗品に過ぎない。
「あれが......」
赤絨毯の終端で佇む黒衣の軍装と旭日を肩に掛けた青年。
曖昧な笑みは感情を掴ませないが、今迄の実績から油断ならぬ人物である事を、ヴィルヘルミナは誰よりも理解していた。
「お初に御目に掛かる。グリムクロイツ総統閣下。気取った名乗りは必要だろうか?」
思いの外、好意的な声音に気さくな言動。
ヴィルヘルミナもまた近しい相手に応じる様に答える。
「いえ、私達は互いを良く理解しているのだ。天帝陛下」
撮影機の砲列が一斉に光を放つ中で、二人は互いに苦笑を零す。
一層と強くなる撮影機の閃光に更に、トウカの苦笑は深くなる。彼自身公式の場に姿を見せる事は稀である事からも、公式の場というものが苦手である、或いは必要性に乏しいものだと見做しているのは明白である。
困ったのだ、とヴィルヘルミナは両手を広げる。
撮影時に於ける国家元首の友好演出の幅など知れているが、 ヴィルヘルミナもまた小国の指導者でしかない為、国家元首同士の会談は初めてである。南エスタンジアが分断国家であり、常に準戦時体制である事で来訪を躊躇われている、という理由もあった。
トウカ両手を広げて、ん、と唸るヴィルヘルミナに困り顔。退路がないと見たのか、トウカはヴィルヘルミナを抱擁する。
今迄で一番の閃光が周囲を満たす。
本来、異性であれば国家元首であっても友好演出として抱擁を交わす事などないが、ヴィルヘルミナとしては一歩踏み込んだ形としたいので、こうした形となった。無論、トウカから抱擁するという点が重要なのだ。
国家の矜持という名の、女の矜持である。
国家を売るのだから最高値を望むくらいは許されるという事に及んでの開き直り……或いは意趣返しであった。ヴィルヘルミナも皇国による併合の必要性を理解しているが、不安と遣る瀬無さを覚えていない訳ではない。そうした発露が酷く屈折した形で生じた形である。
「困った事だ。友軍に奇襲攻撃かな?」
「奇襲、と陛下が認めてくださるなら、私は陛下に奇襲するだけの力量がある、と万人に胸を張れるのだ」
二人は両の手を掴み合いながらも互いの距離感を掴みかねていたが、同時に一歩も引かないという点では同様であった。
ヴィルヘルミナは圧倒的支持率で国内の政治演出を思う儘に誘導していたが、トウカ相手にそれが通じる筈もなく、偶像ではなく女性でしかなかった。無論、見目麗しい女性を抱擁した事に、後でクレアに言い訳の必要性を覚えてもいたが、それはヴィルヘルミナの与り知らぬ事である。
そして、トウカはただ奇襲を受け入れる男ではない。
ヴィルヘルミナは、トウカが深く腰に手を回した事に驚きを示したが、次の瞬間には浮遊感に僅かな恐怖を覚え、そして最後には陽光の下でトウカの顔を見上げる形となり言葉を発せない。
一拍の間を置き、自身が抱き上げられたのだと理解したヴィルヘルミナは一時であるが呼吸を忘れた様に感じ、その後、引き攣った笑みを零す。
笑顔を絶やさぬ様にとの努力であるが、トウカはそれを一笑に付す。
「陛下は女性の扱いを心得ているのだ」
撮影機の閃光が陽光に負けぬ程に輝く光景に煩わしさを覚えつつも、女性らしく悲鳴など上げてしまっては国家元首としての印象に差し障ると、努めて平静を装う。
トウカは肩を竦める。
「その様な事はない……後々、貴女の指導を期待しているところだ」
未だ婚約は曖昧な現状での発言としては、どの様にも取れる発言であるが、記者達が揃って手元で筆を走らせる。各々の印象と内容に大きな落差がある事は間違いなかった。新聞記事は真実の場ではなく、新聞記者の創作の場であるのだ。
「さあ、行こうか、総統」
トウカは振り返ると、道を空けた隷下の文武の重鎮に鷹揚に頷く。
歩き始める姿。
しかし、ヴィルヘルミナは胸に抱えられたままであった。
「お、下ろして欲しいのだ……」
最早、気恥ずかしさが過ぎて小声のヴィルヘルミナ。ちょっとした悪戯心が招いた振る舞いの結果が明日の三面記事で世界を駆け巡るだろうが、今はそこまで思考が追い付かない。
「貴女が始めた事ではないか。俺が欲しいのだろう?」
なんて事を言うのだ。
ヴィルヘルミナは周囲の文武の重鎮が一斉に視線を逸らした姿に気付かないが、背後からのヨゼフィーネの哄笑に、トウ力の胸元を掴んで懇願する。
「慈悲はないのだ?」
「戦場では弱ったモノに優先的に悲劇を与えてゆくものだ」
軍人が戦場以外で軍人の理屈を持ち込むと碌な事にならないが、トウカの場合、柔軟に押し通しているから始末に負えない。ヴィルヘルミナは常々、そうした臨機応変にして変幻自在な姿勢を見習いたいと考えていたが、再考する余地が出てきた。
華麗に無理無謀を押し通す姿は勇ましく、感動すら覚えるが、無理無謀を押し付けられる側は堪ったものではない。国家ではなく個人に降り掛かるならば猶更である。 負担を分かち合うべき盟友は背後で呵々大笑である。
「怒ってはいない。どうも皆が怯えるのでな。予めそう伝えておこう」
苦笑するトウカに、 ヴィルヘルミナは少しばかり驚く。
木漏れ日の様な笑み。温厚な側面が垣間見えた。
「マリィの友人に無体などしない。例え、国家規模の莫迦をしたとしても」
ならばマリアベルの妹であるアリアベルへの仕打ちはどうなのか、という疑問を覚えたが、その言葉には存外に国家規模の莫迦以外のナニカがあるのだという迂遠な指摘であるのだとも、ヴィルヘルミナは悟る。
「私は……亡き親友の男に言い寄る女狐なのだ」
「本当に狐だったならば大いに歓迎するのだがな」
女狐という表現を三角関係に於ける後発の女性に使用する事は珍しくないが、相手がトウカでは忌避感を覚える様な事もない。
「政治がそれを求めるのだ。個人の感情など意味を為さないだろう。寧ろ、感情に背を向けて実利を取るのだ。賞賛しても侮る真似はしない」
政治的力量に対する賞賛。
ヴィルヘルミナは言葉を返せなかった。
素直に認められるとは考えていなかったという事もあるが、そうした言葉が口に出るという事は、以前から動きを見られていたという事でもある。一事を見て判断する程にトウカは安易な人物ではない事は経歴が証明していた。
ヴィルヘルミナが沈黙した姿を見たトウカは、抱えていたヴィルヘルミナを地に下ろす。少し怖くて地に足が着くまでトウカにしがみ付いた姿にヨゼフィーネは、あらあら、などと口にしているが、ヴィルヘルミナにそれを咎める余裕はなかった。
移動の為の装甲車輛の前だと気付いたヴィルヘルミナは、乱れた髪を手櫛で直し、咳払いをする。
「女性の扱いに慣れている様で不安なのだ」
「マリィに引っ叩かれながら矯正されたものでね」
乗車を促したトウカに、 ヴィルヘルミナは鷹揚に頷く。
二人して装甲車輛へと乗車する。
乗降者する扉は小さいが、車内はヴィルヘルミナの想像よりも広く、軍用車輛を要人護送の為に改修したものだと一目で理解できた。
トウカの臨席には統合憲兵総監として辣腕を振るうクレアが着席している。清楚可憐な佇まいに、ヴィルヘルミナは自身も時には妖精と称されるが、実在の妖精に連なる者を前には言葉を掛け難かった。
意外な事にヨエルは、空へ駆けて航空歩兵の戦列に加わっている。頭上に熾天使があるという演出。
要人や鋭兵も複数車輛に分乗し、先頭や後尾は装輪式歩兵戦闘車が固めており、上空には航空歩兵が展開している。厳重な警備態勢であった。無論、それは目視可能な警護であり、恐らくは光学遮蔽術式を使用した警護も相応に存在すると、ヴィルヘルミナは確信している。
直接警護による時間稼ぎと、光学遮蔽術式によって不可視化した予備隊による包囲。 ただの警護で済ませないのは、トウカの気質を踏まえれば当然と言えた。
椅子に工夫があるのか振動は殆ど伝わらず、遮音術式まで展開している様で主機の音も聞こえない。ヴィルヘルミナは素直に自分も優れた移動手段が欲しいと思った。
対面に座るトウ力は、座席に深く腰掛けて終始落ち着いた姿で、ヴィルヘルミナとしては些か敗北感があった。横に座るヨゼフィーネは終始笑顔である。
「私は……」
「いや、先に言わねばならない事がある」
ヴィルヘルミナは口を開くが、トウカはそれを片手で制する。
笑顔は消え、そこに感情は窺えない。
ヴィルヘルミナとヨゼフィーネは顔を見合わせると、二人して頷く。
トウカは、一拍の間を置いて告げる。
「貴国で政変が起きたと先程、報告があった。レーム? レイム?なる人物が武装蜂起を行って首都を制圧したそうだ」
トウカが隣に座る清楚可憐な憲兵総監を一瞥すると、憲兵総監であるクレアは一枚の報告書を差し出す。
受け取ったヴィルヘルミナは報告書に目を通す。顔を寄せてきたヨゼフィーネも一緒に確認するが、眉間には深い皺が刻まれる。
「あの色惚け女め……」
ヨゼフィーネの口から出た罵倒。トウカは視線を逸らして聞かなかった事にしている。配慮であった。
しかし、ヴィルヘルミナは別の事を考えて、それどころではなかった。
「陛下、天帝陛下……それは陛下の御深謀の一環なのだ?」
トウカが南エスタンジアの騒乱の裏に存在する可能性。
意図を推し量れる訳ではないが、実力として可能であり、他国の騒乱に付け込む力量と軍事力を持つ事も確かである。
「まさか、この様な状況では責官が亡命政権を、という話になりかねない。露骨過ぎる。それならば、貴官の救援依頼を受けて派兵して済し崩しに……という方針を採用するべき場面だろうが……それでも他国に要らぬ御高説を賜る事になりかねない」
それはそれで嫌な話であるが、道理でもあった。
親善外交の最中に祖国で政変が起き、訪問先の国家で亡命政権を樹立するというのは、偶然としては露骨過ぎるものがある。
「……そうなのだ……でも……」
レイムがそうした暴挙に及ぶとは、ヴィルヘルミナにはどうしても思えなかった。
ヴィルヘルミナからするとレイムは姐御肌の良き盟友である。勇敢でいて豪放磊落。 慕う者も多い国家の重鎮であった。些か同性愛に強い拘りを持つが、その辺りは個人の話であり、ヴィルヘルミナとしては些か肉体的接触を試みてくるのはどうかと思うものの、良き姉貴分である事に変わりはない。
――どうして……こんな事に……こんな時に……
そうした感情がヴィルヘルミナの胸中を占めていた。
「あの女、いつかやるとは思っていたけど、この時期に動くなんて……」
そう吐き捨てるヨゼフィーネと、ヴィルヘルミナの抱いた感情は対照的だった。
トウカは困惑している。
他国の指導者層の人間関係を見せつけられて、咄嗟に返せる言葉などない。
「でも、不幸中の幸いだったわ。貴女、国に居たら手籠めにされてたわよ」
「そんなことはないのだ。レイムの周りには見目麗しい乙女が一杯なのだ。私に手を出す理由がないのだ」
互いに、何を言っているんだ?という表情を崩さない二人に、トウカはうんざりとして身体を傾ぐ。
「中々に情報が纏まらないが……確かに婚約の反対を掲げての武装蜂起の様だが……そこまでするものか?」
皇国による帝国本土各地への戦略爆撃は国際的に見て、トウカが恋人を失った事に起因とする報復行動と見られているとので、 ヴィルヘルミナとしては言われたくはないというのが本音であった。
「女が女を求めて武装蜂起か……まぁ、そういう事もあるだろう。伍長殿への皮肉が効いている」
初代総統に対して相当な理解があると、ヴィルヘルミナは息を呑む。
人口増加を望む初代総統は同性愛に対して極めて否定的だった。その点を指しての発言である事は疑いない。
「早々に対応を決めるべきだ。具体的には、殺すか、説得するか、となるだろう。三日過ぎて解決しないならば、武装蜂起ではなく内戦と見做す国家も出てくるだろう」
どの道、北エスタンジアへの警戒を踏まえれば十分な戦力を抽出はできない。国境に張り付いた陸軍主力は動けず、そもそも旗幟を鮮明にするにも時間を要する。国内での騒乱で難しい点は、敵味方の区別にこそあった。同じ部隊でも支持する対象が異なる事で身動きが取れない事もあれば、個別に動いて指揮系統から離脱する例もある。最悪は同じ部隊で同士討ちであった。
皇国に於ける内戦は、旗幟が鮮明に過ぎる程に鮮明だった点では歴史的に見ても稀有なものであった。
「それはそうなのだ」
他国の介入を招く恐れもある。北エスタンジアが大規模攻勢を試みる可能性もあった。最悪の場合、神州国の強襲上陸も有り得る。
「空挺戦力での斬首作戦をすべきだとは思うが、他国の人間では判断し難い」
国家特性、国民気質、政治情勢、軍編制、思想分布、宗教比率、国土地理……複雑な要素が絡み合った戦争の中でも、自国民同士が争う内戦が最も判断材料が複雑に絡み合う。互いによく知り、距離が近い故に判断を過つ事もあれば、見えぬ事もある。 そして、それらが対外戦争よりも大きな爪痕を遺す事が多い。
そうした諸問題を避けるべく、短兵急に事を収める為、武装蜂起した首謀者の殺害のみを目的とした軍事作戦を展開する。
首謀者が居なくなれば、そもそも統治基板の整わない武装蜂起などは簡単に瓦解する。同調した者も、問題の多い人物や主要人物以外は罪に問わないと布告すれば、軍人は原隊復帰し、民衆は生活に戻る。組織的な動きが困難となるのだ。そうなれば、最早、暴徒と変わらない。強大な軍事力を必要とする相手ではなくなる。
「兵力は皇国側で準備する事も吝かではない。戦略爆撃航空団に空挺兵だけでなく、航空歩兵を搭載して降下させれば市街地でも近接航空支援も可能になる」
帝都空襲で行った戦術である事はヴィルヘルミナにも理解できた。戦略爆撃を行わないのであれば、寧ろ首都への大規模な地上侵攻を行うよりも民間への被害を低減できるので軍事作戦としては最良と言えた。
「此方としても我が国への合流という動きを途切れさせたくはない。被害には最大限の注意を払わねばならないし、もし後始末が面倒なら俺の責任にしてくれて構わない」
「陛下の……名前を出せば両国の関係が拗れると思うのだ」
トウカが前面に出ては武力併合という面が色濃くなるので、南エスタンジア国民に悪印象を与えかねない。
「要らぬ武装蜂起など起こしたから輿入れが避け得なくなったとでも言えばいいだろう。こういう時は男を悪者にするものだ」
隣国に武力鎮圧を要請するのだから対価が必要である。婚約は一段と避け得なくなったとでも言えば、ヴィルヘルミナの婚約に否定的だった者達は立場を失う。
しかし、トウカとしても武力鎮圧は望ましい状況ではないのか表情が渋い。
「とは言え、説得できるならば、それに越したことはない。可能か?」
判断しかねるのだろうと、ヴィルヘルミナは考え込む。南エスタンジアは個性的な国家であり、他国から見ると理解し難い部分が多いと見られるのは、ヴィルヘルミナ自身も理解していた。
同時に、ヴィルヘルミナ自身も初めての事なので判断しかねる部分が多かった。そもそも、直接、言えばいいものを行き成り武装蜂起という点も理解できない。
見かねたヨゼフィーネが口を挟む。
「相手の要求は婚約阻止の様です。婚約の伴わない国家統合では、政府は将来的な安寧を確保できないと見ています」
武装蜂起側への譲歩は有り得ない、とヨゼフィーネが言い切る。ヴィルヘルミナとしても、此処まで来て話を覆すようでは皇国側の印象が大層と悪化するので同意見であった。
「俺としては、婚約に関わらず、国内での経済格差の是正は常に重視するが……保証という形として婚約がある事が望ましい……貴国の政府はその点を譲らないという事だろう?」
「そうなのだ」
自身が言い出したと露呈していないと見て、ヴィルヘルミナは当然の様にトウカに同調し、政府が婚約話を持ち出したという体にする。ヨゼフィーネは渋い顔であった。
「妥協点を見いだせない……ようにも見えるが……」
トウカは腕を組み、唸る。
南エスタンジアという国家を計りかねている様は、自国がトウカを悩ます程の大きな存在になった様にも思えて、ヴィルヘルミナは少し誇らしい気持ちになった。
だが、トウカの計りかねた部分は南エスタンジアという国家に対してではなかった。
トウカは気不味気に隣席のクレアに問い掛ける。
「あー、なんだ。女性同士なら、まぁ、そうしたものは男は気にしないと思うのだが……憲兵総監としてはどの様な見解を持つ?」
意味を理解できず、 ヴィルヘルミナは首を傾げる。当のクレアも困惑気味である。
「え? はぁ、私ですか? いえ、そうした分野は些か専門外で……」
エスタンジア地方出身だから尋ねたのか、適当な話題を振る先がなかったからであるのか、ヴィルヘルミナには判断が付かない。
「陛下、僭越ながら――」
「――いや、済まない。ここは当事者同士では話すべきだろう」
ヨゼフィーネが進言を試みるが、トウカがそれを制する。
そして、ヴィルヘルミナへと向き直り、諭すように告げる。
「こちらとしても政略結婚の都合上……しかも女性の女性関係に口を挟む理由はない。寧ろ、貴官が政略の為に己の節を曲げているならば、元の鞘に戻る事を此方としては黙認する用意がある」
紳士的に告げるトウカは、ヴィルヘルミナから見ても気遣わし気であった。配慮をされる程に重視されているという事は嬉しいが、トウカの想定外の勘違いにヴィルヘルミナは咄嗟に反論を思いつかない。
「愛する者と袂を分かつのは辛い事だ。マリィの友人にまでそうした思いを寄せる事を俺は望まない」
酷い恥辱を受けた気分であった。
同時に斜め上の方向に心配をされている事に対して、どの様に弁解したものかと、 ヴィルヘルミナはヨゼフィーネに視線を向ける。
止むを得ないと見たのか、ヨゼフィーネが一礼する。
「陛下。違うのです。我が総統は至って平均的な嗜好の持ち主に御座います。何より、総統と副業に忙しく、このままでは人気に縋って行き遅れる事を心配して政府はこれ幸いにと――」
「捏造なのだ! 政府はそんな心配していない……はず……」
途中で少し自信を失うヴィルヘルミナ。
直接、確認した訳ではなく断言はできず、そうした側面がある事を否定できる根拠はない。
独裁者と女優は人気商売である。
そして人気は永続しない。
寧ろ、その人気や立場を維持しようと試みて、却って破滅する傾向にある。
故に他の権力と結び付き、或いは対抗馬が生じ難い環境を形成する事に躍起になる。
政府がヴィルヘルミナの権勢維持を望み、長期化を試みるのであればトウカとの婚約に対して好意的なのは当然と言えた。政治家や官僚にとり、治安と税収の不安定化は悪夢であり、そもそも、そうした部分が絶望的だったヴィルヘルミナの総統就任以前に戻りたくはないという固い決意があるのは想像に難くない。
総統という職種を終身官とするのは印象が悪く、小国の立場としては危険であり、そうした部分に反発する形を国内の一部勢力に与えかねない。反動勢力にはそれらしい根拠すら与えるべきではなく、権力維持には民衆が望む様な話題を含めた物語の形成が望ましい。そうした点では、他国の指導者との婚約は最適であり、南エスタンジア政府閣僚や官僚への悪印象を避け得るというのも彼らからすると渡りに船であった。
対するヴィルヘルミナは経済的利益と軍事的脅威の二つから政府を説得できたものとばかり考えていた。
しかし、実際のところ政府や官僚達は今を失いたくはない、或いは過去に戻りたくはないという恐怖心からヴィルヘルミナとトウカの婚約に好意的であったと言える。
女優業などという流行り廃りを真に受ける程、政府も官僚達も馬鹿ではない。寧ろ、ヴィルヘルミナもそうした部分に目を曇らせない人材を積極的に登用していた為、当然の判断と言える。
今更になり、政府が一部国民の激烈な反発を承知の上でも好意的な理由にヴィルヘルミナは気付いた。
トウカも疑問に満ちた表情を隠さない。
「大層と見目麗しい行き遅れも居たものだな。いや、類は友を呼ぶ、ということか……」
納得したのか一転して頻りに頷くトウカ。明らかにマリアベルの友人なのだから不思議ではないという視点に基づいた誤解である。ヴィルヘルミナとしては、行き遅れを押し付けられたなどと誤解を招かれるよりは救いがあるが、友人の特異性を自身にまで押し付けられるのは遺憾であった。
下手な事を口にしては傷が広がりかねない、とヴィルヘルミナは言葉を飲み込む。元を辿れば、ヴィルヘルミナ自身が始めた茶番であるという負い目と遣る瀬無さもあった。
「そうした……女性同士で近しい関係ではないと?」
「当たり前なのだ! 何もされてないのだ!」
寧ろ、ヴィルヘルミナとしては、今この時が人生で最も辱めを受けた瞬間である。
トウカは投影された車外の街並みに視線を向ける。
「……ふむ、では殺すか」
そうではない。
ヴィルヘルミナは、どうしていいか分からず、トウカと同様に車外に視線を向ける。
流れる街並みは合理性からなる無機質と、民衆の活気からなる熱気が入り混じる奇妙な光景が窺える。
窓のない装甲車輛でありながら、魔術による光学投影で視界を確保しつつも車体の防御性能を失わないという長所がある。無論、魔術的処理に造詣が深く、製造単価を大きく抑えられる皇国だからこそ大々的に採用できる技術でもあった。
神秘と科学を通して見る街並み。
それは恐らく盟友であるマリアベルも見たものであると思うと、彼女がどの様にトウカの手綱を握ったのかという疑問も湧き出る。
独裁者と独裁者。
去りとて、毛色の違う二人は互いに距離を測りかねていた。
しかし、周囲には距離を測りかねているが故の積極的な遣り取りを見て良好な関係と誤解していた。




