第三六九話 三国密談 前編
「サクラギ・トウカだ。巷で軍神と呼ばれている。序でに天帝もしている」
最近は一周回って受けが良い自己紹介を口にしたトウカに、神州国特使と部族連邦特使が何とも言えぬ表情をする。返答と表情に困るのは当然で、外交では些細な事も問題化しかねない。
無論、トウカは他国を攻め滅ぼす謀議の前には些事だと気にも留めないが。
「神州国特使として参りました安倍晴明ば……に御座います」
緊張……というよりは慣れぬ口調に見えるが、晴明は長命な人物であり、為人を探ろうと、敢えてそう振る舞っているのかも知れないと、トウカは気さくに振る舞う。
「ああ、平素の口調で構わない。何せ、歴史に残る悪事を働こうという仲だ。虚飾など時間の浪費でしかない。直截的に行こう」
それは周囲の想像以上に本来の姿であった。
右隣の憲兵総監は驚き、左隣の熾天使は溜息を一つ。
ヨエルの場合、トウカが好意的な理由が狐娘であるからと考えた為である。そして、それは間違っておらず、トウカは自覚していないが、少なくとも初対面でこれ程に饒舌な事はそうなかった。
部族連邦特使として収まっているフィロメーラ大佐などは、少し傷付いた表情をしている。美人は得だと言いたげである事は一目瞭然であるが、気付かぬトウカも、呆れるクレアもヨエルも指摘しない為、誤解はそのままになる。
無論、相手は妖狐。妖怪化生の類である。
それを理解した上で気に留める程度にもならないのが皇国である為、一線を引く事はない。トウカも多くの種族と邂逅し、そして死を命じてきた。数多の種族はヒトより強く、そしてヒトと変わらぬ様に死んでゆく。
だからこそ臆するものはなかった。
寧ろ、揺れる九つの尻尾に興味津々である。
――白にも見えるが……銀狐か……皇国にも居ない訳ではないが……
見紛う事なき銀ともなれば話は別である。
銀に近い、と銀では、これ程に差があるのか、とトウカは感心するしかない。
寛大な心情になるのも已む無しであった。
「それは助かると」
「……中々、懐かしい言葉遣いだな」
九州出身の野戦指揮官達を思い出したトウカは、恐ろしい戦闘狂達がこの世界に漂着している可能性に苦笑するしかない。薩摩隼人も熊襲猛も理屈を超えた戦争をする。
「陛下、神州国南部の方言に御座います。御存知の方言でありましょうが色々と混じっております。それだけかと」
ヨエルの注釈に、トウカは複数人が漂着して文化が混じり合い、そしてそれ以上にはならなかったと察する。
「フィロメーラ大佐も息災で何よりだ。政治家共は意気軒高か?」
狐に向ける笑顔をそのままに、フィロメーラに語り掛けるトウカ。何故かフィロメーラは、一瞬だけであるが酷く臆した顔を見せる。
一部の政治家とその家族を拘禁し、無理やり挙国一致体制に臨もうとしている事への揶揄でもあったが、同時に政治家の拘束による弊害や不都合で問題は生じていないか、という問い掛けでもあった。無論、以前に面識がある姿を神州国特使である晴明に見せる事で、想像以上に連合王国分割の話が進んでいると見せる為でもある。
フィロメーラもそれを察して大仰な仕草で語る。
「意気軒高に御座います。愛国の何たるかを学び、義に篤い者達に囲まれて教国に邁進しておりますゆえ」
これ以上ない程に心強く、そして中身のない言葉に、トウカは椅子の肘掛を叩いて笑う。
政治家に厳しい現状を共有しつつも、軍の監視下に置き、同意を引き出している。 そういう事だろうと、トウカは見て大いに機嫌を良くする。監禁をこれ程に前向きに表現した言葉はそうあるものではない。
しかし、危険な綱渡りでもある。
「もし、政治家が勢い余って貴官を排撃しようとするならば、 我が国に来るといい。 歓迎しよう」
「心強い御言葉です」
心強いという心情の表明。肯定も否定とも言い訳できる。具体性を徹底的に避ける姿は清々しさすらあった。実力が伴わないのであれば、ただの大雑言に過ぎないが、 力量あるならば、それは賢しさに他ならない。
――祖国と自身への不利益を避ける力量はあるか。
何方も纏めて満足させ得るならば一流である。一方のみしか立てれぬというのであれば二流である。どちらも失うのは三流である。
「本来は共和国や協商国からも特使を招きたいところであったが、こうも群れては事が露呈しかねない。何より、不幸な対立もある」
共和国と協商国も関係が良好という訳でもない。
共和国は帝国に積極的に攻勢を掛けない協商国に不満を持ち、協商国も勝算のない戦線の押し上げを試みて人口と国力を落尽する姿を無策と嘲笑している。
無論、銭の為には協力できるのだが。
しかし、神州国と部族連邦は、状況次第では干戈を交える可能性が高く、第三国が立ち会った上で合意を図るべきだという意見が出た為、こうして関係国全てが参加した場で話を進めようとしていた。
トウカは当初、一堂に会して、帝国へ圧力を掛ける意図も含ませようと考えたが、連合王国への露皇や、立憲王国の横槍を考慮して可能な限り分散すべきだと枢密院が提言し、各国もそれを望んだ為、個別の会談となった。
皇国それ自体が帝国に対して軍事的余裕が生じ、経済状況も好転しつつあるという認識が、枢密院に慎重策を選択させた。乾坤一擲を行う程に差し迫った状況ではない。トウカとしても、外交的紐帯を当てにする程に耄碌してはおらず、必要であればそうした状況に追い込む心算であった為、それを受け入れた。積み重ねは重要ではあるが、その内容の全てが必須ではない。
全てを皇国内で行う事も避けるべく、皇国が特使を派遣している国もある。
共和国にはリシアが赴き、協商国にはネネカが赴いていおり、総統は後に個別で顔を合わせる予定であった。
共和国は大統領が明朗闊達ながら油断のならない人物であり、外交関係に留まらない個人的関係の構築を目論んでリシアを派遣した。無論、リシアが起こした諸問題を以てこれ幸いと決定した経緯もある。
協商国は事前の秘密会談では前向きではあったものの、その国土防衛に特化した軍事力整備の中で、どれ程の戦力投射が行えるのかという点の確認が必要であった。そして、必要な支援が必要な場合、その種類と規模がいかなるものであるかの確認まで必要とされている。参謀将校であるネネカが赴くのは理に叶っている。
対する総統は自ら皇国に赴き、首脳会談を行う事が決定している。既に皇国の戦艦 〈猟兵リリエンタール〉で移動中であり、数日中に到着予定であった。
分散して意思疎通を図るが、その期間は短い。
長期化すると情報が漏洩しかねず、何よりも短期間で合意と準備を済ませ得るならば、情報漏洩があったとしても対策の時間を与えずに済む。
疾風迅雷の行動は、敵の対処時間を奪う。
それは政治でも変わらない。
拙速で躓かない限り於いては。
――まぁ、何処かで漏れるだろうが。
各国の軍がある程度の準備を終えている段階以降であれば、トウカとしては情報漏洩は望むところであった。寧ろ、統合情報部が情報漏洩を演出する予定ですらある。
ある程度は抵抗して貰わなければ神州国の被害が増えないのだから。
「ところで、神州国は未だ部族連邦との戦争に踏み切る意図があるのか?」
最大の懸念点。
連合王国ではなく部族連邦の領土での植民地獲得を求めるのであれば、連合王国の分割戦力はそれ以外の国家によって行わねばならなくなる。無論、部族連邦に植民地を作る動きをする神州国を、皇国も共和国も協商国も警戒する事になる。新たに得た連合王国での領土の不安定化を水面下で試みられては堪ったものではない。抵抗する部族連邦に三ヵ国は多大な援助をする事になるだろう。
神州国は部族連邦領土で消耗した上で叩き出される事になりかねない。
――適度に手加減して負担を掛ける心算ではあるが。
余りにも圧力を掛けると商用航路の遮断という選択肢を神州国が取るかも知れない為、見極めが必要であった。
「それは些か……」
「明け透けばい……」
晴明もフィロメーラも、もう少し外交的建前に基づいた言葉が欲しいと考えていたのか苦笑の二重奏が響く。
「我が国は諸外国と共同歩調を取って安定した利益を確保しようと考えておるとよ。 植民地があれば民の溜飲は下がるばい。中身はどうでもよかと」
晴明は明確に植民地の必要性のみを訴え、それが部族連邦でも連合王国にあっても変わらないと明言する。
「卿は確か植民地政策に反対していたな」
神州国内で国民の熱狂を他所に激烈に大陸出兵という名の植民地政策に反対する晴明の名は皇国にも聞こえている。
国内では相当な批難だけでなく、実力行使に及ぼうとする暴漢も複数現れており、 九条家を取り巻く状況は悪化が予想される。航空母艦四隻を譲渡しようとも、反対を口にする以上、厳しい視線は時間を経る毎に増加する。
そうした晴明が特使として姿を見せた事自体が、ある意味では明確な返答とも言える。
「親書を預かっておりますたい」
手元の黒箱から取り出した親書を晴明は直接、トウカへと手渡す。
謀議の為の小さな一室は、アルフレア離宮に今は亡きマリアベルによって作られたものであるが、今回が初めての利用であった。そもそも、有力貴族や政治家などと内密な議論をする程、マリアベルは交友関係が広くもなく、信頼も立場もなかった事から、 外の有力者との遣り取り自体が乏しかった。
撮影による情報保存を避ける為に薄暗い部屋で、揺れる蠟燭の燈火に照らされた親書をトウカは両手で受け取る。
序でに晴明の手を取る。
苦労を知らぬ手の様に思えるが、魔術的な防護や回復が可能な世界では、手は人生の出来事や苦労を示さない。ただ、狐娘の手というのはトウカにとって中々どうして魅力的である。理屈は分からない。成程、これが嗜好というものか、とトウカも納得するしかない部分があった。
生来の性分か、何某かの後付けの嗜好かまでは判断しかねるが。
諸々悉くが仕組まれていたと知ったトウカからすると、中々どうして自身の感情と何某かの意図は線引きし難いものであった。
「何とよ?」
驚いた晴明だが、トウカは手を離さない。
ただ感触に心を捕らわれていただけでなく、自身が奈辺に在るのかと思考が逸れていた。
「陛下」
「おや……私の妖精が不機嫌な様だ。許して欲しい。九尾の狐殿」
「不機嫌ではないです。御戯れは困ります」
クレアの機嫌を察し、トウカは晴明の手を離す。
曖昧な笑みでトウカは謝罪する。晴明は益々と混乱していた。実はトウカも混乱していた。名前が名前で九尾の狐なのだから当然とも言える。
「確かに受け取った。ここで開封するべきだろうか?」
「それは……内容を知る者は我が国には居らんと」
つまり、神州国の神皇が自ら筆を執り、自らの意思で記したという事になる。
――未だ幼いと聞いていたが……いや、そうした建前が必要な内容という事か?
考えて見れば初めて受け取る親書である為、トウカは心躍るものがあった。
これが著しく問題のある文章だった場合、それこそ眼前の美しい狐娘をどうしてくれようか、という感情がトウカの胸中で鎌首を捧げるが、開ければわかる事であった。
不埒な感情に気付いたのか、晴明の尻尾は九本全てが丸まっている。
トウカは親書を開封する。
中には二枚の親書がある。
暫く、トウカの思考は理解を拒絶した。
不敬上等と言わんばかりに覗き見てきたヨエルも、反応に窮したのか嫋やかな笑顔のまま元の位置へと戻る。何か言えとトウカは思うが、ヨエルが言及を避けたという事は、魔術的な仕掛けによる内容の隠蔽なども為されていないという事とも取れる。
「あー、うん。親書だな。見紛う事なき親書だな。額に入れて私室に飾る事にしよう」
親書ではある。
定義上、親書の内容に制限がある訳ではない。国家指導者から国家指導者への手紙なのだから親書である。恐らく。
「失礼。内容を聞いても良かと?」
トウカは黙って机上に親書を置く。
みんななかよく。
そうした題名が上部に書かれ、中央には色鉛筆で書かれた拙い人物達が手を取り合って笑っている光景……まさに子供の落書きでしかないそれ。
「これは……」
フィロメーラは絶句している。
神州国は大丈夫なのか?
みんななかよく(物理)をされそうな国家の軍人としては、まさにそうした心情であろうが、トウカは気付かぬ振りをした。掛ける言葉がないというのもある。
「あら、微笑ましい事ですね。額は此方で用意しておきます」
少しずれた事を言うクレアだが、確かに無下にはできないので額に飾るしかない。 同時に国家枢機の最奥で温湿度管理して保存すべき性質のものではなかった。
「陛下、もう一枚は......」
ヨエルが二枚目の親書の内容を問う。
「宰相、幼少の砌の絵心を誇示する振る舞いを、後に後悔させる真似は避けたい」
二枚目も独創的な絵だと、トウカは暗に告げる。
子供時代の絵が隣国で掲示されるなど、成人してから発狂沙汰になるのは明白である。馬鹿なら開戦事由にしかねない。
とは言え、全く見せぬでは不信を買うので一枚目は見せざるを得なかった。トウカは自身の落ち度ではないと胸中で自己弁護する。幼き日の恥ずかしく思える振る舞いなど、誰しもにあるモノである。桜城家の場合、やらかす出来事が一々大きいので、トウカの場合はは幼少の記憶など圧し潰されて久しいが。
「幼い娘の微笑ましい振る舞いを、後の世に突き付ける真似をする心算はない……とは言え、捨てたでは印象が宜しくない。画伯の作品は私室に飾らせてもらうとする」
「……御配慮、感謝するばい」
晴明は溜息と共に感謝する。
本当に内容を知らなかったであろう様子に、トウカとしては同情するしかない。フィロメーラも沈黙している。神州国から要らぬ不興を買うべきではないと考えているのは容易に想像できた。
「では、親書の内容も確認できた事でありますから、本題に入りますか?」
「そうだな、大佐。全ての国家の安寧の為、大いに話し合うとしよう」
親書の内容が連合王国分裂に伴う神州国の要求だと考えていたトウカとフィロメーラは早々に話題の軌道修正を図る。晴明も異 論はないのか沈黙と共に頷いた。
要点としては、神州国の植民地政策の対象が部族連邦から連合王国に移る点、そして神州国が求める植民地の規模がある。トウカとしては、問題は少ないと見ていた。
「皇国としては、連合王国の解体と神州国の責任ある統治を求める」
連合王国が解体され、その領土に巨大な神州国の植民地が成立し、そこで神州国が国力を減耗するのであれば、皇国として他に重視すべきものはない。
関係国の中で、皇国が最も取り分が少なく、そして責任も少ない立場にあった。その意図が利益ではなく、他国の不利益を求め てのものであった為である。
無論、それを許さない、或いは自国の国益の為に面倒に巻き込もうとする国家も存在する。
「部族連邦は、神州国による連合王国進出を認めますが、我が国と植民地の間には緩衝地帯として皇国が領土を有する事を求めます。必要ならば我が国は領土割譲の用意もあります」
フィロメーラの言葉に、晴明が小さな驚きを示す。
神州国植民地と国境を接したくはないという鉄の意思は、神州国の領土的野心を踏まえれば致し方のない事であるが、自国の領土を割譲してまで避けるべきと考えているとまでは考えなかったのだろう。
そして、恐らくは皇国と部族連邦が事前にそうした遣り取りをしている事を理解した筈であった。それ故の驚きである。
事前協議なく領土を押し付ける真似をして関係に亀裂を入れるというのは危険性 (リスク)が大きい。皇国と部族連邦の外交関係は、先の戦争の経緯から明らかに前者に主導権がある。不興を買う提案や想定外の動きを避けるのは当然と言えた。
トウカは晴明に言葉を促す。
「神州国は連合王国の沿岸域全体と王都を含む中央部までの植民地化を求めると。そして、それに伴う各国の不干渉も要求するたい」
御前会議で決定したであろう項目を告げる晴明。
中々に強欲だと、 トウカは苦笑するしかない。
連合国国土の半分以上を植民地化するという意思であるが、トウカとしてはまずは沿岸域だけを植民地化し、連合王国を海から 分離して経済的に弱体化させた後、他地域を再度、戦争で併合植民地の拡大を図るという手段を用いる事も想定していた。
その場合、連合王国は数年程度、命脈を保つ事になる。
正直なところ、兵力的に余裕のない共和国や戦力投射能力に欠ける協商国の現状を鑑みて段階的な解体も選択肢として在り得ると、トウカは考えていた。神州国も陸上戦力に不安があるので、そうした提案が行われると予想していたのだ。
同じことを考えたのかフィロメーラが晴明に尋ねる。
「段階的な植民地化を行うならば、更なる安定を期待できると思いますが……」
正直なところ協商国当たりは泣き言を言い出しそうであると、トウカもフィロメーラも考えていた。無論、それは実力の問題だけでなく、可能な限り他国の軍事力を当てにして外征費用を削減しようとの駆け引きの一端である。
「むぅ、何が起こるか分からぬ時勢。正当性のある勢力は早々に退場願いたいかとよ」
晴明の言葉に、トウカは感心する。
神州国も国民の熱狂に踊らされるばかりではない。
正統性のある政府が残ると、植民地の情勢次第では民意や有力者、兵力が再び連合王国の旗の下に集まる可能性を常に配慮しなければならない。
傷付いても権威として利用されれば厄介であるとの判断。
国家再建を試みる王族や貴族、新国家樹立を目論む野心家が利用しかねない。
何より、周辺諸国が復興と軍備に肩入れして、神州国植民地を脅かすかも知れない。
目障りである。
緩衝地帯と見做す事で安全を図るよりも、植民地人に心のの拠り所を残すべきではないという判断。
「陛下、御耳を」
そうした試案の中で、ヨエルが顔を寄せる。
トウカは尋常ならざる顔良人が顔を寄せた事に、思わず身を引きそうになるが、肩を掴まれて踏み止まらざるを得なかった。無論、咄嗟の事であり、僅かな遣り取りでしかなかったが、それを見たクレアが苦笑する。
自身の前では他の女性を近付ける事への忌避感をクレアは見て、トウカは始末に負えんと、ヨエルの耳打ち内容に眉を顰める。
「連合王国南西部のクローベル辺境伯領が連合王国からの離脱を宣言したそうだ」
他国と共謀しての他国への合流を図ったのではなく、ただ離脱するというところに妙味がある。トウカはそう考えた。
共和国は交戦国である連合王国の弱体化……そうした流れが加速する事を意図して受け入れる公算が高く、例え受け入れずとも黙認する確率は高い。
部族連邦もまた戦火の拡大で兵力の損耗を避けたいと考えているのは明白で、彼らにとり最大の仮想敵国は神州国である。その植民地が近傍に成立する以上、不測の事態に備えて軍備を万全ならしめんとしている中で兵力損耗の機会の低減は望ましい事であった。
連合王国は、そもそも共和国と熾烈な地上戦の為、国内兵力の大部分を共和国国境沿いに展開しており、クローベル辺境伯領の征伐に兵力を割く余裕はない。元より国境を護る為に叙される辺境伯という立場を踏まえれば、そう簡単に征伐できる兵力と規模でもなかった。
クローベル辺境伯領は一種の空白地帯として成立できる周辺情勢を備えている。無論、それは状況が変われば帝国に蹂躙される中原諸国の様に危ういものであったが。
「想像よりも崩壊が早い。連合王国が国家としての体裁を保てなくなれば、神州国は群雄割拠の領土での各所撃破が期待できる」
見方によれば、決戦での神州国陸軍への負担軽減が期待でき、植民地政策でも心理的分断の切っ掛けとなり得る程に。
「……貴国の分断政策ではなかとよ?」
晴明の指摘に、トウカはそうした疑念が出るだろうとは見ていたので溜息を吐く。
各所撃破の好機と植民地政策の推進という面から見れば分断を意図した謀略は有効であるが、これは裏を返せば交戦対象の増加を意味する。国家ではなく地方領主を個別で降伏させねばならない以上、平定は長引く事になる。
軍事行動の長期化は兵力損耗を増加させ、輜重線に負担を掛ける。国家規模の軍との決戦を避ける代わりに、そうした問題が生じる事を晴明は理解した上で、トウカに猜疑の目を向けている。
晴明はトウカの意図を理解している。
トウカはそう確信した。
そして、その意図が神州国の指導者層で共有されているか確認する必要を覚えた。
国民の熱狂に御前会議までもが引き摺られているのであれば、神州国は植民地運営に深入りすることになる。逆に失敗の可能性を念頭に植民地放棄を想定した政策であった場合、トウカが望む規模で国力を擦り減らす事はないかも知れない。
――まぁ、踏み込んだ時点で国民の熱狂は制御できない規模になるだろう。
一度手にしたものを、中々手放せないという事もあった。
その様に誘導する心算のトウカに加え、部族連邦も自国の存続の為、植民地運営への深入りを招く様な外交政策を展開する事は疑いなかった。共和国も連合王国領土での敵対勢力成立を避け、加えて各種資源を長期的発展に利用させない為、表向きは植民地政策を歓迎する公算が高い。
「残念ながら、そうではない。我が国が分断政策を展開するならば、大々的に行う。 複数貴族を繋げて地方規模で分離独立を行わせて、連合王国首都や戦線後方を脅かすだろう」
実際、そうした誘惑がなかった訳ではない。
その場合、分離独立する貴族達は連携の後ろ盾として皇国が積極的に関与する事を求めるのは間違いなく、必要であれば資金や兵器貸与まで必要になる。そうしてある程度、育てた上で植民地の潜在的脅威として意識させ、神州国に植民地に展開する戦力を拡充させる事で疲弊を誘う。
これは、統合情報部が策定したものの、植民地政策に深入りさせる事が優先だと、トウカが否定した計画でもあった。
重大な脅威が近傍に在ると見て、植民地政策に深入りしないという選択肢を取られる事を懸念した為である。平民皇帝曰く、敵が間違いを犯している時は邪魔をするな。そうした至言もあった。
「しかし、こうも分離独立の動きが早いとは」
トウカとしては予想外であった。
封権制国家である以上、諸侯の権限は強く、各貴族領は独立性が高い。分離独立や他国への合流の心理的、制度的難易度は他国家よりも低いのは確かだが、戦時中のそうした動きは裏切りと見られて多方向から白眼視される。結局は孤立となりかねない。
神聖でも羅馬でも帝国でもない神聖羅馬帝国も、実情は諸侯による緩やかな紐帯による封権制国家だった為、国家としての統一した行動に苦労している。連合王国も例外ではないが、辺境伯一人が周辺諸国を頼る動きも見せずに分離独立をするというのは中々に無謀と勇気の有り余った話である。
「陛下、クローベル辺境伯領は特殊なのです。我が国も現在の国境紛争では、クローベル辺境伯領への攻撃は控えています」
フィロメーラの指摘に、トウカはヨエルを一瞥する。
ヨエルは訳知り顔であったが、フィロメーラを立てているのか沈黙を選択した。
「領主が若くして病死し、未だ次期領主は幼子で、止むを得ず輿入れした妻が領主代行を務めているのです」
在り得ない話ではなく、皇国でも制度上は可能である。無論、火種になりかねない危険性を孕んでいるが。
「その領主代行……大層と美人なのですが、気立ても良く開明的な統治で領民からも慕われており、基本的に軍事行動に否定的で脅威度は低いのです」
美人だからどうしたというのだ?と言いたいところであったが、有事でも領主の座を奪う動きもなく、分離独立に踏み切れる程の家臣に恵まれているのは、トウカとしても中々に感心する話である。
「藪を突いて蛇を出す事もない、という事か」
対外的な動きに乏しいなら放置して構わない。攻め入れば、領民に慕われている事から多大な抵抗が予想される。
「しかも我が国や共和国と面する要衝でもあります。下手な動きはクローベル辺境伯領を挟んだ相手国への刺激に繋がりかねませんので、未だに戦火は及んでいません」
我が国も国境沿いでの睨み合いに留まっています、とフィロメーラは付け加える。
その場合、連合王国からしても第三国を刺激しかねないので放置という判断も有り得た。戦線の拡大を望まないという事もあるが、分離独立の場合、 緩衝地帯として利用し、戦線整理を行う事も不可能ではない。
「分離独立には適した時期という事か......」
そうしてトウカとフィロメーラ、晴明が三者三様に唸る。




