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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》
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第三六五話    座敷牢




「海軍府め……余計な真似をしてくれる……」


 トウカは報告書を囲炉裏に投げ入れる。


 畳の敷かれた和室に見える一室で深い溜息を吐く。自身の提案が思わぬ方向に大事となった。


 そして、どう対応しても状況が複雑化する。


 囲炉裏の傍でトウカは横になる。


 最近、各府が積極的な提案や行動を見せる様になった。それ自体は良い傾向である。


 去りとて、理解できるものの、それは国益の為に当代天帝の印象を投げ捨てていないか?という案件が少なからず混ざっている。皇権ではなく当代天帝への印象というところで済ませている為にトウカとしては叱り付ける事も難しい。汚名を恐れず果断である、 という姿勢を重視するトウカとしては微妙に当て擦られている様な上奏が各府のものに紛れ込んでいる事は由々しき事態であった。


 今まで為せなかった事をトウカが無理強いしている呈で推進しようという思惑。


 上司の扱いを心得てきた仕事のできる部下からの突き上げ……の如く感じつつ、トウカは、困った奴だ、と鷹揚に認めるしかない。有益であるならば致し方ない。


「隣国の指導者を唆してまで戦力保全を図ろうとするのは不満を抑える為に認めたが、 言い包められてどうする」


 老人が小娘に言い包められてどうする、と言いたいところであるが、それは風貌だけの話で二人の年齢はそう大きく離れていない。或いは、老獪という意味では見目麗しい総統閣下に軍配が上がる可能性すらある。


 ――海軍が交渉を請け負うというから任せたというのに……これならフェルゼンで俺が個別に提案を持ち掛けるべきだった。


 海軍府は武辺者の老人なら相手も油断すると考えたのかも知れないが、歌って踊れる総統閣下相手に寧ろ此方が油断して丸め込まれた。


 ヒッパー上級大将などは、我が陛下に貴女の様な心優しい女性が傍に居るべきでしょうな、などと言い出す始末である。皇国側が縁談に前のめりだと見れば、南エスタンジア側が要求を釣り上がりかねない。粛々と進めて付け入る隙を与えぬようにしていたが、その目論見は破綻した。


 ――女優総統は手強いな。


 一つ屋根の下で暮らしても心休まらないに違いない、とトウカは絶望的な気分を覚えた。歩兵小隊で済む戦場に大陸間弾道弾を持ち込まれた気分である。


「大蔵府が五月蠅いだろうな」


 鷹揚に迎え入れるが、予算の掛かる約定は最小限に抑えたい。しかし、これでは経済への梃入れなども包括的に話し合う動きが出かねなかった。


 互いを知ってその気になるなど、トウカは期待していない。そして、当然、ヴィルヘルミナもそうだろうとトウカは確信していた。互いに本音は兎も角として、国家に最大限の利益を齎す為、駆け引きを繰り広げている心算である。


 周囲はそれを台無しにする。


 南エスタンジアも同様なのか、総統閣下は私のものだ、と女性同士の番いだけで編制された軍隊で首都行進をしている馬鹿が居るらしい、と外務府は喜び勇んで上奏している。喜んでいるのは諸々の失点を取り戻せると考えているのか、或いはトウカの私生活が炎上しそうな事を楽しんでいるのか判断に悩むところであった。どちらにせよトウカは外務府が更に嫌いになった。外務府に信が置けるなら現在の苦労はない。


「結納だから旧式戦艦を白色塗装しているというのは意味が分からないんだが……親族の結納の記憶はあるか?」


 白色大艦隊(グレートホワイトフリート)の真似事なら理解できるが、異世界に惑星を一周する砲艦外交を行った国家は未だ存在しない。そんな風習があるのだろうか?とトウカは、囲炉裏の対面に座るクレアに視線を投げ掛ける。


「変わった風習ですね。初耳です。私の幼少の砌の記憶を当てにされましても……軍靴の音に怯える姉の記憶しかありませんので……」


 今は軍靴の音を鳴らす側ですので、と微笑むクレア。口にしている事は大概、残酷であり、皮肉が利いたものであった。過去を克服し ているのか、代償行為に勤しんでいると捉えるべきか大いに悩む返答であった。


 トウカは畳上で横になって頬杖を突いたまま、クレアに視線を向ける。


 淡く微笑むクレアはトウカにとっては何時も通りだが、職務中は冷厳な佇まいと感情に乏しい表情である為、状のない人物だと多くの者が見ている。実際、それは憲兵としての振る舞いでしかなく、クレア自身は家庭的な女性である。


 クレアの焼いた煎餅を齧りつつ、トウカは煎餅を囲炉裏で焼くクレアの前に、どうしたものか、と途方に暮れる。本題に踏み込めずに煎餅ばかり齧り過ぎてそろそろ満腹であった。


「グリムクロイツ総統の事でしょうか?」


 焼いた煎餅を菜箸で摘まんで竹籠に入れたクレアが苦笑と共に問う。


「いや、まぁ、そうだな。聞いていたか」


 トウカは背後の木製格子を一瞥する。


 二人は座敷牢の中に居る。


 トウカがセラフィム公の公爵邸に訪問した形である。ヨエルは周辺諸国……南エスタンジアと部族連邦、共和国、神州国からの使者を迎えている為、この場には居ない。寧ろ、この状況を見越してトウカは訪れたと言える。ヨエルが同行すると、どうなるか結末を予想できない母娘の諍いとなりかねず、そうした悲喜交々をトウカが見たくないと考えたからであった。


 座敷牢の扉は開け放たれた儘である。


 天帝を座敷牢に閉じ込めたという風評は誰の為にもならない。


 トウカは事前予約(アポイメント)なくセラフィム公爵邸を訪れた際は、家令である権天使が跪拝して猶予を求めたが、トウカは”踏み込まれた責任を取りたいなら後でヨエルの前で腹を切れ”と言い切って押し入った。


 ヨエルに確認を取ろうとされては面倒であるが、既に打ち得る手はない状況にトウカ自身が追い込んでいる。使者達の歓待を投げ出せる筈もない。そうした状況に付け入っての訪問である。そこには相応の打算があった。しかし、そこから先はない。


 結局、肝心なところは未定であった。


「皆さん優しくしてくれていますから。私はあの日からずっと何処か他人の様に感じていたのに、揃って心配してくれていたみたいです。有難い事です」


 その一人であろう家令に、後で腹を切れ、と言い放って押し入ったトウカは、背中が濡れる感触を覚えて正座する。


 控え目に見て屑である。


「座敷牢に入る事で、ここは私の実家だと初めて実感できた。不思議なものです」


 皮肉ではなく心底とそう思っていると思える声音と優しげな表情に、トウカは返答に窮した。


 眼付きが悪く体格の良い老将達に囲まれていると実家の様な雰囲気を感じるトウカとしては、実家を感じる瞬間とは他者に理解され難いものだろうと納得はできるが、それを口にするのは女性に対する配慮が足りないとも学んでいた。


 沈黙するトウカ。


 クレアはくすくすと笑う。心底と楽しんでいるとばかりに口元を隠して笑う妖精。 清楚可憐な佇まい。


「そんな優しい人達に切腹を迫るのはお赦しいただけませんか?」


「……勿論だとも」


 声が地下まで届いていたかと、トウカは頭を掻く。


 声が地下の座敷牢まで届いたのは侍女達が空気が澱むと身体に障ると心配し、座敷牢までの通路の扉を全て開け放っていた為である。


 公爵邸に勤める者達はクレアを心配しており、何かと世話を焼いていた。望めば大抵の物は用意され、頻繁に顔を見せる者も多かった。寧ろ、平素の私生活よりも充実している程であり、座敷牢から出れないという一点を除いて不便はなかった。


 その座敷牢ですら、自身の官舎と変わらぬ程に面積があるので圧迫感を感じることはなく、寧ろ官舎よりも設備が充実していた。


 クレアとしては不満はなく、公爵位の権勢をある意味に於いて一番、実感した一時であったと言える。


 意外と悠々自適な休暇だった程度に考えているクレアに対し、トウカはヨエルがクレアを座敷牢に居れた事を幸いに逢い引き及んだ事を理解している為、後ろめたさがあった。疚しい事があった訳でもなく、行動はヨエルによるものだが、トウカとしては隣国の総統の輿入れという話を進める為にクレアを遠ざけようとヨエルと共謀したと見られているのではないかと懸念していた。


 ――傍目に見るとそうとしか見えん。


 ザムエルなどは”女性関係も神算鬼謀だな、おい”などと称賛し、ベルセリカは”政治の要素が加わるなら女性関係も上手く回すでは御座らんか”と呆れていた。


 勿論、偶然である。


 トウカにそんな意図はなかった。


 しかし、状況的に見ればそうとしか見えない。


 統合憲兵隊司令部からは、一身上の都合とは言え憲兵総監の長期間不在は業務に影響がある、と苦言が上奏されても居た。ヨエルではなく、トウカへの意見として出ているところに、統合憲兵隊司令部の意図が窺える。


 ――寵愛を失ったかの確認だろうな。


 統合憲兵隊の成立はトウカの要求によるもので、その初代憲兵総監にはクレアというトウカと近しい存在が充てられた。複数の憲兵組織が頭を抑えられると難色を示したかと思えば実はそうでもなく、トウカの寵愛を受け、ヨエルを義母とするクレアの就任を強大無比な権力基盤と考え歓迎した。予算と組織の保証としてこれ程のものはなく、クレアに憲兵としての実績が多い事も好印象であった。今は亡きマリアベルの意向とは言え、皇国で帝国を相手に最も激烈に防諜を繰り広げたのがクレアである。


 そうしたクレアの失脚は統合憲兵隊司令部の存続と、各憲兵隊の再編に繋がりかねない。統合情報部と職域が重なる部分もある為、神経質になるのはやむを得ぬ事であった。


 トウカとしては煩わしい事この上ないが、権威主義的な政治体制に於いて権力者の女性関係が政治沙汰になるのは避け得ぬ事だと理解しても居た。それは利用できるが、同時に悲劇や面倒を齎す事もある。


 今この時の様に。


 トウカは胡坐を掻いて、置かれた湯呑を手に取る。


 ずるずると啜る緑茶。


 茶柱が立っていた。


 皇国には茶柱で縁起を担ぐ文化はない。


「御前を迎えに来たのだ……」


 ヨエルの許可は取っていないが、それは要らぬ争いになっては蠢動する勢力が出かねないと見た為でもある。特に龍系種族は皇妃アリアベルの立場が想像以上に不安定だと見たのか要職の獲得に熱心になっていた。


 トウカはこれ以上、近しい女性に要らぬ負担を掛ける心算も、自身が面倒を背負う心算もなかった。


 クレアは首を傾げる。


「期限としては短いのではないでしょうか? いえ、要職を空け続けるのは問題であるのは確かですが……」


 せめてリシアの帰還を待つべきではないのか、とクレアは指摘する。


 非公式とは言え、罰に差が在ってはならない。今回の案件では、単純に比較できるようなものではないが、少なくとも差を見出せる部分を増やす真似は好ましくなかった。 無論、好ましくない……最適解ではないという程度のものに過ぎないが、トウカが動いて成したという付加価値が付くと話は変わる。


 まさか傍に居て欲しいなどと感情論を振り翳して応じる訳にも行かないので、トウカは政略面から応じる。


「統合憲兵隊から苦情が出ている。憲兵の勝手が分からない輩に上に立たれるのは嫌と見えるな。それに……」


 トウカは、一拍の間を置く。


 結局、強い妥当性はなく、己の感情で押し込むしかない。


「一人は淋しい。 特に夜は」


 トウカは頭を掻く。


 馬鹿を言った。そうした自覚はある。


 遠くから黄色い声が響く。侍女やら家令のものである事は疑いない。安全と避難経路確保の為に開け放たれた扉の辺りに群がっている事は疑いない。


 トウカは盛大な舌打ちと共に、座敷牢の外で待機している鋭兵に振り向く事もなく手信号(ハンドサイン)で排除を命じる。


 クレアは口元を隠して驚きを示している。


 らしくない事を言っている自覚があるトウカとしてはどうした表情をして良いか分からない。


「お……義母では粗相がありましたでしょうか?」


 不安を隠さぬ表情でクレアが問う。


 トウカは根本的な認識の違いに眉を顰めた。


「あれとそうした関係になってはいない……勿論、魅力的な女で、あれも望めば受け入れるだろうが、俺は見てくれだけで満足できる男ではない」


御前だけだ、と言えば済む話ではあるが、トウカはそうした言葉は逃げ口上だと考えている。


「困りましたね……身体は勿論、心まで望めば手に入る御立場に御座いましょう」


「立場で手に入れたモノに信を置けぬ臆病者なものでな」


 トウカが娶る女性はトウカを愛する義務がある。権威主義的建前としてはそうだが、実情がそうである筈もない。


 権力はヒトの心までも収奪できない。


 そして、権力や金銭に靡く私心などトウカは傍に置きたくはなかった。馬鹿げた潔癖性だと当人も自覚しているが、今更直せるものでもなく、私生活にまで嘘と建前を侍らせるのは苦痛であった。


「それにヨエルは俺ではなく、俺の背後に居る父親を見ている様に思える」


 親に女を恵まれるが如き振る舞いをしたくないというトウカの心情もあった。本来であれば、政治ですら父親の助力があるかの様で紐たる思いがあるが、完全に政治であるならば私情を差し挟む余地はない。


「そうだったのですね……てっきり……」


 ヨエルが関係を邪魔されぬように謀った、或いは自身も共謀したと見ていたのかも知れない、とトウカは推測する。


義母様(おかあさま)も不憫な事です……心を疑われるなんて……」


「?」


 予想外の言葉に、トウカは虚を突かれる。


 義母まで組み敷くのかと立腹かと思えば、憐れんでいるという光景にトウカは女心は難しいと胸中で焦燥を覚えた。


 しかし、話は女心という個人に留まる話ではなかった。


 クレアは心底と困惑した表情で指摘する。その表情には、まさか、という感情が見て取れた。


「南エスタンジア総統の輿入れという話が出たと聞いています。義母様を第二皇妃に据える事で他国から輿入れした皇妃の伸長を抑えようとしてい るのかと……」


 皇妃アリアベルでは力量以前に内戦の経緯から抑える動きを取れないと見て、力量と権力を兼ね備えた熾天使の宰相を皇妃として遇する。


 極めて強力でいて隙のない皇妃の誕生である。


 逆説的に言えば、力量のある皇妃を他国から迎える以上、その権力の伸長を抑える対抗馬が必須である。

 道理は通っている。


 だが、トウカはそうした道理よりも自身の悩みの大部分を占めたヴィルヘルミナの輿入れが既に知られていた事に衝撃を受けていた。


「その話、 知っていたのか……」


「噂好きの侍女が教えてくれました。あと、フランシアが時折、心配して訪ねてきてくれるので……」


 トウカとしても妙に自由度が高い座敷牢で察するべきであったと、クレアの言葉に両手で顔を抑える。無駄な悩みであり、同時に十分に考える時間があったからこそ隙のない意見が飛び出てくるだろうという恐怖もあった。


「一般に情報開示までされるのですから、対策があっての事と考えていたのですが……」


 その様子では認識の齟齬があったのですね、とクレアは困り顔。


「隣国とは言え小国だ。しかも分断している。力量は合っても影響は限定的であろうし、祖国統一に力量を蕩尽せざるを得ないと見ている」


トウカはヴィルヘルミナが皇国で無理を通せる状況にはならないと見ていた。


 対するクレアは異なる意見であった。


「国内勢力と結び付く可能性も有ります。いえ、祖国を想い発展を望むなら必ずそうするでしょう。新たな政治勢力の誕生になります」


 トウカはヴィルヘルミナを輿入れさせる事で国内政治が不安定化するとは見ていなかった。国外から輿入れした皇妃を旗頭に無理を通すというのは他国の利益を図っていると見られかねない危険な行為である。例え併合されても意識まで統一されるわけではなく、自国と扱う者が多数を占めるには相当の時間を必要とする。政敵は必ずそこを突く。結果として政治勢力としての伸長は微々たる規模にならざるを得ないと、トウカは見ていた。


 ましてや南北エスタンジアは政治面だけでなく経済的にも文化的にも分断している。


 分断が長く続き独自の文化に分かれ、政治体制も大きく異なる。文化と政治が異なるという事は常識と価値観が異なるという事である。


 そして、発展しつつある南エスタンジアに対し、北エスタンジアは閉鎖的で国外からのヒトやモノの受け入れを体制を危うくすると見て消極的であった。所得と産業構造は随分と異なる。


 傍目に見ても一地方として統合が簡単に進むとは思えない。経済の平準化は予算と政策次第である程度の帰還があれば是正できるが、文化というのは時間を要するものである。


 ヒトの心は短時間で変遷し難いものである。本質的にヒトは急激な変化を嫌う生き物である。否、生き物とは元よりそうしたものである。知性の有無に関わらず、有機生物であるという厳然たる事実からヒトは逃れ得ない。心身共に変化に弱い。


 無論、ヒトの総算たる統治も例外ではない。


 確実に時間を必要とし、難題が数珠繋ぎとなっているエスタンジア問題に、ヴィルヘルミナは掛かり切りになる。皇妃として振る舞いながら短期間で成せる事ではない。


 そうした経緯をトウカは説明するが、 クレアは納得しなかった。


「あの様な手法で陛下は国家を纏め上げる事が出来ましょうか? あの総統を侮るべきではありません。予想外を積み上げた末にある国家ですよ」


 相当な危機感を示すクレア。


 正体不明に対する恐怖心。


 トウカもそうした指摘をされると反論し難い。力量などの理屈を超えた部分がヴィルヘルミナにある事は覆し難い事実であった。


「皇妃となるのだ。皇国が望まぬ事を無理強いするとは思えない。それでは先は明るくない。俺も許さん。まさか一夜を共にすれば情に絆されるなど向こうも考えてはいないだろう」


 皇妃とて売国は許さない。


 戦艦が陸に逃げられない様に、皇妃も皇室と言う枠組みからは逃れ得ない。それは死しても例外ではない。ヴィルヘルミナが自身の未来を潰しても短期間で為せる事でもなく、彼女は待てる女でもある。


 トウカはヴィルヘルミナに絆される心算はないし、ヨエルも宰相の立場からそれを許すとは思えなかった。


 ――いや、確かにヨエルはヴィルヘルミナの輿入れに対して随分と淡白な反応だったな。


 或いは、皇妃を抑える皇妃が必要な場面があると期待したのかも知れない。


「私は陛下が総統に骨抜きされるなどとは思ってもおりませんが……陛下は皇室という枠組みに閉じ込めてしまえば、如何様にもできる、と、そう御考えではありませんか? 第一皇妃とは違うのです。確かに陛下は皇室を自由にできる御立場ですが、無体を働いては御立場に差し障るでしょう」


 尚も言い募るクレアに、相当に心配されていると、トウカは困惑するしかない。


 詰られるかと思えば心配されている。


 予想だにしない事であった。


「俺はそんな酷い男に見えるのか?」


 決して底意地の悪い事を考えての問いではなく、トウカとしてはそんな男に寄り添う途を選んだ理由を知りたくなった為である。


 ミユキは奇特な神に仕組まれたもので、マリアベルは状況が二人を結び付けた。クレアはそのどちらでもない。トウカは全てを投げ捨て、クレアは微 妙な立場でトウカを拾った。犬猫を憐れんで拾う感覚で、そのまま関係が続いているというのであれば、トウカとしては気落ちするものがある。


 しかし、クレアの答えは再び予想し得ない者であった。


「酷いヒトに見えます。誰よりも……でも、そうした酷い大事を御国の為に成せる姿に惹かれた……いえ、格好いい、無邪気な年頃の乙女の様にあの酒場で叫ぶ貴方を見て思ってしまったんです」


 あの酒場がフェルゼンの大衆酒場(ブロイゲラー)であり、演説の事を指しているのだろうと、トウカはその日の出来事を思い起こす。


 北部の結束を促す為に似合わぬ真似をしたという自覚が当時からあったが、それを見られたというのもトウカからすると気恥ずかしい話である。無論、領都憲兵隊として明らかに横紙破りの連続であったトウカを警戒するのは当然であり、その場にクレアが居たことは不自然ではない。


 実情は、武装蜂起染みた手段で北部貴族を排斥して実権を奪おうとするのではないか、或いはそれを唆す軍人が居るのではないかという懸念から憲兵隊が警戒配置に就いていたので、クレアどころか憲兵隊が多数展開していた。


 気恥ずかしさと、それを尋ねた事への怒りなのか、クレアは頬に朱を散らして両手を膝上で握り締める。


 乙女心への配慮が足りなかっただろうかと、 トウカは気を揉む。


「笑ってしまいますよね。もっと立派な理由だったら良かったんですけど……」


 困った様子で眉根を寄せる浅黄色の妖精。


 ミユキもマリアベルも立派な理由が事の始まりではなかった。誰かの意図、或いは状況に流された事が発端だった為、トウカとしては寧ろ初めて受ける理由であった。


 去りとてミユキやマリアベルという別の女性の名を此処で挙げるのは悪手であると話題として選択しない。


「事の発端が何気ない事であるのは珍しくないだろう。それに御前にそう言われて喜びこそすれ悪い気になる男も居ないだろう」


 清楚可憐な氷妖精にそう言われるのだから男冥利に尽きると言える。


 クレアは小さく息を呑むと、立ち上がりトウカの横へと侍る。


 身を寄せたクレアが顔も寄せる。作り物めいた対照的な貌は朱が散ってあどけなさも見せる。


「貴方も、ですか?」


 囁くような問い掛け。


 トウカは引かない。


 意地があった。


「寝台の上で何度も証明した心算だったがな」


 そうでなければクレアの元に身を寄せ続ける事もなければ、同じ寝台で何度も身を寄せ合う事もなかった。態度で示したと言わんばかりのトウカ。


 クレアは苦笑する。


「駄目ですよ。女の子は言葉にして欲しい生き物なんです。態度だけで満足できないんですからね。勿論、私はどちらも欲しているんですよ?」


 両手を広げたクレア。


 トウカは溜息を一つ。


 後ろで待機する鋭兵達を手を払って退室させると、トウカは荒々しく立ち上がる。


 良い様に誘導された気もすれば、第三者の前で示せと言われた様な気もして唸るしかない。


 クレアを抱き寄せ、唇を奪う。


「俺の傍に居ろ」




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