第三六四話 結納は戦艦で
断固として阻止せねばならない。
少女は使命感にも似た感情を覚え、手元の新聞を握り潰す
エルネスタ・レイム。
〈南エスタンジア国家社会主義連邦〉に於いて極めて特殊な立場にある少女は貴種であり特権の権化でもある。近年は総統に従って国家の為、多くの特権を手放したが未だその権力は無視し得ない規模を持つ。
南エスタンジアにとってレイム家は建国以来の家系であり、最も特別視される血筋であった。
初代総統の擁立と建国を助けた人物の家系であり、初代当主は初代総統と最も親密な関係であった。その結果、現在まで続いているが、それは過去の威光だけに依るものではなく、現在に至るまの国家に対する献身も大きい。
自前の私設軍である突撃隊を率いて北エスタンジアとの戦争に何度も参加し、体制が揺らぐ度に不穏分子を誅殺して回るレイム家は、国家社会主義体制の守護者として遇され、彼女ら自身もそう自認していた。
そうした中で、皇国との併合という動きは到底容認できるものではなかった。
突撃隊の中でも意見が割れているが、レイムとしては断固反対だった。
「いや、国家社会主義とかはどうでもいいのよ……経済が重要なのも理解できるし……」
初代総統も資金不足に悩んだとされ、景気の発揚に苦心していた経緯もあり、レイム自身も主義主張に固執する心算はなかった。数百年も続けてエスタンジア地方すら統一できない政体であるならば変更も已む無しであり、今後の不安定な国際情勢を踏まえれば皇国の庇護を願うというのは現実的な発想である。
私設軍である突撃隊も実情としては食い詰めた貧民の救済組織であった。軍事と言う仕事を貧民に与え、国軍を支援する。
問題も多いが、今迄はそうした組織運用で上手く機能していた。
しかし、南エスタンジアに於ける問題を根本的に解決するだけの効果があるモノでもなかった。
「総統閣下の輿入れが問題ね」
政治というだけに留まらないヴィルヘルミナの立場を踏まえれば、国民の一部が激発する可能性が高い。他国から見れば、そんな訳の分からない政体をしているからだと言われるであろう事はレイム自身も自覚しているが、今となっては全てが手遅れである。
去りとて、レイムにとってそうした問題もまた然したることではない。
「ミーナは私のものよ。力だけが取り柄の戦争屋に渡してなるものですか」
握り潰した新聞を伸ばし、ヴィルヘルミナが印刷された部分を切り取りながらレイムは憤慨する。その手は震え、切り取りは乱れる。それがまたレイムを苛立たせた。
「そもそも、女の子の間に男が挟まるなんて摂理に反するわ」
心の底からレイムはそう思う。
恋愛は女性同士でするべきである。
男は私の見えない所で恋愛しろというのがレイムの持論である。
レイム家最後の直系が、そうした感性の持ち主である為、当代で御家断絶が決まったも同然である事が彼女自身の権勢を護っていると言え る事は皮肉である。待てば消える家系と積極的に事を構える政治勢力は少ない。待つという選択肢が取り得ない政治勢力など力量や選択肢の面から隆盛の可能性は乏しい。
レイムに取り、トウカは自身とヴィルヘルミナの間に挟まろうとする許し難い存在であった。
初代総統も、そうした同性同士の話にはもう触れない様に決めたのだ、と語っていた事は広く知られている。
実際、遠く異世界で元上官の御乱行への批判が派閥争いの一端になった事で、その手の案件は触れると火傷しかねないと学んだ結果、疎んじたが故の発言でしかない。
初代レイム家当主が恰幅の良い中年男性でありながら同性を好む性的嗜好であった事も影響している。
初代総統の自殺も初代レイムに性的に襲われたのが原因ではないかと実しやかに囁かれていた。実際、そうした事実はないが、在り得なくもないと思わせるのがレイム家である。
兎にも角にも、レイムはヴィルヘルミナを愛している。
公式の場で、私が末代よ、と断言するくらいには、その意思を貫徹する心算である。 この発言は、ヴィルヘルミナの政治体制の為、家系よりも国家を優先すると好意的に誤解されているが、実情としては色欲に塗れたものである。
ヴィルヘルミナも政治的には兎も角、個人的には気後れする程の押しの強さである。
幸いな事にヴィルヘルミナそうした関係を、女性同士でそんなこと、と想像もつかない世界としているので、レイムの事を熱意に溢れる人物だと誤解している。ゲッベルスは理解して二人を間違いが起こらぬように引き離そうと躍起になっていたが、共に国家の要職を占める者であり、顔を合わせる機会は多い。
一度、握手したら中々離さないレイムに対し、親衛隊も警戒を強めているが、国家への献身を思えば強く出る事も出来ない。
「副官! 副官!」レイムは副官を呼び付ける。
脱兎の如く入室してきた副官が一分の隙も無い敬礼を以て応じ、レイムはその姿に鷹揚に頷く。その副官はヴィルヘルミナと容姿が似ている様にも見えた。
「断固として、女性同士の関係に男が割って入る……売国的所業を許してはならないわ。党本部に行きます」
手配します、と副官は一礼すると忽ちに退出する。
副官というよりも老練の執事の如き振る舞いであるが、元を辿ればレイム家の家令の親族であり、家令として教育を受けていたので当然の所作とも言えた。
ヴィルヘルミナは経済の好循環と富の再分配が実現すれば問題は軽減されるだろうという理論的な視点であるが、愛国心などの主義主張が それらの道理や論理を優越するという点を軽視していると言える。
トウカの場合、祖国に武士という己の道理をヒトに押し付ける生き様をする輩が多数……自身の実家もそうである為、そうした点を良く考慮していた。事実、エスタンジア併合に当たっての不安定化を見越して空挺戦力の増強がヴェルテンベルク領で図られている。併合間もない内は、駐留という選択肢が反発と軋轢を招く恐れがある為、 即応性と緊急展開能力に優れた戦力単位の運用を意図していた。無論、現在の国境沿いには軍狼兵聯隊や山岳歩兵師団が複数展開しているが、空挺部隊に勝る即効性は持たない。
そして、そうした思惑と配慮をレイムは把握していた。
知った事ではない。
レイムは断言する。
「これは天命。私に総統を救えと、亡き初代総統が仰っている!」
独裁とは、果てなき自己正当化と、自身の敵を陣営の敵と見做す強い思い込みを以て成立する。そうした意味ではレイムは真に独裁者の資格があった。
実際、初代総統はレイム家の奔放な姿勢に困り果てていたし、心労の少なく無い部分を占めていたので、当代レイムを見れば、まるで成長していない……と溜息を吐く事は疑いなかった。無論、前提として女性が政治の主体となること自体に忌避感を覚える人物であるので、当代総統が女性であること自体を望まないのは間違いなかった。
無論、纏めて諸々、不都合など忘却の彼方である。
「突撃隊最精鋭を以て首都を占拠するしかない。幸いな事に総統閣下は皇国との交渉に明日から向かわれるから……」
ヴィルヘルミナを巻き込み、 万が一が在ってはならないという視点だけは忘れないレイム。
本来、武装蜂起というのは指導者を捕殺、政府機関を制圧下に置く事で効率的に成し遂げられる。しかし、目的が自国国家指導者と他国国家指導者との結婚阻止という特殊条件が前提である為、最早、計画時点で前代未聞の騒乱である事が確定していた。
そもそも、相手に意思を強要成さしめる手段が曖昧であった。
首都や行政を制圧下に於いても、結婚という慶事を阻止できるかは不明瞭である。 当人を抑えても危害を加えられない以上、 意味はなくこれでは唯の暴動に過ぎなかった。
そう、暴動である。
或いは一揆かも知れない。
強大な準軍事組織が実力行使をするものの、全く計画的ではなく、目的も個人的なものに過ぎなかった。武装蜂起と呼ぶには拙劣に過ぎ、去りとて暴動や一揆と呼ぶには有力に過ぎる準軍事組織が主導する。
後世の歴史家が頭を悩ませる事が既に確定した騒乱。
かくして南エスタンジアは騒乱の渦中となる。
まだ何も知らない総統閣下。
当然ながら確実な身辺警護を図る為、船舶での移動であったが、南エスタンジア海軍の主力艦の多くは、皇国との関係深化を背景とした安全を見越し、船渠での整備と改修の為、大型艦は稼働状態になかった。
皇国の軍事力を当てにしたエスタンジア統一を見越し、来るべき日に海軍戦力が全力発揮可能な様に行われる整備と改修……そして再編制であった。
しかし、その結果として海軍の大型艦で総統の親善航海に利用できる大型艦はなかった。
そうした中で南エスタンジアとの友好の一環として寄港していた皇国海軍の戦艦に白羽の矢が立った。
〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦二番艦〈猟兵リリエンタール〉。
皇国北部に於ける伝説的な猟兵であり、過去の帝国との戦役では、単騎で帝国領に浸透し、神出鬼没の暗殺者として知られていた。誇張や虚構ではないかとの見解もあるが、事実として帝国南部で有力者が相次いで弓矢で射殺された事実がある為、猟兵リリエンタールの戦果が全て嘘という訳でもない。そうした国内外での活躍から神出鬼没の義士として扱われている。
これは建造を決めたマリアベルが通商破壊に適した名だと自ら命名した。
一番艦〈剣聖ヴァルトハイム〉に関しては、名目上は剣聖に比肩する活躍を祈念して、というものであるが、実情は小五月蠅いヴァルトハイム伯爵……現在は先代ヴァルトハイム伯爵への当て付けに過ぎなかった。
そんな〈剣聖ヴァルトハイム〉に関しては改修が遅延している。
内戦で損害軽微であった〈猟兵リリエンタール〉とは対照的に〈剣聖ヴァルトハイム〉はシュットガルト運河に於ける遭遇戦……エルシア沖海戦で敵弾が集中した為、改修と同時に修理が行われており、その結果、未だ船渠に在る。
対する〈猟兵リリエンタール〉は改修を終えて再就役し、海軍所属としての初任務として南エスタンジアへの親善航海の任に就いていた。
副砲を撤去し、高角砲と機関砲、機銃を多数増設した姿は黒鉄の城としての威風を以前よりも色濃くしていた。艦の規模からも親善航海を以て皇国の国威を示すには最適だと選ばれたのは当然の帰結であった。無論、改修後の試験航海という意味合いもある。
駆逐艦四隻を従えた〈猟兵リリエンタール〉は親善訪問で南エスタンジア海軍や現地民と交流し、帰還の途に就こうとしていた矢先、南エスタンジア政府からの要請を受けた。
総統の皇国訪問の為、同乗させて欲しい。
端的に言えば、そうした要請であった。
即座に枢密院に図られると、早々に合意が為され、ヴィルヘルミナは〈猟兵リリエンタール〉に搭乗する事になった。
友好の演出という意味もあるが、親衛隊が身辺警護に躍起になっている事も大きく、彼らは総統の力量に南エスタンジアという独裁国家が依存している事を良く理解していた。無論、熱烈な支持者が対象の身を案じるという点の前には霞むが。
そうした経緯もあってヴィルヘルミナは〈猟兵リリエンタール〉の艦上に在った。
「凄く……大きいのだ」
背負い式に配置された三連装の一番砲塔と二番砲塔を見上げるヴィルヘルミナ。周囲の親衛隊も同様であった。
自国の戦艦と比較すると何もかもが大きく、噂の航空脅威に対応すべく多くの工夫がなされている姿に、ヴィルヘルミナは感心すること頻りである。
無論、南エスタンジアの国力を踏まえれば建造も維持管理も負担でしかないが、敵国である北エスタンジアに海洋を抑えられて商用航路が途絶する事を避けるべく、北エスタンジアに優越する程度の水上戦力を保有するという消極的な目的で海軍を運用、維持していた。金食い虫の水上艦艇を多数運用しても、精々が沿岸都市を脅かせる程度で、主戦線の敗北があれば全てが意味を喪う。結局、南も北も陸軍の拡充を優先した。
国威の象徴として少数の小型戦艦があるという状況に留まっており、それも周辺諸国では装甲艦と分類される戦艦に過ぎない。
「こんな船があれば、北の商用航路を完全に閉塞できるのだ」
商用航路に居座るだけで商船は近付けなくなる。
交戦もなく敵国の経済を干上がらせる事が出来るのだから最上の結果である。交戦もなく相手に自らの意思を強要さしめる事ほどに効率の良いものはない。無論、遥かに優越する兵器と戦力を適正に運用して初めて可能な曲芸に過ぎないと彼女自身も理解していたが、国家指導者となったからには、そうした政策を一度は選択してみたいという願望もあった。
そうした南エスタンジアの面々に近付く老将が一人。
聯合艦隊司令長官であるヒッパー上級大将であった。
「いかがですかな? 我が海軍の戦艦は」
隙のない武人という風体のヒッパーは痩身である為に小柄にも見えるが、古武士の如き気風を纏う佇まいはそうした印象を一切感じさせない。南大星洋海戦に於ける勝利の立役者として世界的に有名になったヒッパー提督の来訪は南エスタンジアでも大きな話題を呼んだ。ヴィルヘルミナの晩餐会を主宰して彼を持成している。
「うむ、この船があれば我が国は早々に祖国統一を成し遂げられていたのだ」
これ以上ない評価を以てヴィルヘルミナは賞賛を述べる。
実際、戦艦は上陸できない為、主砲の射程を焼き払うのが精々であり要衝を占領できない。商用航路の閉塞で経済的打撃を加えられるが致命傷にはならない。無論、 経済規模の差が拡大する事は国力差の拡大の他ならず、中長期的に見て戦勝の確率は増加する。
とは言え、大型戦艦……交代運用を踏まえて二隻の導入は、船渠や周辺技術の用意も含めると南エスタンジアの国家予算の二割を超えるだろうと、ヴィルヘルミナは大まかに試算する。無論、大型戦艦の性能に合わせた艦隊を用意するとなると、その予算規模は更に増える。
――海軍が嫌がるのだ。
維持費すら莫大な大型戦艦よりも、比較的大型の艦砲と速力と船体規模を抑えた海防戦艦を複数導入したいというのが本音なのは明白である。皇国や帝国、神州国などという大国の海軍と争うだけの海軍を建設するなど画餅でしかなく、北エスタンジア海軍相手に、確実に優位を獲得できるだけの水上戦力で十分というのが現実的な判断である。そして、現実的判断ができる者をヴィルヘルミナは陸海軍の要職に就けている。 羨むくらいはするだろうが、軍港の置物が増えるのは困るというのが本音である事は疑いない。
「情勢次第では貴国の軍港も規模が拡大し、複数の有力な艦隊が根拠地とする未来もあるでしょうな」
併合を見据えた発言である事は疑いないが、確かエスタンジア地方を地政学的に見た場合、紛れもない要衝である為、それを防護するに相応しいだけの艦隊が駐留して然るべきである。
「大陸横断鉄道の東端ともなれば、凄く栄えると思う。そこから世界に繋がる一大海運都市……生きている内に見たいのだ」
ヴィルヘルミナは心からそう願っている。
彼女自身は貴種と言われる立場だが、貧困層の問題に関しては無関心ではいられない。屋敷の近くまで貧困街が広がり、有力者の没落ですら相次いでいた。ましてや親友ですら没落で商館に売られるなどという出来事もあった。救えたのはヨゼフィーネだけであるが、見つけ出して身請けするまでに目を覆わんばかりの悲惨な状況となっていた。
振り向けば、貧困が背後に迫っている。
ヴィルヘルミナもまた当事者であったのだ。
戦争が続けば貧困は拡大し、富める者など国家には存在しなくなる。富める者は最終的に国家を見捨てて逃げ出すだろう。後に残るのは貧者と荒廃した国土だけである。
だからこそヴィルヘルミナは総統となった。
良き友人達と良き理解者に恵まれて、短期間の内に政権を掌握した。
しかし、戦争は止められず、経済を上向きにする程度の活躍しかできなかった。
実際、戦時下でありながらも経済を上向きしただけでも卓越した手腕であるが、ヴィルヘルミナ自身はトウカやマリアベルと比較してしまう為、自負などはなかった。
「我が陛下の下であれば叶いましょうな……王権同盟が大陸横断鉄道の件では今更、文句を垂れているようですが」
ヒッパーの言葉に、ヴィルヘルミナは苦笑する。
ヴィルヘルミナが大きな期待を寄せている大陸横断鉄道による経済活性化だが、現状で賛成しているのは主要な路線敷設国となる皇国と共和国、協商国である。南エスタンジアも自国まで延伸される事を望むと宣言しているが、政情不安定を理由に迂回が決まっている王権同盟などが反対を表明しており、面倒が増えている。大陸西端の立憲王国なども延伸を望んでおり、調整は未だ続いていた。
「とは言え、貴国は既に起工していると聞いているのだ」
共和国から皇国北部を経由し、エスタンジア地方へと続く路線の起工式が行われ、 路線の敷設工事が開始されているという情報は諸外国の新聞でも取り上げられている。
長期的な交易経路の利益もあるが、短期的には公共事業として皇国北部に労働者からなる人口を確保しようという試みであると、ヴィルヘルミナは見ていたが、同時に先んじて工事を始める事で同意しながらも国内が予算面で揉めている共和国や協商国への圧力という側面がある事も見て取れた。
「陛下はせっかちですからな。他国を急かす意図もあるのでしょう」
「それは……かも知れないのだ」
堂々と言われてしまうと素直に同意して良いのか判断に悩むところがある。軍の天帝支持は強固なものであると囁かれているが、会話からは皇室尊崇の念を感じられない。
軍からすると国家指導者というよりも盟友という印象があるののだろうと、ヴィルヘルミナは察した。
俺、御前、と呼び合う関係の軍人達が為す紐帯はともすれば国家を危うくする程に強固である。
――レイムもそんな感じなのだ。
やたらと肩を組みたがり、馴れ馴れしい人物であるが豪放磊落で荒事では覿面に頼りになる女性を、ヴィルヘルミナは思い浮かべる。突撃隊の紐帯は極めて強固であった。
女性同士の番いの軍隊など意味の分からない部隊を編制するなどの悪癖はあるが、一般的に愛国者で面倒見のいい人物と見られている。軍では私兵に等しい突撃隊を嫌う者も少なく無いが、女性だけで部隊を編制して反意を軽減しようと、或いは儀礼的な役目に回るという意思表示とも取れるとヴィルヘルミナは高く評価していた。
――ヨゼフィーネは凄く嫌っているけど……
獅子身中の虫とまで唾棄するのだから相当である。汚らわしい色情魔と式典で取っ組み合いをする事も珍しくない。国民はいつもの出来事と囃しているが、 ヴィルヘルミナからすると頭の痛い問題である。
「去りとて、併合までは些かの時間がありましょうな。なれば、旧式戦艦などおねだりしてみてはいかがですかな?」
朗らかな烈将。
恐らくは、これが本題だろうとヴィルヘルミナは背後に控えているヨゼフィーネを意識する。危ないと見れば、恭しく口を挟む事は間違いないので、未だヨゼフィーネも判断しかねているのだろうと、ヴィルヘルミナは咳払いをして問う。
「当てはあるのだ?」
恐らくは皇国海軍の旧式戦艦だろうとヴィルヘルミナは見当が付いていた。しかし、 神州国海軍に対して圧倒的劣勢な現状、旧式戦艦一隻でも手放したくはないと考えるのが戦力的に見ても当然の筈である。
「我が海軍には些か旧式の戦艦が六隻ほど御座います。旧式ではありますが、沿岸海軍であれば十分な性能と言えましょう。貴国には最適と思いますが?」
南エスタンジアとしては、願ってもない話である。
しかし、聯合艦隊司令長官自ら営業員の如き振る舞いをするには相応の理由があるだろうと、ヴィルヘルミナは警戒してもいた。去りとて、旧式戦艦を譲渡して貰えるのであれば、国内に対して大きな成果と喧伝できるので、余りにも甘美な提案と言えた。
戦艦は国威の象徴なのだ。
その有無で国家の格が変わる。
周辺諸国の見方も変わるのだ。
無論、軍拡競争に陥る可能性も有るが、皇国ならば有償であっても法外な金額ではない筈であり、寧ろ北エスタンジアは宗主国に等しい帝国からの戦艦獲得の為に経済的に無理をするかも知れない。北エスタンジア経済に負担を加えられるというのもヴィルヘルミナからすると魅力的であった。
運用せずとも、他国に各種負担を強いる事のできる戦略兵器。
それが戦艦である。
南エスタンジアの戦艦と呼ぶのも烏滸がましい海防戦艦では為せぬ事であった。
海洋の優位を生かして締め上げれば武装蜂起にまで追い込めるかも知れないのだ。
長きに渡って干戈を交えた結果として積み上がった遺恨が簡単には許さないであろうが、叛乱勢力を支援して統一へ向けての共同歩調の道筋くらいは立てられないだろうか、とヴィルヘルミナは思考を巡らせる。
そうしたヴィルヘルミナの皮算用を他所に、ヒッパーは苦笑と共に告げる。
「部族連邦にも有償貸与するという話がありましてな……」
碌でもない話だと、ヴィルヘルミナは苦笑を零す。
神州国海軍に負担を掛けたいという意図は明白であった。
国際共同事業という名の連合王国分割に於いて、トウカの意図が神州国に夢と希望と負担と憎悪を負わせる事はヴィルヘルミナにも読み切れる程度の打算であった。
神州国が連合王国解体に参加しようとするならば、部族連邦に近い海域を通過するのが最短経路であるが、そこに部族連邦海軍が戦艦を含む有力な戦力を展開しているとなると、均衡を図る為、神州国も常に最低でも同数の戦艦を含む艦隊を展開なければならない。
しかし、神州国国民の熱狂を踏まえれば、神州国の有力者でその辺りを懸念している者達すら口を噤まざるを得ない。
――あの女狐が大陸に関わる事を避けるべきと騒いでる様だけど……
神州国の呪術師が大激怒というのは諸外国の一般市井にまで伝わってる。つまりはそれ程の激昂であった。海軍に船は恵んでやるが今後の政戦に責任は持たぬぞ、と言い放った話は三面記事を賑わせた。
その船が航空母艦だった事に、ヴィルヘルミナは神州国の安倍晴明を侮り難しと見ていた。皇国でも問題になっているだろう事は疑いない。
「でも、神州国も航空母艦を保有したのだ。航空攻撃には不安がある……」
「未だ戦艦は航空攻撃で撃沈された事はありません。心配めされるな。それに貴国の近海での運用を踏まえれば、航空基地からの直掩で防空は間に合いましょう」
ヒッパーは大砲屋らしく、戦艦の不沈性を言い募るが、同時に防空手段についても提言する。恐らくは海軍内で南エスタンジアに旧式戦艦を譲渡する事を主張する派閥があるのだろうとヴィルヘルミナは感じた。販売口上を咄嗟に並べられる様な為人にヒッパーは見えない。
同時に、防空戦闘に対して対空火器ではなく、航空騎による要撃を主体とするかのような発言に対し、やはり戦場で航空騎の跳梁跋扈を阻止するのは航空騎が最効率と皇国が見ている事が明白となった。ヴィルヘルミナとしては、対空装備を増強した上で譲渡して欲しいという話に持ち込む心算だったが、航空騎の重要性を再認識する結果となる。
しかし、ヴィルヘルミナは航空母艦が欲しいとは口が裂けても言わない。
海軍が既に検討しており、航空母艦を一隻、建造と運用するには戦艦一隻と同額が必要となるとの試算を出された為である。搭載騎とその消耗に加え、戦艦よりも防御性能に難がある為、護衛艦艇の質がどうしても生存性に大きく影響してしまう。結局、護衛艦隊を踏まえれば維持費と運用費に戦艦よりも遥かに予算を必要とする。
蒲鉾板の様な見た目から安価だと誤解されるが、航空母艦も主力兵器に相応しい予算を必要とする。
海軍からは、どうしても洋上で航空騎を運用したいならば巨大な艀を用意して軍艦で牽引してはどうか、という点案があった程である。初期費用を踏まえると戦艦よりも高価になる為、完全に臆した形である。
「戦艦が在れば戦略の幅は広がるのだ……ただ」
「帝国海軍の動向ですかな?」
ヴィルヘルミナはヒッパーの言葉に同意する。
南エスタンジアが戦艦を保有するという事は、帝国が対抗措置を取る可能性があった。
北エスタンジアが対抗できるだけの戦艦を用意できないとなると、皇国寄りの南エスタンジアは皇国の意向を受け、北エスタンジアの水上戦力を撃滅した後、余勢を駆って帝国の商用航路の寸断や沿岸都市の攻撃を図る可能性がある。少なくとも帝国はその可能性を踏まえ、北エスタンジアに有力な艦隊を駐留させる可能性があった。
対抗措置を取るのは国家間の軍事的均衡を図るという視点からは最適解と言える。
「……まさか、帝国海軍を釣り出す撒餌に……」ヴィルヘルミナは眉をめる。
在り得る話でもある。
南大星洋海戦に於いて皇国海軍は帝国海軍に対して大打撃を与えたが、それは帝国海軍の屋台骨を圧し折る程のものではなかった。後、一太刀浴びせて帝国海軍という脅威を長期間に渡って取り除きたいが、帝国海軍の主力は遥か遠方の海軍基地に展開して動かない。去りとて皇国海軍が攻め寄せるには距離があり敵地に踏み込む事になる上、神州国海軍の動向も捨て置けない。
よって誘き寄せる事が最適と言えた。
皇国寄りの南エスタンジアに戦艦を譲渡する事は帝国からすると戦力の分散と見える為、場合によっては帝国海軍が攻め寄せてくる可能性がある。
無論、南大星洋海戦での被害を受け、尚且つ、国内の混乱著しい時期に艦隊派遣を行うのかは未知数だが、皇国は複数の政略を用いて実施に追い込みかねない。
帝国と国交のない南エスタンジアからすると、帝国は傍若無人にいつ侵略してきても不思議ではない仮想敵国であるが、去りとて呼び込む理由を好んで作る訳にも行かない。海戦の混乱で商用航路が途絶すれば南エスタンジア経済は忽ちに立ち行かなくなる。
「そうした意見もありますな。まぁ、画餅に過ぎぬ事です。帝国海軍は最早、大規模な艦隊を大星洋に差し向けるのは叶いますまい」ヒッパーは溜息を吐く。
「帝国東部の混乱が酷い様です。共産主義者と自主独立を目指す地方領主が蠢動を始めているとか」
最早、帝国東部に安定した海軍拠点はないに等しい。
存外にそう口にしたヒッパーに、ヴィルヘルミナは帝国がそこまで混乱しているのかと驚くしかない。南エスタンジアの諜報活動は北 エスタンジアに大部分が割り振られており、防諜も熾烈に行われている。帝国の動向……それも人口が希薄で地形が複雑な帝国東部の情 報は特に遅れている。
――皇国は帝国東部に興味が……ううん、共産主義者かな?
共産主義勢力への武器支援を皇国が陰で行っている事は状況から見ても容易に察せる事である。労農赤軍の急激な規模拡大や優れた不 正規戦の手腕を見れば、 素人ばかりではない事は明白であるので、或いは非公式に教導官の派遣すら行っていても不思議ではない。 帝国東部の混乱は、ヴィルヘルミナにとっても帝国に陸上侵攻を受ける可能性が大幅に低減する良い話であった。
「そうなるとエスタンジア地方の統一も随分と楽になるのだ……成程。後背は混乱し、海に戦艦が在れば、北エスタンジアを完全に孤立させられる、と?」
陸と海を閉塞し、北エスタンジアを孤立させた上で攻め滅ぼす。増援も期待できず、 国外からの食糧と兵器の輸入もできないならば、継戦能力は著しく削がれたと言える。帝国の支援がないだけでも極めて大きい影響だが、諸外国からの輸入全てを絶てるのであれば空前絶後の効果を発揮する。
「さて、当官には何とも……ただ、統一に当たり、我が国が関わったという象徴があるのは望ましいでしょう」
嫌な所を突いてくる、とヴィルヘルミナは唸る。
自国の軍事力のみで統一できたと素人目から見て思えるものであった場合、皇国との統合は必要ないのではないかという意見がある程度の割合を占めかねない。実情としては帝国を支援できぬ程に痛打したのも、経済交流規模の拡大を判断したのも皇国である為、皇国あ りきの軍事力だが、視覚化できない活躍とは評価を受け難いものである。特に民衆は視覚的に訴えかけ易いものに流れる傾向があった。歌って踊って視覚的に訴え掛ける総統閣下はそれを誰よりも自覚している。
皇国から譲渡された戦艦が活躍したならば、南エスタンジア国民も自国単独では統一を成し遂げられなかったと自覚するはずである。
「まぁ、それは建前なのですが」
ヒッパーはあっけからんと暴露する。
ヴィルヘルミナは交渉の意味がないと苦笑するしかなかった。ただ、統合に当たり、 建前ばかりロにされるのは問題なので直截的な意見はヴィルヘルミナとしても望むところであった。
「我が海軍としても貴国が戦艦を保有してくれるならば有難いというのが本音です。何せ遠くない未来に一つの国家になる。戦艦も戻ってくると考えれば損はないし、 寧ろ我が国の軍艦に貴国の海軍が習熟する為の良い教材ともなりましょうな」
「……ああ、成程……部族連邦にあげたくないのだな?」
「まぁ、端的に言えば、そうですな」
朗らかに笑うヒッパーに、ヴィルヘルミナも笑う。周囲の親衛隊員は顔を見合わせている。付き合いが悪い。ヴィルヘルミナは皇国側の海軍や天帝の思惑が見えてきたので安堵する。
恐らく、トウカは旧式戦艦六隻を当初は全て部族連邦に有償か無償か不明であるが譲渡しようとしていたものの、海軍は神州国海軍との戦力差が大きい中で旧式戦艦ですら失いたくなかった。
ただ、部族連邦に旧式戦艦を譲渡する事で連合王国分割時の輸送で神州国海軍に多大な負担を掛けるという意図は理解できるし、神州国海軍の輸送に負担を掛ける役目を皇国海軍が負う事も避けたい。
そうした中で、一部を南エスタンジアに譲渡しようと考える者が海軍中枢に出たのだ。
両国の統合では軍も統合される為、そうなると旧式戦艦も戦列に戻ってくるに等しい。六隻全てを失いたくないが為の苦肉の手段と言える。
「でも、天帝陛下も許しているはず……我が国の国内に対する配慮……海軍は正直に陛下に話したのだな?」
南エスタンジア国民に独立を単独で維持できると思わせないという配慮は軍から生じる様なものではない。寧ろ、領土編入に対してかなりの警戒感を持って進めているトウカの発想に近いとヴィルヘルミナは見抜いていた。
ヒッパーは、ほう、と感嘆するかのような仕草を見せるが、瞳は静かで動きを見せない。ヴィルヘルミナは内心で怯え散らしていた。
「……勿論ですとも。陛下は何隻欲しいかあれに選ばせろ、と仰りましたな……海軍府では、戦艦を結納に使うか、と怒号と書類が飛んだとか」
豪放磊落。吼えるように笑うヒッパー。烈将としての本来の姿。
対するヴィルヘルミナは、とんでもない毒饅頭を投げ付けてくれたのだ、と大層と顔色を悪くする。
海軍に配慮するなら多数の旧式戦艦の譲渡を要請すべきであるが、それでは部族連邦が取り分が減ったと不満に思うかも知れない。
――これは試されているのだ……
ヴィルヘルミナは顔を青くする。
ヨゼフィーネがヴィルヘルミナの肩を叩くが、ヴィルヘルミナはそれを撥ね退ける。
酷い恥辱を受けた気分である。
祖国を賭して力量を示せと暗に言われていると考えたヴィルヘルミナは、同時に大国の意図に左右される祖国の弱さと、最後までそれを是正できなかった自身の力量に悲しみを覚えた。
ここで部下と相談するなどという平均点しか出せぬような振る舞いはできない。
愛なく結婚するとしても、横に並び立ちたいのだ。
それだけが、例え発展と安寧の為とはいえ、祖国を売る最後の総統が価値を示す唯一の方法なのだと、ヴィルヘルミナは信じて疑わない。
「三隻……三隻所望するのだ」
皇国海軍艦艇への習熟という点が語られた以上、相応の人員も用意される事は疑いなく、旧式戦艦だけを譲渡して終わるという話ではない。訓練や慣熟までの期間、乗員を貸与するという交渉内容として組まれている事は明白だった。
ならば、皇国海軍にも部族連邦にも角が立たない様に、南エスタンジアと部族連邦で半数ずつ分割するのが最良であった。
無論、それだけではない。それでは力量を示せない。
「でも、我が軍の海軍艦艇との共同訓練を実施して欲しいのだ」
「それは勿論です。 艦を差し上げて知らぬ存ぜぬでは良心がない」
内心では六隻全て欲しいと言わせたいのだろうなと、ヒッパーの胸中……海軍の思惑を察しつつ、ヴィルヘルミナはトウカにも己のカ量を印象付けつつ、皇国海軍にも利益が及ぶ様に言葉を重ねる。
「それなら、部族連邦海軍も含めて共同訓練を実施して欲しいのだ」
「それは、構いませんが……」
旧式とはいえ同型戦艦を三隻ずつ保有する国家同士で、共に皇国海軍から教えを乞うという流れ。
何も不思議な事ではない。
いずれ皇国の一部となり、経済的要衝となるエスタンジア地方との友誼を部族連邦が拒絶する理由はない。共に海軍戦力が劣弱な為、三国の共同訓練とすれば上下関係を国民も意識し難い。揃って皇国海軍に教えを乞うという姿勢は、自国だけが一方的に皇国海軍に後塵を拝しているという事実をある程度は軽減できる。南エスタンジアも部族連邦も国民からの反発を更に低減できる。
だが、それだけでは足りない。
凡庸ですらある。
だからこそ提案は続く。
「我が海軍は沿岸海軍なれば、この際、遠洋航海の訓練も実施したいのだ」
南エスタンジア海軍は沿岸海軍である。
沿岸海域の防衛に特化する事で揃える水上戦力を絞りつつ、少ない予算で実現できる沿岸海軍という海軍方針は中小国の海軍では珍しくないものである。無論、予算と運用の都合上、航続距離を犠牲に、或いは重視せず、予算の低減や他性能に余力を投じた艦艇が多い為、遠方への戦力投射は困難となるが、沿岸海域を防衛するならば十分であった。
しかし、余りにも押し付け過ぎては申し訳ないとばかりに、ヴィルヘルミナは言い募る。女優が言い募るのだ。雰囲気は十分であった。
「とは言え、こちらからの提案なのだ。”大国”の部族連邦に配慮して、部族連邦の沖合で実施したいかな」
部族連邦沖合までならば往復できるだけの性能はあり、洋上補給訓練の予算と準備を皇国海軍に押し付ける事をヴィルヘルミナは目論んでいた。
無論、それだけではない。
部族連邦近傍海域での三カ国共同演習。
物は言い様であるが、見方を変えれば連合王国への強襲上陸を望む神州国海軍の洋上輜重線を脅かす動きである。時期が違えども、そうした動きを円滑に行う為の合同訓練とも取れる。
名目は立っている為、神州国も非難し難い筈である。共同事業を行う神州国の支援という建前もまた有用であった。
商用航路護衛の為、旧式戦艦を皇国から譲渡されたので共同演習を行う。
「共同演習……ああ、共同演習ですな」
ヒッパーは、一本取られたとばかりに頭を掻く。
皇国海軍の持ち出しが増えたが、国益に資する為、皇国側も否とは言い難い。部族連邦も神州国と単独で争わねばならない可能性を懸念して周辺諸国との紐帯を模索しているので諸手を挙げて賛成する事は間違いない。神州国を刺激するとして及び腰であっても、皇国が国益の為に説得するだろうというヴィルヘルミナも目算もあった。
「戦艦で商用航路の護衛ですか……実に神州国らしい振る舞いですなあ」
「先達である海軍大国に倣うのは可笑しい事なのだ?」
苦笑するしかないヒッパーに、ヴィルヘルミナは至極真面目に答える。
実情として、商用航路の警護に戦艦など非効率極まる。
商用航路とは国家間を繋ぐ海上の交通路であり、海上である為に明確に線引きされている訳ではないが、地域や海域、海流の都合から大きく絞られるものである。それは海という面に線を引くに等しい。経済的に最効率で商船が航行できる航路。それが商用航路である。その商用航路は国家間を結ぶだけあって長大であり、警戒と保全には多数の艦艇……それも速度と長期間の居住性に優れた艦艇を必要とする。
端的に言えば、戦艦は非効率である。
戦艦は決戦兵器であり、運用自体にも相応の予算を必要とする上、速度も巡洋艦や駆逐艦と比較して劣る。加えて、本土に展開する主力艦が減少するので非常時の即応性が低下する。
しかし、神州国は商用航路の護衛を名目に戦艦を多数投じている。周辺諸国を合計しても叶わない質と量こそと言えた。
他国でそうした真似をしている国家は存在せず、一〇〇隻を超える戦艦を擁するからこその力業。
だが、その目的は名目上の商用航路の護衛ではない。
自国の商用航路を脅かす国家に対し、何時いかなる時も戦艦を含艦隊を戦力投射できるという意思表示なのだ。言わば迂遠なる恫喝である。
戦略兵器である戦艦を常に近海まで投入できるという実力誇示は、海洋国家として商用航路の保全が国家の死命を制する神州国にとっての生存戦略である。
当然ながら他国の印象は悪い。
去りとて救助や海賊討伐にも率先して行っている為、致命的なものではない。一部では開き直って自国沿岸の哨戒まで委託している小国も存在した。
去りとて近年は経済悪化で、その規模も縮小傾向である。
金食い虫の戦艦を自由に各海域で航行させるには相当な予算を必要とする。
しかし、そうした中で経済を持ち直す為に大陸を植民地として求める神州国は引き下がれない。
連合王国への戦力投射と、その陸上戦力への補給維持の為、神州国は補給船を多数航行させねばならないのだ。
その航路付近で三ヶ国海軍が合同演習を行う。
警戒して、少なくとも同数近い戦艦を補給船団に随伴させざるを得なくなる。神州国の負担は増すだろう。三ヶ国は部族連邦の沖合であり、皇国本土とも距離が近いので負担は少なく、そもそも補給船団が航行する航路全体を警戒する必要性がない。対する神州国は、共同演習に参加する艦艇だけを警戒していればいいとは考えない筈である。それ自体を陽動と考えるのは明白であり、常に補給船団に護衛の為に相応の艦隊を随伴させねばならなくなる。
――輸送船団に有力な艦隊を護衛として随伴させないなら、私達が護衛をしてあげればいいのだ。
神州国の補給船団の周辺を遊弋する。
恫喝などではない。
共に連合王国を分割する”友好国” なのだ。
無論、神州国がそう受け取るかまでは不明であるが。
「神州国が苦情を言うなら、神州国も巻き込んで四か国共同演習にすればいいのだ。皇国海軍も神州国海軍には学ぶべき点が多いと思うのだ」
神州国が非難の声をあげるならば、四カ国共同演習にして神州国艦隊も巻き込めば良い。協商国も巻き込めば更に話は大きくなる。世界最強海軍の面子にかけて相当な規模と戦力を派遣してくるはずであり、より多くの神州国海軍艦艇を拘束し、負担を強いる事ができる。
何より、参加国を増加させる程に神州国との不幸な軍事衝突の可能性を低減できる。 無論、神州国が参加せずとも大陸国の共同演習という事で神州国と大陸国の対立を鮮明にする好機として利用できた。
「なるほど……総統閣下は優れた戦略家でいらっしゃる」
ヒッパーは、話が大きくなった為、付いていけないのか明言を避けた。
少なくとも、この場で自身の力量に採点を付けられない状況にはできた、とヴィルヘルミナは安堵する。
つまり考える時間的余裕ができる。
「私が陛下にお願いするのだ。海軍に負担だけを押し付ける真似はしないから安心して欲しい」
序でとばかりにヴィルヘルミナは皇国海軍に恩を売りに掛かる。厚かましさの重ね塗りに思えるが、傍目に見ると皇国海軍の主力艦減少を共に憂える様にする事は容易い。
「戦艦があると皆が安心するから。私も大星洋の安全保障を担う皇国海軍に守られる女の一人なのだ」
ヒッパーに微笑み掛けるヴィルヘルミナ。
皇国ではヴィルヘルミナを天帝の皇妃として受け入れる事に前向きな話が出ていると、南エスタンジア側も聞き及んでたが、正式回答がない以上、守られる女、と曖昧に庇護されていると、多方向に解釈し易い様に応じるしかない。
ヒッパーは感動の面持ちである。
年寄りを騙すなど容易いわぁ、と背後のヨゼフィーネが考えているのを他所に、ヴィルヘルミナはヒッパーの両手を包み込む様に握る。何時も熱狂的支持者にする様に。
彼女は国民の支持を受け、未だ国民の大部分を支持を得続けて進む独裁者である。
半ば無意識に独裁者は歓心を買う。
或いは、それは女優 (アイドル)としての振る舞いかも知れない。
多数の歓心を買わねばならないのは同様である。
しかし、多数の支持を得る事に成功するのは何時の時代も限られた者達だけである。
ヴィルヘルミナはそうした人物でもある。
結局のところ独裁者を辞める未来が在っても、ヴィルヘルミナの支持は大きなものであり続ける。それもまた大きな波乱を呼ぶ事になるが、それを現時点で把握する者はいない。




