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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》

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第三六三話    通信障害




 一人になった執務室でトウカは酒を煽る。


「その内に分かる事だ……まぁ、共産主義者も中々どうして良い動きをする。一枚噛んでくるだろうな」


 帝国の強権的統治を数百年に渡って支えた帝国内務省秘密警察ですら共産党の動きを把握できず、国内各地での跳梁を許している。辺境での不正規戦でも連勝が続いており、正規軍との本格的武力衝突は避けつつも、宣伝材料としての勝利だけは抜け目なく勝ち取っていた。トウカとしては、端倪すべからざる力量である、と称賛する事も吝かではなかった。


 帝国に投げ込んだ共産主義という思想は燎原の火の如く燃え広がりつつある。


「不満が大きい故の広がりと思っていたが……」


 それにしては急速な規模拡大が過ぎると、トウカは見ていた。資金の出所も不明瞭であり組織の全容も判然としない。


「国外への伸長を避けている事も評価できる」


 地球世界が近代に足を踏み入れた時節、共産主義が危険視されたのは、その思想よりも、国境を跨いでの急速な広がりと暴力的な反政府活動の二つが揃っていた点が大きいとトウカは見ていた。


 一国に留まるならば特異な活動に過ぎないと見做す例は歴史上、枚挙に暇がない。東洋の要塞戦を特異な例として、機関銃陣地と塹壕戦を軽視して夥しい犠牲者を出した欧州の列強各国などは最たる例である。


 帝国内のみでの共産主義活動に注力する事で資源集中を図るという意味もあるであろうが、必要以上に敵を増やさないという動きを取っている事は、トウカの知る共産主義者よりも遥かに有能と言える。


 無論、模倣という形で各国に共産党が成立する事は今後、在り得るものの、関与しない姿勢を鮮明にしている点は大きい。


 ミリアムという謎に包まれた共産党書記長の手腕なのか、或いはエカテリーナの関与あっての隆盛なのか判別が付かないものの、トウカはどちらにせよ二人が連携するのは時間の問題だと見ていた。


「例え、首都を直撃されたとしても気にする女でもない……」


 寧ろ、共産党の実力を理解して利用する事を考える筈であり、その中で最も公算が高いのがいずれ成立する衛星国に対する干渉の尖兵として利用する事である。それまでは伸長させ、衛星国との治安戦で磨り潰すというのは十分に有り得た。


 エカテリーナは衛星国成立の意図を汲み取っている筈であり、帝国全土占領などという夢物語を現時点で試みようとは考えていない事を察していると、トウカは確信していた。国力と戦略爆撃の傾向をみれば一目瞭然である。


 共産党が帝国による搾取から離れ、豊かになるであろう衛星国を求めて蠢動するというのは在り得る話であり、もしそうならずともエカテリーナであれば唆す事は容易い。


「しくじったな……繋がりが露呈する危険性を踏まえて危険物を投げ付けるだけで済ませたのは間違いだったか」


 共産主義思想や武器弾薬を手配しただけで済ませ、その後に成立する共産党への関与は行わないとの方針をトウカは認めた。


 統合情報部が、余剰人員なし、と悲鳴を上げた事も大きい。


 急激な外交政策の転換と、帝国への反抗作戦への想定は統合情報部の人員を忽ちに枯渇させた。トウカの即位後に国内の防諜体制を強化した事も大きい。


「共産主義者が帝国の継承国として立ちはだかる事態も在り得るか……やれやれ独逸人の二の舞か」


 第一次世界大戦の最中、露西亜の分裂を意図して共産主義者を支援した独逸は、第二次世界大戦で共産化した露西亜と交戦する事となった。日本との挟撃で勝利を掴む事に成功したものの、被害は甚大であり戦後統治も穏やかならざるものであった。身から出た錆と言える。


 貧者に共産主義という劇薬は効き目が有り過ぎる。


 無論、共産主義の結果として人命が軽視された共産主義国で経済が委縮するならば大いに歓迎すべき事である。


 計画経済による躍進も人口と長期的な経済発展を擂り潰した上での短期的な虚構に過ぎない。最終的に技術や経済の規模は覆しようもない 程に拡大する。


 共産主義は指導者層の全知全能が前提の妄想にすぎないのだ。


 去りとて、一時的な国力の増進は在り得る。


 トウカも場合によっては、同じ轍を踏む事になる。


 共産主義者がその増進した国力で何を為すか。


 それによりまだ見ぬ共産主義国と皇国の未来は変わる。


 無論、衛星国には緩衝国としての側面があり、帝国の崩壊には周辺諸国も介入するであろう事から、帝国の領土を全て継承する事は出来ず、相当に領土を減ずると推測できた。〈ソヴィエト連邦〉の如く強大な国力を有するに至る事はない。その為の戦略爆撃でもある。


 衛星国の領土として想定していない地域の産業地帯と公共施設を破壊する事で国力の低下を試みる。


 戦略爆撃を開始した当初は軍事的成果の喧伝の為、市街地への爆撃……民衆の殺害を主眼としていたが、現在は寧ろ帝国が民衆の食糧消費を支え切れないと見て民衆の”漸減”には消極的になりつつあった。


 飢餓は不満を生み、共産主義者を量産する。


 帝国の弱体化が最優先であり、共産主義国の成立は許容するしかない、とトウカは考えていた。無論、共産主義国の成立は可能な限り阻止する事が望ましいが、戦後も軍備を維持するに当たって仮想敵は必要であり、地方国家が乱立して収拾がつかなくなるよりは交渉窓口が絞れるだけ救いがある。


 ――まぁ、神州国や共和国が健在な以上、仮想敵には事欠かないだろうが……


 それでも自国の政治的都合で蹂躙できる国家の利用価値は高い。周辺諸国が手を差し伸べる事もない国家であれば尚更である。


 帝国が崩壊した場合、共和国との軋轢も増加する事が予想された。


 現在は、帝国という共通の敵が存在する為に協力関係に在るが、帝国崩壊後に国力が回復した場合、緊張関係に陥る事は枢密院も指摘している。


 トウカが皇国議会を廃止した為である。


 共和国との友好関係は、当然であるが共通の敵を抱えている為であるが、加えて皇国が権威主義国でありながら議会を持ち、議会制民主主義の側面を備えている点も大きかった。


 寧ろ、トウカの即位以降、皇国の政治体制は帝国に近付いている。それ故に皇国は帝国を打ち負かす実力を持つに至り、共和国がそれを利用しようとしている事は皮肉であるが、国際関係とは元よりそうしたものである。


 対する神州国とは一戦交える事はあれども、最終的には融和する流れに在ると見る者は多い。結局のところ大陸の利権を保持する為の陸上戦力を有する国家に近付くしかない。火中の栗を拾う果断ができる国家など限られている。


 無論、大陸を捨てて”栄光ある孤立”を再び選択するのであれば話は変わるが、国家方針の下で一度手にした領土を手放す事は政治的にも民意の上でも容易ではない。


 無論、トウカがそう誘導するのであるが。


「去りとて、 中々どうして上手く行かない事も事実」


 トウカの計画は紆余曲折を経ている。


 それらしく喧伝できる余地を常に残しているからこそ、失敗と見做されないだけでしかなく、実際は軍事力に物を言わせた茶番劇であった


大陸軍(グランダルメ)を率いて暴れた平民皇帝程度が関の山……という事かも知れないな」


 自嘲を零すトウカ。


 或いは、彼の戦争の天才も奈辺より招かれた者かも知れない。


「彼は砲兵、俺は航空か」


 トウカは武功を持ってのみの立身出世となっている事を自覚していた。


 実際、最近の法案……労働環境改善や教育改革、税制の簡素化などは高評価を受けていたが、トウカ自身としては実感を得られるものではなかった。


 最大の理由は新領土の開発が難航している事に起因する。


 南方保護領は想像以上に何もかもが無かった。


 辺境や弩田舎という表現では生温い程の森林地帯であり、個々の村落が獣道染みた経路で辛うじて連結されているという場所も少なく無い。それどころか、部族連邦も把握していない孤立した村落も発見されており、航空偵察まで用いた大規模な検地が開始されている。


 基幹経路となり得る街道は、それなりに整備されているが、将来の貧富の差を思えば交通手段の格差は国土に於いて最小限に成さしめるべきである。極東の島国の如く大都市に人口が異常集中するが如き危険は犯せない。経済的にも人口的にも軍事的にも防災的にも危険極まりない馬鹿げた方針である。


 軍事費は斯くして削られる。


 余すことなく南方保護領の人的資源を活用し、皇国への帰属意識を醸成する為に国土開発は決して怠ることのできない事業に他ならない。対帝国戦役を利用した株式売買による利益がなければ、軍は現状維持に留まったであろう事は疑いない。


「メフォ手形まで真似てしまう訳にもいかない」


 空手形。


 或いは、国家に依る詐欺。


 借金に追われて次々と戦争をする事になりかねないが、その戦争で借金が嵩むのだから事実上の国家に依る自転車操業である。


 占領地の富を収奪して経済を回すなど、早晩に破綻する事をトウカは歴史から学んでいる。そもそも、帝国南部には収奪すべき程の富がない。穀倉地帯と鉱物資源に恵まれてはいるが、それも加工品としなければ利益率は低い。外貨獲得の為の工業製品を国内企業に提案し、研究開発は進んでいるが、それが日の目を見るのは先であり、そもそもそれらを安全に輸出する経路を成立させねばならない。そこでも予算が必要となる。セルアノは大蔵府で高笑いしている。


 将来の銭儲けへの投資を渋らない点をトウカはセルアノが祖国の財務官僚と違う美徳であると、トウカも理解しているが、 軍事費から諸々 の予算を抽出する意図が明白である点にトウカは辟易としていた。


 女に生まれた事を後悔させてやりたいと脳裏を過った事も一度や二度ではなく、セルアノのそうした姿勢が自身の軍事的才覚を組み込んだ上での事であるとも理解しているので複雑であった。


 経済的に締め上げる。


 その後、言い掛かりを付けて進駐すればいい。セルアノの言である。


 工業化を推し進めるに当たって労働人口が不足する為、周辺諸国の段階的な保護国化や併合に関してはセルアノも同意しているが、今は時期尚早というのが彼女の主張であった。


 トウカは平民皇帝の如き下手を踏まないが、それ故に戦後を考えて思う様な軍事行動が出来なくなりつつあった。


 トウカは注いだウィシュケの琥珀色の水面に視線を落とす。


 その水面が不意に揺れる。


 トウカは扉が開いた事に遅まきながらに気付く。


 シラユキが駆けてきてトウカの膝上へと飛び込んだ。


トウカは咄嗟に硝子杯を置いてシラユキを受け止める。


誰何もなく入室を告げる侍女や鋭兵の声もない事にトウカは眉を顰めるが、侍女と鋭兵が扉から覗いている姿に溜息を吐く。


 シラユキが口止めしたのだろうと見当を付け、トウカはシラユキの頭を撫でる。


 奇襲効果の最大化だ、とトウカは苦笑するしかない。警護上の問題はあるが、相手がシラユキであるならば致し方ない。


 トウカはシラユキの両頬を抱えて苦笑する。


「どうした? 今日は……逓信庁の見学だったと思うが……」


 権能がその様にシラユキの予定を提示しているが、何かしらあったのだろうと、トウカはシラユキを己の膝に座らせる。


 遅れて入室してきたネネカとサアヤ……ネネカへとトウカは視線を向ける。枢密院議長附きだが、シラユキの意向で度々、巻き添えを受けるネネカは憮然としていたが、トウカは気付かない振りをして言葉を促す。


「皇都で大規模な通信障害です。軍の通信は独立している為に無事ですが、民間ではかなりの影響が出ているとのこと」


 ネネカの報告にトウカは憮然とする。


 逓信庁も幼女の見学を継続している場合ではないと見てお帰り願ったのだろうと、 トウカは納得する。正しい判断と言える。去りとて通信障害の原因次第ではトウカも動かねばならない。


「破壊工作か?」


 トウカの静かな問い掛け。


 紫水晶の瞳に見据えられて表情を強張らせるネネカ。


「……いえ、機械的問題の様です。念の為、皇都航空隊が偵察騎を多数哨戒に進発させているとの事ですので、もしその可能性があるならば報告が上がるかと」


 一拍の間を置いてネネカはトウカの欲する情報を、端的に説明する。


 機械的問題であって破壊工作ではない。


 早々に原因が判明しているからこその言葉であり、ネネカは逓信庁で伝えられたのだろう、とトウカは見当を付ける。


「逓信庁長官は貴官に何か伝えていたか?」


「予算を寄越せと」


 トウカはげんなりした。


 誰も彼もが金を出せと騒ぐ。


 立派な髭を蓄えた美丈夫の逓信庁長官を思い出し、トウカは、まさか態とではなかろうな?と疑う。予算欲しさに看過したのであれば問題である。無論、専門家相手に魔導を含めた通信技術の内容を聞いても煙に巻かれるのは目に見ているので、トウカは無意味な真似をしない。そもそも、それは国家指導者の役目ではない。査察時に問題は判明し、適正に対処されるべきである。内部告発も時折あるが。


「……聞かなかった事にできないだろうか?」


「当官が伝書鳩の真似も出来ぬ小娘と謗られる事を許容なさるのでしたら」


 元より許容し難い内容がシラユキの前では更に許容し難いと、トウカは溜息を吐き、シラユキの頭を撫でる。


 扉から窺うサアヤを手招きし、トウカはネネカに通院障害の原因を問う。


「問題は端的に言えば、経済の急激な拡大です。市場規模に合わせて民間が活性化し、消費も増える。通信量も比例して増加しますが、急激に過ぎた事で発生したようです。 当官が逓信庁で捕まえた職員の言ですが……」後程、逓信庁長官から上奏なさるでしょう、とネネカは締め括る。


 経済発展に伴う通信量の拡大に既存設備では対応できなかった。そして、設備増強の想定すら上回ったという事であろうとトウカは予想する。


 戦勝国に富が集まる様に最大限の努力をトウカはしており、皇都は物流と人口の面から見で見紛う事なき皇国の中心である。政治の中枢をフェルゼンに移行する事で、非常時の被害分散を想定しているという”建前” が今回の一件で図らずも立証される事になった。


 通信障害に依る行政の混乱を避け得た以上、トウカの判断は補強されたが、フェルゼンへの遷都は実情として中央貴族の利権や議会政治と物理的距離を置くという意味が大きかった。


 物理的な距離を以て排斥を図るという手段は極めて有効である。無論、敵対者の物理的な排斥による即効性には劣るが反動も少ない。特に帝国との対峙や危険分散という大義名分は対帝国戦役直後の皇国に於いて錦の御旗に等しい。実際に皇権を擁するトウカがそうした主張をする点を踏まえれば錦の御旗が二つ翻る事になった。


 利権や議会の前提である事が多い首都機能それ自体を動かす事で法制度上の不備を招く。再度の構築を行う諸勢力よりも早く、権威を以て天帝への権力集中を図る。


 トウカの政治権力の拡大はそうして成されつつある。


 法律よりも皇権が上位に置かれている事を最大限に利用しつつ、反発し難い大義名分を添える事で成されたと言える。


 実情は、突然の首都移転に於ける混乱の隙を突いて政敵を追い落としたに過ぎない。


危機や混乱を利用して権力を拡大し続けたトウカとしては、目新しくもない一手であるが、皇都からの政府機能移転を不安視する者は少なく無い。


 問題がない訳でもなかった。


 議会制度に固執する面々だけでなく、経済面での発展に陰りが差す事を懸念する皇都民も多い。


 未だ移転を終えておらず、寧ろ府庁の大部分は未だ皇都での業務が主流となっている。


 移転先のフェルゼンの許容量自体の問題もあった。


 フェルゼンの特殊な都市設計の都合上、軍事施設を郊外に移転する事で用地は確保できるが、それにも時間は必要である。


 特に余裕のないのは陸海軍府である。


 何せ、軍拡の真っただ中で中枢機能の移転ともなれば混乱は免れ得ない。現在も陸海軍府長官はフェルゼンにあるが、主要機能は皇都に残存している。


 通信障害を理由に移転は進むかも知れない。


 トウカは好機だと見た。


「人口と政府機能の集中は好ましからざる事だ。このように各所に負担を掛ける事になる。違うか?」トウカは渾身の笑みでネネカに問う。


 迷惑だ、などという表情は見せないが内心では逓信庁に恨まれるかも知れないと考えているだろうと、トウカは満面の笑みを見せる。去りとて、軍人という立場から申し上げるのは……と逃れない所がネネカの長所であり短所でもある。とは言え、トウカはそれを短所として扱わなかった。


「……首都移転と物流拠点の分散を推進する中で、皇都の各種公共施設(インフラ)への負担は減じるでしょう。その点を見越した予算配分を大蔵府長官に用意させるべきかと」


 予算の拡充は認めるが、首都機能をフェルゼンに移転し、鉄道網を増強する中で物流拠点が分散しつつある現状、皇都への経済と人口の集中は緩やかなものとなる。それを踏まえた上での予算編成が為されるべきである。


 ネネカの提言は正しい。


「遷都の大義名分が増えたな……陸軍情報部の配慮ではなかろうな?」


「さて、それは何とも……ハルティカイネン大佐は……今は共和国でしたね。では、 カナリス中将に諮詢しては如何でしょうか?」


 統合情報部部長に各情報部の動きを問うというのは順当な意見であるが、トウカはそもそも統合情報部が各情報部の動きを完全に把握できているとは考えていない。


 統合情報部部長であるカナリスとの遣り取りは事を大きくする可能性も有るが、練達の情報将校であるカナリスならば内々に済ませ得るかも知れない。リシアの場合、ただ話を大きくしかねなかった。組織内で敵対的な者を失脚させる口実にはしないであろうが、他国の間諜の破壊工作であると、統合情報部の予算拡大の口実にしかねない。予算を捥ぎ取れる者は何時の時代も組織の英雄である。


 無論、破壊工作を見逃したというのは、それはそれで失点とも言えるので博打に等しいが、リシアは他所様を口車に乗せる事に秀でている。


 ――言ったところで、か……問題があれば、上奏があるだろう。


 未だ皇国の情報機関は分裂傾向にある。


 陸海軍と皇州同盟軍、外務府調査部、内閣公安部の上位組織として非効率の解消を図る事を目的としているが、独立性と機密性が高い情報を司る組織が頭を抑えられる事を容易に認める筈もない。カナリスには最期の御奉公として、情報組織の効率化を図って貰いたいというのが トウカの偽らざる本音であった。


去りとて現時点では、 情報部の内側を覗くことは難しい。


「捨て置く……或いは真実を教えてやるのも悪くない一手だとは思うが」


 寧ろ、先手を打って好ましからざる組織に罪を着せるというのも政略としては取り得るものであった。無論、状況把握をしている逓信庁の口止めをできるのであれば、という前提が付くが。


 真実を加工するのは国家権力の特権であるが、実情として整合性が取れないのであれば国威の毀損にしかならない。今回の場合、規模から見て現場での現状確認や復帰作業に携わった者が相当数なのは明白である為、真実は容易に覆りかねない。真実に近い部分に関係者が多い謀略は使用期限が極めて短く、反動も大きい。運用は限られ、大きな問題を以て矮小化を図るなどの後始末も行わねばならず、トウカとしては推奨し難い。


「まぁ、それとなく市井には帝国の仕業ではないかと噂が流れるだろうが……誰も彼もが国家の公式見解を信じる訳ではないからな」


 迂遠に公式見解とは別に、帝国の破壊工作であるという噂を流せと指示するトウカ。本来、リシアを経由して情報部を動かす案件……当人 もそうしたものを得意としているが、その当人は現在、共和国に特使として赴いている。


 ――適度に掻き乱してこいとは命令しているが、どうなる事か……


 相当な権限と手土産を渡して送り出したが、リシアのことであるからして想像の斜め上の方向に掻き乱す事も十分に有り得た。情報部の見せ札として扱われるリシアに耳目が集まるのは宿命である。


 トウカはシラユキの頭を撫でつつも、愉快な事だ、肩を揺らす。


 ヒトは見たい真実しか見ない。


 ならば陰謀好きにそうした真実を用意してやれば、その可能性は市井の一部を占める事になる。国家はあらゆる可能性を無視し得ないのだから、何かしらの行動の根拠に後々、利用できる。


 ネネカはトウカの意図を察したのか、尻尾を丸めて溜息を吐く。


「取れる選択肢を常日頃から増やす努力を欠かさない事が政治だろう」


 或いは昨日の嘘を翌日に止むを得ないと大多数に納得させるのが政治である。トウカとしては、代償が少ない限りに於いて状況を利用する事に躊躇はないが、嘘を吐かざるを得ない状況を低減する事も忘れない。


「その様に手配しましょう……陸海軍も軍備拡大の大義名分が増える事を内心では喜ぶやも知れません」


 陸軍将校であるが他人事と言わんばかりの物言い。


 或いは枢密院議長附きという立場になった為、陸軍府とは意識して距離を置いているとも取れた。ネネカの立場は難しい。政府機能を担う事になった枢密院の議長に指名され、事実上の秘書官となった以上、軍務からは距離を置くべきと考えるのは国家統制の面から見た場合、当然の配慮と言える。


 去りとて、陸軍はネネカを手放さない。


 これ幸い……とは口にしないものの、そう言いたげな動きで辞表提出が一度行われたものの陸軍府と参謀本部の圧迫面接染みた説得で取り下げられた経緯もある。


 陸軍からするとリシアは陸軍ではなく、未だ皇州同盟軍の将校であり、どちらかと言えばトウカや北部貴族の意向に重きを置きがちになりかねないと懸念していた。


 陸軍生え抜きの将校であるネネカを手放す訳にはいかない。


 天帝に近い陸軍軍人が増える事で意思疎通が容易になる。各政策をいち早く認識し、対応するというのは、苛烈な政策が多い当代天帝の時代に在って極めて重要であった。


 ネネカはうんざりしているだろう。


「陸軍府の御機嫌取りも大変だろう。それは陸軍府も理解している。近々、昇進もあるのではないか?」


「恐れ多い事です。ですが、御放念頂きたいところです」


 トウカの指摘ともなれば、陸軍も意向を汲んで昇格も在り得るだろうが、ネネカは丁重に辞退する。陸軍内での嫉妬や政治への関与を忌避してであると見たトウカも無理強いはしない。


 佐官と将官には大きな差がある。


 将官とは皇国に於いて天帝が官職を親任する。天帝により新任される官職を親補職と言い、それは権威主義国でもある皇国では多大な意味を持つ。


天帝の信任という威光。


 そして、当代天帝であるトウカの下で将官に新補せられた者は意外と少ない。忽ちに注目される筈であった。狐系種族である点も捨て置けない。


「近い内に南エスタンジアの総統が来訪する。その際、貴官も同行せよ。多方に関係を持てば要らぬ揉め事にも巻き込まれまい」


 政治的、或いは陸軍内の派閥争いなどに巻き込まれる事をネネカは酷く恐れている。当人自身も食うに困らない程度の俸給があれば良いと明言しており、昇格を寧ろ恐れている節がある。


「当官は軍人でありますれば――」

「――今はそれだけではない」


トウカは断言する。


「枢密院議長附として遇されたのはベルセリカの軍事的視点を補う為だが、貴官の力量がそれだけに留まらない事は明白だ。最早、皇国には後がない。激動の時代を生き抜く為に各々が最善を尽くすしかないのだ」


 トウカは皇国の未来が明るくないと考えている。


 世界大戦の勃発が避け得ないと見ているのだ。


 海を越えた先の二大国も相争うだけでは埒が明かないと、他国を巻き込んで陣営を形成する動きを取っているが、その影響は皇国の存在する大陸にも影響を及ぼす公算が高い。


 主義の違う大国が陣営形成を図れば行き着く先は戦争である。平和裏に共存などある筈もなく、始末の悪い事に一方は宗教国家であった。約定(ルール)無用の殺戮の応酬に陥る事も在り得る。


 ――大陸内に、窮して他大陸の大国に泣き付く国家も今後現れるだろう。


 それまでに皇国が国力をどこまで拡大できるかが鍵である。


 焦燥感はあるが、トウカはそうした状況を楽しんでいてもいた。そして、その楽しみを他者に分け与える事にも躊躇はなかった。





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