第三六一話 種族人口
「弾道弾の利用を陛下は御考えでしょうか?」
アーダルベルトは胴体に巨大な弾体を装備する戦略爆撃騎を尻目に、隣でそれを見上げるトウカへと問い掛ける。
射程を延伸すべく、ある程度の距離を戦略爆撃騎に懸吊した状態で輸送し、空中発射するという発想の下で研究開発が続く姿に、アーダルベルトは可能性と危険性を感じた。
弾道弾という兵器は、戦略爆撃騎の価値を大きく減衰させるのは明白であった。
魔導技術による生物学的限界を超えるにしても限界が早々にある戦略爆撃騎に対し、射程や命中率、信頼性性能も技術発展により大きく期待できる弾道弾が、いずれ戦略爆撃騎の役目を広範に渡って浸食するのは明白であった。地上発射でも十分な射程を確保できる時代が到来する事は容易に想像できる。
アーダルベルトは、それに気づいていた。
トウカは龍が空を統べる事を許さない。
少なくとも、その空に於ける覇権が永続性を伴う事を許さない。
弾道弾開発と飛行機械の研究がそれを端的に示している。現在は、信頼性と技術的未熟から、龍系種族はそれを問題視していないが、アーダルベルトはトウカの静かなる意思に気付いていた。
――恐らく、セラフィム公も気付いている。
或いは賛同しているかも知れない。
分野が一種族の寡占となる危険性を熾天使が見逃すはずもない。それ故にアーダルベルトは航空行政に天使系種族を抱き込もうと考えたが、それは否定こそされないものの、期待よりも遥かに限定的な規模に留まっていた。
トウカは曖昧な笑みで、アーダルベルトを見据える。
「空か……思ったよりも早く気付いたな」
否定はなく、事実上の肯定を告げられたアーダルベルトは逆に返答に窮した。
――言い難い事をあっさりと言ってくれる。
言葉の応酬で梯子を外すという高尚なものではなく、ただの開き直りに過ぎないという側面があるという事をアーダルベルトは最近になって理解しつつあった。
「龍共を宥める言葉が欲しいのか?」
小五月蠅い連中は何処にでもいるものだ、とトウカは含み笑いを漏らす。
未だ異論や懸念が噴出していない段階で気付いたからこそ、アーダルベルトはその真偽を確かめ、龍系種族にとっての軟着陸を模索する動きを取ろうと考えていた。
しかし、やっと気づいたのか、と言わんばかりの姿勢を以て応じられては予定が狂う。
「大過なく収める方策をお持ちですか?」
まさか現時点での航空行政の混乱を見逃すはずはなく、だからこそアーダルベルトはトウカが今後一〇年程度は否定も肯定もなく曖昧な状況を続ける考えていた。
トウカは一拍の思案を以て応じる。
「龍共は数が少ない……分かるだろうか?」
「不足は明白なので補助戦力が必要ということですかな?」
戦線が広がれば、戦域毎の投入戦力は低下する。これは、陸海空の戦力のいずれにも当て嵌まる事である。無論、速度に優れる航空戦力は広域展開が比較的容易な為、制限は少ないが、それでも無縁ではない。何より、戦争である以上、消耗は避け得ない。
しかし、トウカは顔を顰める。
見当外れな意見だったか、とアーダルベルトは、自信のあった結論が否定されて再び思案する。
だが、トウカは早々に答えを口にする。
「違う。戦場で死に過ぎて、種族個体数の減少を避ける為だ。これは善意だ……そう言っておくが良い」酷くうんざりとした表情の若き天帝。
軍備拡大計画に於いて種族派閥の意向など受け付けないという意思は明白であった。
予定している戦争に於いて龍系種族の協力を受けられなくとも良いのかという疑念はアーダルベルトに口にできない。
外征により国威を示したトウカの支持は臣民の間で急速に高まりつつある。領土は増え、神州国にも妥協しない姿勢を見せた。そうした中で、龍系種族が軍備拡大計画への不満から戦争協力を拒絶した場合、龍系種族の政治的立場は大きく毀損される事になる。
――陛下は強気でいらっしゃる。騒ぐならば全てを龍の責任とする心算か……
来るべき帝国侵攻で航空戦力の整備が間に合わないとなれば、侵攻は延期、或いは中止という事になる。
無論、トウカは龍系種族の非協力的姿勢を最大の要因として挙げるだろう。
実際、帝国侵攻に於ける必要な軍備は皇国の身代にすら合わぬ規模である。
緻密な作戦計画はアーダルベルトも与り知らぬところであるが、戦争で真っ先に戦死するのは作戦計画である。当初の予定と異なり多大な予算と軍備を消費するのが戦争の常である事は歴史が証明していた。
トウカも、その点は重々承知している筈である。
トウカは、皇国に於ける近年の戦争で誰よりも作戦計画の修正と変更を迫られた指揮官でもあるのだ。
だからこそ、軍備の不足は誰よりも痛感している筈である。防御縦深を理解している事も大きい。縦深は攻勢側の多大な消耗を招く。
しかし、帝国打倒……報復を宣言した手前、ある程度の開始時期を明言したとはいえ、先延ばしが過ぎれば信頼と期待を襲う。戦略爆撃などで帝国への攻勢を演出しているが、アーダルベルトの見たところ二年以上は先延ばしにできないと見ていた。
報復への熱意は結局のところ永続しない。
「それだけの規模の戦争を予定しているという事でしょうか?」
「想定外は何事にもある。政治も軍事も例外ではない」
尤もらしい意見だが、具体的なものではない。
無論、想定外への対処に柔軟な用意をしておく事を怠らないのがトウカである。戦場では装甲師団であり航空艦隊であった。二つの用意は常に想定外に対して有効に機能している。
しかし、ここでアーダルベルトは、ふと思う。
――陛下は龍が航空行政を恣にする事を望んでいない。ならば、政治権力を抑える方が良い筈だ……ならば。当初の予定からの変更があったのではないか?
アーダルベルトは訊ねる。
「陛下の御立場なら、沈黙を以て龍種を戦場に投じ続けて数を抑える事は可能だったのではないでしょうか?」
種族人口が減すれば、政治権力を発揮する余地も低下する。肥大化する航空行政を維持するべく他の種族も流入させざるを得ない。種族人口が政治権力の規模に直結する訳ではないが、重要な要素である事に変わりはない。要職を占める数と、職務に於いて花形の部分を固めるだけの数は必要となる。航空任務を担うだけの数を用意できない種族が行政を恣にすることは軋轢と混乱しか生まない。
種族人口と言えど、航空行政に関わる総数は種族人口と比例しない。寧ろ、どれ程に努力しても三割が限界である。仕事に適さない者や望まない者、年齢による制限もあれば、他の仕事に従事している者も居る。そうした諸々を無視して立場を強要できる種族は、軍隊以上の上意下達を種族特性として有する天使系種族のみである。
トウカは、当初、龍系種族の減少を意図していた筈である。
龍種を戦場で消耗させ、航空行政の独占を許さず、航空戦力の不足は飛行機械で代替する。一石二鳥と言えた。
軍事的勝利は権力を生むが、種族として権力を独占するのであれば相応の種族人口が必要となる。その前提を崩そうという意図が在っても不思議ではない。
「マリィなら直ぐに気付いただろうな。陣営の……自らの利益と権益に敏感だった」
「……娘の名前を出せば、引き下がると御考えで?」半眼のアーダルベルト。
トウカは肩を竦める。
「隣国の総統閣下からの手紙に、マリィの名前を出した際の遣り取りが掛かれていたのでな」
「それは気遣ってはどうかという讒言では?」
「いや、止めを刺せという話だったが?」
ちょっと意味が分からないです。
娘の交友関係が碌でもないのか、類が友を呼ぶの極致なのか、或いは両方であるのか。アーダルベルトとしては救いようのない話であった。
「冗談はさておくとして……公家政治の常套だ。栄光を与え、増長を誘い、失敗に陥り、破滅する……位打ちという。気を付けるといい」
「……今の皇国では抗えぬ者が多いでしょうな」
国威、愛国心という自国への矜持というものが醸成し難い状況で長年、生活してきた皇国臣民は富国強兵に抗い難い魅力を感じている。閉塞感を打破し、繁栄を齎すとトウカが示し、それは行動を伴ったものであった。
その一翼を担い栄光を手にするという誘惑。
抗い難いものがある。
「陛下の祖国には、恐ろしい政治の担い手がいらっしゃるようですな」
「遥か過去の話だ。当代の政を担う者は然したる輩ではない。義務も愛国心もなければ気概もない。まぁ、嫌味ばかりの公家共も大概だが、政敵を貶める手腕は歴史上稀に見るものがある」
嘲笑を以て否定するトウカの瞳に燻る憎悪を見たアーダルベルトは、議会政治の不信感の根底がそこに在るのだろうと察した。遣り取りで察せる辺り、相当な憎悪である。
「兎にも角にも、臣民は想像以上に、余を支持しつつある。戦う天帝、経済の理解者、そして国威の担い手。近年、それを為せる天帝は居なかった。反動だろう」
その点はアーダルベルトも実感していた事である。
市井の支持政策の急激な変化。正に爆発的反動と言える。
それを煽動した人物こそがトウカであるが、実際のところ報道がそれを煽動したというよりも、元より存在した危機感が顕在化した結果と言える。元より火種はあり、臣民もそれを認識していたが、盛大に突き付けたのがトウカであり帝国侵攻であった。
「平和や融和を謳っていても、己が身に脅威が迫ればこうなるという事でもある。平和の提唱とは対岸の火事という高級品の下で生じる自己陶酔に過ぎない。要するに想像力と現実感の欠如した輩の妄想に過ぎない訳だ」
余りにも明け透けな物言いと嘲笑に、アーダルベルトは返す言葉もない。
以前は帝国が馬鹿をした結果、対岸の火事が飛び火したが、必要と在れば対岸の火事を自国に引き込む事を躊躇しないであろうトウカ。狂信的現実主義それ自体も国家に災禍を齎す事は変わらない。
自己陶酔……自己への過信という面では変わらないのではないか、とアーダルベルトは溜息を吐く。
「政治方針が永続的に適用される訳でもなければ、維持される訳でもありますまい」
状況にそぐわない政治方針を掲げ続けて崩壊する国家は歴史上に散見される。官僚と政治が前例主義的である事を踏まえれば、国家の命数とは予め決まっていると言っても過言ではない。
だからこそ、変化に適応せねばならない。
アーダルベルトは、そうした意味もあって皇国議会の再建を訴えていた。
皇国政治を議論する場は必要である。
国内の不満と問題を吸い上げ、対応を決める場がなければ、いずれ大きな齟齬を見落とす事になりかねない。そうした場の存在こそが、不満の抑制と、自らの意見に関心を持っていると臣民に示すことができる。現状の皇国は天帝による独裁制下で、枢密院による寡頭政治を演出しているに過ぎない。
アーダルベルトは、その点に危機感を持っていた。
発展ばかりみて、不満や不安を見ていない。
発展があれば不満や不安は抑制できるとの打算もあるだろうが、やはり何処かで破断点があるとアーダルベルトは見ている。永遠の発展はなく、何処かで限界に直面する。
物事に永遠はない。
「理解している。だが、貴官は楽観的だな。政治方針の変化が良き方向に作用するという前提で話しているように思える」
トウカは狂相を以て嘲笑する。
明日はもっと悪くなるかも知れない。
日々低下する国力と経済の中で祖国を生きたトウカの言葉には議会制度……政治不信が根差していた。だからこそ政治家を殺す事に躊躇はなく、政治家や官僚が公益よりも私益を優先するという前提がある。
アーダルベルは経緯を知らぬが、その意思だけは言動と行動から嫌と言う程に理解できた。
「国会再建どころか種族政治まで危機に追い遣られるとは……儘なりませんな」
明日を悪くするであろう皇国議会と国会議員を武力で排除した。状況次第では、種族政治の中で皇国の利益よりも種族の利益を謳う龍系種族も容赦はしない。
トウカはそう暗に示している。
例外はない、と。
「政治の真似事をしたい連中が好き勝手に騒ぐ場は、そう遠くない内に用意する。だが、忘れるな。雁首揃えて内戦と帝国侵攻を見逃したのもまた皇国議会である事を」
思考の数を用意すれば、失敗数は減少するかも知れないが、一度の失敗で国家が滅亡する場合もある。以前の皇国議会はそれを踏み抜いた。滅亡しなかったのはトウカが居た為である。
思考は数ではなく質による。
政治に於ける思考は、議会制度という数を頼りにした制度で底上げでき事を保証しない。
暴政への抑止力や安定という別の要素まで政策を決定する機関に求めるべきではないと、トウカが考えている事は明白だった。暴政や安定は外部機関や憲法を以て応じればいいという意図。
去りとて専門分野を学び、経験し続けた専門家は必要であり、各分野から重用した組織こそが枢密院なのだろう。トウカは枢密院の意見を聞き、枢密院はトウカの意見を否定する事もある。互いの理解と信頼があってこそであり、トウカが専門職を尊重している結果とも言える。
「必要性は認める。有益な事もあるだろう。だが、有事下でその余裕はない」
暴政や安定に関する安全弁は必要ない。
有事が続く中では不要と見ているのだ。
完全に不要と考えている訳ではないと、アーダルベルトは安堵する。
そんなアーダルベルトを一瞥し、トウカは笑う。
「期待しないことだ。余にも議会にも」
トウカは右肩の旭日を握り締める。
軍旗を片外套としたそれは破邪の光を象徴した。
トウカは自己の無謬性を恃まない。
旭光が照らす対象を選ばないが如く。
ただ、破邪の光として国家の敵を打ち払うだけであった。




