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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》

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第三五九話    鍵十字の継承者 Ⅱ






「受け容れるしかないだろう……受け入れると言った。 なんだ? その目は?」


 トウカは枢密院を代表して現れたベルセリカの胡乱な瞳に苛立つ。


 最良なのだから仕方がない。


 妙手である。


 端倪すべからざる力量である。


 油断ならぬ国家指導者である。


 トウカは、小さな隣国の国家指導者を大いに称賛する。


 拒絶はできない。


 費用対効果の高い併合方法なのだから致し方ない。軍事力を使用するよりも余程に安価で、両国の意識的差異を埋める話題としては最良のものと言える。政治や経済を結合する切っ掛けにもなり、互いの国にとって極めて効果的な保障とも成り得た。


トウカは溜息を吐く。盛大に。


 応接椅子で寝転ぶザムエルの笑みが忌々しい。同類として扱われたと感じたトウカは、 実妹という副官人事は終生変えてやらぬと固く決意する。


「別に御主を責めておる訳では御座らぬ。良き指導者に良き(つがい)は必要であろう」


 ベルセリカは非難している訳ではないと応じる。


 トウカからすると非難している様にしか見えないが、それは後ろめたさゆえかと沈黙する。下手な言葉を口にすれば、それを証明する事になりかねない。


 トウカは執務机に頬杖を突いてベルセリカに言葉の先を促す。


 ベルセリカは苦笑を以て応じる。


「枢密院は御主がこの提案を無礼と言い捨てて南エスタンジアに攻め入り、序でに北エスタンジアまで占領するのではないかと考える者も居てな」


「挙句に攻め入った上で件の総統を手籠めにするんじゃないか?」


 ベルセリカの指摘に、ザムエルが勝手な推論を付け加える。


 トウカは憮然とする。


 去りとて、何処の鬼畜だとは言えない。


 とある侯爵令嬢に対する仕打ちを踏まえれば、否定は意味を為さない。鬼畜である必要性があるならば喜んで為すのが国家指導者である。


「保護の名目を投げ捨てるには弱いな。それに小国の姫君なら兎も角、国家指導者の求婚だ。性質が違う」


 名目上は選挙による選出であるが、実情としては独裁国家、南エスタンジアの国家指導者による求婚。王族の姫君による求婚と比較すると前提条件に差が有り過ぎた。例え、トウカが無礼と感じても、それに同意する者が少ないのは明白である。


「まぁ、あんな美少女の求婚を無礼と言い捨てる男が天帝だと臣民も思いたくはないわな」ザムエルが肩を竦める。


 酷く端的であるが、その点がどうしても払拭できない事も確かである。去りとて、 トウカはザムエルに今、指摘されてその点に思い至ったばかりであった。


 そもそも、トウカは南エスタンジア国家社会主義連邦という国を周辺諸国の中で最も警戒している。


「皆は揃ってあの国を小国と侮るが、俺はそうは考えない」


 南エスタンジアは理屈が通じない。


 政治体制が奇妙である事は些事であるが、国父の名前は到底捨て置けない。


 ――あの伍長が何を遺しているか分からない以上、下手に刺激はできない。


 本当に漂着したのは伍長だけなのか?


 或いは強力な兵器や技術者も同時に漂着したのではないかという疑念。


 反応兵器や化学兵器が漂着していては大事である。


 その基礎理論だけでも問題であるが、現物が稼働状態だった場合、踏み込んだ先で強力な一撃を受けるのは確実であった。既にエスタンジア成立から数百年と経過しており、稼働状態を維持する為の設備や知識と人員を維持できるとは思えないが、時間凍結という高位魔術がある都合上、有機物よりも時間凍結処理の難易度が低い無機物である兵器の保管は十分に有り得る。


 ――第三帝国(サードライヒ)に関しては、反応兵器遺失(ブロークンアロー)が多過ぎる。反応兵器が共に漂着していても不思議ではない。


 大量配備と大量紛失。


 独逸第三帝国の反応兵器配備を語る際に必ずh言及される大量紛失は、一部が犯罪組織などに渡ったとされ大問題になった経緯もある。謹厳実直な独逸人らしく厳密に管理しているかと思えばそうではなく、寧ろ占領地経営の行き詰まりによる経済悪化から反応兵器の大量配備によって通常兵力の不足を補っていた為、管理に甘いところがあった。


 それだけではなく、反応兵器を搭載した戦略爆撃機を常時滞空させておき、本土が攻撃を受けた際の反撃能力の冗長性を確保するという空中待機戦術の中で喪われた反応兵器も少なくない。小型化に制限のあった時代、大型爆弾である反応兵器を抱えた兵器が無数に飛行していたが、当然ながら事故も起きる。航空兵器とは平時でも墜落するものである。


 墜落により喪われた反応兵器は五発を数える。


 その内、三発は未だ発見されていない。


 無論、それは極端な例であるが、強力な兵器が漂着し、運用可能状態を維持していても不思議ではない。技術者が化学兵器や細菌兵器の技術情報を齎している可能性もある。


 無論、それならば北エスタンジアとの戦闘で利用していそうなものであるが、鍵十字を掲げる面々は政治や軍事よりも思想を優先する場合がある。何かしらの理由で秘匿している可能性は十分にあった。


「鍵十字を掲げる国家を侮るべきではない」


 軍事力で全てを解決しようとし、少なくとも欧州を軍事力だけで平定した点には目を見張るものがある。硬軟織り交ぜる事もなく、ただ腕力で成したというのは端倪すべからざる事実である。


 大幅に国力を消耗したとは言え、大英帝国の諜報力や外交力を踏み躙り、亜米利加合衆国の物量と合理性すらも軍事力で押し切った実績をトウカは大いに評価している。


 ――歴史上の頭の可笑しい人物の筆頭が遺した国家だぞ。何をしでかすか分からん。


 若手女優(アイドル)が総統をしているという意味不明の二乗すら持て余しているというだけでも限界だと言うのに、初代総統はちょび髭伍長である。開けると何が飛び出すか分からない箱を軍事力で突く真似をする蛮勇をトウカは持ち合わせていない。


「不明瞭な部分が多い国だ。不満を最小限に取り込める方法があるならば容認すべきだろう」


 小国を警戒するトウカの主張をベルセリカとザムエルは胡乱な瞳で見ている。その理由を知らぬ以上、当然であった。


 去りとてトウカも教える心算はない。


 情報漏洩という問題よりも、知るという事は問題が生じた際に責任を負う、或いは感じるという事である。トウカは元居た世界の独裁者の都合を自身以外に預ける心算はなかった。


 ――残念だったな、鍵十字の独裁者。


 戦争すらなく異世界の第四帝国は滅ぶ。


 何かしらの準備をしていたとしても、それが利用される余地は大幅に減じた。政治思想も超兵器も日の目を見る事はない。狂信的な政治思想から始まった狂騒は異世界で平和的にとどめを刺される事になる。


 ――まぁ、政治的抑圧が経済活動を委縮させる点を学ぶ上では大いに参考になったが。


 欧州全土に翻る鍵十字の旗が倒れぬ様に支えたのが亜細亜の旭日旗である。


 しかし、それは善意によるものではなく、欧州で生じる圧政と経済疲弊の長期化を意図したものであった。経済力の低下は工業力の低下であり、輸出に於ける優位を求めて東洋の侍達は欧州が鍵十字の旗の下で長く抑圧される事を望んだ。


 大東亜共栄圏の御題目を投げ捨てて大日本皇国連邦を形成するに当たって、欧州での出来事は大いに参考にされたと言える。


 尤も、中世より日本が亜細亜各地に進出していた都合上、日本人の血と文化が広く流布していた為、軋轢は相対的に少なかったと言える。中世は亜細亜の統治という道は技術と人口の面から難しく、現地との混交が現在に至るまで続いたことで近代では差別化を図る事が現実的でなくなったのだ。


 トウカは鍵十字の役目は終わったと告げる。


「我々は帝国侵攻に用いる事が可能な要衝を手にする。無論、北エスタンジアは占領してエスタンジア地方として統合する必要はあるが」


 分かたれた国を纏めて自国領として組み込むのだ。


 その先には帝国南東部が横たわる。


 皇国は帝国への侵攻路を二つ手に入れる事になる。


 その為の要衝であるエスタンジア地方を不安定化させることなく併合できるのであれば、単なる小国の併合という意味には留まらない。国力という身代の差を以て懸念する者達には、その意味を言い含めれば容易に賛同に転じる筈である。


「戦車は通れねぇな。再び狼共の天下かよ」


 ザムエルの嘆きに、トウカはそれはどうだろうかと思案する。



 帝国南東部。



 今まで皇国からは見向きもされなかった地域である。


 軍事的知見の伴った正確な地図すらあるのか危うい。或いは帝国側にもない恐れがある。それ程に辺鄙な土地であり、交通網は脆弱どころか存在しているかも怪しい箇所もある。


 作戦計画を立てられるかも怪しい。


 寧ろ、帝国が一度、エスタンジア地方に大軍を戦力投射した過去があるが、それもかなり強引な動きであったらしく、実情は帝国南東部の各貴族が有する領邦軍から抽出した軍勢が半数を占めていた。経路も分散し、行軍中から脱落者が相次いでいたと聞く。何より少なくない規模の海上輸送が行われていた。


「帝国にしては比較的温暖な気候とは聞くが……」


「巨大な針葉樹林が乱立しておる上、冬は海風もある。開墾しても肥沃な土地になるには相当な歳月が必要であろうな。比較的小さいとはいえ岩石主体の山岳も分散しておる……なんじゃ?」


 ベルセリカの解説に、トウカは素直に驚いていた。


 武辺者であるベルセリカが帝国南部の地形に詳しい事にザムエルも驚いているのか、 トウカを凝視している。


「……御主ら……言わぬでも分かるぞ?」


「それは失礼……だが、貴女が辺鄙な場所に詳しいと聞いて驚く者は多いはず。ましてや帝国領となれば」


 帝国の辺境に理解のある人物が皇国には少ない。


 国交もなく人口も希薄な土地であり人流がない以上、経済活動も乏しい。つまりは情報も流れず、把握し難い。地形も人口も発展に適さない状態ならば、放置されるのは致し方のない事であった。


 そうした辺境に理解があるというのは不可思議な事であった。


「昔、諸国漫遊をした際に赴いた事があるだけじゃよ」


 トウカもザムエルも、その一言に理解を示すが、どれ程に昔か尋ねる度胸はなかった。 女性に年齢を聞く類の話になりかねないとの懸念からである。広範囲の女性の地雷として扱われる話題を敢えて踏み抜きに行くほど二人は酔狂ではない。


「あの辺りは嘗て獣系種族が多く住んでおったからな……国境ができた所為でどうなったのかは知らぬが……」


 帝国成立以前は国家が存在せず、無数の村落が乱立した地域でしかなかったが、帝国が成立して徐々に領土を拡大する中で取り込まれた事は珍しくもない事実であった。


 大した抵抗の記録はなく、そして帝国も領有したが放置している事は明白であった。


 ――発展させても神州国の脅威に晒されれば同じと見たか。


 それならば帝国南部の発展に資源を割いた方が良く、帝国南東部自体を防御縦深と見做して放置する事も悪手ではなかった。


「それもエスタンジア地方を領有すれば調査できるだろう。国交がないのだ。政治的空白地帯と見做して調査の人員を機密理に送る事は可能なはずだ」


 他国領土ではないのだから調査は問題ではなく、侵攻にも当たらないという法解釈。


 国交がなく、互いに国家として承認していないのだから通せなくもない論理であり、寧ろ帝国への本格的な侵攻の際は侵略という性格を薄める為、反動的な辺境地域の平定という名分を利用する事も検討されているので今更であった。


「首都を焼いて、朝敵と見做し、次は政府が存在しない……まぁ高圧的な事だぜ」


「大規模な出兵にしないだけ評価して貰いたいものだな」


 ザムエルの軽口に、トウカは屍の山を築かずに済ませるだけ寛大だろうと応じる。


 実際のところ、エスタンジア地方を経由して帝国南東部への大規模な出兵というのは意味がなかった。


 峻険な地形と貧弱な交通網が行軍を阻み、大軍の運用を困難なものと成さしめる。 後方段列への夜襲伏撃も容易な地形は輜重線への負担を増加させた。帝国南部の様に広大な草原が広がる地形も兵力差を地形で補えないが、峻険である事もまた困難を齎す。


「何をするにしても、まず現地の情報を得ねばならない。部隊が迷子になるというのは御免蒙る」


 戦場では度々、あることである。


 道路標識を適当に歪めただけで大隊規模の戦力が異なる戦線に移動するという事故も帝国との戦争では頻繁に起きていた。迷子になった両軍部隊が森林地帯で遭遇戦という例もある。全ては、北部貴族が外に軍事地図を出す事を問題視し、昔から微妙に異なる内容の地図を対外的には流布させていた事も大きい。戦後、陸軍は激怒したが、それ以前にトウカも内戦中に激怒していた。正確な地図がなければ、軍事行動は多大な困難を伴う。


 去りとて機密保持を大義名分に領内の正確な測量を避けていた北部貴族まで存在する為、現在も国土開発府主導の測量が続いている上 、その測量人員が帝国軍残党である匪賊の襲撃を受けたりと騒ぎは未だ続いている。


 ザムエルもそうした経緯を知る為か地図の為なら仕方ないと応接椅子上で横になる。対帝国戦役の最中、地図の不正確から沼に嵌った装甲部隊も存在するので他人事ではない。


「兎にも角にもエスタンジアの総統様の話だ。そこが纏まらなきゃ何ともならねぇ」


「……俺と直接、顔を合わせて嫌がる可能性も有るからな」


 親が持ち込んだお見合いで、武家の娘が相手と取っ組み合いという噂を耳にしたことがあるトウカとしては、当人同士が顔を合わせて駄目でしたというのも在り得る事だと見ていた。面子という言葉が服を着ている様な武家同士でも起きるのだから、そうした事態が何処で起きてもおかしくないという理屈。


「国益に繋がるので御座ろう? 流石にそれは……」


「そりゃ、御前が初対面で下品な言葉で辱めるなりすれば在り得るだろうが……するなよ?」


 トウカは二人の辛辣な言葉を受け、朗らかに笑う。


 横柄と居丈高が国益に繋がるならば喜んで為すが、そうでないならば無意味な行動でしかない。トウカからすると利益も出ないにも関わらず、要らぬ揉め事を抱え込むのは非生産的な行為でしかなかった。


「相手の出方次第だが、立ち回りを見れば立場を弁えていないとも思えない。調べた限りでは、印象構築は俺より上手くやっている」


 九割を超える国民からの支持率は支持率調査の公平性を疑う規模だが、以前に外務府が調査した書類上では大凡に於いて間違いではないという結果が報告されている。


 その外務府の報告に信頼性に疑義があるという点は、統合情報部によって否定されていた。単純な話であり、武力を伴った社会主義政策を断行する南エスタンジアに対して、嘗ての外務府が否定的だった為である。先代天帝の融和政策とは相容れないと見られているのは、事実上の軍事政権に等しい事を見れば不思議ではない。そうした立場の外務府ですら九割と言う以上、それ以上という可能性すらある。


「想像がつかない者も多いが、上手くやった軍事政権の産物という事なのだろうな」


 開発独裁を含めてトウカと類似している点も多い。


 しかし、ヴィルヘルミナは詰め切れていない部分も少なくない。


 トウカが軍事力を背景に他の政治勢力の異論を封殺している事に対し、ヴィルヘルミナは高い支持率を背景に異論をないものとして扱っている点が最大の違いであるが、その差は大きかった。


 圧倒的軍事力と圧倒的国民支持率。


 後者が優れている様に見えるが、やはり国民の支持とは移ろいやすいものであり、不特定多数の優先する問題というのは千差万別である。自然と政策は支持率を気にして制限が付かざるを得ない。ヴィルヘルミナの場合は、それを含めて上手く扱っていたが、それでも限界はある。


 対する圧倒的軍事力による政治勢力の封殺は、危険視される上に委縮を招くが、軍の支持さえ得ていれば大胆な政策も実施できる利点がある。無論、委縮による経済悪化などによる民衆の不満の上昇を避け得る政策と力量あって初めて可能となるもので、その点を読み違えると政権崩壊は免れない。


 結局のところ、民衆の経済状況に左右される。


 長短あるが、短期間で大きく事を為すには軍事力を背景とした統治が絶大な威力を発揮した。


 特に皇国では他国の大規模侵攻を受け、軍の権利拡大を為せる余地が増加していた事も大きく、民衆の危機感がトウカの支持を後押しした。経済も政治も殺戮を叫ぶ狂信者を退けられねば意味はない。


 状況と支持者により二人は手段を変えた。


 しかし、経済成長とそれを護る為、或いは推進する為の軍事力の拡大という方向性は変わらない。ただ、トウカは良く時節を捉え、多くの知識を持ち、多くの幸運に恵まれた。


 トウカとヴィルヘルミナの差はそこにある。


 ――ちょび髭伍長の薫陶か優れた宣伝屋が居るのかはまでは調べていないが、少なくとも経歴や政治的な行動を見るに、高い国民からの支持率を背景に政策を押し通す事を基本としている人物だ。


 高い支持率を維持できるだけでも相当に優秀な人物である事が窺える。例え、自由主義でなくとも、高い実際の支持率を維持するというのは困難である。恫喝や強制は近い将来に閉塞と破綻を招く為、支持率の為に利用する意義は乏しい。


 高い支持率を維持して北エスタンジアとの戦争を優位に進めているヴィルヘルミナは端倪すべからざる存物と言える。


「特に我が国が派兵した際、北エスタンジア軍や帝国軍に痛打を与えたが、付け入る動きを見せなかった点も強かだ」


 優秀な戦術家ならば、今一度踏み込んで戦火を拡大しようとするだろう。


「おいおい、敗走する敵に追い縋るのは戦場の華だぜ?」


 ザムエルの言葉は優秀な軍指揮官の視点からのものである。政治を見ていなかった。


 トウカとしては、ザムエルが自身が政治に興味を示しても碌な事にならないと、努めて軍指揮官として振舞っている事を理解しているので、そうした言動に不満はない。何よりザムエルの追撃は苛烈であり、それは諸外国にとり亡国沙汰の恐怖である。


 指導者が安心して振るえる鉾としてザムエルは極めて優秀であった。


「あれは我が軍が主攻となったが、それは戦力だけでなく補給の問題もあった。攻め切れないと見て攻撃を控えたのだ。占領できない程度の攻撃では後に響くと見たのだろう。それでは、国民は被害だけを見て失敗と言い出しかねない」


「エスタンジア地方統一後の展望で御座ろうか?」


 ベルセリカの問い掛けに、トウカは鷹揚に頷く。


 統一は一気呵成に行わねばならない。長く唾競り合いを続ける状況で被害が積み上がれば、遺恨も積み上がる。今更と考える事もできるが、統一後の政情不安を招く余地を低減しようと考えるのは賢明であった。

 何より南エスタンジアにとって時間は味方であった。


 帝国は不安定となり、北エスタンジアは閉鎖的な政治体制が災いして経済停滞を招いている。対する自国は皇国との経済関係の拡大で安定的な経済発展が望めるので時間経過と共に脅威は減少し、国力差は増大する。


 確執を最小限にしつつ統一する事を目標としているのは明白だった。


 主権者が併合や統一に於いて確執や格差を軽視する事は歴史的に見ても珍しくない。


 その結果として大きな政治的混乱に見舞われる事も少なくなかった。


 ヴィルヘルミナは統一後の安定した統治を現実的に想定している。


 それだけでも非凡な才覚と言える。


 武力で一度打ち負かせば従うと考える者が殆どの中で、それを否定し、国家方針として採用できるだけの才覚。高い支持率がそれを許容し、南エスタンジアは自国が国力を大きく損なう動きを抑制しながら機会を窺っている。民衆を抑えながらそれを実現するのは並大抵のことではない。民主共和制であれば主権は国民にあるので積極的に千戈を交える動きを要求される事は疑いないが、独裁制でも民意や軍の意向からは逃れられない。


トウカとて戦略爆撃による都市の破壊を以て成果を強調して過激な者達を宥めていた。対するヴィルヘルミナに一方的に屍の山を積み上げる手段はない。


 ――いや、歌って踊って宥める訳か……


 ちょっと意味が分からない。古代の指導者が民衆に洋餅(パン)見世物(サーカス)を与えておけば何とかなると口にしていたものの、指導者自身が全力で見世物になるというのは前例がない。


「長期的視野でエスタンジア地方の発展を見ている事は間違いない。待てる女で果断を為せる女でもある」


 内戦や帝国による皇国侵攻の際は表面的な動きを見せず、帝国の目を引かない様に心掛けていたからこそトウカもエスタンジアに注目する事はなかった。


 マリアベルとの遣り取りにも気付かず、戦前の鉄道による物流拡大に関してはシュットガルト運河の閉塞を懸念した物流経路の分散化を意図してのものだと考えていた。  


 マリアベルは効率化だけでなく、組織や経済の堪抗性向上を軽視しない人物であった為、トウカは戦争の長期化に備えてだろうと見ていた。


 ヴィルヘルミナは国際情勢を見て立ち回る事に長けている女性と言える。


 ――ティーゲル公は安易な復讐を望まない高潔な女性と言っていたが……


 南エスタンジア派兵の際の指揮官であったレオンハルトの言葉であるが、現状を鑑みれば、その時点で北エスタンジアを滅亡させて帝国と国境を面する事は危険だと見た事は疑いない。


 エルライン要塞の突破よりも、エスタンジア地方へ大軍を派遣できる交通網の整備がより堅実であると帝国が判断する可能性を捨てきれなかった。主要な侵攻経路がエスタンジア地方となる可能性を排したいとの意図が在っても不思議ではない。


「それ、近くに置いて大丈夫な女か?」


「派閥争いをするにはエスタンジアの身代は少ない。皇国への影響力が限定的である事を踏まえれば、派閥争いを早々に展開できるとも思えないが……」


 ザムエルの懸念をトウカは、当面は問題ないと見る。


 支持母体としてエスタンジア地方は脆弱に過ぎる。発展の余地が十分に有る要衝だが、近傍に発展著しいヴェルテンベルク領がある為、人口もそちらにながれる恐れがあった。


 しかし、ザムエルの懸念はトウカが予想したものと違った。


「いや、我らがマリア様のお友達だぜ? 妹への対応も気になるけどよ……まぁ、破天荒で振り回されるんじゃないのか?」


 トウカにはなかった視点である。


 ベルセリカも困り顔であった。


「国を背負って嫁入りする女が軽薄な振る舞いをするとも思えないが……」


 その点に集約されるが、マリアベルの名前が出ると一笑に付すこともできない。マリアベルの友人が揃って個性豊かな人物である事も大きく、ヴィルヘルミナがそうではないとは限らない。


 ――確かに歌って踊って支持率を稼ぐ国家指導者が真っ当な精神性とは思えない。


 政戦という面からヴィルヘルミナを評価したトウカに対し、ザムエルはマリアベルを知った上で一般的な情報を元にヴィルヘルミナを見た所感を口にしていた。


「まぁ、マリア様は御前の前では、それなりに猫を被っていたからな」


「……猫ではなく虎を被っていた様にも思えるがな」


 トウカはあの破天荒で抑えていたと聞かされて閉口するしかない。無理をしている様で健気だと見ていたが、それすらも抑えていると聞かされては、自身の女を見る目に自信を無くさざるを得ない。


「まぁ、なんだ……気にするなよ」


「気にしてはいないが、何かを強いていたならは、それは恥ずべき事なのだろうな」


 寝台の上まで余計なものを持ち込んでいないと信じるしかない立場であり、トウカとしては最期まで騙し遂せたならば、それは真実と変わらないと考えていた。同時に、何かを強いていたならば、それが余計な負担になったのではないかという後悔もある。


「いや、その辺りを総統に詰られる可能性はあるな。クルワッハ公が罵倒されたとも聞く」


「それは流石になかろう。弁えて御座ろう?」


「いやー、マリア様の友人だからなぁ」


 三者三様の推測。


 なまじ女優(アイドル)という偶像の印象が強すぎる為、本質的な部分が隠れている。政戦を見れば聡明だと理解できるが、マリアベルもまた政戦に関しては上手く采配していた。無論、家臣の挺身と苦労に負うところが大きいが。


 しかし、トウカはマリアベルが愛した男なのだ。


 罵倒されても泣き寝入りする様な男ではない。


「なに、その時は、友を助けに馳せ参じる軍事力も用意できない小娘が、友を組み敷いた男に嫁入りするのか。大した恥知らずではないか……とでも返すさ」


 嘘ではない。


 マリアベルを助けられなかったのは御前も同様だと叩き付け、国の為と言い訳して亡き友の男に股を開くという見方もできなくはない。


「御主、新婚生活を知っておるか?」


「現在、進展中だが?」


 何を言っているんだ?と言わんばかりに、トウカはベルセリカの意見に応じる。


 アリアベルを皇妃に迎えた以上、トウカは法的には既婚者であった。新婚生活の期限は明白ではないが未だ半年も経過していないので、トウカは期間的に見て未だ新婚生活の最中に在ると考えていた。


「そういうとこだぞ? 剣聖殿の言葉は新婚らしい事をしているかって言う皮肉だよ」


「新婚らしい?」


「?」


「?」


三人は、そう言えば、一様に首を傾げる。


揃って結婚というものと縁遠い人物である。トウカも実際は法的にはアリアベルと夫婦関係にあるものの、婚儀などの権威的、或いは宗教的な催事は行っていないので微妙な所であった。


 其々が違う方向を見ている上に、揃って一般的な感性から逸脱した結婚生活想像している事は明白であったが、それを理解しても尚、自身の振る舞いが最善だと確信する自負心を有していた。


「……なぁ、この話は不毛じゃないか? 止めようぜ。後年、心の傷になる気がする」


「即決即断にして神速の用兵を謳う名将の合理的な判断だな。同意する」


「武辺者が市井の幸福を語るなど無意味な事であったやも知れんな……」


 一般的な感性から大きく乖離しているという自覚はあった三人は、早々に無駄な会話をしたと話をなかった事にする。戦場で相応の活躍をした実績のある三人は、引き際も鮮やかである。


 しかし、そこでザムエルが、ふと、重要な事を思い出す。


「で、誰がそれを憲兵総監に伝えるんだ? おお、他意はないぜ? いや、本当だぜ? 激怒するなり叛乱するなりならいいが、表面的には納得した姿でも、あれは陰で泣くぜ? それが一番堪えるだろ? 互いに」


 トウカはザムエルの指摘に虚を突かれる。


 そうした視点はトウカにはなかった。


 クレアに理解して貰えるという傲慢があった訳ではなく、そもそもクレアの納得を得るという視点を見落としていた。複数の女性関係を大過なく扱う程にトウカも知見がある訳ではなかった。ミユキとマリアベルに関しては、マリアベルの多大な”配慮” があった為、トウカは気負う事も負い目に感じる事もなかったが、クレアはそうした配慮を隙なく行える程の経験がある訳でもなかった。挺身や健気は在れども、隙のない配慮とはならない。


「御前に侍る女共は御前を愛する使命があるが、御前が侍る女共を愛する使命なんてない……とは言え、あれとはそんな関係で済ませる気はないんだろ?」


「……そうだな。国益とは言え、懐に入れる以上は説明すべきだろう」


 不誠実などという一般的な感性を重視するトウカではないが、クレアの清楚可憐な顔が曇る事を望まなかった。


「皇妃には良いのかの?」


「あれは国益の為に皇妃となった。当人はそれを望み、国益の為に内戦の引き金を引いた。国益の為に二人の目の皇妃を迎え入れる事を拒みはしないだろう。寧ろ、国益の為に、そこまでの覚悟がある女同士で気の合う部分もあるのではないか?」


 内戦を躊躇しない女に、他国指導者への輿入れを躊躇しない女。


果断に富むのは間違いなく、その覚悟を踏まえれば近しい点は多い。無論、ヴィルヘルミナから見た場合、アリアベルが友人の妹である事もある。


「同族嫌悪という言葉もあるんだぜ? というか、物は言いようだな。まぁ、そう言えば、嫌な顔もできないか。いや、我らが天帝陛下が女を上手く乗りこなせるようで重畳だぜ」


 ザムエルは応接机の酒瓶に手を伸ばしなばらも、トウカの手腕を称賛する。此方側へようこそ言わんばかりであった。


「私人としては感心せぬが、国家指導者とあらば必要で御座ろうな……ただ、嬲る様な真似は止めよ。背の傷は愧じぞ」ベルセリカは理解を示すが、限度があると忠告する。


「そうだぜ。俺みたいに軽薄なら、そういうものだと付き合ってくれるが、御前みたいな、少なくとも印象だけ実直に見える男は一番危うい。しかも、周りの女は揃って思い込みが激しい……おいおい、おまえさん死んだわ」


 手酌でウィシュケを噛み始めたザムエルは、トウカの死を予言する。


 預言者、現る。


「どうも二人揃って俺が無体を働く事を前提にしたいようだな……まぁ、実績がない訳でもないが」


 アリアベルに辛く当たったのは、それが必要だったからであり、アーダルベルトもそれを認めている。生命が助かって尚、不満を口にする なら殺しても構わないとすらアーダルベルトは言い切っていた。アリアベルを生かすという危険性(リスク)を負ったトウカに対し、アーダルベルトもそれを共に背負うと応じたと言える。


 無論、二人もそれを知っている。


 知った上で口にするのだから酷い面々である。


「まぁ、あの娘……何かと顔に出やすいからの」


「不幸でなければ騒がれる身になったのも自業自得だしな」


 内戦の直截の引き金になったという事実からは、どうあっても逃れられない。


 トウカは何度目かになるか分からない溜息を吐く。


「正直なところ、マリィがアリアベルとの協力を最後に願ったのも今となっては罠と思える」


 トウカと連携するのだ。


 アリアベルの支持母体は右顧左眄する事は免れない。宗教団体御自慢の結束力がなければ空中分解していても不思議ではなかった。アリアベルはトウカと連携する事で政戦に於いて成せる事が増えたと考えたかも知れないが、実際は逆である。


「莫迦な事を……皇妃となったでは御座らぬか?」


「その辺りまで読んでいたとは思えないが……内戦の引き金を引いた上、一時的に俺と連携したアリアベルをクルワッハ公がどう遇するか」


「……おいおい、それは――ないとは言えねぇな。父親に妹を殺させようって肚かよ?」


 アリアベルの公爵令嬢としての政治的失点を追加する意図があったのではないか。或いは、政治面である程度はトウカの弾除けにもなると見たのかも知れない。無論、龍系種族の汚点として父親に娘を殺させようと試みた可能性もある。自らの手で汚名を灌ぐという大義名分と、失点の除去。殺害するには十分な根拠であった。


「困った事だが、今際の際で遺恨と憎悪を忘れる様な安い女を俺は愛した心算がない」トウカは困ったと頭を掻く。


 心底と困ったというトウカの様子に、ザムエルもベルセリカも苦笑するしかない。近しい者にだけ見せる表情であるという以上に、その屈折した愛情の交錯は当時、目にしていた者にしか分からぬ部分があるからである。


「実の娘を処分すれば派閥の綱紀粛正としては十分だろうし面目も立つって訳か……貴族政治だねぇ」


「某も勘当されておったからな。あの界隈の酷烈なること、分からぬでもない」


 ベルセリカも元を辿れば七武家の一つであるシュトラハヴィッツ伯爵家の令嬢である。 貴族政治の苛烈と無慈悲をトウカ以上に理解している筈であった。


「諸々を踏まえた上で助けた心算だが……或いはアーダルベルトへの負債として利用できるとマリィは見ていたのかも知れない」


 妹であるアリアベルを、父に対してトウカが優位に立てるように利用したという可能性。政略に於けるマリアベルの苛烈を知るザムエルやベルセリカもそれを否定しなかった。


「つまり、今後も天帝陛下は皇妃に辛く当たらねぇといけない訳か」


 本当に辛く当たらねば何処かで漏れかねない。


当人は自身の嘗ての軽挙妄動を理解した上で耐えている様子だが、それは現状を把握した上でのものであるとは見えなかった。


 皇妃という立場で辣腕を振えば、或いは愛される姿を以て良き妻という姿勢を見せれば、内戦の引き金を引いた女が罪を踏み倒したという批難が上がりかねない。現状でも、皇妃として冷遇されているからこそある程度の溜飲は下がっているが、それでも非難は未だに多大なるものがあった。


 ――まぁ、俺を非難できないからアリアベルを非難している手合いも居るようだが。


 内戦を勃発させながらも今はトウカに与している以上、トウカ以上に恨みを買っている部分がアリアベルにはある。マリアベルがトウカに非難が向かぬ様にアリアベルを人身御供としての立場に追い遣ろうと画策したとしても不思議ではない。


「冷遇される皇妃アリアベルは国内政治の結果でしかない。時間が起ては、状況は変わるだろうが、最低でも一〇年は現状の儘だろうな。それはクルワッハ公も同意している」


 文句を言うなら殺して構わないとすら言うのだから、アーダルベルトとしても助命にまで注文を付ける真似をアリアベルがするならば、神龍の血脈を担うに不適格の烙印を押す覚悟がある事は疑いなかった。


 トウカがアリアベルに甘い顔が出来ぬ様に、アーダルベルトも同様なのだ。家族故に庇っているなどという風評は貴族政治に在って瑕であり汚点である。


「内戦で戦死した者は少なく無い。冷遇される程度で濁せるものがあるならば容易かろう。それに、頸を落さず皇妃とする判断は寛容を示す振る舞いとしては中々に良かろうな」


 ベルセリカは、国内の政治勢力を糾合するに当たって象徴的な行為だと皇妃アリアベルの存在を見ていた。


 露骨に政治の為に結婚させられ、冷遇されるという罰。


 同時に龍系種族には皇妃を出したという政治的意義を与えつつ、アーダルベルトに恩を売る事もできた。首輪を付けるとまではいかないが、遺族感情に目を瞑れば皇妃アリアベルは妙案であった。


「姉妹を足して割れば丁度良い女になるんじゃないか?」


「……詰まらん女の間違いじゃないのか?」


 マリアベルが当たり障りのない有能な女伯爵であったならば、トウカはマリアベルを愛さなかっただろう。何より、そうであったならば、トウカが居らずとも内戦で北部貴族は良く纏まって抵抗した挙句に玉砕した事は疑いない。


 北部貴族との連携ではなく、己の才覚のみで切り抜けようとしたマリアベルだからこそ、トウカは愛した。否、支えるしかないと見たからこその苛烈な戦争指導である。


「でもよ、政治には使えないぜ? どうせ、あれを皇妃にしておけば、暫くは女を勧められる事もないって考えていたんだろうが、やっぱ代わりが居ると見て、寧ろ進める連中は増えてるんじゃねぇか?」


 ザムエルの指摘。


 一面に於いては正しい。


 皇妃が皇妃として動けないのだ。結婚式すら戦後復興と軍備拡大で行わない事となったが、そうした行事を政治的に利用できなかった事を問題視する者は少なく無い。皇族の慶事を国家行事として利用する事で権威向上を図るのは、権威主義的な要素を持つ国家に於ける常套手段である。


「そうでもない。アリアベルを手酷く扱う真似が上手いのか、そんな男に娘を遣りたくはないという親が多い様だな。軍の目が怖いというのもあるだろうが……勿論、龍系種族との対立まで覚悟して第二の皇妃や側姫を望む利点がないと見ている者も多いだろう」


 女性を侍らせたところで隙ができると大部分の者に思われていないというのは、国家指導者にとって良い印象と言える。しかし、同時に非常時の継承者問題や天帝の支持基盤の偏りを問題視する者も多かった。


「そんで、その隙を突いてきたのが総統閣下ってことか」


 ザムエルは、大した女だよな、とウィシュケを口に含む。


 トウカも同様の意見であった。


 国内諸勢力がトウカに第二の皇妃や側姫、寵姫を用意しない今ならば、角が立つ事もない。即位直後であれば波風が立つ事もあっただろうが、現在に至るまでそうした動きが低調であったという事実を以て抗弁する事は容易であった。


 ――帝国の戦力投射能力が著しく低下している上に、周辺諸国の保護国化を進めている状況だ……絶好の機会ではある。


 帝国の軍事的脅威は遠ざかり、皇国の保護国化に対し、先んじて勢力圏に加わる事で経済的利益を最大化しつつ、北エスタンジアとの領土問題を解決する。


 最適解と言える。


 無論、保護国としての統治が混乱なく行われる様に相当の配慮が必要であろうが、それを含めての総統の輿入れである。次期総統、或いは総統代理を擁立し、エスタンジア全体を侯爵領か辺境伯領として再編。名目上の領主はヴィルヘルミナとして歓心を買う事も有り得た。考えれば考える程に、良く考えられていると、トウカは感心するしかない。


 遅れる軍備拡大から目を逸らす為の政治的課題としては十分な話題性を持ち、保護国化という名目で領土が増える以上、他国との武力衝突よりも遥かに効率的な領土拡大である。


「まぁ、御前なら付け上がらせないだろうし、問題は起きないだろうが、あんまりエスタンジアを優遇すると国内から不満が出そうだぜ」


「当分は名目上の天領扱いとするし、帝国との戦線が押し上げられる。ある程度の優遇は何とでも説明できる」


 ザムエルの視点に、トウカは尤もな事だと頷くしかない。


 その立場から平民視点を忘れないザムエルは、トウカにとって政策面の判断材料でもあった。平民に近過ぎる事を問題とする者も居るが、それ故にザムエルは人気があり、平民の心情を忘れない。立場を得ても尚、自軍の大部分が平民で構成されている事をザムエルは忘れていないのだ。


 平民の理解は、将兵の士気に他ならない。


「枢密院議長としては、これ以上の戦費増加は避けたい。戦争しながら円滑な軍拡ができる程、近頃の武器は安くない」


 ベルセリカはうんざりとして吐き捨てる。


 セルアノの嫌味と皮肉を思っての事であるのは間違いないが、兵器価格の高騰はトウカにとっても耳の痛い話であった。航空騎や装虎兵、軍狼兵などの生体兵器を利用した兵科の段階的削減を意図するトウカからすると既定路線の変更はないが、それらを代替する兵器を用意する必要はあった。維持管理費では生体兵器よりも遥かに優れるが、初期導入費用の面では遥かに高価であった。ましてや軍拡で数を必要とする局面ともなれば、その負担は余計に増す。


「株式を切り崩して捻出するが……連合王国の問題もある」


 トウカとしては頭の痛い問題である。


 経済発展を損なわない規模で軍拡も進めるという都合のいい動きが容易な筈もない。 そもそも、軍は莫大な予算を必要とするが、基本的に生産活動には寄与しない。国内外に莫大な浪費を強要する装置でしかないのだ。


 ――寧ろ、交通網の整備に工兵師団を投入している我が国がおかしいのだ。


 特異な例も存在するが、その規模は国家や軍の規模と比較すれば微々たるものでしかない。


「近隣諸国との共同歩調を取っての出来事(イベント)。外務府も泣いて喜ぶだろう。 文句を垂れるのは、大蔵府と国土開発府だろうな。臣民は義侠心に駆られて支持するはずだ」


「色恋は話題性もあるから、連合王国の話題も薄れるってか?」


 ザムエルは、汚いなぁー、と笑う。


 何も話題を恋愛沙汰にした総統の印象操作を許容し続ける妥当性などありはしないというのが、トウカの見解である。利用するならば利用される覚悟もあるだろうと容赦しない。


「でも、まぁ、概ね賛成だぜ? 臣民が喜び、未来が明るいと思える話題を提供し続けるべきだ。侵略を受け、殺意を叫ぶだけでは街角の雰囲気も重くなるしな。やっぱ、世の中が明るくないと銭を使う気にならんし、酒も不味い」


 ザムエルの鷹揚な賛同に、トウカは鼻を鳴らす。


 真理ではある。


 経済というものは数値化できる部分だけではなく、世相に圧されて生じる消費も大きな要素であった。帝国の打倒が早々に実現できない状況である以上、経済発揚の為の話題を捻出する事は重視されて然るべきである。


「総統の案件は兎も角……連合王国の一件は部族連邦と合意が取れている。主攻は神州国に押し付ける。占領地の大部分もだ。共和国から色々と支援要請が来ているが、神州国の軍事力で共和国の側面支援ができるならば重畳だ。臣民は喜ぶだろう」


 戦勝を以て国家の未来が前途洋々であると示すというのは、早々にできる事ではない。連合王国の諸外国による切り取りは戦勝と言うには消化試合が過ぎたが。


 ただ、経済圏の拡大による投資の過熱などは期待できる為、経済的に見ても無意味ではない。神州国も植民地として整備する為の部資材を買い付ける先として近傍で余裕のある皇国や協商国を利用するはずであった。


「山岳歩兵師団と軽師団を主体とした軍を派遣する。派遣軍の指揮官は御前だ。共和国側からは助攻としてフルンツベルク中将が侵攻する。共に通打を果たして沿岸部で握手する……その辺りの演出が最善だろう」


 トウカとしては連合王国分割は政治的演出でしかない。


 皇国軍が大きな軍事衝突に巻き込まれるとは考えておらず、そもそもそうした負担は生じたとしても神州国軍に押し付ける心算であった。


「抵抗は想定しておらぬのか?」


「封権貴族が幅を利かせる国家だ。連携しての抵抗はないと見ている。何より、国軍の主力は共和国に踏み込んで拘束されている。主要貴族の領邦軍も帰還は難しいだろう」


 事実上の火事場泥棒である。


 勝算のない戦いに国内を空にする規模で兵力を投じた連合王国に大きな抵抗ができる筈もない。


「郷土愛を甘く見ているんじゃねぇか? 市街戦なんでやられちゃ目も当てられねぇぜ?」


 ザムエルの指摘は尤もである。


 装甲部隊指揮官であるザムエルだが、郷土であるフェルゼンの惨禍を知るが故に市街戦に対する懸念は強かった。


 確かに、領主が盆暗で、軍が出払っていても、郷土愛に燃える民衆はどこにでも居るものである。


「航空艦隊を進出させる予定だ。防空を知らぬ都市など容易く灰燼と帰すだろう。無理に軍を投じて市街戦に臨む必要はない」


 トウカとしては都市爆撃という見せしめによる抵抗の抑制も必要であれば行う心算であった。


「逆に反感を買って要らぬ抵抗を招くのでは御座らんか?」


「制圧や鎮圧は神州国軍に押し付ければいい。大部分の領土は神州国が植民地化するのだ。ならば、彼らが労力を払うべきだろう。なに、航空支援くらいはしてやればいい」


 連合王国に神州国を誘引する事で疲弊を誘うという方針を、皇国や部族連邦は共有している。共和国とは未だ協議が続いているが、連合王国に攻撃を受ける共和国はそれらを排撃する事を最優先するだろうと見られていた。


「酷い話よのぅ」


「植民地化の野心を隠さない神州国や、共和国を侵略する連合王国こそが酷いのだ。 我々は友好国を守る為に派兵するのであって侵略の為ではない」


という建前である。


実際、皇国も連合王国の領土をある程度、掠め取るものの、それは部族連邦と神州国の植民地が国境を面する事を懸念した事に対応したものである。


国境線が不自然に伸びる形となり防衛上の問題が生じるが、そもそもそうした地域はいざとなれば放棄する予定であり、外交上の譲歩として獲得するものでしかなかった。部族連邦は皇国を神州国との問題に巻き込むことで自国の安全を模索しようとしている。


 皇国は表面上、利益を得られない。


「やれやれ、建前は兎も角として、恨みを買う仕事だぜ」


「……胡散臭い捕虜を殺した男を俺は信頼している。報告は欲しかったが、それを健気と受け取る程度には俺もヒトというものを学んだ心算だ」


ザムエルの獣系種族の捕虜殺害は、トウカの方針にそぐわない出来事の抹消という理由もあるが、帝国を相容れない敵とする皇国の姿勢に異論が生じかねない案件の封殺が主目的であった。


 トウカが捕虜殺害に関わる事で皇権の毀損や批難が向く事を危ういと見た事も明白であった。


 ザムエルはトウカを護ろうとしたのだ。


 少なくとも、トウカもそれだけは理解できた。


「今更、積み上げる屍の山が増えたところで気にしねぇが、迂遠に目障りだからこそした案件を健気だと言われるのもなぁ。可愛い男の子だと褒められたのは少年時代ぶりだぜ」


 ザムエルの辟易とした表情。


 健気を称賛して照れられたトウカは、肩を竦めるしかない。


「君、可愛いね?」


「うるせぇよ」






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