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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》
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第三五八話    鍵十字の継承者





「私は貝になりたい•••••• のだ」


普段の漆黒の軍装とは対照的な純白の花嫁装束に身を包んだ年若い総統は衣類で身動きが取れない状況で溜息を吐く。身動きを許さない衣類は人類には早過ぎた。


可愛ければ許されると宣伝大臣は言うが、少なくとも彼女は機能性の欠如を許していなかった。


「公開処刑……じゃなくて撮影も終わったのに……そこ、早く脱がせるのだ!」


 歓声を上げて撮影機を連射する宣伝大臣を怒鳴り付ける少女。


 国家指導者にも儘ならない事はあった。


「あら、ミーナ。可愛い瞬間を残して於けるなんて贅沢をしているのよ?」


「私は何時だって可愛いのだ!」渾身の本音である。


 ヴィルヘルミナは自身の容姿が優れているなどという視点に興味はないが、その容姿を好んで支持した者達が多い以上、世界で一番可愛いと自己暗示の如く大言壮語する義務があると考えていた。


 そうした屈折した義務感と自負心の持ち主であるからこそ、空前絶後の政治体制で国家指導者が務まるとも言える。


 流石にこれ以上の狼藉はまずいとみたのか控えていた女性軍人達が駆け寄って衣服とは思えない厚みの布や装飾品を次々と剥ぎ取り始める。


 最近、皇国で噂の装甲車輛の派生化に伴う追加装甲の如く、無数の部品に分離する衣服にヴィルヘルミナは辟易とする。衣服の定義を破壊しかねない衣服であった。


 手渡された軍装を羽織り、ヴィルヘルミナは近くの椅子へと早々に腰掛ける。追加装甲染みた花嫁衣裳の総重量を思えば、十分に耐えた足も暫くは席を離れる心算がないと自己主張していた。


「次の選挙も勝利は疑いないわ」


 勝利を確信する宣伝大臣にヴィルヘルミナは、それはどうか、と疑問を呈する。


 女優(アイドル)は新たな女優(アイドル)に人気を奪われるものである。


 魔王と言う名の嘗ての勇者が、新たな勇者に倒されるが如く。


 確かに女優という立場を以て選挙で大勝を続け独裁的な立場を得たヴィルヘルミナだが、常に自信が圧倒的優越を得られると考える程に楽天的ではなかった。


 現状、選挙では圧倒的である。


 何を勘違いしたのか、元貴族の中年男性が歌って踊れる丈の短い衣装で選挙に出馬して袋叩きにされるという珍事もあるが、強いて言うなればそうした出来事が注目される程度には有力な候補が少ない。


 しかし、それは自身の強力な支持母体や有力な敵を抱えている事による情勢が影響している部分も否めない。


 皇国とて国内の擾乱があったからこそ帝国に付け入られた。


 国内の分断を忌避して現実的な政策を提案する者に票が集中するのは当然と言える。そうでなければ、その国の民衆は主権者としての知性を備えていないという事になる。


「でも、皇国の支援を得て北エスタンジアを併合した上で、帝国の混乱が続けば独自路線を謳う余地が生じるのだ」


 その点こそをヴィルヘルミナは懸念している。


 皇国が分断された祖国を是正する決定的役目を負い、発展の為に多くの資源と資金を拠出するという一面を見て、その寛容性に対して無邪気に甘えようとしている者達が居る事をヴィルヘルミナは疑わない。そして、強い独立心を持つ祖国を知ってもいた。


「当代天帝が本質的には怒れる戦争屋である事を理解していない連中が多過ぎるという話でしょう?」


 ヨゼフィーネの指摘に、ヴィルヘルミナは、それは理解が止まっているのだ、と指摘する。


 理解させるべく、何が吹き飛ばされるか、という点をヴィルヘルミナは見ていた。


 エスタンジア国内の再独立に対する世論形成を阻止する試みは必ず行われる。


 トウカの性格上の問題に留まらず、それは国防上の問題に繋がる為である。


 エスタンジアが独自に他国との協力関係……極論を言えば、同盟や安全保障条約を締結した場合、そこを起点に皇国本土が脅かされる危険性を無視できない為である。


 橋頭保として扱われかねないエスタンジアが懐から飛び出す事を皇国は許容できない。帝国との陸上経路の一方という地政学的特性よりも、第三国による皇国侵攻の策源地となる可能性をより危険視する事はヴィルヘルミナには容易に想像できた。


戦略爆撃を以て周辺諸国を睥睨する道を選んだ男が、近隣に大国が利用できる策源地を放置するはずがない。


 そして、それがエスタンジアにいきなり皇軍で軍事的打撃を加える形にはならないだろうとも、ヴィルヘルミナは見ていた。


 去りとて絶大なる威力を発揮する一撃である事は疑いない。


 最も公算が高いのは、南北の意識の差を利用して対立を演出する事である。国内が安定しないならば、皇国の陸上戦力を頼りにせざるを得ない。駐留を求めれば、単独で独立を維持するだけの実力を持たずと喧伝するに等しい。自国の立身を為せぬ国家を他国は対等に扱うはずもなかった。


 そうなれば、国内の南北双方に不信感が募るだけである。


 無論、不信感が募る程度で済まされるとトウカは見るだろうが、ヴィルヘルミナは皇国からの投資や産業誘致が落ち込むと見て許容できなかった。


「みんなには皇国と仲良くして貰わないと……」


 つまるところは、それである。


 不信感を持ち、独立の意志が燻る土地に資金を投じたいと考える企業は特殊である。政府は政治的意図から資金投下を行うであろうが、それ故に利益が未回収となるならば、その回収の為に積極的な行動を取りかねない。


「友好関係が経済の活性化に繋がるものね。それに、特に皇国北部の面々は遺恨と屈辱を忘れない傾向があるから気を抜けないわ」ヨゼフィーネは嘆息する。


 遺恨と屈辱を忘れない男。


 トウカはそう表現される事もあるが、それは皇国北部に住まう者達の傾向としても見られる。同じ皇国とは思えない程度に性格が異なる上、戦力や経済力の多寡を引っ繰り返すだけのナニカを感じさせる者達でもあった。


 端的に言えば、味方にするとこの上なく頼もしいが、敵に回すと惨たらしい惨禍を招く。


 トウカが皇国北部と他地方の経済交流に熱心なのは、そうした部分が大きいと、ヴィルヘルミナは見ていた。


 故にヴィルヘミナも経済を重視する。金銭の流れがあれば、ヒトの交流は途絶えない。利益という実績があれば、経済とヒトの交流は拡大するものである。


「我が国が皇国北部に近過ぎると見られるのも懸念材料なのだ」


 マリアベルとの貿易や策源地の近さから南エスタンジアは皇国北部……特にヴェルテンベルク伯爵領との関係が深かった。現在でも、皇国北部の復興の為の部資材の多くを輸出しており、互恵関係は続いている。


 そうした関係を見て皇国ではなく皇国北部との連携と見る視線がある事を、ヴィルヘルミナは以前の皇国訪問で感じ取っていた。


「だから貴女が嫁に行くのでしょう?」ヨゼフィーネは満面の笑みである。


 近くの女性親衛隊員も同様の笑みを以て周囲を警戒している。


「……それ、天帝からは返答を貰ってないのだ」


 勝手に南エスタンジア側が言い出して勝手に盛り上がっているだけであるとも言える。


ヴィルヘルミナとしては政治的意義は十分に有るが、トウカが明らかに心根定かならぬ女性を近くに置く事を忌諱している姿勢を見せているので、どうなるかという心情であった。


 南エスタンジア国内でそうした機運を盛り上げて断り難い雰囲気を醸成しようとヨゼフィーネは躍起になっているが、現状では何処まで行っても他国の問題である。


無論、南エスタンジアを併合するのであれば、確執が生じる事は避けたいと考えている筈であり、受け入れる可能性は十分に有る。そこを意図してのヨゼフィーネの計略であった。


 ――下賤だと捉えられるのではないか?


 去りとて、ヴィルヘルミナはそう懸念していた。


 誇り高い男である様にも、矜持を以て事に当たる男である様に思えないが、遺恨を忘れない男であり、手段を問わない男でもある。隙があると見れば、必ず致命的な一撃を用意してくる事は疑いない。下賤な輩が馬鹿げた真似に巻き込むと見られては逆効果である。


 サクラギ・トウカは待てる男でもある。


 ヴィルヘルミナはその点を最も評価していた。


 対するマリアベルは待てなかった。


 ヴィルヘルミナにさえ言わなかった病の進行という要素が大きかった事は今となっては疑いないが、それでも戦火を拡大せずにトウカに爾後を任せる道もあった。


 トウカは無様に失敗すると見做せば待つだろう。


 己の死のその瞬間まで。


 爾後を任せる場合、相手がベルセリカになるのかヨエルになるのかは不明瞭だが、武断的姿勢が継続する事は疑いない。今更、政治姿勢を変更するのは継承者にとって危険性(リスク)が大き過ぎた。


「嫌な女と思われそうなのだ……」


 ヴィルヘルミナは勘違いして騒いでいる気がしてならないので、そうした気恥ずかしさもあった。


 しかし、同時に立て続けに近しい女性を喪った男に近付くというのは気が咎める部分が大きかった。特にマリアベルと恋仲であったとあれば尚更である。これはヴィルヘルミナは感情の問題であり、トウカがミユキにマリアベルと複数の女性と関係を持っていた事実が影響するところではない。


「王侯の異性関係なんて、そんなものよ。気にしてたら御家断絶よ」


 ヨゼフィーネは割り切っている。そして、恐らくは自身がヴィルヘルミナの立場に置かれても同様であるというだけの確信を持てる程度にはヴィルヘルミナも長く友人関係を続けていた。


 だが、そうした問題よりも先に考えねばならない事がある。


「ところで……あの提案はどうするの?」


 その考えに至ったのはヨゼフィーネも同様なのか、ヴィルヘルミナの考えを尋ねる。


「南エスタンジア軍派兵……ちょっと考え付かなかった事態だから……」


 連合王国への懲罰行動……という建前の下で行われる分割占領への参加の打診。


 皇国と部族連邦、協商国に共和国までが名を連ねる打診は、半ば要求に等しいと思えるが、機密性と配慮の名目で皇国大使が代表して説明に訪れた事は、そうした印象を低減する為の配慮とも取れる。特使や軍関係者の訪問では圧力と取られかねないという懸念。


 皇国大使は、貴国が北に敵を抱えている事は万民が知る事実であり、派兵を見送っても非難する者は居ない、とまで言い切っており、そうした点にも配慮は滲む。


「でも、軍は大賛成みたいね。大隊では格好がつかないからせめて連隊を出したいと言ってるみたいだけど」


 ヨゼフィーネの指摘に、ヴィルヘルミナは顔を顰める。言うは易し、である。


 遠方への戦力投射というのは容易ならざることである。


 皇国が補給と兵器の全てを永久貸与するとまで言い切っており、皇国大使は、無論、全裸では困るので軍服くらいは着用して参陣して欲しいが、とまで冗談を飛ばす程度には手厚く支援する心算である事が窺える。


 その点を以て南エスタンジア陸軍は派兵に前のめりになっている。


 皇国製兵器が無償で手に入り、添え物の如く他国軍と行軍して掃討戦を行うだけなので少ない被害で他国軍の戦闘を観察できる。しかも、諸々の補給まで手当てしてくれるのだから遥かに利益が大きい。大隊ではなく聯隊にしなければ恰好が付かないという声も、気が咎める、という良心に負うところがあっても不思議ではない。


 政府高官も好意的である。


 周辺諸国と連携したという実績や、今後の関係に繋がるという期待があった。皇国との平和的併合の方針が示されたとはいえ、情勢次第ではどうなるか不明瞭である為、他国との関係を深める出来事に加わっておくべきという意見であった。


 利点が余りにも大きいのだから、そうした意見が出る事は当然と言える。


 北エスタンジアも以前の派兵された皇国軍との戦闘で帝国軍諸共大打撃受けた為、 今年中は軍事衝突も小康状態となると見られており戦力面でも余裕はあった。


 ヨゼフィーネも表情を見るに賛成である。


「血腥いけど……初めての共同作業ね……花嫁衣裳で戦場に立つ?」


 焼菓子に入刀するかの如く、連合王国の領土を切り分ける事は間違いないが、花嫁衣装で参陣するというのは中々にない話である。


 ――皇国では花嫁衣裳で戦場に立った女性の逸話があるけど……


 困った逸話であり、事に及んでの皇国女性の苛烈さを示す一例としてよく挙げられるが、そうした前例があるからこそ天帝に媚び諂っていると見られても不思議ではない。無論、好意的に受け取られる公算が高いが、演出として見られる事にヴィルヘルミナは耐えられなかった。


 計算高く取り入ろうとしている女と見られる事への忌避感。


「……総統が従軍するのは論外としても、派兵は受けざるを得ないのだ」


 利点しかないという問題以前に、皇国軍は南エスタンジア防衛の為に派兵した実績がある。余裕があるにも関わらず、今回の一件で南エスタンジアは派兵を拒めば周辺諸国の印象悪化は避けられない。


 その辺りを見越しての派兵要請だったことは疑いない。


 厚遇を示せば示す程に、相手は拒絶し難くなる。


 諸外国から見れば皇国の手厚い支援は評価を挙げる切っ掛けとなり、南エスタンジアは拒絶し難くなる。皇国がそれを理解した上で提案している事は間違いなかった。


「無駄がないのだ……常に物事を宣伝に利用してくる」


 軍事や政治 経済を必ず宣伝へと繋げる皇国の動きにヴィルヘルミナは手強さを見ていた。


 良い軍事行動や政治方針、経済政策が理解と称賛を得られるとは限らない。


 結局のところ出来事の宣伝と浸透という印象の形成あって初めて勝算と理解を得られる。


 その辺りを理解していない有力者は多い。


 貴軍官民問わず、である。


 宣伝とて元の出来事に中身が伴わねば忽ちに顰蹙を買うが、宣伝がなければ賛同も少数に留まる。


 良い出来事を以て理解を得られると無邪気に、或いは無意識に考えている者は多い。 企業が良いモノを作れば売れると考えている誤解に近いが、国家の場合はより多面的な宣伝が必要になる為、そこに必要とされる予算も人材も桁違いであった。


 そうした部分を優先し、潤沢な予算を用意し、専門の省を整備したからこそヴィルヘルミナは総統の座にまで上り詰めた。初代総統が設置して有名無実化していた宣伝省を再び実力組織にしたヨゼフィーネの手腕もある。


 客観的に見て、ヴィルヘルミナが女優としての知名度を利用した事を踏まえると、宣伝という点では初代総統よりも積極的に自身を演出していたと言える。


 初代総統の演説が、結局のところは限定的な成果しかなかったと、後の時代では論文としても認められている通り、大々的な、組織的な宣伝こそが民衆の支持の源泉である。


 大きな催事(イベント)を各地で打ち、地方の小さな催事にも人員を派遣する。結局のところ、民衆は寄り添う者の言葉を聞くのだ。初代総統が、女性の社会進出に否定的だった点を覆し、女優(アイドル)という長所を利用して総統にまで栄達したヴィルヘルミナは、その存在自体が鍵十字(スワスチカ)を掲げる者達にとって皮肉であるが、それすらも宣伝という印象操作が覆い尽くす。


 トウカもそうした点を理解していると言える。


 皇国の印象向上を図る事に余念がない。


 戦略爆撃という事実上の大量虐殺を図る以上、大義名分だけではなく、本来は良き国家であるが、そうした国家がそう振る舞わねばならないという印象を形成する必要がある。


 ヴィルヘルミナは、そうした点からトウカがただの怒れる軍国主義者ではないと考えていた。自身の足元を良く見ている。


 ――まぁ、長く戦争を続ける為の配慮かも知れないのだ。


 戦争の為の印象操作である可能性も否めないが、少なくとも国民感情や周辺諸国の戦争への肯定的印象を醸成した上で戦争に踏み切ろうとしている事は評価できた。


 長く戦争を続けると必ず国内から不満が噴出する。


 戦争が短期間で終結しないという事は計画を逸脱しているという事であり、戦死者数と戦費が青天井となる事を避け得ない為である。帝国による皇国侵攻では、消耗抑制という言葉を使い皇国北部から一時的に戦線を下げた事もトウカにそうした意識がある事を示していた。


 防衛戦争でもない限り長期的な戦時体制を維持できない。


 祖国防衛に匹敵する大義名分など、そう用意できないのだ。


 例え、復讐の為の戦争であったとしても。国家の復讐心に最後まで付き合える個人などそうはいない。愛国心にも限界はある。


 だからこそ、トウカの復讐の為の戦争は、征服の為の戦争は極めて洗練(スマート)されたものとなる事は疑いない。


 極めて効率的な破壊と殺戮による勝利。


 そうした勝算があるからこその最近の動きだと、ヴィルヘルミナは見ていた。


 矛盾するようでもあるが、戦争の長期化という最悪の状況をも踏まえているからこそ、相当に無駄のない侵略戦争が行われるであろうという推測。最悪に備える者は賞賛の乏しい戦争に踏み切らない。


「どうかしらね。少なくとも連合王国での大演習は、あの天帝の振り付けとは思えないわ」


 連合王国での大演習。


 ヨゼフィーネのこれ以上ない皮肉を、ヴィルヘルミナは笑わない。


 近年の帝国寄りの姿勢や共和国に侵攻後の無様があるとは言え、ならば分割占領するなどという激烈な反応が起きる時代に対する恐怖。


 国家の失態が容易く滅亡に直結する時代であるとの証明となる出来事。


 或いは、それは南エスタンジアで起きていたかも知れない。


 これから起きる可能性も有る。


「皇国が人的資源を欲しての戦争だと思うのだ。神州国も巻き込んで自国に戦火が及ぶ事を避ける。一挙両得の戦略。軍神に相応しいのだ」


 ヴィルヘルミナは連合王国分割占領が皇国から生じた提案だと見ていた。


 トウカの実績と、帝国侵攻を行う為に人的資源が必要という観点からのものである。そうした常軌を逸した……独創的な戦略はトウカ以外の諸外国の有力者には見られなかった為、消去法という側面もある。


 帝国との戦争の為、後背の部族連邦の軍事力を漸減し、政治的混乱を助長させる目的で軍事力行使するというのは、いわば戦争の為の戦争ある。そうした戦略は新たな敵を作りかねないが、トウカはそれを上手く抑制しながら行って部族連邦の領土を切り取った。


 ヴィルヘルミナには信じ難いものであった。


 しかも部族連邦とは急速に関係を改善しつつある。神州国を脅威とした兵器の密輸入に絡む関係改善を部族連邦が選択した事もあるが、それを選択させたのが外ならぬトウカであるとヴィルヘルミナは疑わない。


 保護占領という名の軍事力行使は、国境沿いを混乱状態にして兵器の密輸出を円滑にする為の擬装だったのではないかという疑念さえヴィルヘルミナは抱いていた。部族連邦北部を保護占領という形で割譲し、その対価として兵器の大規模な密輸出を認めたという筋書き。


 部族連邦は北部を割譲する事になったが、領土面積に比して人口は少なく、密林に覆われた土地が多い為に生活水準の著しく低い地域であった。言わば国家発展に於ける負債であり、不確定要素と言う側面もある。それを皇国に押し付ける事で神州国に対抗する為の兵器が用意できるならば、正直なところヴィルヘルミナとしても採算が合うと認めただろう。


 領土を切り売りする国家は、いずれ主権すらも切り売りせざるを得なくなる。


 例え、そうであっても、目先の脅威に対抗するには選択せざるを得ない。


 そうした点を突いてトウカが保護占領を部族連邦に持ち掛けた自作自演(マッチポンプ)。それがヴィルヘルミナの部族連邦北部の保護占領への見解であった。


 ――首都占領も、そこまですれば反発が生じ難いと見たに違いないのだ。政府閣僚が室外席(テラス)で会議していて、そのまま拘束されたとか、そんな阿呆な事があるはずないのだ。


 一部の閣僚が外出先の食事処の室外席で会議をしている最中に拘束されたという情報もあったが、ヴィルヘルミナは眉唾だと考えていた。


「情報の動きを見れば、多分に場当たり的よ。寧ろ、その都度、最適な一手に変更している節があるわ。あれ、恐ろしいまでの柔軟性の産物だと思うのだけど……」


 ヨゼフィーネは宣伝大臣としての視点から皇国の動きを推察する。


 国家指導者であるヴィルヘルミナと違い情報の動きや内容から、その意図と計画性を推察する為、その結論に違いが生じる事も不思議ではない。


「もし、一貫した計画があったなら、もっと上手く喧伝できたはずなのよ。明らかに軍や政治が世間への印象操作に注力できていないの」


現在の皇国はトウカの姿勢を反映して武断的であるが、対外的な印象を放棄している訳でもない。寧ろ、武力行使に対しては大義名分を用意する事を忘れておらず、敵の悪印象を喧伝する事を怠らなかった。


 自国を強大にして公明正大に魅せ、敵国を劣弱にして卑怯未練に見せるのは宣伝戦の基本である。そうした動きが保護占領と分割占領には乏しい。


 保護占領は大義名分を用意していたが、分割占領は降って湧いた話であり、事前に軍が用意されている気配もなければ、その正当性となる根拠を国民に広く知らしめる様な配慮も見受けられなかった。


 ヨゼフィーネは、そう解説する。


「保護占領も分割占領も、どちらも軍事色を帯びた政治にも関わらず、民衆に与える印象を操作する準備ができていなかった。主要新聞社を抑えているにも関わらず」


 事前に国民の合意形成を図る事で保護占領もより大きな地域を獲得できた筈であるが、トウカはそれを選択しなかった。神州国が介入する可能性と泥沼化の可能性を見据えて極短期間の内に終結さるべきと判断した可能性もあるが、航空優勢を背景とするトウカの軍事行動の前には陸上の神州国軍など意味を為さない。


 そうした指摘にヴィルヘルミナは首を傾げる。


「待つのだ。それは考え過ぎなのだ。天帝はあくまでも軍人なのだ。政治の為に奇襲効果を捨てる事はないはず……なのだ」


 政戦両略と評されるトウカだが、軍事で損じると政治で多くを喪うという強い強迫観念があるのか、政治の為に軍に無理をさせる事を非常に嫌う一面があった。勝利しなければ、そもそも政治面でも悲惨な事になるのは歴史的に見ても明白なので理解できなくはない。敗北後に政治で失点を取り戻すというのは前例がない訳でもないが稀有な例である。何より、全てを取り戻せる訳ではない。


 皇国の動きは確実性を重視したというだけとも取れる。


「それに、天帝は新聞という媒体を殊更に忌諱しているのだ」


 他国の思惑に左右され易い情報媒体であり、公平性が必須であるにも関わらず、それを担保する要素が存在しない極めて国家にとり危険な職業とまで言い切る程には唾棄している。私益を以て維持される企業は、国家の介入無くして公共性(国家主観)を期待できないというトウカの明白な意思であった。


 そうしたトウカの姿勢や主要新聞社への締め付けに反発を抱いた、或いは恐れをなした新聞記者達は、地方新聞社や出版社に逃れて自由な執筆をしている。


 トウカもそこまでは締め上げず、寧ろ、新聞や週刊誌などの情報媒体の信頼性の毀損に重きを置いている。情報媒体として信頼性に乏しいと世間から判断されれば、例え統治者にとって不都合な真実であっても信憑性を得られない。


 締め付けるよりも信頼性に疑義が生じる状況を恒常化させる事で被害の軽減、或いは無害化を図る。信頼性の毀損は真実を根拠に行えば否定し難く、反論は言い訳と捉えられやすい。そもそも、学歴も資格も必要ではなく、認可制でもない記者という職業は、馬鹿げた情報を垂れ流す者も少なくなく、信頼性を毀損する事は容易である。


 その辺りをマリアベルがトウカから学んだと得意気に文通で記していたので、ヴィルヘルミナとしては新聞の社会的重要性が増す様な動きを取るとは思えなかった。


「ちょっと……将来の伴侶に辛辣じゃない? 此処は健気に庇うところでしょ?」


「……そういうの、あの人は嫌うと思うのだ」


 賞賛も謙遜も……阿諛追従の類をトウカが嫌うようにヴィルヘルミナには見えた。


 無論、横柄なだけでは臣従に値しないのは間違いないが、有能で忌憚のない意見を述べる者を重用する傾向にあるのは、近しい者を見れば一目瞭然である。ザムエルもリシアもそうした人物である。単なる友人関係と見るには、二人は多くの実績を残しており、縁故による重用とは思えなかった。寧ろ、近しい人間を選ぶに当たって力量もを最大の判断項目に加えていると思える程に優秀な人材が多い。


――ヴァレンシュタイン上級大将の御乱行ですら有能であれば見逃されるのだ……


 ザムエルの日頃の振る舞いを許される基準の下限として見ているヴィルヘルミナからすると、少々の不満を咎められるとは思えなかった。


「あら? 噂の狐は随分と健気だったそうじゃない」


 反証として触れてはいけない者を出したヨゼフィーネに、ヴィルヘルミナは眉を顰める。


「死んだ女の振る舞いを真似るなんて嫌なのだ。愛されなくても、それだけは嫌なのだ。私は代替品じゃないし、そんな真似でしか価値を示せない女を傍に置く相手でもないのだ」


 可愛がられる為に喪われた者を真似るなど屈辱であるが、己の才気ではなく、そうした点を見て望まれるなど国家指導者を経験した者として惨めが過ぎる。そうヴィルヘルミナは考えていた。


 才気を示さねばならない。


 必要とされ、求められる。


 それがヴィルヘルミナのせめて納得できる形であった。


「貴女……まさか、侍る以外で価値を示そうとしてるの?」胡乱な瞳の宣伝大臣。


 ヴィルヘルミナもヨゼフィーネの言いたいことは理解できる。


 才気を示すという事は、統治に携わるという事である。政戦や経済への発言をしてトウカを支えるという事は、味方を作るという意味以上に敵を作るという意味でもあった。


「価値を、才気を示すというのは、皇国の権力構造に踏み込むという事よ?」


「皇妃として嫁入りするだけでも角が立つのだ。どの道、もう一人の皇妃と均衡を作れるくらいの後ろ盾は必要……南エスタンジアの存在だけじゃ不足だと思う」


 皇国の一地方として成立する南エスタンジアに対する配慮として、ヴィルヘルミナは扱われるだろうが、それだけでは南エスタンジアに莫大な投資と資金を呼び込むには不足している。


 結局のところヴィルヘルミナは皇国内でも相応の立場を得なければならない。


 皇妃というだけで支持母体それ自体が多大な利益を享受できる訳ではない事は、現在のところ唯一の皇妃が証明している。


 しかし、未だ全ては画餅に過ぎない。


「ま、婚約を受け入れるという返答自体が来ていないのだから皮算用よね」


 そう南エスタンジア政府側では期待する声と皮算用が各所で展開されているが、皇国枢密院側からの返答は未だない。無論、未だ提案して然したる期間を経ていない為に皇国や天帝も損益を把握し切れていないという意見が南エスタンジア政府では囁かれていた。


 ――外交的奇襲、誰が言い出したかしらないけど、言い得て妙なのだ。


 トウカを戦略面で奇襲できる存在などそういるものではない。


 ヴィルヘルミナ自身も、危険は大きいが会心の一撃だったと確信している。


「空回りして勝手に浮かれている小娘みたいでみっともないのだ」


ヴィルヘルミナとしては、トウカとの婚約が嬉しい訳ではない。必要性がそれを求める以上、国家指導者に選択肢などない。


 その点を以てトウカに自身の力量を見せつけたという自負があった。


 認められたい。


 力量ある国家指導者として、自身がその力量を認めた国家指導者に認められたいという欲求。


 偶像として成立した総統という負い目がヴィルヘルミナにはある。


 政治だけで総統の立場を得た訳ではない。違法性はなかったが、政策を以て国家指導者を選任するという趣旨を理解した上で無視した方法による総統就任の妥当性を、ヴィルヘルミナは何処かに願って止まなかった。


 例え、自らが総統という立場を喪う事になるとしても。


 無論、政策面では抜かりなく、南エスタンジアの現在の安定がそれを示しており、 ヴィルヘルミナは客観的に見て極めて優秀な指導者だった。同時に南エスタンジアという身代の低さが、その実力を損なわせている側面もある。ヴィルヘルミナが辣腕を振るうだけの国力を南エスタンジアは持ち合わせていない。


 だが、そうした焦燥は今のヴィルヘルミナにはない。


 ただ、郷土に対して最大限の繁栄を齎さねばならないという義務感はあった。


 実力に乏しく、利己心ばかりの候補者を最短で退けて総統の座を得る為、彼女は政治に偶像(アイドル)を持ち込んだのだ。ヨゼフィーネなどは、他の候補者が縁故や買収を持ち込んでいる以上、法的問題のない偶像(アイドル)という要素を持ち込む事に呵責を覚える必要性を感じないと鼻で笑っているが、ヴィルヘルミナはそう割り切れるものではなかった。


 政治を以て他の候補者を打倒する時間は南エスタンジアに残されてはいなかった。


 ――でも、あの天帝はその資格がありながら軍人として軍勢を率いて即位した。


 晴天の霹靂である。


 全ての事情は未だ伝わらない。


 しかし、神々という資格と正統性があっても尚、軍事力で玉座に至った姿をヴィルヘルミナは畏怖を抱いていた。


 必要性がそれを求めるならば、積極な流血も辞さない。


 天晴、国家指導者たるの振る舞いである。


 必要であれば、ヴィルヘルミナも躊躇しないが、心の奈辺では疑問と後悔を覚えただろう。


 しかし、トウカにそうした気配はない。


 寧ろ、国益の為に積極的に流血を選択し、短期的な利益を暴力的なまでに追及している。


 そこまでするのか、とヴィルヘルミナには恐怖があった。


 友好関係にある者達には頼もしく見えるように宣伝しているが、実情としてそれは個人の思惑による流血である事実を覆さない。遺恨と殺意が現在の皇国を動かしている。


 ヴィルヘルミナも自身が国家指導者としては苛烈であると考えていたが、トウカは桁違いである。


――ちょっと、 怖いのだ……でも、見たくもある。


 怖いもの見たさ。


 近くに居れば、きっと自身の偶像に対する苦悩など矮小なものになる。


 それが、良い事か悪しき事か。


 ヴィルヘルミナにはは分からない。


 結局のところ、 まだ見ぬ皇国の国家指導者は分からない事ばかりであった。






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