第三五一話 国家の部品、海軍の部品
〈グラーフ・カレンベルク〉型重巡洋艦の五番艦である〈グラーフ・ビットリヒ〉の艦長を拝命したメイトリッツ中佐は妙齢の黒犬族女性であった。比較的体力があり種族的に上位者に従順な傾向がある犬系種族だが、海上勤務でも犬系種族が基本的に遠泳が得意な為、艦上でも比較的見かける種族である。
そのメイトリッツは眼前の摩訶不思議な遣り取りに対し、何と言えばよいのか判断が付かなかった。
天狐族族長の幼娘と天眼の少女。
二人の間の抜けた会話は、メイトリッツの頭を悩ませる。
「わたしはシラユキ」
「えっと、お初にお目にかかります。私はサアヤ……少尉です」
メイトリッツは未知との遭遇を果たした二人を遠目に見守る事しかできない。
サアヤは海軍と皇州同盟軍の共同技術開発に於いて見出された人材の一人であった。
広範囲の空中や水上、水中の索敵を可能とする広域索敵装置開発に当たっての基幹要員。それは主要開発者を意味するのではなく、サアヤ自身が広域索敵装置に組み込まれる事を意味する。
装置の運用者……悪く言えば部品である。
メイトリッツとしては思うところもあるが、仮想敵国との水上戦力の差を埋める為と技官に抗弁されれば返す言葉もない。
去りとて日に日に元気を無くして塞ぎ込んでゆく姿に対し、何とかならないものかと士官達と相談して気を揉んでいた中、シラユキが襲来した。メイトリッツとしては、天帝が乗艦した際に挨拶をしたのみで、その後は面倒事に巻き込まれては叶わないと艦橋に逼塞していたが、シラユキがサアヤに会いたいと艦橋を訪問した為、連れてくる事となる。
「新型探信儀の運用士官を務めています」
探信儀とは基礎的な構造すら違う為にそうした表現は間違いだが、混乱と機密保持の都合上、そうした表現が公式化している。
「とおくをみるの?」首を傾げるシラユキ。
「……そうですね。その様な感じです」サアヤは苦笑。
透視の類なので遠くを見るという表現は強ち間違いでもない。
問題は有事や非常時に遠方の敵味方の惨殺遺体などを見て精神的動揺が生じる事が懸念されている事であった。メイトリッツとしては、その点だけを見ても企画倒れの誇りを免れないのではないかと考えている。教育を受けた軍人でも戦死者に対して動揺する事例が散見されるにも関わらず戦争と縁遠い子供を連れてきて戦闘艦に搭乗させて索敵をさせるなど狂気の沙汰と言えた。
現に海難救助の際にサアヤは酷く動揺した。水死体の状態が救いようのないものであることは珍しくない。科学と魔導が幾ら発展すれども、人類に取り海洋は母なる敵なのだ。
しかし、そうしたメイトリッツの一般常識を軍が斟酌する事はない。戦力的劣勢であるならば猶更である。
「せんじょうに行くの?」シラユキの問い。
それはメイトリッツが可能な限りサアヤに考えさせぬようにしている事であった。実際、試用段階に過ぎない以上、サアヤ自身が戦場に出る公算は低いが、皇国は最早、周辺諸国との軍事衝突を躊躇しない国家に変化しつつある。サアヤまで動員される事は十分に在り得る。
「……ええ、命令だったら」
そこにどれ程の覚悟が詰まっているのかと、メイトリッツは部屋の隅で軍帽の上から頭を掻く。
そうした悲壮な覚悟をシラユキは理解できないとばかりに首を更に傾げた。
「いやなの? いやならにげちゃえばいいんだよ?」
飛び込む様に畳へと身を滑らせたシラユキ。
サアヤは反射的にシラユキを受け止める。
畳はサアヤを気に掛ける艦内の有志が用意したものである。特に妹を持つ水兵からサアヤは大いに気に掛けられていた。
正座するサアヤの膝に飛び付いたシラユキ。傍目には微笑ましい光景である。メイトリッツもシラユキとの出会いがサアヤの慰めになる事を期待した。
「それは……軍人は戦いの義務から逃げてはいけないんですよ? 貴女も貴族令嬢としての義務があるでしょう?」
両親に甘えたい盛りの少女の言葉とは思えない実直。義務感で子供を縛る事が健全な姿である筈がないとメイトリッツは溜息を零す。
「え~、そうかなぁ」
「争いなんてない方が幸せです。貴女も戦いたくはないでしょう? でも、軍人は戦わないといけないの」
酷く大人びた意見であるが、一般的な正論でもある。
しかし、シラユキは違った。
立場も境遇も特殊である。
「わたし? わたしはいっぱいていこくじんをころしたい!」
元気一杯に殺意を表明する幼狐。
シラユキの侍女が慌て弁解する。
「シラユキ様は戦争で姉君を喪っておられますので……」
天狐族の生息地が北部だった事をメイトリッツは思い出す。皇国の天狐族の多くは戦災に巻き込まれたという事になる。血縁に死者が居ても不思議ではない。
「おねーちゃんがころされたから、しかえしをするの」
子供の純粋さは殺意に似ている。ならば純粋な殺意とはいかなる結果を齎すのか。
一直線でいて迷いがない。
メイトリッツは碌でもない教育をしていると、トウカの軍国主義の発露とも思えるシラユキの姿に恐怖を覚えた。
しかし、次の一言で余計にトウカの意図が不明瞭になる。
「でも、てんていヘーかが、ざんねんだな、さきにみんなよがころすから、おまえのころすぶんはないって……」落ち込むシラユキ。
トウカの帝国に対する殺意を聞いたメイトリッツは、帝国侵攻が口先だけの政治的演出に留まらない事を悟る。誘引して短期間の内に数百万も殺害しても尚、殺し足りないという明言。想い人を喪った事を踏まえると私怨に等しいが、現在の皇国は帝国打倒に対して極めて前向きである。帝国を対話不可能な殲滅戦争の相手と皇国臣民は認識したのだ。
トウカが主要な報道関係を抑え、電波放送を試みつつある中で、皇国臣民は多くの真実を知る事になった。
そう、真実を知るだけでいい。嘘など不要であった。
先代天帝までの御世では、隠蔽はしていないが努めて極小化するような報道姿勢が為されていたが、現状では包み隠さずに報道される方針へと転換している。そこに戦時に於ける虐殺などの惨殺遺体が新聞に包み隠さず添付されているとなれば、そうした姿勢に極短期間で変化する事も致し方ない。
帝国が人間種優位の政治体制を宣言している事も大きい。
狂信的排他性を持ち、異種族を殺戮する事を国是としている点は事実であり、現在の皇国の各報道機関は、その事実の周知徹底を図るかのような動きを取っている。
事実である以上、先代天帝の遺訓である融和政策を支持する者は政治的に致命傷を受けざるを得ない。先代天帝の御世の融和政策ですら譲歩や和平を実現できなかった上、近年は本土侵攻まで受けたのだから既に軍事力のみが解決手段であるというトウカの主張は正当性を増す。
「だからだいじょうぶ。あなたのぶんもヘーかがいっぱいころしてくれるよ!」
シラユキなりの配慮とも思えるが、子供ゆえの他力本願は卑怯の誇りを受けるものではない。子供に大人が担うべき努力と義務、挺身までをも担わせる事こそが社会通念上の不誠実である。少なくともメイトリッツは、そう考え、皇国でもそうした考えは一般的である。
思わずメイトリッツも口を挟む。
「あー、確かに広域索敵機構の実戦配備はまだ先だ。その時、既に帝国は国家としての形を維持していないかも知れない」
最近、皇国軍高官の間で実しやかに囁かれる帝国打倒後の予想をメイトリッツは、気が早い事だ、と思いはすれども、分裂するという予想が多い点には同意できた。
分断し、殺戮せよ。
トウカのそうした主張があったとの噂である。
元より無数の国家であった帝国が分裂し、複数の国家となった状況で各国に資源を対価に武器を与えて争わせる。それにより旧帝国領土の人口を漸減して無害化を図るというのは、メイトリッツをしても皇国の出費が最も少ない方法であると理解できた。
無論、残酷が過ぎて納得はできないが。
実際、海軍の主敵が神州国であるのは明白だが、それを公式化して神州国との軋轢が生じる事を配慮し、皇国海軍の軍備は建前上、帝国海軍の撃破を名目として拡充されている。
「それでも……備え続けるなら、私も船の上に居ないといけないです」
戦場で悲劇的な光景を見るという未来を想像するには幼く、だがそれに備える為、祖父母と離れて艦上のヒトとならねばならないと理解する程度には成長しているサアヤ。
シラユキはサアヤの膝に甘えつつも首を傾げる。
「わたし、おとーさんもおねーちゃんも死んじゃったからあえないけどさみしくないよ?」
心底と寂寥感を覚えていないとできる程に、シラユキの表情には影がない。酷薄とも思える発言だが、子供に家族の死を意識させずに済ませている事は賞賛すべき事である。それを為せず、時間と幸福を喪う者は世間でも少なくない。
サアヤは驚いている。
家族を喪った事実と、それを淋しくないと言い放つシラユキの感情に理解が及ばないのはメイトリッツも同様であった。
「みんながさみしくないようにがんばってくれてるの。だからわたしはさみしくないの」
それは自己暗示のようでもあった。
振り切れている、とメイトリッツは嘆息する。
周囲が淋しいという振る舞いを求めないから自身は淋しくないのだという自己暗示は、戦時中の軍隊でも時折見られる仕草であった。自己暗示を信じ、自身がそうした感情を抱いていないと背を向ける行為を続け、実際にそうした感情を摩滅させた例は珍しくない。メイトリッツ自身も内戦中にそうした兵士を散見している。
――この娘もまた戦争の犠牲者なのね……
少なくとも天帝や母狐が幼い狐娘に対して大いに配慮している事は明白だが、幼い狐娘はそれを察して淋しいという感情を胸に仕舞い込む事に腐心している。
サアヤはシラユキを抱き寄せる。
蘭州藺草の香りがメイトリッツの鼻腔を操るが、それはサアヤの慰めにならぬものであった。寧ろ、郷愁を覚えるものですらある。大人達の配慮は全くの逆効果であった。
侍女は顔を伏して語らない。
面倒事として黙殺している訳ではない事は、震える背中から察せる事であった。思わずメイトリッツは侍女の肩を叩いて慰める。
「この様な事となり無念です。ミユキ様に顔向けできません」侍女は呻くように肩を震わせた。
ロンメル子爵ミユキとの特段良好な関係を窺わせる侍女に、そうした境遇であれば尚更、シラユキの境遇が胸に迫るのは致し方ない事であった。シラユキは理解できていない表情をそのままに、サアヤに撫でられるままに任せている。
「むー」
憐れまれていると感じたのかシラユキは唸り声を上げて尻尾を逆立たせる。サアヤはその尻尾も撫でる。シラユキは落ち着いた。
憐れみは受け付けないという貴族令嬢然とした振る舞いは、新興貴族の令嬢としての振る舞いとしては上等なものかも知れないが、貴族として立身出世を為すという事の難しさを表すものでもあった。
「そうだ! いやならわたしがヘーかに " めっ”ってしてあげる」
サアヤの膝枕を存分に楽しむシラユキは、その無自覚な権力を振るう。メイトリッツは悲鳴を上げそうになった。
無数の要職者や組織を飛び越え、天帝に直接、抗議が伝えられるという恐怖。
権威主義国家の恣意的な側面の最大化である。無論、国家という巨大な枠組みとてヒトの産物である以上、政体に関わらず既定の順序を飛び越えた動きというのは否応なく存在するが、シラユキの場合はそれを差し引いても特別だった。
当代ヴェルテンベルク伯に対する負い目があるとされるトウカが、シラユキの意見に対して特段の配慮を見せるのでは、と考えたメイトリッツの判断は常識的なものであった。
「いやならいやっていうの。なにもしないとうばわれるだけなんだよ?」
酷く現実的な意見。子供の口から出たとは思えない世界の心理。理屈と理想を幾ら捏ねても世界が無言で行動しない者に微笑む事はないという事実を、歳を経る毎にヒトは理解していく。
しかし、それは本来、幼少期に行き着く解ではない筈であった。
メイトリッツは、好ましからざる流れに一歩進み出る。
「お待ちいただきたい、フロイライン・ヴェルテンベルク」
決死の御注進である。
役立たずの技官共がこうした場面で姿を見せない事に、メイトリッツは益々と技術者を嫌いになった。目録性能の話ばかりで実用者の事を考えない連中である。武人の蛮用に耐え得る点を務めて無視する。そうした罵詈雑言を胸中で撒き散らしつつ、メイトリッツは立ち上がったシラユキの前に立つ。
「むぅ、ずがたかい!」
「あ、これは失礼を」
慌てて膝を突いて視線の高さを合わせるメイトリッツ。
この尊大で大仰な姿勢が天性のものなのか、若き天帝への行儀見習いの成果なのかメイトリッツには判断できなかったが、後者であるならば、多くの貴族が子弟を行儀見習いに差し出さない判断は的確であったと言わざるを得ない。無論、そうした心情もまたメイトリッツは表に出すことはない。
咳払いをしたメイトリッツ。
「フロイライン・ヴェルテンベルク。これは国家の……海軍の任務なのです。苦しくも辛い。そして、その先にこそ、先程、仰られた敵の悲劇があるのです。耐えなばならないのです。貴女の義憤も少尉の慟哭も」
シラユキの復讐心を肯定する形で自重を迫るメイトリッツの主張は、子供相手だからと手心を加えるものではない。子供は子供扱いされる事を尤も厭うのだ。
しかし、シラユキは自身を子供ではなく女だと確信していた。
「わたし、じぶんのことはじぶんでできるおんなだもん」
復讐も例外ではないと、国家や海軍など知らぬと言いたげなシラユキに、屈折した自立心が芽生えている事は間違いないが、自らの復讐を他者に頼むよりも遥かに健全である為、メイトリッツは反論の言葉を見つけられなかった。
天帝が指導する皇国。
その復讐心と殺意の切先こそが皇軍であるが故に。
そこにシラユキは自身の殺意の余地がないと見ている。
「それに、へーかはせんそうをたのしんでるもん! たえてないもん!」
地団駄を踏むシラユキに、メイトリッツは諦めるしかない。侍女も確かにと納得しているので始末に負えない。サアヤの顔色は既に土気色である。天帝を魔王の類と見ているのは明白であった。
そうした中で、件の魔王が姿を見せる。
「為さねばならない。ならば、事ここに及んでは愉しむ他あるまい」
警護上の理由から開け放たれたままの防水扉の先に立つ漆黒のヴェルテンベルク領邦軍第一種軍装の青年。
その階級章は元帥号を示していた。
ヴェルテンベルク領邦の軍装は皇州同盟軍成立の経緯から共用である為に紛らわしいが、元帥号を持つ人物は両軍を通して一人しかいない。
「へーか!」
シラユキが駆けてゆき、元帥号を持つ少年に抱き留められる。傍目には微笑ましい光景だが、魔王が容易ならざる人物である事はシラユキの言動からも理解できる為、メイトリッツは直立不動で敬礼する。
「メイトリッツ中佐、御苦労だった」答礼で応じた魔王が微笑む。
シラユキと手を繋いだ姿は微笑ましく、肩章に挟まれた妖精がメイトリッツの判断力を奪う。魔王という姿ではなかった。去りとて尊崇の念が湧く天帝の姿でもない。
「シラユキ、皆を困らせてはいけない」窘める魔王。
「うそついてないもん!」
「確かに嘘ではないわね。寧ろ、控えめよ」
シラユキに追従する肩章に挟まれた妖精。古代の王が道化を侍らせる類のものかとメイトリッツは見たが、侍女に大蔵府長官であるセルアノだと伝えられて目を回すしかない。しかも、後ろにはヴェルテンベルク伯マイカゼが続いている。
「貴官がサアヤ・シラナミ少尉か?」
畳上で直立不動の構えを取るサアヤに魔王問い掛ける。
「はい、左様に御座います。臣、シラナミは当艦に於いて――」
「――よい。概要は技官より聞いている」
サアヤの言葉を遮り、魔王は必要はないと続ける。無論、そう言われて安堵できる者はいないが。
そうした配慮と思しき仕草を見せたが、未だ名乗っていない事を思い出したのか、魔王は然したる気構えもなく自然に名乗る。
「サクラギ・トウカだ。巷では軍神と呼ばれている。序でに天帝もしている」
気さくな気配だが、中々どうして返答に困る自己紹介に対してメイトリッツは返答に窮する。サアヤもまた同様であった。
魔王……トウカはサアヤを一瞥すると眉根を寄せる。
「成長が極端に遅い種族でもあるまい。皇軍の人材登用規定に抵触するのではないか?」
「えっと……」トウカの問い掛けにサアヤがロ籠る。
少尉という階級は士官学校を卒業した新任士官に与えられるものであるが、サアヤがそうした正規の訓練を経た様に見えないのはメイトリッツも認める所である。
実際、サアヤはそうした教育を受けておらず、あくまでも徴用であった。少尉という階級は下士官や水兵との接触時に生じるであろう諸問題を低減しつつ、指揮系統の混乱が生じない範疇で治めるという判断からである。
「陛下、戦時徴兵法の制定で可能となった事で実現したのです。この研究の適任者をより広範囲から求めた結果……」
「この娘が見出されたという事か」トウカが考え込む。
その権能でサアヤの個人情報や法案を総覧しているのだろうとメイトリッツは見たが、巷で噂の天帝ですらもサアヤの扱いには思うところがあるという点は驚きを禁じ得なかった。皇国を戦闘国家に作り替えようとしている男が娘一人の悲しみを重視するはずがない。
「軍が求めた有事の際の徴兵に関する年齢引き下げ項目か……趣旨とは異なる運用だが……成程、使えなくはないか」
トウカは法的妥当性があると確認したが、顰められた眉は動かない。
本来は本土決戦を想定しての戦時徴用だったはずだが、非常時の組織運用に制限は出てはならないと年齢の項目を詰めなかった結果、軍の研究者がそうした解釈を以て徴用に踏み切った。
メイトリッツは、その辺りだろうと解釈した。
文字通りの根こそぎ動員であるが、帝国という異種族の撃滅を国是とする国家との衝突に於いての敗北を踏まえれば降伏という選択肢はない。相手の慈悲や善意を期待できない以上、例え次世代が死に絶える事になっても矛を収めることはできない。
「サアヤちゃんかえりたいって」
「いや、しかしな……」
トウカの渋る姿にヴェルテンベルク伯令嬢の機嫌を損ねたくないのか、軍の開発計画をこの場で覆して良いのかというどちらかだと考えたメイトリッツだが、トウカの考えは違った。
「両親は健在なのか?」
トウカの問い掛けにメイトリッツは直立不動で応じる。
「はい、陛下。両親の了解を経ての徴兵と聞いています」
「気に入らんな。幼い娘を軍に差し出す親が真っ当とも思えないが」余の親ならば兎も角、とトウカは眉を顰める。
トウカの両親が碌でもない人物であると知ったメイトリッツは、サアヤの両親そうした性格の人物である可能性に思い至る。
メイトリッツにはない視点であったが、サアヤの徴兵に関しては軍事機密を扱う研究である為に詳しい経緯が不明瞭なままであった。技官達にも徴兵の経緯や、それを実現した関係者を知っている様子は見受けられない。
「まぁ、栓ない事だ……シラナミ少尉。貴官はどうしたい? それが全てだ」
酷な事を聞く、とメイトリッツは思うが、天帝に直訴できたならば現状を変えられる事も確かであると、戸惑うサアヤに対して深く頷く。
「……家に帰りたいです。お母さんに会いたいです」
「……では、その様に取り計らおう」
僅かな逡巡の後、トウカは同意する。
メイトリッツも好機とばかりに念を押す形で尋ねる。
「宜しいのですか?」
「貴官は、現在の皇国が小娘まで戦場に出さねばならない程に逼迫している様に見えるか?」
問い掛けに問い掛けで返されたメイトリッツは思わず返答に窮するが、それもまた事実であった。国難に備えた法を、国難ではない状況で運用する以上、それは趣旨に反する。トウカとしても退けるだけの理由には成り得た。
「なに、その娘が戦場に居らぬ分は、余が上手く敵を戦略的に追い詰めればよい話に過ぎん……しかし、貴官は、その娘を随分と心配しているのだな」
「この艦の士官も兵士も、落ち込む娘を座視する面々でない事は誇りとするところであります」
乗組員の多くが心配していたと示し、翻意し難い様に動いたメイトリッツにトウカは苦笑を零す。
「要らぬ心配だ。だが……」
トウカは、興味深い、とシラユキを抱き上げる。
「一定以上の予算が投じられている計画書に目を通した記憶はあるが……機密とは言え、些か厳重に過ぎる。誰かの恐怖か或いは……」
軍事機密が厳重に過ぎるのは致し方ない事であるが、それを最高指導者である天帝がロするという事に、メイトリッツは驚きを示す。
権能によって記憶化された計画書を閲覧した情報照会に於いても不明瞭な点が多いという事は、情報として軍中央に挙げられていない情報が存在するという事である。メイトリッツは知らぬ事であるが、トウカはこの点を問題視した。
「或いは?」
「愛だろう」
トウカは吐き捨てる様に断言した。
愛とはそうしたものである。
対象の自他関係なく、独り善がりで個人の感情に根差した最大級の悪意である。
「委細、承知した。貴官に今一度故郷の土を踏ませてやる」
トウカはシラユキを抱え、羽織った旭日の色をした片外套を翻す。
侍女やマイカゼが後に続き、メイトリッツも一瞬の逡巡の後、それに続く。
メイトリッツには予感があった。
碌でもない事になる、と。
しかし、即座に事が起きるとは考えていなかった。
通路に出て、 後甲板に戻ろうとしたトウカを呼び止める声。
「陛下。バーゲンベルヒ技術中佐であります」
「鋭兵、構わん。通せ」
短機関銃を構えて臨戦態勢を取った鋭兵達を制し、トウカが酷くうんざりとした表情で自身より背の高い鋭兵達が下がって行く光景を見送る。
「……どうか、御時間を頂きたく御座います」
片膝を突き、右手を左胸に当てた壮年士官。
技術将校である事を示す兵科章と、中佐の階級を示す階級章だけではなく、略綬を見れば実戦経験が相応にある事が見て取れる。事実、トウカも権能が、その壮年士官の戦歴が相当のものである教えているのか、眉を跳ね上げていた。
「立て。狭い通路で話のも不便だ……シラユキ、君はあの娘の下に戻るといい。菓子を届けさせる。二人で楽しむといいだろう?」
シラユキを床に下ろし、トウカがシラユキの頭を撫でる。マイカゼが頷いて賛意を示し、侍女は動き出したシラユキの背を追う。これで良いな?、そう尋ねるようにトウカは、立ち上がったバーゲンベルヒを一瞥した。メイトリッツは肺腑に痛みが走る。
「……御高配、感謝いたします」
「構わない。それに女ばかりの茶会も気を遣う。貴官も道連れとなれ」
中々どうして気の利いた言い回しだと思った様子のトウカだが、マイカゼとセルアノの溜息に、男女の数が是正されただけであるのに文句があるのかと首を傾げる。
メイトリッツは天帝尊崇の念を維持できなかった。




