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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》

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第三五〇話    〈グラーフ・ビットリヒ〉




「公試の結果に問題はない様だな」


〈グラーフ・カレンベルク〉型重巡洋艦の五番艦である〈グラーフ・ビットリヒ〉の後甲板から航跡を一瞥したトウカは、安堵の溜息を漏らす。


足元から伝わる主機の僅かな振動はトウカからすると心地好さを覚えるが、シラユキはトウカの軍用長外套(ロングコート)を掴んで離さない。


「じゅんようかん?」


「そうだ。巡航(クルージング)には最適の船だ」


 巡洋艦(クルーザー)だけに、とはトウカは口にしないものの、そうした冗談が祖国の海軍でよく口にされていた事を思い出して苦笑する。


 用意された席に座るトウカ。


 礼装の水兵に促されたシラユキも椅子を引かれてマイカゼの隣へと座る。トウカの隣席はセルアノだが種族的に大層と小柄である為、卓上の箸置きに座っていた。卓上の可憐な置物である。無論、口を開かなければ、という前提が必要であるが。


 着席を合図に軍楽隊の演奏が始まる。


 昼食は疾うに過ぎている為、間食という形で用意されている様々な菓子にシラユキが喜んで手を付けている。そんなシラユキの汚れた口元を拭くマイカゼという姿は微笑ましさすら感じる。周囲に控える水兵や鋭兵も何処か優しげな雰囲気を湛えている。


そうした中、セルアノが羊羹の銘柄を見て胡散臭い顔をする。


「銘菓、巡羊羹……聞いた事ないわね。如何わしい」


 周囲の水兵が苦笑する。


 皇州同盟軍水上部隊では比較的著名になりつつある銘菓であり、トウカは皇州同盟軍艦隊司令であるシュタイエルハウゼンと会議の場を持った際に御茶請けとして出された為、見覚えがあった。


「フェルゼン鎮守府名物らしい……戦艦二隻を手放した皇州同盟軍としては戦艦を宣伝に使えないという事だ」


 或いは余に対する当て付けやも知れないな、とトウカは肩を竦める。


 マイカゼとセルアノも釣られて苦笑を零す。


 トウカの命令により〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦二隻が海軍へと有償で譲渡され、皇州同盟軍は保有戦艦を全て失った。修理の負担や、そもそも補助艦艇の不足に苦しむ中、戦艦という金食い虫を運用する事は現実的ではないのは理解しているものの納得できないという皇州同盟軍艦隊将兵の細やかなる抵抗の産物。


 そうした噂が囁かれる話題の羊羹である。


「なんでも空母の飛行甲板を模した板を使用した蒲鉾も販売予定らしい」


 航空母艦を蒲鉾板と呼ぶのは、この世界でも定着しつつある。羊羹も蒲鉾もこの世界では特に神州国で盛んに作られ消費されていた。神州国系の者が比較的多いシュットガルト湖周辺でそうした呼び名が付くのは不思議ではない。


「商魂逞しい事だ。売り上げは軍の運営費に充てるそうだが……」


「軍の放出品は伝統的に課税対象外だから、そこに目を付けたんでしょうね」


 軍で旧式化した軽火器や備品などは放出品(サープラス)として民間に販売されており、その売り上げは軍の運営費の補填に回されるという流れは長きに渡り続いてきた。


「羊羹と蒲鉾が放出品ですか? 些か苦しいのではないでしょうか?」マイカゼの指摘。


 トウカとセルアノは顔を見合わせる。


 領主のヴェルテンベルク伯とは言え、軍敷地内での販売に関しての課税は難しい。領主からすると軍施設は軍領という名の治外法権である。


「作り過ぎたものを民間に放出するという建前らしい。確かに、どちらも軍内で食糧として使用されている」


「まぁ、大した金額でもなければ民間交流にもなるから御目溢ししてる感じかしらね」


 トウカとセルアノの黙認に、マイカゼは曖昧な表情をするしかない。


 その内、航空兵器の飛翔音を聞いて育った白米や、陸海空の三種類ありながら中身はすべて同じ味の饅頭なども出現しそうだとトウカは嘆息する。


「民間との交流は悪い事ではない。軍が閉鎖的となり、軍人が民間の感性と乖離する事は避けたい。交流行事には力を入れる心算だ。当然、軍内の環境改善の為、民間企業の参入が今以上に必要という事もあるが」


 銃後の軽視は銃後との接触機会の減少から生じる。軍民の意識の平準化こそが銃後の軽視を良く回避するという事もあるが、民間の軍への理解の乏しさもまた問題であった。


 民衆は軍が為せる役目を正確に理解していなければならない。過度な期待と要望は消耗や破滅を招きかねないのだ。


「確かに最近は軍から民間への発注が増加していると聞きます。人手不足が深刻ゆえかと思っていましたが……」


「保護領やエスタンジアからの出稼ぎ労働では間に合わないか」


 困り顔のマイカゼに、トウカは人口増加の難しさを痛感した。


 他国領土を切り取り、周辺国からも労働者を募っても、直近では足りない状況の完全な解決には至らない。無論、そこには経済発展の為の公共施設整備と軍拡に伴う軍需工場の増設を同時に行っているという部分も大きい。そうした部分を起爆剤として民間経済も軌道に乗り始めた。労働者不足は広い分野に波及している。


「だが、労働者に余剰が生じた場合、労働力を安く買い叩く動きが生じかねん。余剰よりはマシだろう」


 失業者という社会不安を招く不確定要素を生じさせない事は国家指導者の器量が試される場面である。現状、対帝国戦役を利用した空売りにより莫大な資金を手にしている為、余剰の労働力が生じても国家事業計画を前倒しにして労働者の受け皿を用意する事は難しくない。


「試算させたが、来期は国家全体で四〇〇万の労働人口の不足が生じるらしい。当然、現在の計画上の出稼ぎや移民、新領土からの流入を含めても、だ」


 トウカとしては頭の痛い問題である。


 将来の発展の為に必要とされる公共施設(インフラ)整備を国内各地で開始したが、既存の計画や構想と重複や衝突する事で計画の立て直しを迫られた事業を除いたとしても、広範囲に渡って労働者不足を生じる事が明白となりつつあった。


 挙句に軍拡である。


 軍の求人まで踏まえれば、労働者不足どうにもならない水準となりつつあった。軍の工兵師団までも公共事業に投じている有様で、経済界と陸海軍府の軋轢すら生じている。


「無理に保護領から働き盛りを徴用する真似は許されない。後の禍根は軍事費になって跳ね返ってくる。あくまで賃金や優遇を以て自発的に就労に望む形でなければ」


「皇国の労働環境と賃金を知れば、更なる労働者の流入を期待できるでしょうけど……それでも、不足しているわ。何処かから労働者を獲得する必要があるわね」


 セルアノは保護領からの徴用を主張したが、これはトウカが真っ向から否定した為に頓挫した。余りの剣幕に枢密院の議決まで進まなかった程である。


 去りとてトウカにも言い分はある。


 祖国がそうした徴用問題で揺れていた為である。


 他国の者を過去に徴用した話が蒸し返されるならば黙殺すればよいが、大東亜共栄圏から大日本皇国連邦という連邦国家への変遷を巡る中で状況が変わった事が話を複雑にした。


 皇国臣民は皆が陛下の赤子である。


 そうした建前の下で連邦国家としての形成を図った以上、日本人とそれ以外の構成国の戦傷者や軍事産業従事者の保証に差がある事が後に問題視された。


 国会は大いに荒れたが、連邦国家としての一体感を必要とする段階で黙殺できる話ではなく、受け入れざるを得なかった。しかし、その予算は莫大であり、禍根は後々にまで残る事となり政治家に死者が出る事件も発生している。


 利益で釣る事は良いが強制であってはならない。


 それはトウカの判断であった。


 長期的見て不利益となる。その不利益が直撃する時期に、皇国がその金銭的不利益を国家予算に占める割合として許容できる保証などない。奇怪な事であるが、トウカの行使する軍事行動はトウカの想像を超えて周囲に万能の杖という認識を与えていた。セルアノでさえも例外ではない。


 吹き出た異論など天帝が軍事力で封殺するだろう。


 そうした期待が朝野に満ちている。


「新たな保護領を用意する。幸運な……いや、不幸な事だが……」トウカは言い淀む。


 リシアとクレアの独断専行が捻じれに捻じれて要らぬ軍事行動が発生しかねないという点は、二人の生命に関わる話である為、トウカとしては断じて有耶無耶にせねばならなかった。天帝を通さない軍事作戦を意図したという捉え方をされては死を与えるしかない。


 そうした状況下で部族連邦やその先の連合王国に対する”保護占領”の必要性が生じたことは僥倖であった。


 トウカの命令によってリシアとクレアが動いたという方便を形成し易くなる。


 ――リシアは軍事作戦の交渉に協商国へと向かったと誤解されるだろうが……問題はクレアか……


 トウカはセラフィム公ヨエルという立場で義娘の折檻を権力者がどう捉えるか測りかねていた。クレアをヨエルが罰した事で天帝であるトウカと宰相であるヨエルの合意形成が図られていないと見られる事を、トウカは尤も警戒している。不用意に政治的間隙を作るべきではなく、現状では明確に支持する立場を取っている権力者が少ない以上、配慮は当然と言えた。


「皇国での労働に更なる付加価値を付けるべきだろうな。金銭以外も重要だ」


 将来を見越すならば、労働環境の改善は必須である。


 実はグレーナーを相手に輸送箱での輸送を主体とした流通網の形成に関して強引な姿勢を見せたのは、そうした部分もある。各種輸送に於いて積み替えの主体となる荷役などを含めて関係者を一〇〇分の一以下にまで圧縮できるという試算をトウカは弾き出していた。物流それ自体の増加を見越している事もあるが、物流分野での労働者の削減は他分野に労働者を転用できる。利点は大きい。


 そうした効率化は各産業や農業でも同時多発的に行われており、トウカが即位以前より指示していた田植え機や稲刈り機の研究開発も試作が開始されていた。


 トウカの計算を他所に、セルアノは厳しい指摘をする。


「それはヒトの意識が追い付いていかないと難しいでしょう? 法を作っても、それを守るのはヒトなんだから、守れるように配慮しないと」


「有機生命体は行動を定量化し難くて困るな」


 何処かに機械の身体を無償で永久貸与する懐の広い国家はないものか、とトウカは嘆息する。セルアノは、電気代と定期整備費用について考えたくもないわね、と鼻で笑った。


 ――取り得ず、労働者が余り始めるまでは、この状態で進めればいい。


 現状、大きな不足を見ている労働者だが、一転して市場が労働者の不足を認識した場合、恐慌が発生する可能性がある事は歴史が証明している。


 解決策は戦争である。


 大量生産と大量消費の極致。


 無論、最上は当事者ではなく、遠方の戦争に生産物を供給し続ける立場である。何も自らが戦争に於ける当事者となる必要はない。


「兎にも角にも、銭で釣れる労働者は年内に用意する。ただ、部族連邦の労働者を受け入れる際に言語や習慣で混乱があったと聞く。各労働環境に合わせた手順書を作らせるべきだろうな」


 保護占領という建前を皇国臣民が受け入れた手前、差別意識などが顕在化する例は少ないが、労働に於ける成果や習慣の差からそうした感情が生じるのは明白であった。


 ヒトは区別する生き物である。


 そして、他者を非難する際に区別を差別と呼ぶ。


 統治者としては差別や区別の境界線など、国益を毀損しない形であれば十分であり、 定期的にその境界線を動かす事も吝かではない。


 だが、同時に区別(差別)された結果として生じる複数の集団間の経済的格差は最小化する必要があった。結局のところヒトは金銭的な格差を最重要視する。そうでないにも関わらず、差別と区別の境界線を積極的に動かそうと試みる者が居るならば、それは何処かに利権構造が潜んでいるに過ぎない。


 トウカとセルアノは頷き合う。


 労働者の手当ては目途が付いた。


「シラユキ、今の会話を理解できたか?」


 教育の場でもある。子供の情操教育に悪いのは疑いないが、それはトウカに求められているものではない。組織を統率する為の教育を要求されているとトウカは見ていた。


「うーん、ごはんつくるヒトがすくないからゆうかいしてくるの!」


 酷く直截的な意見にトウカは鷹揚に頷く。


 農業面での労働者不足も顕在化は免れない。経済が上向けば出生率が上昇し、移民も増加する。人口はどうしても増加する上、切り取った帝国南部を食糧によって分断統治するには相当量の増産が必要であった。


「大筋に於いて間違いはないな」


「政治家として期待できるわね」


 トウカとセルアノは素直に感心する。対するマイカゼは曖昧な表情であった。


 トウカは、母狐がトウカの教育方針に必ずしも納得していないのだと緑茶を啜る。


 教育方針に意義があるなら行儀見習いなど止めておけばいいものを、とトウカは思うが、それを口にしてしまえば揉めるだろうと話題を変える。


「そう言えば、この艦には遥か遠方を見通す権能を持つ少女が乗艦しているらしい」


 それは、トウカも乗艦するまで知らぬ事であった。


 そうした権能を利用した素敵手段の確立という研究名目で予算が組まれ、運用への試行錯誤が海軍と皇州同盟軍艦隊で続けられているが、トウカまで上奏される程の予算規模と案件ではなかった。


「千里眼……此方では天眼というそうだが、その娘を利用する形で索敵を行うらしい。色々と制限はある様だが」


 島嶼部や海岸沿いでは障害物が多い為、索敵に漏れが生じるが、広い外洋では相当の発見率を実現できる為、海軍などは神州国海軍がこれを既に実用化していると見て警戒していた。将来的にはトウカが求めている誘導弾の誘導方式にも利用できないかとの議論もある。同乗する技官の話をトウカが聞いた限りでは利点ばかりであった。


 ――まぁ、天眼という先天的資質に依存した兵器大系など論外だが。


 人口比率で見た場合、天眼の保有者は極僅かで、現状でも主力艦に搭乗させ得るだけの人数を確保できていない。有機生命体の資質に依存した兵器大系の中でも特に致命的な類の研究であるとトウカは見ていた。


 しかし、中止はさせなかった。


 海軍関係者がトウカの見ていないものを見ている可能性がある。将校とは国家の俊英であり、文武に優れた者達であった。それれらが研究対象として俎上に上げる以上、相応の理由があると見るべきであった。


 ――まぁ、一艦隊につき一人か二人を配置できれば十分とでも考えているのだろうが。


 高性能の金絲雀(カナリア)という程度の扱い。


 電子的、魔術的な索敵網に、更に多層化を意図して加えるという事は十分に考えられた。


「かなりの距離を素敵できるそうだ。空中と海上、海中を問わず。海軍がその軍事利用を提案した。その辺りの異能を保護する役目を自認する神祇府は大層と抵抗したがな」


 日本海軍が運用する八九式広域防空機構、八咫鏡(イージスシステム)と同等の索敵範囲を術者によっては持つという眉唾な話にトウカは呆れていたが、年頃の少女を動員しなけれならない程に海軍が焦燥感を抱いている事は重く受け止めていた。


 ――神州国海軍の存在感ゆえだろうな。


 トウカは然して存在感を感じていない。皇国が大陸国で、艦隊は上陸できず、神州国本土を封鎖できる潜水艦隊の編制を予期している為である。


 だが、大部分の海軍軍人はそうではない。


「年若い娘らしい。シラユキほど幼くはないが幼年学校を繰り上げ卒業させたらしい」


 かなり強引な動きであり、トウカとしては特殊技能を有するからと子供まで動員するのは、学徒動員を思い起こさせる為に気分の良いものではなかった。交戦状態に陥っている訳でもない時世であれば猶更である。


「おともだち?」


「? ああ、そうだな。会いに行くと良いだろう」


 言葉足らずであっても、望んでいる事を察する程度には、トウカもシラユキという幼女に慣れてきていた。立ち上がったシラユキを見て、トウカは侍女と背後の水兵に案内と世話を命じる。


 駆け出したシラユキ。


 微笑ましい光景であるが、甲板上は障害物が多い為、慌てて侍女が抱き上げる。マイカゼは溜息を一つ。


 淑女の振る舞いを覚える精神年齢ではないとトウカは考えるが、貴族社会に足を踏み入れた天狐族の苦節を思えば嫡子の振る舞いまでにも神経質になる心情は分からないでもなかった。新参者とは分野を問わず警戒されるものであり、ましてや権力の世界では猶更である。挙句に背後には最高指導者が控えていた。恐怖も嫉妬も羨望も最高潮であるのは疑いない。


 トウカは、マイカゼを嗜める。


「良いではないか。自身の望む歩みで世の理を学んでいけばいい。余も伯もその程度の時間をあの娘に与えるだけの力量は持ち合わせている筈だ」


 母親の心情を推し量るべくもないが、皇国の権力構造に於いて後れを取る余地は二人共減少しつつある。権力基盤は形成されつつあるのだ。


「いいえ、そういうものでは……視点や振舞の話ではないのです。母とは何時だって娘の幸福を願う生き物で、その幸福の可能性を一つでも多く掴めるように在って欲しい。これは欲目なのですよ」


 願い、祈り、想う。


 それは事実を超えて無条件に相手への期待を望む。それは時に悪しき状況を生じると知っても尚、止め得ない。母から子へとなれば猶更である。


 心得違いをしていたか、とトウカは、真に親心とは難解であるなと瞳を眇める。


 トウカの父母は特異な人物であり、一般的な感性を持ち合わせていたとは考え難く、それはトウカですら容易に判断できた。


「余は物心付いた時には父母など居なかったし、それを不幸とも悲しいとも考えなかった。しかし、思い返してみれば……いや、居ても面倒なだけか」


 どう考えても不良債権であった。存命であれば、国を糾す前に身内を糾す必要に迫られた可能性とてある。無論、祖父が先に締め上げる可能性が遥かに高いが。


「またその様な事を」マイカゼは眉を顰める。


 去りとてトウカとしては、父母の人間性が歪である事は明白なので、マイカゼの一般的な感性に同意しない。一族揃って碌でもないのは歴史が証明するところであった。


「そんな男に娘を預ける伯もまた悪い女だと思うがな」


「同感ね。ヴェルテンベルク伯が浮いているのは半分は自分の所為よ」


 トウカとセルアノは、揃ってマイカゼのシラユキに対する仕打ちを非難する。半分は面白がっての事であるが。当然、自身がシラユキに極端な姿ばかりを見せている事は二人して考慮しない。


 マイカゼは、その姿に尻尾を丸める。


「行き成り貴族にされて貴族社会に馴染めない女にその様な仕打ちを……」目元を隠したマイカゼ。


 トウカとセルアノは、一転してうんざりする。


 マリアベルを彷彿とさせる振る舞いではないが、貴族社会に馴染めないのではなく、馴染まないという点は同様であり、断固として独自勢力を維持しようとする動きはマリアベルを思わせた。


 実情として、当代ヴェルテンベルク伯は皇国政治から未だ孤立気味の北部貴族からすらも改善傾向にあるとはいえ、未だ孤立している。


 どの様に遇すれば良いか困惑している中で、マイカゼ当人が姿を見せず、トウカが北部発展の音頭を取っている印象が強い為に重視されていなかった。家臣団もマリアベルの発展計画を重視しており、マイカゼの復興計画という色は薄い。


「踏み込んだ動きをして睨まれたくないのだろう? 家臣団との軋轢を避けて時間を掛けて取り込みを図りたい」


「予算は何処かの天帝陛下が湯水の如く出してくれるから復興と発展で取捨選択をする必要もないから軋轢も出ない。楽な領主よ」


 トウカの指摘に、セルアノが莫大な予算を揶揄する。


 国家予算ではなく、対帝国戦役時のトウカ個人の利益を用いている為、そうした主張は必ずしも正鵠を得ている訳ではないが、セルアノとしてはそうした資金も国家の発展の為に用いたいとの意向があった。


 これにはトウカも反論ぜざるを得ない。何もマイカゼを優遇している訳ではない、と。


「ヴェルテンベルク領……いや、シュットガルト湖周辺の発展は御国の大事だ。地政学的に見ても有益であることは間違いない。無論、国防上の観点もある」


 浚渫と河幅拡張も開始されているシュットガルト運河は運用上の欠点を克服しつつあり、地形的には防壁にも成り得る。周辺地域に幾つもの航空基地が造成され、稼働も始まっていた。濃密な防空網と各種攻撃騎の展開する空域を地上軍や艦隊が通過する事は容易ではない。


「実情として、沿岸の工業地帯と海軍施設は纏めざるを得ない。我が国には未だ沿岸部を確実に防護できるだけの戦力を有していない。よって防衛目標も集中させる事で戦力分散の愚を犯す真似を避ける」


 シュットガルト湖は相応の面積を持つ為、工業地帯と海軍施設を分けられているが、艦隊の航続距離からすると至近と言える。


 現実的な妥協案としてヴェルテンベルク領を含むシュットガルト湖周辺の開発計画があった。マリアベルやマイカゼへの忖度ではないが、トウカの立場から負い目を感じていると見て厚遇されている理由と考える者も少なくない。


「常に戦争を考えているのは不利益が大き過ぎるわ。もう少し避け得る戦争は避けるべきよ」


 戦争を考えず、ただ利益の為だけに国家予算の運用を最大化するというのは、確かに迅速な発展と利益を齎すが、有事の際にそれを帳消しにするだけの被害と不利益を齎す。特に技術発展著しい今後は、その傾向が顕著に表れる。セルアノはそうした趨勢を想定していない。


「兵器は進歩する。更に国土に被害が及ぶ兵器を各国が有してから戦争という事業に立ち向かうよりも、現状で敵対的な国家は早々に潰しておくべきだ。そして、強大化する我が国に掣肘を加えようと試みる国家も必ず現れる」


 トウカの良く知る歴史的事実である。


 セルアノもそうした事実は理解している筈であるが、それが生じる速度が近代化によって著しい加速を見る事は理解していない。


「経済的に取り込めないの?」


「それに成功したら、その国は乾坤一擲で軍事力を用いた現状打開を目指すぞ?」


 内政に失敗した国家の乾坤一擲の行き着く先など戦争しかなかった。国民の権利が拡大する近代であっても例外ではなく、そこに多数という英邁は発揮されない。生かさず殺さずを他国に行える匙加減を永続的に持ち得る国家なぞ存在しない故に、行き着く先は結局のところ戦争となる。


 マイカゼは問う。


「我が領は、その最前線に立つ定めという事でしょうか?」


 地政学的要衝を任された以上は避け得ない運命である。


 天狐族の政治参加の動きが生じつつあるのは要衝の領主であるマイカゼの手腕によるところであるが、その肩書を利用する以上、その義務も果たさねばならない。義務と権利は表裏一体である。


 トウカは鷹揚に頷く。


「余と共に、な」


 トウカは義務を果たす。


 峻烈なまでに。


 結局のところマイカゼに選択肢はない。






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