第三四五話 職場見学
「大風呂敷を広げたものだな」
トウカは海軍府長官であるエッフェンベルク元帥からの最終報告に苦笑を零す。
リシアが広げた大風呂敷であろう第三国への干渉という名の期待。
情報漏洩ではなく、尤もらしくあり得るかも知れない未来を他国の大使を通して第三国に吹聴した結果生じた、その期待の矢面に立つ海軍は顔面蒼白であった。
第一報を受け、トウカに”海軍は何処まで可能か?”と尋ねられたエッフェンベルクは、それを若手将校の間で流行している冗談の類だとすら考えた。隣席に座する陸軍府長官ファーレンハイト元帥が、皇国近海であれば航空艦隊の増強と索敵網の拡充で抑止力を実現する事は可能でしょう、と脂汗と共に答えた事でエッフェンベルク現実に引き戻される事になった。
そうした事実を知らぬトウカだが、エッフェンベルクに対して寛容であった。
慈愛の笑みで”ハルティカイネン大佐の腹を掻っ捌けば、答えが出てくるかも知れませんね、などと宣う熾天使渾身の冗句という名の配慮の結果であるとエッフェンベルクは確信しているが、それもまた本心であるとは当人の与り知らぬ事であった。
「負担は増えるが、それに立ち向かうだけの予算と準備は保障しよう。だが、最悪の状況に備えた計画は軍令部に策定させよ。海軍に無理をさせるだけの経済的利益があるならば為さねばならない」
困難は理解するが十分な予算を用意するというトウカに対して真っ先に賛同したのは、意外な事に大蔵府長官であるセルアノであった。平時が一〇年あれば新たな商用航路で海軍増強分を補い得ると見ており、商業機会の創出に対して前向きである。
トウカは、こうした事実を鑑みて量産性に優れる護衛駆逐艦とその旗艦を担う大型巡洋艦の大量建造に踏み切る意向であった。
その二種類の艦艇は共和国や協商国への売却も想定されている。
民間造船所でも建造できる船体設計による短期間での大量建造と輸出は勿論、高速輸送艦や巡視船などへの転用も期待されていた。セルアノは御満悦である。
「下がってよい。ああ、艦政本部から艦艇の草案が完成次第、此方にも送って欲しい。 過剰な装備や構造は困るからな」
トウカはエッフェンベルクを下がらせると、壁際の時計を一瞥する。
落ち着かなかった。
トウカは、ちらり、と腕時計を一瞥する。
時間は変わらない。
「時計の針は俺に忖度しない。携帯端末が登場したならば廃れる癖に生意気な」
腕時計を外したトウカは屑籠に投げ捨てる。
扉を叩く音。
「どうぞ」
命令口調では委縮すると、 トウカは柔らかな表現を使う。
「失礼します」
ミユキがロンメル子爵家の侍女として雇用した女性が入室して一礼する。金髪碧眼の美しい娘である。所作を見る限り、明らかに一般市井の出身ではないが、ミユキとの関係は良好であった事からトウカは過去を詮索する事はなかった。統合情報部が勝手に調査しているであろう事も同時に察していたが。
ミユキが去った後もロンメル子爵家に仕え続け、マイカゼやその家族とも良好な関係である為、至誠の人物という評判を得ている。
「シラユキ様をお連れしました」
侍女の腰にしがみ付いた小さな狐娘の姿に、トウカは頭を掻く。
「嫌われてしまったか?」
「いえ、照れておられるのです」
そう言われては、どの様な表情を見せて良いか分からないトウカは執務椅子に座り直すしかなかった。
「年頃なのです」
「……そういうものか」
理解の及ばない年齢……長命種である為に外観と精神年齢の差異がある場合もあるが、今回は外観通りの精神年齢の人物である。
「シラユキ 来なさい」トウカは応接椅子へと移動する。
呼ばれた小さな狐娘……シラユキはトウカへと駆け出す。
そして脇腹に突き刺さった。
トウカは背凭れに押し付けられながらもシラユキを全力で受け止めた。引っ繰り返るという無様を晒すのは天帝の風評に差し障る。
女性らしく御淑やかに、とはトウカも言わない。ミユキは在るが儘が最も煌めいていたし、何よりそれができる狐ではなかった。魅力も振る舞いも千差万別。無論、それによる評価は当人が甘んじて受けねばならないが、幼娘にそれを声高に要求する者が常人である筈もない。
「では、陛下。私は隣室で控えて――」
「――その、なんだ。君に居なくなれると、困る。武辺者と幼娘を二人にされては……」
異性の行動原理すら理解が追い付かないトウカにとって、幼少の異性の相手など自信がある筈もなかった。言葉少なにシラユキに話しかけるトウカの姿に、リシアなどは出征から帰ってきた不器用な父親が必死に娘と意志疎通を図ろうと試みているとすら評している。同席したクレアも嫋やかな笑みでそれを否定しなかった。
「御下命に従います……しかし、陛下。その様な言葉で女性を呼び止めては誤解を招かれますよ」
「……ああ、そうだな。気を付けよう」
のそのそと自身の膝上に座したマイカゼの頭を撫でながら、トウカは忠言を受け入れる。 自身の女性関係が複雑化しつつある事をトウカも自覚しつつあった。隙を晒すな、誤解を招くな、という忠言は尤もである。
「さて、職業見学という話だったな……」
マイカゼから苦情……要約すると、うちの娘を放置してるんじゃないの?んん?という突き上げを受けがあった。よってトウカは渋々それらしい動きをする事にした。
トウカは当初、天帝との個人的関係を周囲に示す為の建前なのだから、行儀見習いをさせるだけでも十分なのではないかという主張を展開した。寧ろ幼い内から家族と離れて生活させるのは哀れではないかという道徳的妥当性を添えて。
完封し得る論説である。
トウカはそう考えた。
しかし、マイカゼは、では娘共々陛下の御傍に侍る許しを頂ければ、と応じた。多くの者が参列する上奏の中で。返り討ちである。
同席していたレオンハルトなどは呵々大笑であった。娘の教育を間違った公爵その2に、自身の娘ができる前から笑われるなど屈辱の極みであると、トウカは大いに慌てる。
死した女の幼妹と母親を侍らせるなど鬼畜の所業であるという感性程度はトウカも持ち合わせていた。種族的差異からなる奇異な関係が国土に広く分布する皇国であっても、そうした振る舞いは……特に未だ内戦から然して時間が経過していない中では国民から失望を招きかねない。トウカとしては頷けない話である。
実際、失望どころか、後日の新聞に面白可笑しく書き立てられて、どちらにせよ相応の精神的被害をトウカは蒙る事になった。国民は良くも悪くも、そうした話題を楽しんでいた。
トウカの良く知る権威は、その時、不在であった。
そうした経緯もあって、トウカは……枢密院は職業見学という提案をした。その様な議題を国家の最高会議に諮ったトウカの権威は大いに損なわれた。少なくとも当人はそう考えていたが、枢密院関係者は人間らしい一面に陰で安堵している。
「しかし、天帝が職業とはな……」
枢密院でシラユキを利用したマイカゼへの印象向上を諮るに当たって、職業見学という提案が早々に俎上に上がったが、天帝は職業なのか?という疑問がベルセリカから呈された。重箱の隅を突く話であるが、其々の立場で其々の扱いを受けている事が表面化された一件でもある。
法務府長官曰く、法的には国家指導者は職業、との回答を得ているトウカだが、客観的に見て権威主義国の国家元首というのは幻想や神秘を纏う権威者でもある。形なき権威が尊崇や忠誠の一翼を為している事は否めない。後日、大御巫であるヒミカからは、法的妥当性には配慮しますが、敢えて口に出すのは止めていただきたい、という苦言もあった。法的職業基準という現実感は、宗教的定義という神秘性を毀損する為である。
法律上の区分として分類するのは政治学的に見て正しいが、権威的、或いは宗教的に見た場合は異なるという見本である。
ちなみに陸海軍の両府長官は閲兵式を希望したが、大蔵府長官の極まった表情の前に砕け散る事となった。
「今日の公務は……公共施設の計画確認と視察か」
「こーきょーしせつのけいかく?」
祖国では大の大人ですら軽視する者が多い案件を、幼娘に理解させねばならないと、トウカは頭を掻く。
「主に道路や鉄道、図書館などの皆の生活を便利にするものを作ったり直したりする仕事の事だ」
練石からヒトへ、などと御高説を垂れ流す者は、大抵が天下り組織の設立を試みていると見るトウカは、職業訓練所は国営でする、と応じて譲らなかった。その影響もあり、不明瞭な支出も減少し、国土開発は加速している。
国営であれば、トウカの命令系統に明確にある為、柵を気に留める必要に乏しい。幾つかの民間組織を挟んだ組織に物事を任せる程にトウカは無能ではなかった。右へ左へと話を逸らして非効率な事業を続ける面々に対し、トウカは実力行使も厭わない。
独立法人なども、明らかに国益に資するとは言えない内容のものは一切の減税措置を認めず、予算の割り振りも認めなかった。認めた独立法人にも大蔵府や憲兵隊による厳しい監査が行われており、一部では”死亡事故”も起きている。
「ロンメル子爵領の港も公共事業で作られている。皆がより効率的に、格差なく過ごせるように、だ……そうだな、遠くに住む今はまだ見ぬ友人が同じ飯を食えるようにする為、と言ったところか」
実際、ロンメル子爵領は規模が小さい為に領地の整備が遅く、これに業を煮やしたトウカがシュットガルト湖の商用航路保全の為の巡視船部隊の拠点という名目で造成を行った経緯がある。地方貴族の領地に国家予算を投じる以上、相応の体裁が必要であり、実際に北部の発展に於いてシュットガルト湖やシュットガルト運河の航路保全は喫緊の課題であり続けていた。
「じゃあ、遊園地もつくれる?」
「それは……勿論だとも」
シラユキが潤んだ瞳で膝上から見上げてくるので、トウカは耐えられず安請け合いしてしまう。精神凍結を貫通する純真無垢。しかし、運悪く扉を叩く事もなく入室してきた大蔵府長官のセルアノが、死後三日経過して腐臭を放ち始めた魚類の目でトウカを見つめていた。
小さな妖精が執務室を無気力に漂う。
あー、いけません天帝陛下、よさんぶそくですー。
広大な土地に量産性に乏しい遊行機械の数々。税収に寄与しない施設の造成に対してセルアノが納得するはずもなかった。行き成り巨額の予算が生じると判明し、それを捻り出さねばならない可能性が生じた事に対しての反応としては大袈裟なものと言えなかった。
しかも、皇城府の予算まで当てにして予算計上しているセルアノが相手では、天帝であるトウカの身銭で行うという理屈は通じない。トウカは全力で理屈を捻り出す必要に迫られた。
「これからは、北部の人口も増加に転じるだろう。そうした施設は必要だ」
「そんなものは、人口が増えれば金になると考えた企業が勝手に始めます。捨て置けば宜しいのです。そもそも、本格的な人口増加の軌道に乗った訳でもない中で、そうした子供が斯様な遊行地望む年齢になるまでには更に時間を要するかと……どう考えても時期尚早です。そもそも、作るとすれば郊外ですが、そこに新たに鉄道や道路を引き込む予算は国土開発府の――」
そもそも、を連呼するセルアノ。一々尤もである為、トウカも反論し難い。
「――いや、そうだ、誘致だ。その手がある。未来ある子供を育む施設だ。喜んで協賛に応じる企業や貴族も多い筈だ」
金がないならば、ある所から毟り取る……寄付金を募るしかない。
かくして国内企業や貴族に無形でありながらも尋常ならざる圧力が加わる事になった。
トウカとしては通信販売大手を通信事業に参入させて個人の通信費を国家予算を然して使わずに切り下げた挙句に、梯子を外して通信販売大手から大層と恨みを買った禿の例を知るので協賛企業には十分な利益を与える心算であった。
そして、領地復興を名目にマイカゼは一銭たりとも拠出しないにも関わらず、子供向け遊行施設の建予定地としてヴェルテンベルク領を選定させる事に成功する。
シラユキに入らぬ話を吹き込んだのは、マイカゼであったとトウカが知るのは後の事である。
そうした和やかにして巨額の費用を巡る会話を続けながら、トウカ達は執務室から移動を開始する。
執務室前で待機していた鋭兵小隊が敬礼と共に四人を迎え、隊伍を組んで警護を始める。
アルフレア迎賓館から、アルフレア離宮へと名称を変えた居城に背を向け、トウカ達は装甲車輛へと分乗する。
合計六台の装輪式歩兵戦闘車は外観は変わらないが、内装……座席だけはトウカと要人が乗る車輌のみ振動に配慮したものとなっている。車輛の外観が同様なのは暗殺を意図した襲撃の際、容易に目標を選定させない為であった。車列の位置も日々不規則に変更された。空間投影で映し出される外の光景が視界を確保する為、操縦者以外も容易に外への視界を確保でき、シラユキは流れて往く建造物の光景に興味津々である。
「首都としては十分な規模だと思うのだがな……」
「それ、まだ言われるのですか?」
しつこい男、とセルアノがぼやく。鋭兵もセルアノの暴言を咎める事も驚く事もない。 慣れである。
トウカは、枢密院会議でフェルゼンへの遷都を主張したが、枢密院は権威的、宗教的、伝統的理由を背景にこれをトウカ以外が一致して退けた。余りにも不確定要素が多く、トウカは最終的に皇都に帰還せねばならないというのが枢密院の主張である。
ベルセリカですら、軍事施設の多いヴェルテンベルク領と首都の結合を図るのは有事の際の危険 を無視できないと発言した。平時でも軍事施設の乱立による正常な都市発展が見込めない事も挙げ、反対の構えであった。
そうした反対は穏当なものであった。
慎重な言葉を選択する者が多い。
トウカは直截的な物言いの者を多数、枢密院や各府の長官に抜擢したが、そうした者達ですら大いに配慮に満ちた発言をした。
無論、その意図を端的に汲み取るだけの知性をトウカは持ち合わせていた。
言葉に装飾は不要だと考えるトウカだが、枢密院会議の各府長官達がトウカがヴェルテンベルク領に固執する理由を察して……大いに誤解しての発言だと見て断念した。
トウカがヴェルテンベルク領に固執するのは、ミユキやマリアベルの最期の地であるからである。
そうした誤解がある。
トウカとしては、反乱や非常時に備えて首都機能は大規模軍事拠点と結合しているべきだという発想と、可能な限り帝国侵攻時に距離の近い拠点から国事を行う事で、国民の支持が戦争によって損なわれないようにする為の印象付けの一環であった。
トウカは国民を信用しない。
不特定多数という隠れ蓑と、それらしい夢物語を背景に国民は無責任を望む。不明確な状況、或いは負担が増したと見れば、容易く意見を翻す事は疑いない。よって国家指導者は常に国民に夢を見させなければならず、最終的にはそれらしい利益を与えねばならなかった。
それ故の危機感であり、そうした視点から首都機能を信頼の於ける戦力が展開する軍事拠点がありながらも、責めるに難く守るに易いヴェルテンベルク領フェルゼンを望んだ。
最悪の状況への備えと、勇ましい夢物語。
それを求めての遷都であった。
しかし、枢密院は心傷のトウカを慰めるかの様に言い募る。
流石のトウカも長々と自身と枢密院の時間を費やすべきではないという諦観と、皇国臣民の拒否感と不安という点を枢密院の面々に見た為、断念すると言わざるを得なかった。
「せんと?」
「そう、遷都だ。国の中心を変える事だ」
禿頭に鹿の角が付いた変質者ではない、とトウカは胸中で囁く。
「凄くお金の掛かる引っ越しなのよ」
「あたらしいおうち?」
ざっくりとしながらも恣意的なセルアノの説明にトウカは辟易とする。酷い印象操作である。
「立派なおうちがあるのに、新しいおうちに住みたいって陛下が我儘を言うから皆が困っちゃったの」
「政戦上の理由だが?」
奥様が高層建築物 (タワーマンション)に住みたいと駄々を捏ねるかの様な物言いには一分足りとも正しい部分がない。トウカは酷くうんざりとした。
天帝として敬えなどとは思わないが、シラユキの前では相応の人物に見られる必要性……義務があるというのがトウカの考えである。少なくともミユキの恋人が相応の人物であったという印象は、僅かなりとも慰めになるというのがトウカの願望であった。
「煮込むぞ?」葡萄酒で。
「妖精虐待よ!」幼女の前で。
トウカはセルアノを鷲掴みにする。
体温は低く、翅は透明感があり、人形の如き容姿も相まって人命を文字通り手中に収めているという感覚はない。去りとて頑丈である損壊し難い妖精系上位種である為に容赦はなかった。
「ひどいことしちゃダメです」
「これは挨拶だ。君もするといい」
加害者側の論理を振り翳し、トウカはセルアノをシラユキへと差し出す。
案の定、シラユキはセルアノという摩訶不思議生物を両手で揉みくちゃにし始める。子供の好奇心は時に残酷であった。
セルアノの悲鳴を聞き流し、トウカはシラユキを眺める。
ミユキの幼少の姿がきっとこうであっただろうという体現に思うところがない筈もない。自身が守れなかった事実を突きつけられている様であり、マイカゼにはそうした罪の意識に付け込む道具としてシラユキを行儀見習いとして送り込んだのだろうとトウカは見ていた。負い目は何時の時代も譲歩と妥協の原動力と成り得る。
生憎とトウカは、そうではなかったが。
寛容であっても、それは北部の有力貴族として遇しているに過ぎない。
現状、トウカに怯えて貴族から行儀見習いとして差し出されたのはシラユキのみであり、そもそも多数を受け入れいる体制などできていない為、十分な教育をできる筈もなかった。シラユキ一人ですら方針と体制が定まっておらず苦労している。
しかし、そうした状況であるが故に、多くの者が気に掛け、そして資源が集中した側面もあった。
信頼の於ける府に対して職場見学をさせたのだ。
これは意外な事に各府に大いに評判が良かった。
子供というのは取り入るにしては不規則に過ぎるが、トウカに近しい人物に好印象を与えておくのは大いに意義があり、尚且つそうした人物を預けられるというのは組織に対する信頼の証しという受け取り方もできた。実際はベルセリカが護衛についていたが、 自組織対する印象構築の取り組みの前では些事に過ぎない。
「先週の海軍府の見学はどうだった?」
独身のエッフェンベルクは大層とミユキを可愛がっていたと伝えられている。それは海軍広報を見ても分かる事であった。幼い狐娘を肩車する純白の海軍第一種軍装に身を包んだ小柄な名将という映像は大層と民間に受けが良かった。先々週の堅苦しい広報と比較された陸軍府の面々は大いに不平を口にしていたが。
「おっきな船にのったの。戦艦だって。 壊れたからなおしてるって」
聯合艦隊旗艦である戦艦〈ガルテニシア〉であろうと、トウカは察して鷹揚に頷く。
戦艦〈ガルテニシア〉は、南大星洋海戦に於ける被害の修理を最近になり開始された。航空母艦の新造や、補助艦艇の修理、巡洋艦や駆逐艦の対空兵装増強が優先された結果である。船足が遅く、どの道、戦艦の隻数では神州国海軍への勝利は現実的ではないという割り切りから海軍軍令部は、航空主兵を選択せざるを得なかった。
無論、トウカがそうした方向に追い込んだ側面もある。
基地航空隊……航空艦隊の拡充重視に舵を切ったが故であった。遠方海域で艦隊戦力のみによる敵艦隊の撃滅を諦め、本土周辺海域での接近阻止を行う。空母機動部隊も順次増強はするが、決戦戦力として成立させるのは一〇年後を見込む。
「まだ、ふねにいっぱい血がついてた。ゆうかんに戦ったんだって」
「……そうだな。勇敢な未来ある戦士達の血だろう」
海軍は中々に気の利いた教育をする、とトウカは胸中で称賛を零す。
実情と犠牲から目を逸らした逃げ腰の教育など、個人と国家の視点どちらから見ても長期的には不利益しかない。
トウカは権能によって、〈ガルテニシア〉が南大星洋海戦で艦隊旗艦として集中砲火を受けて一四二名の戦死者を出した事を確認する。
――大部分は後部艦橋と砲郭式の副砲での被害か。
後部艦橋は直撃弾で倒壊し、副砲群は軽度の装甲しか施されていなかった為、魔導障壁を貫通した敵戦艦の主砲弾を貫徹して大被害を生じたとある。
前者は兎も角、副砲に関しては重量配分の都合上、戦艦との砲戦に耐え得るほどの装甲化を施せない以上、それは予定されていた被害と言える。国家は戦艦が最大効率で戦闘を行う為に乗員の犠牲を織り込んだ。
国家という冷酷無比な統治機構が、合理性の権化たる国軍に求めるに相応しい兵器としての戦艦。
「君や君の日常を守る為に死んだのだ。追悼と花束を。それが良き臣民の振る舞いだ」
少なくとも中長期的に見て、その犠牲が国益に繋がるならば、とトウカはシラユキの頭を撫でる。
トウカはセルアノを回収して左の肩章に挟むと、そうした教育も必要だろう、とトウカは独語する。
国家の為に戦死した将兵に唾を吐き掛ける様な連中は国家に不要であるというのが、トウカの判断である。そうした面々は、そもそも他国に繋がっている場合が多く、そうでなくても他国に利用され易い。早々に退場願うのが国益に繋がる。
しかし、露骨であってはならない。
そうした組織や集団、個人による失態と悪徳による自壊でなければならない。無論、概要がそう見える事が重要であって、実情が必ずしもそうである必要はない。
「積極的に血を流しに行く政策を推進する悪の首魁が言うわー」
「生命に値札を付ける事を嬉々として行う妖精も負けてはいないだろう」
幻想浪漫も裸足で逃げ出す、私なら飛んで逃げるわ。失礼しちゃう。と応酬する二人に、シラユキは小首を傾げる。
権威も威厳もない言葉の応酬であるのだから、そうした反応も有り得ぬものではなかった。そうした光景に侍女はただ微笑を以て佇む。専門家であった。
そうした遣り取りを経て、四人は目的の土地に到着する。
装輪式歩兵戦闘車から後者した先の光景は切り開かれつつある森林であった。
内戦や帝国との戦争でも焦点となったか細い街道……ヴェルテンベルクへと至る街道の拡張工事である。鉄道の複線と四車線の高速道路を並走させる大規模工事であった。
「予定通りの工期になりそうだな。こうも簡単に切り開けるとは」
考えれば当然であるが、戦車を一刀両断し、小銃を素手で圧し折る種族が珍しくもない皇国では、手作業であっても工事は迅速であった。
「国土開発府の自信も頷ける」
岩窟系種族や虎系種族が尋常ならざる膂力で作業している光景に、トウカは感心する。小型の重機程度であれば必要ないと言わんばかりの光景であるが、そうした光景は戦時下の塹壕構築や陣地構築でも見られた光景である為、トウカとしては驚かなかった。
「排土板を装備した作業車も使われている様です。増産して工期短縮で人件費を……」
セルアノが肩章に挟まれたままの姿で工兵作業車輛を指し示す。
大蔵府の突き上げによって量産体制が素早く整えられたそれは、軍用の旧式戦車の車体を流用した工兵隊用の作業車輛だった。砲塔を撤去して運転座席を設け、排土板と起重機を搭載した車輛は国内各地の公共施設整備で活躍しており、その数を爆発的に増やしつつある。最近、民間仕様のものまで投入され、それは明らかに車輛企業に対するセルアノの減税措置の影響だった。
無論、売れ行きを見て車輛企業も目の色を変えて増産に踏み切った。
「陸軍府は装甲車輛の生産計画に支障が出て困ってるようだが……」
――履帯周りの簡素化や過剰な剛性を排しているとは言え、参考にしたのが旧式とはいえ戦車だ。戦車技術に乏しい国によっては良い参考資料になるだろうな。
去りとて民生品とはそうしたものであり、技術とはいずれ漏洩するものである。何より帝国は戦車を多数運用しており、共和国も相応の数を運用していた。
民生化という意味で皇国は先鞭を付けたと言えるが、トウカとしては工事作業用の機械など販売数は限られている為、一般大衆が個人所有できる自動車の開発や製造に力を入れて欲しいというのが本音であった。
しかし、その願いとは裏腹に自動車産業の発展を促せども反応は鈍い。
車輛が通行可能な道路が結ぶのは、未だ限定された都市やその周辺でしかなく、そもそも皇国は鉄道事業の発展が著しい。車の利便性に対する認知が乏しい現状も加わり、自動車は軍と産業向けの生産に偏重していた。
「陛下は同時に進めようと為さり過ぎなのです。段階を経ねばなりません」
「……成程、道理ではある。ところで後回しにした計画の開始時期はいつまで未定かな?」
計画開始の時期がいつまでも未定なら、それは計画を拒絶しているに等しい。否定すると角が立つ、或いはいつまでも計画だけ捏ね繰り回して満足しておけと言わんばかりの姿勢に、トウカは祖国の財務省よりも質が悪いと考えていた。無能なら銃剣で突けばいいが、有能ならばそうはいかない。
セルアノは、これだから戦争屋は、と溜息を吐く。
「大蔵府はですね、他所様の予算計画に文句を付けて貶すのがお仕事なんですよ」
控えめに見ても下劣極まりない発言であった。
各府の財務担当者が利けば激怒する主張である。
だが、それでもセルアノはトウカからみると上等な部類である。財布の紐を締めるばかりではなく、将来の財布への収入が期待できる事業には積極的に投資し、必要と在らば事業そのものを各府に押し付ける。
そして、そもそもが不採算事業でしかない戦争に従事する陸海軍は常に貶された。
そうした理由は在れども、一般的な感性や品性として忌むべき類の女である事も間違いなかった。
「シラユキ……こんな女になってはいけないぞ」
「狐の御姫さん……こんな男に靡いちゃ駄目よ」
シラユキは、うーん、という顔でトウカとセルアノを見つめている。それは面倒臭い真似をした娘達を見るマイカゼの顔であった。
「陛下、我が陛下」
そうした三人の遣り取りの中、一人の女性将校が右膝を地に付けて跪拝する




