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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》

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第三四四話    熾天使の思惑





「対策は?」


 些か巻き舌になりつつある声音を理解しつつ問うリシア。


 逆上の類であると理解しつつも、リシアが激情を抑えきれていない事に、ヨエルは憂鬱になる。慈愛の笑みが曇った。


 端的に言えば、新任の共和国大使を利用して協商国の大商人を唆した。


 憲兵総監であるクレアも一枚噛んでいる上、フランシアも現職大統領の娘である為、 厳格な情報統制を受けて内々に収められたものの、協商国の動き次第では露呈する可能性が捨て切れなかった。


 リシアとクレア、フランシアのそうした蠢動が露呈したのは、協商国から三国共同で連合王国侵攻を打診された中での遣り取りに不自然な点を見たヨエルが天翼議会傘下の情報組織に調べさせた結果である。


 当然、天帝であるトウカには報告済である。


 トウカ自身も協商国の動きに不信感を持っていたようで安堵の表情を見せた。統合情報部に詳しい情報を調査、報告を命じる心算であったが、現状で余裕のない組織に強いる程の案件ではないと見て控えた為である。


 そうした中で統合情報部がリシアを庇う為、隠蔽や虚偽報告を図った場合、統合情報部の要職者やリシアは死を賜らざるを得なかった。国家指導者への隠蔽である。無論、嘘偽りなく報告した場合でも、リシアは自裁を免れない。統合情報部が沈静化を図る為、リシアが自裁したという流れを作る事も十分に有り得た。


 それを知るヨエルからするとリシアの態度は流石に腹に据えかねるものであった。


「陛下の御深謀に要らぬ半畳を挟むが如き振る舞いをした者の態度ではありませんね。 貴女……今までの献身がなければ、養豚場の餌箱に細切れ肉として投げ込まれていたところなのですよ?」


 実際、看過し得ないとして、リシアもクレアも纏めて処理してしまえという声が天翼議会になかった訳ではない。養母であるヨエルの義娘ですら勝手に他国と連携する動きを見せたならば死を賜るというのは厳格な統治姿勢を示す上では有益であった。


 幾ら天使系種族の因子に箒型の指揮系統が本能として組み込まれているとは言え、ヨエルが全ての天使系種族の感情を無下にして抑え込めるはずもない。上位者が隷下全てを完全に自由にできる訳ではなかった。それに故に天使を形作った神が撃ち滅ぼされたのだ。


 天使系種族の皇国に対する帰属意識は強い。


 それが嘗ての創造主の代替であるが故に。


 巷では強固な愛国心を持つ種族として見られているが、それは国家に縋っているだけであり、実情としては愛国心とは似ても似つかないものであった。


「クレアは座敷牢に投げ込みました。平手打ちで済ませたのです。辛かったですよ。初めて義娘に平手打ちをしたのですから」


 義母様御免なさい、と泣き付く義娘を座敷牢に投げ込んだのだ。


 ヨエルとしては憂鬱と成らざるを得ない。


 無鉄砲な友人を持った娘に対し、娘に足りぬ積極性を養えると期待していたヨエルであったが、その積極性が国際関係に影響を与えたとなれば話は変わる。


 今回は良い方向に転んだ。


 少なくとも収支の面から見れば益が多い。


 加えて共和国や協商国との関係がある為、公式に罰する真似はできなかった。寧ろ、隠蔽に注力している。皇国内で足並みが揃わず、外交方針が定まっていないと国内外に見られる事は避けねばならなかった。


 ヨエルは、そうした事実を知った外務府が再編に手間取る中で外交の専門家を排し過ぎていると懸念を示す事を恐れていた。


 トウカは激怒するだろう。


 外務府は嘗ての要職者の多くを再度、要職に就けるべきだと言い出しかねない。


 ヨエルはそうした場合の対策を聞かざるを得ない立場であり、トウカは明朗に対策を告げた。



 もし、外務府から嘗ての要職者をもう一度、登用する要請があった場合、その要請の俎上に上がった人物達の半分を殺せ。そうすると残りの半分は懸命に働くか早々に逃げ出すだろう。



 酷く明確でいて確実な方法である。


 対外的な印象は最悪であるが。


 トウカは外務府や大蔵府を常に叩く。


 この二つが国益より自府の利益を図った場合、他府とは比較にならない程に損失を齎すと見ているからである。陸海軍府であれば亡国沙汰であるが。


 ヨエルは、トウカにそうした決断をさせる心算はなかった。


 トウカ自身、そうした動きを可能な限り避ける事に注力していた。


 大蔵府を国家予算の配分のみに権力を限定し、徴税は税務府を新設して行う準備が進められている。徴税と予算分配を一つの組織に纏めるのは癒着を招き、自府が求める予算の為に国内の経済情勢を無視した徴税を要求するという断言からであった。


 これには枢密院の大部分も賛成した。


 予算に関して言い掛かりに等しい言動を繰り返された遺恨もないではなかったが、それ以上に政治と結び付いて情勢に配慮しない税制を目指す動きが生じる点を危険視したと言える。税制は国民の国家への信頼に多大な影響を及ぼす。事実、天帝不在時にそうした動きがあった事も大きい。


 そうした努力を台無しにしかねない動きの引き金になる事をリシアは理解していなかった。


 否、敵対者を殺して統制が維持できるならば問題はないと考えている節がある。


「ヴァレンシュタイン上級大将は毀誉褒貶の激しい人物ですが、貴女の事を踏まえれば組織人としては上等な部類でしょう。心配し、配慮もしますが、嘘は言いません」


 政治問題化すると見た実親の案件も早々にトウカに持ち込んだ事を見ても自身の立場と限界を良く理解していると言える。無論、下半身事情で全くそうは見えないが。


「正直に言えば、貴女には自宅で一人で腹を切って始末を付けて貰いたいと思っています」


 大洋を挟んだ島国では、そうした始末の付け方をする連中が存在し、その起源がトウカの故郷にある事をヨエルは理解していた。


「宰相が軍人に腹を切れと叫ぶのかしら? 越権行為も甚だしいわ」


「貴女の越権行為ほどではありませんよ」


 軍人が他国を動かそうと憲兵や第三国の大使と共謀したという事実の前には、宰相が佐官に切腹を要求したなど霞む案件でしかない。リシアの眼光は鋭い。


 一人、過去に思い出す面影。


 ヨエルは翅を揺らす。


「ただ髪が紫苑色なだけの孤児が一人、腹を切ろうが大勢に影響はないと……そう言いたいのですが、陛下は気に病まれるでしょうし、何より貴女の死を不審に思う者は多いでしょうから」


 例え事故死でも、とヨエルは嘆息する。


 リシアの死から事の真相までが繋がらないとも限らない。こうした場合、詰まらぬ小細工を弄すると却って事が露呈する隙を生じかねない事をヨエルは良く理解していた。


 ――前線勤務を勧めはしましたが、認められませんでしたからね。


 ヨエルはトウカに対し、リシアを新設される歩兵師団の師団長に親補して前線勤務をさせてはどうかと提案したが、それは認められなかった。歩兵師団であれば活躍の幅は機械化歩兵師団や装甲師団よりも少なく功名を為す機会も少ない。そうした思惑もあるが、あわよくば戦死も在り得るという期待もあった。


 トウカもその意図は理解していた筈であり、クルワッハ公アーダルベルトが多大な興味を示すリシアを殺害する事で生じる不和を懸念するという建前を以て拒絶したものの、関係者に不満が生じない様に配慮する必要があると判断したはずであった。


 生じた問題が表面化せず、関係者が納得する罰が必要である。


 中々に難しい問題である。


「ですが……及第点は差し上げましょう」


 関係者の大部分は発狂沙汰であるが、ヨエルとしては若く立場も盤石とは言い難い中では悪くない動きだと考えていた。


 勿論、トウカに負担を掛けなければ、であるが。


「国益に資するので当然でしょう?」


「そういうところですよ」


 見目麗しい女性がしおらしく涙を浮かべて謝罪したならば、追及の手は緩み、仲裁を図る者も現れるものである。要職者でも情に絆される事は珍しくない。特に麗しの異性が相手となれば。


「ですが、国益は得られました。だからこそ懲罰はなかった。違いますか?」


 明確な、公式の懲罰や叱責がないならば失態ではないという姿勢は理解できなくもなかった。そうした部分を理解した上で政略を行った節があるが、それもまた器量と言える。


 しかし、トウカに負担を掛けた時点で評価には値しなかった。


「何を馬鹿な事を。国益だけなら、呼び出した貴女を縊り殺していましたよ……私が貴女を評価するのは陛下の名を出して物事を押し通そうとしなかったからです」


 意味が分からないという表情のリシア。


 ヨエルは気にも留めず説明する。


「危機に在ると権威者に縋って難局を乗り切ろうとする者は、必ず長期的に見て不利益を招きます。国益は合理性の羅列によってのみ立証されるのですよ。それが出来ず、 人間関係で物事を押し通そうとするならば……いえ」


 ヨエルは要らぬ建前だと首を振る。


 建前を口にする場ではない。


 二人しかおらず、遮るものは何一つない状況。


 ヨエルは義娘ほどに手緩くはなかった。


「貴女は陛下の寵愛を求め、陛下は貴女に寛大です……正直に申し上げるならば、目障りなのですよ」


 本音をぶつけたという充実感などはなく、寧ろヨエルにとってはある種の博打であった。


 最高権力者の権威を容易く借りるが如き振る舞いをする女が侍るのは、国家にとって多大な危険性(リスク)がある。アリアベルなどは、内戦を通して権力への畏怖を覚えたのか権力を振るう事に対して極めて慎重になっていた。


 対するリシアは、力を振るう事を恐れない。


 寧ろ、ヨエルの見たところ、権力を振るわねばならないという強迫観念を持っていた。その理由は不明であり、調べた限りでは決定的な理由は見つからなかった。


「……娘の好いた相手に手を出そうっていうの?とんだ義母様ね」


 心底と侮蔑の感情を隠さない表情に、ヨエルは玲瓏な笑声を以て応じる。


「四〇〇〇年を経た慕情。邪魔しているのは貴女でしょう。それに、娘に恋を諦めろなどとは申しておりませんよ」


 そんな酷い真似はしませんよ、とヨエルはリシアの年相応の正しさと潔癖に辟易とする。


「私は常に彼の隣を望んでいる訳ではありませんよ……寧ろ、偶にで良いのです。いえ、そう在るべきなのですよ」


 近しい立場だけが特別となるとは限らない。


 常に手を触れられる存在の価値。それを維持するに当たって多大な困難を伴う事をヨエルは天使系種族の本能として理解していた。


 ――陛下が距離を詰めるというのであれば吝かではありませんが。


 相手の己に対する価値を最大化するに為の努力を天使達は怠らず、その結果として相手が己との距離を詰める事は珍しくない。適切な距離もまた近しい距離を得る為の過程である。


「佳い関係はある程度の距離があってこそ。適度な距離こそが人間関係を円滑にするものです」


 国家間に国境があるからこそ尊重や権利が生まれる様に、とヨエルは付け加える。


 国家という枠組みに属するからこそ個人に保障が成立し、価値観などの異なる要素の境界線として国境が存在する。


ただ、距離を詰めればいいという訳ではない。外交も恋愛も。


「貴女は無遠慮に距離を詰める恋愛下手ですが、権力と距離を詰めようとしている訳ではない。その点は評価しています」


 権力を求めているが、同時にトウカを権力の為に求めている訳ではなかった。飽くまでも現在の恋愛に於いて権力は副次目標という扱いである。


 これは、即位直前にトウカを権力から遠ざける試みを図ったクレアと対照的である。


「四〇〇〇年も独身の天使に私の恋愛事情を貶される訳ですか」


 実績もない天使が他所様の恋愛に口を挟むなど烏滸がましいと迂遠に罵倒するリシア。国家の要職者が見れば逃げ出すに違いない光景がそこにあった。


「四〇〇〇年の時を待った、そう捉えて貰いたいものです」


 長い時を待って初めて得た恋心だと、ヨエルは応じる。


 ヨエルの慈愛の表情に混ざる羞恥と喜悦。


 傍目から見ても雄でなくとも心惹かれる姿であったが、リシアは多くを知るが故に、 それを一笑に付す。


「初代天帝陛下に見向きもされなかったからって、息子に手を出すなんて……ただの代償行為でないと言い切れると?」


 クレアですら、恐らくは思いはすれどもぶつけずに胸中へと押し込み続けている言葉に、ヨエルは言葉に詰まった。


 咄嗟に言い返せない。


 恋愛である。


 戦場の霧がある如く、恋愛にも霧がある。不確定要素をヨエルが襲った。当人はそう考えたが、実情としてはただの経験不足である。何の事はなく、ヨエルもまた恋に恋する乙女に過ぎないのだ。


「それは陛下も疑われています。私も悲しく思いますが、去りとて否定しきれないという感情も心の奈辺に潜みます」


 無様な反論はしない。


 真実を避けるのであれば、結局のところその点が綻びとなる。ヨエルはそう考え、リシアやクレアも程度は違えどもそう考えていた。トウカに対して偽る事を悪だと考えている点に於いて、彼女達は紛れもなく年若い娘の如き恋愛観を抱いていると言える。


 恋愛と戦争では全てが許されるとは言えども、優勝賞品には誠実で在りたいと考える程度には彼女達も規約(ルール)に縛られていた。実に乙女である。


「そうした感情は払拭しなければなりません。私も陛下も」


 誠実で在れ。


 しかして、手段は国家の要職に就く者としてのそれである。


 それも実力ある者のそれである。


「だから逢引を願いました」


 はにかむヨエル。


 六枚翅が揺れ、その頬の熱を押さえる様に頬を両手で押さえる。


「……それ、同意を取ったのかしら? 頭の中の物語ではなくて?」


「そこまで耄碌していませんよ。失礼ですね」


 心外だとヨエルは唇を尖らせる。


 この状況をヨエルは待っていた。


 リシアが早々に大きな隙を作るとは、ヨエルも予想すらしていなかった。挙句にクレアまで巻き込むという好機まで携えて、である。ヨエルは天使らしからぬ天祐を確信した。


「貴女は協商国に諸々を言い含める為、航空騎で赴いて説明や根回しをしなければなりません。勅命ですよ」


「っ!」


 驚きに絶句。


 リシアの表情は嘘偽りなく、万人が理解できる感情で彩られていた。


 今回の協商国に対する謀略……というには些か曖昧な誘導工作を確実なものとする為、リシアを協商国に派遣する事が勅命として決まっている。今日、ヨエルが執務室にリシアを呼び出したのは、その勅命を伝える為であった。


 当然、その勅命はヨエルの口添えによって形となったものである。


 枢密院も複雑な人間関係と外交情勢ゆえに対応を決めかねていた為、ヨエルの提案に対して乗る事となった。トウカへの上奏はヨエルが行い、トウカもこれに同意している。客観的に見て情報将校として友好国との交渉を行った実績と言うのは将来を見据えた実績として相応のものであり、他国の要人との関係構築はリシアの将来性に大きな影響を与えるだろう。決して懲罰という訳でもなかった。


 無論、ヨエルやトウカに、問題として表面化しても当人が国内に居ないならば鎮静化も容易であるとの思惑があった事も大きい。詳細は枢密院と統合情報部で詰めている、とヨエルは既にリシアの協商国派遣が既定路線であると示す。


「クレアは……」


 自身が状況を打開できない立場に置かれる事を自覚したリシアは気の置けない恋の好敵手の名を出す。リシアにとり、この状況でクレアを恃む事は屈辱であるのが、白皙の美貌には朱が散る。


「先程、言ったではありませんか。家庭の都合で座敷牢です。娘の折檻に口を挟む者はいないでしょう?」


「その為のッ‼」


 リシアは肩を震わせる。


 その瞳には恐怖があった。


 そこまでするのか。


 ヨエルは心外だと再び唇を尖らせる。


「まさか私が娘の恋人との逢引の為に、娘を座敷牢に閉じ込めたとでも? 違いますよ。 貴女の不始末を知る者には懲罰に見え、知らぬ者には家庭の事情に見える様に配慮した結果です」


 少しヨエルに都合が良い時期であった事も確かであるが。


 貴女の不始末から出た案件でクレアが座敷牢に囚われている事を暗に指摘するヨエルの言い様だが、それに対して臆するようなリシアでもなかった。


「後で義娘にそう言ったらいいじゃない。信じるとは思えないけど」


 リシアはクレアに弁解して見せろと吐き捨てる。


 ヨエルはその点に関しても抜かりはなかった。


「未来の側妃が、そのような些事で心を乱すなどあってはならない事です」ヨエルにも覚悟がある。


 一番を望まない。


 言うは易いが、心は求めてしまうものである。


 それでも、納得するには相応の根拠が必要である。


 義娘であれば、ヨエルも納得できる。


「現状、最も陛下の御心に近しい者を側妃に据える必要があるとの認識を多くの国内勢力は持っています。私もそれに同意しました。そうした中で貴女は騒ぎを起こす上、 クレアの経歴にまで傷を付けた」


 今回の一件でクレアを側妃にと考えるヨエルは足踏みをせざるを得なくなった。


 もし、クレアを側妃とするという宣言をしたとしても、それが実現するまでに必ず妨害する動きを取る者は少なく無い筈であった。そうした中で今回の一件が露呈する可能性がある為、ヨエルとしては危険性(リスク)を回避する動きを取らざるを得なかった。


「クルワッハなどは貴女を推しているようですが……困りますね。諸外国に足並みが揃わないと見られるような動きをする側妃というのは」


 その点はトウカが特に気に掛けていた事であり、ヨエルはトウカが外交というものに神経質な現状を憂えてもいた。外務府の屋台骨を早々に圧し折った様を見れば、外交を司る集団に対する偏執的なまでの不信感がある事は明白である。


 去りとて、リシアも負けてはいない。


「あら? 私が求めるのは皇妃の立場よ。 側妃? それは誰の事かしら?」


 側妃などという余計な立場を負わそうとする慮外者は誰だとリシアは鼻で笑う。


 流石のヨエルも虚を突かれた。


 未だ皇妃の立場を諦めてはいないという事もあるが、皇妃の座を求めるという事は現在の皇妃であるアリアベルを排する動きを取るとの宣言に等しい。


 状況次第では不敬罪の誇りを免れない発言である。


 しかし、現状では二重の意味でそうはならない。


 皇国は政治的に安定しており政争で皇妃を害する機会がないという事もあるが、それ以上にアリアベルの立場が不安定である為である。不安定であるが故に動きがなく、組する余地がないのだ。


誰からも仰ぎ見られない皇妃に意味はあるのか?


 そうした意見が権力者達から零れる事も少なく無い。龍系種族も余りにも不安定である為、アリアベルを利用して政治勢力として拡大する事に失敗していた。何よりも現状では政治勢力の伸長の檜舞台と言える議会が無期限停止している。


 ――成程、龍系種族の台頭を抑える効果が議会停止にはあるという事ですね。


 既得権益の打破ばかりを見ていたヨエルだが、トウカに政治勢力が衝突する舞台を減じたいとの意向があったのかも知れないと思い直す。


 トウカほど議会を信用していない天帝は過去に存在しなかった。


 それ故に現状での政治勢力の対立を嫌って固定化を図ったという事は十分に考えられる。固定化されたならば、対処方法も平準化し易く諸問題も流動的になり難い。


「……貴女は……いや、だからこそ。そうね。クルワッハ公が貴女を側妃としたいというのは――」


「――大方、私があの短慮な龍娘と衝突するのは避けたいって事でしょ」


 リシアは応接椅子に荒々しく腰掛ける。


 そこは読めたなどと、ヨエルは考えない。アーダルベルトが迂遠に要請していても不思議ではない。


「それでも貴女は衝突する、と?」


 アーダルベルトの意向を無視する以上、龍系種族との対立も躊躇しないという事である。


 控えめに見て狂気の産物である。


 敵対勢力が余りにも巨大化し過ぎる。貴族勢力の影響力低下は時世であるが、それでも性急に過ぎる上、陸海軍府の支持を取り付けられるほど、リシアの立場は盤石ではない。クレアも居れば、ベルセリカも居る。軍の組織票は割れていると言える。


 ――最悪、北部貴族とヴァルトハイム卿の支持のみがあればいいと考えているのでしょうが……


 北部出身の軍人らしい考えである。元より地域の同胞以外の支持を当てにせず、また計算にも加えない。過去がそうだったように未来もそうであると確信して振る舞う。


「勝つか負けるか。叶うか叶わないか。生きるか死ぬか。そんなことは重要じゃないわ。 遺るか遣らないかでしょう?」


 酷く武断的な言葉に、ヨエルは諧謔味を覚えた。


 そうした姿勢こそを、リシアに好意的な者達は好いている。


 若き戦乙女の顧みない躍進に心躍らされる者は多い。


 ヨエルも柵がなければ、その在り様を許容したかも知れない。


 だが、そうはならなかった。


 ヨエルのそうした考えからも、リシアのそれは少し逸脱していた。


「ま、それ以前に私が手を下すまでもないでしょうね。ああした純粋無垢で悲劇を好む女は勝手に思い詰めて自分で始末を付けるでしょうから」


 自滅に近い動きが生じると見るリシアに、ヨエルは懐疑を抱く。


「それは流石に起きないでしょう」


 リシア・スオメタル・ハルティカイネンから見たアリアベルの人物像は、彼女が自滅すると見ている。ヨエルはそれを一蹴する。


「天帝陛下は仮初の皇妃を支えない。支えが必要だなんて知らない。支えが必要な女なんて女と見ない。きっとあの女はそれに耐えられないし、理解できない」


 酷く偏執的な意見であるが、リシアはヨエルよりも尚、近くでトウカを見てきた女性である。


「それは、貴女の願望ではないですか? 相手にそう在って欲しいという願い」


 そう在れかしと強く願い、そして何よりも相手に強要する事を厭わない。北部臣民にはそうした傾向がある。それを狂気とと取るか情熱と取るかは状況次第。


「ミユキもマリィ様も……方向性は違えども、強烈に個として存在していた。己が在りて周囲がある。時勢や組織に身を置いても、やはり行き着く先は個だった」


 ヨエルとしてもトウカに近しかった二人の女性が強烈な個性を有していた事は否定できない。ミユキに関しても、その気質的なところは友好を得やすいものであったが、 その為に自身が安易に妥協する人物ではなかった。閉塞的な隠れ里から飛び出すまでした狐娘は前例がない事がそれを示している。


 方向性は違えども、己を曲げないという点に於いては、確かに類似の傾向が見られる。


 ヨエルは素直に、リシアに感心する。


 恋敵をよく観察し、分析している。


 破天荒な気質や狐娘を好むと片付ける者は多く、クレアでさえそれらを持ち得ないからこそ当初は一線を引いていた節がある。


「陛下を前にしても引かず躊躇わない個性が必要だと?」


「当たり前でしょ? 何事をも好きにできる男が最高権力者になったのよ。それでも尚、好きにできない女に興味を示すのは自明の理じゃない」


 そんな事も分らないのか。


存外にそうした意思を匂わせた指摘に、ヨエルは、それ程までに屈折しているだろうか?と疑問を持つ。


「でもあの女にはそれがない。皇妃としての正しさを全うし用としている。そんなものは必要なくて、為したいと思う事を叫べばいい……理解を示すか、殴られるかは内容次第でしょうけど」


 酷い相互理解への道もあったものだと、ヨエルは嘆息する。


 夫婦喧嘩の一つでも起きた方が相互理解も深まるという発想。穏やかな相互理解を想定しない所が実に北部臣民であった。


「では、貴女は殴られたのかしら?」


 ヨエルはそうした事実を知らない。天翼議会は情報収集に余念がないが、皇国北部に関しては天使系種族が極端に少数である為に多大な困難を伴った。そうした経緯がクレアのヴェルテンベルク領邦軍領都憲兵隊への入隊に繋がっている。


「? 銃口を突き付けられたわよ?」


 知らないの?とリシアは眉を跳ね上げる。


 ヨエルが全知全能という前提を以て会話する者は少なく無いが、自身の実力をリシアが過大評価している事にヨエルは少なからず満足感を覚えた。恋敵の評価程に自尊心を満たすものはない。それ以外に在るとすれば征服欲のみである。


「相互理解って、そういうものよ。特に立場がヒトの目を曇らせると確信する天帝陛下は、そうした部分を踏み越えるだけの衝撃がないと個人の関係を築けない」


 ばしっ、と正拳突きをして見せるリシア。


 なんて野蛮なのかとはヨエルも思わない。トウカも武家である。それも、太平の世の武家ではなく、渡り巫女を犯したり、家前に屯する坊主を射掛ける様な時代の。


「考えれば考える程に、困った方に心を寄せてしまいましたね……」


 振り返ればそう思わざるを得ない。魅力はあるが、それに勝る欠点と狂気がある。しかして、巷で欠点や狂気と扱われる類の感情を魅力と考える女も存在した。乱世では特に。少なくともそうした女が、この一室に二人存在した。


「心配しなくても貴女には届かないわ。だって考え過ぎるもの」


 クレアから聞いた理想の義母の姿を考えると、とリシアは肩を竦める。


「それはあの女も同じ。国家や組織や宗教の一部である事を納得した上、皇妃としてのみ振る舞おうとするのだから」度し難い、とリシアは嗤う。


「なれば、天帝陛下が奏でる皇国史の詩篇の一部に過ぎない」


 部品が部品を部品として扱う。それを脱したいのであれば、部品ではない事を証明しなければならない。


「皇妃アリアベルは国家という統治機構の部品に過ぎないわ」


 誹謗中傷もここに極まれりと言った発言の段列に、ヨエルは疑問を呈する。トウカに関してはリシアが知り得ない事をヨエルは知っていた。


「陛下も国家の部品として育成されました。私は、そうした振る舞いに理解を示すと考えていますが」


「……ええ、示すでしょうね。だからそれを当然と考えて、あの女の本懐だと捨て置く……でも、あの女はそれに耐えられない」


 耐えられない、 ヨエルは独語する。


 そこに繋がるのかという理解。


 その点、ヨエルも懸念していた事だった。


「天下国家と叫べども、愛される御姫様もしたいのよ、あの女は」


 国家の安寧や繁栄を願いつつも、己が天帝から皇妃として愛される事を望んでいる。 皇妃という立場に対し、天帝は愛するという義務を持ちはしないというのに。


「一番、皇妃には適さない女ね。あの女が御上品にしている限り、私の敵じゃないもの」


 大層な自信を以て得意げな顔をするリシア。その表情はマリアベルを彷彿とさせた。


 ヨエルは溜息を一つ。


 アリアベルの振る舞い自体が、北部貴族からすると皇妃として不足と見られている可能性に思い至った為である。ベルセリカやリシアを望むのは当然と言えた。軍人の伴侶が戦乙女であるべきという武断的発想。そこには利益以前の気質の問題がある。


「貴重な意見を頂きました。私も次の逢い引きでは、深く踏み込んでみようと思います」


 ヨエル自身、武勇に不足するとは考えていない。そうなると、トウカの猜疑心を突破するだけの個性を以て踏み込まねばならない。そうした助言をヨエルは歓迎する。思う所は無数と在れども、リシアは確かに先達者である。


「ふうん……やってみればいいんじゃないの?」


 気のない返事にヨエルは拍子抜けする。


 侮られているとヨエルは思わない。リシアという少女の恋愛に対する観察眼と見識は相当なものであると、今回の遣り取りでヨエルは認識した。


「天使に甘やかすと踏み込むの違いが分かるならいいんじゃない? でも、まぁ、地雷を踏むのはやめてよね。飛び火は嫌よ」


 外交問題を飛び火させた口で、権力者の恋愛沙汰の飛び火を厭う発言に、ヨエルは、本日何度目か分からない、そういうところですよ、を口にする。


 情報量が多く、またトウカの偏った恋愛観に対応する為に考えねばならない事が山積していると考えたヨエルは、恋愛や政治という難しい話題から距離を置く。


「ところで、その砕けた口調。何とかなりませんか?」


 宰相と佐官である。


 宮廷序列と軍階級序列は異なる方向性(ベクトル)であるとは言え、皇国宰相の序列は天帝に次ぐ者である。同格は枢密院議長のベルセリカしかいない。相応の敬意を払うのが順当である。


「あら、恋敵じゃない」


 私的な会話でも敬語を要求するなんて、とリシアは一笑に付す。


「恋敵と認めていただけると?」


 大抵の者達は失礼な返答だと憤慨するであろうが、ヨエルは寧ろ心躍るものがあった。久方ぶりの好敵手宣言である。同じ舞台に立ったと認めたに等しい。


 だが、そうしたヨエルの理解と、リシアの理解は少し異なった。


「恋を掲げて男の時間を奪うなら恋敵と認めるしかないでしょ?」酷く否定的な認め方である。


 ヨエルは思わず、しゅん、とする。


「いい歳して、そんな傷付いた表情をするなんてあざといわね。娘の男に手を出そうとする女が傷付くのは筋違いも甚だしいでしょ。弁えなさいな」


 殊更に娘の女に手を出す事に忌避感を示すリシアだが、当人が好意を示した後、ある意味に於いては母親の様なマリアベルがトウカと関係を持った事実があるからかも知れないと、ヨエルはそれを非難しない。兎にも角にも、マリアベルに面と向かって非難する度胸は持ち合わせていなかったが、ヨエルであれば遠慮する必要がない。そうした心情が在っても不思議ではない事をヨエルは察した。


「貴女も複雑な恋をしますね」


「娘から寝取りを企てる熾天使に言われたくないわよ」


 御前にそれを言われたくはない、とばかりにリシアは顔を顰める。


 協商国や共和国に対する外交方針や今後の展望を擦り合わせつつも、時折、軽蔑と韜晦を交えながら会話を続ける二人。


 リシアは、新たな好敵手と不利な状況を認識しながらも、未だ諦めた様子を見せず、 ヨエルもまた気が抜けないと翅を揺らす。


国内外から予測不能と評価を受ける皇国の政戦の複雑怪奇は、乙女達の思惑も無関係ではなかった。





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