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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》
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第三四三話    商人の国




「やってくれますね。この動きは非常に怖い」


 卓上の報告書を叩き、その内容の脅威を示すが、それに対する関係者の反応は鈍重であった。


 アトラス協商国という国家は、大商人達が国営を取り仕切る商業国家であるが、それ故に捨て金に等しい軍事に対する案件に対して厳しいものがあった。帝国との国境も長大な縦深陣地を築いて消耗抑制に努めており、現状では功を奏している。


 円卓に座る一〇人の大商人。


 一様に憂色に包まれていた。


 湯水の如く国家予算を蚕食する軍事行動に対する忌避感はあるが、同時に軍事的脅威に対抗するには軍事力しかない事を彼らは帝国との戦争で良く理解していた。



 ジョバンニ・バルディ。



 アトラス協商国の国家指導者である総帥の立場にある彼は、急激な変化を迎えつつある国際情勢に危機感を抱いていた。寧ろ、現状に危機感を抱かぬでは国家指導者たるの資質がない。


「若き天帝の提案に理があると見て我らは大陸横断鉄道の夢を見た。しかし、それが共和国を喪う事で画餅と帰すならば、ということだろうが……」


 共和国の選挙結果次第では共同で出兵を図らねばならないというトウカの主張に、バルディは暗澹たる心情で同意を示さねばならなかった。


 皇国、共和国、協商国。


 この三国が大陸に於ける帝国の領土的野心と抵抗の中心となっているが、その一国が脱落するとなると、残る二国の負担は増大する事になる。


「現在の共和国の野党では万が一という事も在り得る。講和を叫び、国民の中でも賛同する者が少なくない」


 長きに渡る戦費負担と人的資源の消耗は厭戦気分を醸成し、背後に連合王国という敵が生じた事で二正面戦争を避けようという建前が生じた事も大きい。帝国と一時的に手打ちを行い、後背の連合王国を打つ。挟撃の好機を帝国が逃すかという点に疑問はあるが、講和と共和国と連合王国の本格的な軍事衝突の間隙を付いて第三国への攻勢を企てる、あるいは壊滅状態の外征戦力の立て直しを図るという事は十分に考えられた。


「連合王国の打倒後は取って返す刀で帝国と再び干戈を交えるのではないか」


 一人の大商人の言葉に、バルディは首を横に振る。


「連合王国も旧態依然とした統治体制ではありますが、国土も人口も相応です。帝国との停戦を鵜呑みにできない以上、全戦力を投入できる訳でもありません。軍部も三年から四年は必要と見積もっている。勿論、皇国が本格的に打倒に加わるという噂が真実であれば、かなりの時間短縮を実現できるでしょうが……」


 連合王国参戦は共和国にとり他国への対帝国戦線脱落の大義名分となるが、帝国との再戦を厭い連合王国との戦争を長引かせる可能性とてあった。傷を癒す時間を求めて可能な限り再戦を先伸ばす根拠として利用されかねない。


 帝国の軍事的圧力を押し付けられるならば、それに越した事はない。


帝国も外征戦力の多くを喪った現状、停戦に応じる可能性はあった。その際、最も軍事的圧力を受けるのは協商国である。現在の皇国に圧力を掛ける程に帝国も無謀ではない。狂信者は帝国に属する全てを貴軍官民のべつ幕無く殺し続けるだろう。現在の皇国は帝国が異種族に対してそうであるように、殺戮こそが目的に等しい。


「しかし、皇国は軍事力という棍棒を上手く扱う……教えを請わねばならんな」


 大商人の一人、アラザール・ダールのぼやきに円卓が笑声に包まれる。


 そうした中で、 バルディは別の見解を持っていた。


「世界が彼の武力に注目していますが、私としては彼の力量の本質はその抑制的な部分に在ると思います」


 バルディの見たところ、トウカは過激であるものの、攻撃自体が短期間で済む様に腐心している様に見えた。戦線を形成して消耗戦に陥る事を極めて危険視している。


「あの都市を焼き、他国を切り取る姿が抑制的というのか?」


 ダールの困惑交じりの問い掛けに、バルディは鷹揚に頷く。


 帝国に対する都市や交通網への攻撃は策源地に対する攻撃自体もあるであろうが、バルディは物流の停滞こそが最大の目的であると見ていた。


 物流の停滞は戦線の形成を困難と成さしめる。


 有事である。


 民間輸送を抑制して軍事輸送の比重を増加させる事は容易いが、それは前線に近い地域の不安定化を招く上に、そもそも帝国は民間経済に対する配慮が乏しい。元より民間輸送の余裕は少なかった。


 国境線に於ける戦線形成能力への打撃として、トウカは物流の要衝たる都市への攻撃を行う。


 前線を飛び越えて後方への攻撃が可能な航空戦力の組織的運用を大系化したからこそ、前線戦力ではなく物流輸送という部分への視点がある事にバルディは重く見ていた。


 だからこそ、バルディは大陸横断鉄道計画の再開に同意した。


 ただ、利益だけではなく、皇国との関係が致命的に悪化する事を避け、尚且つ軍事衝突が発生した際に鉄道が攻撃を受け難くなる事を期待してのものであった。


 共通規格の鉄道路線は戦後の運用を踏まえて攻撃を受けないのではないかという打算。別規格の場合、戦後に自国規格の路線を敷設する事を前提とされた場合、攻撃を控えられない公算が高い。


 アトラス協商国は、国家として自国を保つ事を最優先しない。


 自由な商業活動や安定した国民生活を保持できるのであれば、国家形態も含めて柔軟に対応していく構えである。


 そうした経緯もあって、アトラス協商国は他国との軍事衝突でも公共施設 (インフラ)が攻撃を避け得る可能性を貪欲に追及していた。大陸横断鉄道は単に商業機会の追求だけに留まらない。


「サクラギ皇は戦線の形成をしても、常にそれを打破して包囲戦に持ち込める様に計画をしている様に思えます。戦争を長々と行う事は際限なき消耗を招くと見て、戦力を集中しての短期決戦や航空攻撃による漸減を重視しているのではないかと思うのです」


 可能な限り一方的な戦争を心掛ける……恐らくは歴史上最も戦争に対して計画性を持って臨んでいるとバルディは見ていた。実際は、寧ろ計画が行動を縛る事を嫌ってかなりの冗長性を確保している為、計画は簡素であった。トウカは軍隊が厳密な作戦計画を実施できる事を前提としない。


 バルディの商人的視点の限界と言えた。答えは正しくとも、その経緯に大きな隔たりがある。


「消耗の抑制か……確かに経済重視を見れば商人的とも言える」


「納税者を消耗して行う価値のある戦争なのか? そうした視点がある様に思えます。 そこを踏まえると連合王国の打倒に皇国に加わるかという部分も見えてくると思うのですよ」


利益がなければ、或いは利益を提示しなければ皇国は動かない。


 バルディはそう考えていた。


 国家としては当然の判断であるが、トウカの場合はより明確に利益を求めているとバルディは考えていた。正義や理念では動かない。


 そこでダールは指摘する。


「連合王国の打倒を共和国単体で行う場合、その終結時期に於いて主導権を握るのは共和国になる。帝国との戦争を避ける為、連合王国との戦争の長期化を望まないだろうか?」


 それはバルディも懸念していた事である。


「それは……確かに在り得るかも知れませんね」


 二人の会話に唸る大商人達。


 後背の連合王国を打つ為、帝国と講和、或いは守勢に転換するという建前の下、連合王国との戦争を長引かせて国力の回復を図るというのは十分に有り得た。軍隊の近代性という面で共和国が優位である以上、相応の兵力さえ用意できれば勝利は疑いないが、犠牲の少ない連合王国との戦争を長期化させる事で帝国という軍事的負担を皇国と協商国に押し付ける可能性は十分に有り得た。


「確かに、連合王国は明らかに帝国の支援があって参戦した。去りとて、これを討つ為、帝国との戦争を控えるとなれば拒絶し難いが……いや、それを踏まえての恫喝という事か」


 ダールは、恐ろしい相手だ、と独語する。それは意識して漏れた様には見えないが、殊の外、会議場に響いた。


 共和国が帝国との講和を選択した場合、皇国が協商国と共同で共和国に対して軍事行動を行うという恫喝。


「挙句に陸上戦艦を先払いしています。しかも、共和国は二隻目の購入を打診したそうです。そうした経緯があるにも関わらず、政権が変わったので帝国と単独講和すると言い出せば、懲罰行動に及ぶ名分としては十分でしょう」


「その辺りを見越しての陸上戦艦の永久貸与だったのだろうな。強大な支援ではあるが、裏切りは許さないという明確な合図(メッセージ)という事だろう……帝国への機密漏洩の予防という名分も立つ」


 陸上戦艦は現政権に対する軍事支援であるが、野党が政権を獲得した場合、機密漏洩の可能性へと転じる。無論、白紙講和や停戦が成っても帝国と友好や密約が乗じる可能性は乏しいが、予防行為として強弁しても周辺諸国は非難しない公算が高い。強硬姿勢で共和国と帝国の講和や停戦が流れるのであれば黙認が最も利益を得られる故に。


「よく考えられていますね。硬軟織り交ぜて他国を思う通りに動かす。軍事力の扱いを弁えているという事でしょう」


 バルディは容易ならざる相手と、トウカを見ていた。


 既存の常識や道理が通じない。


 政戦に於いて暴力的なまでに主導権を希求する。


「我々は元より国境線の長大な縦深陣地による防衛が主体である為、非難を受け易い。 共和国までもが講和するとなれば、皇国は宣言している帝国侵攻を行う際に帝国軍の戦力分散を期待できなくなる」


 ダールは報復染みた帝国侵攻宣言の帳尻を合わせるべく、軍事的優位を外交的に形成しようと試みているのではないかと指摘する。


 在り得ると見てバルディも頷く。


 複数国家の国境に帝国軍が分散せざるを得ない状況であれば、皇国の帝国侵攻への難易度は大きく低下する。しかし、その前提が崩れつつあり、帝国に積極的な攻勢を控える国家が近年では多い。明白な軍事的成果を得られる目算が立たないならば、消耗抑制に努めるというのは合理的な判断と言えるが、皇国にとりそれは不利益である。



「ここは、我々も攻勢を行ってはどうだろうか?」



 ダールの思い切った提案に大商人達が騒めく。


 皇国と共同で帝国に軍事侵攻を試みる。


 皇国の軍事侵攻が規模と装備に於いて遥かに強力である以上、協商国は助攻となる事は明白である。少ない負担で戦線を押し上げられる公算が高い。


「……計画はありますが、攻勢を前提にしていない我が国では、何処まで帝国の戦線を押し上げられるかは未知数と軍は指摘しています」


無論、攻勢の為に航空艦隊の支援を皇国に依頼し、そこから軍事面での交流を図るという方策も有り得たが、代償として失う兵力や装備と比較して割に合わないというのが、バルディの結論だった。


 しかし、ダールの提案の意味は違えていた。



「違う。帝国ではない。連合王国に対して、だ」



 再び騒めく大商人達。


 バルディにもない視点であった。


「無論、皇国も巻き込む。三国同時に連合王国に攻め入る。共和国は連合王国との戦争終結時期で主導権を握れなくなる上、三国共同であれば、各々の軍事的負担も減少するだろう。帝国との戦線への負担も避けられる。三方よし、だ」


 初代天帝の商業的心構えを以て方策の良さを解くダール。


 小麦色の肌に顎鬚という貫禄からは悪徳商人という印象を受けるが、次の商売に繋げる為に日頃から悪行を殊更に避ける人物でもあった。そうした人物が侵攻を口にするというのは、バルディにとって意外の感が否めなかった。


「王権同盟は加えないのですか?とは聞きませんが、いらぬ蠢動を招いた場合、そちらへの手当ても必要ですね」


「年中、内輪揉めしている国家だ。帝国との国境は聖将女ありきで保っているに過ぎん。動けまいよ」


 協商国と共和国の間にある王権同盟は大陸横断鉄道計画に参加していない。国内の不安定から提案を見送られたというのが実情で、聖将女が参加すべきと声を上げたが、それは貴族達の搔き消される形となった。


「しかし、我々もまた悪名を背負う事になりますよ?」


 そうした部分を気にするダールのらしからぬ提案に、バルディは問う。


「一国なら侵略。二国なら分割。三国なら共同事業だろう」


 事も無げに共同事業と言い放つダール。


 商人として戦争を事業と言い換えれば色々と得心がいくバルディだが、三ヶ国で徒党を組んで共同事業として扱うという視点はなかった


「悪名も分割して三分の一。ましてや帝国という共通の敵と組んだ国家を討つのは悪名ではなく名誉だろう。国民も納得する」


 身も蓋もない言い様であるが、大義名分はこれ以上ない程に存在する事も確かであった。後背を突かれた共和国の様に、協商国が後背を突かれないという根拠はない。   

        

 前例は既に生じた。


 他国との関係に対する悪影響も懸念されるが、少なくとも外交関係を重視すべき、帝国と交戦状態にある諸国は好意的となる事は疑いなかった。


「……それに、戦後の分割統治の話の進め方次第では海を得られる……これは我が国にとって大陸横断鉄道に匹敵する海運を国内に抱き込める好機だ……そう考えていたんだが な」ダールはバルディを一瞥する。


 その意味を察せぬ程にバルディも無能ではない。


「海を得る。商用航路を以て商業に励む……神州国海軍の圧力を受けるということですね」


 大商人達が唸る。


 唸るだけでなく建設的な意見を出して欲しいという所であるが、実は大商人の多くは世襲であり、この一年で多くの者が職責を継承した者達であった。


これには皇国で若輩のトウカの頭上に将星が輝き、その隷下でも若い佐官や将官、 官僚、貴族が数多く活躍している事を見た結果でもある。


 若さを源泉とした無謀と熱意が閉塞した状況を打開するのではないかという期待に掛ける程に、大商人という卓越した商人達は投機的ではなかった。しかし、同時に、老齢に差し掛かる中で根拠となる理由を示し易い状況での継承を図るというのは身辺に波風を立てない方法としては妥当なものである為に利用された形である。無論、中には未だ力量が不足していると見て、祖父母が後見の立場となっている大商人も少なく無い。


 寧ろ、円卓の周囲を囲む雛壇上の座席に僅かに窺える人影は、そうした人物達である。


 保護者同伴の指導者会議。


 本来、国会に使われる広い議場である為、まばらである光景は寒々しさを感じさせるが、人影達の存在感は犇々と伝わる。


「そうだ、我々が海軍を整備するとなれば莫大な予算と時間を必要とする事になる……自然と皇国との連携が深まるだろう」


「近年の神州国は大陸への野心を隠さない上、実際に皇国の島嶼を占領するに至っています。有力な海軍を有する連携先は皇国しかない」


連合王国は海軍も旧態依然としており、戦勝で艦隊諸共に接収したとしても有力な戦力とはなり難い。近海防衛も怪しい補助戦力でしかなかった。部族連邦も海軍に関しては同様で、エルゼジール連合国は国内の不安定な政治情勢から商用航路を守るという発想に至っていない。


 残るはロマーナ王国であるが、大陸から突き出た半島国家である為、海洋国家に等しく、伝統的に海軍力整備に注力している。海軍工廠(アルセナーレ)は世界的にも有名であった。


 しかし、経済規模から皇国海軍の規模には及ばない。


 加えて、空母機動部隊という新基軸の艦隊を有し、遠く離れた敵国の首都を奇襲して見せた実績を皇国の艦隊は持つ。それは、遠方への艦隊戦力の投射を実現したという事でもあった。連合王国が得た領土付近への廻航が可能である事を示している。


 そうした部分をトウカが読んでいる可能性。


 アトラス協商国と皇国の経済的、軍事的連携。


 そこまで読み切られた場合、皇国と距離を置く事は得策ではない。海洋を得ても逼塞するのでは意味はなく、寧ろ新たに得た領土の統治に予算を拠出するだけで採算が合わないという可能性も有った。衛生国とするにも最低限の体裁を整える必要がある。


「距離を置けば、海を得ても意味がなくなる。去りとて、神州国との連携は難しいだろう。既に共和国も我が国も皇国に乗せられて、共同で非難声明を出している」


 信州国は帝国の動きに連動するかの様に大陸に干渉している。帝国と密約があるかのごとき振る舞いは、両国が水面下で協力関係にある事を確信しさせる。


トウカはそう言い募った。


 共和国と協商国は、その強弁に乗った。


 内陸国である両国にとって神州国との関係は、軍事支援を期待できる皇国と比較して大きいものではない。艦隊は上陸できない故に。


しかし、連合王国を打倒し、要港を手中に収めたならば状況は変わる。


 共和国であれ協商国であれ、海洋覇権を巡る当事者(プレーヤー)となる。


 対帝国の枠組みを形成するに当たって、敵対関係となりつつある神州国との関係改善は難しく、また皇国が許すはずもなかった。神州国と最も距離の近い皇国が許さない。


 距離的に見て、外交に於いての関係構築の妨害や破壊は容易である。


 皇国の外交戦略に既に協商国は巻き込まれつつあるのではないか。


 ダールの懸念を、バルディはそう読み、それは正しかった。


「考え過ぎかも知れん。だが、大陸規模の外交でこうも先読みができるという可能性を軽視すべきではないし、将来の利益も軽視できない」


 協商国らしく、損益を計算した上で皇国重視の姿勢を取るべきだとダールは指摘する。


「どの道、最大の脅威である帝国に対して軍事的連携が可能で、支援まで期待できる国家は皇国しかありません。乗るしかないという事でしょう」


 既にトウカからすると既定路線でしかないのかも知れない。


 バルディは、そう意識する。


 真綿で首を絞められるかのような感覚。


「我が国は頼り甲斐のある朋友を得たと思えばいい。怒らせない限りは、だが」


 ダールの言葉に大商人達が笑声を零す。


 しかし、バルディは笑えなかった。


 故に、その深読みの根拠、或いは出所を探ろうと決心する。


「しかし、そこまで読み切るとは……流石は天下の豪商ですね」


 ダールから見れば、未だバルディは若輩者であるという感覚を拭えなかった。


 煽てれば馬脚を見せる程度の相手ではないが、 商人でありながら国士の側面を持つ人物である事もバルディは良く理解していた。ダールは皺の目立つ表情をくしゃりと歪めて快活に笑う。


「ふふっ、気付くか。坊主も中々どうして国家の商人になって来たなぁ」


「会議の場で坊主は止めてくれませんか? もう二〇年以上も昔の話ですよ」


 国家の商人という協商国での最上級の称賛に対しては言及を避けたが、老齢ながら商人として未だに辣腕を振るうダールからの言葉に、バルディは気恥ずかしさを覚えた。 努めて顔に出さぬように注力するが、隠し遂せる相手ではない事も理解している。


 バルディの父の良き友人にして好敵手であるダールとは家族ぐるみの親交があり、 幼少の砌より頭を撫でられ、叱責を受け、共に悪戯をして、色々なモノを買い与えられた。友人の子供を可愛がるかの様な振る舞いを未だ続けるダールを、バルディは疎ましくも気恥ずかしく思っていた。他の大商人達も揶揄の気配が表情に滲む。


しかし、ダールの次の言葉でそうした気配は霧散する。


「皇国に駐在している共和国大使からの御機嫌伺の手紙から推察した」


 困惑する大商人達。


 バルディも同様であったが、皇国側か共和国側の思惑かという点を図りかねたという部分が大きかった。


「単なる御機嫌伺ではない……ですよね?」


 共和国大使は堂々と皇国側に付いたというのか、と売国を指摘する声も大商人達からは上がる。バルディもそれを否定するだけの根拠は持ち合わせない。


「老骨を気遣う文面の節々に海への期待と不安、そして……それは協商国も同じではないか、という内容もあった。皇国では統合情報部が我々の商用航路への挑戦を危ぶんでいるぞうだ」


 危ぶんでいる。


 誰が何処を、という点次第で話が変わる。大商人達も反応を決めかねている。


「それは……競合する事への危険……ではなく、共和国と協商国が神州国との関係に配慮して曖昧な態度を……いや、我が国と共和国が商用航路を守れないと見ているのか」


 海を得て、商船を買い付けて、或いは連合王国との戦争中に鹵獲したものを運用することは可能だが、それらに安全な航行を担保するだけの海軍力を両国は持たない。


 その場合、険悪化している、或いは、険悪な方向に皇国が政治工作を図るであろう神州国との関係に期待できない以上、両国は皇国を頼らざるを得なくなる。


「頼る相手は順当に行けば皇国だが……神州国海軍が相手では、な」


「情報部の懸念と言うよりは、海軍の懸念を反映した動きなのかも知れません」


 皇国海軍は、神州国海軍相手に自国だけでなく共和国や協商国の商用航路まで防衛する自信がない。それは当然であり責められるものではない。常勝海軍相手に防衛を断言できる者など、寧ろ信を置けなかった。


「皇国に背を向ければ、商用航路への圧力は生じないかも知れない。その場合、大陸横断鉄道計画は頓挫し、軍事支援も期待できなくなるだろう。どちらを取るかだな」


「海運が効率面から莫大な利益を生むとは理解できますが、それは軍事支援と大陸横断鉄道を喪うだけの利益を齎すか、という点を精査する必要があるでしょう」


 比較検討の余地がある。


バルディの言葉に大商人達も頷く。


 しかし、ダールは盛大に溜息を吐く。


 商人の考え方をする、と。


「……バルディ……やはり御前は詰めが甘い。我々は商人で、天帝は軍人だ。損得の場に軍事力を持ち出す事を常に想定するのだ。いや 必ず外交という盤面で不利になれば、軍事力で盤面自体を引っ繰り返そうとするだろう」


 ダールの確信に満ちた主張に、 バルディは逡巡を見せる。


 皇国も共和国や協商国と連携する事で得られる利益は大きく、両国までを敵に回せば周辺諸国の大部分が敵国となる。その前提がある以上、皇国は両国との致命的な関係悪化を回避するのではないかという見立てがあった。


「航空母艦だ。神州国を宥める事に成功しても、次は皇国海軍の空母機動部隊が我々の新たな海を襲うぞ」

 次は皇国が敵になる。


 敵か味方か。


 灰色の外交関係は存在しない。


 少なくとも、そう思わせるだけの準備と実績が皇国にはある。


「皇国海軍が商用航路を圧迫する、という事でしょうか?」


「そうだ。空母機動部隊ならば、十分な索敵を行いながら広範囲の商船を叩ける。神州国海軍に泣き付いても、早々に排除できるとは思えない」


「神州国海軍の圧力を受ける中で、商用航路を襲撃する戦力を裂けるでしょうか?」


 神州国海軍との決戦を踏まえれば、一隻でも多くの軍艦が必要である。正面戦力を割く真似はできないとバルディは想定していた。


「量産が開始されている小型空母があると聞く。重巡洋艦の船体を流用したものだそうだが、高速で商用航路を襲うには最適だ」


 小型快速艦艇と高速補給艦で空母機動部隊を編制し、協商国や共和国の商用航路を荒らし回る。神州国海軍の艦艇は事前の素敵で補足して、交戦を避ける」


 無論、商人が理解できない部分での困難はあるのではないかとバルディには思えるが、 帝国首都への空襲に於いて皇国海軍の艦隊は帝国海軍に補足されたとは聞かない。


「国家が運用する商船隊の規模を踏まえれば、撃沈されるのは極一部だろう。皇国が編制できる空母機動部隊の数も多くはない筈だ。だが 撃沈されると知れば、空母機動部隊が近海に居座っていると知れば、商会や株主は出航を控えるだろう。当然、他国の商船も近付くまい」


「そうなれば、 商用航路などないも同然ですね」


 商業活動に航路を使えないのであれば、海を得た意味がなくなる。


「そうなるな。恐らく、何処かの時期に連合王国……我々や共和国が得るであろう海に空母機動部隊が遠洋航海という名目辺りで姿を見せる筈だ……最悪、連合王国との戦争にも姿を見せるかも知れんが」


 迂遠な恫喝である。


 俗に言うところの砲艦外交である。砲ではなく航空騎による恫喝であったが。


 商用航路は長大であり、攻めるに易く、守るに難い。そして、攻撃範囲が広域に渡る艦載騎を搭載する航空母艦は、少数で多数の商船を発見、攻撃できる。


 その能力があると共和国や協商国は見せつけられる事になる。


「皇国は、どちらの準備も進めているという事ですか?」


「俺はそう考える」


 断言するダールに、大商人達も半信半疑である。バルディもまた同様であった。


「しかし、周辺諸国の殆どを敵に回すとは……流石に」


 軍事力に自信があるとは言え、戦線を無為に増やす行為は戦力分散の愚に直結する。 戦力が分散すれば、一戦線当たりの戦力が減少し、敵国軍との戦力比が減少する。戦力比が減少する程に被害は生じやすくなり、戦力の消耗に繋がった。


 その程度の事をダールもトウカも理解しない筈がない。


 だからこそ、そこに碌でもない打開策があるのだろうとバルディは見た。


「滅ぼせばいい。鉄道も海運も得られず、上手くすれば航空戦力で本土も攻撃できる。 その混乱を帝国が突かないと御前は言えるか?」


「それは皇国と帝国が組むという事でしょうか? いや、しかしそれは……」


 不倶戴天の敵同士の連携。


 しかし、連携はせずとも、相手の動きが明白であるならば、それに合わせて利益の最大化を図るのは外交の基本である。


「共和国の野党が怪しい動きをしている事を理解しているのは、先の新任大使への歓迎でも明白だ。もし、野党が政権を握れば、最悪を想定して共和国との国境沿いに相応の戦力を配置するだろう。帝国への侵攻を延期して部族連邦や連合王国の占領を主眼に置く可能性がある」


 陸上戦艦の永久貸与に当たって、現職大統領の立場を堅固にすることを念頭に置いた演出と、節々の言動から共和国が対帝国の紐帯から離脱する事を危険視しているのは明白であった。


「共和国を潜在的脅威として戦力を割く以上、帝国侵攻の戦力は用意できない。だが、部族連邦や連合王国の国土を蚕食する程度は可能だろう。将来的な国力増強を見越した動きは十分に有り得る」


 帝国侵攻を一時的に諦めて捲土重来を期すというのは、バルディから見ても在り得るものであった。領土を切り取った以上、部族連邦との関係は容易に改善できない。 帝国侵攻時の後背を気にする必要と、神州国の植民地が背後にできる可能性をトウカが放置するとは思えなかった。


「それに、海軍力の増強を意図するならば、陸からロマーナ王国に攻め入って艦隊を接収するというのも選択肢として悪くない」


 連合王国の南部と国境を面するロマーナ半島を主要国土とするロマーナ王国は、その地政学的理由から海洋戦力に偏重した軍備を有している。無論、大陸の主要国家とは人口と経済の規模が大きく違うものの、短い国境線付近は少数で守れる峻険な山岳地域であり、三方を海に囲まれている事から海軍力整備に伝統的に力を入れている。皇国が神州国海軍との決戦に備え、艦隊や港湾設備の接収を望む可能性は十分にあった。


「皇国が帝国侵攻を諦め、共和国の主力を引き付けつつ、連合王国や部族連邦を併合し、 その間に帝国は協商国を併合するというという密約なら……いや、そもそも互いの信頼関係が……併合しても反発が強ければ意味が……」


 バルディは複雑な国際関係に頭を痛める。


 しかし、それは憂色のダールも同様だった。


「条約や密約などせずとも連携する事は有り得る」奇妙な事を言い始めたダール。


 バルディも大商人達も揃って首を傾げるしかない。


 ダールは詰まらなさそうに吐き捨てる。



「一番姫、エカテリーナ……あれはそれができる女だろう」



思いがけない人物の名。


 大商人の中には首を傾げる者もいる。


 それ程に印象の薄い人物である。


「帝姫エカテリーナですか? 大層な美人とは聞きますが、精々が舞踏会の白薔薇が関の山であると……」


「女を見る目がないな。あれは慈善事業や国営農業、産業に関する式典程度でしか対外的な露出はないが、目を見れば分かる……謀略を 愉しむ女の目だ」


 個人の直感ではないかと、バルディは胡散臭い表情を隠さない。


 ダールは若い時分より派手な女性関係で有名であり、未だに現役な事でも有名であった。そうした恋愛浪漫譚の題材となった経歴もあれば、騙されて無一文となった過去もある。特に女性関係に於いては毀誉褒貶の激しい人物だが、国益に関わる案件で自身の性的な直感に頼るというのは不自然であった。


「そう思って調べたのだ。女を堕とすのは事前情報の多寡が決め手になる」


 碌でもない積極性にバルディは言葉がない。


後継者に席を譲るべきではないか。そう考えると、周囲の若き大商人達の先達は正しい判断 をしたようにバルディには思えた。


「調べたが、色々と蠢動している形跡が見つかった。聞きたいか?」


「当たり前です。国益の大事ともなれば黙殺はできないでしょう」何を当たり前な、とバルディは口元を曲げる。


「所帯を持つ度胸を失うかも知れんからな。配慮だ」


 どんな酷い女の話を聞かされるのだと、バルディは顔を顰める。


 しかし、ヒトをヒトと思わない連中の筆頭とも言える帝国貴族の首魁の姫君であれば在り得る事であった。


「連合王国で帝国軍が正式採用している銃火器が大規模に運用されている事実は周知であろうが、その為の莫大な部資材は農業交流を隠れ蓑にして行われていた様だ」


バルディは、馬鹿な、と呻く。


「確か食糧事情の厳しい帝国は自国と国境面せず、気候的に温暖で政治思想の面でも近しい連合王国に大規模農業の各種支援を行って、その作物を輸入するという……」


「その元締めが一番姫だ。肥料や指導員、機材の搬入に紛れ込ませる事もあれば、農作物を輸送する商船隊を派遣する際は、大量の鉄鉱石や工作機械を詰め込んでいたらしい」


 皇国や共和国、協商国はこうした動きを五年程前から確認していたが、妨害する動きを取らなかった。当時の皇国などは、食料事情が改善すれば対外政策の変化を期待できるのではないかとすら考えていた程である。


 対照的に共和国や協商国は、採算が合わないと見て、これらを放置する判断を取った。


 西回りで大陸を大きく迂回して運行する商船団の費用を考えれば、国内の食糧備蓄の増加を為せても、帝国の負担になると見て、寧ろさり気無く、円滑になる様に寄港地を斡旋した事すらあった。食糧に予算を割くなら、その皺寄せは最も割合の多い軍事費が追うことになるとの期待があった。


 費用の問題を推してでも尚、継続し、年々大規模化しているのは、それ程に帝国の食糧事情が悪化しているのだと見られていたが、本来の目的が兵器製造技術や設備の移転にあるのであれば、採算という点に目を瞑る事も納得できた。


「帝国の厳しい食料事情を改善する為の苦肉の策だと考えていましたが……」


「俺も調べるまではそう考えていた。帝国と取引をする国家は少ない。国際的な食糧価格を帝国に当て嵌めるのは無意味だ。そうした動きも不思議ではない……そう考えていたんだがな」


 実際に大規模な農場が連合王国各地に造成された事も油断を招いた。確かに農作物の輸出も行われていたのだ。


「農業機械まで使って大規模化を図っているのは有名ですが、機械類の輸送と現地製造の技術移転の中に銃火器のそれも紛れ込んでいたという事ですか」


 寧ろ、銃火器の技術移転と量産能力の獲得に重きを置いている公算が高い。農作物を国土外で育成して収穫するのは副次的なものに過ぎなかった可能性がある。幾ら温暖な気候での農業の費用対効果が高いとは言え、大陸を半周する輸送費の前では優位を確保できない。


「兵器工廠も軍の再編制も内陸部で行われていた。気付かれぬように国境沿いに展開する部隊の装備や編制はそのままでな」


「あの貴族主義者達がそこまで考えるとは……」


 利権と欲望に忠実な貴族達が、隠すという行為を数年に渡って我慢できるとは、バルディには思えなかった。


「振り付けを考えた奴が居る。それが一番姫だと、俺は見ている」


「ただの神輿ではないでしょうか? 一番姫も誰かの振り付けで踊っていただけではないでしょうか?」


 帝室の者を要職に据える事で、その権威を以て国内の妨害を抑止し、円滑に計画を推進するというのは権威主義的な国家では頻繁に見られる手段である。皇国でもトウカに近しい人物を利用する事で組織内の計画を円滑に進めようと試みる動きは散見される。


 協商国でも、そうした権威を借りる方法が行われない訳ではないが、商人の国だけあって権威よりも金銭に重きを置く傾向にあった。


だが、バルディは、それはない、と一蹴する。


「これは軍略よりも政略に近い」


 ダールの指摘に、バルディは同意する。


 軍事行動それ自体ではなく、国際情勢それ自体を変動させて共和国を挟撃したのは、政治的な動きによる結果である。


「確かに連合王国の連携は政治的成果でしょう。大陸統一を掲げる帝国に協力する国家を生み出すのは容易ではない。尋常ならざる力量で す」


「……違うな。そこは重要ではない」ダールは嘆息する。


 及第点を得られなかったバルディはロ元を曲げる。


商人であれば議論の場で感情を隠せと叱責を受けるかも知れないが、無表情を貫けば それはそれで可愛気がないと詰られるので取り繕う気が失せていた。


「御前さん、軍略と政略の差異が……本質は何処にあると思う?」傾いだ身体で問い掛けるダール。


それはバルディだけではなく、他の大商人達にも向けた言葉であった。


 次々と上げられる返答。


 ダールの愁眉は晴れない。


「本質……軍略は軍事行動を示し、政略は政治行動を示す。目的を遂行する際の流血の量でしょうか?」


 バルディも答えるが、ダールの表情は変わらない。


 教師と生徒の様になってきていると、バルディは頭を掻く。事実、ダールの言動には他の大商人達を教育しようという意図が垣間見えた。


「軍略は敵勢力を削ぎ、政略は味方勢力を増やす。それこそが本質だ。共に敵に対する優越を目指すが、その方法が異なる」


 流血の量などは常識が機能する事を前提とした場合だけだ、ともダールは付け加える。平時の発想が通じない時代となりつつある。最早、流血は統制できない。


「その観点から見れば、連合王国を抱き込んだのは、紛れもない政略だ」


「しかし、連合王国の参戦を前提とした動きであれば軍略と言えるのではないでしょうか?」


 敵勢力を削ぐという目標の為の軍事技術移転であるならば、一概に政略ともいえない。 寧ろ、政略や軍略という線を引く意味をバルディは見出せなかった。複合的に用いて敵勢力を打破する事こそが肝要である。


「そこだ。そこだよ。連合王国の参戦…・・というよりも侵攻。あれは軍略か? 軍略に見えるか?」


「……それは、あの無様な戦闘を見てということですか? まぁ、確かに無様の一言に尽きますが……」


 共和国陸軍が寡兵で連合王国軍を良く足止めしていると言えば聞こえは良いが、実情としては侵攻に当たっての連合王国軍の失態の連続は隙と言えない規模で弱点を晒すものであった。積極的自殺と評する軍事評論家が存在する程である。


 現状、戦線に於ける兵力の圧倒的優位で押し切っているに過ぎない。


「軍略という側面を持つならば、相応の数の士官を派遣して、指揮や助言を行う動きもあって然るべきだ。しかし、そうした動きは皆無だ」ダールは徹頭徹尾に政略だと断言する。


「要するに帝国軍は噛んでいない。精々が兵器生産に関わる部門程度だろう」


「それで一番姫だと?」


「そうだ。一番姫は軍事に関わる動きを見せない。恐らくは叛意を疑われる可能性を排したいのだろうな。かなり慎重で動きがない様に見えるが、帝室の立場を……権威の遮光幕(カーテン)を利用して恐ろしく大きな枠組みで動いているのだろう」


 だからこそ動きがない様に見える。政略の全体像が大き過ぎるのだ。


 その断言にバルディは困惑する。


「軍事から距離を置かざるを得ない故に、そこまでの面倒は見れなかったのだろう。関わる人間が増える危険性(リスク)を踏まえたという事もあるかも知れんが」


 面倒を見れないというのではなく、面倒を見てそうした力量や従う者が居るという事実を周知させる危険性を問題視したという可能性もダールは付け加える。


 バルディは、ふと暴風の様な姫君を思い出す。


「……妹の戦帝姫が軍事を担っていのも、国内へ安易に配置はできなかったというのも在り得るのではないでしょうか?」


「成程……在り得る。頑丈な妹に荒事を押し付けるくらいはするだろう。要は自分と繋がっている様に見えなければいい訳か……」


 ダールにとって、見目麗しい深窓の帝姫は油断ならない相手である事が確定しているのか猛禽の瞳で宙を見据えている。


「あの女は油断ならん……そもそも帝都空襲の際に天帝と遭遇している」


「……それは事実ですか?」虚を突かれるバルディ。


 ダールは鷹揚に頷く。


「それらしい発言を舞踏会でしている事を確認している」不愉快な現実をダールは吐き捨てる。


「……当然だが、長時間の邂逅ではなかった筈だ。しかし、あの二人だ。どの様な遣り取りがあったとしても不思議ではない」


トウカの実績は語る必要もなく、エカテリーナも連合王国への軍事技術支援で主体的役割を担っていたならば相当の謀略家と言える。迂遠な儀礼も虚飾も無駄もなかった筈であった。


「何より、その資金源だ」


 商人にとって最大の関心事項。意思を通すにも敵を打倒するにも反映するにも金銭の多寡次第であるという単純な事実。


「世の中ってのは銭の流れを追えば敵味方思惑が分かる。銭は嘘を付かん。だから調べた。ウチの情報部門の壊滅と引き換えだったが……」


 協商国最精鋭と呼ばれるダール家の情報部門の壊滅という事実に他の大商人達に激震が走る。


「帝国の農業政策や産業政策……一番姫が関わっている政策は無数の商会からの寄付や貸し付けが目立つ。だが、その少なく無い数が存在しない。銭はあるが、それが一か所から拠出されれば目立つ。計画を過小で公表し、必要に応じて善意の人物や篤志家が運営する存在しない商会を用意して金銭が供給されている」


 予算の出所が政府……税金ではない以上、それを正確に政府は把握し難く、当然ながら金銭は公共機関を経ずに運用される。連合王国への出資は諸外国に偽装商会を複数用意してもいるともダールは指摘する。


 多額の予算を一括で運用すれば、疑惑や不興、嫉妬を買う為におかしくはないが、政争を回避する手段としては複雑でいて奇妙であった。


「しかし、複数の偽装商会や偽装企業を経由しての計画への資金投入は理解できますが、 結局のところ多額の資金あっての動きです。その資金の出所が気になりますね」


 門閥貴族の台頭で比較的税制が緩い帝国でも、連合王国への軍事、農業技術移転の規模を踏まえれば、隠し遂せる資金規模ではない。




「皇国ではないかと見ている」




 ダールの指摘に、バルディは瞠目する。


 不倶戴天の敵同士である国家間で相当量の資金の遣り取りがある。


 余りにも大きくなり始めた話に、多くの大商人達は不安気であった。


「正気ですか?」

「残念ながらな」


 ダールからしても不愉快な事実なのか、その表情は険しい。


「帝国で流通している通貨……相当な贋金が混じってる。いや、粗悪ではない。同等の精度のものだ。その出処が掴めない。これはサクラギ皇が話題となる遥か以前からの事だが、 どうもヴェルテンベルク領周辺が怪しい」


「贋金製造による他国への経済攻撃ですか? 露呈すれば帝国以外にも非難する国は出るでしょう。危険過ぎると思いますが……」


 しかも、トウカが活躍し始めるより遥か以前ともなれば、余計に辻褄は合わない。バルディの知る限り先皇はそうした謀略を許すような人物ではなかった。


 ――先代ヴェルテンベルク伯ということか……


 ヴェルテンベルク領の経済発展は尋常ならざる規模と速度で行われた。周辺から人口と資源を吸い上げ、辺境に巨大な工業地帯と要塞都市を造成した手腕は賞賛に値するが、 その原資だけは不明瞭なままであった。近年の資源や工業製品の輸出による利益は莫大なものであったが、それらを生み出す設備や仕組み、制度を構築する為の資金の出所は現在に至るまで不明であり続けている。


 その資金を贋金と考えれば、一応の辻褄は合う。


「同感だ。しかも、精度では見分けが付かん。いや、一部が精度で上回っているからこそ気付いた」


「ああ、貨幣の製造精度を切り下げたという……」


 合点が行ったバルディだが、贋金が精度で優越したからこそ存在が露呈したという珍事に表情の選択に悩む。


「最近の被害で帝国は貨幣の生産精度を低下させた。生産費用の圧縮を図ったのだろう。しかし、同時期に生産されたはずの貨幣で以前と変わらぬ精度のものがある」


 帝国は発行している全ての貨幣の生産に於ける精度を低下させた。生産量拡大と、製造予算の圧縮を意図したものである。直接の遣り取りがない事に加え、市場の数量から見れば未だ精度の低い貨幣が占める割合は低い為、最近判明した事であった。


 情報公開のないままに貨幣製造の精度を切り下げた事で把握が遅れたとダールは言う。 馬鹿正直に貨幣の製造精度を下げると宣言するのは国情が厳しい事を宣言する様なものであり、帝国の取る選択肢としては妥当なものであった。


「……ヴェルテンベルク領を調べさせた者は誰一人として帰っては来なかったが、逆に言えばその厳重な警備こそが状況証拠に成り得る」


「ですが、かの地は軍需産業の拠点でもある。警備がそちらを守ろうとした可能性も有るのではないでしょうか?」


バルディの言葉に、 ダールも同意する。


「かも知れん。最近は戦争の激化で防諜も過敏だ。随分と殺して湖に投げ捨てている」


 顔を潰されていると身元判別も叶わん、とダールは吐き捨てる。


 皇国はサクラギ皇の時代となって、先皇の時代とは対照的に熾烈な防諜戦を展開している。無論、防諜に関わる分野の人員が急速に増強できる筈もないが、間諜である者に対する見せしめはあらん限りの悪意を持って行われていた。残虐を以て抑止力とする。トウカの常套手段である。


「最近は皇国での活動を嫌がる連中も多い。奴らの行動は雑だ。親兄弟まで殺しに来る。挙句に偶に間違った者まで殺している」


 間諜は監視や連携を踏まえて親族や家族……実際に血縁関係があるかは別として、そうした集団で運用される事が少なく無い。しかし、一人が露呈すると、皇国は即座に惨たらしい死を与えた。情報を抜き取るという動きも控えめで、彼らは実力組織として未熟である事を理解しているからこそ、殺せる機会では必ず殺そうとする。


 実際、行商人として家族で行動し、商人である男以外は事情を知らないという家族も存在したが例外はなかった。執拗なまでの暴行を受けた上で殺害されている。


「まぁ、そうした不幸自慢はいいだろう。問題は贋金だ」


「帝国の戦費になっている……という事はないはずですね?」


 トウカとエカテリーナが連携しての自作自演というには、トウカの殺戮は度を越している。加えて、トウカの殺意は紛れもなく本物である事は、帝国軍捕虜の”選別”からも明白であった。


「現在の帝国は戦時体制を今まで以上に強化している。一番姫もできる事は少ない上に、軍事以外の分野で大きな動きというのは難しかろう。しかも、連合王国に対する動きで蠢動を見せた。暫くは動かないだろう。一番姫はな」


「……他が動くと」


 そうした謀略家が他にもいるならば、帝国はそうした人物達を扱い切れていない事になる。バルディとしては、そうした人物が水面下での動きに留めなけれなばならないと考える程に帝国の国内情勢が悪化している事を危険視した。国内情勢を打破する為、対外戦争を選択する国家は歴史上少なからずあった。


「いや、俺も掴み切れていないが、最近、帝国で跳梁跋扈している労農赤軍という組織の資金が不透明だ。あの規模と拡大に装備を踏まえると、相当な規模の資金源があるはずだ」


 それはバルディも不信に思っていた事である。


 帝国軍の裏を掻きながら勢力を拡大し、巧みに決戦を避ける事で致命傷を負わず、名声を得る為に印象付ける事を重視した戦勝を求めている姿。


 尋常ならざる器量の指導者に率いられている事は疑いなかった。極めて鮮やかな手腕は練達者であるとすら思わせる。


「まさか……労農赤軍に贋金が流れている、と?」


「贋金だけならいいがな。非正規戦とはいえ、ああも上手く立ち回れるなら話は変わる。 将校や情報が流れ込んでいても不思議ではない」経緯は分からんが、とダールは付け加える。


 贋金で経済を蝕みつつも、その贋金で反乱勢力を支援して国内情勢の不安定化を図る。 極めて効率的な敵国への攻撃方法と言えた。鮮やかとすら言える。


「長期的に見て帝国経済は爆弾を抱えつつある。贋金の大量流通は国家経済への信用を致命的な規模で引き起こしかねん」


「行われ始めた時期と規模を知れれば、贋金の流通量はある程度把握できるでしょうが……いや、経済の破壊は情報それ自体が引き金に……」


 真実が多分に混入した情報と、その真実を補強する物的証拠が流布する事で破滅の開始を試みることができる。後者の規模次第である事も確かだが、その破滅の引き金自体は情報にあった。


「一層の事、我々が引き金を引きますか? 無知を装った指摘という形であれば、皇国も計画を御破算にされた非難をする程に無能ではないでしょう」


「……それは中々どうして博打だな。共和国の動きが読めなくなる」


 帝国の経済的混乱を見て共和国が攻勢を試みる、或いは帝国に余裕なしと見て防衛戦に移行して戦力を抽出。連合王国戦線を解決するのであれば問題ないが、帝国の混乱を好機と見て優位な条件で講和や停戦などと言い出せば、皇国も協商国も大きく国益を毀損される。講和の模索の中で、共和国が帝国に配慮して大陸横断鉄道計画から離脱する可能性とてあった。


 皇国も共和国の動きも不明瞭に過ぎ、協商国は最良の未来を選択できなかった。


 バルディは溜息を吐く。


 ならば、動きを明瞭とすればいい。そして、複数国家との共同の動きとする事で動向を把握しつつ、逸脱を阻む。


 それしかなかった。


「私に愚策があります」


 ダールを含めた大商人達が、バルディの提案に唸る。


 三方良し。


 国家関係であってもそれは例外ではない。








地政学の地図消しました。昔の適当に描いた地図なんでちょっと不自然なところが多いので。そもそも大陸の形が気に入らなかったので……気が向いたときに作り直します。


てか、聖将女はプロット込みで出てくるのに15年掛かってるな。リディアとノーガード殴り合いできる逸材なのに。




「一国なら侵略。二国なら分割。三国なら共同事業だろう」


 これ、どこかの赤いタヌキみたいな言いかたで気に入ってます。

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