第三四一話 女子会
クレアは、もう少し言い様があるのではないか、と口にしかけたが、敢えて沈黙を選択した。
リシアという少女はヒトをその気にさせるのが上手い。
反骨心を呼び覚ますか、正義感を抱かせるか、羞恥心を喚起させるか……経緯は様々だが、 無意識にそれを為せる人物であった。人証しというには毒舌が過ぎるが、それでも隔意を抱かれない不思議な生き物。クレアとしては奇跡の人物としか評価しようがなかった。
「連絡を密にしましょう、というお話よ」
大風呂敷を広げた後、現実的な話に落とし込む。
その落差は大きければ大きいほど望ましい。
戯曲的ですらある規模であるが故に、外交官と言えども意識を掻き乱さざるを得ない。
「我々も貴女に十分な便宜を図りましょう」
混乱の最中に更なる条件や好意を提示する。異なる立場からであれば尚、望ましい。それを理解した上でのクレアのロ添えである。尤も、それは外交官であるフランシアも理解しているはず。外交官として教育されたならば当然の事である。
「何故、そこまでしていただけるのでしょうか?」
望外の好意への戸惑い。
国家や現職大統領ではなくフランシア個人への好意。
生半可な言葉では建前と受け取られる。
リシアがどう切り返すか、クレアは期待を寄せる。予想を裏切りつつも予定している利益は確保してくるのだろうという期待。
此処一番の得意げな表情でリシアは胸板を叩く。
「貴女を信じた訳じゃない。貴女との関係を重要視したトウカを信じたのよ」
正直一直線のリシアに対してフランシアが鼻白む。
忌憚のない意見を他国の外交官相手に突き付ける様は小気味良く思えるが、選択としてはそもそも論外である。
しかも、今回は誹謗中傷と表裏一体の発言である。
「私は私の判断よりも、トウカの判断を信じる。政戦でトウカは失敗しない……じゃなくて失敗と思わせない手腕を持っているから」
返す刀で自国の国家指導者に対する賞賛と辛辣な意見。
何がしたいのか。
世の中を恨んでいるのか。
そう思える程に全方位に言いたい放題のリシアだが、クレアはこの場が公式の場であっても止めなかった。そうした破天荒を以て停滞を打ち砕くのがリシアという紫苑色の暴風である。
暴風という自然災害との付き合い方をクレアは理解するに至っていた。
「これは将来を見越しての先行投資なの。必要と在らば大統領選出馬の後押しも吝かじゃないわよ。別に貴女に売国を為せと言っている訳じゃないけど、いつまでの軽い神輿なんて業腹でしょ?」
現在の共和国の政治体制に対して不和をばら撒くという宣言に等しいそれには、クレアも苦笑するしかない。
父親と子供の対決。
既視感がある。
「それは……野心があれば飛び付くしかないお話ですね」
「勝敗は兎も角として、政治を舞台に父親と殴り合いをすれば、誰も貴女を軽視はしなくなるわ」
政局を掻き乱したとして軽蔑される可能性には言及しない所がリシアらしい。それは悪意ではなく軽蔑は有名税と割り切っているからに他ならない事を、クレアは察している。軽蔑と遺恨は政戦を為す者にとっての装飾品である。
「国家指導者が父親と殴り合うのも……まぁ、通過儀礼みたいなものじゃないかしら?」
その根拠を知るクレアは溜息を赤葡萄酒で体内へと押し込む。
大事を為せる女という風評を得る為、父親と政争を演じるというのは傾奇が過ぎる。経験にもなる上、今後の盟友や政敵を判断する材料としては申し分ないかも知れないが分の悪い綱渡りでもあった。
短兵急に過ぎる。
「天帝陛下はその様な御経験が?」
「あるわよ。軍刀も使うし拳銃も使う。それに比べたら政争なんて児戯に等しいわ。存分にやりなさい」
政争でも血を流す事を躊躇わない女が選挙を上品な振る舞いであるかの如く語る様は、知る人から見れば滑稽以外の何ものでもない。しかし、知らぬ者には説得力を感じさせた。戦って血路を切り開いた年若い娘という側面は野蛮を勇敢と捉えさせる。
「……支持基盤もない現状では現実的ではないでしょう。ですが、機会を掴む場面くらいは我々でも用意できるかと」
クレアとしても隣国に理解のある指導者が登場する事は望ましい事であると見ていた。
足元を見ていない話でありフランシアも真に受けている様子はないが、それでも巨大な可能性が眼前に転がっているという動揺は見られた。
「まずは協力体制を、という話です。何を何処まで協力するかは貴女が決めればいいでしょう」
「互いに利用し合う関係でいいのよ。深く考える事はないわ」
クレアは協力関係となるが、それは状況と出来事によってその度合いを変化させて構わないと指摘する。強制力が生じるものではない。明確な条項を取り決めた密約という訳ではないとリシアも強調する。
フランシアの僅かな逡巡。
「……そういう事でしたらお受けしようと思います。売国にならない範疇で」
売国も愛国も憂国も護国も……失敗すれば国家に不利益を齎すが、未だフランシアは言葉の表面的な部分に囚われているとクレアは見て取った。過ぎたるモノを背負わぬ事が重要なのだが、フランシアは未だそれを気付いていない。
そうした何とも言い難い雰囲気の中でリシアが両手を叩く。
「ま、互いに仲良くしましょうよ、という話なのよ。国とか背負うと迂遠になるから面倒臭いわね」
恐らく皇国政治に於いてトウカの次に直截的な振る舞いをするリシアの発言に、クレアとフランシアは笑う。リシアも釣られて笑う。
自覚があるが後悔も問題もないという得意げな笑みは、やはり何処か惹かれるものがある。 クレアは黙ってリシアの空になった硝子杯に紫焼酎を注いだ。
その後は政戦の話題が入り混じった女子会であった。
語るべきこと、認識の差を埋めるべきなどという交渉な理由ではないが、互いに尋ねるべきことや知りたいことは無数とあった。
「戦争は政治の決断や主張によって発生するのが通例ですが、現在の我が国は軍事戦略のみに基づいて戦争が始まります」
「それは……軍事的妥当性だけで開戦も在り得ると?」
「政治の為に軍事的脅威を放置しないという事ね」
理解の範疇を超えた話題もあれば、共通の興味となる話題もある。
「やはり学生結婚が多いのですね」
「ええ、大学は学力や財力で集団が固定される場ですから安心感があると見られています」
「士官学校時代の私も言い寄られたけど、碌なのがいなかったわね」
悲喜交々の遣り取り。
そうして会話は女子会らしく行き着くところに行き着く。
「御二方はやはり、その……陛下の事を――」
想っていらっしゃる、と俯いて尋ねるフランシアの頬に朱が散るのは酒精の作用のみに留まらないのは一目瞭然であった。
二人は顔を見合わせる。
「最重要国家機密――」慢心の笑みのリシア。
「――という名の公然の秘密でしょう」周知のクレア。
殊更に吹聴はしないが、否定する事もしないという姿勢の二人。
リシアの場合などは、その立場から組織外との遣り取りも多く、尋ねられることは多い。対照的にクレアの場合は、憲兵隊や情報部との遣り取りが大部分となっている為、大きく噂が広がることはない。しかし、執務室に招かれる機会が多く、早朝に辞する姿を見て男女関係にないと考える程に能天気な有力者はいなかった。
去りとてクレアの場合は、憲兵隊出身だけあり露呈は最小限に留めており、会議の際の雑談で尋ねられれば堂々と「御祝儀は期待して宜しいでしょうか?」と応じるリシアと認知度では雲泥の差がある。
当然、リシアとクレアの認識にも差があった。
「相手のとの関係は二人だけのもの……外野を巻き込むなど無粋でしょう」
美貌の憲兵総監は、その職責に見合わず恋する乙女の様な建前を以て応じる。
フランシアをしても流石にそれはどうかと思わざるを得ない発言であるが、クレアはやかな笑みで異論を許さない。
民主共和制国家の共和国と、事実上の専制君主制国家である皇国の恋愛事情というのは諸外国の予想を裏切って皇国が自由度で勝った。それは主義主張の産物ではなく、そもそも歴代天帝自体が国政の都合上、恋愛に関して俗世の慣習を形成できない程に多くの立場や種族から皇妃を迎えざるを得ない場面が多々あった事に端を発する。決して権力や資産という基準に留まらない配偶者の選定は、臣民の自由な恋愛の根拠……大義名分と成った。
元より即位時点で配偶者を迎えている場合もあり、婚姻を権力構造として体系化し難い事から触れる事に対して不利益が勝ると見る有力者も少なくなかった。無論、魔導資質は精神状態の影響を受ける為、中位種や高位種も立場や爵位ばかりを気にする訳にもいかないという切実な事情もある。
皇権神授を旨とする多種族国家の政体や魔導資質の優越という至上命題は、全ての階級に対して自由恋愛を強要した。
その結果、皇国には多種多様な恋愛譚が流布する事になり、芸術性を一部から認められるに至ったが、それは国益上の妥協からなる産物に過ぎなかった。
去りとて、明文化されていない曖昧な仕来りはあった。
天帝が未婚の場合、最初に有力公爵家の子弟を行儀見習いや御機嫌伺に出させる事で接点を作り出して天帝周囲に有力貴族の異性が満ちる事になる。そうした中で恋愛関係が発展する事を期待するという建前であるが、実際は天帝や有力貴族家の思惑が合致する場合もあった。
しかし、トウカは即位から現在に至るまで例外を積み上げ続けている。
それは女性関係に於いても例外ではない。
本来であればクレアの様な軍有力者である異性は特定組織を特権化させる危険性がある為に避けられる。しかしながら、地方で軍閥を形成して皇城に攻城戦を仕掛けた上で敵対者を撫で切りにして血塗れの即位に持ち込んだ経緯から、トウカに対して多くの有力者に恐怖と諦観があった。
有力貴族は行儀見習いや御機嫌伺に向かわせた娘が人質という扱いで留め置かれる事を懸念し、クレアを退ける事で威光高まる軍との衝突を恐れた。無論、それはリシアも同様である。
そうした中で、トウカの周囲に侍る女性は限られ、その支持者……特にトウカを積極的に支える有力者は方針を転換した。
トウカの支持者は社会的立場が低いものが多く、自ら天帝に娘を差し出す程の立場を持たない。持っていたとしても勘気を買う恐れもある。ならば、即位以前より深い関係にある女性が配偶者となるように仕向けるしかなく、リシアやクレアは最適であった。北部はベルセリカを望み、天翼議会はヨエルを配偶者として意図した。
「周辺が納得しないなら、後宮に押し込まれて蝶よ花よと退屈な日々を送るだけ……そんな寵姫は願い下げよ。私は公務の最中でも侍るのよ」
リシアは野心を隠さない。否、女としてだけでなく、公人としても求められたいという欲目を隠さない。
支持者達は其々の思惑が在れども、万が一に備えて継承者が生まれる事を望んでいた。
トウカの身に万が一が生じた場合に備えて血縁を欲したのだ。
天帝は天霊の神々が選出するが、その招聘の儀はその特性上、頻繁に行えるわけではなく、不意の天帝不在が生じた場合は直系の者が摂政皇太子として臨時で国政を取り仕切る事も明文化されていた。加えて国内外の有力者との婚姻外交を想定して血縁者を用意したいという皇城府の意向もある。
即位以前よりトウカと関係のあった女性を配偶者として押し付けるしかない。
トウカの支持者はそう判断した。
特に、万が一が生じた場合、先代天帝の融和政策の支持者が巻き返しを図ると警戒する陸海軍などは多大な関心を寄せていた。リシアやクレアに対して立場を用意し、並々ならぬ好意を示すのは、何も軍の影響力拡大だけが理由ではない。軍組織らしく非常時に備えての計画という部分もある。
そうした諸々の経緯もあってクレアの様な乙女らしい男女関係は見逃されているとも言える。当人は気付いていないが、憲兵隊内にはじれったいとやきもきする要職者も少なくなかった。
対照的にリシアは外堀を埋めようとしていた。
利害ありきで関係を迫る構えを見せており、支持者を増やして紐帯を図ろうとしていた。これには眉を顰める者も居たが、配偶者の有する紐帯は天帝の影響力に繋がる為、決して否定的に見る者ばかりではない。寧ろ、トウカへの好意が隠し切れない中での紐帯の要請なので、いじらしいと漏らす者も少なくなかった。
方向性は違えど健気である。
僅かに滲む狂気の気配に後の後宮を心配する者も居たが、現在はトウカの後継者を用意するという一点を支持者達は最優先していた。当人が用意される事を嫌がる為、それとなく周囲に元より関係のある女性を配置する事が限界であり、皇妃アリアベルはそうした経緯から配偶 者の役目を期待されていなかった。
共和国外務省は、大凡の状況を察していた。
部外者が尤も俯瞰的にして客観的な視点を持つという事もあるが、決して一つの立場だけで決まらない皇国の特異な権力構造への警戒があった為である。
フランシアは、トウカを取り巻く複雑怪奇な恋愛事情に眉を顰める。
クレアにも理解できる程には容易な感情の発露。
自由恋愛を用意されるという状況。
果たして自由と言えるのか。
去りとてフランシアが同情している様子はない。
恫喝されて尚、同情する程、フランシアも人間が出来ていなかった。
クレアには大凡の見当が付いていた。
「もし、御二人にそうした機会がありましたら共和国代表として祝辞を上奏させていただきます」
その際、トウカとの出会いが刺激的だった事を添えるくらいはするだろうと、クレアは苦笑する。
「いいわね。歓迎するわ……とは言え、そうした催しは嫌がるのよね」
酷く端的なリシアの指摘に、クレアは赤葡萄酒を口に含む。
諸々の経緯は別としても、行き着く先はトウカが各種行事を厭うているという点に尽きる。
「典礼と祭事は最低限にして、有事を終わらせる事を最優先とするというのが方針です」
大義名分がある以上、典礼と祭事が最低限となる事は致し方ない。同時に、トウカが自身の権力基盤を盤石なものとするまで有事を継続する意向がある事は明白であり、それは典礼と祭事を当面は行わないという宣言に他ならなかった。
同時に、そこには政治的意図もあった。
予算の都合という組織運営上は抵抗し得ない大義名分を掲げて神祇府の予算を削りに掛かったトウカの意図は単純明快である。
国政に於ける宗教的影響力の排除。
人心の安寧が信仰の役目であり、国政への関与は許容しない。関与は死を以て償わせるという明言の通り、枢密院では国会の再会に向けた議論の中で宗教家や神祇府に属する者の選挙立候補を禁止するという法律制定を始めとした各種制限が取り決められていた。
特に納税に関する特権は全てが撤廃され、一般的な組織などと同様の扱いとされる事が発表されている。
天霊神殿側の抵抗はあったが、それは関係者に対する財務調査を始めとして脱税や不法行為での逮捕が相次いだ為に腰砕けとなっていた。国民は戦時下の中でも維持される宗教の特権に対して厳しい目を向けつつあり、天霊神殿も民意を気にして沈黙を余儀なくされた。そうした中でトウカが典礼や祭事を行う筈もなかった。
天霊神殿に点数稼ぎを許すはずもない。
「身内だけでの細やかな婚約であるほうが、近しい方々と関係を深められると思いませんか?」
育ての親であるヨエル以外に親族が居ないに等しいクレアだが、それは次元漂流者であるトウカも同様である。親族がほぼ居ない者同士、互いの近しい者達との交友関係を重要視するべきであるとクレアは考えていた。そこには失ったものを皇国で取り戻そうという無意識の理想も滲む。
クレアの問い掛けを、リシアは鼻で笑う。
「国家行事にして組織間の連携や演出の場としたほうが国益に叶うと思うわ。そもそも、関係なんてものは行事で育むものじゃないわ。行動からなる信頼の積み重ねよ」
実利の権化たるリシアらしい意見であり、本来はクレアが口にするべきであろう意見であるという認識があるのか、リシアはなんだかよくわからないという表情をしている。
「貴女、ちょっと恋に夢を見過ぎじゃないの?」
「……駄目ですか?」かなり凹むクレア。
麻薬組織撃滅の際、逆撃を受けて始めての部下を喪った際と同等の衝撃を受ける。特にリシアに対して現実を見ろと言わんばかりの指摘を受けたという事実が被害を拡大した。
「いいじゃないですか。 恋愛くらい夢見たって……」
職務の上で夢などありはせず、親類縁者も悉くが根切りにされたクレアからすると婚約やそれに続く周囲との関係を得ての生活には相当の憧憬があった。与えるばかりのヨエルとの関係ではなく、自身と連れ添うと誓った相手とで築き上げる生活。
寧ろ、クレアとしてはリシアも捨て子である為、そうしたものに対する憧憬があるのではないかと見ていたが、当のリシアはそうした感覚を持ち合わせていなかった。孤児院でザムエルなどの悪友と共に育ち、院長がラムケであった為、騒がしい親類縁者が小隊単位で居るという感覚である。
「権力を手にすると全ての動きに政治が付いて回るわ。恋愛だって例外じゃないでしょ? 貴女だってそれは理解してた筈よ……私がこんな講釈を垂れる必要があるなんて……」
指摘の様でもあり心配の様でもある物言いに、クレアは腕を組んで顔を逸らす。
「ヒトは得てしまうと、更に求めてしまうものなんですよ」
「……え? 私、喧嘩売られてる? 売られてる? 高価買取?」
クレアの独白に、リシアは野戦将校らしい強制力を伴った声音で応じる。
フランシアが見かねて助け舟を出す。
「確かに、御二人の印象としては逆の為さりようならば納得できますが……逆であっても、それはそれで魅力になるかと思いますよ」
強い女性に可愛い趣味があるという落差が男性に有効とする論調がある事はクレアも理解していたが、そうしたものは恋愛譚だけであるとも見ていた。何よりミユキが可愛いという事象が服を着ている様な存在であった為、クレアはその論調に与しない。
「それに女性としては恋愛を経た上で一緒になるというのは夢ですから。私としても憧れるものがあります」
「同意します。権力を得る為に恋愛を捨てたくはない、最近はそう思います」
無理があるかも知れないが、諦めるばかりでは意味がない。クレアはそうした意味では前向きになりつつあった。
「夢物語よ」
「しかし、外堀ばかり気にして実際に侍るのは私ばかりですから」
事ある毎にトウカとの関係に政治を関与させてくるリシアの悪癖をクレアは好ましからざるものと見ていた。嘗て、迂遠であった自身を糾弾した人物に好感を抱いた過去が汚されたような気がしたクレアは反撃を試みる。
「重要なのは陛下の御気持ちではありませんか?」
「……分かってるわよ。でも、もう止まれないのよ」
決意ではなく義務感を思わせるリシアの表情に、クレアは己が知らぬ大きな出来事があるのだろうと確信する。同時に、情報部将校となった相手の情報を抜き取るのは容易ではないとも理解していた。
溜息と共にフランシアは話題を振る。
良くも悪くも、三人の会食が国政に関連しての動きではないという確信だけは抱かれたに違いない形であった。
「とは言え、陛下の御気持ち一つで決まる話ですから、今後の事もあるので一度、側妃や寵姫をどの様な形で迎えるか尋ねてみてはどうでしょうか? 我が国としては、帝国に対して妥協を言い出しかねない人物が侍る事は避けたいところですが……」
明言は内政干渉との非難を受けかねないが、そうでなくとも中々に踏み込んだ発言である。 対帝国の諸外国団結を乱す側妃や寵姫は避けたいというフランシア個人の意向として片づけられる範疇だが、そうした意見が出るのは、やはりこの会食が個人的なものであるという印象を得たからであろう。
クレアも大人気なかったと鶏皮を咀嚼する。
トウカの立場や権力を守る、或いは拡大する為にリシアは多くの場面で姿を見せた。その身に仕舞い込んだ不満や危機は相当にあるとクレアは見ている。全てをトウカに伝えるほど、リシアのトウカに対する感情は軽くない。
「何より、天帝陛下は配偶者の選択に個人的感情を持ち込む事を当然と考えていらっしゃる様に思えます」
「それは貴女か政府、どちらの分析でしょうか?」
フランシアの指摘に、クレアはその情報の出所を尋ねる。
共和国の指導者層であれフランシア個人であれ、国家指導者の配偶者という、ともすれば政治問題化し易い案件に於いてトウカが自身の感情を重視するという結論に至った経緯にクレアは多大な興味を抱いた。
「私です。外務省は鼻で笑いましたが。女の勘など信用できないのでしょう」僅かな怒気を見せるフランシア。
人間種が人口の殆どを占める共和国では、政治に関しては男性優位の社会構造となっているが、クレアとしては寧ろ性別ではなく年若い女性が恋愛沙汰を特別視し過ぎるからこそ主張が退けられたのだと受け取る。
――そんな主張を明確に退けられるまでしていれば手に余ると見られるのは当然でしょう。
フランシアのロ振りを見れば、周囲に漏らしただけに留まらない事は明白であった。
「何故、そう思われたのでしょうか? いえ、非難している訳ではありません」
クレアからすると、側妃や寵姫も有力者の娘から選択する事で権力基盤の盤石化を試みるという権威主義的に見て妥当な判断を退ける要素を、他国の有力者が奈辺に見出したか大いに興味があった。
無論、クレアはトウカが恋愛というものを過大視していると知り、尚且つ肩書を以て関係を結ぶ事に忌避感と警戒感を抱いている事を理解しているが、それは近しい者でもそう知らぬ事実であった。
しかし、リシアは側妃や寵姫を迎える事に消極的な理由を別に見ていた。
「……トウカは国益の為なら何でもするけど、己を犠牲にする程に無計画じゃないからでしょ?」
安易な手段で直近の支持基盤の盤石化を図るよりも、将来的な手札として側妃や寵姫を迎え入れるという手段を残しておきたい。そうした意向があるのではないかと、リシアは指摘する。
「側妃や寵姫の数に制限はなかった筈ですが……」
「馬鹿ね。数だけ価値は下がるのよ。男の腕の定員は少ないほど価値が上がるの」
景品の希少性が価値を決めるという市場原理らしい考えは、クレアにも理解できなくもなかった。ただ、女性を競わせる如き悪辣にも思えて同意し難いと沈黙を選択する。
しかし、フランシアは同意する。
「はい、その通りです。男の腕の価値は兎も角、私が調べたところ陛下は自己犠牲を称賛されますが、自己犠牲が必要な場面が常態化する事を放置する真似を憎悪為されている御方でもあります。兵権を確実に握っている今、自身の自己犠牲を前提とした動きをするとは考え難いと思うのです」
国内に於ける圧倒的軍事力を手にしたトウカが、側妃や寵姫を迎えるという無制限に乱発できない手札を敢えて切らねばならない理由も必要性もない。フランシアの主張は端的に言えば、そうしたものであった。必要性に迫られている訳でもない状況下で、使いまわしが難しい手札を無理に消費する必要性はない。
「帝国侵攻を早々に実現すべく、政治基盤を固める為……そうした手段を取るだろうと見ている軍高官は多いですが、その辺りはどう考えますか?」
「それは有り得ないと見ています。その……貴国の政治制度は事実上の専制君主制です。政治基盤を固めるという名目と言えど、日和見を決め込んだ勢力や反覆常ない勢力を取り込む為に側妃や寵姫を迎えるというのは弱みを見せる、或いは決め手に乏しいという誤解を招くのではないでしょうか?」
推論を重ねながらも逡巡と共に指摘するフランシアに、クレアは、成程、と感心する。
軍事力を背景にトウカは権柄尽くで物事を進めてきた経緯があり、現時点での妥協は帝国侵攻に際して、国内情勢に不安があると見られる可能性があった。それが周辺諸国からの視点である。皇国の不安定化を望まないという事に加え、これを好機と見て皇国へ軍事行動を目論む国家が現れるのではないかという推測が成されていても不思議ではない。
「神州国も好機と見て更に踏み込むかも知れません」
皇国で生じた出来事に対し、皇国の国防に於ける影響力を周辺諸国は常に注視している。皇国の卓越した軍事力を見れば当然と言えた。周辺諸国の政府関係者は、皇国の権力者が考える以上に皇国の軍事力を恐れていた。利用するにしても敵対するにしても情報は必要であり、その姿勢は国家を選ばなかった。
対するクレアは軍人だが、領都憲兵隊から憲兵総監という経歴である為、政治に於ける不正や反動主義への視点を中心として物事を見る傾向がある事を自覚していた。
「軍事力に頼り過ぎたから、どんな場面でも軍事力に不足があると見せられなくなった……酬いと言えば酬いだけど、帝国を叩き出して国内を極短期間で統一するにはそれしかなかったわ」
軍もそれを知るからこそトウカの無法から目を背けている節があると、リシアは指摘する。
決して軍事費の拡充が認められたからという理由だけではない。軍事力の欠如は亡国に繋がる。そして強固な指導力を持つ人間が現れ、軍はその人物以外の代替者を見出せない。寧ろ、座視すれば更に苦境に立たされると悲観している。それ故にトウカの強硬姿勢にも寛容と成らざるを得なかった。
「私はトウカの苦節に寄り添う。無理なら一緒に堕ちていく。敵する全てを巻き込んで」リシアが嗤う。
クレアも共に堕ちていくという点には同意できるが、敵する全てを巻き込むという点には同意しない。トウカに敵が多く、地上が焼野原になりかねず、トウカが今以上に悪評を背負う事になる。彼女にとりそれは許容し難い事であった。
「結局、感情か政治か……どちらを考えて……違うわね。意思決定に占める比重がどうなっているか……それで決まる訳ね」リシアはうんうんと唸る。
クレアは、そうでしょうか、と自問する。
結局のところトウカの真意が分からない以上、二人の妄想でしかない。
「そもそも、セラフィム公やヴァルトハイム卿は陛下の御意向を知っていらっしゃるのではありませんか?」
当人に直接、聞けないのならば、近しい者に聞くしかないという単純明快なフランシアの指摘に、二人は顔を見合わせる。
「正直なところ、あの二人も動きが怪しくないかしら?」リシアの疑念。
「……ヴァルトハイム枢密院議長もですか?」クレアは驚いた。
ヨエルは元より乗り気であるが、クレアからするとベルセリカはそうした仕草や蠢動をしているようには見えなかった。北部貴族からそうした声が出ている事は承知しているが、ベルセリカはそれを黙殺している。心底と馬鹿らしいとでも言わんばかりに。
対するヨエルは天翼議会の政治勢力拡大を目指しており、自身も皇国宰相として威勢を振るっているが、表面的な動きは全くなかった。当人同士の会話ではヨエルが逢引の誘いなどを試みているが、それは年長の女性が年若い青年を揶揄っていると見られている。
二人の胸中は不明瞭であった。
「恋する乙女は全てが怪しく見えると言いますから……」
面倒臭いという感情が滲むフランシアの意見に、クレアとリシアは揃って苦笑する。
全く以て女子会であった。
政治の話が全くではない訳ではないが、それは色恋に付随せざるを得ない相手だからであり、そうした点を除けば紛れもなく乙女達の色恋の話であった。




