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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》
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第三四〇話    焼鳥



 リシアは串刺しの鶏肉を頬張り、クレアは串から一端皿に取り外して箸で口に運んでいるところが人間性を感じさせるが、酒を嗜む速度は共に早い。


「女子会よ女子会。別に肩肘張らなくてもいいのよ」


 無理があろうかと思われます、と内心困り果てていたが、リシア越しにクレアが補足説明する。


「皇国は、性差より種族差が大きいので女性の要職者も珍しくないですが、他国では……それも民主制国家では珍しいので一度、話してみたいと思ったのですよ」


 成程、とフランシアは頷くが、同時に建前だろうとも見ていた。


 珍獣の如き扱いを受けている事はフランシアも重々承知だが、それが自身の大使就任も目的の一つでもあったので不満はなかった。寧ろ、性別や容姿一つで相手が油断してくれるなら安いものであると外交官として教育を受けたフランシアは割り切っている。


「それは……親の威光あってのものですから」


「まぁ、そうよね」


 直接的な物言いのリシアの手の甲を、クレアの串が叱責する。呻くリシア。


「申し訳ありません。こうした人物なので御寛恕いただきたい」


 頭を下げるクレアに、フランシアは問題ありませんと応じるしかない。


リシアの破天荒は諸外国に知れ渡っており、同時に口が悪いだけではない事は戦歴が示している。フランシアとしても人間種と然して変わらぬ混血種でしかないリシアが、若くして戦野で実績を上げて佐官の最上位にまで上り詰めた事に対して憧憬の念を覚えないでもなかった。背景もなくただ実績のみを頼りに立身出世異を成し遂げる姿は憧憬の念を覚えるに十分である。


 実際、焼き鳥をもしゃもしゃと食べている姿を見れば、まぁそんな人なんだろうと憧憬の念も萎えてしまうが、同時に確かに塹壕戦で悪態を吐きながら敵兵に曲剣(サーベル)を突き立てていても不思議ではないとも思わせた。


 無論、野戦将校としての力量だけでなく、担ぐ相手を見定める観察眼もあれば、当然ながら運もある。それらを手にして歴史上で暴れ回るかの如く躍動する姿は、同じ年若い女性として勇気付けられるものがあった。


 そうしたリシアからすると親の威光の結果として新任大使となった自身は取るに足らない存在と考える事もフランシアは納得できた。


「とは言え、親の七光りというのは事実ですから。それに実情は……御二人であれば御存知かと思いますが、任命しようとした外交官が逃げ出した事に端を発する悲喜交々がありまして……」


 自国の外交を司る機関に対する仕打ちに加え、敵国とはいえ都市諸共に民間人を焼いて、人的資源の差を圧縮できた、などと宣う国家指導者と遣り合う度胸のある者はそういない。逃げ出す者が居ても不思議ではなかった。フランシアも前任を一概に非難できない。


 リシアとクレアが顔を見合わせる。


「それは、宣伝戦(プロパガンダ) の一環ではなかったのですか?」クレアの困惑。


 リシアは無言で焼鳥を口に運んでいる。焼き鳥でも臓物が好きらしい。親父である。


「いえ、まさか。幾ら何でも無様が過ぎるではありませんか」


 皇都擾乱で銃声と砲声、軍靴と履帯の音で心を病んだ前任大使が逃げ帰って来た後、皇国の外交官が三人、共和国に亡命してきた事で話が捩れる事になった。トウカに対する悪評である。無論、悪評というよりも恐怖に近いものであったが。


 恐怖で亡命までする相手がトウカの事を悪し様に罵るのは当然であり、尾鰭どころが背鰭胸鰭まで付くことは予想できた。


 しかし、亡命者が外交官である事が事態を複雑にした。


 共和国の外交官とも面識や交友があり、全てを虚言と退ける事は心情的に難しく、言動の一部なりは事実であろうという論調が外務省で生じた。外交官を無下にするトウカに対する隔意もある。


 そこまでであれば、皇国への着任から逃げ出さない外交官も居たかも知れない。


 外交官三人は可能な限り皇国と距離のある土地で第二の人生を歩む事を望み、共和国はそれを受け入れた。外交官達の脳裏に戦略爆撃や空挺降下の恐怖があった事は疑いない。航空騎の航続距離は自身の安全に直結する。


 トウカが亡命した外交官の引き渡しを共和国に要求しなかった事も共和国が要求を受け入れた理由だった。


 しかし、外交官三人は共和国西部への移動途上で交通事故に遭い死亡する事になる。


 共和国外務省は沈黙した。


 阿呆な外務省職員の中には天帝の謀殺を叫ぶ者も居たが、全体として共和国外務省は沈黙を選択した。


そこには恐れがあった。


 無論、天帝たるトウカに対してではない。


 暗殺を行ったのが大統領府や共和国陸軍であった可能性に思い当たった為である。自国内の政争に発展しかねない危険性を孕んでいる問題に転じたのだ。


 皇国が首謀者であるならば、不慮の事故として貸を作ったと見る向きもあるが、そもそもトウカは逃げ出す……辞表を出す外務府職員や外交官を一切引き留めていない。


重要書類を持ち出した訳でもない三人の外交官の為に暗殺という手段を取るのは共和国との関係を踏まえれば不利益が大きい。無論、今までの振る舞いから遣りかねないというのは確かであったが。


 対する共和国陸軍にも動機はある。


 皇国軍の航空技術や戦車売却に加えて航空艦隊と傭兵師団(ランツクネヒト)の派遣。


現在、共和国の厳しい戦況を一変し得る各種支援を行おうとしている皇国との関係悪化は断固として阻止したい構えである。何の利益にもならない祖国から逃げ出した外交官三人によって関係が崩れるなど許容し難いと考えるのは自明の理であった。


 そして、大統領府にも動機はある。


 共和国陸軍と同様に厳しい戦況を覆すだけの支援を行える皇国との外交関係に傷を付けたくないという消極的理由だけでなく、既に俎上にある大陸横断鉄道の利益に気付いた閣僚や議員は大統領府に皇国との外交関係をより親密なものとすべしと激しい突き上げを行っている。その大陸横断鉄道という利益を提示したのがバルバストル大統領自身である事を踏まえると、大統領府が手を打ったという可能性は低くない。


 最悪、大統領府と共和国陸軍が合意の上で謀殺したという可能性もある。


外務省はそれを理解して組織としては黙殺を選択した。その辺りを推察できない阿呆が騒ぐが、それは極一部に過ぎない。


 しかし、目端の利く者であれば各勢力の関係から理解できるものである。


無論、外務省の花形である外交官がそれに気づかぬ筈がない。


 駐皇国共和国大使はその時点で、戦死覚悟で引き受ける重職となった。


問題が起きれば、不慮の事故で処理されかねないという危険。


 後任が決まる筈もなかった。


天帝、大統領府、共和国陸軍のいずれかが状況次第では不慮の事故を演出しかねない職責。


 外交官達はそう認識した。


不利益を齎す外交官が、一方の組織から不利益になった時点で不慮の事故が生じかねない。


 外交官を殺害するという先例が生じ、それを躊躇しないであろう国家に赴任するという危険。


 しかし、皇国側から見た印象は大きく違う。


「我が国では、貴官の立場を強化しつつ、敵意や悪意を軽減する為に被害者としての側面を用意したと分析されていましたが」


クレアの困惑にフランシアも困惑する。


 フランシアからすると中々に飛び抜けた推察であった。


 オーギュストは、娘のフランシアであれば早々に殺されぬし、経験を積むには中々の機会である。命以外は失ってきてもいい、と散々な物言いで大使として推認した主張も、フランシアに対する同情を呼んでいるの事も確かでありその一環と見る向きがあっても不自然ではない。


 誰も望まぬならば、と娘を上手く要職に就けたと見る者はいないが、職責だけで見た場合、誰にも非難される事無く親族に要職を与えたことになる。そうした声を完全に封殺する為の情報操作の一環であったとするならばオーギュストは相当な謀略家という事になる。


 ――父ならば在り得る……失敗しても若さを理由に庇えると見たのかも……


 そうなると外交官三人も謀殺からフランシアの大使就任までの筋書きが出来ていたとしても不思議ではない。疑い出せば際限がなく、外務省での噂話に指向性があった気がしてきたフランシアは表情を曇らせる。


「そう、貴女も親族には苦労させられているのね……出来過ぎる親を持つと子は周囲から過大な期待を寄せられる」


 皇都擾乱の際、主義者に対して現場での射殺命令を下した憲兵総監に同情を寄せられているという不可思議にフランシアは思わず苦笑を零す。外交とは不意打ちの連続である。


「それに……事の発端は外交官の事故死でしょうが……手を下したのが誰かという話になると……」


 クレアはリシアを見据える。フランシアも釣られてリシアを見た。


 リシアは紫焼酎を飲み干して硝子杯を机に叩き付けた。


「失礼ね。うちの情報部は帝国人を殺すので手一杯よ。逃げ出した小物の面倒なんて見ないわ。北部の害虫駆除すら終えてないのに」砂肝をがしがしと噛み締めるリシア。


 つられてフランシアとクレアも砂肝を口に運ぶ。


 個性的な触感に塩気、ほんのりと出汁の風味もある。噛み締める程に肉の旨味が広がり、塩気が続き、出汁が最後を飾る。成程、美味であるとフランシアは感心する。


 外交の場とは思えない粗雑さであるが、美味しい以上は不満はなく、寧ろ気取らずに済む事はフランシアにとって僥倖であった。立派な出自と言えるフランシアだが、それ故にこうした雰囲気に憧れもあった。


 ――無礼講と示す為に焼鳥を……そんなことはないでしょうね……


 がしがしと鶏皮を貪り、紫焼酎で喉を潤すリシアの姿を見れば、自分が焼鳥の気分だったのだろう納得できる。


 勢いがあるが粗野ではないというリシアの食事を、クレアは咎める事もない。寧ろ、さり気無く手に取りやすい位置に串を置いている。不仲ではないのは傍目に見ても間違いなかった。


「彼女は野戦将校でしたから。 どうしても食事を早く済ませる癖が抜けないのです。私は憲兵隊一筋でしたので」


 フランシアの疑問を察したのかクレアがリシアの勢いある食事風景の理由を説明する。


 野戦将校。


 リシアは帝国との激戦を潜り抜けた勇士である。


 銃弾飛び交う戦場で優雅に食事を摂る暇がない事はフランシアにも分かる事であった。


「昇格の代償は早食い……まぁ、敵を殺すだけで評価される軍人は救いがあるわ。外交官は論破しても評価されないものね」


「ええ、納得していただかないと禍根になります」


 論破と納得を分別して考えるリシアにフランシアは驚きを覚えた。


 政治家や官僚であっても、その点を理解していない者が少なからず存在する。


「早食いと言えば、貴女だって栄養剤で済ませるじゃない?」


「あれは新型の携帯糧秣の試供を兼ねています。後で資料を纏めて提出していますよ?」


 中々に酷い偏食を聞いたフランシアは取り繕うべき表情の種類に悩む。


「トウカも似たようなところあるから困るわ。星海進出に備えてヒトも光合成できるようにしたいものだな、なんて言ってたわね。あんまり人間性を捨てるのは好ましくないわ」


 天帝を呼び捨てにするリシアに、フランシアは強固な人間関係があるのだろうと感心する。


 戦場で育まれた絆が強固になる傾向があるのは、長きに渡り帝国と千戈を交えている共和国でも聞く話であった。父であるオーギュスト自身が軍人から政界に転身した事で、軍の高官に対して交友関係がある為、軍に対する事前の根回しを得意としている。民主国家としては問題だが、長年に渡り他国から侵攻を受け続けている国家である以上、軍への配慮や癒着は致し方ない部分もあった。現実の軍事的脅威の前には政治思想など意味を為さない。


「光合成ですか……背中から枝でも生えるのでしょうか?」


 フランシアの疑問にリシアとクレアが笑い声をあげる。快活な笑声。


「私も同じことを言ったわ。この憲兵総監は正しい推測をしたみたいだけど」


 貴女を笑った訳じゃない、とリシアはフランシアの肩をばしばしと叩く。


 光合成という現象に対する言及は初代天帝が行ったものであり、その現象の観測もまた厳密なまでの言及があった為、遥か昔に広く知られるまでに知識として一般化している。初代天帝に依る現象に対する言及でも未だ観測されていないものも少なくないが、農業に関わる現象は食糧生産の問題から比較的熱心に検証が重ねられる傾向にあった。


 そして、咳払いしてトウカの返答を口にするリシア。


「羽根やら角やら尻尾が生えている連中が天下の往来を闊歩している国で樹木が身体から生えている程度で話題になるのか?ですって」


一理ある、 とフランシアは苦笑する。


 多様性の坩堝。

 多種族の濫觴。


 人間種が肌や宗教、風習でいがみ合うのが馬鹿らしくなる程の差異が氾濫している国家が皇国である。それを纏め上げる為に天帝という絶対的権力者が必要である事はフランシアも理解できるが、実際に目にすれば一目で分かる多様性が氾濫し過ぎて意識が摩滅している様にも思えた。多様性にも限度がある。余りにも多過ぎれば派閥化し難い。


 混血化した種族を混血種として無理に大系化しているが、皇国の場合、混血種でも混血化著しい為、特定種族の特徴が色濃く出る場合が多く、その際は~~系混血種などと扱われる。 混血種内の種の細分化まで含めれば、多様性や個性など考える事も馬鹿らしくなるほどの外観があった。


「言われてみれば、そんな気もしますね。私にも翅がありますので」


 特徴的な部分を隠蔽術式で隠蔽する者も少なくない。


 これは差別や特別視を嫌ったものではなく、一般市井で使用する日常品が数的に最大規模である人間種と混血種に合わせたものが多い為、それらを問題なく使用する事を理由としていた。天下の往来で羽根を広げで歩行するのは自身にとっても他者にとっても危険であるという理由もある。


「我が国にも外観に大きな差異のある種族は居ない訳ではありませんが……確かに皇国は多種多様で中々慣れませんね」


 日々の生活でも気を付けねばならない項目が増える事も確かである。


「特に角のある種族と市中で擦れ違う時は接触しない様に気を使います」


 自身の顔と同じ高さに角があれば大惨事である。


 羽根や翼、尻尾などは衣類や踏み付けられる危険もある為、隠蔽する傾向にあるが、頭部の角などは日常品の使用という点では問題とならない為、そのままにする種族も少なくない。


「そういえば、額に立派な一角がある鬼系種族が頭突きで帝国兵を突き殺したところを見たことがあるわね」食べ終えた焼鳥の串で額に角を表現するリシア。


 戦場での殺し方にも多様性が生じている事実にフランシアは返答に窮した。


 軍人だけあって外交官とは違う感性の下での会話であり、一般市井からすると不謹慎極まりない話題が挟まること甚だしい。


「私、生きて帰れますか?」ついうっかり本音が出る。


 フランシアとしては意識した発言ではなかったが、ヒトの生死に関する話題が奔流の如く投げ掛けられる中では、どの死に方が良いかと尋ねられている様に思えたのだ。


 ――養豚場が一番嫌かな……


 新聞で誇張された表現であったが、トウカの政敵の女性が散々に婦女暴行を受けた挙句、 四肢を細切れにされて養豚場の餌箱に投げ込まれていた事件は国内外に衝撃を与えた。


フランシアも文面を読んで顔面蒼白になったものである。


専制君主制国家では政敵に対して残虐な末路が用意されているのは歴史の知るところであるが限度を超えている。


 そうした懸念を他所にリシアは大爆笑である。


 クレアまでもが口元を押さえて笑っている。


「ああ、そうね。そう言えば、こんな日常会話は北部だけよね。 忘れてたわ。御免なさいね」


 修羅の大地と称される皇国北部の狂気を垣間見た気がしたフランシアだが、それを踏まえればそうした相手に内戦を決断した皇国政府や軍も相当な修羅という事になる。修羅の国、皇国。


「大丈夫ですよ。 北部の方々も理由なく斬り付けたりはしませんから」クレアの補足。


 逆を言えば理由があれば嬉々として斬り付けるのではないか。そうした気がしたフランシアだが、連続で口を滑らせるほどに愚かではない。


「申し訳ありません。 つい、うっかり……」


 外交問題になりかねないのでそうした方向で済ませるしかなく、幸いなことに非公式の場であるのでフランシアにも勝算はあった。


「いいわよ。今にして思えば、この面子で女子会と言っても納得しないもの」


「私はこうなると思っていましたよ。軍人が他国の大使と接触するというのも外聞が悪い」


 今更かぁ、とフランシアは内心で毒突くが、理解して貰えたならば幸いである。配慮が期待できた。


 安心からねぎまを次々と口に放り込むと、フランシアは紫焼酎の水割りで胃へと押し流す。美味であった。塩気と脂に香ばしい葱の香り。 祖国にはない味わいであった。


「とは言え、まさか全てが気紛れだと申しても信じては貰えないでしょう。ここは我々も率直に話すべきでは」


 本題が来た、とフランシアは硝子杯を長机に置き、両手を膝に添える。


 腹の探り合いになるかと思えば、余りにも直截的な話になりそうな気配にフランシアは感情の振れ幅を心配する。軍人は奇襲を好むというのは戦場だけに限った話ではなかった。


「腹を割って……切腹した心算で本音を晒さないといけない訳ね。まぁ、そんな明確な話じゃない訳だけど」


 物騒な物言いをしなければ気が済まないリシアだが、率直な話の内容が不明瞭であると当人達が自覚しているであろう言い回しにフランシアは当惑した。


 ――私が持っている情報に大した情報なんて……本国の状況かしら?


 皇国国内での共和国の動きなど知れている。情報工作を友好国内で行って露呈した場合の危険性を冒す状況ではないという事もあった。現状は、寧ろ共和国に対する印象向上を意図した共和国大使館主催の催事が各地で開催されていた。そうした意味では共和国大使館の関係者はかつてない程に皇国に入国している。


「南エスタンジアと貴国が合同で陛下に上奏する件について、です」クレアが単刀直入に告げる。


リシアは追加で鶏皮を注文する。


 フランシアは嘆息する。


 返答し難い案件であり、フランシアとしても本国からの一方的な通達を着任直後に受けて気分を害していたところであった。


「本国から外交特使を派遣すると一点張りなので、私として本国に苦情を返したところです」


 眉間に皺を寄せて応じるフランシアだが、その仕草は芝居などではない。


 実情として、着任早々に外交特使を派遣するというのはフランシアの立場や存在感を毀損し得る行為であった。


政戦に大きな動きがない中で早々に外交特使を派遣するのであれば、大使として着任するフランシアに案件を託すべき場面である。それをしないのはフランシアの能力に本国が疑問を抱いているという表明と国内外に捉えられかねない行為である。


 軽い神輿である事を求められているとは言え、そうした侮辱を外交手段を以て表明される事に対して寛容でいられるはずもなかった。


 しかし、同時にフランシアは共和国外務省がそれ程に無知蒙昧であるとは考えていない。少なくとも以前の皇国外務府の様に夢見がちな少女の如き有様ではなかった。


 ――恐らくは突然の方針変更。それもあまりにも突然すぎる類の。自国内にその原因がないと見るべきかしら?


 今日、自称女子会の招待を受けたのは、そうした部分に対する反発もあった。軽い神輿ではないと証明したいという欲目と、そもそも大使館の外交官や駐在武官が先の会見で役に立たないと見て独自に判断する必要に迫られたという経緯がある。


「とすると、 南エスタンジアね」


「あの総統ですか。中々に積極的な様です」


 リシアとクレアが顔を見合わせる。


 ある程度の推測はできていたとフランシアは見た。確認と選別という意図で自身が呼ばれたというのは納得できる経緯である。


「どの様な案件なのでしょうか?」フランシアも興味があった。


 本国の動きに関係する以上、フランシアも知らぬままでは不都合が生じかねない。通信では明確な返答を得られなかった以上、 現地で情報収集するの は大使として自然な行為である。


 二人が視線を交わす。


 何を何処まで話すかという合意が一瞬の間に取り交わされたのだろうと、フランシアは二人が相当に親しいのだと評価を更に変更する。


「それが分かれば苦労しないのよ。あの国の少ない身代で中々どうして我が国を振り回してくれるわ」リシアは辟易として紫焼酎を煽る。


 南エスタンジア国家社会主義連邦。


 見目麗しい独裁者に率いられた世にも奇妙な国家であると同時に、恐らくは初代天帝から始まった数多の政治思想から、明白に大系外である政治思想で統治を行う国家として認知されている。


「私としては徹底的な戦略爆撃後に南エスタンジア軍主体の地上軍でエスタンジア統一を為せば落ち着くとは考えているのですが」


 極めて残虐非道な発言を聞いた気がしたフランシアは焼鳥を口に運ぶ手を止めた。穏やかな表情のクレアからは発されたとは思えない発言だが、彼女が対帝国戦役後の捕虜の”選別”に関わった事は公然の秘密である。清楚可憐な乙女の風貌に騙される者は多いが、少なくともクレアはリシアよりも遥かに多くの死に関与している。


 皇都擾乱に於ける国家憲兵隊に依る政敵の排除も噂されており、クレアはリシアと違いより積極的に憲兵隊という統治権力を政敵の排除に用いている。少なくとも表面的な動きを客観的に見た評価では、クレアは極めて国内外から危険視されていると言えた。


「貴女……相変わらず過激ね」


 リシアは、頼もしいわね、とクレアの肩を叩く。


 何処までも気安いリシアに、フランシアは皇国政治の舞台で右へ左へとふらふらしても尚、曖昧な好意を多方から勝ち得ている理由を垣間見た気がした。


「敵性国家の国民の数は数字に過ぎません。無意味に殺戮する必要はありませんが、意味があるならば国益に沿う形で処理してゆくべきでしょう」


枝木を剪定するかの様に話すクレアに恐怖を覚えたフランシアだが、同時にトウカの意向を受けて政敵を排除する人物の姿が可視化されたと納得もしていた。


 実情として、トウカが水面下で政敵の排除を行う事は少ない。


 寧ろ、情報面で追い詰めて社会的信頼を低下させる事で自滅を誘う事を主体としていた。 失敗や虚報に踊らされ信頼を喪えば、それは痛烈な批判や誹謗中傷に繋がり、それを払拭しようとヒトの言動はより苛烈で先鋭的になる。そうすると更なる批判や誹謗中傷を招くという悪循環。


 トウカはヒトの信頼を削ぐ意義を十分に理解していた。


 政敵に嘘を口にさせ、失敗を招く。


 度重なる批判などは水掛け論になる為、トウカは好まなかった。批判は一度か二度、自らの立場を明確とする為に行うべきで相手を攻撃する意図で行っても効果は乏しい。


 政敵に失敗を犯させる。


 トウカの政敵への対処が物理的な排除となった例は意外な事であるが少ない。特に天帝という立場を得て以降は取り得る選択肢が増大した為に減少傾向にあった。


 政治とは自身が正しい必要はなく、政敵が明確に間違っていればいい。


 そうした政治姿勢の下で政治の舞台から排除された学者や政治家、貴族は多い。


 それでも命を奪う事までに至った者は少ない。


 しかし、実情として惨たらしい死に様を晒した政敵も多い。


 その齟齬の原因こそがクレアであった。


「ヒトが変心することなどそうはありません。一度、纏った……或いは得た基準とは中々に払拭できないものです。話し合いも友好も良いでしょう。ですが、ヒトが本質的には分かり合えないという前提を忘れて貰っては困るのです」


 政治家や外交官向きの性質をしていると、フランシアはクレアの言動から読み取った。理想に飲まれて現実を見失わない。しかし、同時に厳しく残酷な現実に何処までも付き合う狂気染みた覚悟も滲む。


「あら、貴女はトウカと分かり合えていないの?」


 クレアとトウカが親密である事は共和国政府も認識している。無論、それによってクレアが立場を得た訳ではない事も同様であった。憲兵としての力量は疑うべくもない。


「……勿論です。あの方を理解できると考える程、私は傲慢ではありません」


 逡巡の後の同意。


 リシアの問い掛けも酷いが、クレアの返答も酷いものであった。


「後ろ向きね。そういうの。好きじゃないわ」長机に頬杖を突いたリシア。


尖らせた唇が可愛らしく、皇国政治に於いて類を見ない振る舞いが目立って尚も好意的に見られる理由の一端であった。そうしたリシアに、クレアは穏やかな笑みで異論を述べる。


「ですが、共に在れずとも、共に堕ちて往く事は出来ます」


 苛烈な台詞だが、その表情は緩やかでいて陰ひとつない。


 クレア自身にとって共に破滅に進む事は決して悲劇ではなく、重要なのは共に在るという一点に集約されている。フランシアは自覚する程の明白な恋愛を経ていないが、紛れもなく愛なのだろうと確信できる程の強烈な感情。


 共存ではなく、共に踏み込んで死地へ赴くとも取れる台詞だが、古来より愛とは捧げるものであるとされる。要は挺身であり、自己犠牲であった。


 それを政治的立場まで利用して行うのだから、 その愛は狂信的ですらある。


「それは貴女も同じはず。私はこの健気を貴女に学んだのです」


 狂信性を競い合うかの様な気配にフランシアは心底と恐怖した。


――皇国人の恋愛観は叙事詩的なのよね……


 恋愛は壮烈でなければならないと考えている節がある。皇国史に於いて恋愛が度々、政戦に対して多くの影響を与えている事からも其れは明白である。戯曲や歌劇でも皇国史に纏わるものが多く、世界中の芸術家が集う事で有名な芸都があった。


 ――恋に恋する乙女みたい……


 恋愛を政戦に持ち込む手合いに、それを口にする勇気はフランシアにはなかった。婦女暴行後に解体されて養豚場の餌箱に押し込まれる自信がある。


二人は種類の異なる笑みで見つめ合う。


「それ、あんたじゃなければ、表に出なさいよ、って言ってたことろよ」肩を竦めるリシア。

「私も先達が貴女じゃなければ、 適切に処理していましたよ」口元を押さえて笑うクレア。


 硝子杯を合わせて乾杯する二人。


 女子会(物理)の可能性が潰えた事に安堵したフランシアだが、こうした面々が居るであろう当代天帝の枢密院と遣り取りを行わねばならない事を考えて暗澹たる心情であった。


「でも、もう一人、狂った女がいる」




「ヴィルヘルミナ・グリムクロイツ」




 リシアの言葉にクレアが応じる。


 二人は問題を擦り合わせたことはないが、互いに認識はしていたという様子であるが、対照的にフランシアはエスタンジアが出てくるとは予想していなかったので驚き隠せない。


「エスタンジア統一後にエスタンジア地方が皇国に合流するという話があるのよ」


 それは衝撃的な一言だった。


 国際情勢を一変しかねない。


「併合……という事でしょうか?」


「此方から出た提案でもないし、併合という言い方も語弊を招きそうだけど、皇国の一部となるという点では同じね」


含みのある物言いだが、提案としては南エスタンジア側から行われたと捉えられる。強要した様子はなかった。


「驚きの提案でしょう?」


 自国の歴史を閉ざす決断をするというのは容易ではない。一つ間違えば政権崩壊や内戦の可能性すらあった。


「はい。ただ……」


「ただ?」


「エスタンジアの置かれている状況を考えると最適解とも思えます」


 フランシアとしては、政治という常識で見た場合は非常識であるが、将来的に見た場合は皇国の傘下に加わることは悪い事ではない様に思えた。


「最適解?」


「はい、 皇国と帝国の二つの通行可能領域の内の一つを抑える要衝で、海にも面して大きな港を擁しています。もし、天帝陛下が仰られる帝国侵攻あらば、皇国の交通の要衝として栄える可能性も有るのではないでしょうか?」


フランシアとしては、ヴィルヘルミナの思惑はその点にこそあると見ていた。


 もし、皇国が帝国侵攻を成し遂げて、帝国の広大な領域を併合した場合、当然ながら収奪であれ発展であれ、本土とはかなりの物流が発生するはずであった。例え収奪と破壊を選択しても、その領土という縦深を維持し続ける為には相応の軍事力の展開を目的とした交通網と施設は必要であった。その要衝としての価値をエルライン回廊のみに独占させるべきではなく、寧ろ、エスタンジア地方の交通網整備も皇国に行わせる形で皇国の一部となる選択がより大きな発展を実現できる。


国内という扱いになれば、国土開発に莫大な予算を投じられるのは、保護占領した南方保護領が証明していた。


 人口と峻険な国土、三つの強国の狭間に在って独立を捨てでも利器を確保するという覚悟。国家という枠組みではなく、その地方や地域の未来を踏まえた上での提案などだろうとフランシアは見た。


 ――南エスタンジア……侮り難し、ですね。


 そうした南エスタンジアの外交提案に共和国が同意した、或いは乗じた事で共同での上奏が実現した可能性。その場合、その内容は両国にとって利益のあるものである公算が高いが、フランシアは具体的に推察できなかった。表面的な国際関係に留まらない意図が複数存在する事 は明白である。


「そうした考え方もある訳ね。 勉強になるわ」


「経済強化が前提となるとは考えていましたが……」


 リシアとクレアが顔を見合わせる。


 フランシアは鶏冠(とさか)の串焼を口に含む。奇妙であった。


「予定されている大陸横断鉄道の東端はフェルゼンですが、エスタンジアまで延伸するという話に持って行きたいという意向もあるのかも知れませんね。大陸横断鉄道は事実上の軍事同盟や経済圏として機能する訳ですから」


 クレアの指摘に、フランシアは鷹揚に頷く。


 現在、東端として予定されているフェルゼンはシュットガルト湖や運河を通して大星洋と面しているが、エスタンジアは直接的に大星洋と面している。商用港としての利便性や将来的な拡充を踏まえた場合、フェルゼンよりも適していると言えた。


 フェルゼンは良くも悪くも軍都なのだ。


 確かに、神州国が健在であれば、エスタンジアの商用港の利用はその海軍力で抑え付けられるかもしれないが、それが将来に渡って永続する根拠はなく、寧ろ大陸横断鉄道完成時に神州国の海軍力への対処に目算が立っているのであれば皇国にも十分に理のある話であった。


「でも、どうかしらね? エスタンジアが大陸横断鉄道東端として大星洋に面するのは、フェルゼンの利益と相反するわ。嫌がるんじゃない ?」


 狐に対する配慮という点が生じると、トウカの判断が分からなくなるというのが有識者の間では通説となっている。ヴェルテンベルク領を与えたことを見ても望外の配慮と言えた。


「狐ですか……中々の悲恋があったとは聞きます」


 皇国が喧伝している訳ではないが、副官として重用していた恋人である狐娘が戦死したという話は有力者の間ではそれなりに知られた話である。帝国に対する苛烈な言動と行動はそうした私怨があってのものであると共和国外務府は見ており、それ故に対帝国という枠組みの中では自国の民意よりも信頼が置けると考えられていた。民衆の決意ほど頼りないものはなく、国家指導者の遺恨ほど明白で頼もしいものはない。


「同盟国を増やしたいならば、今は空手形に過ぎない延伸計画で……ああ、それを許さない為に南エスタンジアは共和国を巻き込んだ訳ね」


 第三国の仲介があれば、 反故にし難いというのは外交手段として珍しくもない方策であった。


「共和国の賛同ですか? 同盟国の数が増すというのは政治的演出としては大きいですが、それだけで陛下が受け入れるとも思えませんし、遵守し続けるとも……」


 クレアは首を傾げる。


 問題はトウカが、反故にし難い、という程度で遵守するかという点にある。


 クレアはその可能性を捨てなかった。


 主導権を握った者は常に非常識な行動を行う事で主導権を保持し続けようとする。サクラギ・トウカという人物はその極致にある。


 常識や慣習は通じず、自らの優位に利用できるかという観点のみが優先される為、既存の外交政策からの要求が通じない可能性が高い。敵国とは言え、近代にあって首都を焼く国家指導者を会話不能の怪物と見る者も少なくないが、それは強ち間違いでもなかった。


「何でもありの相手に総統閣下も策を弄しているというところね。お手並み拝見よ」


「それは、 また……」


 リシアの物言いにフランシアは言葉が続かない。


 ヴィルヘルミナの外交手腕や政略に対する興味はフランシアにもあるが、無関係ではいられない立場からすると楽しめるものではなかった。しかし、それはリシアも同様のはずであり、場合によってはリシアにも影響がある事は十分に考えられる。


「怒らせて武力併合も在り得るんじゃないかしら? 新規編制の山岳歩兵師団や航空艦隊の実力を試したいなんて言い出すかも知れないわよ?」


 リシアは窺う様にフランシアへと告げる。


 その思惑を理解でいないフランシアではなかった。


 ――陸上戦艦での一件を知っていると見るべきでしょうね……


 トウカによる共和国への警告を踏まえた上で、共同上奏に於ける不和とはいかないまでも、温度差を生じさせる事で隙を作ろうという意図があるとフランシアは睨んだ。


 実際、内容が不明であるらしいというリシアとクレアの発言も、そうなると事実か疑わしくなる。共同上奏の内容を知らずに離間の計を企てるとは考え難い。無論、二人は軍人である為、外交の基本が通じない可能性も有った。


 事実、リシアは何も考えていなかった。


 強いて言うなれば、状況を引っ掻き回し、良さげな頃合いを見て利益だけ啄むという皮算用があった。


 戦況を流動的なものとし、隙を狙うというのは野戦将校らしい判断と言えた。


 対するクレアは、リシアが考える程度の状況でトウカが済ませない可能性を見ていた。


「不意に致命的な認識の齟齬が出ます。陛下の良心は狐の形をしていました」


 外付けの良心としてミユキを見る者は少なくない。


 カナリス、ラムケ、エップなどがそうした見解を持っており、クレアも例外ではない。最近のトウカは、時折、ヒトならざる生き物である様にも思える。そうした心情からの発言である。


 対するフランシアはトウカとの遣り取りで非人間性を感じなかった。


「最近、御自身の発言に対しても考え込まれている様子が多々見受けられますから」


「何よそれ。ザムエルでもあるまいし、何も考えずに話してるみたいじゃない」


 クレアの指摘にリシアは怪訝な顔をする。当のクレア自身も怪訝な顔をしているので、フランシアも釣られて怪訝な顔をするしかなかった。


 焼鳥屋で怪訝な顔をする三人の乙女。


 大将は頭の鉢巻きを巻き直す。


「その際の表情、私はあまり好きではありません」


 抑制的な人物かとクレアを見ていたフランシアだが、その言葉には親近感を覚えた。一人の女性としての印象である事はフランシアにも察せる程に感情が滲む。


「……それ、恋する乙女ねぇ」


「……引っ叩きあった仲ではありませんか。互い様ですよ」


 リシアとクレアが視線を交わす。フランシアは腰が引けた。


 恋する乙女が互いに持ち得る権力を使って衝突するというのも見たくはないが、直接取っ組み合いを始める場面を特等席で見る事も同様であった。余波に巻き込まれかねない。少し座席を離したフランシア。


「指導者は人間性が欠如しているからこそ大きな決断ができると思うのよね。でも、その欠如している度合いが問題という話でしょう?」


リシアはうんざりとした表情を隠さず、紫焼酎の一升瓶を手に取り、空になった硝子杯へと注ぐ。


 トウカの人間性の欠如とはリシアにとり重要なものではないのか、或いは魅力の一つとして見ているのか、クレアの意見には賛同できない様子であった。


「でも、トウカは昔と変わってないわ。ただ、欠けた部分が狐の形をしていて、丁度合う部品があったからそれらしく見えていただけよ」


硝子杯の氷が軽やかな音を立てる。


 リシアが悩まし気な表情で酒精交じりの溜息を吐く。


「貴女、それを口にするのは、自分だとトウカを望む形にできないと言っているようなものよ……女を下げるわ。止めなさい」


 傷付いたような表情で窘めるリシアだが、当のクレアもそうした返答は予期していた。


「理解した上で、貴女だから言うのです。 そう思ったことはありませんか?」


 あるはずだとの確信が滲むクレアの声音にフランシアも興味津々であった。


 不謹慎ながら心躍る部分があることをフランシアも自覚していた。恋愛に興味がある年頃というだけに留まらず、立場を得て国家指導者への慕情を示す二人の乙女の会話と見れば当然と言えた。


「…………ほんと、やな女……」


 視線を逸らして、もう、と毒づいたリシアのフランシアは不覚にも笑ってしまった。その愛らしさこそが、リシアが何故か周囲に駆ら好意的に見られる理由でもあり、フランシアもリシアに対しての警戒感を維持する事を意識的に行う必要に迫られる。


「その、噂の狐娘の代わりは努められないというお話でしょうか?」フランシアとしては首を傾げざるを得ない。


 些か個性的はあるが、クレアもリシアも卓越した美貌と実力を備えた人物である。容姿に関しての言及を敢えてせずとも、国民の大部分が認識する程度には著名であり、全国紙に姿が写る事も珍しくない。トウカを支える有力者の基盤固めという側面在っての事であるが、それでも容姿と実力が伴わねば人気とは維持できないものである。


 ――私人として……乙女としては……という事かしら?


 容姿も実力もあるが、恋愛に関してはそれに比肩し得るだけの才覚と積極性を持ち合わせていないというのは在り得る話である。神々も資 源をそこまで個人に集中させまいというフランシア個人の願望もあった。


「死んだ恋人は永遠になるのです」眉尻を下げ、困惑を隠さないクレア。


 術数権謀に長けた清楚可憐な憲兵総監の想定外。


「永遠に衰えも失敗もしない……比較もできない死後の相手に勝つというのは霞を掴むが如き話だったのです」


「死はヒトを永遠に届かない存在にさせるけど、それは物質的な意味だけに留まらないって事ね」


 二人の乙女の誤算。


 永遠の不戦勝。


 同じ戦場に立つ事すら許されない中で尚も争うというのは酷く徒労感を覚える話であり、 妥協の余地がない話でも合った。


「だからこそ、あの娘とは異なる部分で示すしかない。情けない話ですが」


 クレアがはにかむ。羞恥と慚愧の入り混じった表情は酷く愛らしい。


「戦況に合わせて陣地転換を行うのは妥当な判断よ。尤も現状の戦況に合致する陣地が分からないのが現状だけど」


 野戦将校出身らしいリシアの表現だが、クレアが何度も頷いて賛意を示す。恋愛は約定(ルール)なしの無差別戦だが、それ故に勝利には多大なる困難を伴った。全てが赦されるという事は、全てが赦されない。


「つまりはそういう事なのよ」焼串でフランシアを指し示すリシア。


「どういう事でしょうか?」


 面倒臭くなって話を無理やり纏めてきたと察したが、面倒臭い感じでしょうか?と問い掛けるほどフランシアも子供ではない。命も惜しい。


 大凡の予想は付いたが、自ら切り出した際の被害が、受動的であった場合と比較すると、その度合いが雲泥の差になる以上、外交官という生き物は先手を打たない。


 リシアはフランシアの外交的消極性を嘲笑う。


「貴女も終生、神輿のままでいる心算はないでしょう?」


「しかし、 皆は私を現職大統領の娘と見る。実績は常に疑われるものです」


 ヒトは誰しも背景を踏まえた上での評価は常に付き纏うが、現職大統領の娘という肩書は個人の実力など容易く捻じ曲げた。努力の結果は常に肩書への配慮や忖度、意向と疑われる。同時に失態を軽減し、追及を鈍らせる事で助かった場面もあるフランシアはそれを不満には思いつつも、声を上げて訴える勇気もなかった。


 そして、そうした自身を嫌悪してもいた。


「御二人も私が現大統領の娘だから声を掛けた……違いますか?」


 恐らく通常の大使であれば声を掛けなかった。フランシアはそう見ていた。


 現職大統領の娘という肩書はフランシアにとり負い目である。得た評価も得られなかった評価も、その点に根差す。煩わしさは否めない。


 しかし、二人の才媛は全く違った視点を持っている。


「違うわね。私、隣国の中年を評価するほど暇じゃないわ」リシアは笑いながら焼串を振る。


 何の気負いもなく近隣の公園で鶏に餌やりしている中年と同等の扱いと言い切るリシアに、 フランシアは慌てクレアに視線を向ける。


「軍人時代から現職大統領に至った今現在まで帝国に然したる打撃すら与えられていない男性を評価するのは少し……」視線を逸らしたクレアの酷評。


 軍事的功績という意味では如何なる国家の指導者であっても追随を許さない今上天帝を戴く憲兵総監からすると当然の主張である。無論、国際的に見て国力に勝る専制君主制国家を前に国境線を維持しているだけでも評価に値するが、皇国には例外が存在する為、現状維持程度では当然と見る風潮が根強い。


 フランシアは笑う。


 盛大に。


 愚かしい事だと。


 自国の常識が他国の常識である筈もない。


 ましてや此処は天帝陛下の戦闘国家。


 力を信奉し、力を示した者だけが評価されるのだ。


「この世界は、共和国は、貴女の舞台でもある……己の真価をこの神々が用意した舞台で示しなさい」リシアは不敵に笑う。


 それは何処か狂相染みて若き天帝を思わせた。





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