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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》

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第三三九話    憲兵と外交




「合同での謁見……共和国と南エスタンジアは歩調を合わせている様ですね……しかし、神州国も同日に非公式で打診してくるとは」


クレアは多分に政治的意義が潜むであろう三ヶ国の動き対して疑念を覚えた。


 外交的な動きが活発化する事をクレアは歓迎しない。


 外務府再編の最中であり、外交に関する権限を外務府は剥奪された状況が続いている。


外務府が活発な外交活動を再開できるのは二年後であると見積もられていた。


 外交規模は大きく縮小され、その皺寄せはトウカや枢密院にきている。小規模な会談すら困難な状況であり、大きな外交案件のみが行われている状況であった。


 それ以外の小規模な外交を担っているのは、驚いた事に国家憲兵隊であった。


 門外漢も甚だしい。


 しかも、相手を委縮させる立場の部門が外交を兼務するなど、外交をしているのか威圧をしているのか分からなくなると国家憲兵隊の内部からは不満が噴出していた。


 しかし、どの道、門外漢に任せるなら賄賂や情報漏洩に対して過敏な部署であるほうが良いとのトウカの判断も理解できた。


 何より、門外漢と言えども、外務府で思想面で問題なしとされた外交官が補佐として順次割り当てられているので問題は少ない。


しかし、本来外交を行うべき外交官が補佐に就き、憲兵が外交の主軸を担うというのは驚天動地の事態である。


国内外から困惑が噴出していた。


帝国を痛打した事で皇国内の諜報網は事実上壊滅し、国家憲兵隊に余裕が生じているものの、再び戦争となれば防諜の必要性は増大する。外交などという本来の業務とはかけ離れた業務を可及的速やかに切り離す必要があった。


 ――他国の首脳部以外との外交関係を低調にしたいのでしょう。


 他国との広範囲に及ぶ外交関係を危険(リスク)と見ている事は明白であった。


そして、憲兵が外交の場に一時的にせよ介在したという事実は後々にまで影響を及ぼすことは間違いなかった。


 政治家の関わる犯罪や政治的不祥事に対する国家憲兵隊などは、政治への関心を元より持った組織である。その組織が外交の場にいるかも知れない以上、皇国側も他国側も国益を著しく毀損する提案や主張が飛び交う事を避ける筈であった。


 国家憲兵隊の外交の場に於ける遍在性。


 寧ろ、後々にまで外交の場への国家憲兵隊という緊張感を残そうという意図。


 クレアからすると、それ程までに信用しないのかと驚くこと頻りであった。しかも、これは妥協案であり、当初は外交官の家族を住まわせる居住区を用意し、そこへ住まわせるという予定であった。


 名目上は他国の意向を受けた人材による外交官への干渉を防止する為というものであったが、実情が人質である事は明白であった。この話が枢密院から漏れた際、幾人かの外交官、及び外交官経験者が他国に亡命している。調査の結果、私益の為の情報漏洩や賄賂が認められた為、外交官僚達も非難し難かった。


 だが、私権の制限が過ぎるという懸念と外交活動が消極的になり過ぎるという指摘から、トウカの提案は見送られた。


人質という事象それ自体よりも、そうした対応に依る不信任の可視化それ自体への懸念は大きく、枢密院でも反対者が多数出た為にトウカは断念している。


 しかし、将来的な外交活動に国家憲兵隊が帯同する事は合意された。


護衛兼監視である。


非常時には機密情報の破棄も含まれる。


当然、機密情報を内包する肉塊……外交官や国家憲兵隊員自身も例外ではない。


 冷徹無比な国家機構。


 無駄と隙の無い国家としての再編成の一環は、官僚の曖昧と妥協を許さない信賞必罰を否が応でも万人に理解させる。


「分かんないわ。あれの意図も他国の意図も。ま、動きに私怨がある様に思える内は可愛いものと思っておくのがいいんじゃないかしら?」


 リシアは組織編制や外交に私怨がある事を可愛いと評する。


 度を越した寛容性と見るべきか乱世を愉しんでいると見るべきか判断に迷う場面であるが、クレアはそのどちらもだろうと最近は理解しつつあった。


「全て結果に繋げておられます。可愛いかどうかは兎も角として」


 可愛いと評されて喜ぶ男性はないという判断から、クレアは穏当な返答を選択する。


「しかし、他国には相応の意図があると見るべきかと……枢密院は受けるべきとの判断ですが、これからの神州国に対する方針次第で最善は変化するのではないでしょうか?」


 神州国に関しては非公式という先方の要望であった為、共和国や南エスタンジアとの足並みを揃えている訳ではない事は可視化されている。


しかし、共和国と南エスタンジアに関しては皇国の都合に合わせるとしながらも同日の会談を要望してきた為、何かしらの密約があっても不思議ではない。


 何より、トウカは昨日に共和国に対して痛烈な一撃を加えている。


「聞いてるわ。新任の見目麗しい共和国大使を虐めたんでしょう? 初見の印象は重要なんだから仕方なんじゃない? それにあれから然して時間を置いた訳でもない」


「短時間で大きな案件を合意まで漕ぎ付けるのは困難という事ですね? ですよね?」


 見目麗しい共和国大使が悲観に暮れる期間としては短いなどと皮肉を零すと思っていたリシアだが、姿勢を正して正面より応じる。


「どちらがの国が予定していた提案に、もう一方が察して便乗しようとしている……辺りでしょうね。統合情報部はそう見ているわ。そちらは?」


さも当然の様に国家憲兵隊が情報を得ていると考えているリシアにクレアは一言物申したいが、今回ばかりは情報を得ているので素直に応じる。


「国家憲兵隊は諜報機関では……両国大使館の通信量や人流に関しては平均的な推移の様です。どちらも本国同士の連携でしょう」


 皇国内の両国の大使館を主体とした、或いは経由しての連携ではないという事になる。


共和国大使の交代や陸上戦艦の永久貸与に関しての動きがあった為、他の余裕があるとは思えないが、通信量や人流に変化がないのであれば二重の意味で皇国内の大使館は両国の合意に絡んでいないと言える。


クレアは沈黙する。


 意図を察するには情報が少ない。


 表向きの用向きは今まで放置されていた即位の祝福や陸上戦艦永久貸与の礼というものであったが、それだけである筈もない。


「大統領か総統か……どちらだと思う?」


「……後者かと」


 どちらも能動的であるが、より能動的で奇策を用いる傾向にあるのはヴィルヘルミナであった。何より皇国への積極的な動きは南エスタンジアが勝っていた。その様を暴風と評する者もいる。


 二人は天を仰ぐ。


 油汚れした天井だった。


 うらぶれた雰囲気漂う場末の居酒屋である。くすんだ窓硝子越しに窺える外の赤提灯には軍鶏が墨汁で描かれている。


 トウカが見れば焼鳥屋まであるのかと呆れ返った事は疑いない光景であるが、皇国には初代天帝の御代から続く飲食店の方式(スタイル)が無数に存在する。初代天帝の趣味と実益……何よりも好意を勝ち取る話題性を求めて色々なモノを臣民に残している。中には卑賎だと現代では言われるものも少なくなかった。


 味のある……というには些か油と炭の汚れで濃淡のある長机(カウンター)を利用する人影はクレアとリシアしかいない。客は二人だけだった。


 長机(カウンター)越しには棺桶に片足を突っ込んだという口さがない表現を否定できない老人が焼鳥を焼いている。


奇妙なほどに長い白髪の眉毛が物の怪を思わせた。


 機密保持が万全か怪しく思えるが、驚いた事にこの焼き鳥屋は統合情報部御用達の飲食店であった。接待や折衝に利用する為に用意された為、一般人は立ち入ることが出来なかった。


 トウカの即位に合わせて軍人や官僚などの専用区画が整理されたのは皇都だけではなく、ヴェルテンベルク領、領都フェルゼンも同様であった。


 二人が居るフェルゼンの区画は公務関係者向けの区画であり最近、再編されたばかりであった。とは言え、大都市化に向けた拡張に伴い人流が著しく低下するであろう軍港に近い区画を利用したに過ぎない。そうした中で取り残された個人経営の飲食店を軍や政府などが買い上げ、それぞれの業務の中で利用する動きが出た。機密保持の問題から関係者の行動範囲を制限、或いは把握したい軍や政府の意向である。


 そうした中でも取り分け奥まった地域にあり、複数の情報機関が拠点を構える一角の中にその焼鳥屋はある。


 紫焼酎を嗜むリシアが、うーん、と背伸びをする。


 酒精が入れば思わぬ視点が出てくるのではないかというリシアの指摘は残念ながら法螺に過ぎなかった。神経毒に侵された碌でなしが一人増えるに留まっている。


 クレアは赤葡萄酒を口に含む。


 安酒であった。酸味が強い。熟成が欲しかった。


 そうは思えども、場末の雰囲気漂う焼鳥屋で高級な酒類が出てくるというのも場違いであり、焼鳥にはあっているのだから不満はなかった。


「世の中、分からぬ事ばかりです……男心ほどではありませんが」


 魑魅魍魎が住まう政治の世界の中でも外交が加わると更に不明瞭になる。


関係者が爆発的に増加……遠い異国の者達も増加する為である。情報収集の予算と人員は爆発的に増加し、時間も要する事になる。ましてや国家憲兵隊の主任務は政治関係の情報収集ではない。現状、帝国に余裕がなくなった影響で皇国内の防諜活動には余裕が生じている為、問題は顕在化していないが、本来の業務が増加した場合、政治関係の情報収集という業務に関しては打ち切らざるを得ない。


 政治に携わる者達の監視や金銭の流れの確認は、疑義があれば警務府や税務局が行うべきものだが、国家憲兵隊は他国との密通を警戒しているとの名目で人員を割いている。当然であるが、国内の政府組織の評判は良くない。職域を侵犯されたと見る組織は少なくない。


 ――さも当然の様に利用してきた組織もありますが……


 眼前のリシアが所属する統合情報部である。


 統合情報部は陸海軍と皇州同盟軍、政府系諜報組織などの各情報機関を有機的に運用する為の統括機関であるが、それでも先皇の下での度重なる予算縮小で各組織は限定的な能力しか持ち得なかった。有機的に運用したところで充足状態にはなり得ない。


 そうした中で統合情報部は政治の動向に興味津々であった国家憲兵隊に協力を持ち掛ける。


 主に政治中枢である皇都とフェルゼンの有力者の動きを監視する役目を任せ、統合情報部はそれ以外で得た情報を国家憲兵隊と共有する。


 提案者がリシアであるという事実を知った際、クレアは自身が政治の動向に興味を示すように誘導されていたのではないかと首筋が寒くなった覚えがあった。


 そうした水面下で蠢く各組織を尻目に、国外から大きな政治的案件が持ち込まれようとしているかも知れない。


 対外的な諜報活動の主な相手は帝国や神州国であり、共和国や南エスタンジアへの諜報網構築は予算の都合からほぼ行われていなかった。予算不足の中での選択と集中である為、トウカもそれを責めはせず、当面はその状態が継続する事も致し方ないと理解している。


 不明瞭な現状。


 トウカは外務府に嘘をつかれて外交政策を過つよりは良いと強気の姿勢を崩さないが、クレアとしては目に余る者の処刑と家族を人質に取るだけでも十 分過ぎると考えていた。


 ――政治以上に男心が分からない……


 特に若くして国家指導を行える能力を持ちながら、昔の女の影を引き摺る男の胸中をクレアは図りかねていた。


 外務府や一部の教育制度に対する仕打ちなどは私怨に等しい規模で徹底されている。国内にいらぬ影響力を及ぼすならば全員首を刎ねるしかないとまで発言している事からもその遺恨が窺える。


 外交組織と一部の教育機関に対する憎悪がある。


 そこに絡む問題となることをクレアは恐れていた。


 過剰な対応となりかねない。


 皇立魔導院も廃院が決まった際、籠城して抵抗したが工兵隊によって爆破されて多数の死者を出している。軍備に対する影響力と専横が目に余る皇立魔導院の爆破に対して軍人達は立場を問わず軒並み好意的であったが、政治家や官僚の見る目はその一件以来変わった。


 国家指導者の立場となっても、国家中枢に対して暴力を持ち込むのだ、と。


 その恐怖が政治家や官僚を縛り、後に続く皇都擾乱では遂に政治家や官僚にも複数の死者が出た。


 脅し付けるには十分と言える。


 国家体制の健全化。


各組織の改編まで政治家と官僚を黙らせれば十分であると考えていたクレアだが、トウカは些か殺し過ぎている。


 政治家と官僚はその職務に対して消極的になりつつある。


 下手を打てば処刑されるという恐怖心。


 適正に扱い切れずに委縮を招いている。


 政治家や官僚を志す者も激減するのではないかとクレアは見ていた。そうした経緯もあってクレアは大学の削減に難色を示した。


高学歴者の母数が減じれば志願者数は更に落ち込む。


国営に支障をきたす規模での不足が起きるのではないかという懸念。


幾ら長命な種族が居る為、世代交代が緩やかであるとは言え、数の上での主力は人間種や混血種である。全体的な不足それ自体が生じない訳ではない。


 ましてや国土はこれから増加する。


国家公務員は増員を避け得ない。


 クレアの懸念や心労を他所に、リシアは次々と焼鳥を頬張っている。


「また詰まらない事で悩んでる顔ね。ま、そうなる気がしたから――」


 来店を告げる扉の鍵が響く。


 クレアは貸し切りの中、訪れた人物に視線を向ける。


「――知ってそうな人間を呼んだわ」


 得意げな笑みで焼酎を噛む紫芋。


「お初に目にかかります。自己紹介は必要でしょうか?」


「いえ、結構です。逐一、貴女の情報は確認しておりますゆえ」


 直近で最も警戒すべき人物として国家憲兵隊が監視していた人物が眼前に姿を見せても尚、クレアは仕草も言動も一分の乱れなく応じる。


「共和国大使殿」


 新任共和国大使フランシア・バルバストルは所在なさげに微笑んだ。











 それは突然だった。


 共和国大使館に届いた手紙が選別され、フランシアの手元に安全確認を経て手渡されて半日も経過していない。


内容も明らかに突然の思い付きの感が否めなかったが、友好を前提として着任した以上、好機であるが故に座視するという選択肢はなかった。


 天帝の信任篤い情報将校からの宴席の誘い。


 開催日は当日の夜。


 内容と筆記の気安さ、言葉の選択から見ても明らかに外交筋が関与していない個人的な文面に共和国大使館では混乱が広がった。相手が奇抜な行動の目立つ野戦将校上がりの情報将校ともなれば尚更である。しかも、同伴者は不要との事であり、時間になれば迎えを用意するとのことであった。


 友好国である以上、新任大使を行き成り手荒く扱うなどという真似は考え難く、何よりも先に天帝から手厳しい警告を受けたばかりである。その対応を確認する前に再び傾奇染みた動きをするとは考え難かった。


 フランシアは懸念を示す職員の留意を退けて招待を受ける決意をした。


 普段着のままで良い。


三人だけで気安く話をするという文面を信じたいところではあったが、もし相当な立場の人物が同伴しているとなれば礼節に悖る恰好を見せる訳にも行かない。去りとて逃げ出す必要が生じるかも知れないので移動に支障が出る恰好を選択する訳にも行かなかった。結果として男装の麗人の如き服装で挑む事となった。


 リシアもまた麗人然とした振る舞いが目立つので咎められる可能性が低いだろうという打算もあった。

 長い金糸の如き長髪は巻き毛とした為、奇妙な感覚を覚えたフランシアだが、長い髪を程々に纏められるので些か気分を持ち直した。


無論、迎えが軍の機動車輛……最近、陸軍で試作型が導入され始めたものであった為、そうした気分は忽ちに萎えてしまった。


 無論、搭乗員は完全武装ではなかったが、懐の膨らみを見れば拳銃を携帯しているのは明白であり、車内にも短機関銃が取り付けられていた。そうして案内されたのがうらぶれた雰囲気の居酒屋である。


 感情が乱高下して過呼吸を起こしそうになるフランシアだが、若い娘と言えど国家外交を背負っている自覚と矜持がある。無様は見せなかった。


 同時に、外交官とは此処まで予想外が連続して押し寄せるものかと、フランシアは諦めの心情でもあった。無論、特異な例であるがフランシアはそれ実体験として知らない。


 トウカもリシアも外交の経験はなく、意思を相手に強要するという意味では軍事力を背景にした恫喝が主体となっている。少なくとも経験に乏しいながら能動的な外交を行うという評価が共和国外務省では為されており、それ故に多大な警戒を以て外交を行っていた。


 限度を知らないのだ。


 基準も仕来り慣習も知らず、或いは知って尚、無視する相手に外交を行う事は極めて負担が大きい。互いの善意をある程度は理解し合った上での話し合いが外交であるが、現在の皇国外交にはそれがない。


 ――まさかセラフィム公までもが動きを見せないなんて……


 現在、皇国宰相の職責に在るヨエルは、以前は開明的な人物で外交や内政でも数多くの実績を残していた。そうした人物が支えるトウカの外交政策が高圧的な事を外務省は不自然なものと見ている。二人に軋轢がある気配はなく、外交や内政でトウカの方針に苦言を呈する事もない。明らかに以前の方針とは相反する案件ですら受け入れるのだ。変節と呼ぶには広範囲に渡る為、ヨエル当人ではないのではないかという指摘も外務省にはあった。


そうして今、フランシアは然したる情報も得られないまま、限度を知らない者達と外交を行わねばならなかった。


 外観の雰囲気を裏切らず、焼鳥屋の内観もまたうらぶれた雰囲気を漂わせている。炭と肉の焼ける臭いに白煙で僅かに霞む視界。髪に匂いが移るという心配が脳を過ったが生命の心配の前には然したるものではない。


「お呼びいただき恐縮です。ハルティカイネン大佐、ハイドリヒ中将」


 嫋やかに、それでいて内心の怯懦を気取られぬように敢えてゆっくりとした動作で一礼するフランシア。


 軍礼装でもない平素の陸軍第一種軍装を纏う二人だが、情報将校と憲兵将校という立場の違いから細部に差異が見受けられた。


「いいのよ。そういうのは。ここは非公式な場で、今は……女子会というものよ。適当で良いわ」


「困った事ですが……そういう事でお願いします」


 リシアのぞんざいな無礼講宣言に、クレアは致し方ないとフランシアに目礼する。


 リシアとクレア。


 共和国外務省でも二人は重要視されており、可能な限り情報収集が行われていた。情報部と憲兵隊自体、職責が重複する部分がどうしても生じる傾向のある組織である。その長二人の確執を想定しての情報収集である。利用するにも警戒するにも人間関係の把握が大前提である。


しかし、それだけではなく二人は立場を得る以前から温度差があった事は皇国でも比較的有名であった。舞踏会で引っ叩こうとする程度には険悪な関係の二人が確執の生じやすい組織をそれぞれ統率している。


 そうした二人との食事会であるという理由も、フランシアの緊張の一部を担っていた。


 促され、リシアの隣に座るフランシア。


 みしりと鶏脂で艶の出た木目の椅子に腰掛ける。


 上流階級という訳ではないが、少なくとも庶民が仕事帰りに立ち寄る焼鳥屋というものは知りながらも縁がなかったので、フランシアは僅かながら心躍らせる。無論、現実逃避の産物でもあったが。


「紫焼酎よ、大将」


「相手の好みも聞かずに注文するのはどうかと思いますが……」


「水割り? 炭酸割り? お湯割り? そのまま?」


「まず焼酎から離れてみては?」


 リシアとクレアの遣り取りにフランシアは驚きを隠せない。


 現在の立場となって以降、公式の場で言葉の応酬があったとは聞かないが、眼前の姿を見ればそれなりの交友関係がある様にも思えた。


「お二人は険悪な仲だという噂がありましたが……」


 捨て置けない情報である為、フランシアは意を決して尋ねる。一杯目は紫焼酎の水割りとなったそれを受け取りながらの質問。


「折り合いを付けた事もあるし、職務上 連携せざるを得ない。そんなところね」


「私は元より貴女を嫌ってはいませんでしたよ。困ったヒトだとは思っていましたが」


 顔を見合わせた二人に、フランシアは益々と分からなくなった。取り合えず、本国の情報が陳腐化している事に苦言を呈さねばならないと決意を固める。


「ヒトは変わるものよ。戦争でも政治でも恋愛でも。 変化に対応できた者が勝利を掴むのよ」


 自らに変化があったと認めるリシアだが、恋愛が戦争や政治に比肩し得るという姿勢に、フランシアは恋する乙女が権力を握ることができる皇国を心底と恐ろしいと考えた。


共和国では年若い女性が要職に就くことは滅多とない。あったとしても、それは内外への印象付け以上の者ではなく、 フランシアもそうした部分があった。


無論、引っ掻き回された挙句、右往左往する年長の外交官に痺れを切らして独自に動かざるを得なくなったという経緯がフランシアにはある。


 フランシアは駐皇国共和国大使としての職責を自発的に使わざるを得ない現状にあった。しかも、相手は海千山千の外交官ではなく情報将校と憲兵将校である。先例も慣習もあったものではなく、ただ己の力量のみが試される。


「私は変化に付いてゆけずに戸惑うばかりです」


 特に皇国へ駐在する事になって以降、と胸中で付け加えるフランシア。


クレアが心情を察してか苦笑を零す。


 紫焼酎の鼻に抜ける独特の風味にフランシアは驚きつつも、外国の要職を担う者達との会食が初めてであった事を思い出す。トウカとの遣り取りは陸上戦艦上であり時間の問題もあって会食とはならなかった。


 ――ロにものを含んでいる間は考えを纏めていうように見えるのがあり難いですね……


 返答に窮した姿を相手に見せるのでは外交官とは言えない。


「異なる環境なら仕方ないでしょうね。特にフェルゼンは寒暖差が激しいから」


 そういう問題ではない、とは口にしないが、フランシアとしてはフェルゼンの気候に対して思うところがあったので全く的外れとも言い難かった。


 共和国は海洋に面しておらず、海を見る事はフランシアの大使着任に於ける密かな楽しみの一つであったが、フェルゼンは海に面していないものの、シュットガルト運河を沿って海風が吹き付ける為、夜は夏場でも冷え込む。


 トウカが政務拠点をフェルゼンに移した為、共和国も大使館をフェルゼンに移設した。これは皇国に大使館を置く国家の中では最も早い動きであり、共和国の皇国重視の姿勢を示す一例として一般市井では挙げられている。


 皇都と違う気候や都市構造に共和国大使館の職員は戸惑いを隠せないでいた。初めての皇国であるフランシアには実感が湧かないが、皇都とは相当に違う部分が多いとの事で体制を整える事に四苦八苦している。


「そうした中で呼ばれましたので、火急の案件かと思っていたのですが……」


 リシアとクレアは焼鳥を食べている。


 フランシアはどうしていいか分からなかった。


 外交の常識は通じない。





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