第三三八話 可能性の集積
「感心せぬな。御主は全方位に敵を作る」
ベルセリカは主君に対して嘆息する。
困ったものよな、と思いはすれども、トウカが共和国の大統領選挙というものに対して尋常ならざる警戒心を示した事への驚きが勝った。
いざとなれば共和国本国それ自体を防御縦深として、これから大量編制される航空艦隊で帝国軍を迎撃すれば済む話である。敵軍も交通網も都市も悉く焼き払えば済む話である。敵国の妥当ではなく、敵軍の漸減であれば、そうした戦略は成り立つ。
そもそも、共和国を対帝国という政策に引き留める必要性は薄いとベルセリカは見ていた。
共和国が和平や停戦を選択しても、それを白紙どころか憎悪の応酬にまで悪化させる謀略をトウカであれば巡らせること容易いとのベルセリカの確信ゆえの発想であった。
帝国の裏切りを受けて殺戮される共和国人。
それを助けるべく空陸から共和国へと踏み込む皇軍。
そうした演出をするものとばかりベルセリカは考えていた。
客観的に見てベルセリカの想定がより共和国人の被害が増える為に残酷であるが、皇国が好意を勝ち得るべき諸国家の印象を向上させる方法としては、トウカの恫喝は下策であるとベルセリカは見ていた。
「民主主義の本質は人治だ。多数の勢いで全てを覆そうとする。急激な政策変更が民衆の多数からの支持ゆえに歯止めが利かない……急激な動きに此方が対応できないかもしれない」
弱気な発言。
多くの者はトウカの今の発言を聞けばそう捉えるが、寧ろベルセリカはトウカが民意というものを相当に危険視しているのではないかと捉える。
民衆の大多数に国営に対する責任感を持たせる事など不可能だとトウカは見ているようにベルセリカには思えた。
それはトウカの民衆を誘導することで、巷で言われる自由な議論それ自体に方向性を与えている状況からの推測であるが、ベルセリカとしては共和国が選挙の度に政策が二転三転している様を見ればやむを得ないとも考えていた。
国民の数ほどに主権は分散する。主権への自覚や覚悟、責任感は分散し、結果として希薄になるのではないのか?
ベルセリカはそう見ていた。
内戦に対して北部臣民の大多数が絶大なる当事者意識を有し、中央政府に頑強な抵抗を示したのは、実害と不明瞭それ自体に対する恐怖もあったであろうが、実際は指導者層の質が北部臣民の総数と釣り合いが取れていたからではないかと最近のベルセリカは考えていた。
政策と意志を明確に伝えて賛意を求め、多くの領民は当事者意識と共に銃を手に取った。
その規模は要求する側の実力と、受け入れる側の規模によって上限があるのではないか。
枢密院議長になったベルセリカは、国家の政策に携わる様になり、そうした印象を抱く機会が増えていた。
トウカは意見を口にする自由と場所を与え、その決定に携わったという満足感を与えても、主権が国民にある事は大いなる混乱を招くと見ていた。
独裁もまた危険を招くが……それは独裁者を切り捨てれば大部分は解決する。
その点をベルセリカは自覚しつつあった。
ベルセリカという剣聖を枢密院議長という相応しからざる立場に就けたのは国益を毀損する独裁者に対する抑止力の一つとしてではないだろうか?
そうしたトウカの意図があることをベルセリカは察していた。
神々に頼らず、剣聖に末期を汚さぬ様にさせる。
侍である。
その振る舞いは兎も角、介錯を求めるならば、やはり侍である。
恐らく、国営と国家規模に余裕が生じれば、暴政に対する抑止力が幾つか用意されるとベルセリカは考えており、その最たるものは憲法であった。
現時点で憲法改正の意志を明白にしているが、 時期尚早とも語っている。
多くの者はトウカが強力な指導力を背景に政戦を行う為の根拠の補強であると見ていたが、 ベルセリカは反対の意見であった。
根拠がなくとも敵も味方も追い詰める事にトウカは長けている。
紙切れに書かれた文言で己の正統性を補助しようなどとは考えていない筈であった。
そうした姿勢のトウカが成した共和国への対応にベルセリカは違和感を覚えた。
「神州国か……流石に陸兵も海上を歩いて攻められはせぬからな」
最大の理由が神州国である事はベルセリカにも察せた。
しかし、同時に空母機動部隊さえ編制できれば、帝国首都を空襲した際の様な爆撃を神州国本土に行える為、短期的な脅威でしかなかった。
「神州国も脅威だが、連合王国を抑える必要もある。兵力に余裕があり部族連邦に隙があるならもう一度、保護占領を行ってもいい。兵力の余剰があれば取り得る選択肢は増える」
国内の蠢動に対する兵力も必要であったが、それは今更語るべくもない為に二人の間では話題にならない。
「共和国の為に皇国の政戦に於ける柔軟性を損なうべきではない、と?」
「エルライン回廊の様に戦域が限定されず、長大な戦線を形成せざるを得ない以上、その負担は相当だ。軍拡も遅延する上に協商国を望ましい時期に巻き込めるかも不透明だ」
「望ましい時期とな?」
「重商主義の碌でなし共だ。勝ち馬に乗るという程度の皮算用はするだろう」
協商国に対するトウカの評価を見た気がしたベルセリカだが、商人が国家を形成するという時点で胡散臭いという印象は拭えない為に咎める事はない。
その内、呼吸にも課税するだろうとまでトウカが言い放った事には、ベルセリカをしても苦笑せざるを得なかったが。
「結局、共和国は今のところ現状維持が望ましい」
新任大使への攻撃的な言動が現状維持に繋がるという皮肉。
着任早々、重い交渉をする事になったフランシアに、ベルセリカは心底と同情する。
現共和国大統領の実娘が大使として着任するというのは、皇国重視の姿勢に他ならず、皇国臣民に与える印象は大なるものがある。或いは私的な関係を期待し、最終的には愛妾の一人にでもという打算とてあったかも知れない。
その辺りは誰しもが察せる事実であり、 陸上戦艦上での和やかな式典はその風評を否定しないものであった。
だが、実情は異なるとトウカは共和国政府に突き付けた。
「議会制民主主義の欠点が顕在化する前に手段を講じただけだ。寧ろ、バルバストル大統領には感謝されるだろう。彼が信頼しているのは制度ではなく現実だ」
脅迫が感謝になると主張するトウカにベルセリカは理解が追い付かないと首を振る。
「見目麗しい女性を脅迫して楽しんでいるのかと思ったがの」
「そうした趣味があるならば、 アリアベルで満たすに留める」
皇妃への配慮が感じられない発言であるが、ベルセリカとしてもその発言を窘める気にはならない。
トウカとミユキ、アリアベルの関係は複雑であり連動している。
この期に及んでの介入は派閥争いの一環と捉えられかねないという部分もあるが、トウカにミユキの事を想起させるべきではないとベルセリカは考えていた。
それは事態の悪化を招くだけである。
時間のみが解決する問題であると長い時を生きたベルセリカは知っていた。
例え人間種が短命だとしても、時間のみが解決策である問題は多々ある。
トウカの私人としての問題の中で最も大きく捉えられている案件。
皇妃アリアベル。
深窓の皇妃。
ただ、皇妃となった……気が付けば皇妃として正式に扱われる事になり、婚儀や式典も政情不安定を理由に行われず、公式の場に出る事も稀であった。
尤も公式行事自体が、戦時下を理由に殆どが行われていない為、機会がないだけであると捉える事もできる。
しかし、トウカが公務の場をヴェルテンベルク領フェルゼンのアルフレア迎賓館……アルフレア離宮へ移した中で、アリアベルが皇都の皇城後宮に留め置かれている事を指して不仲と見る者は多い。
皇城府が警備上の理由や危険分散を根拠に不仲説の払拭を図っているが、それに納得しない者も少なくなかった。
実際、頻繁に参内するリシアやクレアをいずれは皇妃として据えるべく、二人を側姫として召し上げていないと見る者は権力者にも多い。
――実際、その噂の出所はリシアであろうがの……
外堀を埋めている心算らしい、とベルセリカは嘆息する。
トウカはベルセリカの嘆息を迂遠な非難と受け取ったのか、執務机に頬杖を突く。
「女癖が悪いと詰る者も居れば、世継ぎを作れと騒ぐ者も居る。誰も彼もが他所様の臥所が気になって仕方ないらしい」
その不満に対してはベルセリカも苦笑するしかなかった。
其々の思惑によってトウカの世継ぎへの皮算用を巡らせる者は多いが、それは歴代天帝の頃とは違い各々が盛大に自己主張をしている為、市井でも大いに関心を集めていた。
各新聞社もその立場は大きく違う。
検閲は存在するが、国策や国益に関わるものでなければその対象ではない。
そして、トウカは自身の世継ぎや配偶者に対して国策や国益という観点を持たない。無論、無関係とは考えないが、その影響は自身の政策や軍事行動と比較すると僅少だと見ていた。
各軍の情報部の統括機関である統合情報部成立の際、彼らは天帝周辺に関する検閲基準を上奏したが、トウカは、そんなものは捨て置け、と一蹴した経緯もある。
予算と人員に限りがある以上、検閲に関しても広範囲に多くの項目で行う事は国家にとって負担であり反発も招く。
しかし、それは巡り巡ってトウカの首を絞めた。
国策や軍事に関する検閲が厳しくなる中で部数を稼ごうと思うならば、それ以外の関心が高く検閲対象ではないものを話題として前面に押し出すしかない。
そうした中でトウカに侍る女性達という話題は絶大な威力があった。
しかも、各新聞社で推している女性が明らかに違う為、それがまた大きな議論と話題を呼んでいる。
トウカは呆れたであろうが、今更であり後手で火消しに走れば寧ろ火に油を注ぐだけになりかねないと放置を選択した。
不愉快ではあるが、国益を損なう主張を声高に叫ばれるよりは救いがあるというのがトウカの判断であった。
ベルセリカとしては笑うしかない経緯である。
「他人事か? 御前を勧める連中も多い。特に北部貴族だな」
一瞬、ベルセリカは言われた意味を理解できなかった。
しかし、ベルセリカ自身も忘れていた事であるが、シュトラハヴィッツ伯爵家の血筋であり、北部貴族の末席に連なる立場にあった。
ベルセリカを通して北部貴族がトウカとの紐帯を深めようと試みる事は政略的に見て不自然ではなかった。
リシアは統合情報部が背後に居り、クレアは国家憲兵隊は背後に居る。アリアベルの背後には龍系種族が居た。
相応に支持基盤を持つからこそ期待される。
トウカはそうした動きに困惑していた。最高指導者に侍る女性の去就は勢力争いと直結するという事実を甘く見ていた節がある。
「構わぬよ。 御主が望むなら」
戦場から離れ、政治の舞台に参加する事でベルセリカは思考に耽る時間が増えた。
政治に於いて、もしも、や、或いは、という想定は必須であり、それはトウカからベルセリカが学んだことでもあった。
トウカは軍事面で赫奕たる戦果を挙げているが、ベルセリカが現在になって思い返せば、それは陣営や国家、その時々の所属の利益を最大化する事を念頭に置いてのものであった。
軍事的勝利はその為の手段でしかない。
そうした理解と共に戦列を成した経験を以てベルセリカは枢密院議長としての職責に励んでいる。
だが、もしも、や、或いは、という思考は政治だけに留まらない。
自身にあったかも知れない可能性を想う事も多々あった。
そうし中で自らが子を為すというのは特にある事であった。
ベルセリカはトウカに慕情を抱いてはいないが愛情はある。
消去法で見た場合、トウカ以外の選択肢がないという切実な問題もある。
――どの男もだらしがない。武功も武名もトウカに劣る……
特に高位種の貴族将校などは、トウカよりも優れた立場と身体、魔導資質を備えながら比肩し得る活躍をしていないとベルセリカは不満だった。
実績だけをみればザムエルを超える者ですら存在するか怪しい。
慕情がないならば、騎士の宿命として武名に惹かれるものである。
妥協とも言える消極性の産物であるが、元より騎士や武士などという家や一族などの組織単位に生命を賭する者達からすると当然の思考であった。
例え、七武五公の一翼たるシュトラハヴィッツ伯爵家を出奔した身であっても、自らを育てた環境や思想からは逃れられないものである。
そうした背景を理解しているのか怪しいトウカは頭を掻いて曖昧な笑みを零す。
「一瞬、心が動いたのも事実だがな。厚かましく押し付けようとはしない支持基盤。素晴らしい事だ。北部貴族は奥床しいらしい」
政戦の都合で見た場合、ベルセリカは極めて強力な皇妃となり得る。
北部貴族や軍の支持に加え、その武名は数百年越しの歴史に等しく、その悲劇と共に民間でも広く知られている。
しかし、北部貴族からは積極的に推す声はない。
陸海軍は統合情報部を通してリシアやクレアに支持が分散傾向にある事を踏まえれば可笑しい事ではないが、北部貴族がベルセリカを推さない事は市井からすると奇妙な事として捉えられている。
――そんな事を叫べば祖父に殴り倒されるからの。
北部で著明な武人であるベルセリカの祖父……ジギスムントは内戦中にフェンリスとも唾競り合いを演じた事で老齢でありながらも更に武名を上げた。不興を買うには危険であるという判断は妥当である。
「何をするにも政治が付いて回る。偉くなるのも考えものかの」
肩を竦めて見せるベルセリカ。
男爵や子爵、士爵などという下級貴族とは違う伯爵家の令嬢であった以上、そうした部分に理解はあるが、枢密院議長は伯爵令嬢などよりも遥かに政治的産物である。
窮屈である事は間違いなく、トウカなどはアルフレア離宮の地下から出る事すら稀であった。
「まぁ、政治基盤は固まったとは言い難いが、主要な敵対勢力は撃破か分断の憂き目にあっている。中央貴族も紐帯が維持できない様子。国内政治で強固な敵対勢力が存在しないのであれば、無理に政治基盤を固める必要はない……いや、固めない方がいいだろう」
ベルセリカはトウカの意図するところを思案する。
トウカは偶にベルセリカに推測の機会を与える。
遥かに年下の為政者に試される事に抵抗を覚えるというのは、意外ではあるが全くなかった。 それはトウカの絶大な実績に依るところである。
自身より遥かに政治経験のある枢密院関係者がトウカとの議論に圧倒されている光景を見れば反発する気など起きない。
――年若い絶対者の男に強く迫られる事に価値を見出す輩も居るがの。
マイカゼはトウカとの遣り取りに対して、政略と快楽を共に満たすと周囲に漏らしてた。
トウカに対して物怖じしない事で一目置かれるマイカゼであるが、その行動原理に快楽が混じると知る者は少ない。
僅かな逡巡。
しかし、その逡巡の大部分ははしたない黒狐への印象であった。
「政治基盤が固まるという事は主要な要職や権益の分配を終えたということ……餌とする心算で御座ろう?」
適任者が居ないという表面上の理由が、その全てである筈がない為、要職や権益の放置それ自体を利用できる可能性にベルセリカは思い至った。
「そうなるな。旗幟を鮮明にしない政治勢力を切り崩す手札になる。各府もそれを理解している。要職や権益を背景に有能な者達を他勢力や在野から引き抜こうと躍起になっている」
「しかし、それでは子飼いに椅子を与える者も少なくなかろう?」
政治勢力として伸長する好機と見て蠢動する者が少なくないのは容易に推測できた。
トウカは構わないと切って捨てる。
国益を毀損する政治勢力でなければ問題はない。
一つの政治勢力のみで国家を統治するのは健全ではなく、腐敗を招きかねないとトウカは語る。
「新たな政治勢力が誕生する事を拒みはしない。ただ、要職を務め得る人材と、権益を保全し得る人材を抜擢できるならばの話だ」
「実力がない者を推挙するならば、その政治勢力の失点として責めを負わす……苛烈よな」
実力主義の一端である。
しかし、そうした実力を持つ者であれば、少なくとも国益よりも私益を優先しない。或いはどちらをも満たすだけの才覚を持つ公算が高い。
「馬鹿を言え。 優しいくらいだ。本当なら、国益よりも私益を図った連中は全員銃殺に処したいところだ」
ベルセリカとしても理解できなくはなかった。
先代天帝の意向があるとは言え、北部への資本投下は極めて低調であった。その実務を担ったのは各府の官僚であり、異論が噴出をしなかった点を見るに国益よりも保身や余剰資金の他への転用を図ったに等しい。それは公益ではなく、私益だとトウカは断じる。ベルセリカは必ずしもそうとは思わないが、トウカはそうではない。
トウカは怒っていた。
珍しい事である。
トウカは政戦に於いて冷静さを損ない理想と現実の境界線を曖昧にする事を嫌う。怒声や罵声はあっても思考まで冷静さを損なう事は珍しいというのがベルセリカの印象であった。
「その私益によって、どれだけの国民に飯を食わせられると思うんだ」
酷く単純明快な指摘。
ベルセリカは首を傾げる。
過激だが、即効性と影響力の大きい対策を重視するトウカには珍しい視点であるとベルセリカには思えたのだ。
「実際、国民に分配される金額としては多くなかろう?」
国民一人当たり……貧困層のみに絞ったとしても経費を差し引いて食糧として配給される量は相当に少ないと言える。
無論、官僚すべての私益を 奪い去って補填できるのであれば相当の効果が見込めるが、実情として官僚の私益摘発は終わりなき泥仕合である。是正や指摘によって阻める年間の私益はそう多くない。それは監視組織や法制度化を経ても変わらない。それらの策定や運用にも関わり、知見と関係者への繋がりもある。空文化も有名無実化も迂回も曖昧も自由自在であった。
ベルセリカは官僚を甘くは見ない。
彼らは口先でヒトを殺す事も出来れば、貧困に落とすこともできる。
軍人が戦場で敵を斬るよりも遥かに広範囲に影響を及ぼせるのだ。
トウカは眉を顰める。
「その言葉……外では言うな。 御前でなければ殺している所だ」
頬杖を突いて吐き捨てる若き天帝。
そして溜息を一つ。
椅子に深く腰掛けて語る。
「確かにそれは国民の一食に満たないかも知れない。だが、その僅かな食糧で先延ばしにできる生もあれば、 救いを得られる機会を掴めるかも知れない。国益を私益として奪うという事は、この国の何処かの誰かのそうした無数に転がる可能性を奪うという事だ」
少なくともその点を怠っているとだけは国民に疑わせてはならない。それが統治の基本である、とトウカは語る。
思いの外、理想に傾倒した指摘が出てきた事にベルセリカは目を丸くする。
かも知れない、という部分が多い案件をトウカは嫌い、可能性という言葉で曖昧にした案件を唾棄する。
その当人がそれを語る様は不自然以外の何ものでもなかった。
「御主……丸くなったな」
偽らざる心情を吐露するベルセリカにトウカは唸る。
「違う。統治とはそうした可能性の集積だ。その可能性の集積に失敗すると不安定な政情や治安維持の対策として莫大な予算を必要とする。分かるか? それは何の発展にも寄与しないただ悪化を防ぐ為だけの銭だ。それは捨て銭と変わらん。無駄な時間と無駄な予算。国家指導者としては恥ずべき銭の使い方だ。故にそうならぬように国益の適正な運用と分配を心掛ける必要がある」
一転して必要経費である事を捲し立てるトウカだが、ベルセリカには照れ隠しの様にも思えた。
「平時の吝嗇の代償を非常時に要求するのは軍事費と変わらないが、どうもその辺りは座視する癖に軍事費は話題に上げる連中が多い。困った事だ」
軍事費の削減を声高に叫ぶ官僚の大部分が、不必要の根拠をそれらしく言い募るが、実際はその予算を自組織に転用したいが為である。
そこに公平性はない。私益か見る目がないかは別として。
「去りとて官僚は私益を優先する。それは何故か? 決まっている。連中は官僚を務め得るだけの学力があるからだ。だが、学力は両親の経済力に依存する傾向がある。それが官僚という層の固定化を招いている。幼いころから恵まれた層のみが主体となる以上、そこに国家の大多数を占める低収入層への配慮など期待できる筈もない」
些か極論ではあるが、経験なき者達が経験した者達と同等の視点を持つ事が稀有な事はベルセリカも長い人生で学んでいた。
百万の言葉より一つの経験が勝る事は明白である。
「無論、例外もあるが……貧者であっても実力で伸し上がった者は同様の努力を他者も行って当然と思う場合もある。だがな、それを含めてより多くの立場から官僚を登用する必要がある」
誰しもが実力を示さねばならないと考えていない事にベルセリカは驚いた。
「多種多様な立場に立脚した官僚達が存在する事で極端な方向に進み難くなる。大前提として国益を重視するのは当然であって貰わねばならないが」
「富める者ばかりが官僚となるのでは搾取に際限がない、ということかの」
中々に厳しいとベルセリカは見た。
貧者が富める者が受けた教育に比肩し得る知性を持つというのは中々に稀有な状況である。一般化させる事は現実的ではない。
「……現実的ではない。しかし、そうした方向に寄せる動きを常に行うのが国家と言うものだ」
そうしなければ格差が広がる。
「当然、国民全員が勤勉で真っ当に労働や勉学に勤しむなどと考えるのは理想が過ぎる。精々が半数程度と見積もっておくべきだ。全員に機会と教育を与えても尚、落伍する者は居る」
結局、 簡単に解決できる問題ではない、とトウカは言う。
根底にはヒトという種に対する不信感が根付いている様にベルセリカには思えたが、同時に自己の無謬性を恃んでいる様にも見えない。自身に対する不信感もまた併存している。
ヒトを悪しきものであるという前提で統治を行う。
弱者と落伍者を前提に統治を想定する。
現実的ではあるが、その容赦のない指摘には何処か統治者として多くの者が求める人間性という部分の欠如が滲む。そして、それを覆い隠す配慮をトウカはしない。それは現実を謀る真似だと唾棄している。
サクラギ・トウカは誰よりも理想を求めている。
しかし、己の理想を実現する上で、現実との擦り合わせに於ける潤滑油として臣民の血涙を求める事を厭わない。
理想こそ最もヒトに挺身と生命を要求するのだ。
それが理想なのか現実なのか。ヒト次第で変わるトウカの評価の一端である。
「そうした現実と国家としての理想を擦り合わせながら状況を改善する。それが政治を司る者の務めだ」
トウカとしても根本的な解決策を見出せないのか、いつもの様に明確な方策が提示される事はない。
だが、ベルセリカは納得した。
答えがないという答えも統治では在り得る。
しかし、短期的に国益を守る方策は既に取られていた。
「短期的には、特に私益を貪る者を見せしめにして綱紀粛正を図るしかない。惨たらしければ惨たらしいほど好ましい…… 可能なら、頸を落とす事も俺がやりたいところだが」
相も変わらず過激な事を口にするトウカ。
この点、三公爵などはトウカの若さと捉えている。
マキャベリにしても有力者と民衆の相応に恨まれない様に腐心するべきであるという意見を遺しているが、トウカの場合は官僚との敵対を当初から織り込んでいた。
それは、国営上の問題からの衝突ではなく、支持基盤である北部の冷遇に積極的に関与した各府の官僚との対立は避け得ないと見た為である。故に抱き込みではなく、敵対的な官僚の排除と威圧を選択した。
時節に合わせて最適は変わる。
何より国民が過去の体制よりも大きな役割を占める事が疑いない状況で、長期的に見て有力者の特権的な判断が大きく制限される時代が到来する。マキャベリが生きた時代の様に国民に限定的な情報しか届かず、学力と財力に乏しい時代は過ぎ去りつつある。
国民の支持を背景に敵対的な有力者を挿げ替える。
それまでトウカの安全と権威を保障するのは国民、そしてそれにより構成される軍である。
「長期的には教育の格差を無くすことだ。それにより真に多くの立場の者を国家の統治に役立てる事ができる。教育に格差があるなら、結果として統治機構には生まれてこのかた銭のある連中ばかりが蔓延ることになる。それは健全ではない」
広く実力ある者を偏りなく登用するには種族や民族、 経済状況からなる教育格差を低減するしかない。
トウカが官僚の私益だけでなく、教育格差をかなり厳しく見ている事にベルセリカは驚いた。
「軍事的外圧による滅亡を除けば、国家は国民の経済状況と教育格差で命数が決まる」
理解できる主張であるが、トウカほど徹底して対策を試みている指導者は歴史的に見ても稀有である。
「専門学校の増強はその辺りの配慮かの?」
専門的な立場でないクレアが懸念を示したという事もベルセリカには驚きであったが、トウカがその提案を一蹴した事も記憶に新しい。
「無意味に大学まで進学させるなら直接業務に関係のある知識を身に着けさせた方が良い。大学は専門知識をより深化させたい者達だけが通うべきだ。就職までの執行猶予期間ではない」
辛辣な意見であるが、年齢的に見て大学への入学経験がないトウカが口にするのは些か奇妙でもあった。ベルセリカはそもそも武名赫奕たる伯爵家の令嬢として専従の教育係が居たので学生生活に心惹かれるものがある。
「御主の祖国でも教育制度は変わらぬのであろう?」
皇国の建国者を踏まえれば教育制度に大差がある筈もない。それは皇国の教育制度が初代天帝の御代で既に形になっていた事からも想像できる
「細部は違うが、大部分は同じだ。遊び惚けている連中や、目的もなく漫然と勉学に向かっている連中は遥かに多いが」
「大学生活に憧れぬのか?」
「陸軍大学……それも裏口入学が確定していた俺に大学生活での選択肢などない。寧ろ、一般高校に入学させられた事が驚きだったな」
色々と碌でもない背景が滲むトウカの学歴予想に、ベルセリカは返す言葉がない。
生まれた時から伯爵令嬢という立場を背負っていたベルセリカに対し、トウカは国軍の要職の立場を背負う宿命であった。貴族という家ではなく 国軍という実力組織を背負う事を宿命付けられるというのは、主君として国家を指導する立場を宿命付けられる事とも異なる。ベルセリカとしても立場を想像し難く、心情も推し量り難い。
「まぁ、御前の学生服を見たいとは思うが」
「そういう奇特な趣味の者と思われたく無くば言わぬが良かろうな」
二人は苦笑する。
トウカは苦笑を収め、不意に思案の表情で考え込む。
興味の感情。
不意に思い付いたかのように指摘するトウカ。
「もし、この世界に訪れなければ、俺は文明を崩壊させ得る兵器で武装した軍隊の統率者になっていた。心躍る話じゃないか」
そうした軍を統率する為、尤も軍総司令官として相応しからざる人物を作り上げてしまった気がしないでもないベルセリカは返答に窮する。陽溜まりの様に暖かな笑みに思える笑みだが、そこに確かな狂気が潜む。
事に及んでは文明崩壊も織り込む冷徹は、異世界で指導者としての冷徹に転用された。それが誰にとっての不幸で、誰にとっての幸運か。ベルセリカには判断しかねた。
「後悔しておるのか?」
当たり障りなく尋ねる。
「終末兵器と仔狐、か……まぁ、等価交換としては上出来だろう」
意外な事に後悔や不満は感じられないが、 皇国や異世界ではなく仔狐との比較になるところに危うさがある。
舞台ではなく、嘗て舞台上に在ったモノに価値を見出す。
国家指導者として正しい言動とは言い難いが、天帝以前……雪原に投げ出されて間もない頃の想定やも知れないと、ベルセリカは言葉を返さない。
「さて、俺の選択されなかった可能性か。……ま、どちらにせよ、国内外に最大限の後悔を呉てやらねばならん連中は多い……何よりも国益の為に」
また、うっかり投稿を忘れていた。かつてない執筆ペースなのに投稿しないなら同じですね。




