第三三七話 フランシア
「これは、共和国大使。御挨拶、痛み入る。互いに名乗りは必要だろうか?」
若き天帝の和やかな声音に、新たな共和国大使として就任した女性は胸中で安堵の息を零す。
フランシア・バルバストル。
そうした名を持つ女性は成人して間もない内に駐皇国大使として選任された事を酷く恨んでいたが、その最大の理由が杞憂に過ぎないものであったかも知れないと気を持ち直していた。
共和国大統領オーギュスト・バルバストルの一人娘であるフランシアは多分に政治的な理由で駐皇国大使に任命された。無論、大使任命それ自体が政治的産物である為、そうした表現に対して問題が生じる訳ではないが、政治による決定までの経緯は極めて特殊であった。
外務省職員の誰もが駐皇国大使となる事を拒み、強要するならば職を辞するとまで言い出す者まで現れる始末であった。そうした中で外務省職員として採用されたばかりの新人であるフランシアに白羽の矢が立つ。
オーギュストの娘であるという毛並みの良さと、共和主義国であるにも関わらず縁故を期待した提案だったが、政府はその動きに同調した。あろうことか父であり大統領でもあるオーギュストも、官僚の癖に偶には良い提案をする、と後押しする始末であった。
フランシア自身、俊英と評して差し支えない学歴を持つが、相手は血塗れの実績を持つ若き天帝が相手である。その緊張は幾度かの貧血を伴う程のものであった。
しかし、実際に会ってみれば、木漏れ日の様な笑みで穏やか印象を受ける。脂ぎった官僚の様に身体をべたべたと触れてくることもなく、フランシアとしては好感を抱いた。
――きっと、正義感や公正さの発露なのね。
非道な振る舞いが並外外れた熱意に依るのであれば致し方ない。目を復わんばかりの不徳と悪徳を為す者は共和国とて存在する上に、そうした者達を中々に排除できないのが法律の実情である。不徳と悪徳によって得た金銭で政治と紐帯を図り、保身を実現する。
打破する為に非道な振る舞いをするのであれば、それは私益や私怨に依るものではない。
去りとてフランシアは自分の立場を忘れない。 そして、怯える官僚達も忘れない。
官僚は定期的に間引いておかねば、国益よりも自組織の利益を図り出す。
枢密院に於けるトウカの発言である。
間引くという表現が物理的に首を刎ねるという意味ではないのかという憶測に身を疎ませる官僚は決して皇国内に留まらない。特に共和国への皇国官僚の亡命事件まであった為、共和国の官僚もまた恐怖を覚えていた。
「私も政戦両略と名高い天帝陛下に御会いできて光栄です。フランシア・バルバストル。共和国駐皇国大使として赴任いたします」嫋やかに微笑んで見せるフランシア。
周囲からの拍手。
大使就任に於ける儀式である信任状捧呈式の最中であるが、フランシアは軍装が目立つ光景に目を奪われた。軍装が統一されていれば圧迫感を覚えたであろうが、皇州同盟軍に陸軍、海軍、各地の領邦軍という混成であり、寧ろ色彩豊かで庭園に居るかの様な気分にさせる。領邦軍の中には実用性皆無であろう程に煌びやかな軍装があり特に目を引いた。
しかし、その軍人の咲き誇る庭園は陸に聳える黒鋼の城であった。
「陸上戦艦ですか……噂には聞いておりましたが壮観なものです」
本来であれば、皇都皇城府の迎賓を行う空間で取り仕切られる信任状捧呈式であるが、今は陸上戦艦上で行われている。
第一主砲塔上で言葉を交わす二人を、前甲板に立つ軍人達が見上げる構図はフランシアをして権威主義的な催しだと思わせた。
そして、フランシア自身、帽子の羽飾りだとは考えていない。
見栄えの良い、そして最悪の場合は責任を取る軽い神輿を期待されているのは容易に想像できたが、責任から逃げ出した面々の思惑に乗る心算はなかった。無論、経験は浅いが外交に携わる者としての矜持もある。
故に一言、懸念を口にする。
「しかし、陛下の武断的な姿勢を懸念される方も多いと聞きます。私の為に斯様な場を用意していただけたというのに、陛下の御名前に傷が付いてしまえばと心苦しく思います」
天帝は苦笑する。
しょうがない女、面倒な女。そうした感情ではなく、無意味な意見に虚を突かれたそれを誤魔化すかの様な苦笑。
「傷は武人の誉。斯様な心配は御無用に願う」
風評や名への傷を厭わない姿。
軍人であればこその価値観であるが、政治家や官僚が躊躇う場面でも踏み込む決意の源泉をフランシアはそこに見た気がした。傷を負う事を前提とした唯一の公務員である軍人。その価値観が現在の皇国を動かしている。
「貴官の様な見目麗しい御婦人に心配されるのは喜ばしいところであるが、余は武辺者でね」
牽制とも思えるが、その表情に他意は窺えない。
フランシアは外交経験がある訳ではない為、参列する外交官を一瞥するが、陸上戦艦上で軍人に囲まれている所為か表情に余裕はない。経験も勉学と同様で量ではなく質に依るのだとフランシアは痛感する。
そうした造巡を他所に、若き天帝は尚も踏み込む。
「それに女性への贈物は直接、渡すべきだということ程度は学んだ心算だ……最近であるが」
肩を竦めて茶目っ気を感じさせる言葉だが、少なくとも女性関係での縺れが表面化した事はない為、フランシアはそれを冗談だと受け取った。
そうした中で皇州同盟軍の将官達だけは無表情であった。マリアベルにベルセリカ、マイカゼ……トウカの権勢を支えた高位種女性を思えば、十二分に政戦に活用したとも取れる為である。
清廉潔白という印象がある訳ではないものの、果断に富み、国益を優先するという姿勢に於いては疑う者はいない人物だが、女性関係に関しては疑念を覚える者も居た。
そうした中での一言は絶大な混乱を齎した。
「君にこの艦を送ろう」
陸上戦艦の艦橋を両手を広げて指し示すトウカ。
参列する軍人達からのどよめき。初耳の者が多い事はフランシアにも十分に察せた。共和国の駐在武官が、皇国陸軍府長官に詰め寄っている光景すらあった。噂の超兵器を贈与するという意味であれば、共和国に齎される影響が絶大なものがある。
皇国の軍事支援を求める声は大きく、連合王国との南方戦線に対しての航空戦力を含む派兵は決定されたが、未だ共和国に部隊が配置されてはおらず、漸く第一次の兵器購入分として戦車が納入されたばかりである。そうした点に不満を持つ者は少なくない。
当然、フランシアは感情論を叫ぶ国民と違い他国軍がそう簡単に他国へ軍を派兵できる訳ではないと知っている為、止むを得ない事だと考えていた。
しかし、修理を終えたとされる陸上戦艦であれば、早急に共和国に移動する事が可能であるのではないかと、フランシアは考えた。
だが、安易に飛びつく真似はしない。
何も負債を自ら大きくする事はない。
外交の基本である。
「我が国に永久貸与していただけるという事でしょうか?」
「君への贈物だ。どうするかは君が決めると良い」
あくまでも個人への贈与だとするトウカにフランシア困り果てる。金品を与えられて迂闊にも喜ぶ程にフランシアも世間知らずではないが、個人として戦闘艦を送られた女性が過去に居るはずもない為、どうした表情をしたものかと神妙な表情を何とか取り繕うしかなかった。
軍人達のどよめきを片手で制したトウカ。
間髪入れずにフランシアは問う。
「貴国では運用されないのでしょうか?」
陸上戦艦ほどの超兵器を運用せずに他国に貸与するとうのは余りにも気前が良く、軍備拡大に励む中では逆行した措置と言えた。ましてや内戦中はフェルゼン近郊で大きな活躍を見せ、皇国陸軍砲兵隊からは陸上戦艦取得に向けた強い要望が上がっている事は有名である。
「エルネシア連峰がある。帝国侵攻に利用するのは困難だというのが陸軍参謀本部の考えだ。君が懸念する必要はない」
気さくに片手を上げて第一砲塔の天蓋に用意された座席に戻るトウカ。
フランシアも用意された席に戻る。
大きな発表に揺れる両国の関係者。
そうした中でトウカだけが、木漏れ日の様な笑みを湛えていた。
「本当に宜しいのでしょうか?」
何度、尋ねたか分からないが尋ねずにはいられないフランシア。
本来なら咎めるべき外務省官僚も同行するだけで沈黙を守っている。思考と判断が追い付かない。こうなれば、経験の差など無きに等しかった。
トウカは苦笑する。
達引きで高価な贈物をされ、不安な表情浮かべる年若い娘を楽しむ年長者の様なトウカに、フランシアは心底と駆け引きを難いと感じた。無論、自身が年長者であるにも関わらず振り回されているという事実も無視できない。
しかし、トウカは一頻り苦笑すると、穏やかな表情を以て応じる。
「これから北部を発展させる。あの様な動くだけで交通網を破壊する兵器は不要という判断だ。鉄屑にするくらいなら責国が運用した方が良い。勿論、大破している二番艦を求めるならば適正価格を要求するが」
肩を竦めたトウカ。
同席する皇国陸軍府長官ファーレンハイトが苦笑を零す。
陸軍に異論がないと見たフランシアは目を丸くする。超兵器を実戦配備する機会を逃すというのは信じられぬ事であった。
「陸軍府としても同意見です。戦場で立往生などともなれば、戦局それ自体が陸上戦艦を前提にして動きかねない」
過大に過ぎる影響力を戦場で示し、それ故に自軍も振り回されかねないと指摘するファーレンハイト。
皇国軍の今後の部隊編制で大きな役割を果たす事はないとも語る二人に、フランシアはそんな事が在り得るのだろうかと懐疑的であった。
二人の口にする皇国に於ける陸上戦艦の必要性低下の理由は軍事に対して素人のフランシアにも納得できるものであったが、同時に軍事の練達者である二人であれば、他の活躍の場を用意できるのではないかとも思えた。
「何より、今後の我が軍が装甲戦力による迅速な打撃を求める。こうした鈍重な兵器を運用する戦場を作り出す心算はない」
戦場を作り出すという言葉に、フランシアはトウカが戦場を統制できるという自負があるのだろうと驚く。
共和国も帝国と終わりなき争いを続けており、そうした法螺吹きは場末から大統領府まで各所に蔓延るが、それを実現できた者、或いは実現できそうな者はフランシアの知る限り存在しなかった。
しかし、眼前の天帝ならば勝算があるのだろうと納得できる。
サクラギトウカには、それだけの実績がある。
そうした相手との交渉はフランシアにとり荷が重かった。
本来、軽い神輿として微笑んでいれば良いだけであったフランシアは、同行した外務省官僚と駐在武官の要領を得ない言葉の前に自ら外交を考える必要に迫られていた。
しかし、肝心の陸上戦艦の価値をフランシアは図りかねていた。
その価値一つで対応が変わるが、その価値を見積もる知識を持たない。駐在武官が沈黙している以上、性能だけに留まらない政治的価値がある可能性があり、フランシアとしては外務省官僚と駐在武官を打擲した上で何処かの部屋に引き摺り込んで話し合いたいとすら思っていた。
共和国から連れてきた外務省官僚と駐在武官は沈黙したままで役に立たない為、経験が浅い筈のフランシアが矢面に立たざるを得なかった。
陸上戦都内の会議室その無機質でいて実用性の一点のみを追求した一室。
その中で外交の為に用意されたであろう相応に高級感のある長机と椅子だけが不釣り合いであった。
フランシアは身動ぎする。
「その、陛下は我が国に……私に何を求められますか?」
専門家が左右で置物になっている以上、フランシアが踏み込むしかなかった。何より沈黙のまま思惑通りに弄ばれる事は望まなかった。軽い神輿にも矜持はあり、何よりも替えが利く神輿であるならばより積極的に情報を得る事が国益に叶う。若さゆえの積極性。
共和国ではなく、フランシアへの贈物とした点を鑑みた発言であったが、トウカは虚を突かれた表情になる。
「……その発言は良くないな。私が悪い男なら君を騙して傷物にしていただろう」
「私の身ひとつで陸上戦艦の対価となるなら……父には生命と国益以外ならば何を喪ってきても良いと言われております」
オーギュストらしい物言いであるが、フランシアは今更である為にそれを真に受けていなかった。しかし、今にして思えば娘と天帝が個人的関係を結ぶ事への期待あっての発言であった可能性もある。フランシアはそう邪推した。
トウカは、良い父君をお持ちだ、と溜息を漏らす。
共和制らしからぬ血縁というもので友誼を通じようとする動きに対し、トウカは然して言及しない。
「此方としては、バルバストル大統領の立場への配慮として、という部分が大きい。戦局は支持率と比例する。彼個人としての“実績”が必要だろう」
内政干渉と捉えかねない思惑であった為に可能な限り言及を避けたのだろうかとフランシアは考えたが、そうした平凡な配慮に留まる相手ではないという期待と不安もあった。
「来るべき選挙で、娘を通して陸上戦艦の永久貸与を勝ち得たという“実績”を与えてくださる、と?」
望外の配慮である。
確かに連合王国参戦を見抜けず、後背地たる南部を突かれる形となった現与党……国家共和党は次の選挙で劣勢となる公算が高い。
トウカは椅子に一層と深く腰掛ける。
「正直なところ、貴国の野党は頼りにならぬ」
余りにも直截な発言。
外務省官僚が鼻白み、駐在武官が頷く。
――無言無表情であれば良いものをッ!
後日二人の首を挿げ替える事をフランシアは決心した。
「身内での争いに中身のない平和主義、建設的な政策を提示せず、批判ばかりに終始する……正直なところ前線国家の一つを指導するだけの力量を持ち合わせていないというのが余の判断である」
余りにも明白な言及に、フランシアは溜息を吐く。
心当たりがある。
戦局の不利はそうした政治集団への反動的な支持を渡しかねない事もまた事実であった。何より、現与党は政権を獲得して久しく、民衆の印象も薄れつつあった。何時の世も、民衆は印象の強い者に振り回される。
「無論、我が国の先代天帝の影響を受けた部分もある為、同情すべき余地はある。しかし、帝国への反転攻勢を試みたいと考えている時期に貴国の政府が理想と現実の区別のつかない面々に変わるのは帝国と抗戦する諸国にとって不利益が大きい」
皇国ではなく、帝国に抗戦する諸国という表現にフランシアは瞳を眇める。
皇国単独ではなく、複数国家の懸念をトウカが代表して伝えている恐れがある事をフランシアは見逃さない。共和国の遺恨を探しつつも懸念を伝えるという点を見ればトウカを諸外国が頼るというのは不思議な話ではなかった。戦力に余裕があり、トウカ自身の気質もそうした動きを忌諱するものではない。
机下で自身の太腿を叩く外務省官僚を一瞥し、フランシアは外務省が諸外国のそうした動きを捉えている事実はないと知る。
「貴国の懸念は理解いたしました。理想を見る権利は在れども、我らは現実に生きねばならない。その点については同意します」
忠告である。
帝国への妥協的な停戦を意図する政権が誕生した場合、皇国と他の帝国に抗戦する諸国は共和国へ厳しい態度を選択するという忠告。
陸上戦艦と忠告。
十分に共和国の現与党が政権を維持し得るだけの原動力となり得る。
周辺諸国の懸念と超兵器の存在があれば、妥協的な意見は消える公算が高い。
フランシアはそう見ていた。
しかし、トウカはそう見てはいない。
フランシアの表情を見て取ったトウカは眉を顰める。
「貴官はまるで理解していない。其方の外交官や駐在武官も同様だ」
同席するファーレンハイトは困惑している。事前の筋書きにはないという事が読み取れるが、エッフェンベルクに関しては無表情を貫いていた。
トウカは頭を振る。
「公式見解として言わせていただくが、責国の現在の野党が政治に於いて主導権を握るというのであれば、残念ながら我が国は根本的解決を図らねばならない」
根本的解決。
不吉な意見に外務省官僚が口を開こうとするが、フランシアはそれを静止する。父親であるオーギュストにとって有利になるという皮算用ではなく、堂々と恫喝を行う相手であり迂遠な外交的答弁が通じる思わなかったが故である。
「謀略によって野党を排除するという事でしょうか?」
破壊工作などで野党の支持率を削ぐというのは極めて費用対効果の高い一手である。明らかに内政干渉である点を除けば、共和国の対帝国政策を維持する上で尤も低い支出で効果を齎す。
しかし、皇国が対外的な諜報能力を先代天帝の下でほぼ失っていた事は共和国でも既知となっていた。皇州同盟軍の情報部も防諜と帝国への対応を完全に行える規模ではないと見られている。陸海軍は拡充の最中にある。
「破壊工作? ああ、そうした方法もあるかも知れない」
考えもしなかったという様子のトウカ。
そこには嘲笑が滲む。
傾いだ身体でフランシアを見据えるトウカの狂相。
「我が国はアトラス協商国と共同で責国を保護占領する」
決定的な一言。
紛れもない侵略行為であった。
「それは……侵略です!」
保護占領などという部族連邦に対する建前を看過する事への懸念が共和国政府にもあったが、早々にその懸念が的中すると考える者は居なかった。
トウカは動じない。
「違うな……戦争だよ、君」
軍神は戦争を行う。
戦争を特別視せず、ただ取り得る手段の一つとして扱うからこそ、トウカは覇者として夷荻を脾睨する。
フランシアは隣国に戦闘国家が成立したのだと、この時、痛感した。
「しかし、それは建前だ」
「建前?」眉を整めたフランシア。
保護占領自体が建前であるにも関わらず、それすらも建前に過ぎないと語るトウカ。
「保護占領の混乱によって共和国戦線では帝国軍が好機とばかりに大きく戦線を押し上げるだろう。それに対して我が国と協商国は帝国の野戦軍に対して両翼から包囲殲滅を試みる」
共和国本土を戦域とした帝国軍野戦軍に対する包囲殲滅戦。
トウカの意図を察したフランシアは寒気を覚えた。
帝国への抗戦から離脱するのであれば、本土を包囲殲滅戦の舞台とするという恫喝。
「協商国が頷くと思われるのですか?」
「少なくとも帝国に妥協して予定している大陸横断鉄道が危うくなるのは避けたいだろうな。金の成る木に帝国主義者が近づく事は耐え難いだろう」
大陸横断鉄道の建設にそうした意味があった事をフランシアは悟った。
トウカの提案である複数国家を跨ぐ大陸横断鉄道の建設は、かなりの割合で皇国が資金を拠出するという譲歩から周辺諸国も無理なく短期間で受諾する事となった。
実際、大陸横断鉄道という大風呂敷は、先代天帝の御代に提案されたものであり予算と利害の都合から各国が難色を示して停止していたに過ぎない。トウカの発案という訳ではなく、大まかな用地の選定などはその際に行われていた。故に具体的な計画は当初から既に存在していたと言える。
本来であれば、皇国が単独で予算の半分を拠出するとは言え、当該国も相応の規模の負担を強いられる為、合意する国家は少ないはずであった。
しかし、再度、提案した人物がトウカである事が合意への原動力となった。
帝国陸軍の外征戦力を本土に誘引し、これのほぼ全てを撃滅した人物であり、帝国首都や諸都市を焼き払った人物でもある。
無論、それはトウカの武威に怯えた事を意味するのではなく、帝国の外征戦力を喪失させ、都市爆撃で帝国国内に不和を齎した人物である為である。
帝国の攻勢がないならば予算を捻出する事は不可能ではなく、大陸横断鉄道が開通すれば、他国からの派遣軍投入が現実味を帯びる。
軍事的困難が生じた際、他国に派遣軍要請をする事は容易であるが、実際に装備と編制の異なる軍勢を纏まった規模で異郷の地に投射する事は容易ではない。移動に伴う費用増加の問題もあれば、輸送面での技術的困難それ自体が圧し掛かる。
大陸横断鉄道による装甲師団派兵の迅速化をもトウカが指摘し、他国はその魅力に抗えなかった。
度重なる勝利と数的劣勢を幾度も回天させた装甲師団は神格化されつつある。
戦線維持に苦慮している国家にとっては抗い難い魅力であった。
そこに、航空艦隊の展開と維持への効果まで指摘されては、国家の明日の為に受け入れざるを得なかった。
帝国は滅亡した訳ではない。
侵攻の余力を喪失しただけである。
多くの国家はそう考え、再び帝国が軍事力を取り戻す前に国力と軍事力の拡充を目指していた。
トウカが帝国を滅亡まで追い込む算段を付けていると考える者は未だ極僅かであった。
トウカは断言する。
「今一度、野戦軍を纏まった規模で撃滅すれば帝国は他国に対して積極的に軍事行動を行う事すら不可能になる。戦力だけでなく国内情勢の不安定化も確実だ」
確定事項を告げるかの様な断言に、フランシアは気圧された。
実力ある国家指導者の能動的な動きの迅速なること甚だしい。共和国の意志決定の速度では対応しきれないとフランシアは確信した。共和制の意思決定の速度が国家を滅ぼす可能性。
共和国とて戦時下である以上、大統領への権力集中は共和政体の中に在っても相当のものであったが、それでも権威主義国家を指導する狂信的軍国主義者の前には霞む。
果断と武断。
その極致にある国家指導者が隣国に誕生した。
共和国はその洗礼を受けつつある。
「その為に我が国に滅亡せよ、と?」
「貴国が愚かな決断をした場合はそうなるだろう。そうせねば、帝国と対立する他の国々がより大きな負担を蒙る事になる」
最大級の恫喝に対してフランシアは言葉がない。
「バルバストル大統領には期待している。しかし、帝国は戦略次元で彼の足場を崩す動きを見せている」
共和国南部を扼する動きを見せる連合王国。
帝国と連合王国は専制君主制であり政治思想として近しいものがある。しかし、共和国を挟んだ位置関係の都合上、外交は活発ではなかった。
少なくとも、連合王国による侵攻以前は共和国政府もそう考えていた。
しかし、水面下では帝国は連合王国へ軍事技術の支援を行い挟撃の準備を整えていた。あくまでも兵器生産設備の技術や運用、戦術面での支援に留まっていた為、共和国はその動きを捉える事が出来なかった。
共和国は連合王国の旧態依然とした軍制に安心し、主敵である帝国との戦争に資源と意識を集中していた。物流や人材の面での動きが僅少では補足するのは困難であるという理由もある。
「あの女は共和制の弱点を良く理解しているという事だ。全く……持ち帰るべきだったか」
仕方のない奴だ、という様子で苦笑するトウカ。
一転して柔らかな印象を見せた姿にフランシアは外務省官僚と視線を交わすが、明確な反応はない。あの女が誰を意味するかは極めて重要である。トウカに対してそうした表情をさせる人物が帝国に居るという事実に対する驚きもあるが、それ以上に帝国内に親しい関係を築いている人物が居るという事実への脅威が勝った。
最悪の場合、皇国の謀略は帝国を積極的に利用する形も在り得るかも知れないという事である。
「あの女とは一体、誰を指すのでしょうか?」
「知らぬのなら知らぬままで良い。あれを理解できるのは私だけだろう。知ったところで無意味だ」
知ったところで意味がない、とトウカは肩を竦めて見せる。
戦略次元の意思決定に関わるのであれば、相応に高位の立場の女性であることは疑いなく、そして帝国では女性が立場を得る機会は他国よりも遥かに少ない。候補は限られるが、最有力候補はリディアであるものの、彼女がそうした気質の人物ではない事は共和国でも知られていた。対照的にエカテリーナという姫君は帝国社交界では相応に名の知れた存在であるが、対外的な動きに表面上では関与する事が稀である為に印象が酷く薄い。
「返答は不要だ。余は貴国の決断を注視している」
トウカが立ち上がる。
続く陸海軍府の長官。
表向きは蜜月と最大級の軍事支援を示す式典とされる中での会談は極めて緊迫したものとなった。




