第三三三話 印象
「天帝陛下も食に熱心で在らせられる……良い事だねっ!」
「正にその通りかと」
言葉と共に巨大な蕪を畑から抜き取る初老の農林水産府長官に、若き男性秘書官は溌剌に応じる。過程は兎も角としても、国民の食糧事情に通じる部分に対して大いに関心を持つ最高指導者という存在は農業と水産業に関わる者にとって福音であった。
若き青年は頭を……頭部の両側にある角を撫でる。
影鬼族と呼ばれる種族の青年は、農林水産府長官エルゼリア侯レジナルドの秘書官に抜擢されたが、眼前で書類仕事は程々にして農作業に勤しむ初老男性を好ましく思い始めていた。
「農学者の一部は不遇を強いられている様ですが」
「あれは、ほら、感情論をそれらしく体裁を整えて論文にしている連中だよね?」
余りにも明け透けな物言いに青年秘書官は失笑を零す。
的確な意見である。もう少し手心を加えてもいいのではないかというのが青年秘書官の思うところであったが、同時にそうであるからこそ若き天帝に何故か気に入られているのだろうと納得できた。
「憶測だけ記載しても論文とは言えないよ。適正な実験結果と、そこから見出せる数字を書かないと。陛下は感想文が大嫌いだからね」
蕪の土を払うレジナルドに、青年秘書官は、理性的であらせられます、と同意する。
一部を除く各分野の学者への補助金や、そうした学者を擁する大学への投資は増加したが、正確性や再現性に乏しい論文提出を繰り返す学者の補助金停止や、研究内容制限の撤廃なども行われ各分野の学者は悲喜交交であった。
無論、概ね好評である。
軍事工学や魔導学の研究内容に掣肘を加えられなくなった学者達は狂喜乱舞したという逸話も聞こえている。歴代天帝の融和政策による削減と、皇立魔導院による魔導技術統制からの明白な転換と見れば、青年秘書官も理解できなくなかった。
天帝は話題性の百貨店である。
それは分野を選ばない。
農業関係でも度々話題を作り出す。
「その内、農作物や魚介類も工場で生産できるようになる、という発言には驚きましたが」
関係者の是非が分かれる主張でもあった。
大地や海から切り離して食糧という恵みを生産する事への忌避感。特に自然との調和や信仰上の差異から耳長族などは特段の忌避感を示した。
青年秘書官としても心情は理解できなくもなかった。
大地や海流を理解するべく人材と予算を投じてきたのは何だったのかという徒労感もあるが、 工業製品の様に生産した農作物や魚介類を口にするという事に表現し難い拒否感を拭えない者も少なくない。
しかし、レジナルドは違った。
「でも、考えてみれば分からないでもないよ。土地の気候を選ばずに作物が作れるんだ。消費地付近で生産できれば輸送費も安価で済むし、鮮度や安全性は寧ろ増すから悪くないだろうね」
そのレジナルドの意見が北部貴族としての経験からくる意見である事は青年秘書官にも察せた。
寒冷地である北部の食糧自給率向上に長年務め続けた男の意見は気弱に見える姿とは対照的に重みがある。
「痩せた土地の臣民の空腹を避ける為なら生産方法に拘るべきじゃないよ」
嫌悪感や信仰は空腹に優越するものではないと、そもそも議論の余地すらないというレジナルドの姿勢への非難は少なくない。
農作物の事に関しては風貌とは裏腹に酷く意固地になるレジナルド。
若き天帝であれば、ならば貴様は餓えて死ね、とでも吐き捨てる事は疑いない為、レジナルドの、祈りでお腹は膨れないよ、と諭す姿は温厚以外の何ものでもないが、双方共に意見を一分たりとも譲らない点は同様だった。
拘る点は全く譲らない。
その点に於いて二人は似た者同士であるのか知れないと、青年秘書官は思う。
トウカはレジナルドに好意的である。
派閥争いの側面もあるかも知れないが、それだけに留まらない好意がある様に青年秘書官には思えた。
無論、トウカが老人に対して好意的な傾向があり、老人達もトウカを可愛がる傾向にあるというのは広く知られている事実である。年齢が離れれば認識の差異から確執が生じやすいが、トウカの場合はそれがなく、老人達は出来の悪い子供……出来が良過ぎで周囲に理解されない子供を庇うかの様な振る舞いをする。
皇州同盟という軍閥……内戦という物語も青年秘書官から見ると、トウカを支える老人達の物語である様に思えた。近い世代で著明なのはヴァレンシュタイン上級大将やハルティカイネン大佐くらいである。当然、若くして軍閥指導者に侍る立場を得る事の偏誤もあるかも知れないが、北部貴族の若者が全く名声を得ていない事を踏まえるとそうした印象を拭い切れない。
実際のところ、背後のマリアベルに怯えて若い貴族が寄り付かなかっただけであるが、歴史とは誤解の上に成り立つものである。
そうしたトウカを支える老人の一人は、トウカの思惑と懸念をよく理解していた。
「それに……肥沃な土地が未来永劫そうだとは限らないし、自国が領有し続けられるとも限らない」
独り言と共に蕪を撫でながら囁くレジナルドに、青年秘書官は静かに衝撃を受けた。
天候に左右されないだけではなく、政治や戦争にすら左右されない農業こそが若き天帝が求めているものに他ならないのだ、と。
「肥沃な土地でも戦争が起きれば不発弾や地雷、残骸で農業は簡単に再開できないからね。今の北部だって内戦や帝国の侵攻の所為でそうした土地があるから」
ましてや奪還すら困難だった可能性も有る。
農業政策もまた戦争と政治に密接に関わる。
農林水産府の職員はそうした感覚に乏しい。
食糧は武器にもなれば、弱点にもなる。
故にトウカは興味を持つ。
「総力戦というらしいね。食糧もまた動員されるべき資源らしいよ」
青年秘書官に蕪を押し付けてレジナルドは溜息を吐く。
困った事だよ、と呟くレジナルドだが、その表情は満更でもないという印象を崩さない。
「ならば、食べきれないくらいの食糧を用意してあげよう。戦時下でも加工品にして他国に売り出せるくらいにね」
北の天箸が見せる野心。
それは皇国が長きに渡り飽食の国と呼ばれる事になる体制に進むまでの一幕。
「だからケルネル君にも期待しているよ……主に執務作業で」
影鬼族の青年秘書官は鷹揚に頷く。
「勿論です、閣下」
レジナルドはあくまでも北部貴族出身の農学者に過ぎない事は青年秘書官……ケルネルもまた理解している。
「閣下を支える秘書も増員しております。執務作業は大幅に軽減されるでしょう」
軍の参謀集団も斯くやと言わんばかりの規模の秘書を用意して仕事と対応を割り振る事でケルネルは乗り切ろうとしていた。事実、その効果は出始めており、裁可の遅延は改善しつつある。
「助かるなぁ……優秀な人材が居て幸運だね」
レジナルドの朗らかな表情にケルネルも苦笑する。
人好きのする笑みに釣られるケルネルだが、彼がレジナルドの秘書官として登用されたのはただ優秀だったからではない。
統合情報部の推認によるものである。
ケルネルはレジナルドに付けられた鈴……という訳ではなく、どちらかと言えば、レジナルドの警戒感の乏しさへの懸念からの人選であった。
ケルネルの経歴は極めて特殊である。
当人も大学在学時は農化学専攻であったものの、就職先は陸軍情報部であった。これは陸軍のとある計画が影響していた。
当時の陸軍は強大な帝国という軍事大国との決戦に対して自信を持たなかった。しかし、そうであるからと敗北を認める事が許される立場ではなく、陸軍……特に参謀本部は帝国の継戦能力を削ぐ事を指向する事になる。
その一環として穀倉地帯に対する強力な除草剤散布を計画した。
当時は、航空攻撃に対して疑問が持たれていたが、除草剤散布であれば威力は必要なく、広範囲に散布可能である。寧ろ、空中投下は好都合であると考えられ、それに合わせて効果的な除草剤の開発がすすめられた。強力である程により多くの耕作面積への悪影響が期待できる為、陸軍はその研究開発に血道を上げる事になる。
先代天帝には基地建設効率化を図る為の除草剤と説明され、有事の際は“偶然”に開発されていた除草剤を利用した穀倉地帯への航空作戦が上奏される計画であった。
ケルネルは陸軍情報部員として帝国の穀倉地帯の風土を調査し、効率的な除草剤散布手段確立の命令を受け、その任務に邁進していた。
しかし、内戦によって状況は一変する。
若き天帝は穀倉地帯ではなく都市を焼いた。
それは衝撃的であり効率的であった。
人々の食糧を奪うのではなく、人々そのものを漸減する。
参謀本部の誰しもが考え、そして効率的な方法を見出せず、何よりも人道上の問題から断念した大量殺戮。
飢餓などの迂遠な殺戮ではなく、より直接的に焼死体を量産する人心への衝撃は多大であり、現在の帝国が揺れている様を見れば食糧への攻撃より遥かに即効性がある事は明白であった。
斯くして、計画は、一時的に中断された。
そうした中でケルネルに与えられた次の任務は新任の農林水産府長官を補佐する役目であった。それは秘書官としての役目に留まらず、身辺警護や派閥争いへの助言も含まれる。
トウカがレジナルドの立場を心配し、リシアがそれを陸軍府に伝えた。
陸軍府は、国内の混乱が去ったとは言い難い状況で、要職に就く者が近辺を然して警戒しない事を危惧している……そう上奏する事で、各府の要職に就く者の近くに内密で情報部員を配置する動きを取った。
トウカの歓心を買う。
それが念頭にある事は確かだが、同時に正攻法で敗北した帝国が暗殺などの非正規手段を講じる可能性を参謀本部が指摘した事も大きい。一度、皇都への侵入を許し、剰え天帝招聘の儀への干渉まで許した過去がある。再び、その様な失態が再び起きれば、陸軍は近衛軍の如く解体されかねない。
そうした経緯の中でケルネルはレジナルドの秘書官という立場に収まった。
人事的に見て昇格の機会と捉えるべきか、皆が恐れて逃げ去った困難と見るべきか情報部の秘匿性が判断を妨げた。統合情報部は独自の人事制度を持ち秘匿性が高い。末端の情報部員に判断材料などなかった。
去りとてケルネルに不満がある訳ではなかった。
寧ろ、参謀本部主導の計画を実現する為に情報部が就職を強く斡旋した経緯がある為、ケルネルは情報部員という立場に負担を感じていた。
正規の軍人としての経歴を経ずに陸軍情報部に就職した事も大きい。軍に対して馴染む事もなく情報収集に励んでいた。
これは情報部が軍人としての仕草や振る舞いを思わせる情報部員を望まなかった事が要因であった。
単純な話で、軍人は目端の利く者であれば同業を見分ける事が容易い。
効率的な指揮統制を目指して厳格な規格化をヒトに対して試みる組織が軍である。それ故に軍人としての挙動を染み付くまで叩き込まれた者達は咄嗟に、或いは無意識にそうした癖が出た。情報部の諜報や防諜に携わる者にとって、これは好ましい事ではない。無論、その任務の性質によって適任者は変わるが、少なくともケルネルの与えられた任務では軍人らしさは不必要なものでしかなかった。
ケルネルはレジナルドの副官を務める事で、己の人生が本道に戻りつつある事を実感していた。 情報部員として他国の農業情報を収集する事は、ケルネルにとって盛大な寄り道でしかなかった。しかし、同時にレジナルドを支える上で情報部員としての立場や知識が大いに役立っている事もあって過去を厭うような事はない。
「困りますね。他府との折衝も最終的には閣下が出ていただかなければなりませんよ」ケルネルは戒める。
逃げられる場面では全力で逃げる。
そして、その内、組織人として逃げてはいけない場面でも逃げ始める。
それがレジナルドという老人であった。
彼は農学者であって行政人ではない。そうした経験はなく、侯爵としての領地運営も家臣団に丸投げしていた。そうした人物が一府の長となって組織が何事もなく平常運転を続けられるはずがなかった。
現在に至るまで大きな停滞がなかったのは、偏にトウカへの恐怖から各部署が無理を承知で大いに励む事で問題点に立ち向うという挺身に依るところである。代償として農林水産府の平均残業時間と退職者は順調に増大していた。
とは言え、最近は落ち着きつつある。
神輿が軽いならば軽いなりに担ぐ者達も考えるものである。
ケルネルもレジナルドが組織人としては役に立たない事を前提とした組織編制を試みていた。各部署もそれを概ね歓迎しており、寧ろ他府から押し付けられた行政人ではなく、農業の専門家が就く事に好意的であった。
誰しも、自らの分野を知らぬ者を上位者に置きたくはない。
――まぁ、各部署が自由に動き過ぎる傾向はあるが……
それでも大きな問題は生じていない。偏に理解のある上司に迷惑は掛けられないという心理の産物であった。次の上司が現在よりも理解のある上司だと考えるならば、それは社会人経験に乏しい者である。
農林水産府は奇妙な安定と躍進を遂げる事になる。
重工業化を志向する皇国に在っても存在感を示し続ける不思議は後世まで語り継がれる事になるが、それは当人達にも自覚のない事であった。
「神州国海軍自慢の艦隊が真っ赤に染まったらしい」
自身で口にしておいて何とも現実感のない台詞だと苦笑してしまう程度には彼も現実感を得ていなかった。
彼もまた戦車兵として相当に活躍したという自負があるが、それでも神州国海軍艦隊というのは畏怖すべき存在であった。陸上の重砲とて海軍から見れば重巡洋艦の主砲程度であり、戦艦ともなれば想像を絶する威力がある。
皇国軍が列車砲の研究開発と生産、運用に熱心だったのは偏に神州国海軍艦隊という脅威を陸上から迎撃するという理由に尽きる。内戦や対帝国戦役では陸上目標に対して運用されたが、本来は水上艦に対する攻撃が主な用途である。
戦車兵からすると戦艦も列車砲も近付きたくはない相手である。至近弾に過ぎずとも横転は免れない。
しかし、そうした異国の艦隊の畏怖に勝る畏怖が国内にはあった。
「カリスト少佐は陛下と共に戦野に赴かれたと聞きます。納得できるのではありませんか?」
部下からの返答に、戦車兵として短期間の内に二度の昇格を経て少佐となったカリストは虚を突かれた。
カリストはトウカが皇国史に姿を見せて以降の軍事行動の多くに関わっている。内戦時はクラナッハ戦線突破などで実質的な指揮を受けた。直接言葉を交わした経験も幾度とある。傍から見ればカリストは紛れもなく若き天帝の支持者であり戦友であった。
無論、カリスト当人はトウカに対して優れた軍人以上の感覚を覚えなかった。
なまじ幾度も言葉を交わし、ザムエルやリシアから風聞を伝え聞く機会があった為、カリストはトウカに対して過度な幻想を抱かなかったという経緯もある。カリストから見るとトウカは軍略の才以外は世情に疎い少年に過ぎなかった。
「天帝陛下も軍隊が湧き出る魔法の壺を持っている訳ではないからな……皆が思う程に不可思議な戦をする訳でもない」
未だ情報開示期間を迎えていないが故に、その軍事行動の全容を知る者は少なく、戦訓として利用されている部分のみを見れば、まさに魔法という印象を受ける者が出る事も致し方なかった。既存の戦闘教義や戦術から逸脱した軍事行動の連続は参謀職を務める者から見ても魔法の様だと称されている。
実際は、理屈を付けて戦訓にできる以上、偶然の連続でもない。
陸軍の実戦部隊でも大騒ぎしながらも戦訓と戦闘教義を取り入れようと躍起になっているが、それに伴う組織改編の連続は軍に疲弊を齎してもいた。
「つまるところは必要なところに可及的速やかに火力や戦力を集中させるってだけの話だ」
そこに全てを賭けていると評しても過言ではない。
戦力投射の速度で敵を優越し、常に敵の準備不足の個所を攻撃できる体制をトウカは求めている。カリストはトウカの軍事行動の本質をそう見ており、それは真実でもあった。
装甲部隊士官は直截的な振る舞いを美徳とする気風がある。
それ故に迂遠な解説や理解は別として、客観的に見てトウカが望む事を結果のみから判断していた。
「速度、速度だ。急進して包囲。殲滅する。全てはその為の方策に過ぎない。小難しい事を考える必要はない」
その為にトウカは全てを投じている。
カリストはそう考えていた。
敵野戦軍の包囲殲滅は軍隊の悲願である。
少なくとも、その目的の為に邁進する。
トウカの場合、都市や工業地帯への爆撃の印象が強い為、軍民問わない敵国の国力漸減を意図した軍事行動を主軸にしている印象が否めない。
カリストは、敵野戦軍の規模と継戦能力の低下を意図しての都市や工業地帯への爆撃があると考えていた。
実際、そうした側面もある。
しかし、軍事行動を含めた敵国への各種攻撃手段とは個別のものではなく、全てが連続したものであり、一方の意義が全てであるという単純なものではなかった。
軍人は軍事に依り、政治家は政治に依る。
双方の要素を併せ持たねばならない指導者の行動は多面的である。
一面的では多くの派閥を満足させ得ない。
如何様にでも説明できる行動こそをトウカは重視している。多くの派閥に成果であると強弁できる成果。
去りとて明白過ぎる程に切り捨てる派閥は選定され、八方美人の面影はない。寧ろ、苛烈な行動で派閥を付度や妥協に追い遣る。要求に同意するのではなく、自らの判断で同意したという事実は後々も印象として付随した。周囲に紐帯を印象付ける事で離反の難易度も増す。
そうした多面的なトウカを、カリストは神速を貴ぶ装甲部隊将校としての視点から評価する。
それもまた間違いではない。
「しかし、旧式とはいえ戦車を他国に売却するのは軍備の都合上、困った事だが……」
旋回砲塔の圧倒的優位が確定した事で、軍事的価値の低下した固定砲戦車を共和国に売却するという決定が下された。
陸軍や皇州同盟軍内でも異論のあった決定であり、カリストなども軍事的価値が低下したとしても自走砲や自走迫撃砲、対空戦車に転用するべきではないかと考えていた。
実際のところ、そうした提案は陸軍装甲本部により費用対効果に乏しいという判断が下されていたが、カリストなどの一介の将校が知るところではなかった。
旧式であることもあるが、戦車の車種が五種ある上、その大部分が陸軍が軍拡に伴って定義した歩兵戦闘車の要素を持つ……つまりは完全武装の歩兵を同乗させた戦車である影響も大きい。
過大な車体を持ち、鈍重で歩兵を搭載する。
内戦以前の風潮は現在の風潮と正反対であるが故に、改修や転用には多大な困難を伴う。限定空間を強靭な前部装甲と火砲で押し上げ、搭載した歩兵を展開して制圧するという概念は、現在の強靭な装甲と機動力を以て地形を問わず進出し、即応性の高い旋回砲塔で攻撃するという方針とは相反する。
戦車と言えど、内戦を境に大部分が旧式の烙印を押される事となった。
固定砲塔に主砲と歩兵を搭載した戦車は運用も改装も不利益が大きいと見られた。
対帝国戦役の最中、ヨエルの影響下にある陸軍師団が旧式戦車に旋回主砲を搭載した型式を実戦投入しているが、それはあくまでも補助戦力に過ぎず、側面装甲の不足から撃破された例も少なくない。車高も高い為、被発見性と被弾率も上昇傾向にあった。
張り子の虎を維持する必要性をトウカは認めなかった。
他国への圧力として戦略爆撃や空母機動部隊が存在する以上、実用性に乏しい旧式戦車で装甲戦力を水増しする必要性はない。
寧ろ、トウカは輸出に弾みを付けたい意向であり、直近の主要輸出工業製品とし戦車を想定していた。
しかし、直近の輸出工業製品と言えども、即座に欲しい、と共和国から悲鳴の如く要請されては無下にする訳にも行かなかった。
現状でも共和国は帝国と連合王国の挟撃を受けており油断できる戦況ではなかった。
皇国からの航空艦隊と傭兵師団の派兵が決定したが、未だ編制が始まったばかりであり、派兵までは時間を要する。
帝国は皇国との一連の戦争で大打撃を受けた。
首都は焼かれ、陸軍の精鋭戦力の半数以上を要う被害を受け、一部都市は灰燼と帰した。 帝国と戦争状態にある共和国からすると好機であるが、共和国にも余裕はない。他ならぬ連合王国の参戦が予備戦力を払底為さしめた。
「しかし、兵器を売却するだけで他国が帝国やそれに与する国を叩いてくれるなら安いものですよ」
「そうだな。聯隊本部でもそうした意見が出ている。数も錬成も不足している中での装甲戦力の投入は早期の消耗を招くだけだと。陛下はその辺りも考慮為されたのだろう」
トウカが戦力の無駄遣いを厭う事は皇州同盟軍の兵士であれば誰しもが知る事実である。同時に必要と在れば、湯水の如く戦力を蒸発させる事を躊躇しない人物であるとも理解されていた。
合理的説明がなくとも大部分の将兵を納得させるだけの権威がトウカの名にはある。
それは、天帝という後付けの権威の依るところではなく、軍人としての軍事的功績によるものであった。
「まぁ、我らが陛下にお任せすれば戦争に関しては万事上手く行くでしょう」
戦車兵達からの声にカリストは鷹揚に頷く。
しかし、同時にカリストには不安があった。
トウカによる戦争指導が万事上手く行くのは万人が認める所であるが、それが常に外に振るわれるとは限らない。
北部臣民は確かに他地方への隔意を持ち、皇国よりも北部という地域に対する帰属意識が強い。偏狭な地域主義の産物であるが、同時に対帝国戦役や内戦を通して疑念を持つ者も居た。
それは軍人である。
対帝国戦役や内戦では、北部地域の一部で熾烈な後退戦が行われたが、その際に他地方を肌身を以て知る機会に恵まれた。ベルゲン近郊……ミナス平原会戦を見ても分かる通り、北部地域での戦闘とは言え、その位置は中央地域の至近であった。つまるところ帝国との戦争では北部での後退戦や会戦を支える策源地は中央地域にあり、鞘重線や物資集積所、医療施設などを皇州同盟軍も利用する事となった。
その際、衝撃を受けた皇州同盟軍将兵は少なくない。
北部よりも遥かに大きい幅と行き届いた整備の為されている街道に、巨大な倉庫街が各所に並び、医療施設は規模と体制の面から見ても雲泥の差がある。
皇国という多種族国家の枢機を担う濫觴の地。
全ての規模が大きく、遥かに巨大な都市が無数とあり、行き交うヒトの数も桁違いであった。
それは多大な危機感を齎した。
帝国を相手にしながら、中央地域までも相手取る真似はできない、と。
他地方に対する隔意への危機感を職種として少なくない規模で最初に抱いたのが、いざとなれば軍事行動の最前を担う軍人という皮肉。それは、勝利、乃至相打ち……講和に持ち込んだトウカの非凡ならざる手腕を認識する事にもなったが、中央地域を敵視する危険性を軍人……特に士官達は自覚した。それでもトウカが一部の中央貴族との対決姿勢を崩さない事で、皇州同盟軍は戦時体制を維持する必要性に迫られている。
政治的対立であれ、軍事力で解決する事を躊躇わないのがトウカである。例え相手が強大でも軍神は勝利する。その切っ先として皇州同盟軍は存在し、彼らはトウカの即位により、それを誇りであるとすら考えていた。
しかし、相当の犠牲が生じる事は避け得ない。
その点を皇州同盟軍は懸念していた。
己の誇りはいつか莫大な戦死者を要求するのではないか、と。
「次なる敵は内か外か……できれば外であって欲しいものです」
「だが、銃後の不安を放置して外征はできないだろう」
「そもそも、内と外が通じていないとも限らないじゃないか」
次の敵を夢想し始める部下。
カリストは苦笑する。
思う所は色々と在れども、為すべきことは変わらない。
「装甲部隊は鋼鉄の腕だ。順番がどうであれ、全ての敵を殴り付けて黙らせる。我々に期待されている役目はそれだ」
トウカの拳として装甲部隊は存在する。
カリストは若き天帝の暴力の一部であるという自覚があった。
拳は殴る相手を決められない。
砕け散るその瞬間まで、敵と定めた相手を殴り続ける事が装甲部隊の、皇州同盟軍の宿命であった。
「先鋒を担うと言えば聞こえは良いが、陸上戦力は一個増強師団だ。しかも、増強分は砲兵大隊ばかりだ。これでは前線を押し上げられんな」
筋骨隆々……巌の如き身形をした将官が野太い腕を組み、渋い声で唸る。それは吼えるかの様で、見る者を委縮させた。
実際、巨漢の将官……フルンツベル中将の機嫌は宜しくなかった。
傭兵出身の野戦将校として立身出世を重ねた身で、指揮下の傭兵師団諸共に陸軍へと編入されたが、その時点で機嫌は頗る悪かった。軍という規律に厳しい……比較的緩いとされる北部貴族の領邦軍ですら避けたフルンツベルクからすると陸軍への編入は大いに不満のある出来事である。
去りとて天帝の意向のある命令ともなれば否はない。
寧ろ、傭兵師団将兵の中には喜んでいる者も少なくない。宮仕えともなれば収入も保証も安定し、妻子を持つ事も容易となる。傭兵という職業は長期間に渡って継続できる職業ではない事も大きい。
当然であるが、陸軍も配慮している。
傭兵師団の内部事情には口を挟まぬ上、人事に関しては殊更にお伺いを立てていた。無論、人間関係で刃傷沙汰が珍しくない事への危機感からである。
フルンツベルク自身も其れは理解していたが、自由気儘に傭兵として戦い、そして何処かで草生す屍となるかと考えていたところに、国家などという余計な荷物まで背負わねばならぬ事はやはり不満であった。
「我々は政治の駒として他国でただ飯を食らうという訳か」
渋面のフルンツベルク。
容姿の優れない野獣の如き風貌に転じたそれに、幼い少女の如き笑声が響く。
「良いではありませんか。戦場に立たずとも俸給を頂ける。公職冥利に尽きます」
白く長い獣耳を揺らした少女に、フルンツベルクは盛大に鼻を鳴らす。
陸軍府からの御目付け役にして参謀の立場にある白兎族の女性士官は、人間種として判断すると幼女の様にすら見える容姿で落ち着いた笑みを見せる。小さな社会人。
「ミラン中佐……展開しているだけで利益が出るというのは上の都合だ。我々や前線の都合ではない」
「その上の都合に従うのが陸軍軍人なのです。それに……」
幼女が知性的にして怜悧な表情で言葉を選ぶ。
フルンツベルクは奇妙な感覚を拭えない。かつての傭兵師団は総員が戦闘に秀でた男達であった。腕に覚えのあるものが志願する以上、体躯や魔導 資質に優れた者ばかりであり、参謀職とて例外ではなかった。寧ろ、正規の参謀教育を受けていない者が参謀を担っており、それを危惧した陸軍が着任を要請してフルンツベルクはそれを受け入れる。
度重なる陸軍の配慮に対して無思慮でいる程にフルンツベルクも組織を理解していない訳ではなく、今後の戦闘は傭兵師団が独立して戦うに留まらず、他の部隊との連携も深化せざるを得なくなるという判断からであった。一個増強師団に過ぎない傭兵師団であったが、陸軍の戦闘序列に組み込まれた以上、他師団や航空隊との連携の機会は増大する。諸兵科連合に足るだけの編制であっても、他部隊と連携できないのでは意味がない。
斯くして、一個師団から一個増強師団への拡充に合わせ、一部の士官は陸軍出身者となる。
フルンツベルクは懸念していた。
御行儀のよい陸軍と、素行不良の傭兵の混成など悪夢でしかない。フルンツベルクの鉄拳制裁を以てしても是正できない確執は容易に想像できた。
しかし、陸軍府も然るもので、それを見越しての人材を着任させてきた。
着任の挨拶に姿を見せたのは人間種で言えば、一〇代半ばの容姿をした女性将校達であった。 備兵師団は荒くれ者の就職先ではあるが、無法者の集まりではない。そうした者は集団行動ができない為に早々にあの世に転属する事になる。荒くれ者は荒れくれ者としての筋を通す。
少なくとも年若い娘に暴力を振るのは風評が差し障ると考える程度には矜持がある。厳密には自らの暴力を売りにする者は自らの、暴力という商品の質が場末の破落戸と同質であると捉えられる事の不利益をよく理解していた。
ましてや年若い娘の風貌に対する暴力沙汰なぞ風評としては特に風聞に障る。
陸軍府はその辺りを理解していた。
陸軍という国軍とて全てが一般市井の考える様な勇猛果敢で寡黙な軍人という事にはなり得ない。
全国津々浦々から相応の均衡を保って偏りなく志願兵を募っている皇国でもそうなるが、それ以外の徴兵制が存在する国家では一層と均等に徴兵が行われる為、その編制は国家の縮図と言える程に国家が各地で内包する多数の要素を抱える事になる。
兎にも角にも、国軍……それも兵数の多い陸軍は多種多様な人物が集う事になる。
そうした経験と苦労から陸軍は癖のある人物を戦力化する事に対して既に知見があったと言える。
現在のところ、フルンツベルクから見ても増強師団としての運営は上手く運んでいる。
無論、外観だけでなく士官としての能力が高い事も大きく、実力があるならば歴戦の傭兵も従う。寧ろ、担ぐ神輿が見目麗しいならば幸いだと考える者まで出る始末であった。
傭兵は金銭で生命を賭ける。
愛国心や郷土愛などという金銭的価値のないものに対して酷く冷淡であり、己の価値を金銭として俯瞰するが故に、傭兵はただ実力だけで判断する。
物差しが単純明快であるが故に、可憐な将校達は受け入れられたと言える。逆に可憐であっても実力がなければ、早々に悲惨な目に合う事は明白でもあったが。
「今までは男女の混成は面倒が多いと避けていたが……言うではないか」
戦闘に秀でた種族と一般に言われていても、それは種族としての能力の問題であり、個々人の気質として戦争に適しているという訳ではない。そうした中で男女の差は大きく、戦場に立つという選択をする男は女よりも遥かに多かった。
それは生物特性を無視した理屈を捏ねる社会学云々以前の問題であり、純粋にヒト以外の因子を以て成立した種は、種の存続に対して人間種よりも酷烈であるという点が大きい。女性の減少は、将来的な種の総数に影響する。ヒトならざる因子は、その点に背を向けない。
そうした経緯から戦闘に優れた種族の男性のみを嘗ての傭兵師団では採用していた。男女で志願者数は男性が遥かに多い以上、当然の決断とも言えた。混成となった場合、それに対する配慮や問題がある為、費用対効果と危険性低減を意図したと言える。
元の傭兵師団と言えど、民営組織である点に変わりなく、予算削減と諸問題低減には公営組織よりも熱心であった。利益は主義主張に優越する。
「むさ苦しい職場に華を活ける。宜しいではありませんか」
華が自己申告する様に、フルンツベルクは渋面を一層と深くする。
外観上の問題ではなく、男女が同じ部隊に存在する事で生じる予算面での負担増加と危険性に対する懸念を示すフルンツベルクだが、予算に関しては、公営企業に等しくなった為に国費であり、危険性に関しては憲兵が配属された事で抑えられている。
フルンツベルクも有益であると理解しているが、男として女は運用し難いという本音もあった。 女に戦って死ねと命じる事に対して苦痛を覚える性質であるフルンツベルクとしては、部隊運用に対して積極性を維持できないと考えていた。実際、演習でも女性士官を守る為、兵士による過度な行動が目立つ場面もある。
皇国陸軍では男女混成部隊である事に対する知見があり、陸軍大学からは毎年多数の論文が世に送り出されていた。
そうした論文から読み取れるのは、事実として男性兵士は女性兵士を明確に庇護する動きを取る傾向がある。部隊運営上では、異性の存在を気に留める事で意欲向上が起きていた。
利点と欠点。
皇国軍は部隊や所属に応じて編制を変える事で運用上の利点を最大化する方針を採用していた。海軍などでは手狭な閉所空間となる小型艦では乗組員の性別を統一して問題が起きない様に配慮しており、陸軍でも女性兵士は後方に多い傾向にある。
フルンツベルクとしては陸軍の事情など興味はなかったが、今後の顧客(強制)である以上、配慮は必要であった。
「まぁ、傭兵師団の増強は今後の国外派兵を考慮しての事だろうが……」
トウカと交友関係がある……とまではいかないものの、好意的に見られている事はその厚遇から周知の事実と言えるフルンツベルクだが、陸軍という就職先を求めてはいなかった。
国内に指導者の統制下にない軍事組織があるなど後進国と後ろ指を指されよう。
若き天帝はそう朗らかに笑って傭兵師団を陸軍の戦闘序列に加えたが、その発言は国内の貴族の私兵を許さないという意味でもある。
傭兵師団の陸軍転属に理解を求める最中で、国内軍事勢力の再編……全ての指揮権を自身に集中させるという明言。そうした動きを志向していた事は明白であったが、明確な形で宣言された事で各地の領邦軍に動揺が奔っていた。
貴族の私兵である領邦軍はトウカの即位に合わせた布告で領地と人口に合わせて兵数削減を受けており、余剰となった軍人を陸海軍に転属させる事で軍拡の早急なる実現を狙っていた。同時に、貴族の軍事力を削ぐ事で国内の軍事衝突の余地を低下させる事を意図している事は容易に想像できる。
しかし、それは段階的なもので、最終的には貴族が私兵を保有する事を禁止する心算である事が公になった。
意外な事であるが中央貴族以外は受け入れつつあった。
北部貴族にとって領邦軍とは外敵の侵入を阻止する必要不可欠の軍事組織であるが、それは負担が軽いという事を意味しない。寧ろ、帝国という強大な専制国家に一地域で立ち向かわねばならない可能性から、予算と人口から算出される適正な規模を遥かに超えて領邦軍を編制していた。
それは凄まじい負担である。
一部の貴族領は年間予算の半分を超える軍事費を計上しており、その為に発展は遅々として進まなかった。
しかし、帝国は甚大な被害を受け、トウカの即位によって国軍が国防……北部を防衛するという確信を得た今、金食い虫の領邦軍を維持する必要性は大きく低減した。天帝陛下の予算で防衛が叶うならこれ程に幸いな事はないと放言する北部貴族すらいる現実がそれを示している。
対する北部と中央を除く他の地域も食糧自給率で苦労してはいないが、資産価値の高い特産品を安定的に輸出できている訳ではなかった。。そうした産業を生み出す為、予算を捻出したいというのが本音である。
北部地域は当代天帝の強固な支持基盤であり、重工業化による発展を志向している事は明白である為、将来の経済発展を目指した動きと言える。そこに後れを取る可能性を憂慮していた。
多くの貴族が当代天帝たるトウカの方針を認める事で経済発展の道筋を付けようとしていた。
無論、そこには軍事力で対抗できる目算が立たない故に積極的に支持するという方針に切り替えたという実情もある。
一部の地方のみに発展を許す事は人口と資産の流出を招くという危機感。
トウカへの支持の増加はトウカへの恐怖心よりも他地方に発展で先んじられるのではないかという恐怖心によるものであった。
高速道路と鉄道網の敷設の予算規模はそれほどに莫大だったと言える。一部の建設会社などは好機と見て北部に子会社や支店を立てるに留まらず、帝国南部の領有を見据えて本社移転まで計画している以上、その懸念は妥当なものであった。
そうした思惑の引き金になる発言が傭兵師団を陸軍の指揮下に加える最中で行われた。
一部からは用地取得の遅延を想定し、傭兵師団に公認地上げ屋の如き真似事をさせるのではないかという懸念……これは司法府からの懸念であり、挙句に大蔵府がその懸念を前提とした用地取得の予算を各所で提示した事で、フルンツベルクはあらゆる組織から腹の内を探られる有様であった。
「海外派兵は政治的要素が強い。俺の傭兵に、政治に配慮してください、なんて言葉が通じるとは思えんが……」
無視する、或いは反意を抱くなどという救いようのあるものではなく、そもそも政治というものを理解しない連中が大多数であった。政治家に対しても、良くて椅子にふんぞり返って理屈を捏ねる連中という程度の認識である。
「その手綱を握り、尚且つ見栄えの良い宣伝向けの我々ですよ」
フルンツベルクは各所から邪推されたが、それを気に留める程に繊細ではなかった。
しかし、それは悲劇を織り込んでいなければ、という前提が付く。
ミランの露骨な指摘だが、そうした点は内外から見ても一目瞭然であった。
「咲くも枯れるも華が佳い、か」
何時の時代も世論を突き動かすのは、あどけない子供や見目麗しい乙女の死である。
トウカの吐き捨てる様な断言が、フルンツベルクの脳裏を過る。
見目麗しい乙女達は戦場で屍を晒す事を求められているのではないだろうかという疑念をフルンツベルクは拭えないでいた。




