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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》
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第三三二話    装甲列車への道





「装甲列車か……通常編制の鉄道車輛すら不足している時節に?」


 グレーナー鉄道総監は滝の様な汗と共に頷く。


皇都近郊の陸軍鉄道操車場。


 その中央に位置する巨大な転車台を眺める若き天帝の背中。


 表情が見えない事が一層と恐怖を掻き立てる。


長期的な鉄道網再編に伴う鉄道設備製造には多くの利権が絡む為、トウカへの報告を以て蠢動する者達を抑えている側面があった。本来、直接説明を受ける程の事ではないが、利権争いによって運営の効率化が阻害される事を忌避した陸軍鉄道本部は早々にトウカへと問題を丸投げする。


本来であれば、天帝であるトウカの軍事的権威が突出し過ぎる点に懸念を示し始めていた陸軍参謀本部が他の提案をすべき場面であった。


しかし、鉄道には莫大にして多くの利権が絡んでいる事から、将官達も軒並み及び腰になった事で上申に次ぐ上申となり、最後には上奏という形でトウカの下に届けられる事になる。誰しも利権を握らんとする強欲な権力者達の恨みを買いたくはない。軍と言えど国家行政の一つに過ぎず、権益の場の一つという側面からは逃れられなかった。


 軍ですら階級という序列だけが優位性を確保する根拠ではなかった。


グレーナーは肺腑への痛みを覚えたが、同時に上奏によって物事が順調に進む事も十分に理解していた。


身内であり、予算に五月蠅い陸軍府経理部にすら天帝の権威は有効であった。無論、利権を求める企業や団体に対する効果は言うまでもなく、鉄道路線の敷設経路選定や資材調達は陸軍鉄道本部の決定通りに進みつつあった。


 自身の立場や生命に対して言及された事はないが、トウカの実績にグレーナーは心底と怯えていた。


トウカは機動列車砲を見上げたままに呟く。


「現場からの突き上げか?」


「そうした部分もあります……将来的に攻め入る国家に有力な装甲戦力や航空戦力が存在した場合、これらから鉄道車輛を防護する必要性が ある、と」


 グレーナー自身、これには苦しい部分があると考えていた。


 建前である。


 グレーナーは建前をトウカが最も嫌う類の物であると理解していた。


「無意味だ。装甲列車の費用対効果は乏しい。何より、鉄道車輛を攻撃せずとも軌条(レール)そのものを破壊されては同じ事だろう」


 鷹揚のない言葉での返答。


 同時にトウカの鉄道……それも鉄道の軍事的運用に対する知識が相当にあると改めて実感したグレーナーは別の角度から切り込む。


正直を言えば、グレーナーも軌条(レール)という楔からは逃れられない鉄道という輸送手段の脆弱性に対し、装甲戦力は兎も角、航空戦力に対しては余りにも優位であると考えていた。極少数で、後方へと浸透して爆撃を行われては、それを確実に阻止する手段はない。散発的な浸透による爆撃への要撃が困難であることは、帝国が航空戦力の運用を始めつつあり、その中で皇国軍騎に対しての接敵の機会を得る事に腐心している事からも理解できた。


 皇国軍は帝国の航空作戦全般に対して多大な理解を寄せている。


そして、トウカの想定から大きく外れた事は未だない。


航空作戦に於いては、暫くの間、攻撃側の圧倒的優位が続く。それは対処する兵器の能力ではなく、攻撃目標を広大な航続距離内から自由に選択し得る優位を攻撃側が保持し続ける為である。高度な索敵技術の成立は容易ではなく、技術的模索は一〇年単位の時間を要するとされていた。


 逃げ出せない軌条(レール)は航空攻撃に一方的に晒され、それは目標として見た場合、点ではなく線である。当然、装甲化という選択肢はない。トウカの提案で鉄道の地下化への技術的模索が始まっているが、それは都市機能の効率化や有事の際の地下構造の運用を目的としたものであり、戦地での設営は想定されていなかった。


 結果として、守るには長大であり、それならば最低限、鉄道車輛は自力で防備するべきであるという意見が陸軍鉄道本部で上がった。


軌条は最悪、爆撃や砲撃の跡を整地して敷き直せばよく、それを専門とする鉄道工兵と部資材を装甲列車の編制に組み込めばいい。寧ろ、破断した鉄道網を早急に敷き直す為の工兵車輛とそれを守る装甲列車は必須である。


それらしい主張である。


 グレーナーも当初は納得しそうになった。


だが、貨車に装甲と対空火器を搭載するだけで十分では?という陸軍兵器廠からの提案に陸軍鉄道本部は紛糾する事になる。


合理的な意見であった。


 一分の隙もない程に。


陸軍鉄道本部の面々も兵器開発に浪漫や情熱を持ち出す程に愚かではないが、性能より量産性という割り切りを出来る程に技術者でもなかった。軍人が兵器性能に固執するのは当然であり、それが死命を制すると知るからである。無論、安定した動作と整備性を犠牲にしない範疇に於いて、であるが。


斯くしてグレーナーは、トウカに理解を求める事となる。


陸軍鉄道本部の部下達の突き上げを受けたグレーナーだが、彼自身は心情としては分からなくもなかった。



装甲列車。



実戦配備できたならば陸軍鉄道本部の威光は益々と高まる事になる。


当代天帝の強い庇護下にある陸軍鉄道本部の威風堂々とした新兵器。客寄せには十分であり知名度は予算と人材を呼ぶ。


ましてや、嘗ての陸軍鉄道本部の威光の体現と言えた機動列車砲は陳腐化しつつある上、内戦では皇州同盟軍が戦艦主砲を転用した更に強力なものを実戦で運用している。


 そうした中で軍事費の増大が成されたが、その予算配分は陸軍鉄道本部にとって手放しに喜べるものではなかった。


航空戦力や装甲戦力を主体とした軍事戦略への転換となり、既存の兵器大系の見直しが行われた。そうした中で列車砲という兵器の将来的な廃止は陸軍鉄道本部が抗議の声を上げる間もなく決定された。


軌条上でしか移動できず、展開に時間を要し、重量制限の問題から非装甲である為に脆弱であった。挙句に製造費用が掛かるとなれば、将来性がないのは明白である。


将来性というものを語るよりも早く、航空攻撃の有用性と優位性が認識された為、忽ちに非効率の烙印を押されてしまった。


戦術爆撃中隊と攻撃力が同等で、攻撃範囲や速度は遥かに劣る。配備までの予算まで劣るとなれば、文句の付けようもなかった。


――一応、機動列車砲の配備計画はあるが……


それは、将来的な戦艦と要塞建造の為の主砲であり、機動列車砲生産計画に関しては、それを擬装する為のものでしかなかった。


 その戦艦や要塞も時勢に合わせて対空火器が大幅に増強されるとグレーナーは耳にしていた。 航空戦力に対して相応の堪航性を持つ兵器のみが多額の予算を許される時代になりつつある。


「……一理ある……通州事件の如き真似は困るか……威圧に使えるか……いや、非正規戦にも利用できるか……」


何某かを呟くトウカに、グレーナーは天啓を得たとばかりに顔を上げる。


「現行車輛の規格を逸脱せず、可能な限りの部品の共通化を図るのならば悪くはない提案と判断する……しかし、数がなければ意味がない。 量産性を重視せよ」


 数を揃える事にまで同意するトウカ。


「口出しすべき立場ではないが、口出しが欲しいのだろう?」


トウカの提案が加わるとなれば、異を唱える者など大半が霧散する。勇んで非難するのは大蔵府長官くらいのものであった。


「それは……許可なさると受け取って宜しいでしょうか?」


「勿論だ……弾道弾の牽引にも使えるからな」


トウカに別の視点がある事を察したグレーナーは、鉄道屋には見えない将来性が装甲列車にはあるのだろうと見た。


弾道弾の研究が進められているが、現状では問題が山積している。その上、大型であり、これは射程の延伸を図ればどの道、将来も付き纏う問題であった。大型化に目を瞑れば解決できる問題が多いのであれば、鉄道輸送は避け得ないという判断。


グレーナーも弾道弾の噂は耳にしていた。


長射程の誘導弾で遥か後方から目標を攻撃する。


航空騎と類似した方向性の兵器であるが、グレーナーには航空騎を戦場から駆逐するのか、他兵器と棲み分けが成されるのかという判断すら付かなかった。


兵器の進歩は既存の常識を置き去りにし続けており、深化する専門性は他兵科への理解を一層と困難なものと成さしめた。


専門の参謀まで幾つも新設されるのだから、己の知らぬ事が増えても致し方ないと、グレーナーは開き直っていた。


トウカが振り向く。


天を突く砲身を背に、若き天帝は微笑む。


陽だまりの様な笑み。


「龍だけが空を恣にし続ける正当性も根拠もこの世には存在しない。兵器は進歩するものだ。威力と精度と射程を求め続けて」


それは謡うようだったが、グレーナーはその内容に顔面蒼白となる。


龍系種族が形成しつつある航空閥との将来的な確執を要求されたに等しいのだ。


装甲列車の量産がそうした話に繋がると予想すらしていなかったグレーナーは血の気の引いた顔の儘に最敬礼する。


若き天帝は、政戦両略である。


航空閥の一方的な伸長を許す心算などあるはずがなかった。









「ところでグレーナー君」


トウカはグレーナーの両肩を掴む。


何故か蒼白なグレーナーが権威に気圧されているのだろうと勝手に解釈したトウカだが、それに配慮する真似はしない。


余りにも怯える者が多く、そうした仕草に対して対応する気が失せた事もあるが、トウカの配慮を付け入るべき隙として捉える者が出る事を懸念していた。信任を得たと吹聴する輩が余計な真似をする可能性を、在郷軍人会の振る舞いを見て思い至った為である。


「天帝は馬車での移動が基本と言うが、正直なところ近代に突入しても原始的な移動手段と言うのはどうか?」


移動手段一つ取って見ても天帝の権威に関わる部分と言える為、グレーナーは滝の如く汗を流しながら、視線を左右に彷徨わせて返答する。


「どうと申されましても……歴史や伝統……仕来りに基づいたものでありますゆえ……」


 国士の影に怯えてか明言を避けるグレーナー。


 歴史や伝統に対する解釈を新しくするという行為は酷く敵を作るものであり、組織の長としてそれに加担した場合、組織全体が攻撃対象になりかねないという懸念。グレーナーの懸念をトウカは良く理解し、そしてそれを理解するだけの能力を有する事を評価する。


しかし、トウカはグレーナーの懸念を気にも留めない。


グレーナーや陸軍鉄道本部にも利益のある話である為、トウカは寧ろ善意と捉えていた。


「詰まらないな?」


「……そう部分もあります」


天帝の不興を買って組織が崩壊する危険性と国士の激怒を天秤に掛けざるを得なくなったグレーナーは、眼前の若き天帝を選択する。


傍目から見ると路地裏に連れ込んだ老人に金を無心する若者の様な光景であるが、距離を置いて控える鋭兵達は然したる反応を見せない。それは警護任務を全うするという固い意思の産物ではなく、寧ろ鋭兵達は近衛軍が解体状態の為、本来専門ではない警護任務に駆り出された皇州同盟軍人に過ぎなかったからである。反応を示さないのは偏に、トウカの周囲ではよく見る光景に過ぎないからであった。


 トウカは放射状に並ぶ車庫を一瞥する。


 皇国の鉄道網を支える鉄道車輛がそこで整備を受けている。


「皇族専用の鉄道車輛……あれば便利だと思わないか? 鉄道本部の宣伝にもなる。他国への売り込みにも使える。移動時間も短縮できる。警護も容易だ」


航空騎での移動に関しては、警護の都合でクレアが難色を示した。航空演習の爆撃任務で数に勝る戦闘航空団が要撃騎を完全に排除できなかった事から、航空騎の警護が極めて困難であるとの見方を示し、統合情報部や陸軍総司令部までもが難色を示した事でトウカも妥協するしかなかったという経緯がある。


「最低、三個……三編制欲しいな。使用、保存用、布教用……もとい、売り込み用だ」


皇族が今後もトウカだけであるとは限らず、整備点検の都合上、複数編制必要である事は明白であった。


目を白黒させるグレーナー。


売り込みという視点をトウカは重視していた。


現状、周辺諸国はその全てが独自規格の鉄道軌条を利用している。これは、敵国の侵攻時に輸送を阻害するという真っ当な目的からではなく、同時期に鉄道網整備が行われ始めた事に加え、国土地形の問題からそれぞれが黎明期に採算の取れる規模と形状に差異があった為であった。


 国防上の理由は後付けであり、現状を追認する根拠の一つとして扱われている側面がある。


 各国の鉄道事情は大きく異なる。


列島自体に峻険な山脈がある神州国や、国土の大半が森林地帯である部族連邦は狭軌の軌条を採用し、小回りや鉄道敷設時の負担軽減を重視した。対する皇国や共和国などは平地が多い為、輸送量の増加を意図して広軌を採用する傾向にあった。


グレーナーはトウカの意図を察したのか、汗を袖で拭いながらも応じる。


「他国への売却により製造単価の圧縮を図る……加えて工業規格を皇国基準とする布石……という事でしょうか?」


「そうだ。各種兵器の売買契約は順調だが、兵器など所詮は国家が商う工業製品の極一部に過ぎない。……火種を撒く努力は怠らない心算だが、痩せ細った国家同士の衝突での兵器売買に旨味はなかろう?」


戦争は国家の存亡に繋がる事が明白であり、それ故に統治機構も金銭を惜しまず軍備を拡充する。しかし、疲弊しても尚、予算を投じる事はできなくもないが、それは負債でしかない。兵器の輸出元となる皇国からすると返済できない規模の負債や遺恨が生じかねない程の売買は中長期的に見て不利益でしかなかった。


 軍拡競争から戦争終結まで。


兵器輸出には適切な時期がある。


そして意外な事であるが兵器……特に戦車や軍艦などの大型兵器は利益率が低い。


 無論、そうした大型兵器を売り付ける事で関係を構築し、大量生産品や消耗品の売却で利益を得る事が最大目的である。消耗の激しい量産品……消耗品を湯水の如く消費する国家事業こそが戦争なのだ。


しかし、それだけでは芸がない、とトウカは考えていた。


 大型兵器は見栄えの良い客寄せでしかなく、重要な事はそれを維持管理する為に必要な技術規格や知見を売却先に強要する事にある。そして、その維持管理に必要な基準が皇国と同様になれば、後続の参入が容易となり、国家の技術大系そのものへの干渉に繋がる。


螺子を始めとした工業部品の規格を諸外国が皇国に合わせるだけでも多大な影響があった。その国家に属する者達全てがありとあらゆる皇国製品を購入する際に身近な部品を使用可能で修理や改良が容易という長所を得る事になるのは勿論、そうした事を購入した製品に対して試みる際の費用も大幅に低下する。


 皇国の工業製品は異国の地で外国製であるという不利益を大幅に低減できるのだ。


工業製品の生産拠点を海外に求める際、皇国側が支払う費用も低減し、皇国企業の進出はその国家への影響力拡大を意味する。


「輸出する工業製品の目玉が兵器に偏る事も好ましくない。対外的な印象としても。何より兵器とて工業製品なのだ。輸出に積極的になるのであれば規格の共通化による囲い込みも実施して然るべきだろう」


工業規格を皇国に準拠させる事に成功した場合、皇国の商業圏として有力な輸出先とする事が可能になる。


トウカは内需にも限界があると見ていた。


相応の人口を持つ皇国だが、魔導技術全般の利便性や工業製品の積極的な利用を行わない種族も居る為、その人口は額面通りの内需拡大を齎さない。何より過度な工業化は需要が満たされて生産量が低下した瞬間に労働者を放出するので雇用悪化を招く。


少なくとも多様な工業製品と販路の確立は急務であった。


「その一つとして民生品輸出の象徴が欲しい」


あくまでも民生品輸出の象徴であり、利益が出なくともよいとトウカは考えていた。


 グレーナーは即答を避ける。


「それが鉄道車輛ですか……利益を度外視したとしても現実的とは思えませんが……」


陸軍鉄道本部鉄道総監の立場にあるグレーナーは鉄道に対する軍事的視点を持つ。


しかし、それを眼前の天帝に指摘する事に躊躇を覚えるのは当然と言えた。


軍事力によって全ての困難を薙ぎ払ったとも評される若き天帝が、そうした視点を持たない筈がなく、そうした指摘が不興を買うのではないかという恐怖。


 トウカはそれを察して朗らかに応じる。


「貴官の言いたい事は理解している心算だ。軍事戦略に於いて鉄道網の共通化は多大な危険性を伴う」


 兵站が整わねば軍隊は地図上でのた打ち回るだけだが、近代軍は過去の軍勢よりも遥かに多く物資を消費する。兵站線を構築する事は容易 でない。


 そうした部分を解決する設備として鉄道がある。


 地上に於いては他と隔絶した輸送量を誇る鉄道は戦略兵器に等しい。戦力投射の規模は、その地域の鉄道網の規模に大きく左右される。無論、鉄道が全てではないが、他の輸送手段では極めて効率が悪く、費用対効果も大きく劣った。


皇国が他国に軍事侵攻する際の兵站線として利用されるのではないかという懸念を諸外国が持つ事は確実であり、現状の軍事行動は相応の理屈を付けているが、酷く攻撃的であり他国領土に踏み込む事を躊躇しない事を否定するものではない。


逆に言えば、他国が皇国本土に使用する際に利用される恐れから陸軍総司令部や参謀本部が難色を示す可能性もある。幾らトウカが政戦両略の天帝であるとは言え、その危険性が減じる訳でもない。加えて本土防衛重視の戦略を長年に渡り堅持してきた陸軍の本土防衛への意志は強固なものがある。戦略の転換だけでなく、心情の転換も要求されるに等しい。


 グレーナーが懸念する点の大部分をトウカは見越している。


「その辺りは此方の営業努力次第だろう」


 戦車などの兵器と抱き合わせて売買契約、事業契約を締結すれば良い。


 皇国の鉄道路線は他国よりも輸送量と走行性重視で大型化している。兵器輸送には最適であり、兵器販売と紐付ける事は容易であった。狂信的なまでの内戦戦略を採用していた皇国は本土決戦の為にあらゆる公共施設や法律を最適化しており、鉄道もまた例外ではない。鉄道が兵器であるという側面を皇国は他国よりも遥かに理解していたが故に大型化の傾向があった。


故に経済活性化の為の共同事業として鉄道網敷設を複数国家による国際事業として推進するという手もある。


 ――経済関係の深化が戦争を抑止するという“妄想”を利用するのも手だろう。


「何せ、民生品への展開だ。大蔵府長官も喜んで予算を割くだろう」


経済活動の活性化に繋がるのであれば血も涙もない判断を下す事を躊躇しないセルアノであれば、鉄道車輛の輸出を想定した動きに対して好意的な動きを取る可能性が高い。


 例え、兵器との抱き合わせでの鉄道網敷設事業の推進や、後の他国への軍事行動の素地となりかねない鉄道路線の共通化であっても利益になるならば許容する。


 地獄の沙汰も金次第とは言うが、セルアノの場合は利益があるならば地上に地獄が出現する事も躊躇しない。


「新しい鉄道車輛……旅客用と物資用の設計も進めろ。量産性と整備性を重視しながらも、今後長く各国で運用される事を想定した車輌を作るのだ」


「概要は理解いたしました……しかし、生産や整備の工場が不足しております。設計の最中に工場の拡充を行っていただきませんと、急激な増産には些か……」


 鉄道車輛の生産や整備を行う施設の費用は安くはない。大型艦建造可能な造船所程ではないにせよ、民間造船所に比肩し得る費用を必要とする。


トウカに予算を無心する事への恐怖に加え、軍備拡充に勤しむ皇国陸軍の中で陸軍鉄道本部が多額の予算を天帝を後ろ盾として計上するという軋轢を生むであろう行為への不安。


グレーナーの顔色にトウカ苦笑する。


「構わぬ。大いにやるとよい。予算も此方で都合する。他に文句は言わせない」


鉄道は必要不可欠であり、これからは更に鉄道網を拡充する必要がある。


「それに、だ。これから我が国の国土は増え、人口も増える……同じ国土に在って利便性の差異が余りにも大きいと不満が出る上、非常時の救援や展開に支障も出るだろう」


災害に軍事的脅威、暴動……輸送量と輸送速度が要求されるであろう事態に可及的速やかに対処できる輸送手段が鉄道である。路線の損傷という問題などもあるが、結局のところ陸上での輸送量が必要となる事態に陥れば鉄道に頼るしかない。


そして、移動手段の格差はそのまま経済格差に直結しやすい。


利便性を求めてヒトは都市部に流入する。


 しかし、都市部までの交通手段があれば、それはある程度は抑制される。都市部の土地や家屋は高価であり、相応の移動速度と許容し得る運賃を持つ移動手段さえあれば比較的遠方に住む事も選択肢となる。無論、これは地方を主体とした同時多発的な交通網開発を行わねば地方が都市部に人口を吸い上げられるだけの結果となりかねない。


交通と経済は密接な関係があるが、トウカは交通網整備によって地方経済が壊滅的打撃を蒙る事に神経を尖らせていた。


何故ならば、真っ先に打撃を受ける地方経済の筆頭こそが北部地域であるからであった。


元より少ない地域人口に加え、工業区域がシュットガルト湖周辺に偏重し、内戦で広範囲に渡って荒廃した。挙句に、帝国侵攻と国境警備を見越して大規模な鉄道網が構築開始されている。


トウカは北部貴族を騙した。


否、厳密には有り得るかも知れない可能性を大いに押し出して夢を見させた。


鉄道路線が領内に敷設され、駅ができたならば産業の誘致が容易になり、利便性が向上して領民の増加が期待できる。


 そんな事はない。


日本であれば誰しもが知る事実であるが、交通網の発達は都市部への人口偏重を齎した。


魅力ある土地への群がるのは自明の理である。


ヒトも動物。理屈を垂れ流そうとも蜜に群がる動物と変わりはない。


魅力が欠如、或いは弱いからこそ北部は人口が流出傾向であったのだ。元より気候的に不利であったが、北部貴族はその対策として閉鎖性を以て人口と経済を維持しようとした。域外を知らず、中央を敵とする姿勢で領民を繋ぎ留めたのだ。情報伝播速度と確実性に乏しく、そして帝国からの脅威に対して歴代天帝が抜本的対策を行わず、中央政府もまた北部の苦節を理解しなかった。貴族と領民共々、中央を憎悪する素地が十分に存在したからこその方策である。


 トウカは北部貴族の他地方に対する敵意は、そうした思惑があったと考えていた。無論、これはそうした方策を実施した当初の話であり、現在はそれが虚から実に転じたと見ている。


結局、憎悪の既成事実化に北部貴族自らも取り込まれたのだ。


とは言え、自らの国土内での確執をトウカが放置する筈もない。


よって、根本的原因である経済不振と人口偏重を解決する必要がある。


 先んじて北部各地への産業誘致……これは地域的に軍需産業の比率が増えてしまったものの、税金の一定期間免除などを条件に取り付けて雇用環境を作り出す事で魅力とし、鉄道網を北部各地で連結させる計画であった。北部内で衣食住と娯楽が完結する事業を推進し、大規模 な他地方との鉄道路線はヴェルテンベルク領に絞る事で北部全体の人口流出を防止する。


ヴェルテンベルク領には天帝であるトウカも居る。


 故に各種公的機関の設置が進められており、それに関わる人員が集まりつつある。ヴェルテンベルク領フェルゼンと連結する鉄道網は最終的に皇都と繋がるが、それまでには皇都相手に一方的に人材流出を招かないだけの魅力と規模をトウカは用意する心算であった。


「誰も彼もが利益を寄越せと叫ぶ。だが、それを平等な形で分配するのが指導者の責務というものだよ」


 ヴェルテンベルク領フェルゼンにも十分な利益があり、或いは北部人口が集中する恐れもあるが、それは限定的なものとならざるを得ない。


何故ならば、ヴェルテンベルク領……フェルゼンには巨大な軍事行政が用意され、軍港や軍事関連施設が林立する事になる。建造物の高度制限や航空便の飛行経路制限、強力な入港規則……魅力を独占するには些か自由度に難のある都市。それがフェルゼンである。


 ――尤も、マイカゼは理解しているだろうな。


ヴェルテンベルク領は、フェルゼンに全てを集中させるというマリアベルの意向からフェルゼン以外は辛うじて都市と呼べる程度の都市が少数のみ存在する程度である。そうした現状で、新たな都市を三か所で造成する動きを見せている。その三か所はどれも鉄道路線敷設の予定地域にあった。


 ――抜け目のない事だ。


「故に鉄道車輛の増強も必要だ。無論、路線も例外ではない」


「……それは枢密院も同意しているのでしょうか?」


 グレーナーの問いにトウカは鷹揚に頷く。


寧ろ、枢密院こそが北部の他地方に対する憎悪を恐れている節がある。眼前にそれを利用して軍閥を為し、正規軍を各地で打ち破った男が指導者として君臨している以上、第二の可能性を考慮せざるを得ないのだ。


 トウカの権勢が陰り、再度び国家が分断されて内戦に陥った際、憎悪が蔓延る様では落しどころが見つからない。或いは、北部の発展によってトウカへの積極的な支持が低下すると見る者も居た。繁栄している現状を掛け金に血塗れの賭博に興じる者は極僅か。


そうした諸々の思惑を理解した上でトウカは合意形成を図った。


独裁的権力を持つからこそ、組織間の利害調整や合意形成に熱心とならざるを得ないのは、トウカが独裁は国内の主要派閥全てからの支持によって成立すると知るからである。独裁は個人の圧倒的権力を指すと考える者が多いが、それだけでなく強固な支持基盤を維持できねば継続し得ない。独裁は大部分の国内勢力による支持によって維持される。それがなくては一時的な専横や破壊でしかない。


実情として、独裁制は議会制民主主義よりも遥かに派閥や民意に対して敏感と成らざるを得ない側面がある。失敗した場合、政体と指導者の破滅に直結する為でもある。


無論、独裁制は指導者の才覚に負うところが大きく、また指導者の質が加齢などで低下しても権力移譲されない場合が多々あるという懸念点を持つ。


しかし、皇国の指導者たる天帝を選定する過程は、独裁制の問題点を過去へと置き去りにしている。


無論、これは天霊の神々という存在が十分な知性を備え、同時に俗世の利益から切り離されている限りに於いて、という前置きがあっての話であり、それを確認する術がない為、皇国史という実績から判断するしかない。


トウカは皇国史から現在の皇国の政治体制が有益だと判断した。


少なくとも単なる専制君主制でも民主共和制でも、四六〇〇年を超える連綿とした国営は現実的ではない。日本も万世一系の天皇の下で二六〇〇年を超えて継続しているという建前だが、歴史を見れば幾つかの怪しい場面がある。何より応仁の乱以降、天皇家は統治を諦めて君臨するに留まる道を選択した。


 故にトウカは神々の歯車である事を不愉快に思いつつも、その有用性を恃んで統治を続けている。


「無論だとも。揃って賛成している。この場に天帝が在るのは貴官の大胆な判断の妥当性を保証する為だ」


鉄道に多大な予算を割くのは如何なものかと、それらしい御高説を垂れる者が生じる動きに敏肘を加えようという意図。


同時にトウカの個人的な理由もある。


「それに農水府長官にも文句を言われた」


「苦言で、ありますか?」


 類似した遣り取りを幾度か経ていたトウカは曖昧な笑みを浮かべる。


「文句だ。苦言などという高尚なものではない」


独裁者などと指差されども、それを声高に叫ぶ自由がある時点で自身の独裁も怪しいものだとトウカは見ていた。トウカからすると政治を非難する権利を法律と武力で取り上げる真似は経済の委縮と国民の反発を招く為に費用対効果が極めて悪い。誘導して統制する事こそが政治の本分であると、トウカは考えていた。


 ――過ぎたる者には死を与えるが。


 我儘や身勝手を自由と呼ぶ事をトウカは許さない。個人で完結する自由には寛容だが、個人に留まらずに国益と体制に不利益を与える場面に於いては例外となる。


「怒られてしまってな」


 政治に於ける議論には時間と予算を必要とする。


数値上、国益や体制に影響がないのであれば放置する。


 トウカの割り切りは、ある意味に於いては議会制民主主義国家よりも自由を齎しているが、今はまだその軍事的権威が多くの者達を委縮させており、その事実に気付いている者は極僅かであった。


「美味い作物を腐る前に輸送できる手段がない、と」


 エルゼリア侯レジナルドの諫言というには不平に近い意見をトウカは諧謔味を込めて”怒られた”と評する。そこにはレジナルドに対する配慮もあった。


当代天帝に物言える府長官を擁するという風評はレジナルドの立場を大いに守る事になる。


「至言だろう。食卓に並ぶ料理に特色がある事は許容できるが、栄養面で大差が生じる事は許容できない」


 特にヒトが一般的な生活を送る上で必要な熱量(カロリー)を割り込む事は厳に戒めなければならない。空腹は反政府勢力や邪教(カルト宗教)の付け入る隙となる。ヒトは正常であっても妄言に飛び付くが、空腹による思考低下状態であればそれ以上に飛び付く傾向にあった。食糧事情は国益沙汰である。


 そうした政治学上の理由は枢密院でも大いに理解を得た。


「明日の食い扶持を心配させたくはないという事ですか……それは確かに否定し難い事実です」


 グレーナーは賛同する。


 目一杯飯を食えぬ国家が他国から賞賛され、羨望される事はないという考え。賞賛や羨望は国際的影響力に直結する。枢密院はトウカの単純明快な論法を是とした。


「飽食。収奪。大いに結構じゃないか。民を食わせられぬより遥かに救いがある。他国民など知った事ではない。天帝が責任を負うべきは皇国臣民に対してのみである」


 トウカはグレーナーの肩を掴む。


 つまらぬ組織間の暗闘を恐れての拒絶など許されない。


 皇国臣民の食い扶持の為という側面がある以上、それは政争よりも優越する。


「躊躇うな、鉄道総監。御前のその躊躇が将来の皇国臣民の空腹を招くぞ」


 紫水晶の瞳が壮年の鉄道総監を見据える。


 自国民を強固に守るという姿勢だけは自国民が疑問なく信じるものでなければならない。その最低限の国家が成すべき義務にすら疑問が生じる状況は、治安維持に於ける費用増大を招く。国家の信賞必罰が公正を欠く、或いは欠如しているならば、私刑と悪徳が蔓延る為である。自助努力は私刑と悪徳の温床となりかねない。ヒトの悪しき一面をトウカは軽視しない。


 致し方ないと腹を括ったグレーナー。


 トウカは夕焼け空を見上げる。


「……狐は食い意地を張るからな」


 狐が好きな時に好きに食を求められる。


それは、若き天帝にとって義務であった。




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