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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》
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第三二七話    勇者と狐





「勇者召喚が麗しの姫君からの暴力で始まるというのは、新しい展開として電子……小説でも名を馳せると思いませんか?」


タカアキはナタリアという名の佐官へと問い掛ける。


驚いた事に言葉による意思疎通だけでなく文章すら読み取れる為、些か造詣の変化した顔立ちが元に戻るまでの期間、タカアキはナタリアの屋敷で意思疎通の不自由なく匿われていた。そうした中で無数の書籍や情報媒体に触れ、タカアキは現状を把握しつつある。


 タカアキの隔離は帝室や政府の関連施設では小五月蠅い宮廷雀や拝金官僚が気取って騒ぎかねないというリディアの判断であったが、妙齢の婦人の家に転がり込むのはタカアキにとっても居心地の悪いものであった。


 ナタリアは帝国陸軍で中佐の階級にあるらしく、タカアキは異世界の軍階級が自身の知るものであった事よりも、近代に突入しているとはいえ、貴族でない女性が軍内部で佐官の地位にまで上り詰められるという事に驚きを隠せないでいた。


 タカアキは多くを学び、この世界の複雑な情勢を理解しつつある。


「目が覚めたでしょう。御高説も暴力の前では無意味だと」


酷く武断的な意見に、タカアキは苦笑を示す。


その武断的な姿勢が取り得る選択肢を減少させているのではないのか、とは言わない。寒冷地……厳しい気候の大地には厳しい思想が生まれる。自明の理であった。そして、大抵、世界と歴史に迷惑を掛ける。


「《ヴァリスヘイム皇国》か……帝国の宣伝戦(プロパガンダ)が大仰過ぎて分からないけど、地政学的に随分と不利な位置にあるね」


 タカアキは新聞紙に視線を下ろす。


皇国は三方で大陸国と面し、一方には海洋を挟んで海洋帝国が存在する。判断を過つと挟撃を受ける位置であった。


無論、それは他国でも変わらない。共和国などは全方位を大陸国に囲まれている。


しかし、皇国の場合はより切実である。


共和国が帝国に敗北した場合は帝国との国境が長大となり、エルネシア連峰を基軸とした効率的な防衛が困難になる。部族連邦に後背を付かれた場合は戦力を分散させざるを得ない。経済発展の為、兵力数を抑えている皇国にとり兵力分散は他国よりも死活問題である。


「今の軍拡は危機感の表れだね」


「不利? その割には大戦果を挙げているみたいだが?」ナタリアの疑問。


未だ軍事には詳しくないタカアキだが、周辺諸国が連携する事を皇国が危険視している事だけは帝国の思想が滲む新聞からも読み取れた。


「だからだよ。言い方は悪いけど、殴られる前に殴って防衛が簡単な土地を奪う様に動いている」


 仮想敵国や潜在的脅威などと曖昧な立場で漁夫の利を狙う可能性のある国家を先んじて攻撃し、戦力の漸減を図りつつ、防衛が容易な土地を併合する。


 言うは容易いが、実際は綱渡りに近く、情勢を読み違えれば複数国家による挟撃の可能性すらあるのは勿論、占領地での抵抗次第では皇国側も多大な出血を伴う事になる。


大々的に行っているが、皇国は各所撃破という前提を変えていない。


「部族連邦に踏み込んだのは、比較的大きな河川が国境になる様に割譲させる為、帝国との戦争も将兵の捕殺に重きを置いている。非常時の際の時間稼ぎの為じゃないかな?」


読み終えた新聞紙を畳み、タカアキは机に突っ伏す。


机には無数の新聞が散乱していた。


手当たり次第に最近の新聞を読み漁り情報収集に努めた結果であるが、報道の自由が保障されていない国家の新聞が真実を語るはずもない。タカアキは得た情報を全面的には信頼しなかった。


無論、報道の自由があっても利益からは逃れられない為、報道内容の正確性には疑問符が付く。タカアキは国家体制に関わらず新聞の内容を信用する心算は毛頭ない。精々が参考程度であると。如何なる体制であれ文屋に信用を置いてはならないというのがタカアキの結論である。


「随分と見事な手際だね。ここまで軍事力を見せつけられたら共和国は擦り寄って自国の防衛に利用しようと躍起になるだろうし、部族連邦も一方的な敗北で政治の混乱が酷そうだし」


 時間制限はあるものの、四方の内、二方を無力化した事になる。


「次は帝国ということか」


「若しくは万全を期して神州国かも知れないね」


海洋国家である神州国と皇国の艦隊戦力は隔絶しているが、皇国には航空戦力という新機軸の要素が左在する。


 ――洋上の船から龍を飛ばすんだ。艦船への攻撃くらいは思い付くだろう。


戦争の天才。


根本的解決である脅威の排除を志向した政策には自信や確信ではなく、憎悪や敵意が滲む。


余りにも殺し過ぎている、とタカアキは嫌悪感を覚えた。


帝国主義国家ですら怯える程の殺戮を繰り返しているのだ。


帝国の人間種優越の差別的な種族政策に対する反発は確かにあるだろうが、これでは妥協の余地が完全になくなってしまう。慢性的な戦争状態では経済状態の悪化は避けられず、貧困層は拡大し続ける事になる。餓えた死体が国家の各所に積み上がるだけの結果となりかねなかった。


 それらを理解した上で帝国を追い詰めている。屍の山は望むところである事は明白であった。帝国に対して優勢ではなく妥当と滅亡を求めているのだ。


「まさか。神州国の艦隊は世界最強と名高い。皇国単独で打ち勝てるはずもない」


「その、まさか、が起きたのが皇国侵攻だったんでしょう?」


帝国軍の計画性の欠如も勇ましい文言が並ぶ新聞記事からは窺える。順調に見える侵攻と皇国軍の時間稼ぎの適度な防衛戦、そしてその戦力の包囲失敗。皇国軍は帝国軍を国土深くに引き摺り込んで逃がさない事を目的としていた。


「随分と他人事だな。それでは困る。貴方はこの国の勇者なのだ」


「称号は内心の思想を強制できないよ。ましてや利益すら発生していないんだから」


ナタリアの主張をタカアキは資本主義的な真実で応じる。


武カ一辺倒の独裁国家だったが故に、どうしても国外や他国人への対応は高圧的である。しかし、そうした圧力の通じない人物が現れた。


タカアキは二人目である。


「しかし、皇国の天帝?の名前は書かれていないね。名前を呼んではいけない例のあの人みたいな扱いかい?」


悪魔や邪神などとは書かれているが、まるで書けば現れると言わんばかりに名前は避けられていた。報道規制にしては表現に多様性がある為、恐怖からの自己規制とタカアキには思えた。


 ナタリアは困り顔。


軍事機密かと考えたが、その視線がタカアキの背後に注がれていた事で別の要因だと認識する。



振り返ればそこには獣耳と尻尾を持つ美少女が居た。



 寝間着を纏う金髪の獣耳。


 三番姫とは違う明るい色合いの金髪に、あどけない白雪の様な純真を思わせる表情。起伏に富んだ身体付きは男性が求める要素が態とらしい程に詰め込まれている。





「名前はサクラギ・トウカ……世界で一番格好いいヒトですよ」

 




 しかし、タカアキは見惚れる余裕などなかった。


 異世界であってはならぬ名であり、それは度国に於ける死を撒き散らす狂信的愛国者の尊称でもある。武家はその戦歴と忠誠心と愛国心を賞賛し、武断性は未だ祖国を手放さない。


 そして、絞りだした返答は酷く礼を失したものであった。





「……君、人を見る目がない。眼科に行ってはどうだろうか?」





 衝撃。


 暗転。


 天井。


 何時かの繰り返し。


頬への衝撃。


既視感。


 見上げた先は以前とは違う天井。


 ナタリアの声がどこか遠く、タカアキは意識を手放した。










「中々、起きなくて心配していたのよ。兎に角、貴女とは話したいことが無数とある。だけど、今はゆっくりと身体を休めなさい……ミユキ」


 寝台上で上体を起こしたミユキを、ナタリアは押し留めて寝台に寝かし付ける。


 まさか約半年の昏睡状態から起き上がって勇者を殴り付けるなどという珍事は想像の埒外の出来事であったが、女性に殴り倒される程度では困る為、ナタリアは良い教訓になったと考えていた。


「えっと、あの人は大丈夫ですか?」


「気にする必要はない。彼は美しい女性の顰蹙を買う性癖があるのよ。困りものね」


淡く微笑むナタリア。


ミユキの頭を撫でるが、当のミユキは眠りそうにない。獣耳を含めて好い撫で心地に意識を持って行かれそうになる。揺れる獣耳。ナタリア自身、《エグゼター王国》出身であり、そこでは等民制や種族差別の意識は乏しかった。いがみ合うには国土は狭く人口は少ない為、国内での種族的争いは極めて少なかった。


何より傭兵の派遣を主な産業としている為、内戦は破滅的な争いになるという無意識下での自制心があった。


半年以上も眠り姫を演じれば睡眠は暫く不要となるのも致し方ないと、ナタリアは用意されていた座席に座る。


「貴女は半年近くも寝ていた。二度と起きないのではないかと心配した」


 それはナタリアの偽らざる本音であった。


 戦利品という建前で戦場から連れ出し、負傷の手当てを行ったが、その時点で意識はなく、帝都の自宅に運び込んだ後も意識が戻らなかった。去りとて大部分が同じとは言え、他種族の治療を専門にする医者が帝国に公式の存在として居るはずもない。闇医者であれば辺境や裏町にいるかもしれないが、少なくとも帝都には存在しない。


「半年……ですか?」


 意識がなかった以上、それに納得する事は難しいのかミユキは小首を傾げる。異性だけでなく同性にも好かれるだろうという仕草に、ナタリアは苦笑する。


ミユキであれば問題ないだろうと、ナタリアは部屋の棚から新聞の束を取り出す。


皇国の新聞社が発行している新聞である。


タカアキに全て渡すと要らぬ邪推と不満が飛んでくる事は間違いなかった為、その存在をナタリアは隠していたのだ。


「発行日を見れば分かるけど、少なくとも一か月前のものまでならここにあるわ」


ナタリアは傭兵国家の出身である。


戦地に赴く理由も情報も国家が与えてはくれない傭兵という職業を主な産業とする歪な国家の出身であるからこそ、ナタリアは諸外国の情報には敏感であった。タカアキが考える程にナタリアの背景は単純ではない。


女性であるにも関わらず中佐という階級を得ているのは、決して実績のみが理由ではない。


人間種優越を掲げる帝国の国軍は書類上では人間種で占められているが、実情として混血種も相応の数が存在する。外見が同様であれば種族の判別は難しい。それ程に同化しているのであれば身体能力や魔導資質に大きな差異が生じる可能性は僅かであり、帝国軍の大部分の異種族は人間種と変わらぬ程度に平準化されていた。


そうした中で女性が出世競争で上位を占める事は特に困難である。


姫将軍などを除けば皆無に等しい。精々が貴族軍に於ける貴族令嬢の将校程度である。


ナタリアは昇格に際して有力な下駄を両足に履いている。


姫君二人の覚え目出度い事が一つであるが、それは近年の事であり、より大きい要素は彼女の生国である《エグゼター王国》の名のある傭兵一族出身という点であった。


両親が《エグゼター王国》で有力な立場にあり、その歓心を買いつつも優秀な傭兵出身者を帝国軍へと引き入れる為の宣伝材料とする。


帝国陸軍総司令部の政治的方針としてナタリアは厚遇されていた。


 実際、その姿を見て後に続く者は少なくない。


無論、それは皇国侵攻でかなりの数が捕殺される事になった。


「内緒ね? ここは帝都、怖がり屋の巣窟なの」


口元を人差し指で抑えて沈黙を求めるナタリア。


ナタリア個人としても、この人間離れした女性と少女の間で遊んでいるかのような容姿の娘とは友好的な関係となりたいと願っていた。


ミユキは困惑している。


 ナタリアは言い募る。


「この軍服を見ての通り私は暴虐なる帝国軍人なの。でも、貴女には恩義がある」


傭兵国家の者は恩義を重視する。


例え、それが偶然の産物であったとしても例外ではない。


エグゼターの傭兵は、諸外国の国民とは異なる価値観を持つ。


尚武の国であり、武勇は全てに優先する。


勇敢に戦った者への称賛と配慮は惜しまない。


「この装飾、姉のものよ」


十字の装飾具を懐から取り出し、ナタリアは喜悦と共に告げる。


まさか姉の遺品が返ってくるとはナタリアも考えていなかった。


 ミユキの部隊が姉の部隊と衝突したか、或いは壊滅後の戦場に踏み入れたかまでは当人の口から聞くしか確認する術はないが、傭兵という職業上、例え一部であっても親類縁者の下に戻ってくる事は稀であった。


「貴女は姉を連れ帰ってくれた」


「それは……里を襲った匪賊の頭目?の方のもので……」


「ええ、そう装って皇国国内を擾乱する。参謀本部が考えたそうよ。投じられた部隊は全て壊滅。一部の人員は本当の匪賊に転じた……という噂ね」


 本格的な侵攻以前から秘密裡に投じられた擾乱の為の部隊は、元より生還を期待されていない過酷な任務であった為、多数の用兵が高額雇用されて投じられた。


 浸透や破壊工作に秀でた傭兵は多く、そうした技能を見込まれてという事もあるが、それ以上に帝国とは無関係な匪賊という建前を堅持する為の方策でもあった。


 後になりナタリアは知ったが、皇国北部に対する授乱は、皇都での天帝招聘の儀の妨害とも連動しており、大きな作戦計画の一環であった。姉はその最中に戦死する。恐らくは、作戦計画の意図すら表面から読み取れるものしか理解していなかった筈である。


「大丈夫。例え貴女が姉を殺したとしても私はそれを咎めない。傭兵だもの。何時か何処かで野垂れ死ぬ」


問題は、その死に様が勇敢であったか、という点に集約される。


もし、死に様が無様な命乞いの果てであったならば、ナタリアは姉の遺品は仕舞い込んで永遠に不明瞭なままで終わらせる心算であった。


死者の、姉の名誉は守られねばならないと、ナタリアは考えている。


それ故に姉の死の経緯をナタリアは知る必要があった。


無論、恫喝してはミユキのロが重くなるという打算もある。


ミユキは逡巡している。


交戦したのだろうとナタリアは察した。


遺体を偶然確認したならば躊躇するはずもない。


装飾具の野暮な形状を踏まえれば、戦利品として奪うには相応の経緯があったはずである。野暮で高価にはとても見えない装飾具を壊に収める。


意味は、それ自体の価値に依らない。


「えっと、里に訪れていた人達と協力して撃退した中に、これを持ったヒトが居たって聞きました。義務と諦観で最後まで戦う事を決めた女を見たって……」


その言葉に、ミユキが直接交戦したのではなく、近しい者か、或いは所属部隊の者が交戦したであろうと見当を付けるナタリア。


ミユキの逡巡。


言い難いのではなく、言葉を選別している姿に易々と信頼は得られないかとナタリアの胸中で困惑が滲む。余りにも年頃……と言うには異種族の容姿は人間種のそれが参考にならないが、うんうんと唸る見目麗しい獣娘の姿は心が痛む。


 傍目に見ても痩せ細っているということもあるが、その気質が戦争に向いていない事は明白な仕草と表情である事がナタリアをして気に病ませた。


 ――皇国はこんな少女を戦争に投じているのか。


異種族は見かけによらぬ力を発揮するが、それでも生来の気質が合わぬ者を戦野に赴かせるのは気分の良いものではない。無論、そうした者すら纏めて軍勢に投じた軍に属するナタリアは、そうした憐憫と嫌悪を押し込み表には出さない。


 戦争であり、共に身を投じた者である以上、加害者と被害者であるという意識をナタリアは持たない。


しかし、ミユキの容姿と仕草は庇護欲を掻き立てる為、感情が加害者としての意識へと誘導する。


 ――可憐な少女は何時だった正義という事ね。


真っ当な教育など受けていない野獣同然の促成訓練された帝国軍兵士がこぞって群がろうとする訳だとナタリアは苦笑する。


ミユキを助け、己の戦利品とする為、聞き分けのない兵士を三人ほどその場で銃殺して見せる必要があったナタリアからすると苦い現実であった。


 ナタリアもそれなりに整った容姿であるという自負があるが、これ程までに容姿に差があると嫉妬や隔意は乏しい。無論、仕草と表情がそれを思わせる最大の要因であるという理解はナタリアにもあった。心底と軍人らしくない。


 慎重に言葉を選ぶ姿のミユキ。


「あの里にはセリカさん……剣聖ヴァルトハイムが逗留していて――」


「――剣聖ヴァルトハイム!」


言葉を遮る事は好ましくないと知りつつも、ナタリアは声を上げる事を抑えきれなかった。


思わぬ英雄の名が出たことにナタリアは驚く。


「戦ったかは分からないですけど……剣聖様が里のヒトを率いて最前線で戦ってたと聞いたような……」


そこは期待されても知らないとミユキは狐耳を垂らす。


地方村落のでの極小規模な防衛戦に対する詳しい戦況推移など個人が明白に把握している筈もない。


「ならば姉は剣聖と争い、討たれたのでしょう。それが誰しもにとっての最上です」


ナタリアはミユキの両肩を掴んで既成事実を作り上げる。


 戦争は誤認と誤解の複合物である。ましてやその作られた真実が誰しもが困らず、そして相応の補強し得る要素と共にあるのであれば猶更であった。


 ミユキもまたそれを察した。


「えっと……じゃあ、そんな気がしてきました」


「そうだろうそうだろう、私は良き客人を迎えられた」


双方の合意。


押し切ったナタリアと、押し切られたミユキ。


双方に損はないのだから、少々の法螺でも上乗せできるのではないかという欲が脳裏を過るが、過ぎたる強欲は隙を招くと姉の教えを守ってナタリアは英雄と干戈を交えた事実のみで満足する。


「客人ですか?」


「客人よ。一族にとっての朗報を齎した者を虜囚として辱める真似などできません」


 両手を腰に当てて力説するナタリア。


恐らく年齢は種族的差異から外観通りではなく、ミユキが年長者である事はナタリアも察せたが、所作と振る舞いを見てナタリアは己が年長者らしく振舞う。長命種の年齢と立ち振る舞いが人間の平均と一致しない事は帝国でも広く知られている。


「でも、早く帰りたいです……」


「……それは難しい。両国は国交がない上に交戦状態だ」


ナタリアとしてはミユキを帰国させる事は吝かではないが、それを実現するには数多くの問題があった。


異種族ということであくまでも個人の現地での”購入品”という建前でミユキを帝国に後送している為、彼女の身分を用意しなければ国境を超える事は難しい。第三国を通しての移動であれば可能であるが、それでも身分は必要であった。


国交がなく常識の隔たりが大きい為、捕虜交換という選択肢もない。特に今次戦役は新皇トウカの方針で亡命帝国軍に参加を決めた相応の軍歴を持つ者以外は早々に火葬処分にされている。両国共に取得した捕虜数は極めて少ない。


ミユキの萎れる尻尾。


 表情以上に感情表現豊かな尻尾は微笑ましさを感じさせるが、ナタリアとしてもミユキを留め置き続ける心算はなかった。異種族にとり帝国は居住が容易な環境ではなく、また異種族を匿うが如き振る舞いに対する危険もあった。


「こちらで貴女が帰国できる用意をする……早くとも半年は必要だろうが……」


ナタリアの立場であれば、困難であるが不可能ではない。


 中佐ともなれば威光は十分。準備に時間は掛かれども要らぬ詮索や放置を受ける可能性は低い。


 ――姫殿下に御頼み申し上げれば直ぐにでも話を通せるだろうけど……


現状、立場が不安定なものとなりつつある二人の帝姫に政敵から攻撃を受ける切っ掛けを作る事は憚られた。陸軍情報部を動かす、或いは独立した諜報集団を有しているであろう者であっても例外ではない。何が政争の隙となり得るかは分からない。


「半年ですか……」


見上げるミユキの瞳。


ナタリアは目を逸らす。


 故郷の妹を思い出して腰が引ける。ナタリアは妹も居り、武芸の才能はないが、誰からも慕われる太陽の様な印象を受ける少女であった。その気配がミユキからも感じ取れる事にナタリアはやり難さを感じていた。


「まぁ、長い観光だと思えばいい。耳と尻尾は服装と……隠蔽術式で隠せばいいでしょう」


 中佐という階級だけあって給金はそれなりにあり、一人の少女を養う事は造作もない。付け加えるとナタリアは実家の伝手もあるので、帝国陸軍の佐官の中でも特に生活に余裕があった。


 しかし、ミユキは諦めない。


種としての特性が自負心を抱かせるのか。


「私も頑張れば国境を突破できると思うんです」


「困らせないでくれ。交戦国同士の国境警備は厳重で、ましてやエルネシア連峰もある。寒冷地に強い種族とて凍え死ぬに決まっている」


夏場の現在でもエルネシア連峰は冠雪し続けている。皇国側は幾分か雪解けが起きているが、帝国側は雪深い山脈の景色を維持し続けていた。飛行可能な種族であれば飛び越える事は可能であるが、航空戦が注目される現状では両国共に国境沿いに多数の哨戒騎を貼り付け、監視所を配置している。撃墜される可能性は高い。


ミユキは落ち込む。


獣耳と尻尾がそれを示している。


「軽挙妄動は慎んで欲しい。誘拐犯が言うの可笑しいでしょうけど……」


「……大きな怪我もなく丁重に扱って貰ってますから……」


 暴虐なる帝国軍人に捕虜となって悲惨な目に合うというのは、ナタリアとしても否定できない。諸外国の通説は全く以て事実であり、練度どころか言語や法律、道徳にも乏しい者達を速成教育で戦場に投じる以上、致し方のない事であった。戦場でヒトは獣になるが、そもそも獣の輩を連れてきて兵士の真似事を指せている以上、悲劇は織り込み済みである。


無論、織り込まれたからと被害に遭った者がそれを許容するはずもない。


遺恨を軍事力で抑え付けてこその帝国主義。


しかし、それを為せない皇国という国家が現れた。


帝国は狂犬と例えられるが、それ以上に敵国民の殺戮を躊躇しない皇国という存在。


 だが、その正体は酷く幻想的な土地と愛らしい生き物の住まう夢の国であった。


ナタリアはミユキの獣耳を触る。


捕虜虐待という概念に乏しい帝国陸軍だが、ミユキの困り顔はそうした概念が存在した事を思い出させるには十分だった。


「犬か?」素朴な疑問。


「狐です!」激怒の獣娘。


 ナタリアからすると同じ系統の生物ではなかっただろうか?という話であるが、生物として個々で矜持や自負心がある事は不自然ではないとも理解していた。人間種ですら出身地と民族でありもしない矜持や自負心を抱くのだから当然である。


「そうか、狐だったか……」


「知らないのに襲撃したんですか?」


その声音に非難の色はなく、純粋な疑問があった。


「……戦争では良くある事だ。知らない相手と殺し合い、知らない理由で死ぬ」


傭兵一族として、その点は幼少の頃より十分に教育されていた。ヒトは然したる理由もなくヒトを殺せる。そして、死ぬ。


「愚かな事だとは思う。しかし、狂った歯車は止まらない。私はその歯車の一つ……君も軍事機構に属する者の一人だ。その辺りは理解していると思うが?」


ましてや帝国という強権国家すら恐れる国家の軍人であれば、理解できない筈がない。血と炎の中で相見えるは軍人の定命である。


ミユキは困惑を隠さない。


階級が大尉である以上、軍人として日が浅い筈はないが、皇国軍にも宮廷序列の影響がある事を思い出す。特に皇国陸海軍と違い皇州同盟は北部貴族の領邦軍の集合体であり、貴族の影響を受けていた。


ナタリアは切創跡や解れを直して部屋の壁に掛けられたミユキの軍装を見やる。


 考えてみれば明らかに改造された軍装である。


帝国でも士官は大枚を叩いて自前で軍装を用意していた。裁縫や生地質に難のある官給品を嫌ってという部分以上に、改造できる範疇で工夫する事で個性を演出するという部分が大きかった。


要は御洒落である。


 これは帝国や皇国のみならず諸外国の軍でも行われ、軍司令部も黙認している。軍司令部の将官達も軍装の改造を着ている事が多いという以上に、軍の士気を維持するという点と、そうした部分への憧憬もまた志願者数に影響するという理由があった。


「軍歴が短いから分からない?」


「……士官教育もしてないです」


 想像以上の特例と特異性に、ナタリアは貴族なのだろうと納得する。帝国よりも軍組織が実力主義であると判断されている皇国で貴族への特別扱いがあるという違和感はあったが、帝国では軍内での貴族に対する特別扱いが平然と行われていた為、深く追求する程のものではなかった。


「やはり貴族だったのか。家名を聞いても?」


「ロンメルです。名ばかりですけど子爵になっちゃいまして」


 子爵であれば国家間の政略に使うには小粒であるとナタリアは安堵する。伯爵辺りまでになると国家間の駆け引きとしての利用が想定された。


「身代金で何とかなっちゃったりしますか?」


ミユキの問いに、それなりに裕福な貴族なのだろうと、ナタリアは認識する。


「無理だろう。安全を確保するには国家間の取引とならざるを得ないが、そうなると揉め事が無数と湧き出る。それはそれで危険な上に話が停滞する」


 莫大な身代金であっても、その身代金自体を巡った政争に発展する恐れがあり、そうなればミユキの返還は実施されない場合がある。当然であるが、価格の吊り上げなどの不誠実な対応も有り得た。


 ――尤も、その場合は都市空襲での懲罰という話になりかねないでしょうね……


大手を振って敵国民を焼ける名分があるならば、若き天帝は躊躇しないという確信がナタリアにはある。


サクラギ・トウカはヒトを焼く。


それが国力を削ぐ事に繋がるなら。


工業地帯も穀倉地帯も、歴史も文化も焼き尽くす。


そうした姿勢の天帝が成立した理由が明らかに帝国にある以上、非難したところで嘲笑に終わる事は疑いない。


全てを奪うか奪われるしかない。皇国はそう考え始めている。帝国がそう叫んでいたのだから、それを認めたという話に過ぎないが。


「悪いようにはしない。ケレンスカヤの血脈は約定を違えない。正体を隠しておけば問題はないわ」


 魔導資質に優れた者が皇国の様に市井に満ちている訳でもない帝国ならば、恐らくは相応の魔導資質があるであろう狐の正体を見破れる者は僅少である。ましてや易々と捉えられる相手でもない事は相対したナタリアが良く理解していた。


「観光でもしているといい……貴国の空襲で総てが喪われる前に」


戦況次第では帝国の歴史的遺産や文化的遺産を多く目にした最後の皇国人となるかも知れない。


ナタリアは最悪の可能性を考慮した上でミユキに提案し、それでも尚、そこに善意以外の感情を乗せなかった。


ナタリアとてエグゼター出身であり、軍務として駐屯地を始めとした軍事拠点での勤務が多い為、帝国の一般生活というものに対して愛着を持っていなかった。


焼かれるならば致し方ない。


戦争なのだから。


傭兵一族の士官は極めて冷淡に、都市が煉獄に転じる事実を受け入れていた。


「そうね、私も最後くらいは見ておきましょうか。案内するわ。少しは気も晴れるでしょう。ただ、私も迷子になるかも知れないけど」ナタリアは肩を竦める。


事実、帝都の地理に明るい訳ではない為に嘘ではないが、そこにはミユキへの気遣いがあった。 苦笑するミユキに、ナタリアも笑う。


最低限の信頼は得られただろうと、ナタリアは胸を撫で下ろした。


柔らかくなるミユキの声音に、ナタリアは会話が続けられると判断し、より多くの情報を得るべく会話を重ねた。






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