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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》
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第三二四話    海軍の憂鬱 Ⅳ





「もう私の仕事じゃないわよ、こんなの!」


 むしゃむしゃとヴルストを齧るカリアが不満と蛋白質をヴァイツェンで強引に胃へと流し込む。前者に関しては流し込んでも再び湧いて出てくる事は、この昼下がりの酒場で証明されている。 対面に座る天使は苦笑を以て頷くしかない。


妙齢の婦人に対する評価ではないが、年頃の少女の様な口調と仕草は愛らしさを感じさせる。海軍軍令部の高齢者に評判の良い理由が理解できる光景であった。


「それで……なんとか天使さん、私に御用かしら?」


余りにも雑な対応であるが、起伏に富んだ長身美女の少女の様の、首を傾げる仕草の前には不満を表明する意思も萎えてしまう。


「聯合艦隊司令部付、航空参謀のアルトシェーラ・フォン・カステル大佐と申します」


 北大星洋海戦に於ける有益な提言を理由に大佐へと昇格したアルトシェーラは、海軍聯合艦隊への航空母艦配備という大望を背負って海軍内を駆け回っていた。


 当人の期待以上に聯合艦隊司令部の期待が大きく、アルトシェーラとしては聯合艦隊航空参謀の範疇を逸脱すると考えていたが、航空戦に造詣がある将校が限られている為に座視はできなかった。


 そうした中で、洋上での航空戦指揮の経験を持ち、現在も隷下に航空母艦を有するカリアが軍令部に来訪したと聞き付けてアルトシェーラは駆け付けた。


「そうそう、シェーラちゃんね」


海軍水交社の食事処で管を巻くカリアを発見したのは良いが、昼下がりから酒を嗜む相手に相席したのはよいものの、アルトシェーラは対応に苦慮していた。


 相手は中将であり、皇州同盟軍という言わば海軍からすると御客様である。海軍よりも天帝に近しい皇州同盟軍という組織への遠慮や畏怖もある為、アルトシェーラとしては酒のある環境で会話する事に臆するものがあった。


「カステル大佐です。べルクヴァイン中将」


ましてや海軍の外郭団体である水交社の食事処に居座って管を巻くという蛮勇の如き立ち振る舞いには、アルトシェーラとしても対応に窮するものがあった。


北大星洋海戦や皇都擾乱などでの連携の実績がある為、海軍に好意的な者が多いのも確かであるが、同時に内戦中は戦艦二隻を撃沈され、シュタイエルハウゼン提督が離反した事も事実である。遺恨を持つ者も少なくない。出入りする者の殆どが海軍関係者である水交社は、皇州同盟軍関係者の居座る場所としては甚だ不適当であった。


「要件はなにかしら? おばさん、一介の艦隊指揮官なのだけれど」


軽妙な態度に柔和な視線。


しかし、即決即断の航空戦を行う指揮官でもあり、アルトシェーラは油断しない。


「実は航空母艦を利用した離着艦訓練を行いたいと思いまして……」


未だ皇国海軍に航空母艦は配備されていない。


皇州同盟軍には大型空母が配備されず、商船改装空母や重巡の船体を転用した小型高速空母が配備される事となっているが、そうであるが故に就役は大型空母より早い。そして、皇州同盟軍は現状でも一隻の航空母艦を保有しており、二隻の商船改造空母も就役間近であった。


「欲しいのかしら?」


「いえ、空母航空隊の錬成に協力していただけたら、と」


かなりの無理がある話であるとはアルトシェーラとしても承知であった。


空母航空隊の錬成は皇州同盟軍でも行われている。


皇州同盟軍は四隻の商船改装空母と六隻の小型高速空母の運用を目指しているが、その就役は海軍に配備される大型空母より早い。商船改装空母は商船、後者は重巡洋艦の船体の流用であり、内戦勃発に当たって上部構造物や武装取り付けが行われず、船体の完成を以て放置されていたものを流用したからこその建造速度である。転用艦である為、性能は空母としてあらかじめ設計され艦には劣るが、潜水艦隊の支援が主となる皇州同盟軍艦隊では問題視されなかった。


それら一○隻の空母の建造や運用実績を踏まえた上で建造中の大型空母は手直しが加えられるとされており、就役は遅延が予想された。


アルトシェーラとしても航空戦の主力となり得る大型空母を多数配備される事は嬉しいが、戦力化までの時間を圧縮したいという聯合艦隊の意向も尤もであった。


 しかし、皇州同盟軍も一○隻分の航空母艦に搭載する航空騎と飛行兵の育成を行っている。消耗や予備を踏まえでそれ以上の規模で行われている事は明白で、唯一の航空母艦はシュットガルト湖上で熾烈な訓練に臨んでいた。


「いいわよ。予算をそちらが持つなら上に交渉してあげる」


「宜しいのですか? お忙しいと思っておりましたが……」


「元より、海軍には便宜を図ってやれ、と言われてるもの」


誰が、とはカリアも口にせず、アルトシェーラも問わない。


そして、周囲で聞き耳を立てている海軍将校達も、皇州同盟軍の将官と天帝の距離が近しいと知って配慮する必要があると実感する。


実情として皇州同盟軍……後に発足する武装親衛軍は事実上の近衛軍である。少なくとも近衛軍の解体が決まった以上、代替組織が必要であるのは明白で、それは陸海空の三軍からなる編制となる事は明らかであった。


「困るのよね、あの子。動きが早過ぎて誰も付いてこれない。気が付けば新造艦や新兵器が完成していて、戦術研究も妙に具体的な指示として要求される」


アルトシェーラは益々と返答に窮した。


意外と気安い関係なのかと思えるが、事実としてヴァレンシュタイン大将やフルンツベルク中将、シュタイエルハウゼン大将などとも良好な関係であるとの風評は海軍にも届いている。公務以外でも軍人に対して好意的であるという噂は決して虚構ではなかったと、アルトシェーラは安堵した。


「自分から巻き込まれてくれるのだから期待してるわ」カリアは満面の笑みでヴァイツェンを煽る。


意味するところを図りかねたアルトシェーラだが、航空戦力拡充に対する熾烈な環境整備の事であると解釈した。


「急拡大に組織や資材が追い付いていないという事でしょうか?」


「そうね、それもあるわ。でも、基本的に無茶が多いのよ」


画期的と言えば聞こえはいいが、実情としてトウカの提案に無茶が多いのはアルトシェーラも理解している。


無茶を体系化し、標準化して関係部隊全てに運用させるのは短期間で可能な事ではない。周知徹底と実施可能な様に訓練し、状況に合わせた訓令の定義を制定しなければならない。当然、それらに必要な部資材の安定供給も必要となる。


「新戦術に予想もしない訓練……細部を詰めるのは飛行兵総監部や各航空艦隊司令部よ。妙に具体的だけど、だからこそ細部が詰めにくい部分もあるの」


 トウカの提案や計画の具体性は陸海軍の知るところでもある。異論を挟み難い程には具体的で、去りとて実戦部隊の自由度を損なわない様に配慮していた。しかし、実戦部隊の自由度は、その計画や提案を実現するべく詳細を詰める者達の余裕を意味しない。寧ろ、実戦部隊の自由度の為に想定や軍需物資の消費は増大し、皇州同盟軍兵站総監部では後方でも戦死者が出ると悲鳴を上げている。


 各司令部の参謀や人員が、今後の戦争に対応する為という名目で増強されつつあるが、より専門性を増しつつも、多様な戦況を乗り切る為であった。


カリアの機動艦隊も例外ではない。


話題となった部分では、航空参謀が二人体制となり、魔導参謀という魔術的な妨害や防護を助言する参謀などが追加された。以前までの各参謀が魔導技術に対して担当分野に関係するであろう部分を個々に習得していたが、それをより専門性を以て助言する参謀として採用が決まった。各参謀が魔導参謀と協議する事でより助言を洗礼させる事を目的としている。


 艦隊司令部などの編制も変わり、機動艦隊の維持の方法についてすら手探りの状態を脱したばかりという状況で、カリアは海軍府軍令部に誤解なくトウカの思惑を伝える為に派遣された。


 皇州同盟軍艦隊に於ける高名な将官とはシュタイエルハウゼン提督であるが、元海軍提督でありながら寝返ったという事実がある為、海軍との交渉には不適格であった。


結果、消去法でカリアということになる。


彼女以外の将官も存在するが、それは少将が数人程度であり、カリアほど実績と名声を得ていなかった。


控えめに見ても艦隊司令官だけに留まらない行動をカリアは強いられている。無論、艦隊司令官という立場だけであっても激務である事は変わりなかった。


実際、現在も〈第一機動艦隊〉は副艦隊司令官の指揮の下で激しい訓練を行っていた。


そうした立場のカリアは楽しげに問う。


「今は何をしていると思う?」酷く曖昧な問い掛け。


ヴァイツェンを飲んで管を巻いているのだけど、と応じたい心境を抑え、カリアは〈第一機動艦隊〉の予定を口にする。


「対艦攻撃訓練が行われていると聞きますが……」


 海上で制空権を確保しても敵艦を撃沈できなければ意味がない上に、現時点で陸上から遠く離れた洋上で制空戦を展開できる国家は現時点では皇国しか存在しない。


 制空権の確保よりも対艦攻撃任務が重視されるのは自明の理であった。それに伴い急降下爆撃と雷撃の訓練は積極的に行われている。急降下爆撃はより直角に近い降下を行い、雷撃はより海面に近い飛行を求められていた。シュットガルト湖では墜落騎が頻発しており、水雷艇による”蜥蜴釣り”が盛んであるとの報告に海軍航空隊は、海水浴の準備も怠れないな、と苦笑を零している。


次は海軍航空隊にもシュットガルト湖の水を鱈腹飲ませる事になるだろうとアルトシェーラは確信していた。


 経緯からアルトシェーラはシュットガルト湖上の出来事を全く知らぬ訳ではなかった。


とは言え、知らぬ事も少なくない。


「反跳爆撃よ」


アルトシェーラはカリアの言葉に眉を顰めた。


爆撃という以上、航空爆弾を使用した爆撃である事は疑いないが、反跳という耳慣れない言葉に、その爆撃がどうしたものであるか想像できない。


「爆弾を投下して水切りの要領で舷側か喫水線下に攻撃を仕掛けるのよ。かなりの命中率が期待出来て、迎撃手段が限られるそうよ。でも離脱時に撃墜される危険も多いらしいわ」


青天の霹靂と言える攻撃手段にアルトシェーラは天を仰ぐ。そこは質素な照明が吊るされた天井だった。


 カリアは溜息を一つ。


「まぁ、聞いていないでしょうねぇ」


「未だ隔意があると?」


 皇州同盟軍と陸海軍の連携強化は、連絡官の互いへの常駐なども開始されて強化されているが、それは軍司令部間であり、各部隊に存在している訳ではない。艦隊航空隊の訓練方法までをも確認できる筈もなかった。


 カリアはアルトシェーラの懸念を笑う。


「恥ずかしいのよ。使えない提案をしてしまうのが。だから同盟軍で試して可能か確認しているの。可愛いところもあるでしょう?」


息子を自慢するかの様に、若き天帝の振る舞いを健気だと言い放つ晩嬢の将官。その表情は気安いもので気負いの片鱗すら窺えない。


誰を指しているのか口にしていないからこその言であるが、カリアにとってトウカは出来の良い恥ずかしがり屋の子供の様なものである事はアルトシェーラにも理解できた。


「そんなに怖がらないであげて欲しいわね。無能と怠惰は許さないけど、そうでないなら寛容よ」


ちょっと屍の山を作るのが得意なだけよ、とカリアは手をぱたぱたと振って無害を表現する。


周囲の席に座る海軍将校達は一様に、浜辺に手違いで打ち上げられた魚類の様な目をしているが、アルトシェーラは努めて知らぬ振りをする。最大の問題は皇国北部では問題視されていないという点こそあった。


 途端に貧乏籤に思えてきたアルトシェーラ。


北部臣民の精神性がそうしたものであるのは周知の事実でもあった。


うぉん、と言わんばかりに、アルトシェーラは周囲に視線を巡らせ、物言いた気な海軍将校達を沈黙、或いは退席させるとカリアへ天使系族らしい気品ある表情を向ける。


「それならば仕方ないですね。年頃の男性は格好を付けたがるものです」


少し格好を付け過ぎて敵国の首都を松明にてしまったり、戦意を喪った敵国の将兵を纏めて土葬にしたりしてしまっただけという気になってきたアルトシェーラは愈々と毒されてきた事を自覚する。


「あら? 年経ても男はそうよ。寧ろ、そうであるべきなの」


 カリアの男性に対する美学に対して屈折しているとは思えども、その点についてはアルトシェーラも頷ける部分があった。意地も張れない男を評価しないのは勇あるものを好む天使系種族ゆえである。


「しかし、共同訓練に同意いただけて安堵しました」話題の方向修正を図るアルトシェーラ。


実際に安堵している事は確かであった。海軍府航空本部からの期待という名の圧力があったとはいえ、拗れないと言い切れない相手が皇州同盟軍である。


「そろそろ頃合いでしょう。空母航空隊は空母の数だけ作ればいいという訳ではないもの。せめて五倍は欲しいとの事よ」


誰が、とは互いに口にしない。


五倍という数が追加での航空母艦建造の場合に備えたものである事に加え、消耗を前提としている事は察する事が出来た。


海上航空戦では不時着水後に救助される可能性が陸上と比較して大きく低下する。水上で投げ出されたヒトと龍が長く生命活動を維持できないからであった。陸上であれば休憩も呼吸も容易だが、海上ではそうもいかない。陽光も海風も波も遮る遮蔽物はなく、呼吸の為の姿勢維持が精一杯である。魔術によって温度や姿勢の制御は可能であるものの、体力を消耗した状態でそうした魔術を長時間行使するのは現実的ではない。


 こうした点を考慮して救難の為に水上騎装備が多数採用されているが、同時に滞空静止(ホバリング)を行う事で着水せずに救難任務を行う訓練も開始されている。実はこうした部分にもカリアは関係しており、それは機動部隊の司令官となる前は水上騎部隊の指揮官であった事が影響していた。


「相手だって対策を考えるでしょう。消耗戦になるのは避けられない。航続距離があるからこそ融通は効くでしょうし、それだけに消耗の機会がある」


装甲の付与は飛行性能の都合上、限定的にならざるを得ない。航空騎は速度と三次元機動自体が防御力を補っている部分がある。去りとて対策が進められれば、防御性能に頼らねばならない局面が生じるのは自明の理であった。


「その辺りも、あの子が色々と考えているみたいだけど」


皇州同盟は機密性の高い分野を数多く要する組織に変質しつつある。軍事行動での主攻を担う陸海軍と連携する以上、それ以外の部分を請け負うのは効率の面で正しい。


航空騎に関連する分野は戦略爆撃騎に関する部分以外は陸海軍に一任されているものの、噴進弾に関わる分野や潜水艦に関わる分野は大部分が皇州同盟の管轄であった。


海上での航空戦力は陸上よりも消耗が早いが、その抜本的対策を海軍は見い出せないでいた。


 その点に対する皇州同盟軍の答えをアルトシェーラも気に掛けていた。


「装甲に限界があることは航空技術廠も懸念しています」


これは海軍府航空本部でも導き出された答えである。


一礼したアルトシェーラに、カリアは新たに机に運ばれてきた腸詰め肉(ブルスト)を薦める。香草入りの腸詰め肉(ヴルスト)でカリアは恐縮した面持ちで突匙(フォーク)に手を伸ばす。


「……そこも恥ずかしがられて情報を提示なされておられないようですね」


 航空騎は強大な打撃力を誇るが、同時に脆弱な兵器である。


皇州同盟軍の航空戦力の運用思想は機密事項となっていた。それ以外にも、陸海軍が把握していない部分は多岐に渡ると陸海軍府は見ている。


「生物の能力向上なんて限界があるもの……まぁ、そこは特に対応を模索しているとは聞かないわね」


 現状でも対空砲火の強化が予測されるが、防御力向上は構造上困難であった。


「大丈夫よ。私が機動艦隊に関与している内は海軍との連携は深化させるわ」


「恐縮です。頼らせていただきます」













「ランセル曹長! 前方に艦影多数!」


部下が前方海域を指し示す。


その報告に年若い飛行兵は拳を突き上げて了承する。


魔導通信は妨害や傍受を想定し、迎撃を確認して以降に魔導通信封止は解除する規定になっていた。そうした経緯から口頭と手旗による遺り取りが頻りに行われる様になった。とは言え、口頭だけでは飛行中の遣り取りとして不十分な為、手旗も積極的に併用する形となっている。


ランセルと呼ばれた飛行兵は双眼鏡を手に取り艦影を確認する。


 ――〈プリンツ・ベルゲン〉型重巡一隻を中心として軽巡と駆逐が一五隻以上、恐らく四個駆逐隊と基幹の軽巡、水雷戦隊か。


その読みは正しく、予定されている演習相手の規模と合致する艦隊にランセルは表情を引き締めた。


シュットガルト航空演習と名打たれた大規模な航空演習への参加に〈第一二航空艦隊〉隷下の〈第二四三対艦攻撃航空団〉所属のランセル曹長も参加する事となった。


 一〇番第の航空艦隊は洋上で航空任務に従事する為に編制されるが、既にそれ以外も含めて一から一五までが編制されている。これらの航空艦隊は未だ練成途上にあり、対艦攻撃訓練を頻りに行っていた。


 そもそも、航空騎による専用装備での対艦攻撃……爆撃や雷撃は未だ実戦で行われておらず、トウカの提言による訓練と同時に戦術確立の為の試行錯誤が続いている。北大星洋海戦に於いても機銃掃射が小型艦に対して行われた程度で、その有効性は未知数であった。


それ故に訓練は苛烈であり、当事者達も意気軒高であった。


投じられる予算と設備の規模を前に、言葉や説明がなくとも期待を感じ取るのは組織に属する者であれば当然と言える。


演習艦隊側もランセル率いる対艦攻撃騎部隊……〈第七二四対艦攻撃航空団〉、第三中隊の存在に気付いたのか対空砲火を撃ち上げ始めた。


 演習用の魔導光弾は実弾よりも明るく衝撃を伴わないが、炸裂による破片効果の加害範囲を意識した炸裂光は視界を遮り、乗騎を大いに臆させる。


乗騎の騎首を撫でて直線を維持させると、ランセルは背中合わせで搭乗するミナセ一飛曹に命令する。


「全機通達、突撃態勢作れ!」


降下を開始する第三中隊。


 降下している〈第七二四対艦攻撃航空団〉は爆撃と雷撃の任務を帯びた一二四騎。生体兵器である航空騎は個々の健康状態で稼働率が変化する為、全騎での全力出撃は叶わなかったが、整備兵の努力の甲斐もあり高稼働率を維持していた。


ランセル率いる第三中隊は雷撃任務を帯びている為、乗騎胴体下部い航空魚雷を装備している為、鈍重にならざるを得ない。


航空魚雷と比較すると比較的軽量な航空爆弾を抱えた対艦攻撃騎が先行する事になる。


演習艦隊から撃ち上げられる対空砲火は熾烈であった。


演習に参加する全ての艦艇が対空戦闘を考慮して対空兵装を増強したものであると事前に聞かされていたランセルだが、その規模は想像の上を行くものであった。


 夥しい数の機銃と機関砲が増設され、駆逐艦の主砲などは対空戦闘を考慮して陸軍や皇州同盟軍で大々的に採用された高射砲を流用したものへと変更されている。


既存艦の改修である為、主砲塔換装や機銃や機関砲の増設で済まされているが、新造予定の防空駆逐艦などは通常の駆逐艦の五割増しの排水量を持つ船体に雷装を全廃してまで対空兵装を搭載する予定とされていた。


 ――決して航空優勢だからと一方的な状態となる訳でもないか!


ランセルは先行する航空爆弾を抱えた対艦攻撃騎の編隊周辺に次々と生じる炸裂光に対して息を呑む。


海面至近を飛行する雷撃任務を帯びたランセル達の第三中隊。


最高速度で爆撃任務を帯びた対艦攻撃騎に劣る為、迎撃を受ける時間が増大する雷撃任務を帯びた対艦攻撃騎は先行して攻撃を引き受ける役目を負う者達の挺身の下で演習艦隊へと迫る。


しかし、演習艦隊側の防空監視を誤魔化せる訳ではない。


魔術的な光学遮蔽という選択肢もあるが、それは視覚情報の擬装に過ぎず、寧ろ魔術的な素敵に対してはより鮮明に把握される上に、それ以外の術式を展開する余裕を損なう。


結果として迎撃を避ける手段は海面への接近……低空飛行しかなかった。


第三中隊に対する迎撃が開始される。


長射程で仰角を取り易い主砲は先行した対艦攻撃騎へと振り向けられているが、機銃よりも比較的射程のある機関砲による迎撃。


次々と仄暗い炸裂光が周囲を満たす。


以前の演習では信管調停が甘く、炸裂位置は現在地の遥か後方であったが、今回の演習ではかなり近い位置での炸裂が多く、まともに炸裂を受けて命中判定を受けた対艦攻撃騎の魔導障壁表面が変色している。


 機関砲だけではなく、接近に伴い機銃までもが射撃に加わる。


 機関砲よりも速射性に優れ、軽快に銃弾を投射する機銃は、その門数が対空兵装の中で最も多い事もあって炸裂光による壁と見紛うばかりの弾幕を形成する。


機銃や機関砲の搭載位置……舷側以下の高度で飛行したならば、計算上被害は軽減できる為、飛行高度を下げようと試みる騎体もあった。


しかし、その結果として勢い余って海面に墜落する騎体も生じている。魔導障壁がある為、着水時の衝撃は大部分が軽減可能であったが、それでも飛行可能な速度で水面へと接触する恐怖が減少するものではない。


迫る艦影。


〈プリンツ・ベルゲン〉型重巡洋艦を中央に据え、輪陣形を形成して守る駆逐艦……〈グラルヴィント〉型護衛駆逐艦による二重の防空網を飛び越える。


駆逐艦の帆柱(マスト)から延びる中空線に騎体の脚部が触れるかの様な低空で飛び越えるランセルと愛騎の技量は他騎と違って卓越したものがあった。


命中判定を受ける騎体が増えても第三中隊は突き進む。


恐れを知らぬなどという勇ましい理由からではなく、騎体を翻しては被弾面積が増える為、恰好の目標となりかねないと知るからであった。


国軍の愛すべき消耗品達は乱れつつある編隊をそのままに雷撃位置へと突入する。


眼前に広がる〈プリンツ・ベルゲン〉型重巡洋艦。


 主砲塔の代わりに搭載された後甲板の箱型の司令部施設が特徴定な構造をしている為、判別が容易である。同時に主砲塔という重量物を後甲板に搭載しない事で余裕が生じた重量に対して増設された対空兵装も克明に見える距離となりつつあった。


 猛烈な対空砲火に晒される対艦攻撃騎の群れ。


 爆撃に対して行われた回避運動によって乱れる輪陣形を縫う形で殺到する雷装の対艦攻撃騎。


「雷撃用意!」


「雷撃用意、了解!」


 ランセルはミナセの返答に頷き、更に距離を詰めるべく直進する。


二人で方角の微調整を行いつつ、対艦攻撃騎が弾雨を駆け抜ける。


「四番騎、被弾判定!」


「構うな!」


交戦状態に陥った事で封止解除された魔導通信からの報告に怒鳴り返し、ランセルは防風眼鏡(ゴーグル)越しに重巡洋艦を見据える。


「右、右……左……投雷!」


ミナセの言葉と共に、抱えていた魚雷という重量物を海へと投じたことで僅かな浮遊感と共に騎体が浮き上がるが、ランセルは即座に下方へと押さえつけて上昇を許さない。


「離脱しましょう!」


「敵艦の艦首側を突っ切る!」


進路変身を求めるミナセの言葉に、ランセルはより積極的な判断を下す。


 後続の友軍騎の為に注意を引き付ける。


 その為に雷撃進路を維持したまま敵艦の上空を飛び抜ける。


 投雷した航空魚雷は海面下を進むが、その速度は航空騎の速度には及ばない。一度たりとも追い付かれる事はなく、胴体から航空魚雷が離れた事は明白であった。脅威ではなくなったと敵艦隊からは見られるはずであり、それを覆して脅威を覚えさせるには懐に飛び込むより他ない。敵艦を撃墜する為には相応の綱渡りが必要である。


「了解!」


 面白い、そう言わんばかりに喜色に満ちたミナセの返答と、それに続く第三中隊各騎の応答。


危険行為として後々、叱責を受けるのではないかという疑念を抱かない所が飛行兵であった。飛行兵は総じて血気盛んな傾向にある。厳しい訓練と選抜を経た結果として強い自負心を抱き、騎上では個人、乃至少数の技量のみを頼りとする環境は矜持と独自性を育んだ。


 ランセルはエルライン要塞守備隊所属であった経歴があり、その際は偵察任務が主であった為、自負心や矜持よりも任務の完遂こそに重きを置く。


 偵察騎の任務はより多くの情報得て持ち帰ること。


 対艦攻撃騎の任務は敵艦により多くの打撃を与えること。


 ランセルは任務目標を最優先する。


 自負心や矜持に囚われない珍しい飛行兵と言えた。飛行兵の多くに見られる攻撃性は、より攻撃的な任務が主体となった内戦以降により顕著となった傾向である。厳密にはそれ以前から飛行兵として任務に当たっていた者達にはランセルの様な人物も少ないながらも存在したが、そうした者達は飛行時間を買われて教導任務や士官となった者が多い。飛行大隊以下ではやはり珍しかった。


 間近に迫る艦影。


 皇州同盟軍艦隊の標準塗装である、黒々とした船体塗装は恐怖心を掻き立てる。夜間や薄暮であれば視認性が下がる為に有効であるが、陽光降り注ぐ秋口ともなれば目立つ結果となる。


 漆黒の船体の各所で対空砲火の発砲炎が満ちる。


 模擬弾であり、発射されるのは魔術光に過ぎないが、実戦に近づける為に弱装弾程度の炸薬も封入されている。発泡炎は酸素を焼く炎であった。


 黒の船体の上空。


 僅か一瞬。


 ランセルには前鐘楼の最上階……防空指揮所で指揮を執る士官達の姿まで視認できたが、それは忽ちに後方へと過ぎ去る。


模擬魚雷である為、水柱は吹き上がらない。


「全体で五本は命中判定を得た様に見受けられます」


目算でしかないが、大きく命中判定が変わる事はない為、ランセルは溜息を吐く。


 ――実戦での被害はどれほどになるか……


 魔導通信越しに各飛行隊からの戦果報告が次々と上がるが、被害集計は航空基地に帰還して以降である為、ランセルは手放しに喜べなかった。


ランセルの見たところ〈第七二四対艦攻撃航空団〉の被害騎は二割近いのではないかと見ていた。


皇州同盟軍艦隊は、現状の皇国で最も高い対空戦闘能力を有する。対空兵装の配置や性能評価、運用方法を模索するべく試験的に搭載し、その結果を海軍艦隊に反映するという経緯の為であるが、その結果として明らかに復元性への限界に挑むかのような規模で対空兵装を搭載していた。


 ――二割の被害なら、五回出撃したならば航空団の損耗率は一〇割となる。


一○割の被害とは稼働騎の消滅を意味し、〈第七二四対艦攻撃航空団〉は書類上の戦力でしかなくなる事になる。無論、敵艦隊の消耗もあるが、戦力が減少すればする程に敵艦隊の対空火力は集中する事も事実である。消耗はより加速する可能性があった。


 集合命令を受けた〈第七二四対艦攻撃航空団〉は艦隊上空に集結して編隊を形成する。


 眼下の艦隊も対潜警戒序列へと組み合えながら帰還の途に就いた。










 皇州同盟軍艦隊はヴェルテンベルク領邦軍艦隊を前身とする艦隊であり、その船体塗装も継承している。


恐怖心を掻き立てるという為だけに黒という船体塗装を大部分の艦艇で選択した結果、日中の視認性低下を得られなかったが、抑止力という意味では周辺貴族領主を大いに脅かしたと言える。


 マリアベルからすると、戦時よりも平時という恫喝に費やす時間が長い以上、船体塗装程度はそれに合わせても良かろうという判断があった。塗装は短時間で変更可能であり、元よりヴェルテンベルク領邦軍艦隊はシュットガルト湖とシュットガルト運河という限定した範囲の保全に特化していた部分も大きい。


 しかし、その塗装が現在に至るまで継承されているのは、皇州同盟軍が軍装を始めとして黒を基調とし続けている為である。


一目見て分類できるという必要性は戦時下では不利益を齎す側面もあるが、皇州同盟軍の後身となる武装親衛軍は多分に政治的側面を以て運用される為、継続して黒を基調とした塗装の装備は利用される事となった。


「実際、黒の塗装というのも悪くはない。少々の錆は目立たないのでね」


共に客室に置かれた〈マウリッツ〉の模型を眺めながらの長閑な会話。


〈プリンツ・ベルゲン〉型重巡洋艦、二番艦〈マウリッツ〉の艦長を務めるハッキネン中佐は、軽妙な人物なのか冗談を口にする。


ランセルは困った表情で迎え撃つが、ミナセは得心がいったという表情であった。


実際、黒色塗装は金属部分のみに留まり、上甲板などは不燃樹脂を染み込ませ、背面に防火術式を刻印された木材であった。


「では、今回の演習での被害で再塗装は必要ないと?」


「被害と言えど所詮は機銃の暴発だ。航空団に落ち度があった訳でもないよ」


ハッキネンの言葉にランセルは同意する。


シュットガルト湖上で大規模な軍事演習が実施されたが、その際、〈マウリッツ〉の機銃の一つが暴発。中破するという事故が起きた。その調査と経緯を確認する為、〈第七二四対艦攻撃航空団〉からはランセルが派遣される事となる。


幸いな事に重傷者二名が発生するも、死者はなく艦に深刻な被害が生じた訳でもない。


しかし、皇国軍で広く採用されている三連装二〇㎜機銃の暴発事故として注目を受けていた。


「経年劣化と先程、海軍艦政本部から連絡があったよ」


「劣化……ですか?」ランセルは思いがけない言葉だと眉を顰める。


 〈プリンツ・ベルゲン〉型重巡洋艦自体が未だ二隻しか就役しておらず、二番艦〈マウリッツ〉は就役して数か月足らずである。しかも、ヴェルテンベルク領邦軍艦隊の特殊事情である、艤装前まで建造し、シュットガルト湖上の係留区域で保管し、平時の戦力を過小に演出しつつ、戦時では急速な戦力増強を図るという建造経緯を経ていない。内戦後に就役し、文字通りの新造艦であった。


 艤装は後付けとは言え、艦を先に建造するという行為の問題点として就役時にも相応の劣化が生じているという問題があるが、それは船体構造の話に過ぎない。


「失礼ですが兵装の製造年月は……」


「一〇年前らしいね」


ランセルはミナセ共々絶句する。


揃って従軍前の対空兵装と演習を繰り広げていたとは予想もしていなかった。


航空優勢の原則が顕在化したのはこの一年程度の話で、対空兵器の種類や生産数が爆発的に増加したのは同時期である。それ以前に生産 された対空兵器も、かなりの部分が対地攻撃と兼用の両用砲に近いものであった為に陸軍は手放していない。


二人の表情に満足したのか、ハッキネンは笑声と共に首を竦める。


「鎮守府防空の為に利用されていたものを修復(レストア)したものだったらしい」


ハッキネンの返答にランセルは、内戦前は水上戦力の優先順位が低い中で、鎮守府の設備などは特に更新が遅れていた事を思い出す。


シュットガルト運河を遡上し、最奥に近い位置にある鎮守府を直撃するのは容易ではない。そ うした理由から鎮守府の防備は後回しにされ続けていた。無論、高まる陸上での脅威に対抗すべく予算を陸上戦力に集中した事が最大の要因である。


「予算は潤沢にあるが、対空機銃の生産数には限りがある。そこで稼働率の低いものを転用しようと考えたらしい」


 端的に言えば、相当な中古品の体裁を整えた上で押し付けられたという事であるが、それによって生じる問題は御座なりにされていたと、ランセルは認識した。


 実際のところ、十分に耐え得るという判断が成されていたが、想定よりも遥かに積極的に航空部隊との共同訓練が行われた為、許容していた劣化部分が耐えられなかったという経緯があった。


「元々、連射での過熱や振動が問題視されていたようだ。改修型への生産変更が前倒しになるらしい」


「確かに。航空団としても驚くべき対空砲火でした。砲が蛮用に耐え得ぬのも納得であります」


 弾倉交換や銃身冷却の都合上、常に射撃を維持できる訳ではないというのがランセルの常識であったが、昨日の演習艦隊は対空兵装の増強だけでは説明が付かない規模であった。


「弾倉交換は手空きの人数を割り当てて時間短縮、銃身冷却は海水を汲み上げて直接吹き付けたのさ」


演習後の清掃が大変だが、とハッキネンは苦笑を零す。


機銃という機械に海水を吹き付けた事も暴発の原因の一部ではないのかとランセルは思うが、海上艦艇が塩害に対して脆弱である筈もないと思い直す。


「正直なところどうだい?」


「炎の壁ですね。近付きたいとは思いません」


 針鼠の如く対空兵装を搭載し、輪陣形を形成した艦隊への攻撃は多大な被害を蒙るであろうという判断が航空本部でも為されていた。消耗を前提にした戦力増強を行うべしという声は日に日に強まっている。


「だろうね。 ……でも、実戦なら対空戦闘は演習以上に苦戦するだろう」苦い声音のハッキネン。


ランセルとしてもそれには同意できた。


演習用の装備として用意できない都合上、行われなかった攻撃手段である機銃掃射と翼下の噴進弾による攻撃。迎撃を突破した戦闘騎によって先んじて艦艇に対して行う対空兵装の漸減。


 速度に優れ身軽な戦闘騎であれば迎撃時間は減少し、それによって被害は低減できる上、対空砲火を減少させ得るならば、爆撃と雷撃の成功率や対艦攻撃騎の帰還率も向上する。


「天帝陛下は敵機からの機銃掃射に備えて機銃座の外周に土嚢を積み上げるという指示を為されたがね、あれはどうやら被弾時に土嚢の砂を撒く事に転用する事も想定しているらしい」


 砂を巻くという意味をランセルは理解しかねた。


「砂、ですか」


「……血と臓物で溢れ返った甲板の滑り止めだよ」


帆船時代からの名残でね、とハッキネンは寂零感を伴う笑みで答える。


対艦戦闘で上甲板が血染めになる事は近代では乏しい。帆船時代では、砲列が置かれて帆柱が乱立する上甲板は乗員が戦闘中も数多く行き交う非装甲の戦場であった。直撃は乗員の四肢を捥ぎ、血涙を容易く撒き散らす。そうした滑りやすくなる甲板での作業性を維持する為に砂が撒かれた。戦闘中に海水で洗い流す暇はなく、また海水自体もヒトの足を掬う。


「対空火器の大部分は作業性の問題から非装甲だ。噂では対空火器毎に魔導障壁による装甲を付与する計画もあるようだが……」


「魔導障壁の個別展開は技術的難易度と高価格化を招きそうですね」


正に、とハッキネンは苦笑する。


迎撃を行わずに艦艇の魔導障壁を展開するという提案もあったが、迎撃が行われない場合、対艦攻撃の命中率は格段に向上する。対空戦闘は撃墜だけではなく攻撃を妨害する副次効果もあった。


「結局のところ、我々は与えられた兵器で最善を尽くすしかない訳だ」


「仰る通りです。少なくとも状況は格段に改善しています」


ハッキネンとランセルは頷き合う。


 艦内の客室で用意された飲料の質を見れば明白であった。


嘗て軍での嗜好飲料は泥水と草汁と揶揄されていた時代とは雲泥の差がある。人間性を思い出したと涙する士官すらいた程である事が、その落差を思わせた。


 トウカの即位により軍を取り巻く状況は大きく改善している。


 兵器は当然と言えるが、それ以上に優先されたのは生活環境全般であった。


「我が艦隊も酒保の取り扱いが増えて有難いことだ」ハッキネンは朗らかに笑う。


兵舎の風呂場が広く清潔になり、自費購入していた物品が官給品となる。俸給も増え、家族への補助や保障も手厚くなり、何より購買部の品揃えが爆発的に増加し、兵舎の近隣には酒場が併設された。皇国軍将兵としては、兵器性能などよりも、そうした部分への配慮を喜んでいる。


 軍のトウカへの支持……特に下士官や兵士の支持は待遇改善によるところが大きい。


実情として軍隊という巨大組織の物品消費は莫大である。


それを全軍・陸軍と海軍、皇州同盟軍で統括管理して仕入れ価格の低減を図るなどの予算圧縮の努力は各兵站部門で行われているが、それでもそうした部分の改善には多大な予算を要した。無論、その更なる効率化の為に軍需省成立への動きを推進し、新たなる混乱を齎してもいる。


同時に、そうした莫大な規模の物品購や改善ともなれば、多くの企業も熱心となり軍との関係も深化する事になる。


ひとつでも多くの企業を軍に対して好意的にする事で、その企業に属する関係者の好意を勝ち得るという事をトウカは重視していた。


好意は金銭的利益の発生する場所に極めて生じやすい。


正邪と善悪を超えて、近代社会にはそうした事実がある。


国民の漠然とした好意が軍事行動を支えるという点をトウカは良く理解していた。


「高価で見栄えの良い兵器に傾倒する軍も世にはあるので我々は幸運かも知れません」


ヴェルテンベルク領邦軍にもそうした傾向は多分にあったが、ランセルは敢えて指摘しない。 戦力差が一発逆転の超兵器に頼らねばならない程の仮想敵を抱えていた以上、乾坤一擲の奇跡を求めるか、終わりなき不正規戦を行うかの二択しかなかった。マリアベルはそのどちらの準備も進めていた。経済発展を実現しながらの軍備拡充である事を踏まえれば、その技量は端倪すべからざるものがあると誰しもが認める。


そして、トウカはマリアベルが用意していたそれらを十分に使って見せた。


兵器は消耗品であると言わんばかりに積極的に投じる姿勢は、ランセルとしても好感が持てる。


置物を磨く為に兵士になる者など極僅かである。


そのトウカもまたマリアベルの後を追う様に軍拡と経済発展を両立させようとしている。


経済力が保有する軍事力の保有上限を決めると考えている点はマリアベルと同様であったが故に、現在の軍の状況は思想的に見て順当なものと言えた。そして、トウカの手元には莫大な原資がある為、それを十分に行える目算がある。


 しかし、ハッキネンは頬杖を突いて舷窓から陽光を見上げる。


「国家指導者ともなれば、そのくらいの浪漫に逸れてもいいと思うね……どうも先代ヴェルテンベルク伯の影を追っているようで領民としては心苦しい」


出身がヴェルテンベルク領である事が知れる一言であるが、ランセルには返答に窮する言葉でもあった。


マリアベルの話題はヴェルテンベルク領では非常に重く扱われる。


郷土の英雄という扱いであるが、北部内でも毀誉褒貶の激しい人物である為に一定の配慮が存在した。


「先代ヴェルテンベルク伯の手による繁栄は、積極的に異なる意見の者を潰して回る事で意思統一された中で成立したんだ」


 ランンセルもその点は良く理解している。


敵対者の居ない政治を行った結果、経済発展と軍備拡大という点に余力(リソース)を集中させて成功した人物こそがマリアベルである。


皇都大学の教授曰く、曲芸の類で運と偶然が多分に支配するものでしかない、との論説が各新聞社から着て出ていた記憶がランセルにはあった。


 無論、軍人であるランセルは、運と偶然の襟首を付かんで引き寄せる理不尽な人物がいる事を良く理解していた。運や偶然に背を向けるというのは逃げでしかない。そうした偶発性に立ち向かうのが軍人の本分である。


「私の親族にも街頭に吊るされた者が居るよ。非友好的な者への融和姿勢は夷荻の幇助に繋がる……辺りを考えたんだろうね」


やれやれと首を横に振るハッキネンに、ランセルは掛ける言葉が見つからない。


適正な税制と所得によって民衆の不満は是正される。


マリアベルは軍備拡大の為に経済を重視し、それらを為すべく民衆の不満を抑える必要に迫られた。歴史上の独裁者の大部分がその点を理解しない故に無残な最期を迎えるが、マリアベルは民衆の本質を良く理解していたと言える。


 無論、歴史上の多くの独裁者が権力や名誉、身内への利益に傾倒したが、マリアベルの場合は軍備拡大が全てであった為に不満が生じ難いという部分もあった。軍備拡大は狂信的な平和主義国家でもなければ、基本は公共事業と国防の一環である。


しかし、中には平等や人権、融和などという奇特なものを重視する者も居る。


 実際、それらは税制と所得があってこその贅沢品であるが、税制と所得に満足すれば、民衆はそれらの贅沢品を求める事ではなく、今あるものを享受する事を優先する。


マリアベルはそこを突いたと言える。


過剰な領内の引き締めも、実情としては余程に問題のある人物を想像以上に苛烈な方法で責め殺すというものであった。


自ら貴重な労働力の多くを死に追い遣る程、マリアベルの軍拡への熱意は小さなものではない。


ハッキネンは過去を懐かしむ。


「残酷だけど空腹や重税から解放された時代だったよ……今上陛下の御代もそうなるだろうけど、それは北部だからこそ辛うじて受け入れられたんだろうしね」


北部でも辛うじて、という部分にランセルは諧謔味を覚えた。


しかし、北部の厳しい環境を思えば、統率者の権力が増大せざるを得ないのも事実で、北部臣民はその特徴として権力を行使する者への従属度が他地方より大きい。集団としての統制力の必要性は強権的な権力者への依存を招く。


「黙っていれば、全てを委ねれば幸福を享受できるという訳ですか?」


「ま、そうなんだけどね。それは王政みたいな政治制度でうまく回っている国なら大なり小なりある事だし、今上陛下に問題がある訳でもないけど」


 当事者目線では素晴らしい政治思想を吹聴しながらも、発展的な国営を行えない国家とて珍しくない。民衆からすると民衆の利益に還元されない御高説など取るに足らない事である。


税制と所得の改善で飢餓と排他性を駆逐しようとするトウカの姿勢をハッキネンは、親族を喪った過去に背を向けてでも肯定する。それ以前がそれ程に悲惨であった結果であった。


問題のない現状を敢えて変える必要はない。


そして、そこに独裁的権力の成立と維持の余地がある事を皇国臣民は問題視しない。


それこそが国家指導者に権威者を頂く国家の長所にして短所。


ハッキネンやランセルという当事者にそうした自覚はなかった。


「兎にも角にも、亡き女の影に引き摺られて要らぬ死を撒き散らす、なんてことにはなって欲しくはないね」


クロウ・クルワッハ公爵とは和解……とまでは言えないものの、互いに損益を理解した上で妥協が行われているが、中央貴族に関してトウカは全く容赦がない。反発や遺恨などだけでなく、権力が分散する現状を打開しようという国益がある以上、国家と個人の大義名分が揃ってしまった。


 ランセルとしては、皇都擾乱の逸話の数々を見るに、トウカが銃口を押し付けて物事を進める人物だという印象があったが、女の影を追い求めた振る舞いであるという意見には初めて遭遇した。

 ――女運をお持ちでないようだ。


北部で待っていた狐娘が行方不明になった噂もある為、先代ヴェルテンベルク伯を踏まえると愈々と女運に恵まれない。


「まぁ、先代ヴェルテンベルク伯は自らの影を追う若人を喜ぶだろうけど」


物語で良く言われる美談に背を向けた評価にランセルは表情を取り繕うべき機会を逸する。


「失礼ながら、そこは後を追って欲しくないと仰るべき場面では?」


 感動的な最後に告げられる言葉として使い古されたものとは真逆の発言に、ランセルは酷く人間味を覚えた。奇麗ごとではない剥き出しの人間性。


「欲望に忠実なんだよ。欲しければ奪うし、気に入らなければ怒る。だからこそ皆が恐れた。でも、そこを含めて不思議と惹かれる。あれ程に不可解な人物はいないよ。当人も自分を理解していなかったんじゃないかな?」


 ハッキネンも首を傾げる。


それを聞いたランセルも首を傾げる。


「失礼ながら、ヴェルテンベルク領民にとって今上陛下や先代ヴェルテンベルク伯というのは、どの様な人物なのでしょうか?」


聞けば聞く程に理解できなくなるランセル。


共に秘密の多い優秀な暴君という稀有な人物であるが、その二人に統治を受けるヴェルテンベルクの領民は喧嘩っ早いが明朗闊達な人物が多い。領民の振る舞いや言動に強権的な統治の影がない事をランセルは驚いた記憶がある。


悩むハッキネン。


 愛憎渦巻くという表現からではない、恐らくは過ぎたる人物への表現として適切なものを語彙から見つけられないという事が表情から一目で見て取れる姿にランセルは話題を間違ったと後悔する。


 そして、聞いて二度目の後悔をした。


「一日会わなければ幸運だったと思うけど、三日会わないと不安に苛まれる人物、かな?」


 ハッキネンも困り顔。


ここで沈黙と閑話休題を選択しないところがヴェルテンベルク出身者らしいが、ランセルとしては追い詰められた心情であった。


「それは、また……」


不敬である為、明確な返答を避けたが、そうでなくとも返答に困る評価である。ミナセは苦笑していた。不敬である。


「とは言え……同期にレイヴォネンという男がいるんだけどね、あいつは陛下とも話した事があるらしい。聞けば、軽妙ながらも慮る事のできる人物らしいね」


 佐官でも天帝と言葉を交わす機会があると見るべきか、即位前の邂逅であったのかで判断は分かれるが、記憶媒体では総じてトウカの印象は前後で変化しない。


「ヴァレンシュタイン上級大将と酔っ払った挙句に憲兵に連行されたり、狐娘や先代ヴェルテンベルク伯との逢引の姿もあったからね。まぁ、領 邦軍の 官とそう変わらないよ」


 珍しくない若者としての側面もあるという証言に、ランセルは親近感と共に、憲兵に連行される事を一般的な感性として捉える所が、やはりヴェルテンベルク領らしいと溜息を吐く。


 自身よりも幾分か年若い程度の若者が佐官や将官を短期間で歴任し、天帝にまで上り詰めるという立身出世(サクセスストーリー)そのものが現実離れしているが、トウカの場合は天帝即位の経緯が不明瞭であった。


内戦直前の時節の大多数は、新たな天帝が即位した場合、北部勢力を糾合し、陸海軍の一部を引き入れたトウカやマリアベルと対立するのではないかと見ており、ランセルも身の振り方を考えた記憶がある。


そうした気構えが懸念に過ぎなかったと言えば聞こえは良いが、全てを軍事力で打開した軍神が国家指導者となる事実それ自体が国内の不安定化を招く事も事実である。


 現状、公共事業を中心とした莫大な投資が貴族の口を塞いでいる。民衆は労働に勤しめば給金が増える事を疑っておらず、それを不安定にする真似を許すはずもなかった。貴族の正義や大義に同調するはずもない。


しかし、それを知るからこそトウカは敵対的な貴族を挑発する。


激発させたい意向があるのは明白であった。


自らの敵を民衆の敵だと同一視させる。


トウカやマリアベルはそうした政策に長けている。


ランセルは本音を言えば、少なくとも中央貴族は激発すると考えていた。トウカへの遺恨だけでなく、先皇の政策を支持するという事はトウカと政治思想(イデオロギー)での対立を意味する。問題は根深く、そしてトウカは先皇の政治思想を唾棄していた。


だが、中央貴族は耐え続けている。


ランセルには意外だった。


何処かで限界がある。


そのはずであった。


侯爵家令嬢を自害にまで追い込んで尚、耐えたのだからランセルとしては空恐ろしいものすら感じた。


敵は皆殺しと言わんばかりの政戦を行使するトウカに……マリアベルの継承者を相手に一族の命脈を賭して抵抗するのは危険(リスク)ばかりで採算が合わないと見たというのが一般市井の風評である。


トウカの為人をランセルは図りかねた。


年頃の部分もあれば、暴君の部分もある。無論、政戦両略の人物である事は疑いないが、多面性がこれ程にある天帝は稀有である。


 ――いや、即位までの経緯が特殊だから個人の為人が露出しただけか?


歴代天帝も個性豊かであったが、情報が出ていない可能性もある。不明瞭である事が神秘性を招くというのは幻想の常識であった。


「まぁ、あまり警戒する必要はないよ。軍人には優しい御方だからね」


それは疑いないです、とランセルは頷く。


野戦医療への予算増加や、福利厚生の充実を見れば明白である。


二人して手にした琥珀色の嗜好品、人間性の香りと味を楽しむ。


人間性の代用がなくなった点だけを見ても、トウカは軍人に対して好意的である。


 ああ、とハッキネンは思い出したかの様に口を開く。


「そう言えば、対艦爆撃に関しては多数の爆弾による緩降下爆撃のほうが望ましい可能性があるとロに為されたらしい」


対艦攻撃に関わる者としては捨て置けない言葉に、ランセルは興味を示す。


確かに対艦爆撃による効果の疑問を呈する者は少なくない。


軍艦……特に大型艦は高出力の魔導機関を搭載している為、上空からの爆撃を強力な魔導障壁で防護できる。艦本体への直撃は複数の直撃弾により魔導障壁を破壊、魔導機関の臨界に追い込む必要があった。臨界を超えれば航行や火器管制に機能を限定する為、監自体への攻撃が可能となる。


しかし、これは容易ではない。


大型の軍艦、特に戦艦などは自艦の搭載主砲と同等の火砲の直撃を一度の海戦中に複数回防護できるだけの魔導機関の出力を備えているのが一般的である。


 遥かに強大な魔導機関を備えた要塞なども存在するが、それよりも遥かに小型でいて回避運動可能な大型艦への爆撃もまた容易ではなかった。


対艦爆撃を廃止して雷撃のみに絞るべきではないのか?


そうした意見が生じるのは自然な流れと言えた。


海面下に魔導障壁は展開できず、航空魚雷は航空爆弾よりも艦艇に致命的な被害を齎し易いと見られている事も大きい。


「それは……防空戦闘を行う立場ではどうでしょうか?」


 飛行兵からの視点では十分に理のある話であった。


 戦艦に打撃を加えるには現状で魔導障壁に中型爆弾を一○発近く命中させる必要があると見られている。そこから更に戦艦自体に爆弾を相当数叩き付ける必要がある以上、かなりの騎数を必要とするのは自明の理であった。


 しかし、小型の航空爆弾を複数抱えて一斉に投下したならば威力は低下するが命中率は大きく向上する。ランセルの見立てでは、魔導障壁を強制解除させるには小型爆弾の飽和爆撃がより効率的であった。


「考えたんだけど、確かに合理的ではあるんだよね」


 重巡洋艦や戦艦などの主力艦の魔導障壁を強制解除させるには、魔導障壁に短期間で負担を掛ける必要がある。威力は劣っても命中率の向上が期待できる複数の小型爆弾での飽和爆撃の方が時間単位当たりでの投射量は高い。


「足が速くて魔導障壁も限定的な補助艦艇なら、命中率の高い複数の爆弾がより脅威だろうね。早々に艦上を瓦礫の山にされては対空戦闘もできない」


駆逐艦や軽巡洋艦であれば、小型爆弾でも撃沈される可能性は少なくない。魔導障壁や装甲の問題だけでなく、船体に占める可燃物の容積や兵装の防弾性の問題もある。


「理屈は分かりますが……」


付け加えると、高速航行を行い、尚且つ操舵性に優れる小型の補助艦艇への雷撃は容易ではない。


「噂じゃ、一部の航空部隊では爆弾を船体側面に投弾させる方法を模索しているらしいね」


「噂には聞いていますが……」


首を傾げるランセル。背後を一瞥してもミナセは肩を竦めるのみ。事実として、落下物でしかない航空爆弾を舷側に命中させるのは至難の業であり定量的に行えるものではなかった。


「とんでもない事だ。それなりの命中率が期待できるなら、艦上の対空兵装は重大な脅威に晒される事になるし、補助艦艇は、魔導障壁の展開方法次第では一撃目から船体被害を覚悟しなければならなくなる」


ハッキネンが嘆息するが、それはランセルも同様であった。


攻撃を受けるハッキネンが他国に模倣されて被害を蒙る事を懸念するのは当然であるが、ランセルもまた攻撃方法の習熟の最中に新しい方法に変更されるかも知れない可能性を提示されては堪らない。


航空優勢による軍事的優越を本にしたトウカであるが、その合理化や対策の追及に余念がない。


「我々は技術と戦術の革新を絶えず追い掛け続け、その余力で敵と戦わねばならないという事だね。部下の流れる血が減らせるならば致し方ないとはいえ、最近の戦争には付いていけないよ」


 兵器性能は日進月歩と呼ぶ事も憚られる速度で前進している。


しかし、ランセルはハッキネンの様には考えない。


己の行く手を切り開く力だと好意的に捉えていた。


それが、個人差か年齢差かの区別はつかないが、ランセルに悲観はなかった。









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