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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》

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第三二〇話    総統の憂鬱






「墓参り……やはり死んでしまったのだ」


帰途に就いた軽戦艦〈グロース・エスタンジア〉の貴賓室で、ヴィルヘルミナは溜息を一つ。


偉大な女の死に思う事は多い。


マリアベルが皇国宰相であれば内戦や対帝国戦役での混乱は生じなかったとヴィルヘルミナは断言できる。協調性や足並みを揃えるという名目を元に対応が遅れた結果が、帝国に付け入られた一連の混乱である。病や伝統などという因習に縛られていなければ、龍系種族はマリアリアベルを中心に皇国で主導権を握り、帝国の思惑など一蹴した事はヴィルヘルミナにとって規定事実だった。


或いは、トウカの到来によって二人は手を携えて大陸を席巻したかも知れない。


 ――ううん、マリィが強大な権力を握っていたら反発し合うかな?


病状と戦局の悪化の二つがあって初めてマリアベルは男に頼るという選択に至った。権力を携えたマリアベルであれば、トウカの下に無条件で立つ筈などない。


少なくともマリアベルの手紙には、トウカの不満が書き連ねられていた。ならば何故、一夜を共にしたのかと聞けば、そうした雰囲気になったなどと年頃の町娘の様に要領の得ない返答が返ってくる。なるほど、これが惚気というものかとヴィルヘルミナは辟易としたものである。


それでも、ヴィルヘルミナは、マリアベルとトウカの関係を流動的なものだと考えていた。


マリアベルという女性は意地と反骨心に満ちた生き物である。


 女として男に阿るという真似は最も忌避するところである。


それ程に追い詰められていたと言えるが、ヴィルヘルミナは最後までマリアベルの愛人であるトウカの存在を疑ってもいた。誰かが代筆しているのではないだろうかと疑う程の変貌であり、好いた男ができるというのはこれ程にヒトを変えるものかと困惑したヴィルヘルミナはよく返信に窮したものである。


「まぁ、愛人の立場が心地好いなどという女の心変わりを大多数の女性の心情と同じと見るのも……」


 心変わりよりも変節という表現が適切と言えるマリアベルの惚気に、ヴィルヘルミナは苦笑するしかない。


同時に、最後まで華々しい生き方をしたと羨む心情と、自身の目的の為に国内外の多くの者を巻き込んだ恐ろしさへの賞賛があった。


皇国北部に翻意と妥協を促す為の孤立政策を逆手にとって栄光ある孤立を演出する事で、他地方に対する敵意を醸成する潮流を形成したマリアベル。一切合切悉くを巻き添えにする心算であった事は明白である。当初のヴィルヘルミナはマリアベルの本質を、世界を憎悪している類のヒトだと考えていた。


実際は、些か短気であるものの、合理的であり軽妙さを持ち合わせた人物であった。


そうしたマリアベルとの連携は驚く程に短期間で、尚且つ大規模に行われた。互いに本性を隠蔽する真似をしなかった上に、虚飾を嫌い、より直截的に関係を深いものと成さしめた。


「総統閣下」


宣伝大臣のヨゼフィーネ・ゲッベルスの声に、ヴィルヘルミナは我に返る。


 つまらぬ妄想をしたと、ヴィルヘルミナは艶やかな黒髪を揺らす美貌の宣伝大臣へと視線を巡らせた。


「どうしたのだ? ご飯の時間?」


「総統閣下、ご飯はつい先程、食べたでしょう……じゃなくて、色々と聞きたいことがあるのだけど」


 対面の応接椅子……戦時下の防火など全く考えられていないかの様な瀟洒な応接椅子に腰かけたヨゼフィーネの表情は困惑が容易に見て取れるものであった。


「併合の件?」


心当たりはあるが、同時にどの様に説明をしても激怒される案件である為に二人きりでの説明は避けたいとヴィルヘルミナは考えていた。


「併合の件と輿入れの件ね」


輿入れの説明まで付け加えられて更に渋い表情になるヴィルヘルミナ。


併合にせよ輿入れにせよ、外交筋からすると唐突感のある話であった。特に後者は先の会談で初めて明言した為、未だに戦艦〈グロース・ エスタンジア)の一角で官僚達が喧々諤々の議論を繰り広げている事は疑いなく、帰国後に大きな波乱を巻き起こすことは確実である。


「前者は、まぁ、いいのよ。エスタンジアが統一されて繁栄するなら、あの国の一地方になるのも悪くはないでしょうし」


酷く軽薄な形で併合に同意するヨゼフィーネに、ヴィルヘルミナは眉を跳ね上げて驚きを示す。


国家を失うという決断は軽いものではない。寧ろ、重大なものであり、特に現在が順調な発展を続けているのであれば猶更である。今のままで何が悪いのか。そうした意見で静観と現状維持を願う怠惰は人間の性である事をヴィルヘルミナは理解しており、付け加えるならば政治はそれを織り込んで成されるべきものであるとも理解していた。


ヨゼフィーネはヴィルヘルミナの懸念を察していた。


「宣伝大臣は情報を扱う要職よ。煽動するにも嘘を真実にするにも、先ずは情報が要る。だから分かるのよ。このままだと時代の波に飲まれて大国の道路扱いを受けて踏み潰されるって」


 皇国か帝国か、或いは神州国か。


前者二つであれば一方に攻め入る為の侵攻路として扱われ、序でとばかりに圧し潰される運命が待っている。後者であれば、大陸への橋頭保として周辺諸国からの圧力と敵意を一身に負う事となる。


去れど、この大国の中でいずれかを選択して身を寄せるしかない。


率先して一国に接近して立場の強化を図るというのは、安全と繁栄を確保するという上では賢しい判断と言えた。そうした中で最も経済的に発展するであろう余地がある皇国を選択するというのは当然の流れである。


 だが、それに納得できる者は少ないが、ヨゼフィーネにはそれができた。


 そして、その上でヨゼフィーネは懸念を示す。


「貴族にも辛辣に当たっているそうじゃない? 娘を寄越せと侯爵に要求して娘が自害したとか……貴女、行動次第では死を賜る事になるわよ」


政治上の心配ではなく、ヴィルヘルミナ個人に対する心配。


 無理もないとヴィルヘルミナも思う。


 サクラギ・トウカという新たな天帝は諸外国に於いて、兎に角、毀誉褒貶の激しい人物であった。マリアベルが霞む程であり、歴史上に姿を見せて一年程度であるが、近代史上で最も殺戮を行った怒れる軍国主義者であるという風評が一般的である。歴史家に、近年の諸外国の名立たる暴君の記憶を歴史の彼方に追い遣った、とさえ言わしめる程であった。


ヴィルヘルミナとしても、トウカの印象というのは、正直に言えばよく分からないというのが本音であった。


 俯瞰的に見た場合、その政戦の成果と過程は紛れもなく苛烈無比であり、一般市井に流布する畏怖すべき異名に猜疑を差し挟む余地のないように思える。


 しかし、マリアベルからの無数の手紙を踏まえると、とてもそうは思えない人物像が垣間見える。


 マリアベルと同じく世の中を恨んでいるかの様な言動が目立つが、近しい者に対しては決して酷烈ではなかった。少なくともマリアベルの手紙を読む限りは私生活に於いては年頃の青年としか見えない。権力に溺れる事もなく浪費もしない。酒は随分と飲むようであるが。


 平素は穏やかであるが、政戦に於いては苛烈であるというのは、実は南エスタンジアの初代総統もそうであった為、ヴィルヘルミナとしても納得できるところがあった。


そして、旭日の軍旗を掲げているという事実がヴィルヘルミナの胸を躍らせる。


初代総統が恐れた軍旗である。


日く、理屈と道理の通じない軍国主義者。


成程、整合するとヴィルヘルミナは見た。


それは初代総統たる人物と同じ世界の人物であるという事である。


初代総統が恐れた……認めた国家の青年。


ヴィルヘルミナ個人としてもこれ以上ない程に興味を覚える上、政治的に見て大義名分として用いる事ができる。何よりマリアベルが認めた男であった。退屈させるような男ではない。


「良いのだ、実に良いのだ。どうせ死ぬなら叙事詩に様に、歴史に残る様に死にたいもの」


嘘偽りのない本心である。


ヴィルヘルミナは己の才覚に自信があった。


だが、彼女はマリアベルの様に立場を得られなかった。祖国は小さく、そして分断されている。国土は荒廃し、辛うじて立て直したが、それはマリアベルの思惑と重なった影響が大きい。


確かにヴィルヘルミナは恵まれた出自と立場だったが、身代を伸ばすには周辺諸勢力は強大に過ぎ、近代という常識は確定し過ぎていた。


国境も経済も資源も、既に変更の余地はなかった。


 ましてや皇国の対帝国戦役勃発とマリアベルの死で経済的支柱の圧し折られた南エスタンジアの経済発展には陰りが見え始めていた。三角貿易の一角が崩れた以上、それは当然の帰結である。


そうした中でのトウカによるエスタンジア併合要請である。


要求ではなく要請。


「愛人の友人への配慮は……あるとは思わないけど、酷く扱うとは思えないのだ」


しかも、併合内容としては穏健であり、寧ろ今後の経済発展に必要不可欠な各種支援が盛り込まれ、自治権は保障される。


総統が辺境伯に変わり、その選出方法はエスタンジアに一任され、それに合わせて北エスタンジアへの軍事侵攻も行われる。地方統一した上での自治権の付与。


 加えて最大の配慮として、一〇年毎の皇国からの離脱決議の許可が与えられるという。不満や問題があれば、一〇年毎に皇国という枠組みからの離脱が可能となる。


 実際、離脱決議に関する部分に関しては南エスタンジア国民を納得させる理由の一つとして利用せよという政略に過ぎないとヴィルヘルナは見ていた。


 立地的に見ても要衝であるが、人口と資源に限界のあるエスタンジア地方は単独で発展するにしても上限があり、皇国は……トウカは恐らくエスタンジアの南北国境のどちらをも領有する事を目論んでいるとヴィルヘルミナは読み取った。挟まれた形になるエスタンジアは海路でしか他国と接続できなくなるが、その海路にも有力な艦隊が待ち構えている。経済的にも政治的にも離脱は致命的な不利益としかなり得ない。


選択できない選択肢に他ならなかった。


国民が感情に任せて離脱を叫ぶなら、面倒は見切れないという迂遠な意思を叩き付けられたヴィルヘルミナは、トウカを相手に議論を長引かせて更なる譲歩を迫るべきという政府内の意見を封殺した。譲歩を迫るには危険過ぎる相手である。既に最大限の譲歩を見せていると判断したヴィルヘルミナは早々に併合に向けた同意を閣僚内から取り付ける動きに出る事を決めている。


意外であるが、併合に一番前向きなのは軍であった。


 ヴィルヘルミナを皇妃に、という案が出たのも軍からであり、その意気込みを理解できる。尤も、下士官や兵の間では我が国の可愛い総統を嫁に出せと言うのかという感情論が渦巻くと想定されているが、同時に皇国の一翼に加われば、北エスタンジアとの争いは早々に終わるとも理解できるはずであった。国境を面する帝国は一〇年単位で回復できない被害を受けて脅威度を大きく減じている。皇国軍の加わったエスタンジア地方を帝国軍が抜くのは現実的ではない。軍事的脅威は大きく低減される事となる。


日常に戦争が根差した時代は終焉を迎える事となる。


それは生まれた頃から戦時下である者が大部分を占める為、想像できない者が多いが、恐らく良い時代なのだろうという漠然とした期待が政府閣僚にもある。


 その期待さえ裏切られなければ、エスタンジアは大過なく皇国の一部となるだろうとヴィルヘルミナは見ていた。


「貴女ね……結婚生活の事を見落としているわよ……」


酷くうんざりした表情で応接椅子に腰かけたヨゼフィーネが嘆息する。度し難い馬鹿を見る目である。


「私の結婚生活なんてどうでもいいのだ!」


 僅かな期待と大きな不安の結婚生活にヴィルヘルミナは国益しか見ない。最初からそう考えていれば、結婚生活が辛いものであっても我慢、或いは耐えられるという自己暗示に等しい確信があった。


 気恥ずかしさもあって怒鳴るヴィルヘルミナに、ヨゼフィーネは可愛い生き物を見る目で諭す。


「馬鹿ね、寧ろそこよ。それが大部分よ」


 国家の安寧と繁栄よりもヴィルヘルミナの結婚生活に重きを置くヨゼフィーネ。


 服装と礼節が絶望的であったヴィルヘルミナを演出(コーディネート)して総統にまで押し上げたヨゼフィーネにとり、ヴィルヘルミナは神輿や旗頭に等しいが、それだけの関係ではなかった。歴史的に見ても極めて珍しい関係であり、ヴィルヘルミナも神輿としては非常に重量物であると言える。そして公私共に親密であり、端的に言えばヨゼフィーネは世話焼きお姉さんであった。


個人としては嬉しいが、御国の事を優先するべきでは?という表情を隠さないヴィルヘルミナにヨゼフィーネは天を仰ぐ。


「貴女ね、自分がどうやって総統に上り詰めたか忘れたの?」


根本的な部分を理解していない、とヨゼフィーネは詰め寄る。


 ヴィルヘルミナの総統就任の経緯は国内のみならず、国外から、歴史的に見ても異端であった。


 女優(アイドル)として売り出したのだ。


 明晰な頭脳と優れた美貌。


後者を台無しにする服装と礼節……私生活のヴィルヘルミナを更生して政戦を語る女優へと転身させたのだ。建国以来の名家であるグリムロイツ家でも意見が分かれたが、最終的には名家としてはどうなのか?と言われるヴィルヘルミナを更生させた実績を以て信任を得たヨゼフィーネは盛大にヴィルヘルミナを売り出した。


 歌わせて躍らせて演じさせた。


そして、序でに政治を語らせる。


 政治など序でで良い。


 注目を受け、好かれれば、その者が口にした意見に引き摺られる。


 ヒトという種の蒙昧という名の特徴を利用した手法であり、その点を批判する政敵も数多く存在したが、政治とは注目を受けなければ、耳を傾けられなければ無に等しい。注目を受け、その意見が相応な体裁を為していれば、自然と支持者(ファン)は増加する。


そして、政治主張だけでなく、女優としての支持があるならば少々の失敗や無理でも支持者は離れないという打算もあった。支持は複合的な理由である事が望ましい。


「政治的には正しいでしょう。でも、女優(アイドル)的にはどうかしら?」


 政治家と女優(アイドル)という二つの顔を持つヴィルヘルミナ。


 それは不可分である。


その利点を最大限に利用して政戦を推し進めて今の南エスタンジアがある。


しかし、それは一方の顔での失敗や困難がもう一方に波及するという危険性を孕む。


「貴女が手酷く扱われたと国民が知れば、併合なんて軽く吹き飛ぶわよ」


国民感情という視点から、ヨゼフィーネは結婚の危険性を指摘する。


無論、ヨゼフィーネもその点をトウカが全く理解していないとは考えていない。


 軍事は政治に隷属し、政治は経済に隷属すると口にしたトウカであるが、南エスタンジアは女優(アイドル)に軍事政治経済が隷属している点を真に理解しているかと問われれば、ヨゼフィーネには有り得ないと断言できた。


自らの演出によって生まれた特異な政治情勢をヨゼフィーネ自身も持て余している部分がある。


ここまで上手くいくとは当初は考えてもみなかった。


そして、その欠点をヨゼフィーネ自身も完全に理解しているとは言い難い。


「うーん、そう言われればそんな気もするのだ」


親衛隊が怒りそう、と端的な感想を口にするヴィルヘルミナに、ヨゼフィーネは危機意識が薄いと、その鼻を摘まんで激怒する。


「親衛隊が叛乱沙汰なんて、あの苛烈な天帝は認めないわ。どれだけ死体が積み上がると思ってるの?」


「それは確かに……そうなのだ」


漸く事態を理解したのか、ヴィルヘルミナは鼻頭を抑えつつも同意する。


そして、明晰な頭脳はその先を容易に導き出した。


「その場合、私の存在は危険だし、早々に孕ませてその子に爵位を与えて傀儡統治……私は病死なのだ」


 正統性のある後継者を擁立して間接統治する方向に切り替えるという事態は十分に予期し得た。無論、病死に関しては良い方で、何かしらの無残な悲劇を用意して政治謀略に利用するという可能性もあった。マリアベルの後継者であり、女性の扱いに疑義がある以上、有り得ないとはヴィルヘルミナにも言い切れない。


「……顔を合わせて為人を確かめるのだ」


「もう、提案してしまったのよ」


 トウカの為人がヴィルヘルミナを無体に扱う様なものだったとしても、提案として受諾されてしまえば、結婚は避け得ない。


 寧ろ、早々に子供を産ませ、その後にヴィルヘルミナを始末して間接統治をする前提として種諾される恐れもある。


 ヴィルヘルミナの提案は両国の架け橋や象徴として価値がある。


 だが、トウカが間接統治の利益が勝ると見れば、不運な死は速やかに用意される。


「エスタンジア地方は皇国と帝国の経路で、海にも面している要衝よ。貴女との信頼関係を構築する時間を惜しんで直接統治を前提とするのは有り得ない事ではないわ」


 ましてや相手は政戦両略の軍神である。


謀略は極めて無駄がなく異論を差し挟み難いものである事は容易に想像できた。


「輿入れした当日に散々犯された挙句、子供を産み落とした日に産後が思わしくなくて死んだなんてのが妥当なところね」


「それは……」


女としてこれ以上ない程の恥辱である。


ヴィルヘルミナはマリアベルの手紙の中にあるトウカの人物像を実際のものとして捉えていたが、政治面を見ればヨゼフィーネの言葉もまた正しい。


「軽挙妄動も甚だしいわ。政府内でも纏まっていなかった提案をするなんて」


 マリアベルの友人を早々に殺害するだろうかという疑念があったが、政治の為ならばないとは言い切れない人物がトウカである。


「どうするべきなのだ?」


提案した以上は容易に取り下げられない。関係悪化を招きかねなかった。


寧ろ、最大の問題はトウカにそうした選択肢がある事を認識させた可能性があると、ヴィルヘルミナは思い当たる。一度、拒絶しても再度、要求される可能性があり、その否定を理由に開戦の正当化という事態も在り得た。


「気に入られなさい。信頼されなさい。愛されなさい」


短期間でそれを為す自信がヴィルヘルミナにはなかったが、反目する事や興味を抱かれない事は死に繋がると明確に認識した。


ヨゼフィーネは、仕方ない子、と慈愛に満ちた表情で嘆息する。


「それが無理なら私が貴女を殺すわ」


その意味を察せぬ程にヴィルヘルミナも愚かではない。


自国の有力者による他殺を理由に辞退し、実際はヴィルヘルミナを隠居させる。その責任をヨゼフィーネは負う心算であった。有象無象による殺害では犯人追及の際に皇国が干渉する恐れがある。犯人は最初から最後まで明白である必要があり、相応の立場の者にある事が望ましい。憎むべき敵として討ち果たされる役目には相応の肩書が必要であり、それを仕立て上げるにしても、予想外の動きをされては事が露呈しかねなかった。


 それがヨゼフィーネの出した結論である。


国家指導者を殺害した有力者として代わりに死ぬとヨゼフィーネは宣言しているのだ。


「それは駄目なのだ! 私が自害……は無理だけど……」


 輿入れ前に自害した場合、それは皇国外交に多大な傷を負わせる事になる。


最善が見つからない。


ヴィルヘルミナは肩を落とす。


友人を犠牲にせねばならない。


しかし、一転してヨゼフィーネは明るい表情で声音を跳ね上げる。


「大丈夫。これは最悪の場合よ。若しかしたら、天帝は貴女を気に入るかも知れないし、形だけの併合で満足して貴女には指一本触れる心算もないかも知れない」


 実際、ヴィルヘルミナの謀殺自体に危険性(リスク)があると見て、より積極的な併合政策を執らない可能性もある。何処かで露呈、或いは扇動する者が居ればエスタンジア国民の敵意は皇国に向きかねない。


全ては推測なのだ。


同時に最悪の可能性を避ける努力を怠る訳にはいかない。


「つまるところは、愛される事が最上よ」


ヨゼフィーネの指摘に、ヴィルヘルミナは素直に頷く。


指摘は正しい。


 愛や信頼があれば、全てが丸く収まる。


ヨゼフィーネは自らの両手を合わせ、宣伝省大臣、或いは世話焼きお姉さんとして宣言する。





「だから、私はその努力をするわ、全力で、全財産を賭けて」





満面の笑み。


先程の悲壮な覚悟は既に行方不明だった。


「う、うむ、なのだ?」


些か不審な意気込み様にヴィルヘルミナは臆する。


「という訳で衣装合わせの時間よ!」


両手を広げ、朗々と宣言するヨゼフィーネ。


その言葉に合わせ、わらわらと入室してくる侍女達。衣裳箱や化粧箱を抱えている者や裁縫箱に照明など手にした者と様々である。忽ちに然して広くもない戦艦の一室が手狭になった。


 ヴィルヘルミナは執務机を叩いて立ち上がる。


「着飾って何の意味があるのだ!」


「可愛ければ何とでもなるものよ!」


壁を叩いて力説するヨゼフィーネ。そして戦艦の鋼鉄製の壁の痛みに唸る。


政治を可愛さで押し切った実績のあるヴィルヘルミナからすると、一理あると言わざるを得ない。可愛いは正義。正義は棍棒。棍棒は殴り付ける為にある。


「全国で巡業実況会(ライブ)をするのよ! それを記録結晶に録画して天帝に送り付けておけば、愛を独り占め間違いなし!」


政治的宣伝と国家精神啓蒙を司る立場の女性が、総統個人の宣伝と啓蒙を叫ぶ。


「国民の美少女総統が、天帝の花嫁になるのよ! 引退実況会(ライブ)は当然! 副題名(タイトル)は、ごめんなさい、もうみんなの私じゃなくなるの、よ!」


これはひどい。


国民への説明を実況会(ライブ)にするというのは、言い出しかねないとヴィルヘルミナも覚悟していたが、トウカに送り付けるとまで言い放つのは予想外であった。


「熱狂する国民の姿を見れば、安易な選択はできなくなるわ! 徹底的に盛り上げるのよ! 侍女達! やっておしまい!」


わらわらとヴィルヘルミナに侍女達が殺到する。


「止めるのだ! 御嫁に行けなくなるのだ!」


侍女の群れから手を伸ばして叫ぶヴィルヘルミナを、ヨゼフィーネは叱咤激励する。




「嫁に行くから盛大にするのよ! 最後は花嫁姿で歌わせるわ!」



 《南エスタンジア国家社会主義連邦》



 空前絶後の政治形態に至った国家として、星々を渡る時代にまで語り継がれる事になる国家の一幕であった。





自分で執筆しておいてアレなのですが、本当に何をしでかすか分からない陣営がエスタンジアです。


トウカ君が経済や政治に配慮して併合に望んでいる中で、現実では実に無様な併合の動きが出ていますね。リアリティがない? 現実を見ろという話ですかね。


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