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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》

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第三一七話    水雷兵装







「皇海並びに運河周辺に魚雷発射管を転用した攻撃設備を擬装して敷設する事になったんだよ」


エッフェンベルク海軍府長官の言葉に、海軍艦政本部兵器局第五課長を拝命するサクマ中佐は直立不動を以て応じる。


沿岸防衛を主軸に置く皇国海軍は、常に神州国海軍の軍備への対抗という形で戦力を整備していた。圧倒的な神州国海軍に対して艦隊戦による勝利を諦めて沿岸防衛を主軸に置くというのは費用対効果の面から見ても妥当なところである。少なくとも対抗可能な艦隊戦力を用意するよりも現実的で、何よりも安価に済む。皇国は大陸国家であり、軍事費の比重は陸軍がより多く占める以上、海軍に割かれる予算は海洋国家の神州国海軍には遠く及ばない。


 そうした中で注目される兵器がある。


 戦艦をも撃沈可能で、小型艦に搭載可能な兵器。


 魚雷。


 正式名称を魚型水雷。


 近年、生まれた兵器であり、信頼性という面では未だ疑問符が付くものの、将来は主力兵器の一翼を担うであろうそれは、ヴェルテンベルク領邦軍によって大きな成果を上げた。


酸素魚雷と呼称される桁外れの炸薬領と射程を誇る魚雷の配備を行っていたヴェルテンベルク領邦軍艦隊は、内戦中に皇国海軍の戦艦二隻を撃沈する大戦果を挙げている。内戦に於ける戦果であるが故に戦後の各種調査は徹底的に行われた。撃沈を避ける為、座礁した巡洋戦艦の存在もあり調査は容易であり厳密に行う事が可能で、結果として魚雷という兵器には多大な期待が寄せられる事になる。


 酸素魚雷が新型魚雷である事は明白であったが、内戦後の陸海軍と皇州同盟との連携の中で開示された設計資料は海軍艦政本部兵器局にとり衝撃の一言に尽きた。


性能は当然であるが、その価格が高級住宅一軒分に相当するという点は海軍主計本部から「狂っている」の一言を頂戴する程であった。


 そうした兵器を湯水の如く打ちっ放しで消費するヴェルテンベルク領邦軍艦隊の潤沢な予算に嫉妬を覚える艦政本部要員は多いが、そこには予算を持ちながらも人員の不足によって艦隊規模や予備人員を拡充できないヴェルテンベルク領邦軍艦隊独特の事情があった。


 狂信的な軍国主義体制と見えたヴェルテンベルク伯爵領であるが、実情は経済重視により軍役に就く人間は経済発展を阻む規模とはなり得ず、その中でも人員は陸軍に偏っていた。


 軍役中の人間は経済に寄与しない。


 労働とは違い資産を生み出さず消費ばかりをする。防衛上必要だが経済発展の上では重しに他ならない。そうした点を理解して領地運営をしていたマリアベルの感覚は卓越したものであるが、同時に人員不足を兵器の質や、予備艦艇、奇想兵器の建造で補おうとしていた点もまた同様である。これらは若き天帝が招聘される以前より取り組まれており、その成果は内戦で陸海軍相手に発揮される事となる。


 確かに過大な規模の火力戦で弾火薬は不足した。しかし、小銃や火砲、艦艇の不足は一切なかった。戦車に関しては打撃力の増強に腐心して旧式車輛まで動員されたが、兵器の大部分が不足しなかったという事実は、常日頃の軍事行政に怠りなき事を意味する。戦車や弾火薬も不足したが、それは予想を遥かに超える規模での運用が重なった結果である。備蓄と生産は戦車と弾火薬以外に於いては適性であった。その二つの不足も戦前からの戦略がトウカの到来によって転換された部分に負うところが大きい。


 人命の損失を弾火薬で代替できるなら採算は合う。トウカは人的資源の不利からそう割り切っていた。


 一部の兵器と弾薬の不足は、人員と物資の面で圧倒的格差がある一伯爵領が国軍を押し留め、一部では散々に打ち負かした事実を毀損するものではない。


 艦砲を陸上の火砲と共通規格とするなどの予算削減にも努めており、ヴェルテンベルク領邦軍の軍事力整備は艦政本部としても参考になる部分が多数あった。


 そうした経緯からサクマ中佐もヴェルテンベルク領邦軍の軍備は相応の調査をしていた。


「それは大量生産による単価の低下を意図したものでしょうか?」


サクマとしては、雷装の拡充は時代の潮流だと考えていた。


各艦艇や航空騎にまで搭載される時世となりつつある中、酸素魚雷を量産化して実戦配備しようという動きは既に展開している。


「それもあるが、これは天帝陛下の意向だね」


「陛下の……勅命という事ですか……」


 働き次第で立身出世もあれば、断頭台も在り得るが、後者はサクマの立場上、無視できる程度の可能性であった。


 サクマとしては魚雷増産に弾みが付くと喜ぶが、エッフェンベルクは力なく首を振る。容易な話ではない、と言葉を重ねた。


「平時の備蓄は最低でも三万本は用意したいとの事だよ」


「さ、三万本ですか?」


 航空騎や艦艇などへの搭載はある程度の共通規格となり、複数の規格が乱立する事がなくなり一本化される事が決定しているが、それでも三万本という備蓄は軍備拡大を見込んだものとしても過大な規模であった。


「貴官には伝えておくべきだろうね。私も巻き添え、もとい相談できる仲間が欲しい」


 酷く不穏な言葉を聞いたサクマは、魚雷一つで海軍府長官にそれ程までの台詞を口にさせる天帝が厳しい人物であるという噂は事実であったのだと確信する。


「沿岸部に設置できる魚雷発射管は艦載型を転用する事になる。製造工廠の拡張で対応できるだろう。魚雷も例外ではない」


 酸素魚雷を量産するべく生産工廠の新規建築が行われているが、その規模を拡大する事は可能である。しかし、三万本の備蓄という規模に関しては想定の六倍であり、それ程の拡充は想定していなかった。


「陛下は神州国海軍との海戦ともなれば、皇都を囮にして皇海へと誘引する事で撃滅なさろうとしている。その際、陸上から長射程の雷撃で一撃を加える事を想定されている」


「隠蔽した魚雷発射管と皇海の内海という特性を利用すれば不可能ではないでしょうが……」


 理屈は理解できる。


 だが、皇海はシュットガルト湖ではないにせよ最狭部は相応に狭く、艦隊行動に制限が付く為、神州国海軍も警戒する事は確実であった。誘因が成功するとはサクマには思えなかった。


 トウカは軍神と呼ぶに相応しい活躍をしているが、個人が軍事に関わる多くの方面で活躍するというのは、サクマには想像が付かなかった。トウカは傍目から見ても軍事に関する分野では隙がない。強いて言うなれば実戦経験という陸軍の野戦将校も存在したが、散々に戦車で追い掛け回された連中の言葉を素直に信じる程にサクマも素直ではない。畢竟、負け犬の遠吠えでしかない。


 軍事という分野は、更に細分化された専門分野の総体である。


サクマとて艦載兵器については良く理解しているが、陸軍兵器などは門外漢である。海軍であっても兵站や艦隊運用などは表面を知る程度でしかない。


 陸海の大軍を指揮し、兵站の効率化を図り、兵器開発を主導し、戦略や戦術を更新する。


 大まかに分けるとトウカの軍事的活躍とはその4つに分類されるが、これすらも本来は各分野の先駆者が複数集まって為される類のものである。


「海面下の出来事にも詳しいという事ですか……」


「そうだね。海面下の諸問題を踏まえた判断だと聞いている」


 サクマの問い掛けにエッフェンベルクは苦笑する。


 十分であった。サクマはその意図するところを十分に察した。


潜水艦の増強に当たり、酸素魚雷の単価を下げつつ、同時に魚雷の生産数拡充の必要性が生じた。価格高騰と不足を避ける為の魚雷の共通化であり、或いは魚雷の大量備蓄への不信感を抑える擬装としての陸上型魚雷発射管の配備があるとサクマは考えた。


 ――だが、陸上型の魚雷発射管の大規模な運用も予定しているという……擬装ではあるは利用もするということか?


 一世一代の大仕事である。


 しかし、魚雷という兵器。未だ機械的信頼性は乏しい部分がある。


 ヴェルテンベルク領邦軍は高価格化を覚悟した精密な生産で押し切ったが、国軍が大規模に運用する兵器である以上、そうした無理は押し通せない。生産施設の建設は進んでいるが、魚雷の設計見直しもまた終えていなかった。


皇国海軍は推進機関に魔術的な動力を用いた魔導式魚雷を使用していた。これは信頼性が高い代償に射程が短く雷速が遅い。加えて、かなりの容積が必要となり炸薬量を圧迫した。魔術的に探知され易いという欠点もある。


 対するヴェルテンベルク領邦軍の酸素魚雷は、長射程で雷速が早く、航跡を残さず、魔術的な推進機関ではない為に探知し難い。加えて炸薬量は多く、大型巡洋艦を一発の命中弾で大破させる事が可能である。その代償は価格と生産方法の複雑さにある。加えて維持管理にも慎重を要した。


 性能では後者であるが、安定性と価格では前者となる。


 現在の皇国海軍は後者を選択した。


 ただ、同時に単価の切り下げと安定性の向上も求めた。


 無理を言う、というのがサクマの心情であった。


 しかし、魚雷の容積には未だ余裕があった。


 天帝たるトウカが射程面での妥協は当然と見ている為である。


 将来的には誘導装置の導入で高い命中率をする予定だが、現状の命中率は平均すると3%に満たない。これは水雷戦隊による決戦距離からの雷撃での命中率であり、当然であるが雷撃距離が増大すればする程に命中率は低下する。偶然を前提とした雷撃の為に長射程を維持する必要はないというのが天帝の判断であったが、サクマもこれには同意できた。


 長距離雷撃の命中は、命中率を論じる以前に偶然や幸運の類であるとサクマは考えていた。現場もそうした考えに至り、射程よりも高威力で機械的安定性のある魚雷を決戦距離、或いはそれより肉薄した距離で使用する事を最後には求めるだろうという予測がある。一撃必殺を命中率の低い距離から試みる程に皇国海軍は保守的ではない。


最善を尽くすべく、軍人は戦場で無理を通す。


水雷戦での接近はその最たるものである。


皇国海軍が使用する現行魚雷ですら射程の不満が出た事はない。元より低い命中率を補う為、かなりの距離を詰める事になる点を当然視している為である。長射程や雷速が今以上に求められるのは、命中率が劇的に向上して以降の話だろうとサクマは見ていた。


 同時に、標的との距離が離れる程に困難となる事もサクマは理解していた。魚雷は砲弾や航空騎程の速度はなく、距離があれば到達時間までに目標の位置は変化する。それを追尾できる程の速度を魚雷に齎す事は現実的ではない。ましてや、敵が予想位置より離れても尚、追尾しようと言うのであれば、それは魚雷自体に高度な索敵(センシング)機能まで付与しなければならない事を意味する。


乗り越えるべき技術的課題が山積しており、当面は射程を犠牲にしても酸素魚雷を高威力化させるという方針は合理的であった。


 ――恐らくは、シュットガルト運河海戦や南大星洋海戦での戦訓を見ての判断だろう。


妥当な判断と言える。


同時に酸素魚雷採用の最大の理由は雷跡の目視が困難であるというともサクマは推測していた。


潜水艦という隠密性を武器とする兵器に、使用が容易に目視できる兵器の搭載を忌避するというのは当然の判断である。


純粋酸素を燃料の一つとする事で保管と製造での難易度が上昇し、製造単価も上昇する酸素魚雷を尚も搭載するのは偏にその低視認性がある。発見が遅れれば回避運動も遅れる。結果として目標は対処時間を喪い、それは命中率の向上という結果に繋がった。


酸素魚雷ほど潜水艦での運用に適した魚雷はない。


 その大量生産による低価格化の為、他の兵器で使用する魚雷との共通化を可能な限り図ろうというのは納得できる話であった。


無論、その規模にサクマとしては閉口せざるを得ないが。


「それ程の数の潜水艦を運用するという事ですか……」


 相応の単価低下を見込める規模となれば、数百隻単位の潜水艦の建造が予定されているという事になる。重量問題があるものの航空魚雷との共用という話も出ており、それを勘案した場合、潜水艦隊の規模は空前のものとなることが推測できた。そうした規模の潜水艦隊が大星洋、或いはその先の海中を遊弋する事になれば、諸外国の商用航路を容易く干上がらせる事が可能になる。


「貴官も潜水艦に関わる武器を製造するのだ。言っておいた方が良いだろう」


 天帝に関わる機密に触れる事は興味と同等の恐怖を齎すが、組織の最上位者からの言葉を遮る術をサクマは持たない。


「将来的には潜水艦と、その母艦やそれを護衛する軽空母と重巡主体の護衛艦隊を皇州同盟軍艦隊として保有するそうだ」


主力艦隊の整備を海軍に集中し、皇州同盟軍は潜水艦とそれを効率的に運用する為の補助艦艇の整備に邁進する。聞こえはいいが、海軍に潜水艦の運用を任せる事を避けたとも取れた。天帝が潜水艦をそれ程に重要視、或いは有力な兵器だと見ている事はサクマにとって衝撃である。戦艦や航空母艦を手放しても潜水艦を手放さないという事実は大きい。


既存の海洋戦略への挑戦である。


 若き天帝は新たな海洋戦略の先駆者となるだろう。成功した場合は、という前置きが付くが。


「潜水艦の母艦……いや、しかし海軍に潜水艦を運用させないというのは……」


 潜水艦の母艦、航空騎を運用する航空母艦の名称に倣うならば、潜水母艦とでも言うべき新兵器の存在とその護衛艦隊に、サクマはトウカの脳裏には既に潜水艦を単独の兵器と見做すのではなく、海洋戦略の一つに組み込まれているのだろうと確信する。


 そして、その運用を海軍に一任しない事に北部の排他性を見た。


「誤解しないで欲しい。私も潜水艦隊の運用を皇州同盟軍に一任する事に同意した。潜水艦隊を明確に隷下に置くのは陛下の御覚悟に依るところだよ」


サクマの不安を見て取ったエッフェンベルクの言葉。


その表情には影がある。


運用に対する覚悟という言葉の意味をサクマは理解できなかった。


「潜水艦は既存の軍艦とは性質が違うからね」


 使用方法に関する性質を見れば正にその通りであるが、エッフェンベルクの言葉がそれを意味しない事は表情から読み取れた。


「潜水艦の性質を鑑みれば主目標は敵の商用航路を航行する輸送船となるが、それらは無警告で撃沈する事が妥当だろう」


 基本的に通商破壊では、敵国の輸送船は停船要求による拿捕を経て乗員を自艦に移乗させてから撃沈する事が通例である。従わなかった船舶だけが乗員諸共に撃沈された。


「当然だ。隠密性こそが主武装の潜水艦が停戦要求や拿捕の為に水面に姿を見せては意味がない。基本的には無警告での撃沈を主流とせざるを得ないだろう」


「しかし、それは……」


停船要求によって臨検しないならば、本当に敵国の輸送船なのかの確認や、軍需物資などを輸送しているのかという確認ができない事になる。そもそも視界が常に良いとは言い難い海上で水面下から敵国の軍事に関わる船であるかという確認は現実的ではなかった。


第三国との軋轢、そして無差別攻撃に準ずるものと他国は見るに違いなかった。


敵国の軍人だけを相手にする為に労力を払ってきた海軍の方針とは一線を画する事になる。


「陛下は海軍が責めを負う事を望んでおられない。そして、そうした振る舞いを為す事に抵抗するとも御考えである」


 エッフェンベルクの暗い表情は、海軍が若き天帝の海洋戦略に追従できないという屈辱か、或いは若き天帝に海上の問題までをも押し付ける事への悔恨か。サクマには判断しかねた。


「陛下は海上でも戦争への覚悟を御示しになられた、ということですか」


陸上では、敵国の銃後など認めないと戦略爆撃を展開して敵国民を積極的に松明とした。無差別な通商破壊ともなれば敵国民も巻き込まれる事は疑いなく、それは海上でも例外ではないという決意。


 戦略爆撃騎部隊自体も皇州同盟軍の管轄であり続けている為、敵国民に対する攻撃の責任の所在は明白であった。


「正直に言えば、思うところはあるが……軍事行動の責任を曖昧にしないという断固たる決意を組織編制で示されてはね、僕としてもね……」


 部下が虐殺者の汚名を背負う事を避け得る事に対する安堵と、そうした非情の策を自らの命令で発令せずに済むという幸運に対する悔恨がそこにはある。


サクマは言葉を発さない。


 軍を統率するという重責を知らぬが故であるが、同時にトウカが想像を絶する程に勝利を渇望していると理解したからである。禁忌を恐れず、常道を足蹴にする姿勢はただ勝利を最短で求めるが故であった。


 その必要性があると、トウカは見ている。


帝国海軍であれば南大星洋海戦の結果を見ても分る通り、十分に勝利する事は可能であるが、皇国海軍最大の仮想敵は神州国海軍である。


 戦力比は約一〇倍。


現状で皇国海軍は神州国海軍に対して勝利など求められる筈もなく、その存在理由は平時の商用航路の保全。そして、神州国との戦争時は陸上での迎撃準備期間を捻出する為の遅滞防御……全滅するまで抗戦を続ける為にこそあった。帝国海軍との艦隊決戦は余禄に過ぎない。


「国軍に対する配慮、ということでしょうか?」


 それ以外にない。


それ以外の言葉を口にしては、トウカの陸海軍に対する"好意”に泥を塗る結果となりかねなかった。予算を増大させ、軍事技術を与え、戦闘教義を教えた。歴代天帝の中でも最も軍事力に理解のある天帝であるとの評価も既に朝野からは上がっている。軍への理解ではなく、軍事カへの理解という表現が成されるところに妙味があるとサクマは感心した記憶があった。


軍事力行使の際に無駄を省く為に法律や憲法を改定し、非常時の備蓄や組織編制に至るまで……皇国を戦える国とすべく各府に関連部署が編制され、国内各地で未だ変化は続いている。


ただ、軍事力を整備するというだけでなく、それを最大効率で行使する為の準備も怠らない。周辺諸国から見れば、尋常ならざる脅威と見られている事は疑いなかった。


「配慮、と取るしかない。実際、抵抗を示しそうな将官に心当たりがないでもないからね」


皇国近代史を紐解けば、軍事衝突の大部分は陸上で起きており、海軍の活躍する機会というのは僅かでしかなかった。それは大星洋の平穏を意味するが、同時に兵器や思想を発展させる為の戦訓を得られなった事を意味する。大凡は観戦武官の派遣や他国軍との交流の中で得られない各種技術であるが、最も得られないものは軍人達の間で共有される意識それ自体であった。


 未だに皇国海軍には騎士道精神などという建前を信じて疑わない者達が少なくない。


 サクマとしては戦争とは兵器の質と数、それを運用する国力の問題であり、国際世論がそれなりに納得する名分を用意したならは、後は些事であると考えていた。


 そこに騎士道の介在する余地はない。


必要なのは正義を声高に喧伝する為の政府機関である。例え、そこに正義がなくとも正義を言い募って見せる必要性は、若き天帝が内戦と対帝国戦役が示した。


 正義の内容や根拠など、どれでもよい。最悪、なくとも良い。



 正義は作り出せるのだから。



 サクマはトウカのそうした姿勢に、正義を作り、宣伝する事も戦争の一部なのだと得心した。


後になり考えれば当然の話で、国民を軍人とし戦地に足を向かせるには相応の大義名分が必要で、国民の戦争への協力は軍需物資の生産と国内の治安維持に関わる。


 ――帝国に憎悪を誘導したのは見事だった。


 サクマは若き天帝の手腕を称賛する。


不安と不満、憎悪の矛先を示すことで、己への非難を逸らし、寧ろ同意と支持を取り付けた。力自慢の戦争屋は忽ちに護国の軍神と転じる。


帝国軍による占領地での暴虐を画像付きで示し、彼らの国是という名の建前でしかなかった他種族の殲滅を国民が信じざるを得なくした。


 言葉の通じない相手である。なれば殺される前に殺すしかない。


 簡単な理論である。


 単純明快で、学のない者にも分かり易い理屈。


帝国側の皇国との外交を閉ざすという姿勢や戦時条約を顧みない姿勢に問題がある事は確かだが、敵国がそれを利用して堂々と皆殺しにしてくれる、と盛大に殴り返してくる事は帝国も予想していなかったに違いない。


トウカは、その間に各分野での成果を”演出”し、天帝の立場を盤石なものとする。そして成果を携えて帝国を殴り付けるだろう事は疑いない、


 帝国は矛先を納められずにいる。


 しかし、互いに憎悪を滾らせ続けるのだ。


何処かで衝突は起きる。


状況次第では、トウカが国内問題から目を逸らす為に軍事行動を陸海軍に要求する可能性とてあった。サクマとしては国内に矛先を向けるよりは救いがあると思うが、その為に引き際の難しい対外戦争を行う綱渡りを憂えてもいた。


殴るなら、起き上がれぬまで殴り、倒し切るならば早いに越したことはない。


 ――それなのに天帝陛下は海軍にも予算を与えてくださる。


 帝国との戦争の主役は陸軍である。


余裕と見るか傲慢と見るか。


これは海軍内でも判断が分かれる。


政治的に見て海軍を味方に付ける為の予算であると見ている者も居れば、海軍軍備は短期間で整備できないので早々に予算を投じ始めるのは合理的と見る者も居る。同時に、帝国と神州国を同時に相手取る事が可能と見ていると言う者も居れば、両国共に敵対的である以上、陸海軍の戦力はどちらも整備せざるを得ないと悲観的に見る者も居た。


サクマは戦略爆撃と装甲師団という敵国の首都を直撃し得るだけの手段を得た中では、少々の陸上戦力差に頓着する必要はないとトウカが割り切っていると考えていた。


実際のところ、答えを知るのは天帝のみである。或いは枢密院も知るところであるかも知れない。


ただ、馬鹿げた、という表現すら烏滸がましい程に莫大な海軍予算が計上されている事は周知の事実。


「心苦しいなどと思う必要はないよ。天帝陛下ほど国防に決意を以て当たられている方はいない。その上、莫大な資産もお持ちでもある」


茶化す様なエッフェンベルクの指摘に、サクマも苦笑する。


トウカは対帝国戦役時に株価が大暴落した際、北部のあらゆる資産を担保に資金を捻出して軍事関連企業や北部企業の株価を買い漁った。


 それは北部を奪還したところで急反発し、帝都空襲によって青天井となる。その上、北部の軍事的安全を天帝として保証すると強大な航空艦隊を複数配備した事で北部は皇国内で最も安全な地域となった。


 加えて、予想される帝国侵攻では後背地となる事は明白で、元々が資源地帯としてシュットガルト湖周辺に企業が点在している事もある。


それらと北部各地の資源、人材を結ぶ鉄道網の整備も始まっており、北部発展は誰の目にも明らかであった。


 そうした中で、北部の主要企業の株価の半数近くを握り締める皇州同盟……トウカは、極短期間で皇国有数の資産家となった。


しかも、それを適宜売り払いつつ、その資産を北部の開拓や新規事業、交通網整備に投じている光景は、若き天帝の支持基盤が何処の地域であるかを知らしめる事になった。


最近のトウカは殊更に北部発展へ言及し、波に乗り遅れるなとばかりに資産家達を駆り立てて投資に走らせている。


指導者が保証する発展。


 それは絶大な安心感と安全性を齎す。


戦争に敗北して灰燼と帰さない限りは。


「その資産も御立場を利用したものであります故、些か後ろめたいものが御座います」


トウカは自らの立場上、勝利を確信していたが故に、大暴落の中で株価を買い漁った。無論、勝利まで漕ぎ付けた最高指揮官の執念という部分もあり、トウカでなければ短期間での敵野戦軍撃滅は困難であったと参謀本部や軍令部は見ている。


自らの手腕に賭したのだ。


軍閥や国家だけでなく、全ての資産、或いはあると見せかけた資産まで。


それは何ら批難される事ではない。


敗戦で全てを喪う可能性すらあったのだかから。


 寧ろ、その膨れ上がった資産を各種事業への投資や交通網の整備に充てており、その影響は労働者の不足となって表面化している。


失業者数に悩んだ話は過去のものとなり、今では労働者を取り合う動きによって賃金が上昇に転じていた。その労働者確保という面から部族連邦侵攻に及んだという噂もある。

 

 トウカは賭けに勝利した。


「少々、雑な予算申請でも咎められる事はあるまいよ。規模を増やし、計画を前倒しにするのだ」


「予算があれども人員は捻出できないでしょう。今はどこも人手不足ですよ。特に産業分野は労働者の取り合いです」


各分野への投資は、当然ながら目的があって行われた。


その目的の為、必要な物品を生産する為、各分野では設備投資や労働者の確保が爆発的な規模で行われた。その結果、労働者は不足し、より良い条件の民間企業に流れていく傾向にある。危険で給料でも劣る兵器生産に従事する事を求める者は一年前と違い大きく減少していた。


 国家全体での労働条件の急激な好転は兵器生産に試練を齎している。


「労働条件を吊り上げるしかあるまい。その許可は出そう」


「それは有難いですが……給金の差額で兵器生産の優先度や重要度が外部に露呈する事にはならないでしょうか?」


 労働条件を隠蔽して労働者を募る事はできない。当然ながら労働条件を世間に提示する事になるが、他の兵器生産よりも手厚い労働条件ともなれば、兵器として海軍が何を重視している事を晒すようなものである。それを許容できるかという問題があった。


「いや、そうか。そうだな。貴官の言う事は尤もか。……しかし、己むを得まい」


 現状の兵器生産は、ほぼ全ての兵器の生産数の底上げが行われている状況であり、生産目標さえ露呈しないならば致命的ではないとエッフエンベルクは指摘する。


 トウカへ指示を仰がなくていいのかという疑問をサクマは抱いたが、エッフェンベルクがそれを気付かぬはずがないと言葉を飲み込む。進んで顰蹙を買う内容を持ち掛ける必要は乏しい。御説明に上がるので帯同せよ、と巻き込まれる事をサクマは危惧してもいた。


「……しかし、噴進魚雷の開発に否定的なのは想定外でした」


「それでも予算は認められた。結果を出せば実戦配備も認められるだろう」


話題を変える意味と、探りを入れる意味を含め、サクマは艦政本部が並々ならぬ興味を示していたもう一つの新型魚雷の名を口にする。



噴進魚雷。



魚雷の先端部から微細な気泡を放出して魚雷全体を空気膜で覆い、火薬式の噴進(ロケット)推進を以て水中を進むという歴史上、類を見ない魚雷であった。試算では酸素魚雷の5倍近い速力を有し、既存の水上艦の速力を凌駕する性能を備えている。空気を放出しながら進む為に雷跡が明白であるが、着弾までの時間が圧縮される為に回避が困難であると見られていた。


酸素魚雷とは対極に位置する兵器である様にも見られているが、実情としてはヴェルテンベルク領邦軍の酸素魚雷よりも開発開始時期は先であった。対抗による産物ではない。


「潜水艦での使用を踏まえれば、発射位置の露呈は生存率に関わるだろう。運用側も難色を示すのは明白だ」


 敵艦を撃沈しても相手が独行艦でなければ戦隊や艦隊を編制している為、残存艦からの反撃を受ける事を前提とせざるを得ない。機関停止し、沈降する事で発見を避ける事が基本だが、発射位置が余りにも明白である場合、それも困難であった。


 撃沈しても撃沈されては意味がない。


一方的に近い商船狩りこそが潜水艦の本分であると、トウカは指摘している。


エッフェンベルクやサクマを始めとする海軍側将校……用兵側も開発側もその言葉を否定する事も変更を迫る事もできない。それはトウカが指導者という立場にあるという政治的な問題からではなく、前提として潜水艦という兵器の開発と運用の行き着く先がトウカの脳裏にしかない事が原因であった。


概要は海軍側にも書類として齎された。


しかし、トウカは明らかに運用実績や試行錯誤を踏まえた結果を理解している。


この世界では未だ実戦運用の機会すら与えられていない潜水艦に対し、明らかに敵味方含めた数百隻単位の戦没艦という犠牲から築き上げられた運用方法と開発方針を志向している。海軍側も空母航空戦や潜水艦戦という未だ見ぬ戦闘方式を通し、トウカの来歴を朧気に察しつつあった。


 ――成程、強いはずだ。技術が遥かに進んだ国家の戦争を知っている。


無論、元よりトウカの価値が毀損されている訳ではない。


寧ろ、年若いトウカに広範の政戦に傾倒した知識を詰め込み、軍閥を統率できるだけの才覚を与えた国家像を、サクマは全く想像できなかった。そして、同時に子供にそうしたものを求める国家が真っ当であるようにも思えなかった。それに応え得る能力を持つトウカが存在した事まで踏まえると戦闘国家という表現以外は思い至らない。


「しかし、噴進弾には好意的な様に見受けられます」


サクマの指摘は、トウカの各種噴進弾開発への予算規模を踏まえたものである。


実は内戦中には、試験名目で放たれたと思しき巨大な噴進弾がシュットガルト運河の大星洋側の出入り口……ベルネット海峡近海を遊弋していた艦隊付近に着弾している。艦隊を狙ったものではないとされており、それは事実として誘導機能はなかった。艦隊付近への着弾は遊弋航路を特定されていたが故のものであるが、それは静止目標が相手であればある程度の距離に着弾させ得る事を意味する。


「航空騎並みの射程を有し、相応の命中率を備えたならば、龍種も首筋が寒いだろうね」


 射程に関しては、無理であったとしても航空騎が翼下へ懸吊し、ある程度の距離まで噴進弾を航空輸送し、空中発射したならば延伸は可能である。


「中々、難しいですが、将来的には在り得るかと」


 加えて母騎である航空時は安全に帰還する事ができた。


事実、海軍航空隊にはそうした案が存在する。


「まずは陛下が目指される近代軍を知ることが肝要でしょう」


 しかし、軍事は政治に密接に関連する。


 軍事力の整備が既存の政治勢力にとり不都合と成り得る余地があるならば、隠蔽の為に全体像が不明確になるのではないかとサクマは考えていた。露骨に公表して諸勢力の危機感を煽る必要性のある場面とはそうあるものではない。潜水艦隊の整備もそうした部分があり、海軍に通達されている情報は断片的である。


 軍事は政治に従属する。


 しかし、軍事が政治に対する配慮にも様々な形があった。

 






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