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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第一章    戦乱の大地    《紫電清霜》

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第二八話    指名手配の仔狐



「で、トウカ殿。御主(おぬし)の刃は、何故に某を斬れた」


「所詮は魔力も粒子です。ならば、刃先が単分子の厚みしかない軍刀に斬れない道理はないので……と、言ったところで分からないでしょう。まぁ、詰まるところ、魔力は小さな芥子粒で、それによって魔導防御は構成されている訳です。ですが、刃先が粒子より遙かに小さい面積という特性を持つ俺の軍刀は、魔力の芥子粒の間を斬り分ける様にして斬れたという事でしょう……恐らく」


 それは、魔導甲冑を斬り裂いた事を顧みれば推察できる。突破力として装虎兵と共に戦車の上位に位置する魔導甲冑の装甲と、重厚な魔導防禦術式を斬り裂いた事実はこれを証明している。魔導障壁は、金属の様に強固な原子結合をしている訳ではないので物質的強度があるわけではなく、軍刀が刃の半ばまでめり込んで止まるなどと言う事もない。


 無論、刃先は単分子の厚み以下であれども、金属を斬り分けて裂く以上、刀身部の厚みが限界を決めるはずであるが、トウカの両手は金属を斬る感覚を感じなかった。刀身部に摩擦係数を低減させる工夫がと見て相違ない。


 トウカは魔力について一つの仮説を立てていた。


 魔力とは、何らかの理由で世界の理へと組み込まれた人為的な現象ではないのか、と。


 或いは実在すると言われている神も、太古の超科学の残照という可能性がある。人間種以外のあらゆる種族もそれに準ずる存在である可能性は、トウカが有する一振りの刃を以てして限定的ながらも肯定された。


「御主の言はよう分からんで御座るが……その刃は魔導障壁を斬り裂くと?」


 トウカは黙って頷く。


 二人は掘り炬燵(こたつ)で寛いでおり、とても血を流し合ったとは思えないほどに友好的であった。条件付きとはいえ、ミユキを護るという一点に於いて二人の目的は共通している。敵対する事は不利益しか生み出さない。


 湯呑を片手に、面白いと言うベルセリカの視線は、トウカの背後に注がれている。


「そろそろ、放してくれるか、ミユキ」


 自身の胴体に抱き付いているミユキにトウカは溜息を吐く。


 ベルセリカとの戦闘が終結した後、トウカはミユキの猛攻を受けてしまう。既に一日が経過していたが、片時も離れないミユキにトウカは辟易としていた。無論、最初は心配しているのだと内心で気恥ずかしい思いを抱いていたが、同じ布団に入って、風呂や食事の最中でさえも離れてくれないのは流石に堪えた。


「主様の怪我は、まだ完全に治ってないんですから看病しないといけません! 目を離すと直ぐに無茶しちゃうんですから!」


 怒っていますと言わんばかりに狐耳と尻尾を逆立て、頬を膨らませるその姿は正に小動物。トウカは、その頭を撫でながら苦笑する。それは、無理に引き離そうとすれば昨晩の様に泣かれるという懸念よりも、可愛すぎて引き離す気になれないと考えている自分に対してであった。


「いいのか? ミユキ。そんな可愛い事を言っていると俺も離さないぞ?」


 ミユキを自らの太腿に座らせて、トウカは尻尾を手入れする。


 傷が治り切っていない左手が少々動き辛いが、神経まで切断されている程に深かった傷を高位の治癒魔術を以て一晩である程度まで直して見せたミユキの事を思えば口には出せない。ベルセリカ曰く、ミユキは治癒魔術だけでも、軍の衛生魔導士(白魔導士)に匹敵するとの事で、トウカは魔導の深淵を垣間見た気がした。


 太腿に座るミユキを背後から抱き締めて、狐耳を甘噛みする。ミユキは狐耳や尻尾が弱いと手入れの際の感覚で理解していた。


 くすぐったそうにしているミユキ。叶うならこのまま押し倒してしまいたい。


「御主ら……せめて部屋に帰ってからにせよ」


「もぅ、御師様……………………見せつけてるんです」


 トウカの腕に抱き付いて、あげませんよと威嚇するミユキ。ベルセリカの暴挙を忘れてはいないのだ。トウカには小言一つで済んだものの、それが逆に怖かった。次はないと見るべきだろうと、トウカは冷や汗を流す。


「それを決めるのはトウカ殿であろうに……あまり縛り付けては可哀想ではないか?」


 同感だと言いたかったが、それは口が裂けても言えない。言ってしまうときっと泣かれるという自信があった。否、寧ろ尻尾で絞殺されるならば本望であり本懐でもある。矛盾した想いに、トウカは曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。


「まぁ、某も小娘呼ばわりされたで御座るしなぁ……いっそ小娘の様に振る舞ってみようかのぅ」


「御冗談を……その辺りの無礼は忘却していただけると有り難いのですが」


 トウカの口調や発言については、ベルセリカは咎める事をしなかった。だが、こうして小さな反撃の口実として利用しているところを見るに、根には持っているのだろうと想像できる。こればかりは、トウカとしても謝罪するしかない。


 トウカは、感情が高揚した際の言葉を、自身の言葉として故意に捉えていない。


 感情の発露を武人としての恥と考える以上に、他者に感情を知られる事を避けたいと考えていた。それは真意を隠す為であり、隙を見せない為でもあるが、その例外としてミユキが存在するという点は大きく矛盾している。


 ベルセリカが、トウカを“難儀な男”と評した理由もその辺りに起因した。


「思い出したくもないか? 若い、若いぞトウカ殿。某を常日頃より小娘の様に扱う傑物にならん限り、大人物にはなれぬ。戦っていた時のトウカ殿は可能性を感じさせたぞ」


 楽しそうに笑うベルセリカ。言葉は勇ましいのだが、寒そうに背中を丸めている姿は、寒さに震える犬のように見えて微笑ましい。無論、口にも表情にも出さないが。


 そして、その言葉を否定する事はできない。


「少々の理不尽、押し通して見せい」


 種族間の一層の平等というベルセリカの悲願を叶えるに足る男になるには、それくらいの事はやってのけねばならないだろう。この時期にその様な言葉を投げ掛けるという事は、自身が試されていると見て間違いないと、トウカは眉を顰める。無論、随分と大きな対価であるが、ミユキの未来に有益でもある以上、それに全力を尽くす事は吝かではない。


「盟約を以てして、トウカ殿――いや、御館様は剣聖の主となられた」


 剣聖は、常日頃から異邦人を試し続けるだろう。そして、悲願を遂げるに値しない男だと判断すれば、容赦なく切り捨てるだろう。或いは斬り捨てる。


「ならば端女の如く扱いましょうか?」


 トウカは、眠りに落ちたミユキの頭を撫でながら、穏やかに告げる。


 だがその内容は苛烈無比なものであった。


 ベルセリカの心も身体も……尊厳も未来も過去も……総てをトウカが自由にできる権利を有する。剣聖を、或いはベルセリカという名の麗しき女性を、自身にとって都合の良い女として扱えるその誘惑は、手段を増やす上でも、己の欲を満たす上でも、この上なく甘美なものであった。それ程に男として、明日をも斬り開こうとする者にとって、その提案は抗い難い魅力を秘めている。太腿の上でトウカに頭を撫でられているミユキが眠りに就いたからこその言葉であった。


「……御館様が望まれるならば」


 短い返答。


 だが、その意味は極めて重い。あの時、トウカが不器用なりに見せた覚悟の片鱗に対する返答でもあるのかも知れない。だが、ベルセリカという騎士は言を翻さない。間違いなく、ベルセリカという名の“武”と“華”はトウカにとっての都合の良い道具足らんとするに違いなかった。


「盟約で貴女にそれ程まで要求した記憶はありません。もし、それでも対価の上乗せを希求するならば、俺は貴女の尊厳までを未来を切り開く為の手札としなければならなくなる」


 それは、在ってはならない事だ。


 ミユキは幸いにして掘り炬燵に入った為か、ミユキは舟を全力で漕いでいるので、会話を聞いてはない。


「手札が少ないのは事実。ですが、貴女にはミユキを護り、支える者であって欲しい」


 手段を選ぶ心算はなかったが、ベルセリカの処遇にミユキの未来が大きく関わっている以上、ベルセリカに必要以上の不遇を強いる訳にはいかない。だからこそ、この場でベルセリカの提案を蹴らねばならないが、それはベルセリカの失望を誘う可能性も少なからず介在した。


 故に卑しく嗤う。


「誇り高き貴女は、戦奴隷の如く戦に狂えないでしょう」

「否。御館様の恩為ならば」

「麗しき貴女は、性奴隷の如く男を褥へと誘えないでしょう」

「否。御館様の恩為ならば」

「騎士足る貴女は、詐欺師の如く媚び諂えないでしょう」

「否。御館様の恩為ならば」


 トウカの言葉の全てを否定して見せたベルセリカの表情は、透徹した覚悟を宿していた。


 安易に肯定することも、否定することもできないこの現状。トウカはこの時、ベルセリカという名の“剣聖”にして“華”を扱う事の難しさを理解する。無数の知識を吸収して、それ相応の経験を認識した心算であったが、実体験としての経験を得た者を相手にするには分が悪く、トウカは有効に切り返えすだけの言葉を持たない。


「……貴女は卑怯な人だ」


「否。御館様ほどでは」


 二人は苦笑を漏らす。


 ベルセリカは覚悟を示し、トウカは妥協する。詰まるところ、必要な場面に迫られた場合、ベルセリカという手札が還ってこないと分かっていたとしても切る事を承諾させられたのだ。ベルセリカという手札は“武”という面に於いては無双と称しても差し支えない程の手札であるが、それ故に新たな火種と事象を巻き起こす可能性を秘めている。ベルセリカを手札として加える事は、その過去や因縁に縛られるという事に他ならない。


「全く……貴女はどうも必死の挺身を望んでいる様に見える」


「そうではない。ただ、御館様ならば、悲願を叶えてくれると思うからこそ」


「なればこそ、見届ける為に生きねばならないはずです……やはり」


 トウカには心当たりがあった。


 皇国の歴史上の人物を顧みれば、消息不明となって歴史の表舞台から消え去った者が他国と比して余りにも多く、気になったトウカはベルゲンの図書館で可能な限り情報を集めていた。結果としては、その全てが長命種であるという一点を除いて、関連性も統一性もみられなかったが、トウカはベルセリカを見て大凡(おおよそ)の理由を察するに至る。


 生に倦む。その一言に尽きる。


 多くを経験し、幾多の困難を乗り越えて生物は生命を紡ぐ。だが、余りにも永い生は、それらに対する関心と積極性を鈍化させ、全ての事象に対しての執着を無くしてしまう。


 究極的には、己の生命にすら執着しなくなる。己に悲願が在れども、自ら動こうとしていた気配がない事からもその片鱗は窺える。


 余りにも長い生だからこそ肉体の死より先に、精神の死が訪れる。消息を絶った長命種達が、どの様に朽ちたかまではトウカも想像すらできないが、神も実在するのならば寿命を全種族に平等に割り振ればいいものを、と思わずにはいられない。だからこそ神々などというものに、トウカは信を置く事ができなかった。


「悲願果たせず、失われる運命にあった命だからこそ、無為にして良いと?」


「……否定はできん、な。長生きするには、この世界、悲劇が多すぎるようでは御座らんか?」


 そう呟くベルセリカは、恋に破れた乙女のよう。


 トウカは舟を漕いでいるミユキを座らせると、立ち上がりベルセリカへ手を差し伸べる。


 何か言わねばならないと思ったが、トウカの語彙に乙女を慰める言葉などありはしない。だからこそ剣聖に対する言葉として、叶う限りの言葉を返す。


「ならば俺の為に生ききろ、ベルセリカ」それが限界であった。


 それは無数の意味として捉えられる卑怯な一言。ベルセリカが投げ掛けた要求の全てに対する返答であり、之より一人の人生を背負う事となる一言であることにトウカは後に気付く。


「怖いの……御館様は。深みに嵌れば火傷では済まぬで御座ろうに」


 トウカの手を取るベルセリカ。手を引いて、一人の女性を引き上げる。


 その身体は、想像していたよりも遙かに軽く、毛羽根のようでその身が、歴史上の悲劇の一つを背負っているとはとても思えない。勢い余って引っ張り過ぎたベルセリカを抱き止めるが、勢い余って後ろへと倒れる。


「酷い男だ……御館様は」


 ベルセリカからすると、自身の胸中など容易に察せる程度のものでしかないのかも知れない。トウカは端的な一言にその思いを強くした。


 箪笥(たんす)に背を預ける様に倒れたトウカだが、抱き止めたままのベルセリカは離さない。


 ベルセリカを離す機会を失って、トウカはその場でベルセリカを抱き締めたまま座り込む。


「酷いのは俺じゃない。この世界だ」


 強くトウカは想う。誰も彼もが傷付いている。この世界に於いて、悲劇はどこにでも転がっている市販品に過ぎないのかも知れないと。











「で、これは、どういう訳ですか?」


「いや……なんと言えば良いのか。まぁ、ミユキが悪く御座ろう」


「えうっ、悪気はないんですよぅ! 御師様も良いって言ったじゃないですか、もぅ!」


 仔狐と剣聖は掘り炬燵越しに唸り合っている。


 ミユキの魔導投影(魔導技術を用いた画像)が印刷された紙に視線を落とす。



 『天狐族の娘を探しています。

      見かけましたら是非ご一報を。

            傷一つ付けずに、最寄りの警務署へ』



 言ってしまうと指名手配書であった。


 魔導投影の中のミユキは、品の感じられる紫苑色を基調とした着物を纏い、小首を傾げて何処かを見据えているその姿はお見合いの書類にも転用できそうな程に見事な出来である。これが、皇国全土に配布されていると思うと、トウカは激しい頭痛に襲われた。


「私の思い出したくない過去の記憶を引っ張り出すなんて……おとさんは鬼です! 鬼畜です! 変態です! うわぁぁ! 主様、何とかしてくださいよぅ!」


 泣き付いてきたミユキを宥めつつ、指名手配書に手を伸ばす。


 だが、ベルセリカも指名手配書の端を掴んで離さない。どうやらベルセリカも欲しいらしいが、ここは引けない。魔導投影の部分だけを切り抜いて、永久保存せねばならないのだ。


「離せ、剣聖。これは桜城家の家宝にする。ラミネート加工だ」


「そちらこそ離せば如何(どう)か? 額縁で飾るに決まっておろう」


 二人の主張は平行線。


 ベルセリカの言うところの牽制の意味は計りかねたが、トウカとしては魔導投影の部分だけを切り取って保管しておく心算だった。拠点が決まれば額でも買って飾るという選択肢も用意している。


「私の恥ずかしい過去を取り合わないでくださいよぅ!」


 ミユキも指名手配書に手を伸ばす。私の為に争わないで、とでも言わんばかりのその表情は、状況を考慮すれば中々に笑いを誘うものであったが、こればかりはトウカも引けない。加工して常に懐に入れて持ち歩く気であった。


「狐火っ!」


 ミユキの短い言葉と共に、蒼炎が指名手配書を包む。トウカとベルセリカが、慌てて手を離すと、指名手配書は掘り炬燵の天板へと落ちることすら許されず灰もなく燃え尽きる。


「ほぅ、狐火か。その若さで使えるようになるとは」


 ベルセリカは感心する。そして、トウカは項垂れる。


 その光景は微笑ましく、二人の間に軋轢はない事を示している。それは、二人の盟約に翳りはないという意味であり、同時に対等の立場である事を示すものであった。ベルセリカは当初、トウカを新たな主君として仰ぐ事も吝かではないと考えていたからこそ“御館様”と呼んでいたが、トウカ自身がそれの呼び様があまり好きではない。


 トウカは、ベルセリカに問う。


「ミユキは何者だ? 悪行に手を染める様な人柄ではないはずだが……」


 それは、ミユキを接したものであれば万人が抱くであろう感想。


 無論、トウカとしては傾国の売国奴であろうが世紀の大怪盗であったとしても、ミユキに対する行動と意志を変化させる気はなく、寧ろ望むのであれば国を相手にする事も吝かではない。国宝を狙うと言うなら嬉々として協力するだろう。


 ミユキは天真爛漫であっても善意の塊ではない。レオンディーネとの交渉に於いて、獲るモノは盗ってから撤退を始めた事からも分かる様に、眼前の好機を逃す程に世間知らずではなかった。天真爛漫と天衣無縫という言葉が服を着て歩いている様にすら思えるミユキであるが、同時にこの戦乱の世にあって幸せを掴む為の“強さ”も身に着けていた。


「狐は狡猾だからの。何処かで恨みを買ったやもしれんぞ?」


「一個増強師団を新設できる金銭を“拾った”事かも知れないな」


 顔を引き攣らせて応じるトウカに、ベルセリカも呆れた表情で応じる。ミユキという少女は狡猾な一面も持っていた。無論、それは好ましい一面であり、外道の範疇に堕ちない節度を護ったものであると断言できる。ならば、トウカはその在り様について口を差し挟む事はできない。


「心配する必要はないで御座ろう。指名手配書は犯罪者用ではなく、尋ね人の為のもの。……まぁ、金額はかなりのものであるが、の」


「なら、恨み云々なんて言わないでくださいよぅ……」


 ベルセリカ曰く、金額は通常の一〇倍以上らしく、賞金稼ぎに追われる可能性があるとの事で油断はできなかった。ベルセリカの歓心を買う事に成功した以上、その類稀なる”武“は組織規模の戦力でない限り覆せない。それがミユキを守護している時点で、賞金狙いの個人、或いは少数など有象無象の塵芥でしかなかった。


「買い出しへ赴いて、掲示板に目をやったらコレだ。ミユキには敵わん」


「これは実家のおとさんの謀略です! 私を連れ戻そうとしているんですよ! 御師様、何とかしてくださいよぅ!」


 ベルセリカへと泣き付くミユキ。ここは、自身へと泣き付いてくるべきではないのか、と思ってしまったが表情には出さない。理由があるはずなのだ。


 その理由は直ぐに氷解する。


「やはり婚約から逃げたからであろうて。なぁ、ミユキ」


「そ、それは、秘密って約束してたじゃないですか! 主様には秘密なんですよ!」


 仔狐、大激怒。


 その様子を見てトウカは納得する。 


 ミユキは自身に婚約の話が持ち上がった事に反発して、実家から飛び出し逃亡。その後、ベルセリカと出会い、この屋敷家と転がり込んだのだ。ミユキの実家は天狐族の本筋であり、皇国全土に散らばる狐種に連なる種族の頂点であった。長命種であり基本的に排他的な狐種とは言え、歴史と伝統があり、その血と能力を絶やす事に対する忌避感は大きい。だが、ミユキが他者に押し付けられた価値観に縛られる事を受け入れる程、諦めが良くない事は剣聖も異邦人も理解していた。


「婚約者には死んでもらうという方向で――」


「落ち着くが良い。ここは安全であるし、御館様と某が居る以上、万が一も有り得んよ」


「でもでもッ! 御天道様の下を歩けなくなるなんて嫌です!」


 三者三様の意見が噴出する。


 指名手配書が出回るという時点で、ミユキに安息の時は無くなる。賞金稼ぎや傭兵に付け狙われれば、対応しないという選択肢はなくなる。この場合、大前提である指名手配そのものを取り下げるしか解決の方法はないが、そうなると指名手配した張本人であろうミユキの家族と会わねばならない。それはトウカにとって途方もない不利益である。


「セリカさん……説得できますか?」


「……可能と思うか? “武”はその様な事柄に対して有効では御座らんよ」


 分かっておるなら聞くでない、とベルセリカは溜息を一つ。


 ベルセリカという切り札は、敵に際してのみ最強足り得る。故にミユキの家族が相手では、刃を振り翳す訳にもいかないので、ベルセリカの“武”が最強であるという前提は覆る。無論、力ずくで脅せば可能かも知れないが、ミユキが望むとも思えない。


「婚約者、とその候補を一人ずつ殺し……いえ、怖い目にあわせて、ミユキと婚約すると不幸が降りかかるとでも噂を流そう。そうしよう」


「む、無理ですよ。天狐族は貴族ですらなくても高位種なんですよ! 私兵もいますし……強い人は魔導砲兵みたいなものだし危険です!」


 慌てるミユキの頭を撫で、どうしたものかとトウカは思案する。


 魔導砲兵並みの戦力が相手側に複数存在するのであれば、強引な手段は取れない。魔導砲兵とは、魔装騎士と対を成す兵科で、砲撃型魔術を主体とした長距離戦に特化した兵あった。


 国防色の軍装に、魔導刻印の成された漆黒の袖無外套(クローク)を身に纏い、自身の背丈以上の魔導杖を構えたその姿は戦場の友軍兵士にとって頼もしい神様以外の何者でもない。魔導砲兵を戦力化している国家は皇国のみであり、その能力の高さは“重砲なしで長距離砲撃を一人で行える”砲兵”の一言で表せる。砲兵こそが戦場の神様という格言を肯定するならば、間違いなく魔導砲兵は戦場の神であった。


「勝てますか?」


「望むならば鎧袖一触……周囲の被害を考えなければという条件は付くが」


「ミユキ。因みに実家の近くに展開している私兵とやらは何人ほどだ?」


 全てを相手にする必要はないのだ。


 可能なら極少数、或いは単騎で潜入し婚約者の四肢を砕けば良いと考えていた。ミユキに候補者になりそうな者を予め全員聞き出して一度の潜入で全員を撃破する事が好ましいが、実動戦力としてトウカとベルセリカしかいない状況では難しいだろう。


 ――いっそ、焼き討ちで家屋諸共消すべきか。いや、殺してしまってはミユキが悲しむ。


 解決の糸口が見えない問題に、ミユキが追い打ちを掛ける。


「えっと、分家が五つで一〇〇人くらいです。でも、その親族もいるから……」


「全員がそれ相応の強さならば、文字通り魔導砲兵師団という訳か。……流石に正面からでは勝てぬぞ」


 正面からと限定するところを見るに、ベルセリカも負けず嫌いなのかも知れない。


「一部だけという話だ。何とかできないですか?」


 武力による解決は不可能だと告げるベルセリカに抗弁するトウカ。


 しかし、撤退中に背後から砲兵師団規模の砲撃魔術を受けては、さしもの剣聖もただでは済まない。


「もぅ、二人とも力ずくで解決なんて駄目ですよ!」


「なれば方向性を変えねばならんが……御館様……策を」


 ベルセリカが、任せた、と懸案事項を丸投げする。


 だが、トウカでも万人が納得し得る策を提示する事はできない。最大の問題は、敵対戦力が砲兵師団に匹敵する魔導戦力を有している事と、安易に敵対戦力に害を及ぼす事ができない点であったが、後者に関しては騙し遂せる算段は付いている。だが、前者が余りにも策を巡らす上で、多くを制限していた。


 期待の眼差しで見つめてくるミユキに対し、トウカは如何したものかと思案する。


 故に舌先三寸での攻防を希求する。


「では、恫喝といこう。大丈夫だ。任せろ。我が祖国は恫喝と詐欺に於いては先進国だ」


 亜細亜諸国を大東亜共栄圏として戦国時代から影響下に置く為、あらゆる邪道を成してきた祖国の先達に倣う心算のトウカは、どうしてくれようかと曖昧な笑みを零す。


「余計に駄目ですよぅ、もう!! もっと常識的な手段で――」


「では、一個増強師団が新設できる量のハイゼンベルク金貨で買収しましょう」


「恋をお金で解決するなんて駄目です!」


「そうか? 我が祖国の名言に“愛はお金で買える”というものがあった気が……」


「それは……随分な迷言で御座ろうな」


 三人で話し合うが、やはり策はない。


 これに関しては正解のない問題とすら思えた。そもそも、トウカは人間関係の問題の解決など経験のない事である。


「はいはい! 私に作戦があります!」


 ミユキは名案があります、と手を挙げる。


 凄まじく嫌な予感がしたトウカは、ベルセリカへと視線を向けるが、無言で首を振って拒絶される。剣聖は武力以外では役に立たないのだ。


「おとさんに主様が認められたらいいんです!」


「拳を交えて認め合う訳か。……良いな。男を魅せる好機では御座らんか」


 女性二人は賛成の様であるが、トウカとしては勘弁願いたいところであった。基本的身体能力に劣る人間種が高位種と殴り合うなど正気の沙汰ではない。ベルセリカとの戦闘も、ミユキの眼前で行われていた以上、トウカを殺す気などなかった。だが、娘を奪った男を前にした父親がどう行動するか分らない。トウカならば全力で殴る。首など球技の球の如く飛んでいくことは間違いない。恋は戦争と言うが、実際に殺し合いをしては本末転倒である。


 恋と戦争では総ての行為が許されるという妄言もあるが、限度がある。


 勿論、後にトウカは、御前がそれを言うのかという状況下に追い込まれるのだが、それはを知る者は未だいない。


「俺に死ね、と?」


「だ、大丈夫です。おとさんだって命までは獲らないと思います」


 トウカの腕を掴んで離すまいとするミユキ。


 ミユキの一言で、トウカは退路がなくなる。望まれた時点で、トウカにそれを断ると言う選択肢は存在しない。


「良いだろう。何とかして見せよう」


 策を講じることに関しては自信があるが、怒り狂う父親を押し留める自信はなかった。故に戦ってみよう。無論、正々堂々ではないが。


 この胸に抱くは、恋。

 懸けたものは、命。


 聞くところによると、女を助ける為に死すことのできる人生は、最後に笑って死ねる人生と同義であるらしいが、確かめてみる事も一興。


「必ずミユキを奪って見せよう」


 尻尾をばたつかせ、擦り寄ってくるミユキ。


 ――いざとなればセリカに闇討ちして貰うとするか。


 そんな思惑は感じさせない笑みで、トウカはミユキの頭を再び撫でた。






恋と戦争では総ての行為が許される。


独逸第三帝国(サードライヒ)》空軍元帥、ヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリング



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