表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》
328/429

第三一〇話    ルゼリア演習作戦 Ⅱ




「始まったか……」


陸軍府長官であるファーレンハイトの時計を一瞥しての言葉に、ネネカは沈黙を続ける。


自身に対して返答を求めているとは思わなかったが故であるが、同時に引かれた引き金(トリガー)をなかった事にする言葉などありはしないからでもある。



ルゼリア演習作戦。



国境紛争のまま宣戦布告もなく相手国の首都を占領するという無数の国際法に抵触する行為に対しての懸念は陸軍府と参謀本部で噴出している。外務府に限っては発狂と評して差し支えない程に荒れており、首都占領に当たっての要人確保で外務府が得た情報を利用しているとなれば尚更である。事実が流出した場合、皇国外務府の信頼は地に落ち、皇国外交が困難を迎える事は疑いなかった。


 ――まさか、自国の外交的信頼を盾に自国の外交部門を恫喝するなんて。


前代未聞の珍事である。


国益重視のトウカからすると珍しい判断であるとネネカは考えていた。


外交を司る組織の怠惰と楽観に対して余程の嫌悪感があるのですよ、とはヨエルの言であるが、それでも国家指導者が自国の外交部の信頼失墜を斯くも躊躇しないというのは、ネネカの知る限り歴史的にも前例がなかった。


ただ、ネネカには外交の主導権をトウカ自身が必要とする理由も理解できた。


政治……軍事以外の実績とは短期間で可視化し難いが、そうした中で外交というものは例外が多い。中身が伽藍洞でも、他国に対する要求の成功や、協定締結は演出として非常に高い効果を発揮する。


主要な外交政策では国家指導者として自身が前面に出て成果とすればいい。


そうした考えがトウカの胸中にある事は疑いなかった。


時間を掛けて外交分野から己の外交政策と一致しない者を排除しつつ、優秀な者を登用して将来の外交に備える思惑もあるかも知れない、とネネカは見ている。


一つの行政府から、嘗ての方針に染まって変更を認めない官僚を排斥するというのが短期間では容易でない以上、重要部分で自身が動かねばならない状況を作り出す事は政略として極めて有効であった。軽挙妄動に撃肘を加え、優秀にして自身の外交政策と合致した者を選別する機会となる。


無論、その行政府の反発を改革が終わるまで押さえ続ける事ができるのであれば、という前置きが必要であるが。


ちらりとネネカを一瞥するファーレンハイト。


 良い年齢をした老人の意味あり気な視線を、外観に似合った天真爛漫な笑顔で迎え撃つネネカ。


「部族連邦の横柄な外交姿勢に釣られる形で国境警備隊同士の小競り合いも定期的に有りましたから、諸外国も驚くことはないでしょう。何より、当代天帝陛下は容赦という言葉をお持ちではありません」


 これ以上、諸外国の反発を招く真似をトウカがしないように上申するという言葉を求めているのは間違いないが、それは給料外であるという姿勢をネネカは崩さない。


 部族連邦領土の一部を保護占領。


トウカは灰色の部分を上手く突いてきたと言える。


腐った扉を蹴破るという発言は増長著しいと考える者も居るが、〈部族連邦〉に関しては、少なくとも国軍は実情として腐った扉に過ぎないと見ていた。


 獣系種族を主体とする、皇国よりも人口を持つ大国と言えば聞こえはいいが、七割の地域は百年単位で遅れた生活をしており、その人口は国力への変換率という意味では酷く劣っていた。 純軍事的に見た場合、皇国軍は小勢でも限定的優位を確保できる。高位種も少数ながら存在し、武芸を生業とする者も存在するが、皇国は他国と違い、そうした者達を相手にした戦術に絶大な知見があった。近年、大きな内戦で培われたという側面もある。


問題は政治的な部分にこそある。


国際的な慣習から逸脱した宣戦布告をしない首都占領。


国境での小競り合いであれば、紛争の範疇であるが、首都占領となると紛争という範疇に収まらないと考える者は少なくない。偶発的な紛争ではなく、空挺作戦の事前準備があった為、明らかに皇国による自作自演という印象を排しきれなかった。


 ただ、トウカの発言により、その印象は大きく低減している。



我が国は、周辺諸国に対して空挺作戦を常時展開可能な体制を常態化させつある。



 強弁が過ぎる言葉であるが、それ故に偶然生じた国境紛争で試し斬りをしたという印象が強まった。確かに南部では纏まった戦力が軍事演習を頻繁に行っているが、元より皇国陸軍の演習場は南部に集中しており、穀倉地帯でもある為に疑問は生じ難い。


 試し斬りであれば帝国を相手に行えばよいが、丁度、国境紛争が生じたのでそちらへ空挺師団を投入した。


 そうした筋書きに不審はなかった。


 苛烈に短期決戦で物事を解決する傾向にあるトウカの判断として、国境紛争が行き成り首都占領に転じたという状況に、国内外は驚きつつも在り得る事であるとも見ていた。


トウカが武断的な国家指導者であるという印象は既に国際社会でも定着している。無論、それは首都占領を正当化する理由にはならないが、皇国との関係悪化を避ける理由には成り得た。周辺諸外国も次の目標として選定される動きは厳に慎むべきだと考えている。


激烈な反応を示したのは二国……神州国と帝国である。


一方は交戦中であり、一方は係争地を抱え、それを巡って軍事衝突もしている。首都に対する空挺作戦をより現実的な脅威として見ていた為であるが、長期的に見ても皇国が部族連邦を併合する事を看過できないという理由もある。


帝国の場合、一度、首都に対する空挺降下を許したという事実もあるが、それ以上に基本戦略が覆されつつあるという焦燥感があった。


現在の帝国は共和国とも交戦状態にあるが、それを打開する為、共和国南方の連合王国と連携して挟撃の構えを取った。戦前より秘密裏に連合王国の兵器工場建設を支援していたことから、短期的なの思い付きではなく長期的視点による戦略による事は疑いない。


皇国が部族連邦を併合した場合、皇国と連合王国は直接国土を面する事になり、皇国は共和国に対する側面支援として、帝国侵攻よりも連合王国に対する軍事行動を本格化させかねない。そうなると連合王国は形勢不利となり、降伏しかねない。共和国は南方に展開していた戦力を帝国との国境に再配置する事が可能になる。結果として帝国は共和国方面で圧力が増すことになりかねない。


これはネネカの意図するところでもある。


 帝国もそうした部分を理解し、連合王国を利用する為に動いていた。


 皇国は後手に回ったが、トウカという武断的にして軍略に秀でた天帝が即位する事で状況は変わった。


帝国の蠢動を察したトウカによる部族連邦侵攻にネネカは已む無しと賛意を示し、後の連合王国に対する軍事行動すらも提言した。帝国との軍事衝突よりも、共和国相手に兵力で優越しているにも関わらず決定打を得られない連合王国を横合いから殴り付ける事で降伏、或いは弱体化させ、帝国への圧力を増大させる為である。降伏せずとも戦略爆撃で工業地帯を焼け野原にしてしまえば積極的攻勢は行えない。皇国は最悪の場合、連合王国の反撃を受けても部族連邦の領土を利用して防御縦深を確保できる為、本土への影響は乏しかった。


 ネネカは確実な老後の為に腹を括った。


 徹底的にやるしかない、と。


 そうしたネネカにとっての予想外は神州国の激烈な反発である。


これはトウカがネネカに答える形となった。


 ――天帝陛下は海洋国家をよく理解しておられる。


大陸国家である皇国は海洋戦略に対する理解に乏しい。


相当の規模を持つ皇国海軍ですら本土への上陸阻止と商用航路の保全という部分に目標を絞っており、近海での決戦のみを意図する姿勢は沿岸海軍のそれである。


しかし、諸外国のみならず、自国民からすらも沿岸海軍ではなく外洋海軍として見られているのは、大星洋を挟んで世界最大の海洋国家である神州国が存在する為、沿岸海軍的戦略を展開するにしても相当の規模の艦隊を整備せざるを得ないという都合がある。自然と規模と装備は外洋海軍に見える規模となった。実情は兎も角として。


そうした経緯はネネカも理解しており、神州国は部族連邦を併合した皇国が増大した国力を背景に大艦隊を整備して対抗する動きに警戒したと見ていた。


トウカはそれに対し、それはない、と明言した。


 圧倒的な海軍戦力を持つ者が少々の追い上げを気にする事はない。海軍戦力の拡充は長期的な国家事業となる。大陸での国防に多くの予算を裂かざるを得ない大陸国家の海軍を海洋国家の海軍は恐れない。領土拡大による国力の急激な増大は相当の時間を要する上に、その時節までに皇国がその領土を保持し続けている保証など何処にもない。警戒は必要だが、それは不明確な未来に対するものに過ぎないのだ。確定した未来に対するものではない。


神州国の懸念は大陸が一つの政治勢力として纏まる事自体に対するものだと、トウカは指摘した。


当初、ネネカもその意味を図りかねた。


しかし、改めて神州国側の視点で見ると、その言葉の一端が理解できる。


神州国付近の大陸の海岸線が皇国とその影響下にある国家で占められた場合、政治的な対立は皇国ではなく大陸と神州国という構図になりかねない。大陸の矛先は神州国のみに向くことになり、他の大陸国家も皇国との関係悪化を恐れて神州国との関係を希薄化させかねなかった。


 それは商業活動にも影響を及ぼす可能性が高く、特に皇国により沿岸の商用航路が脅かされた場合、それを払拭する為に神州国海軍は広大な商用航路を防護する必要に迫られかねない。そうなれば、決戦に偏重した神州国海軍は戦力を分散する形になり、艦隊の攻撃的運用に大きな制限が生じる。


神州国が海洋国家として存在感を示すには、大陸は群雄割拠している方が都合が良い。


これはネネカにはなかった視点である。


神州国が大陸国家同士の不和を先導するまでもなく、大陸国家は大きな枠組みの中だけでも帝国と反帝国に分かれて骨肉の争いを何十年と続けており、それ以外にも領土問題は無数とある。神州国は干渉する必要すらなかった。


故にネネカが気付かぬ事も無理からぬものであった。


同時に、その点に神州国が気付いたのかは不明である。ただ、長期的な視野ではなく、強大化のみを以ての非難である可能性も捨てきれない。誰しもが長期的視野で国営をしている訳ではない事は歴史が証明している。


 ――陛下曰く、補助艦艇の建造計画で判断できるらしいいけど……


理屈はネネカにも分かる。


神州国が政治的干渉によって大陸国家の崩壊や同盟、拡大を阻止するには経験と能力が不足している。今まで行っていなかった類の外交政策を積極的に行い短期間で結実させるというのは並大抵の事では不可能である。


頼みの世界最強海軍とて陸には上がれない以上、政戦に於いて神州国は拡大する皇国に対して短期的には手を打ち得ない。商用航路の封鎖による圧力という手もあるが、その場合、皇国は戦略爆撃と首都に対する空挺作戦という軍事的圧力を背景に、大陸内の各国家に対して神州国との交易停止を要求する事は疑いなかった。互いに海運に於いて多大な被害を受ける事になるが、他国と陸続きの皇国は交易路として海路以外を選択できるが、神州国は海洋国家であるが故に海路一択であり、どちらに軍配が上がるかは明白であった。


 それを阻止する手段を神州国は持たない。


よって大陸勢力図の安定、乃至停滞を図る中長期的な時間を信州国は捻出できなければ、皇国が神州国に近い大陸の大部分を影響下に置きかねない。その実力がトウカと航空隊にはある。


 そして、神州国による大陸への干渉は、行われても成算が極めて低い。


 となると次善の一手となる。


 補助艦艇の増強。或いは商用航路防衛に専従する組織の設立である。


 神州国に近い大陸沿岸部が皇国の影響下に置かれた中でも商用航路の安全を保障する補助艦艇の確保。これの有無が、神州国が長期的視野で大陸との関係を見ているかの判断材料と成り得る。


 航空部隊による対艦攻撃の可能性は神州国も理解している筈であり、対艦攻撃訓練は航空騎の特性と規模から完全に隠し遂せるものではない。そこへの対策が大々的に行われたならば、商用航路を防護する意図があるとも判断できる。商用航路を脅かすのは何も軍艦だけでない。


ネネカはトウカへの恐怖を喪ってはおらず、その粗暴な政治的振る舞いに対する懸念もある。


 だが、今はそれ以上に興味が勝った。


未知の軍事知識の百貨店である。


実際に接し、会話してみればトウカが並々ならぬ知識と知性を有している事は明白であった。ないのは品性と常識だけである。


新しい軍事知識を得る事はネネカにとって興味と探求心を掻き立てられる事であるし、最近はネネカも軍事理論の添削や補強に協力している。


トウカは狐に好意的であるという噂が決して噂に留まらない事が明らかとなった事も大きい。


 ――餌で釣られた動物の気分だけど、仕方ないよね?


戦闘教義や新理論の提唱は、ともすれば歴史を変える。そうでなくとも、軍に採用されれば、それを基準に軍が編制され、戦野に投じられた。心が躍らない筈はなく、それはトウカが証明している。


ネネカは尻尾を一振りする。


陸軍府の会議室で行われる喧々諤々の議論。


ネネカは参謀本部に席を残しつつも、枢密院議長付き副官となったが、そうした中でも陸軍府の会議に呼び出されている。陸軍府としては参謀本部と結託してトウカの近辺にヒトを送ることで情報収集と誘導を図る心算であったが、枢密院議長であるベルセリカ付きの副官として抜擢される事になった。此方が推挙して怪しまれる事もないので、陸軍府も参謀本部も目論見通りと見たが、実際のところトウカが想像以上に即決即断であった為、ネネカの情報が届いても陸海軍に対応する時間的余裕はなかった。


寧ろ、トウカにはそうした意図が露呈している。

 


 これを渡しておけ、とルゼリア演習作戦の概要資料を手渡された際には、御前が伝達したほうが早いだろう。公爵共にはリシアが伝える、という言葉まで添えられていた。



 ネネカは死を覚悟した。


 

古巣とは言え、情報漏洩しているとなれば、情報漏洩の咎で罰する事は容易である。ネネカの脳裏は、税制改革に反対した財界人が激しい性的暴行を受け、身体を各所で分断されて養豚所の餌箱に投げ込まれて畜産に従事する事となった事件を思い起こさずにはいられなかった。ネネカとて年頃の女性であり、素敵な男性との恋愛や結婚生活には憧れるし、同時に職業軍人として戦死するならば致し方ないという諦めもあった。どこかの暗闇であらゆる尊厳を奪われた後に細切れにされて家畜の餌にされるなど聞くだけで身体が震える。


 謁見の間の様に腰が抜けて座り込んだネネカに、部屋の隅で執務に忙殺されていたリシアが気付いてトウカを平手打ちした事で誤解は解けたが、勝手な誤解で片頬を赤くして執務に励むトウカに対する申し訳なさをネネカは感じる事となった。同時に、少し落ち込んでいるように見える姿を、年相応で可愛くも感じたが、ネネカは若き天帝の名誉の為に沈黙を選択した。


兎にも角にも、トウカの決断と命令は早い。


周囲への相談もない。


意思決定に於ける速度を巡る部分を機略戦と呼称するが、トウカは意思決定の速度で相手をまず圧倒する。


 無論、ルゼリア演習作戦については概要のみが纏められた計画資料を基に陸軍が厳密な作戦計画を構築する事になったので、トウカは部族連邦の首都を空挺占領する、という一点のみを決断したに等しい。異論と代替案の提示も許可されていたので、参謀本部は空挺作戦が失敗した際の大規模侵攻の為、〈南方方面軍〉への戦力増強を空挺作戦開始時点で行うべきと提言し、トウカもそれを妥当であると認めた。


参謀本部は沸き上がった。


トウカが意外な事に聞く耳を持っており、有効な提言を受け入れる度量もある事への幸運を神々に感謝した者は多い。無論、神々への感謝は、他国の首都への大規模空挺作戦という史上類を見ない作戦計画の立案によるところが最も大きかった。結局、参謀本部もまた空挺作戦立案の魅力に抗えなかったという事である。


神々は女神の島で休暇中であらせられる、と嘆いたのは、法務参謀と陸軍府総司令部の面々である。


国境紛争を自作自演し、それを短期間で終結させる事を名目に部族連邦首都を占領する。


 どの様に屁理屈を並べても国際条約に抵触する一件であり、法的根拠を捻出する事に多大な困難を要する為である。


 外務府への部族連邦首都の情報供出の場で占領する意図を気取られて大反発を受け、トウカに泣きついて抑え込む事になった点も捨て置けない。


 陸軍府は外務府から恨みを買う事になり、外務府は部族連邦首都に対する空挺作戦を会見で、初耳であり承知していない、と一国の外交組織が自国の他組織と連動していない事を明言する程に激怒していた。ここで皇州同盟軍中将のエップが、情報漏洩を避ける為に外務府に軍事作戦を伝えなのは当然の判断だと陸軍を”擁護”した事で事態は混迷を深める。外務府は信用に値しないと明言したに等しい事を踏まえれば当然であった。


 当然、外務府は更に激怒したが、それにより外務府と皇州同盟軍司令部との間で罵声合戦が発生し、三面記事を賑わせる事態となっている。無論、内容を詳しく言えない中での不毛な罵り合いである。特段と不毛な有様となった。


ファーレンハイトは立派な直径の葉巻を咥えたまま手を叩く。


「つまるところ、我々は勇壮にして無慈悲なる天帝陛下の一味であるという尊称を免れぬという訳だ」


長い黒檀の執務机にため息が幾つもぶつけられる。


諸外国からの皇国陸軍に対する信頼は地に落ちた。


条約無視の無頼漢という誇りは免れない。


「まぁ、陛下は即位前にも、条約が有効なのは私にとって有効である間だけだ、と仰られていましたから」


外交的に見て明らかに悪印象の発言であるが、強硬姿勢を以て北部を纏め上げていた以上、それはある種の演出と捉えられていた。


 しかし、現在では決して演出に留まらないとネネカは見ていた。


そうした武断的な姿勢からトウカは一部の軍人には好意的である。


批判や提案も有意であると見れば取り入れ、己の政治姿勢に基づいたものであるとはいえ、明確に国益を追い求める判断をする。


しかも、官僚や財界人に容赦がない。


 直ぐに徒党を組んで国益よりも己の組織に対して利益誘導を図るという狂信的なまでの確信がトウカにはあった。そうした部分は確かに存在し、天下りなどはその最たるものであるが、既存の法整備が成されていない部分でも野放しにはしないと憲兵隊を動員して排除していた。


 最近、予算が適正に分配、運用されているか判断する予算統制庁なる組織が枢密院直属組織として設立された為か下火になりつつあるが、天帝不在の間に汚職や脱税に走った者の中には無残な死に様を迎えたものは少なくない。


明らかな見せしめである。


「他国の視線など気にも留めないか……翻意を願いたいものだが……」


ファーレンハイトの言葉に応じる声はない。下手な同意が命に関わりかねないとの判断である。


女性である天狼族の軍務局長が狼耳をぺたんと寝かせて恐怖を語る。


「女に生まれた事を後悔した後で切断遺体になって畜産に貢献する……御国への貢献とするにしても余りに惨い」


同意の声が多数。


「ヒトとして生まれて餌として死ぬ。御免被るというのが正直なところですな」


山犬族男性の人事局長が鳴き声とも呻き声ともつかない声を零す。


人事局は陸軍府の中で最も神経を尖らせている部署である。陸軍全体の人事を司る部署であるが故に、相応の立場を持つ軍人がトウカに敵対的であった場合、その軍人の配属を決めた人事局に咎が及びかねないという懸念からである。"愛国者”の闇討ちに備えて集団で出退勤している光景が現在の人事局では見られた。


 ネネカとしては、トウカを擁護する事は吝かではないが、情婦にでもなったと思われるのは癪であった。天帝の権威を利用していると見られる恐れもある。


「そうした無体な動きは同盟軍情報部の働きのようです。即位直後の命令とまでは聞き及んでいます。現状で陛下は止める心算はない様ですが」


 トウカ自身が多彩な惨たらしい死に様を決めている訳ではなく、その命令は国益を棄損している者達が行う犯罪行為の被害額を算出し、それが規定に達している者を情報部の手の者が排除するというものであった。


惨たらしい死に様には、己の生命の存続を決める金銭的な境界線が決まっている。


それを聞いた陸軍府の面々は一様に渋い表情をする。


国益よりも出身派閥の利益を優先する判断が過去にあったのか、己の命の値札に自信がないかまではネネカにも判断が付かないが、少なくともネネカの見たところ軍の運営よりも派閥争いに精を出す者は居ない。


「その辺りの心配は要らぬだろう? なぁ、大佐」


 どの様な返答を求めているか理解できるが、ネネカも核心のない断言はできない。


 国益の損益分岐点次第では、罪がなくとも殺めるのがトウカという指導者である。下手をすると己の生存が国益の損益分岐点を下回ると見た場合には、潮時だと粛々と死を受け入れかねない。無論、そうした状況に易々と陥る様な人物ではないが。


「そうであると願っております」


 ファーレンハイトの同意を求められたネネカは素直に同意する。尋ねはするが少し自信が乏しい声音に、胸中で煩わしさを覚えるが表情には出さない。


「批判には寛容であらせられます。国益を棄損しなければ身に危険が及ぶことはないかと。逆に考えれば、今まで惨たらしい死に様をした者は、相当に国益を蚕食していたとも取れます」


官僚などの、明らかに最善を無視した自らの派閥の支持者に関係する企業や法人への予算投入などを苦々しく思っていた面子からは、致し方ない部分もある、という声が上がる。税金の運用に関して酸鼻を極める輩が居たのも事実で、そうした者は法的には問題ないという建前で大いに税金を蕩尽した。政治家も官僚の反発を避ける為、そうした部分を規制する法律制定には消極的で、犯罪行為に抵触しても曖昧な儘で決着とする例が枚挙に暇がない。


 今更、法律をを制定しても、遡及して罰する事は難しい為、惨たらしい死に様で抑止力として国益に貢献して貰おうという意図は非人間的な合理性の産物である。


 ファーレンハイトは、考えてみれば杞憂であろうな、と零す。


「逆説的に言えば、シャルンホルスト大佐ほどに苛烈な物言いで批判しても、謁見の間で粗相をする程度で済まされるのだ。国益を棄損しなければ英邁な主君という事なのだろう」


一同から同意の声が漏れる。


余計な説得力を持った発言にネネカは両手で顔を覆い、狐耳を寝かせる。尻尾も丸くして置物の構えである。


年若い女性を笑いものにするとは酷い年寄りだと、ネネカは机に突っ伏した。歳を取ればファーレンハイトとて家族に下の世話をされるので笑い話も今の内だと己を慰めるしかなかった。


 そうした微笑ましい光景の中で、法務局長が外交面でトウカを評価する。


「国境を面する国家で友好的なのは共和国のみとなりました。共和国に絞った外交をしているのは選択と集中という意味では間違いないのではないでしょうか?」


部族連邦首都の空挺占領で法的妥当性を捻出する為、徹夜続きだった法務局からの好意的意見に瞳を炒める者は多い。


 それを自覚しているのか、法務局長は咳払いを一つ。


「お考え下さい。陛下は外務府の外交能力に満足なさっていません。そうした中で十分な外交を行うには信用の置ける者が必要ですが、その数を用意できないのは明白です」


「つまり、信用の置ける外交関係者の数が用意できないので、共和国との外交に絞らざるを得ない以上、部族連邦とは外交的にも距離が生じるので軍事侵攻に躊躇がなかった、と」


ネネカは法務局長の視点に感心する。


外交的視点で見た場合のトウカというのはネネカにとって未知のものであった。トウカはあくまでも内政手腕に優れた武断的な指導者と各分野からは見られているが、法務を司る者からすると別の視点がある。


「陛下は法や条約すらも国益と天秤に掛ける事を厭われません。そうした中で外務府が自身の望む外交政策を遵守しない以上、外交に比重が寄った動きは危険性(リスク)の高いものだと考えられておられるのかもしれません。外交的に疎遠になるなら国力を先んじて削り、緩衝地帯を形成しようという意図があっても不思議ではないかと」


 己の命令を聞かず、理想主義を掲げ続けるのであれば、トウカの外交方針からすると害悪でしかない。他国との交渉で自国の交渉を担う者が自国より他国や自身の思惑を優先するのであれば、それは最早、外交ではなく売国である。トウカがそう見ても不思議ではない。


 帝国と交戦状態にあり軍事力に余裕のない共和国と、状況次第では皇国の軍事的間隙を突くことのできる部族連邦。そうした状況を外務府が利用して国内問題の為に部族連邦を呼び込む危険の芽を摘むという意図もあるように解釈できなくもない。現に部族連邦首都の空挺占領では、外務府の情報が使われており、この事実の公表があれば簡単に外務府の甘言に耳を傾けようという周辺諸国は現れないものと予測できた。これは大きな抑止力として効果を発揮する。


 そして、トウカは外交による諸外国のと連携による帝国との対峙ではなく、周辺諸国を併合して国力と人的資源を獲得した上で帝国と対峙する選択をした。


 司法を司る者からすると、自国の外務府の信用と実力に合わせて軍事戦略を変更したと見えなくもない。


ネネカからすると酷い買い被りである。


トウカは複雑な手段を好まない。


寧ろ必ず失敗すると見ている。軍事作戦の計画書を見ても分る通り、可能な限りの単純化を心掛けている事は明白であった。


故に部族連邦の煩雑な政治情勢が連合王国の様な帝国との連帯の方向に転じる可能性を懸念して後背を確実に安全なものとしておこうという副次目標があるとネネカも見ていた。


だが、主目標は食糧と人的資源にあるとネネカは伝えられており、それは陸軍府や参謀本部も同様であった。


しかし、同時にトウカの目的がそれだけではないと確信して陸軍府も参謀本部も確認作業に余念がない。


 ――日頃の振る舞いの所為だと思うんです。


ネネカはトウカを擁護しない。


「しかし、陛下は大陸統一の必要性を北部で辣腕を振るわれていた際に言及していたと思うが……」


蛟龍族の年老いた航空局長の指摘。


 大陸統一という当初の方針を堅持しているだけではないのかという指摘であり、その為に戦争準備ができておらず国内の分裂著しい部族連邦への攻撃は矛盾しないという主張。


「しかし、完全な併合は予定していないとは聞いているが」


 ファーレンハイトの意見に、ネネカはそもそも完全併合になったならば、皇国より多い人口を抱える部族連邦を纏める為に多大な予算を必要とする事は間違いないと見ていた。そうした余裕は現在の皇国にはない。爆発的に増大する軍備に予算が忽ちに消えていく中で、未開発地域の多い部 族連邦の全土を併合する事は負担にしかならない。ましてや首都周辺や発展している南部地域などは皇国の統治に抵抗する事は間違いなかった。


「国土の北半分は発展が大きく遅れている部族連邦ですが、穀物生産の面では有望です。皇国南部だけでも併合したならば穀物の余剰は膨大なものとなります。これ自体が有力な国益となるでしょう。それ以上を、現時点で望まれるとは思えませんが……」


ネネカの指摘は具体的に言うなれば、帝国南部での衛星国建国に必要な食糧確保を指す。


 併合した部族連邦領土に鉄道路線を敷設するのは農作物の運び出しを主眼に置いたものであり、それ以外の発展の為の予算投入は限定的なものに留まる。ただ、人口が多い為、勝機を見出して進出を目論む経営者は少なくないと見られていた。流入する労働力を待ち受けるよりも、安価な労働力の密集した地域に工場を建設する方が高い労働者の質を維持できる。そして、労働環境の拡大は商機の拡大であり、人口が一部に集中する事で各分野の進出が進む。少なくとも部族連邦政府時代よりも生活水準は向上する為、政府は併合した領土の統治を不安視していなかった。


「併合する地域への軍事行動ですが、首都に対する空挺占領により被害は極めて限定的なものとなると推測できます」


 政府閣僚を拘束したという情報が、つい数時間前に伝達され、陸軍府総司令部は喝采を上げた。各々が秘蔵の発泡葡萄酒を開け、高価な葉巻を勝利の味と共に堪能したところである。


 既に戦略航空輸送団は部族連邦国首都空域まで進出しており、首都の占領地域拡大は時間の問題であった。挙句に首都近郊の戦力は国境紛争に伴い国境沿いへの再配置の最中であり、引き返すには時間を要する。鉄道運航計画を突然変更する事は容易ではない上、部族連邦の鉄道路線は単線の部分が少なくない。首都へ舞い戻るには一週間以上、要すると見られていた。


「天帝陛下は余りお喜びではなかったようです……戦闘詳報の提出時期を気になされていました」


 ネネカはトウカが空挺作戦に於ける問題点を気に掛けているのだと確信している。


 ――次の空挺作戦を見ているのかな?


 次の目標が何処か、ネネカには想像が付かない。


 ただ、航空母艦から高位龍種を発艦させるという特異な方法ではない今回の空挺作戦は、その規模と汎用性に於いて大きく向上している。


 各国軍は脅威と見て、国境沿いのみに軍を展開する既存の防衛戦略の立て直しを迫られる事は間違いなく、それは国境への配置戦力の低下を招く事になる。その状態で皇国軍装甲部隊の電撃戦を受け止めるのは容易ではない。


 そうした戦力配置の強要もまたトウカの思惑かも知れない。


 陸軍府総司令部の面々と同様に、ネネカもまたトウカの思惑を邪推せずにはいられなかった。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レビュー、評価などを宜しくお願い致します。 感想はメッセージ機能でお願いします。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ