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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》
327/429

第三〇九話    ルゼリア演習作戦 Ⅰ



「無茶を言ってくれる」


 〈第五装甲師団「グノーサス」〉師団長を務めるフリードリヒ・フォン・エッターリン装甲兵大将は、森林地帯の狭道を突き進む指揮戦闘車の車上で強引な作戦計画に対して呆れ声を零す。


戦車猟兵が両翼の森林地帯を警戒しながら並走している為に進軍速度は遅く、装甲部隊の長所である衝撃力は損なわれていた。


しかし、戦線中央を務める〈第五装甲師団「グノーサス」)の進軍速度の遅さは作戦計画に織り込まれていたものである。


戦線の両翼から部族連邦へと侵攻した二つの装甲師団は警戒も最低限に圧倒的速度で侵攻を続けていた。


これは戦線中央に部族連邦北部最大の都市があり、これを大きく包囲する形で周辺部隊を拘束しようと試みているからである。戦線中央は圧力を掛けつつも敵を拘束し、両翼が包囲の為に進出する。


国境警備隊同士の小競り合いから始まった戦闘は“偶然”皇国南部で訓練途上にあった三個装甲師団と駐留していた一二個歩兵師団を基幹戦力とした軍を陸軍総司令部が差し向ける決断をしたことで早々に紛争の域を超えた。本来であれば、国境での軍事衝突に留まらない相手国本土への侵攻作戦ともなれば、天帝の勅令が必要である。


 しかし、天帝を経由せずに、侵攻作戦は始まった。


 あの情け容赦のない天帝を戴く中、皇権を犯しかねない軍事行動に陸軍総司令部が踏み切れるはずもない。天帝が国境での軍事衝突を予期していたか、或いは自作自演かという事になる。


 そして、それは多くの士官が何と無しに察している事でもあった。


「大規模な戦闘が考慮されていないとは言え、これ程までに混乱するか」


エッターリンは通過した都市や村落の光景を思い出してため息を零す。


〈南方保護占領軍〉と早々に名付けられた軍の将兵の誰しもが、国土深くに誘引する罠ではないのかと疑う程の大歓迎であった。


少ない食料を供出する部族もあれば、若衆の従軍を申し出る村落すら存在した。


皇国陸軍の規律上の問題で難しい(前者はともかく、後者は現地協力者として実際は可能であったが)として丁重にお断りし、後に問題が生じる余地を低減した。これは占領政策でも策定されており、寧ろ後続の輜重部隊から届けられる余剰の食糧や医療品を無償提供して、少なくとも占領区域内での慰撫に努めている。明らかに食糧や医療品は民間への放出を想定した量が輸送されており、入念な準備があった事を窺わせる。


 実際のところ、物量で原住民の歓心を買うという方針でしかなく、期限の近い食糧や医薬品を国内から搔き集めて輸送した結果でしかなかったが、その規模が多くの将校の推測を過たせた。


年若い兵卒は感謝される事にいたく感動していたが、軍歴の長い下士官などは、他国に侵攻して感謝されるとは、と別の意味で心労を覚えているという奇妙な状況となりつつある。


 そうした状況となる事も致し方ないものがある。


部族連邦北部……特に皇国国境沿いは未開拓地域であり、生活も貧しく貧困地帯と評しても差し支えなかった。実際、部族連邦内の時代の変遷でみた場合、海岸部は時代に合わせて発展したが、それ以外の地域は昔ながらの生活のままであったに過ぎない。地域毎の発展に多大な差が生じたという話である。


 皇国でも北部貴族の手酷い反抗心から皇国内で北部地域が経済的に孤立していた。それでも国内法や行政の慣習を無視して堂々と国外との商業に勤しむ事で利益の創出と、それによる重工業化を推し進める領地があった事とは対照的である。無論、そこにはシュットガルト湖という海への商用航路の存在も大きい。


部族連邦北部には、そうした猛烈果敢な貴族も海への商用航路もなかった。


挙句に領地という単位ではなく、更に細分化された部族や集落という規模で生活しており近代化を阻んだ。近代化を進めるには森林地帯はあまりにも広大であり、人口は多いにも関わらず広く分散し過ぎていた。


 そうした中で、部族連邦北部の住民は他地方の発展を羨望の眼差しで見ていた。


閉鎖的な環境であれども、外との交流は皆無ではなく、出稼ぎ労働者の言動や手土産などを見れば、郷土が発展から見捨てられつつある事は明白であった。


そうした現状を打開する手段として豊かな皇国に身を寄せるという選択肢が生じる事はやむを得ない事であった。


ましてや部族や村落として人口が広く分散し、教育も遅れている中で愛国心など芽生えるはずもない。


国家の意識的統一とは共通意識と共通言語によって堅固なものとなる。皇国は他国を遥かに超える多彩な民族と種族を擁する多種族国家である為、そうした部分に酷く敏感であった。皇国北部ですら種族を超えた紐帯に疑念が生じる問題には敏感である。国家に属するという意識を醸成する為に多大な苦労をしてきたからこそ、皇国は部族連邦に統一国家としての意識意識が欠如している事を理解できた。


「逆に我が軍の雄姿を一目見ようと遠方から押し寄せる者すらいる始末だ。これは侵攻戦ではない。治安戦だ」


 治安戦は、エッターリンが決して明るくない分野である。寧ろ、憲兵の主任務であった。無論、装甲部隊運用と比較すると古くから存在する軍事分野でもあるが、装甲部隊の運用も騎兵隊の運用と通じるものがあり、現に装甲部隊の士官は騎兵科出身の将校が多数を占めている。歴史的に見ればどちらも古い。


 ――今は良い。だが、どこで変心するか分かったものではない。


 今は歓迎を受けているが、何処で問題が起きて武装蜂起が発生するか分かったものではないと考える程度には、エッターリンは現実主義者であった。


 そのエッターリンに隣の参謀が追い打ちを掛ける。


「大将閣下、それだけではありませんぞ。軍の糧秣も湯水の如く提供しているのです。これでは焦土作戦を受けているに等しいかと」


 参謀の言葉にエッターリンは天を仰ぐ。


 雲一つない晴天である。


「そう贅沢を言うな。輜重線の負担を手当てするだけで、将兵と弾火薬の消耗を大きく抑制できるのだ。費用対効果だけを見れば、これ程に有効なものはない」


 新兵ばかりとは言え、戦闘が全くない訳でもなく、明るくない地形への侵攻作戦は訓練とは比較できない程に錬度向上に役立つ。装甲部隊と歩兵部隊、航空部隊との連携の確立や問題点の洗い出しにも有益である。今作戦の戦訓は千金に値するものであった。


 ――その辺りも踏まえた上での作戦なのだろうな。


国境警備隊同士の小競り合いから、翌日には貧困に喘ぐ同胞の保護という建前で、保護占領を宣言して軍を進めるなど用意周到に過ぎた。


突然の思い付きではなく、明らかに準備されており、故に複数の要素や思惑が介在している事は疑いなかった。


「陸府の参謀連中曰く、今回のルゼリア演習作戦はその名が示す通り、帝国本土侵攻への予行演習という部分もあるという話です」


 陸軍府に陸軍大学時代の先輩がいるという参謀の言葉に、エッターリンは、演習の為に第三国を蹂躙するのかと、時代の変化を嘆いた。


「あちらは平原が多い。こちらよりも難易度は低いだろうが……」


装甲部隊の主戦場は平原地帯である。


帝国南部は速度と攻撃、防御を最大限に発揮できる戦場であり、部族連邦南部とは大きく違う。対照的に敵軍との交戦は激しいものとなると予想されており、民兵が雲霞の如く押し寄せると想定されていた。


「皇国軍人なれば命令とあらば否はないが、急な拡大政策には驚くものがあるな」


 本土防衛に特化した……実情は予算不足からそうせざるを得なかった局面からの急転換である。特に輜重部隊は内線戦略前提であった中からの外線戦略への転換で最も困難に直面している兵科である。敵国領内での輸送は大量の車輌を必要とし、常に鉄道が使用できるなどという幸運に恵まれない。騎兵科が解体された事で余裕のできた馬匹を輜重科の増強に充てたとは言え、車輛と馬では輸送量が違う。軍備が前提としていなかった外征の問題点は部族連邦北部の保護占領で明らかになりつつある。


エッターリンなどもそうした諸問題を炙り出す駒の一つに過ぎない。


「同感です。帝国に攻め入る前の予行演習とは言えど、後方の不安定化を招きかねない作戦です。些か投機的に過ぎるのではないかと思いますが……」


参謀の懸念に、エッターリンも胸中で同意する。


保護占領が容易に完了せず、泥沼化する可能性を指摘する参謀に、エッターリンも第三国が干渉したならば長引くだろうと見ていた。


部族連邦北部を保護占領したところで帝国本土進攻の最中に問題が起きないとも言い切れない。独立や反抗を扇動する存在が要れば、保護占領した地域は常に危機に晒される。


「とは言え、税も地域の所得に応じたものとなり、道路や鉄道の敷設も約束している。生活が上向けば、そう酷い事にはならないとは思うが」


 常識的に考えれば、生活環境が改善しても尚、反乱を起こすというのは考え難い。


同時に、現世には思いもよらない理由と意志で並外れた悪意を振り巻く邪悪な存在が往々にして存在する事をエッターリンは良く理解していた。皇国人にとり身近な一例を挙げると、現在、皇座に腰掛けている人物である。


「天帝陛下の様な指導力に溢れた人物が現れない事を祈るしかないな」


 紛ごう事なき皮肉である。


 参謀達の失笑。


 懐から取り出した乾燥羊羹を包装そのままに進撃路の脇で見上げている幼年に投げて寄越す参謀の姿に、エッターリンはその光景が保護占領を終えるまで続くことを祈る。


無論、エッターリンが祈る先は神々ではなく、こと軍事に限っては神々以上の皇国が天帝であった。


しかし、それは早々に破綻する事になる。


「大将閣下、急報です」


近付いてきた通信参謀の言葉に、エッターリンは鷹揚に頷く。


「空挺か?」


「はい、閣下。部族連邦首都に対して空挺降下が開始されたとのこと。抵抗は微弱。〈第一空挺鋭兵聯隊〉は戦域にて優位を確保している模様です」


 皇国軍が国境線の戦線を押し上げた為、部族連邦〈北方軍集団〉は、その対応に後退して戦線構築と防御の容易な河川周辺に集結して行おうとしていた。即応可能な部隊を集結させようと移動させている最中。その隙を突いて空挺部隊は首都を空から直撃した。


首都に展開している部隊の半数も部族連邦北部への再配置の為に輸送中であると偵察騎からの情報で判明しており、それ故の空挺降下である。


元より部族連邦北部への侵攻と圧力自体が、占領と同時に戦力誘因という側面も持ち合わせた。空挺部隊の負担軽減を意図しての事である。対応戦力の不足は奇襲効果の増加と時間延伸を齎す。


 〈第一空挺鋭兵聯隊〉は陸軍初の空挺部隊であり、通常の空挺戦力というだけでなく、鋭兵科から転属した将兵によって編制されており高い技量を誇った。


陸軍はその戦闘能力に自信を持っていた。戦闘兵種で統一された軍勢は何時の世も戦域で有力な鉾足り得たが故に。


しかし、所詮は軽歩兵に過ぎないと、トウカは通常の空挺部隊よりも比較的有力であるという程度の見立てをしていた。種族的差異による戦闘能力よりも装備の火力と保持する弾火薬、随伴する戦闘車輛の種類と規模からの判断である。そうした点からも若き天帝が戦争を種族的、魔術的資質よりも火力や工業力、機械力の面で見ている事が見て取れた。


「聯隊という以上、編制は四千名程度であろうが、その兵数で首都を占領するというのは現実的ではないな」


エッターリンからすると敵国中枢を叩くと言えば聞こえはいいが、空挺とは敵中での孤立に他ならない。


「都市計画による変更がなければ、政府中枢区画付近には幹線道路が整備されております。これを利用した輸送騎による往還輸送を行う事で解決するのではないでしょうか?」


作戦参謀の指摘に、エッターリンは納得する。


皇国の航空戦力が龍系種族による伝統的な竜の保全を理由に、周辺諸国と比して絶大な規模となっている事は大陸に於いて誰しもが知る事実である。爆撃などであれば高度な技量を必要とするが、輸送であれば難易度は大きく低下する為、内戦や対帝国戦役でも前線後方への戦力投射に利用されていた。前例はある。


「いきなりの首都直撃だ。後続もあるならば、動員すら始まらぬ内の降伏も在り得るやも知れんな」


エッターリンのそれは希望的観測に等しいが、首都にいきなり敵戦力が展開し、政府閣僚が逃げ出す間もなく捕縛されて降伏を余儀なくされるという展開も十分に有り得た。首都の混乱は行政の停滞でもあり、それは皇都擾乱の結果を知る皇国人からすると、加速度的に困難を呼び込むものであると実体験として理解してもいる。地方への統制が緩い部族連邦であれば地方の反覆常ない勢力や不安を感じた勢力が独立や他国への合流を図る可能性すら有り得た。


 事実、トウカはそれを理解して、保護占領に踏み切った。


エッターリンとしては機に聡く、情勢を読む事のできる指導者の到来は言祝ぐべきことであると考えていたが、同時にそうした資質を軍事力の行使に偏重させる事を懸念してもいた。


「困った事だ」


 帝国以外の国家と遺恨や係争地が生じる事を避けるのは先代天帝までの融和姿勢の大前提であった。融和姿勢もトウカが悪し様に罵る程の虚妄の産物ではない。そこには一定の理屈がある。


 現在の帝国と適正な外交関係が図れるなどとは融和支持者も考えておらず、寧ろ帝国が自壊してからが各種支援の下で干渉する好機との認識であった。軍事力を行使するよりも安価で、遺恨と係争地を作り難く、周辺諸国の警戒を生じさせる事もない。


 一見すると安全にして確実な政策のように思えるが、これは帝国の自壊が帝国次第である事を踏まえると、主導権のない政策でもある。故に皇国が干渉可能な状況の崩壊であるとは限らず、また混乱の規模によっては干渉すら困難な不毛地帯となりかねない。


 そもそも、帝国が混乱せずに安定する可能性とてある。


 帝国で革命が生じ、その継承国が混乱なく帝国の様な政策を継続しないという保証もなかった。


つまり融和政策とは、皇国にとり都合の良い帝国の崩壊が前提の政策だったのだ。


 政治家の発想らしいものがある。


トウカは議会の無謬性など信じない。


議会を有名無実化したトウカの根拠には、融和姿勢から見た受動性に名を借りた怠惰があるのかも知れないと、エッターリンは考えていた。政策が違えているのではなく、政策を積極的に実施する意欲と実力と責任感に乏しいと見て取ったからこそ、健全化ではなく有名無実化と議会制度の信用失墜を図った可能性がある。


 エッターリン自身、そうした考えに至る事も有ったが故に歯がゆくも感じていた。


 去りとて、議員に銃口を突き付けて変化を強要するという暴挙までは考えなかった。


トウカは積極性の権化である。


議会も中央貴族も、政策に反対する者は悉く粉砕する構えを見せた。事実、粉砕した例もある。


そして、遂に積極性は他国への軍事力行使に至った。


 積極性が結果に繋がるか否かは、未だ結果が出ていない。議会が怠惰で、天帝も受動的な政策を掲げ続けている方が喪うモノは少なく済むという可能性は十分にある。


「確かに困ったものです。事前に空挺作戦を知らされていれば、相手の混乱に付け入れたのですが……」


作戦参謀の口惜しいと言わんばかりの発言をエッターリンは黙殺する。


エッターリンは敢えて作戦計画の全容を通達しなかったのではないかと考えていた。


どの部隊、将兵、経路から情報が漏洩するかの確認。そして、漏洩しなかった部隊は奇襲作戦への転用が可能であるとの判断が下されても驚くに値しない情勢である。国家憲兵総監に就任した浅黄色の髪をした妖精はそうした計略を行使する事を躊躇しない。


「今日は敵だが、保護占領したならば、敵部隊の少なくない数の兵士が皇国軍に加わる事になる。過剰な攻撃は遺恨が生じかねない。その辺りを踏まえれば、無用な戦火と見たのかも知れないな」


保護占領という建前がある以上、混乱する敵を攻撃する必要はない。交戦の意志を明らかにするか、恭順の意志を示すかの判断をする時間程度は用意するべきである。あまりにも攻撃的な姿勢であると態度を保留している部隊までもが交戦の覚悟を決めかねない。上手くすれば、部隊内で意見が割れて同士討ちが行われる可能性も有り、そうなれば戦力単位としては機能しなくなるので、圧力のみに留めるのは悪手ではなかった。


 国境付近では混乱による奇襲効果を得て突破する必要があった為、立ち塞がる部隊は粉砕する必要があったが、既に首都に対する空挺降下まで行われている現状での攻勢は双方に無駄な被害が出るものでしかなかった。明日の友軍かも知れない相手に遺恨を増やす真似はできない。


「既に目的とする都市や平原は抑えている。航空艦隊が展開を始めれば、戦況は揺ぎ無きものとなるだろう」


 新設されて間もない〈第六航空艦隊〉と〈第七航空艦隊〉は其々、五〇〇騎を超える作戦騎を持つ有力な航空戦力である。戦闘騎、戦闘爆撃騎、戦術爆撃騎を主力とした野戦軍を支援する事を前提とした編制で、この編制は内戦と対帝国戦役の戦訓が取り入れられていた。


 特に現状では周辺諸国が要撃騎を未だ十分に配備できていない現状を鑑みて戦闘航空団を四個に留め、戦闘爆撃航空団を八個、戦術爆撃航空団を二個とした点は大きい。輸送騎や偵察騎を含めれば、単独で戦線に各種航空支援を十分に展開できるだけの規模を備えている。


 二個航空艦隊。


戦線に於ける兵力の劣勢を覆し、砲兵戦力の不足を補い得る皇国陸軍の幹である。


「とは言え……」


「閣下。先行する偵察中隊が有力な敵の反撃を受けたとのこと。推定規模は師団以上」


伝令からの報告に、予想よりも早い、とエッターリンは敵軍の指揮官を称賛する。


予想以上に迅速な動きは強攻と評して差し支えない。


事前の航空偵察では接触にはあと半日を要すると見られていたが、接触が前倒しになった。夜間の内に距離を詰めて野戦に持ち込もうとの思惑が敵軍指揮官にある事は疑いない。


「偵察中隊を下がらせろ。前方5kmの位置に河川がある。これを利用して迎え撃つ。橋は落とすな。封鎖に留めろ……作戦参謀、良いな?」


「最善かと。付け加えるならば、ここは敵国です。浸透を許す可能性は大きい。航空偵察の追加要請と、索敵軍狼兵中隊を広く展開し、これに応じるべきかと」


「道理だ。その様にし給え」


 森林地帯が多い地域での軍事衝突で敵国本土ともなれば、警戒線の隙間が生じる事はやむを得ない。そこを補うべく哨戒網を厚くするというのは悪いものではない。地形を利用した奇襲を受ける可能性を低減できる。


「この戦争が短期に終わると見て踏み込んだか。乾坤一擲だな」


「本来であれば空挺部隊のみで首都占領は困難です。こちらの軍を足止めすれば、首都の失陥を免れるとの判断でしょう。しかし」


大規模航空輸送の可能性を考慮していない。それが祖国の軍事常識に根差した油断か、首都圏を守備する戦力を信用しているのか。その点に関して作戦参謀は判断を保留した。


「ああ、この正面の師団規模の敵だけが急進している。恐らくは独断だろうが……上申が受け入れられなかったか、元より上級司令部に信頼など置いていないか」


例え、抵抗しても戦力規模から見れば敗北は間違いない。


ただ、僅かな時間、祖国の敗北を先延ばしにするだけの決断。


 本格的に干戈を交えずしての降伏など認められないという軍人の矜持か、祖国を救わんとする悲壮な挺身か、乾坤一擲の先にある勝機を求めてか。僅かな時間、祖国の敗北を先延ばしにするだけの決断。


 反骨心か。

 愛国心か。

 虚栄心か。 


 空挺の後続を軽視しているが故に、それは蛮勇でしかなかった。


 後続の〈第七戦略輸送航空団〉が展開準備を整えており、首都の大通りを占拠次第、往還輸送で歩兵師団を送り込む手筈になっていた。圧倒的な航空輸送が可能な皇国にとり、敵地で新たな戦線を維持する事は決して不可能な事ではない。


 エッタリーンは、軍神による空挺作戦の限界への確認だと確信していた。


 つまり、彼等の挺身は無駄である。


 戦略は健気を蹂躙する。











「構うな、突入せよ」


愛嬌のある笑み隠さない壮年男性が、巨大建造物への突入を命じる。


政府中枢を担う人物の保持は容易ではないが、その重要性と要人の存在から拠点として奪取した場合、火砲による攻撃が控えられるだろうという目算もある。空挺作戦による混乱のみを頼りに可能な限り踏み込み、戦果を拡大する必要がある。


クリストフ・シュトゥデント中将。


黒鴉族の陸軍将官であり、元は航空襲撃作戦……有翼種兵による低空域での近接航空支援の第一人者として知られていた。有翼種ではあるが、独自派閥の天使系種族を除けば陸戦にも造詣があり、陸軍降下猟兵軍の設立にあたって、その舵取りを任された人物でもある。


 迫撃砲による準備攻撃によって正門周辺の障害と守備兵を排除し、一個中隊近い降下猟兵が短機関銃や魔導杖を抱えて建造物内へと突入する。


 銃声の規模は乏しく、防備が未だ限定的なものに過ぎない事は明白であり、反撃の機会を与えぬまま押し切ってしまいたいというのが降下猟兵達の心情であった。


「さて、どこまで押し切れるか。大通りの確保は?」


 逆襲や待ち伏せを受ける事を避けねばならないと、シュトゥデントは神経を尖らせていた。


 戦果拡大は重要だが、欲を出して機会を過てば反撃で大被害を被りかねない。空挺作戦は状況が流動的になりやすい為、機会を掴み難い事は内戦時の戦闘詳報からも見て取れた。特にベルゲンを巡る戦闘で行われた空挺作戦では、主導権を握る為、剣聖の戦闘力を前面に最後まで押し切り続けている。組織的な戦闘とは言い難い。無秩序を積極性で押し切ったとすら言える。


「大通りの確保には成功したようですが、放置された民間車輛や馬車が多く、輸送騎の着陸にはこれらを排除する必要があるのとことです」


 思わぬ報告にシュトゥデントでは人員を必要としそうな案件に対応を思案する。


 一国の首都、その政府中枢区画の幹線道路である以上、車輛の往来が激しい事は予想されてしかるべきであった。無論、陸軍参謀本部でも往来が少ない時間帯を選択するべきという意見があったが、奇襲効果を期待して部族連邦の政府要人が最も施設内に存在している時間帯での空挺作戦決行となった経緯がある。


「なんのぉ、大型車輛を使って押しい退ければ良いことぉ。当官に任されい」


二〇㎜自動砲を肩に背負った従軍神官が突如として現れ、MG98機関銃を背負った降下猟兵を引き連れて豪語する。


「ラムケ少将……お願い出来ますか?」


性格と思想を捨て置けば、皇国で最も空挺降下作戦に参加した人物としてラムケもまた皇州同盟軍から一個降下猟兵小隊を率いて参加している。扱いは予備隊であるが、相談役としても意外な事に優秀であった。特に兵士には受けが良く、気が付けば好意を勝ち得ている。典型的な野戦指揮官と言える。


 敬礼ではなく拳を天に突き上げたラムケの後ろ姿に、シュトゥデントは一抹の不安を覚える。皇州同盟軍は目的の為ならば手段を問わない士官が多く、内戦中は陸戦条約無視を当然の様に行った。


 シュトゥデントは致し方ない、と政府庁舎へ足を踏み入れる。


軍事的合理性を無視した構造の建造物での戦闘だけあり、銃声が酷く反響する中で、遮蔽物にもなるか怪しい家具を積み上げた形跡や砕けた硝子片などが散乱する中をシュトゥデントは進む。


 一国の政府庁舎らしく色硝子が嵌め込まれた芸術性のある光景もあれば、壁沿いには高価に見える置物などが品良く並んでいるが、それらには無残にも破壊の跡がある。


「被害は出ているか?」


「現在のところは……女性職員を拘束しようとして引っ叩かれた若い兵士の頬くらいかと」


名誉の負傷だ、叙勲申請してやる、とシュトゥデントは苦笑する。


奇襲による混乱は未だ継続しており、効果的な反撃を受けてはいない。


その事実がシュトゥデントの心を軽くした。


国境紛争から三日目に首都での軍事行動が行われるなどと推測する者は未だ少ない。トウカによる遠方都市への航空攻撃や空挺作戦は知られているが、未だ一般化している訳ではなく、想像の埒外であり続けていた。


 状況説明を受けるシュトゥデントを始めとした降下猟兵司令部要員達の下へ、短機関銃を抱えた降下猟兵が駆け込んでくる。


「首相以下、国防大臣、経済大臣、保険衛生大臣を首相執務室に軟禁しております!」


周囲から歓声が上がる。


 シュトゥデントは胸を撫で下ろす。


そうした中で、二人の護衛を引き連れた降下猟兵が姿を見せる。気配もなく、ただ気が付けば近くで敬礼している姿に、シュトゥデントは眉を顰めて答礼した。


「中将閣下、政府閣僚の説得は我々にお任せを」


 特徴のない顔立ちをした人間種と思しき青年将校の申し出。


 上申ではなく、作戦計画にあった部隊からの引き渡し要請であると察したシュトゥデントは、気が付けば部隊に紛れ込んでいるという現状に恐怖を覚えた。隷下部隊内で自身の把握しない思惑が進んでいる事に対して鷹揚である指揮官など居るはずもないが、同時にこれからはこうした謀略とは無縁でいられないのだろうという確信があった。


情報参謀を一瞥すると、無言で頷いており、合意は取れているのだろうと、シュトゥデントは納得する。


 ――情報部は何処にでもいる、か。


偏在性が最大の武器である情報部を、若き天帝は積極的に活用する。分散していた各勢力の情報部を可能な限り統合し、情報の一元管理を目指していた。防諜に偏重していた皇国が、他国の首都で政府首班相手に動きを見せるなど嘗ては考えられなかった事であり、情報部に訪れた変化は組織上だけに留まらない事を証明する姿である。


 シュトゥデントは、その変化に乏しい表情に対して瞳を眇める。


「話は聞いている。だが、こちらに容易く協力してくれるとは思えないが……」


停戦交渉の席に着く事を認め、全軍に戦闘停止命令を出す事に易々と応じるはずもない。


首都を急襲され、現状把握はできておらずとも、少なくとも部族連邦陸軍の主力は未だ健在であり、寧ろ動員が開始されれば戦力は飛躍的に増加する。軍事的に見た場合、主力は未だ戦線に姿を見せておらず、逆襲の機会は十分にあった。


 報部員は曖昧な笑みで応じる。


「そこは我々の至誠を理解していただくしか御座いません。ただ、先ずは混乱に先んじて”保護”させていただいた御家族の方々と合流していただく予定です」


酷く中性的でいて感情の宿らぬ声音で、善意を謡う姿は白々しさすら思わせない。


 ――家族を押さえているのか。脅しとしては有効だろうが……。


空挺降下による首都の混乱に付け込み、政府閣僚の家族を”保護”した事は疑いない。空挺降下による混乱はただ軍事的間隙を突いただけに留まらない効果を齎していた。


「好きにしたまえ」


要らぬ腹を探られては叶わないと、シュトゥデントは情報部の者達を下がらせる。


実際のところ、シュトゥデントは情報部の能力を過大評価していた。


防諜に偏重している事から他国での諜報任務への人員と予算は限られており、そうした部分が是正されつつあるとはいえ、効果が出るのは数年先の話である。今回の部族連邦首都空挺に当たっては、政府閣僚との関係を重視した外交を展開する為に外務府が有していた情報を利用して行われていた。


融和外交であるが、相手の好意を勝ち得る為には何かと情報が必要である。外交という舞台で博打が通じることなど滅多とない。そこには必ず根拠がある。


 そうした外務府の努力は、首都急襲による政府閣僚とその関係者の捕縛という形で結実する事となる。


外務府からすると当初の思惑とは異なる形であるが、少なくとも国益となる形で情報は生かされた。


陸軍府が参謀本部の要請で外務府に要求し、渋る外務府をトウカの逆鱗が襲った。


 予算と人員の削減、国際交流事業の認可制への移行。明らかに融和政策を引き摺る外務府への予算編成と人員配置を盾にした強烈な一撃であった。同時に、他国への情報漏洩に関する調査が国家憲兵隊によって行われるとなり、外務府の高官は抵抗を諦めた。


融和政策では外交が重視され、華々しい活躍として宣伝されていたが、トウカはそれを明確な形で否定する。


 以前までは、御座なりであった外交官の汚職や情報漏洩への調査が苛烈に行われ、逮捕者が次々と出る中で外務府は以前までの特権的な振る舞いを許されなくなった。


そうした事実を知る者は少ないが、外務府の不祥事への苛烈な姿勢に対するトウカの評価は市井からは高いもので、シュトゥデントもまた評価していた。


まさか、自らが当事者の作戦計画に必要な情報を提出させる動きが、外務府への外交姿勢転換を強制する引き金になっているとは、シュトゥデントには及びもつかない事であった。


シュトゥデントは、政府庁舎の占領継続を命じつつ、再び屋外へと足を向ける。


屋内の掃討を終えれば臨時司令部とする事ができるが、現状ではそうした設備は後続の輸送騎が輸送する手筈となっていた。その為にも大通りの確保が重要であり、当然、着陸時に攻撃を受けぬように周囲一帯の保全も行わねばならなかった。


「大通りは確保できるか?」


「はい、閣下。付近の閲兵広場を駐騎場とすれば、簡易飛行場として機能するでしょう。ただ、乗り捨てられた車輌の排除が――」


 耳障りな金属音が報告を掻き消す。


報告する航空参謀は肩を竦めて大通りを見やる。


巨大な輸送車輛に、何処かの工事現場から拾ってきたと思しき鉄板を前面に張り付けた即席の重機が大通りに乗り捨てられた車輛を強引に隅に追い遣る光景。


完全な力業である。


運転席にいる暴力神官の姿を認め、シュトゥデントは苦笑を零す。


即決即断。


何よりも迅速である事が求められる空挺作戦に於いては、少々の力業でも諸問題の解決を図る事のできる指揮官が必須である。相手が態勢を立て直せば、重装備を有さない空挺部隊は忽ちに撃破されかねない。鋭兵科出身の戦闘兵種を主体とした編制であるとはいえ、シュトゥデントの見たところ重装備の確保が難しい為、継線能力は通常部隊よりも遥かに低い。高位種の統一編制ならば話は変わるだろうが、高位種の将兵は各軍での取り合いが激しく、投機的な部分が排除できない空挺部隊への配属には消極的であった。


 ――天帝陛下に評価される訳だ。適材適所の際たるものだな。


場末の政治集会で乱闘で先鋒を務めるだけの暴力神官が、国家間戦争に於ける軍事行動の先陣を切るというのは立身出世としても空前絶後のものがある。年齢と容姿を考えれば尚更であった。


「さぁ、我々も幸いにして余裕がある。手伝うとしよう」


 普段通りの声音を心掛けつつも、有無を言わせぬ表情で司令部要員へと語りかけるシュトゥデント。


 天を仰ぐ参謀達。


 輸送騎の到着時刻を気にしているのだろうとシュトゥデントは一層と笑みを深める。


結局のところ、彼の振る舞いもまた空挺部隊指揮官のそれであった。








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