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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》
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第三〇六話    憲兵総監の思惑




 憲兵であるという事で距離を置く者が多いのは何処の軍隊であれ例外ではないが、幸いにしてクレアには良い理解者が要る様にノナカには見えた。


 尤も皇州同盟軍出身という看板の威力が過大に過ぎて憲兵という看板が霞んでいる可能性も有り得た。無論、トウカに侍る姿が鮮烈に過ぎて職責が未だ周知されていない可能性もある。歴史上、容姿はしばしば職責を忘れさせた。


「今回は良い話を持ち掛けに来たのです」


 迂遠な言い回しに、ノナカは政治が絡む話だろうと即座に看破する。


隷下の戦略爆撃航空団はその性質上、敵国に対する鉾にしかなり得ない為、任務は酷く限られる。軍事行動は主に民間人の犠牲を前提とした爆撃であった。結局のところ、政治に影響すれども戦略爆撃航空団が成す事は民間人への殺害でしかない。


「端的に言いますと、エリンツィンへの戦略爆撃を上奏して欲しいのです」


エリンツィンは帝国南部……帝国が共和国との戦線中央を支える兵站拠点を兼ねた都市の一つである。中都市程度で兵站拠点としてみた場合も決して大規模ではない。以前に爆撃したエレンツィアと比較すると大きく見劣りする。


 しかし、前線への中継点である為、鉄道路線が敷設されており、破壊は一定の効果を齎すことも確かである。泥沼化しつつある共和国の戦争への介入と見た場合、その意義はエレンツィアほどではないにせよ大きかった。最近、エルネシア連峰の北へと帝国軍を撃退した皇国に対し、共和国は頻りに援軍要請をしており、戦略爆撃を以て支援とするというのは政戦の両面で意義がある。後方を叩くという心理的、物理的効果を帝国だけなく共和国にも知らしめるという政治的効果。


 しかし、それ以上に最小限の兵力と損耗で、大きな軍事的効果を齎すという部分は魅力的であった。帝国本土への侵攻を目論む皇国に、義勇軍派兵を行う余裕はない。


 しかし、胡散臭い部分が多い為、ノナカは素直に頷けなかった。


「任務ではなく上奏と来たか。理解しているのか?」


戦略爆撃航空団に花を持たせるなどという単純なものではない事は明白であるが、最大の問題は憲兵総監の要請で戦略爆撃航空団が敵国への攻撃を上奏する点にあった。


「よく分からんが、上奏ともなれば陛下に直接だろう? 機会を用意するという事だな? そこまでするなら皇州同盟軍司令部に提案して、陛下の御下命を仰ぐのが筋だろう」


 憲兵が戦略爆撃航空団を担いで敵国都市の爆撃を働きかけるというのは、正規の指揮系統を逸脱した行為である。それを敢えて行うというのであれば、相応の理由があると見るべきであった。功名心で成すには敵を作り過ぎる上、それと引き換えにする程の成果とは言い難い。爆撃による都市破壊は副次目標だとノナカは見た。


「実弾訓練ですよ。ただ、目標が帝国というだけです」


酷い強弁が出てきた、とノナカは苦笑する。


物言いは好ましくないが、戦略爆撃による敵からの攻撃による損失騎は未だ生じておらず、そうした言葉が陸海軍将校の間で囁かれている事はノナカも承知していた。被害のない一方的な戦闘。都市を……民衆を目標としている攻撃を戦闘と呼ぶべきではないという軍事的矜持が胸中に潜むが故の皮肉でもある。


 実際、陸海軍の様に国軍として教育と錬成を受けた面々とは違い、北部貴族の領邦軍は陸戦条約や正規戦よりも、非正規戦を重視した教育をしている。軍事思想の違いから両者には温度差があった。体制を守る前者と、体制滅びても尚も抗戦を続ける後者。


 無論、皮肉ばかりでなく、トウカの無謀にして狂信的なまでの強攻を知る皇州同盟軍将校の間では、戦略爆撃航空団に対して同情の視線が少なからずある。航空母艦の短い飛行甲板から無理やり発進したと知った戦術爆撃航空団の面々からは、先例が作られた以上、命令されれば我々も否とは言えないと苦情と泣き言を投げ掛けられる一幕もあった。


 とは言え、敵からの攻撃による損失騎が皆無である事は、軍の正規の命令系統から外れる事や、軍事常識を逸脱する事を許容する根拠とはなり得ない。去りとて、国家指導者が強力に推進する軍事作戦に対しての異論は評価に差し障ると恐れる軍人も少なくなかった。騎兵科が一声で解散の憂き目にあった事を軍人達は忘れていない。飛ぶ鳥落とす勢いの装甲科であっても、ザムエルのみが例外である。


そうした諸々をクレアが理解していない筈はない。


「御嬢さんが上奏すればいい。枢密院も君の有用性を見出すだろう」


 戦略爆撃で共和国を積極的に支援し、共和国の地上軍派遣要請を躱しつつ、帝国の消耗を誘う。その主張には一定の合理性がある。


クレアはノナカの提案に眉を顰めた。


「情報部が事前に軍の一部に軍事行動を迫る……増長の誇りを免れませんね」


 自身の成そうとしている作戦を無視したクレアの発言であるが、ノナカも増長の謗り程度で動じる男ではない。苛烈な言葉で部下を鼓舞して戦野に散らせてきたノナカにとり、そうした批判は然したる痛痒すら抱くに値しないものであった。


謗りを理由に消極的になるのは指揮官の振る舞いではない。


 ノナカはクレアの言葉を待つ。


普段と違い高級な茶葉を使っている事に気付き、隊運営予算が逼迫している訳ではないにも関わらず、平素の味の薄さは何とかならないかとノナカは胸中で嘆く。


 そうしたノナカの胸中の嘆きを他所に、クレアは逡巡を見せていた。


冷徹無比と称された憲兵総監には珍しい仕草に、ノナカは若頭……副官と視線を交わす。


 この上なく面倒な案件であると確信したノナカは、敵国の都市と民衆を焼く以外の任務など御免被るというのが正直な感想であった。政争を前提とした副次効果を求めての任務は、戦略爆撃航空団将兵に更なる心労を強いる。


 戦略爆撃と言えば軍事学や書類上ではそれらしいが、端的に言えば民間目標に対する無差別虐殺である。取り繕い様のない虐殺に対して国内世論が問題視しないのは、相手が帝国という絶滅戦争を行う相手であるからに他ならない。しかし、世論が納得している事が、必ずしも戦略爆撃航空団将兵の心労軽減に寄与する訳ではなかった。


 引き金を引いた者は、政治学や軍事学を超越して感情面で様々なものを背負う。背負わざるを得ない。


 工業力に対する攻撃だと皇州同盟軍総司令部は屁理屈を捏ねていたが、今となってはトウカが虐殺だと明言して断じて行う構えを見せている為、精神的負担は相当のものである。


 敵の死に対する責任感や義務感とは無縁であるトウカは無邪気な虐殺者である。屍山血河を見ても数字を積み上げ続ける事に躊躇がない。軍事的合理性と感情が完全に乖離しており、相手に死を齎す事に対する痛烈な意志は、最早義務感に等しいとすら思える。


 戦略爆撃を敵が望んだ治療法だと確信しているトウカは、戦略爆撃航空団将兵にも職業軍人の義務としての虐殺を要求する。


 ノナカは双方の言い分を理解できる。


 トウカは正義を語らず、残酷な姿勢を以て他国の強硬姿勢を挫く。


若い頃より切ったの張ったのを生業としている、入隊以前からのノナカの部下は割り切っているが、戦略爆撃航空団の定数を満たすべく最近に増強された飛行兵はそうではない。


 北部地域出身者は周辺諸勢力への狂信的敵意を隠さない為に喝采を挙げるが、それ以外の地域から抽出された人員そうではない。現状、戦略爆撃航空団は北部地域出身者で編制されていた過去とは比率が大きく低下している。


戦略爆撃騎という運用と装備を大規模運用する都合上、北部出身者だけで補う事は出来なかった。龍系種族との政治的連携や、複数の戦略爆撃航空団を編制すべく育成を目的として人員を受け入れる場合も多い。


 トウカであれば、何を御上品な、としか思わないであろうが、現に士気低下著しい者も少なくない。そして、それは陸軍出身の優良者(エリート)が大部分あった。


 戦略爆撃とは、近代の軍事的建前や軍事的常識から逸脱した行為なのだ。


軍事的建前や軍事的常識を当然として教育された者達にとって、戦略爆撃は過去を真っ向から否定した上で、軍が自らに科した使命や道徳心を削る行為に他ならない。ノナカ自身、良心はどこにあるのか?と部下に詰め寄られた事もあった。ノナカは、そんなものは爆弾倉に詰め込んで投弾してしまえ、と殴り倒すしかない。積載量(ペイロード)を稼ぐ為の不要物など搭載している余裕はなかった。良心など最たる不要物である。


 敵は殺さねばならない。


 皇国と帝国は国家間戦争ではなく、酷く単純な生存競争をしているが故に。敗北側は死滅より他ない。ノナカは規則(ルール)無用の奪い合う人生を生きてきたが故にそれを理解していた。


 ノナカの心情を他所に、真実をより身近な形で知ってしまえば、清廉潔白にして公正無比な者に戦略爆撃騎の飛行兵は務まらない現状に変化はなかった。そうした経緯もあり、ノナカは現状で戦略爆撃以外の負担を負いたくはなかった。政治に関わり政治的理由から非難されては更なる士気低下を招きかねない。


 見ず知らずの相手を心から憎しめる様な輩でないと戦略爆撃騎の飛行兵とはなれない。


 帝国は戦略爆撃を受けた都市の写真を積極的に公表して皇国を非難したが、トウカはあろうことかそれを手にして積極的に我が軍大戦果と喧伝した。そうした経緯から戦略爆撃航空団の飛行兵も遠く眼下の悲劇を正確に理解する。そうでなければ、実感が湧かずに済んだとノナカは思うが、同時にトウカの意図も理解できた。


 敵に問答無用の死を与えよと叫ぶ理由に、恐怖による抑止力がある事は明白である為、ノナカはトウカの姿勢を非難しない。


 寧ろ、称賛した。


 ノナカは恐怖で物事を他者に強要する事を生業としてきた者なのだ。その単純(シンプル)な構造の事実を抵抗なく受け入れられた。


 恐怖の使い方を良く理解していた。


 そして、トウカは筋者としても満点の振る舞いをしている。


 現に諸外国は歓心を買うべく北部復興支援の名目で義援金を送り、軍事協定を提案するという動きを模索していると噂されていた。


 恐怖は使い方を違えねば利益になる。


 軍事力を背景に他国へ干渉して憚らない帝国を擁護する者は少なく、寧ろその脅威を跳ね除け、痛打を浴びせる姿を根拠に諸外国はトウカを賞賛する。敵にすれば恐ろしいが、味方とすればこれ程に頼りになる者は居ない。帝国臣民の生命に頓着して国益を逃す様な指導者であれば国内政争で敗北している。それ程に現在の国際情勢は厳しい。


国家は利益と恐怖、名誉を根拠に政策を決定する。そうでなければ、それは思想によって国益の最大化が阻まれたという事であった。


 ノナカはトウカのそうした姿勢を好いている。自身に娘がいれば、間違いなく妾でもよいと押し付けていた。無論、代わりにクレアを押し付けたので何もしなかった訳ではない。


 しかし、だからこそクレアが厄介事を持ち込んできたと言える。完全に身から出た錆であった。


 クレアが致し仕方ないと嘆息する。ノナカも溜息を吐きたい心情であったが、年長者(外見上)として断固とした決意の下で余裕を見せる。


 だが、それもクレアの言葉で喪われる。


「エリンツィンに皇国軍の情報漏洩を行った間諜が逃げ込んだのです」


「? まぁ、防諜に手が足りていないという話はよく聞くが……」


 国内が各諸勢力に分かれて個別に諜報や防諜を行う非効率により、無駄と隙が多くなっている事は一般に良く知られている事実である。各組織が独立している為、周辺国は全容を掴み難いという長所もあったが、端的に見て非効率が上回る現状が続いていた。


「それが皇国陸軍の現役将校だったのです」


「そりゃ、いかん。いかんぞ。裏切者はきっちり練石(コンクリート)抱かせて海水浴させんと示しがつかん」


 報復は明確な形で行わねば二匹目の泥鰌を狙う者が出かねない。これもまた恐怖による抑止力の一端であるが、戦略爆撃で行うというのは大仰に過ぎた。死亡確認ができないという問題もある。敵国で手出しし難いので大規模な破壊で諸共に粉砕したという発表で形を示すという方向に転換したという可能性も有るが、その場合は死亡確認ができない為、後に要らぬ疑念を招く可能性を捨てきれない。


「情報部も確保を試みたようですが、現在はエリンツィンの軍事要塞に匿われているので手出しできないのです」


「一度、確保に失敗して逃げ込まれた訳か。成程、戦略爆撃は炙り出しか……」


戦略爆撃を都市に行えば、逃げ出そうと試みることは間違いない。


帝都空襲でも重要区画の爆撃には地上貢通爆弾(バンカーバスター)などが用いられており、地下が安全ではない事は広く知られつつあった。トウカの殺意は地底にも及ぶ。


 地域からの逃走を選択したならば、諜報員や工作員が対象を確保する事は困難ではない。


 だが、爆撃位置次第では目標が死亡する恐れもあり、最悪の場合は城塞諸共に爆殺してしまう可能性もある。


 逃げ道を残しつつの戦略爆撃ともなれば相応の精密性を必要とする為、爆撃高度を下げる必要があった。必然と迎撃は熾烈なものとなる。第一、現状の戦略爆撃は精密性を有するものではなかった。


「些か投機的な作戦でありますが、憲兵隊や情報部が爆撃計画に関わっているとなれば、相手が勘付くかも知れません。戦略爆撃航空団の提案であれば、情報漏洩の可能性は少ないと我々は見ています」


我々という部分に、憲兵隊だけでなく情報部も合意している計画なのだろうとノナカは嘆息する。


情報部や憲兵隊の内部に情報漏洩の協力者がいるという懸念、或いは確信が両組織にある為、上奏に関わるという動きを選択できないと、クレアは指摘する。或いは、漏洩経路を炙り出す為に、敢えて別系統からの作戦行動を用意するという事も考えられた。動揺によって馬脚を現すというのは十分に考えられる。


「それで無頼漢の俺に上奏させる訳か」


ノナカが皇都に赴き戦略爆撃航空団の錬成状況を上奏し、序でとばかりに試し切りを所望する。そうした流れであれば訝しむ者は居らず、真の目的を知る関係者を最小限に留める事が叶う。付け加えると戦略爆撃航空団の有用性を喧伝する事にもなるのでノナカにも損はなかった。


「戦術爆撃航空団や戦闘航空団にも声を掛けて陽動をする必要があるな。そろそろ有効な迎撃が行われてもおかしくないぞ?」


戦略爆撃は帝都空襲以来、攻撃による撃墜騎は生じていない。損傷騎や離着陸による重傷での軍務離脱はあるが、戦闘に於いて未だ墜落騎は発生していなかった。錬度の低い者達を戦列に加えていないという部分もあるが、最大の理由は迎撃効率の低さにある。帝国陸軍が帝都空襲以降、狂った様に雑多な対空火器による防空、防火への対策に傾倒しているが、未だ対空戦闘に使用可能な砲弾に乏しい現状での迎撃は効果に乏しかった。


 実際、皇国軍もまた対空戦闘を想定した砲弾は乏しい。


 技術的優位性に加え、トウカから齎された技術情報によって開発という名の試行錯誤は最小限に留まったが、対空戦闘戦術の策定やその教育を全軍に周知するには相応の時間を有する。


 帝国の場合は皇国よりも厳しく、高初速の野戦砲や対戦車砲を対空砲に転用しているが、訓練ができる段階にない上に、長大な国境と要衝を守るには未だ絶対数で不足していた。


 戦略爆撃は、基本的に攻撃側に経路と目標選択の主導権がある。


 防御側は常に後手に回る。その為に迎撃騎は分散配置を免れない。その是正の為、早期の迎撃と展開による迎撃に必要な兵器が探信儀(レーダー)に他ならない。


 だが、探信儀は未だ皇国すら保有していない装備である。帝国陸軍も対空警戒の重要性を理解し、皇国との国境沿い……エルネシア連峰に沿う様に防空監視所を建設しているが、それは目視による原始的な監視に過ぎなかった。


 全てが新たな試みである為、試行錯誤の連続であるが、それでも各国は大規模な航空攻撃に対する対抗手段の模索を始めていた。軍事分野での落伍がより直截に亡国の危険性を伴うものであると痛感している為である。


ノナカは思案する。


外は初夏も半ばで、戦略爆撃騎を担う龍種が巨躯の儘に湖畔で水浴びをしている風景が散見される程に長閑であるが、この一室に関してはそうした気配とは無縁だった。


 隷下将兵の生命と国益、そして自らの進退を勘案するノナカ。


 将兵の生命を左右するという特権にして重圧。トウカがダモクレスの剣に等しいと評していた意味は不明だが、ノナカは軍人以前から指揮官の立場にあった為、そうした状況に対しての感情も摩耗していた。


 トウカは軍事力行使という特権と重圧を火遊びとして楽しんでいるが、ノナカはそれを若さゆえのものだろうと好ましく見ていた。若さは勢いに繋がる。私生活では諫めるべき場面がない訳ではないが、こと政戦に関してはトウカの判断は違えない。重厚でいて、去りとて乾坤一擲を行える姿勢は指導者として理想的である。


 最終判断はトウカが下す。


 ノナカ個人としても、トウカがどうした判断を下し、或いは作戦行動の追加を提案するかという点に興味があった。


「……いいだろう。どの道、帝国南部の民衆は他地方に追い遣るべきだからな」


 戦略爆撃に怯えて奥深くに疎開するのであれば、皇国の軍事戦略上でも有意である。


「他地方に、ですか……陸上侵攻時の面倒は減じるべきだということでしょうか?」


早々にノナカの意図を察したクレアの問い。


ノナカは鷹揚に頷く。


帝国南部に衛星国を建国する。


皇国枢密院の決定した軍事目標である。


政治目標ではなく、軍事目標として制定されたところに、あくまでも最大の理由が防御縦深の確保にあるという事が窺えた。エルネシア連峰は長大であり大軍の越境を抑止するが、それは技術躍進次第で過去のものとなる可能性もある。何より、現時点でも北部が航空攻撃される可能性はあり、過去には例もあった。北部を主な支持母体とするトウカからすると断じて許容できない事であり、土地の軍事的安は投資判断や発展に多大な影響を及ぼす。誰も危険地帯に自身の資産を置きたいと思う者は居らず、積極的に発展を試みる者も減少する。それは国境線付近に首都を置くが如き愚行である。


 そうした理由から衛星国建国は既定路であった。


しかし、地上侵攻は負担が大きい。


 トウカは対帝国戦役の最中も帝国南部への戦略爆撃を最低限に留めていたが、ノナカとしては寧ろ都市部は徹底的に爆撃して民衆の疎開を強要すべきだと考えていた。民衆を減じる事で占領時の食糧消費を低減するという理由もあるが、何よりも民衆が徴用されて帝国軍の正面戦力に加わる事を好ましくないと考えていた。地上戦に於いて兵力差で押し切る事を戦闘教義としている帝国を相手に兵力を補填する余地を残しておくべきではない。


皇国軍の都市爆撃により、現地民衆が便衣(ゲリラ)兵と化す事をトウカも懸念していたが、敵意を持つ民衆の存在する土地への大規出兵経験に乏しい皇国軍では軽視されていた。ノナカもそうした部分に関しては不得手である。


 対するクレアは治安維持を担う憲兵の長という立場であるが故に、ノナカの都市爆撃に対して賛意を示さなかった。


尤もトウカと皇国軍の間の認識の齟齬は、そのどちらの認識も正確に帝国南部の情勢を捉えていないものである為に一面に於いては違えていた。


 帝国南部は疲弊している。


帝国内では比較的有望な穀倉地帯でもあるが、対帝国戦役では後方策源地として食料拠出に加えて徴兵を受けた。加えて一部都市では戦略爆撃を受けており、これだけを見れば皇国軍に対する憎悪は相当なものである様に思える。


 だが、実情として徴兵は根こそぎではなかった為、食うに困った農家の次男以下が大部分を占めており、家庭が労働力を失って貧困に陥る例は少なかった。都市爆撃に対する感情も恐怖は有れども、農村部と都市部では意識の断絶があり、中には食糧を安く買い叩いていた都市部の不幸に喝采を挙げる者も農村部には居た。農村部も帝国軍から食糧徴発を受けたが、寧ろ皇国に侵攻した帝国軍が早々に壊滅状態に陥って以降、要求は格段に減少して一時的なものとなった。皇国軍による誘因と早期決戦の指向はそうした部分にも影響を与えている。


 寧ろ、交通網が爆撃によって各所で寸断された為、徴税や納税が遅延どころか放置されている地域も多い。行政を担う人物が都市部で死亡、或いはそうした人物は裕福層である事が多い為 、家財を持って早々に他地方に逃げ出し、行政は農村部からの徴税と食糧調達を四割程度にまで落ち込ませていた。


 結果、起きたのは都市部のみの限定的な飢饉である。


 大凡に於いて流通網の破壊が齎した結果と言える。


 現在の帝国南部の農村部は食糧に満ち、税金からも解放され、帝国内に於いて数少ない戦争での利益の享受者になっていた。


 無論、帝国による宣伝戦(プロパガンダ)による恐怖の刷り込みもあるが、精々が高空を飛び去る航空騎でしか目撃した事のない相手と食糧を買い叩き、税として金銭を毟り取ってゆく帝国の比較ではどちらに軍配が上がるかは明白である。不満を逸らすには帝国南部の農村部からすると皇国は遠い存在であり過ぎた。最たる理由として、皇国が近世に於いて帝国に対して侵攻していない点も挙げられる。


 対照的に都市部……特に帝国政府の宣伝戦(プロパガンダ)を受けた貧困層は皇国に対する憎悪を募らせており、地上侵攻時は積極的に帝国に協力する公算が高い。


そうした部分の報告が枢密院や参謀本部にまで届いていない現状が、皇国の情報組織の対外諜報能力の限界を示していた。


「兎にも角にも敵は焼くものだ。惨たらしいなら尚良い」


ノナカは心底とそう考えていた。


侵略を受け、民衆を殺害された側として、落とし前を付けさせる必要があった。皇国は自国の問題解決の為に他国軍を国内に呼び込んだ訳でもなければ、植民地として友軍側だった訳でもない。嘘や手の平返しなど認める必要はなかった。


 独裁者は筋者(ヤクザ)の様に面子を気にかけ、恫喝で事を成す。


 ノナカも元は筋者(ヤクザ)に他ならない。


筋者と筋者の争いである。


意地のぶつかり合い。


 国家にもそうした部分はある。


だが、この場合、皇国側の戦略爆撃に関してはノナカの意地に他ならなかった。


「我々は絶滅戦争をしているのだ。御綺麗な御題目など宗教家にでも任せておけばいいのさ」


 応接椅子に深く腰掛け、無意味な融和と安定を図ろうとする者達をノナカは嘲笑する。


 徹底的に戦うしかない。


 寧ろ、曖昧な状況の自然休戦と交戦を繰り返し続ける事は、将来に負債を遺す事になる。今時代にて解決を図ろうとするトウカは紛れもない愛国者であった。次代への問題棚上げは無責任であり怠惰である。解決不可能な問題もあるが、そうでない問題を後世に遺す事は赦されないと断言するトウカをノナカは信じた。


 国家問題の解決を口にし、その実現の為に邁進する若者を支えるのは年長者の良心である。


 例え、臣民に負担を強いても成さねばならない事がある。


 虚妄に付き合い国力を蕩尽する時代は終わった。


「既に何百年と時間を無駄にしたが、今回が最後の機会だ。これを逃せば、未来も危うい」


 信じる者は掬われる。


 国際関係での協調や友好は幻想でしかなく、国益の減少は、国民の富の減少を招く。経済規模は縮小し、それは悪循環として国家を蝕む。


「それを軍事力で打開するというのは、かなりの綱渡りではありますが……最早、手段を選んでいられない。それは天霊の神々も理解なさっている様ですから……」


 それ故にトウカという軍事力行使に対して極めて特化した天帝が到来したと見る事ができる。


 天霊の神々の意図をノナカやクレアは理解できない。


 しかし、武断的な国家指導者を遣わせたという事実だけは明白であった。


 軍事力を用いて打開する用意が成された。


 ノナカやクレアはそう見た。


 実際、そうした見方をする皇国軍人は多い。


 都合の良い解釈と笑うには、軍事力の行使に特化した指導者の招聘は大事に過ぎた。


 無論、軍が長年不遇を強いられていた反動という事もあるが、それ以上にトウカの武功に魅せられた点も大きい。軍事力を統率して敵の悉くを打ち破り、国家の護持を成すという軍人の本懐を遂げた男に対する好意は大きなものがあった。


 陸海軍がトウカという通常とは異なる経緯で暴力的に即位した天帝の支持基盤となった理由はそこにある。


 外敵を確実に打ち払う天帝。


 それは軍人達が願って止まなかった存在に他ならない。


 ノナカやクレアもまた魅入られている。


 この国難を打ち払い、国家発展の礎を築くであろうトウカの下で、二人は戦う。何処かで戦死するのは承知の上。貴軍官民の区別なく多くの者達が斃れ、憎悪と遺恨と屈辱が渦巻く現世を駆け抜ける。


 死した者達の思いを無駄にしないなどという高尚な意図はなく、職業軍人としての使命がそうさせる。その使命の為、状況を最前とする事を躊躇しない。だからこそトウカを求める。


 それは最早、宗教に等しい。


 軍事常識を無視したとも思われるが、それは寧ろ軍事的勝利のみを追求した極めて危険な信仰である。軍の階級序列や政府の政治序列、貴族の宮廷序列を無視して個人への忠誠や追従を図るというのは指揮系統や法治主義を乱す問題を秘めていた。


 当然、二人はそれを知りながらもトウカに協力している。


 トウカ自身が既存の常識や法律を踏み越えているからこそ、その障害物(ハードル)は低い。仰ぐ指導者が既存の枠組みを無視した振る舞いによる勝利を幾度も掴んでいる。


 皇国は変容する。


 誰しもが嘗ての常識に背を向け、己の目指すものに走り出した。


 皇国という国家は、力ある者達に引っ張られて防諜を開始した。


 多方向に膨張する皇国。


 誰一人として把握できない膨張。何れ国力に似合わぬ膨張の結果として縮退を迎えるのか。膨張を安定的なものと成さしめるのか。


 その采配をできる者は天帝たるトウカ一人だった。

 







申し訳ありません。個人的な事情で心労が重なっており余計に不定期となっております。

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