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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》

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外伝        とある学生の論文 Ⅱ



最大の気付きは、軍神が明らかに大日本皇国連邦・首都京都の地理を把握していた事である。


僅かな護衛を伴って移動した軍神はまるで緊張感のない買い食いなども行っていたが、幾つかの注目すべき足跡もあった。


当然であるが、その中には桜城家屋敷があり、現在は遺された歴史的価値のある武具や書物などを掲示する資料館として転用されていた。


その際、彼は我々が良く知る刀身までをも黒く塗装した軍刀を寄贈している。


これは未だ日本国との国交に厳しい制限が掛かっている為、話題になっていないが歴史的にみて価値の付けられないものを寄贈するというのは、相応の理由があってしかるべきである。


この真相を調べるべく、筆者は資料館を訪れ、館長との面会の機会に恵まれた。


館長は桜守姫家の分家筋出身の御老体であった。


戦後間もない事もあり、緊張感のある会話になるかと考えていたが、その予想は裏切られ、終始和やかな会話となった。しかしながら、こちらが質問するばかりでなく、館長もまた軍神については興味津々の様子であり、質疑は互いに半分という塩梅となる。ただ、館長は軍神のヒトという種から足を踏み外し今に至るまで戦い続けた実績に対して然して驚きを見せる事はなく、当然といった様子を見せていた。


そうした仕草の理由は当然といえば当然であるが、軍神との邂逅によるものである事は疑いない。しかしながら守秘義務を建前として、その内容については言及を避けられてしまう事となった。


だが、寄贈された軍刀については、展覧された実物の掲示物から五二式単分子長刀と呼ばれる大日本帝国連邦陸軍が嘗て試作した軍用近接戦長刀である事が判明した。採用は皇紀二六五二年であり、生産時期は一年にも満たない上に生産数自体も三本と極少数である。これは、第二次世界大戦……日本側名称大東亜戦争での英雄、桜城刀旗元帥の強引な主張によって生産されたものであり、寧ろ嘗ての英雄に対する義理立て以上の意味を持たない試作品であるからこその生産数の少なさであった。その内の二本は東京陸軍博物館、そして靖国神社という戦死者を祀る宗教施設に奉納されており、残る一本が軍神の佩用したものとなっている。


それらの経緯から軍神が招聘された時期は絞れる。


 その時期は桜城家の血統が途絶える年代と前後している。


桜城家滅亡の原因は公式記録として詳しく残されてはいないが、少なくとも大東亜戦争以降から広大な領土の辺境で頻発する独立運動への対処や、三大国間での小競り合いなどにより幾許かの人数が喪われている。そして、桜城家は大東亜戦争で一族の八割近くを喪っている点から、その幾許かの戦死ですら致命傷となった。


 だが、単純な差し引きで、軍神の正体はある程度割り出せる。


英雄であり五二式単分子長刀の正式採用を頑強に推進した桜城刀旗の一子は戦死しており、その息子が行方不明となる事で途絶えている。息子と孫の二人が死亡しているが、少なくとも五二式単分子長刀の採用時期からいずれかの一人が生存して、皇国へと招聘されたと見るのが自然である。


しかし、桜城刀旗が一子、桜城刀護は志那大陸に於いての戦闘での戦死通知が明確に陸軍より発行されており、その経緯も一〇〇年以上経過している為、規定に則って開示されている。その内容に不審な点はなく、その戦闘に於ける生存者の証言や、将来の約束された筈の人物の死である為、大手新聞の当時の発行物 にも記されていた。無論、そうした部分は捏造できる上、当人の遺体が見つかっていない中での戦死判定という不可解な点も捨て置けない。


 だが、桜城刀護も子を設けており、その人物こそが筆者の目を特に惹いた。



 桜城刀華。



 戦闘用の長い刃物に国花を示す漢字を名前とした人物である。


皇国語にするとサクラギ・トウカとなる。


 つまりは統一皇と同様の名である。


姓名までも同様であるとなると流石に無視し得ないものがある事も事実で、行方不明となった年齢と、統一皇が皇国史に初めて姿を見せた年代の背格好が近しい事も確認が取れた。対照的にその顔写真などは一切が廃棄されており、公式記録は僅少という不自然なものとなっている。幼少期から学校に殆ど顔を見せず、限られた人間関係であった為、その為人を知る事も困難を極めた。


しかし、館長は僅かばかりの伝聞を記憶に遺していた。


彼は軍隊という暴力装置をこよなく愛し、それを排斥しようと試みる者に常軌を逸した憎悪を抱いていた。


既視感のある人物像であり、そうした人物が今現在も辺境星海で領土拡大に邁進している事は皇国臣民の誰しもが知る事実である。


因果関係は不明であるが、この統一皇と思しき少年の行方不明に前後して、日本では軍主導の計画が推進され、その是非を巡って軍上層部内で大きな混乱を招いていたという出来事を知ることができた。これに関わった人物の多くが、当時の桜城邸へ頻繁に出入りしていたという事実までは掴めたものの 、計画内容や関係などは懸命の調査にも関わらず一切不明なままに終わる。ただ、本来であれば開示される筈の年月を過ぎても、表向きは存在しないとし続けている以上、相応の秘匿性、乃至、非人道的のある計画であったと推測できた。


 ただ、こうした推測に満ちた部分を補強する余地もあり、トウカという子供は学校に通わず実家での軍事教育を受けて育っている事は館長の証言によって明らかとなった。これは桜城家が滅亡前に懸念していた軍事的資質を備えた"子供達”を製造するという目的の元で多くの将帥の協力の下で行われた計画とされている。計画の対象になったのは桜城家、藤見家、椿野家という軍事に深く関わり、要職に就く者を数多く輩出してきた一族……御三家が選ばれ、現に椿野家の御令孫は赫奕たる武勲を後に示していた。対照的に桜城家と藤見家は後継が相次いで行方不明となり没落している。


少年と呼べる年齢で招聘され、政戦両略の才を見せ、極めて攻撃的な姿勢の下で周辺諸国を次々と併合した統一皇の軍事的資質の根拠を、この狂信的な教育方法に見ることができる。無論、統一皇による兵器や技術、戦闘教義に対する提言が日本の当時の時代辺りの頃のものを最後に激減しているという事も見逃せない。その智謀と先見の明は地球という箱庭で彼の先人達が血涙で記した経典の一説に過ぎなかったのではないか。無論、それを十全に活用して見せたのは血の成せる業か、或いは当人の才覚によるところだろうが、無から有を生み出した訳ではないという事実は、当代の軍人達にとり細やかな慰めになるかも知れない。


そうした館長との会話に桜城刀護氏への言及もあったが、その中で次は初代天帝に関わる重大な物品があった。


記念館の一角に飾られた陸軍〈第三師団〉〈第二聯隊〉に纏わる品々である。


桜域刀護氏が戦死時に所属していた陸軍〈第三師団〉〈第二聯隊〉に於ける聯隊旗や標語、編制などは初代天帝陛下が皇国成立前に各地を転戦していた時代に親衛部隊と扱われていた戦闘単位(ユニット)のものとほぼ同様であったのだ。無論、編制に関しては迫撃砲兵や砲兵、通信兵が魔術的な兵科で代用されていたが、その時代に在っては特異な程に諸兵科連合として完成した形を実現していた。予算や教育の都合から諸兵科連合……特に歩兵部隊と火力投射部隊、通信部隊、輜重部隊、工兵部隊、装甲部隊に類する各種部隊による連携と編制は近代に近づくまで歴史の彼方に追いやられた軍事史であるが、それは紛れもなく《大日本帝国連邦》陸軍の標準的な聯隊編制であった。


当然、その運用方法も同様であり、飛行種族による航空偵察と、火力支援と迂回突破、機動打撃を主軸として敵軍を撃破するというものであった。当時の教育や練兵の基準からすると相当な理解を要する指揮官と士官を多数必要とする為、当然ながらその編制には膨大な時間を要した。しかし、それだけの効果は戦野で幾度も示され、包囲の為の長距離迂回や開囲の為の突破に於ける先鋒や絶望的な後退戦で幾度も殿軍を務めている。


そうした卓越した活躍も先例に倣った末の編制と教育であれば納得できる。


そうした初代天帝陛下の教えに基づいた編制や戦術は、《大日本皇国連邦》陸軍のものと極めて酷似していた。後の兵器発展や戦術、編制、軍装、軍令、軍政に至るまでが酷似している意味は大きく、その源流が日本の陸軍にあると見て相違なかった。両国が星間戦争の最中に、互いに似通った軍装と軍刀に首を傾げた理由もここにあると見て間違いない。起源が同様である以上、行き着く先が類似しているのは自明の理である。


 無論、これだけでは初代天帝と桜城刀護氏が初代天帝陛下であるという決定的な確証とはなり得ない。同じ聯隊の戦死者の一人であるという可能性を排除できず、ここから先を確認する方法を筆者は持たない。軍神に尋ねれば答えを聞ける可能性はあるが、対価が頸であっては意味がなかった。


ただ、これに関しては、一つだけ根拠がない訳ではない。


その根拠は統一皇陛下が即位の儀を済ませた後、帰り際に初代天帝陛下との邂逅を経ての感想を「碌でもない糞親父だった」と苦笑した事にある。


糞親父を国父転じてのものであると見る事が昨今の通説であったが、実際は血縁上の意味からの糞親父という言葉であったのならば、これは大いに歴史を変える一言であったと言える。親子揃って天帝となった例は存在しない。


 そして、歴史上、稀に見る激しくも残酷な時代に皇国を確たる大国へと押し上げた二人が親子であったという事実。桜城家の狂信的な軍国主義教育が国家を形成し、幾多の敵国を食い散らかし……否、今現在も蚕食しているという事実は端倪すべからざるものがある。日本に於ける桜城家滅亡がなければ、三大国の中で日本が落伍する状況はなかった可能性すら思わせた。


 未だこの時点では、推測に過ぎない上記を声高に主張する心算は筆者にはないが、しかしながらそうであって欲しいという心情は確かにある。学者とは神秘と幻想にも根拠を求める生き物であるが故に。


こうした幾つもの発見と推測、そして悠久の浪漫に至る道筋を記念館で見つけた筆者は驚喜したが、そこで探求を止めはしなかった。

途中、統一皇陛下が昼食に訪れて満喫したとされる鰻屋や買占めに走った居酒屋、参拝に訪れたという社、夕飯として求めた焼肉屋(何故か隣県の名産牛だったが)などを時間に合わせて移動した。

尚、上記の店での飲食や購入は経費に計上できなかった。日本の政治文化的表現を借りるならば"遺憾の意”である。


そして次に訪れたのは蓮台野である。


皇国に於ける皇都の一角のレンダイノと同様の音感で称されるこの土地は、どちらも同じ様に墓所としての役目を持つ。


 蓮台野に関しては風葬地としても有名で、これは皇国にはない……厳密には現在の日本にもない風習……葬送方法である。端的に言えば遺体を放置して野晒しにするというもので、現在の価値観からすると些か理解しがたい方法であるが、この風習が廃れて以降も蓮台野は墓所というヒトの終焉を形作る一翼を担い続けた。


桜城家の墓所もそうした蓮台野の片隅にある。


国家の興亡を左右する局面で頻繁に名を轟かせる一族にしては小さく、それでいた単純(シンプル)な構造の墓は、記念館で耳にした言葉通りであった。


桜城家は死後にまで多くの物を携え往く無意味を知っているというものである。御三家は八百万の神々が号する戦列の一端を担うという古来よりの約定をそのままとしているからであり、それは現世に未練を持たず、再び神々の地へと転戦するという思想からものである。


 異星に在って国家指導者として戦火の歴史を紡ぎ往く事すらも神々の地への転戦の範疇に収まるとするならば、それは二つの星々を跨ぐ大国に同様の神々が影響力を及ぼしている事になる。


この点に対する根拠も両国に存在する。


両国共に宇迦之御神に対する信仰が存在するのだ。


皇国では狐系種族に篤く信仰される神であるが、同時に大規模な宗教施設を持たない土着的な神として知られ、その起源や来歴もまた不明瞭であった。宗教施設も天狐族の隠れ里にあるものが著名であるが、寧ろそれ以外では森林地帯の秘境などに小さく建立されている事が多く、一般人が目にする機会は限られている。


 対する日本では稲荷信仰の祖として広く知られており、皇祖神の弟の娘という神々の序列にある。豊穣や商売繁盛を中心として実に多面的な要素を持つ。全国に多くの社を持ち、その知名度は国内随一と言えた。武芸には縁遠いが、桜城家は稲荷信仰の総本山である伏見稲荷大社と古来より関係が深く、稲荷信仰の軍に於ける影響力拡大に一役買っている。


 名称以外の共通部分としては豊穣を司る神であり、やはり狐に関係する神であるという点があった。御使いとして狐を用いるとされ、民間伝承では数多くの逸話が語られている。一般的に白狐が著明であった。


 興味深いのは、日本では狐という存在は妖としても語られており、二面性を成す存在として古来より畏れられ、同時に好まれている点である。皇国でも、建国以前に政治に於いて姦計と謀略で一時代を築いた過去から二面性を以て語られていた。


 閑話休題。


そうした稲荷信仰の総本山である伏見稲荷大社への参拝を、統一皇陛下も行っている。夕飯前の社への参拝とは正に伏見稲荷大社の事であった。


ここでは幸運に恵まれず社家の方に話を伺う事は叶わなかったが、巨大な社務所には桜城家の中でも著名な軍人達が大礼装で映る写真が飾られていた。武神や武勇に関わる祭神ではないにも関わらず、稲荷信仰が軍部内でも一定の勢力として存在する理由が桜城家にあることは、先の記念館館長の言葉と一致する。


鳥居と呼ばれる朱塗りの神域との境界を示す構造物が無数と連なる光景は我が国とは異なる信仰を思わせた。山一つを社とした伏見稲荷大社には無数の鳥居と石段、そして狐の石像が無秩序に姿を見せていた。古代の反乱に於いて、周辺の寺社が戦火を逃れて参集し、無数の神々の社が無秩序に乱立する情景は文章化し難いが、山という自然物と共生して存在する姿は皇国の宗教施設とは大きく異なる点である。


この社に於いて大きな発見はなかったものの、その情景を見れば狐を御使いとする神による信仰は明らかであった。建国皇と統一皇の狐との縁は、狐を御使いとする神の意図を感じずにはいられない。天霊の神々とは無数の神々……典型的な多神教と言えるが、それ故に天帝招聘を主導する神が何処(いずこ)の神かで大きく変わる。この天帝招聘に於ける神々の間での出来事を人間が観測する余地はない。しかし、同じ神が常に主導しているのか、或いは輪番制であるか。当時に信仰を特に得ている神によるものであるかは不明なものの、少なくとも建国皇と統一皇に関しては狐を御使いとする宗教への信仰が一族にあった可能性が高い。


多くの有形無形の収穫を得た筆者は、夕暮れ時も過ぎ、夜の帳が降り始めた中、飲食街として名高い木屋町と先斗町へと地下鉄を利用して移動した。


 木屋町や先斗町の通りは飲食街であるが、どこに居ても視界の片隅には遠く(いにしえ)が佇む、そんな通りであった。嘗ては物資輸送に用いられていた高瀬川という小川沿いに進む。古惚けた木造家屋と練石(コンクリート)製の家屋が混交し、然したる計画性を見て取ることもできない酷く曖昧な風景がそこにはあった。観光都市というには統一感がなく、ただ遺されただけの過去が現在と共に乱立する光景であるが、それもまた風情を持っていた。そこには不思議 な調和と異国情緒がある。


そうした通りから更に妖が誘うかの様な小道の近く……赤提灯を目印にした牛の臓物の焼き物を出す料理屋へと訪れた。


 古惚けた練石(コンクリート)に煩雑に塗料を塗り重ねられた木製扉。牛の姿に部位を示す表示が記された看板。その近くの窓から見える店内は、戦後まもなくであるにも関わらず客で賑わいを見せていた。

店内に入ると威勢の良い声で注文が飛び交い、蛋白質の焼ける香りが鼻腔を操り食欲を掻き立てる。些か煙で視界が濁る光景は異国と呼ぶに相応しく、星海の時代となっても瓦斯(ガス)を用いて自ら眼前の鉄板で、それぞれが肉を焼く事に没頭していた。


 脂に焼けて色褪せた長食卓(カウンター)には使い込まれた鉄板が並び、筆者はその一つへと誘われた。


 ここでの料理は牛の臓物を鉄板焼きにするというもので、皇国首都星本領南部でも類似したものが見受けられる。無駄を嫌った者達による思考錯誤が発端である事は変わりないが、皇国と違い味付けは濃厚であった。黒に近い色合いになる甘辛の味付けの濃厚さは寿命と等価交換であるようにすら思える。序でとばかりに生肉の刺身なども注文し、筆者は大いに気分を盛り上げた。一人で。


 詳しく味と店内の様子を伝えたい所であるが、流石に内容の逸脱を教授より無慈悲な添削を受ける事は間違いない為、割愛させていただく。ただ、旨味成分は健康と反比例の関係にあるという事だけは重ねて主張したい。


 筆者は満足感と共に店を出た。


 狭い路地。


 肉の焼けた臭いの男。


 とある人物との約束がある為、異臭騒ぎ一歩手前では宜しくないと浄化魔術で臭気成分を分解する術式を発動すると、周囲の泥酔者達はこれを大道芸と思ったのか、拍手の後、筆者のありとあらゆる衣嚢(ポケット)に小銭と札を押し込んできた。未だに決済手段として現金と言う非効率が根付くが故の喜劇であった。狐耳と尻尾は大道芸人の一種と思われているのかも知れない。嫌な多様性である。

 筆者は歩き出す。


 とは言え、目的地は同じ路地の店舗であった。距離にして一〇m程度である。


 隣でひっそりと飛魚(とびうお)なる滑空する魚の出汁を用いた鍋料理(しゃぶしゃぶというらしい)を通ると、そこには一件のBARがあった。


そこのBARで避近を約束した人物が居た為である。場所と日時の指定は先方からであり、筆者としては口に合う酒が置かれている事を祈るばかりであった。


 小さな木製の看板には英語……地球欧州地域の国家を源流とする文字で店名が記され、暖色が使い込まれて風合いを増した木製扉を照らしている姿は、闇夜に扉が佇んでいるかの様であった。周囲には酒瓶が幾つか置かれており、大人の社交場である事を小さく主張している。そうした部分だけが印象となって残る程度の外観であり、それ以外に訴え掛けてくるもののない外観は酷く単純(シンプル)であった。しかし、それ故に気品を感じさせる。


 扉を押すと、涼やかな金属の音色が響き、来店を酒守(バーテンダー)に知らせてくれるが、店内の規模から扉の正面に長食卓(カウンター)がある為、扉を開けた瞬間には酒守と視線を交わすことになった。


 軽く会釈する酒守。


 神州国の文化として“お辞儀”というものがあるが、それと同様の文化が息づいており、付け加えるならば、かつて存在した神州国はその建築技法や食文化、命名基準に於いても日本と極めて酷似していた。建国者が明確に異世界からの来訪者と国史に明記されている事から神州国も日本出身者であることは疑いない。


両国が統一皇の下で干戈を交える中で、当然の様に木造建築物に対する焼夷弾を用いた戦略爆撃を選択した事は、明らかに祖国での大東亜戦争の戦訓に基づいたものである。よって、統一皇はその時点で神州国に日本の残照を見た可能性もあった。無論、結果は皆が知る通りのものであり、魔術的な消火が個々人でも可能な為に焼夷弾は想定程の効果を及ぼさず、早々に油脂(ナパーム)弾に切り替えられている。


とは言え、BARという文化は日本にとり舶来物である為、日本の文化という扱いは現地でも受けていない。無論、千年の都にはそうした風情を思わせる店舗もある様子であるが、今回は先方の指定である為、そうした社会見学は次回に持ち越す事とする。


 酒守(バーテンダー)は一人、店内も大きくはなく、日本の表現で言うならば伝統的な草製床材である畳が一五枚程度の広さの店内には棚が天井まで誂えられており、酒瓶が所狭しと陳列されていた。日本という弧状列島には地震という天変地異があるとの事であるが、それを踏まえると勇敢と思える程に限界まで陳列されている。その収集癖は脅威の一言に尽きた。


そうした光景が暖色に包まれ、柔らかな風合いの木で作られた家具や長机(カウンター)を照らしている光景は、初見であれば臆するものがある。それは皇国の酒場(BAR)と同様であった。


そうした中、長机に座る一人の女性の背中があった。


客は一人であり、その男性が今回の取材相手である事は、纏う純白の軍装に輝く金の肩章が五つ星である事から容易に察せた。


 純白の軍装は銀河海軍を示し、五つ星は元帥の階級を示している。


大日本皇国連邦銀河海軍に元帥は四人しかおらず、他三人は現在、銀河海軍の再建に奔走している。


 そうした中で時間的余裕のある元帥は一人しかいない。



桜守姫・戦華。



戦役中期までは銀河海軍大臣として手堅い戦略を見せ、戦役後期は自ら降格を願い出て銀河海軍連合艦隊司令長官を掌握。辣腕を振るい軍神をして侮り難しと言わしめた人物である。


 こうした逸話からも前線勤務と後方勤務の双方に優れた軍人である事は察せるが、特に自ら降格を願い出て実戦部隊の統率と引き締めを行った点は特筆に値すべき事であった。降格それ自体への躊躇もあるが、それ以上に隷下招聘の人心を掴み、《国際地球連邦》の敗走が続く中で銀河海軍の士気向上を果たした意義は大きい。敗走に厳しい目を向ける国民の批判を探し、隷下部隊の人事的混乱を避け、難局を乗り切った点も評価されている。


容易にできるものではなかった。


 そうした人物であるが、やはり軍神から戦略的勝利を獲得する事は叶わなかった。精々が戦術的勝利であり、敗戦の責を負って今は無任所となっている。元帥号は終身制度である為、剥奪されることはなかった。同時に軍神に抗し得る数少ない将帥として評価された部分もある。


寧ろ、日本以上の大艦隊を運用しながら大敗を重ねた亜米利加と欧州と比較される例が多い為、日本国民の間では未だ評価と人気は高い。


筆者は元帥の隣席へと腰を下ろす。


元帥の前にはウィスキーの酒瓶が幾つも並んでおり、相当に盃を傾けた後であることは明白であった。


そうした中で向けられた視線であるが、胡乱なものではなく知性の影が窺えた。


軍基地の歩哨から誰何を受けるような感覚はなく、実に軽やかな声音で筆者の名と立場を尋ねる元帥は、敗戦による落ち込みは全く感じさせないものであった。


 ウィスキー……恐らくはウィシュケの元となった蒸留酒の炭酸水割(日本ではハイボールという名称が浸透して久しいらしい)を注文する。ウィスキーの銘柄は漢字で地名が書かれた酒瓶のもので、京都の近くで生産されていると酒守が答えてくれた。動く狐耳と尻尾を持つ客を相手に全く動じない。そうした部位に視線すら向けない仕草は一分の隙もない。接客という職業の一つの完成形を思わせた。


客は二人であり、炭酸水割は早々に出てきたが、硝子盃(グラス)を上から覗けば角柱状の氷が浮いているが、横からでは僅かな輪郭しか見えない姿に筆者は尻尾を傾げる。


聞けば忍者氷という特殊な氷との事である。水から不純物や空気を除去してゆっくりと凍らせる事で透明度を高くして作り出せるものだそうで、創業以来変わりなく使用しているとの事であった。


そうした工夫などもあり、見た目にも楽しい炭酸水割(ハイボール)を楽しみつつ、筆者は元帥と会話を重ねる。


一言で表現するならば鉄の意志を持つ老女であり、その佇まいは年齢を思わせないものがある。表情や眼光には力があり、現役の軍人としての気配を漂わせていた。


最初の話題は、やはり軍神のものとなる。


英雄という枠には収まらず、寧ろ近隣諸国では虐殺者や軍国主義者として名を轟かせている人物の話題は些か血遅いものがあるが、軍人としては興味の対象であってしかるべきであった。


 そうした中で気付くのは、元帥が軍神について極めて知悉している点であった。


 だからこその艦隊決戦に拘泥したのだ。


 特に戦略規模での勝利を捨て、明らかに戦術規模での勝利を獲得するべく戦略を動員するという、日本皇国海軍からの伝統を継承しての艦隊決戦主義と言われて戦中は非難言々であった。


 しかし、三大国の内の二国……それも自国よりも大規模な二国の艦隊を戦略規模で大敗に至らしめた相手に戦略での勝利を目指す無謀を避けた点を戦後は評価されていた。


 戦略と言えば聞こえはいいが、亜米利加と欧州の艦隊は複雑な戦略を採用した結果、その齟齬を突かれた挙句の熾烈な撤退戦によって艦隊戦力の実に八割を喪失する事となった。


対する元帥は軍神に対する戦略的勝利を諦めた。


少しでも皇国軍星天海軍艦隊に被害を与え、講和での譲歩を獲得するという政治的前提の下、艦隊を分散させる事もなく、一直線に皇国側要衝を目指した。


このあたりの話は未だ戦後まもなくという事もあり、当事者の口からは未だ一般市井には流布していない情報が数々と耳にする事ができた。


筆者は元帥に対して端的に尋ねた。


元帥は、両国の不幸な接触以前より軍神を知っているのか?と。


答えは是であった。



桜城・刀華。



皇国に於ける名もなき英雄。


この時点で筆者の中では同一人物であることが確定した。軍神が未だ日本で日常生活の最中に在ったであろう写真の模倣(コピー)を差し出された事でより確定的となる。


平和の濫觴の中、波風立てる事を厭わず、次の戦争に欠かせない人材を、犠牲を顧みずに集める道筋を付けた人物。軍人の視点からの表現であり、民衆側からの表現であれば間違いなく虐殺者のそれである振る舞いを元帥は知っていた。


桜城家の分家として桜守姫家があった事を踏まえると不思議な事ではない。


 元帥曰く、政府や軍が組織として関与しなかった為に国家機密でもないが、当事者達が追及と批判を恐れてロを噤んだ事により、ある意味では国家機密以上に情報の少ない案件であったとの事である。


端的に言えば、当時、最先端技術品として販売が始まる予定であった仮想現実(ヴァーチャルリアリティ)による命懸けの電子遊戯(ゲーム)を年若い子供達に行わせたのだ。


当時、巨大な利権になると野心を隠さない逓信省から仮想現実技術の運用と推進を情報戦に於ける勝利で収奪……厳密には放棄させ、公共性を高めるべく仮想現実技術の基幹部分を無料公開するに至った。そうした流れの中で、話題性と技術的先進性を知らしめるべく、二十歳未満の子供達へ仮想現実技術を用いた電子遊戯を先行して配布した。


だが、それは仮想での死が現実の死となる恐ろしい電子遊戯であった。


剣と魔法の幻想世界に誘われた子供達は、そうした電子の箱庭で拙い戦列を成し、幾多の障害と困難を、同胞の屍を乗り越えて現実に帰還した選ばれた子供は半数程度。実に約四万名が帰らぬ人となった。


 そうした過酷な戦場に突然として放り込まれた少年少女達が、現実世界に再び馴染めるはずもなく、帰還者による犯罪は頻発する事となる。


当初は同情的であった世間も実害があると分かれば建前を投げ捨てて本音を以て排斥する動きを顕在化させる。特筆すべきこともない……いつも通りの迫害の歴史の再現であった。


 しかし、その陰には策謀が渦巻いていたのだ。


陸軍省と海軍省は、そうした事態に帰還者を引き取り、保護すると宣言。これを手厚く保護した。殺しを生業とする者達は、年若いとはいえ命の遣りをした若者達の扱いをよく心得ていた。


 孤立した者達は親身な軍人達に心を開き、その多くが軍人や軍属として仕官する事になる。些か珍妙な形ではあるが、実戦経験のある軍人を大量に雇用する事が叶う。それは軍という辛く忍耐を強いられる職種への志願が減少する中で大きな意味を持ち、ましてや帰還者達は自らを迫害した世間に対する排他性があり、軍にとっては非常に都合の良い存在であった。


従順で軍という組織に依存した六万名余りの子供達。


控え目に見ても外道の誇りを免れない謀略である。





この二つのお店は実在します。調査済みです。というかBARのほうは偶に行くんですよね。

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