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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》

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外伝        とある学生の論文 Ⅰ



 統一皇の異名を持サクラギ皇による現在の首都星統一が極めて迅速であり、無駄がなかったものである事は歴史の知るところである。しかし、そのサクラギ皇の即位以前の過去が未だ明らかとなっていない事は皇国の国史に於ける九つの謎の一つとされている。これは歴史家のみならず一般市井の間でも著明である。


 今回は歴史家諸兄からすると噴飯物、国士からすると売国奴の誇りを受けることを承知で卒業論文(という名の旅行記録)に於いてその過去の一端を考察したい。


尚、この場を借りて快く考察への助力を快諾して下さったヴァレンシュタイン、シャルンホルスト両元帥に惜しみない感謝を。


 ここで、サクラギ皇が即位した当時の現状を改めて回顧する。


 当時、未だ皇国は首都星に於ける最大規模の大陸の端に存在する国家でしかなかった。語るまでもない特殊な建国起源と即位制度を持つ国家ではあったが、当時の皇国は数ある国家の中の一つでしかなく、その軍事力も諸外国に対して特筆する程に優越している訳ではなかった。寧ろ、航空戦力以外の水上兵力と陸上兵力に於いては隣国に劣後していた。


 そうした中、皇州同盟……現在の出雲星系に存在する軍閥国家の雛形は皇国北部にサクラギ皇の指導の下で成立した。これは即位の儀が隣国の妨害を受けたことで、招聘されるべき場所より大きくずれた……皇国北部であった事に端を発する。招聘された事実と、課された皇命を知らず、己の才覚を以て見知らぬ大地に極短期間で軍閥を築き上げた事実。それだけでサクラギ皇が類稀なる軍事的資質を有していた事を示している。昨今の歴史小説や軍記物語に於いても語られて尽くしている為に割愛するが、少なくとも運だけではない政戦両略の完成形がそこには存在した。


 絶望的なまでの現実主義はあらゆる常識を嘲笑し、多くの約定を足蹴にしてサクラギ皇は国家の行く末を示した。


 類稀なる政戦両略の治世を持ち、突如として皇国史に現れたサクラギ皇。


 皇権神授による極めて天帝の権力が強い君主制という有史以来、空前絶後の政体を持つ皇国に於いて、不明確な過去を持つ天帝が生じる余地は十分にあり、事実として過去が不明瞭な天帝は多くはないものの珍しい程ではなかった。


 しかし、完全と言える程に謎に包まれた過去を持つ天帝はサクラギ皇ただ一人である。


 最大の要因は当人が過去を話さなかった事に尽きるが、知っているであろう側妃や熾天使などまでもが口を噤んだ事も大きい。その意図するところは不明であるが、少なくとも側妃達は過去を口にする事は最後までなかった。精々が断片的なものである。


 それでも、断片的な言葉は、その是非は別としても現在に残されている。


 その中でも筆者が注目したのは熾天使が指摘する「即位は建国時から決まっていた」というものである。

 即位当時はその武断的姿勢から政治基盤が不安定であったサクラギ皇の権威を保全する為の虚言であったと現在では言われている一言でもある。


 サクラギ皇以前までは積極的に政治参加する事のなかった熾天使が、サクラギ皇の即位にはそれ以前より前より強烈なまでの賛意を示している事を根拠に、過去の消極性と護国尊皇の節を曲げたとする主張は一定の説得力を持つ。少なくとも現在に残される画像では、桜城皇の前でのみ花咲く乙女と評して差し支えない笑顔を見せている事は誰しもが知る事実である。


 無論、現在も存命であり、皇州同盟で要職を担う熾天使当人に質問を投げ掛けたいのは筆者の、歴史家の悲願でもある。去れども例え可能だとしても、幾星霜の時を経ても乙女の表情を見せる相手に不躾な質問をしては、故事で言うところの"天使の翅を踏む”という事になりかねない。


 歴史家全般で否定される論説だが、熾天使の現在に至るまでの好意を鑑みれば、初代天帝とサクラギ皇の関係性は少なくとも遠いものではない可能性を否定できない。サクラギ皇は初代天帝を罵倒しつつも、それなりに配慮を示していたからである。悪名こそ誉であると憚らぬ人物であるサクラギ皇の舌鋒は鋭く、軍人らしい理論と理屈で政治にも明確に殲滅という軍事的勝利条件を持ち込む様を見れば、初代天帝のみに寛容、或いは同情的であったのは些か腑に落ちないものがある。それが血縁関係であると結び付ける早計を犯す心算は筆者にもないが、留めおくべき部分であるとは確信している。


 実は、初代天帝とサクラギ皇の関係というか細い線は、ここから見出した訳ではない。


 一五年前の恒星間戦役後に於ける出来事を発端とした逆算でしかない。


 一般市井の記憶にも遠いとは言えない恒星間戦役……《国際地球連邦》という銀河南方部、我が国からの方角で言うところの南天方面に位置する地域大国との戦争は大凡一二年に渡る激戦であった。


 戦後に判明した事実を鑑みるに、国際地球連邦との武力衝突は不運としか言いようのない偶発的産物だった。


 初遭遇(ファーストコンタクト)は誰しもが知る通り惨劇となった。


 皇国軍、星天海軍、聯合艦隊、〈南天方面軍〉〈第三艦隊〉隷下の〈第五二哨戒艦隊〉は、五四三二年八月十二日、九時二十五分。正体不明の艦隊と遭遇した。


 それは《国際地球連邦》所属の〈第42次深宇宙探査船団〉であった。


〈第五二哨戒艦隊〉は哨戒艦二隻に護衛駆逐艦四隻という今現在でも平均的な哨戒艦隊の編制であった。対する第42次深宇宙探査船団は、探査船三隻に加え、護衛として大型巡洋艦一隻、軽洋艦二隻、艦隊駆逐艦八隻の合計一四隻であった。戦闘艦のみを見ても六隻対一一隻と皇国側は劣勢であった。


 当時、互いの国家は相手国の存在を認知しておらず、〈第五二哨戒艦隊〉の指揮官であるベルトラン少佐は辺境に逃れた海賊や地方反乱軍が一勢力を築いているものと判断し、艦隊に第一種戦闘配置を発令しつつ、後退と南天方面軍司令部への打電を重ねて命令した。


 対する〈第42哨戒艦隊〉側は異星種の確認の為、艦隊を接近させた。


これを皇国側は戦闘機動と見て、哨戒艦一隻を転進させ、司令部への確実な情報伝達を試み、残存五隻で"敵艦隊”に対する阻止行動に出た。


互いに相手艦の主機出力から技術力に於いて然したる差がなく、遭遇時の戸惑いからなる艦隊行動で有人艦……知的生命体が搭乗する事を確信していた。


しかし、技術力が拮抗しているとはいえ、それは主機出力を根拠とした曖昧な基準に過ぎない。大局的な規模でみれば間違ってはいなかったが、事に軍事力の面では皇国側は《国際地球連邦》に対し、多くの面で優越していた。


星間国家としてその時既に六つの星間戦役を乗り越え、二四年前には国境を面する狂信的宗教国家を滅亡に追い込んでいた。対する《国際地球連邦》は逆で連邦内の三大国、《大日本皇国連邦》と《亜米利加合衆国》、《欧州国家社会主義連合》による駆け引きと小競り合いが軍事衝突としては精々の歴史を経た共同体であった。


先手を打ったのは皇国側、〈第五二哨戒艦隊〉だった。


これは〈第42深宇宙探査艦隊〉が皇国星天海軍艦艇の装備を見誤ったが故の接近を原因とするものである。


幾つもの恒星間戦役を乗り越え、収奪した技術と知識で軍備拡大を怠らなかった星天海軍艦艇は極めて攻撃的な装備を有していた。加えて、互いの建艦思想の差異も誤解を助長させる。


 皇国星天海軍の駆逐艦は、《国際地球連邦》で言うところの重巡洋艦相当の艦砲を少数ながら装備していた。大火力長射程の一撃を駆逐艦にすら求めたのは、周辺諸国の強固な艦艇装甲に対して確実な貫徹力を求めたからに他ならない。護衛駆逐艦は艦隊戦を行う為に建造された駆逐艦のように誘導弾を装備せず、居住性と量産性を高めていたが、主砲だけは量産性の問題から同様のものが装備されていた。


護衛駆逐艦四隻から上下前甲板に一基ずつ装備した二連装四〇cm重粒子砲……一六門が一斉に光を放つ。


《国際地球連邦》側の砲戦距離で言えば、大型巡洋艦が行うべき距離での発砲である。彼らにとり、未だ正体不明の艦隊は交戦距離ではないはずであった中での攻撃に混乱が生じた。


 だが、その混乱は〈第42次深宇宙探査艦〉隊旗艦であった大型巡洋艦の撃沈によって更に拡大する事になる。ベルトラン少佐は目標を大型艦に絞る事で最大限の奇襲効果を得ようとした。純軍事的視点から見れば最適解であり、異星種との接近遭遇としては不正解である。


 任務上、哨戒艦の持つ高い探査(センシング)能力は、情報共有(データリンク)により護衛駆逐艦と共通化され、その砲撃は一六発中、三発が命中した。


この混乱により、〈第42次深宇宙探査艦隊は〉撤退に移る事になる。


この後、両国は互いに事の次第を重く見て遭遇星域に大艦隊を投じることになった。


しかし、ここで両国は互いの思惑を読み違えることになる。


《国際地球連邦》側は、極めて好戦的な国家が存在すると確信して相応の規模の艦隊で交渉に臨もうとしがた、皇国側はその予想を超えて敵艦隊の撃滅を前提とした戦力投射を行った。


皇国は侵略的な国家ではないが、必要とあれば侵略を躊躇しない。自国民の増加と財産の拡大こそが国益であるとして脅威の排除には積極的である。


だが、不幸な遭遇一つで、本格的な交渉すら始まっていない国家との戦争を決意する様な真似はしない。


この時までは。


《国際地球連邦》に対する開戦を決意したのは時の天帝ではなく、軍神サクラギであった。これは広く知られている事実であり、無頼の輩として声高に軍神サクラギが非難したことで天帝は交戦を決意し、国民も開戦へ大きく傾いた事は言うまでもない。


 国内問題は少なく、未だ辺境星域で燻る勢力はあれども、皇国には国力面でかなりの余力があった。去りとて戦争に踏み切るだけの余裕はあったが、開戦理由はなかった。


 事の発端は、星条旗を見た軍神が激発したものと言われる。



おのれ、サクラギに星条旗相手の(いくさ)で退けというのか!



そう吐き捨てて執務机に拳を振り下ろした軍神の姿は惑星統一戦争以来の苛烈さを伴っていたとされる。


不幸な遭遇で撃沈した大型巡洋艦側面に描かれた国旗……《国際地球連邦》の主要国の一つである《亜米利加合衆国》の星条旗に対して並々ならぬ敵意を燃やしていた。


私戦に他ならない。


これは軍神サクラギに対する非難ではない。筆者は寧ろ開戦には賛成であるし、銀河の要衝へと至る航路に横たわる《国際地球連邦》の存在を放置した場合、長期的に見て国家戦略上の脅威となることは疑いなかった。


だが、この星間戦役が皇国史上、最初にして恐らくは最後の試みが無数と行われた特異な戦争であったという事実は意外な程に理解を得られていない。


これを皇州同盟や皇国政府による情報統制の産物ではないかと疑う者は少なからず存在するが、実情としては軍神サクラギが珍しく陣頭指揮を執り、尚且つ、戦後、《国際地球連邦》を構成する国家を連邦構成国として迎え入れたという話題性のある事実に隠れてしまっているだけの様に筆者には感じられる。それらを以て情報隠蔽を図ったと見るには費用対効果に乏しい事は言うまでもない。


そうした事もあり、私戦であるという印象付け自体も現在では開戦に踏み切る為の計略の一つであったとされている。


重要な部分を隠蔽する為の計略というのは、人間という生き物から足を踏み外して正体不明の存在となった軍神が得意とするところである。軍事分野に関して極めて優秀な人物であった事から、その振る舞い自体も意味あっての事と捉えられる事は致し方のないものであろう。


そうした信奉者達が大いに頷くであろう主張に対し、筆者は《国際地球連邦》の無条件降伏に一二年の歳月を要した理由を尋ねたい。


 あの軍神サクラギが一つの戦争に十二年の歳月を要したという事実は絶大なるものがある。


《国際地球連邦》と皇国の国力は、二割程度、皇国側が有利であったものの、決して隔絶した差ではなく、軍神という空前絶後の英雄が一二年の歳月を消費する程の国力差ではない。現にそれ以前の戦争では、国力や技術力に勝る敵国を僅か三~五年で殲滅に追い込んでいる事からも窺える。


最初の異星人との遭遇では、敵国との技術差から五〇年の歳月を要したが、現在の我々が知る様に、それは偽装した隕石に装備した多弾頭核誘導弾四万二千三百発による不意打での敵首都星系の壊滅という状況を引き出す為、敵の慢心と油断を誘う為……そして何よりも星間航行技術に劣る不利を時間で補う為の大戦略に他ならなかった。


そう、軍神は相当の事情がない限り、必ず短期間で敵国を打倒し得る手立てを用意して戦争に臨んでいた。


対する《国際地球連邦》戦役の経過は、それ以前の戦争と比べると実に平凡な戦争であったと言わざるを得ない。


奇想的な、或いは技術的な長所を最大限に活用した短期決戦から外れた戦争であり、要所では見るべき戦略が多分に行使されているとは言え、全般の戦争指導は軍神が関与しているにも関わらず酷く平凡であった。寧ろ、幾つかの艦隊戦などは軍事的合理性を欠いた目標により発生している。特に《亜米利加合衆国》宇宙艦隊に対する敵意は尋常ならざるものがあった。


結果として、皇国は勝利する。


相応の国力を持つ国家に対し、無条件降伏まで戦い抜くというのは近代史に於いて稀有な事であるが、それは皇国側の強攻を踏まえれば納得できるものである。


戦争末期の敵国首都星である地球への侵攻作戦では、北亜米利加大陸や欧州を含めたユーラシア大陸の大部分に対する大規模な対惑星質量弾攻撃が半年に渡って継続された。これにより《国際地球連邦》の三大国の内、二国は致命的な規模での被害を受け、未だに復興に至っていない。


それ以前までに二国は大部分の星海戦力を喪失しており、そうした経緯から《国際地球連邦》最後の大国として台頭したのが《大日本皇国連邦》である。


元より、《大日本皇国連邦》の立場としては、長年の不利な貿易で経済問題を抱えている中で乗り気ではない戦争に国連での賛成多数で巻き込まれたという思いが強くあった。貿易で痛めつけた《亜米利加合衆国》が専制君主制からの解放を唱えて強固に主張したところで、《大日本皇国連邦》はその当時ですら最高指導者として天皇が存在していた為、そうした主義主張を以ての開戦は何ら戦意を高めることに寄与しない。


 そうした点もあり、皇国にとり主敵となったのは《亜米利加合衆国》と《欧州国家社会主義連合》であり続けた。大戦後期こそ幾度かの艦隊戦が生じたものの、それらの海戦後は人道的な救助活動などが力を入れて行われ、明らかに他の三大国とは差が付けられていた。


これら上記の動きは間違いなく、離間の計に他ならない。


首都星地球までに至る星系の大部分を激しい対惑星攻撃と地上戦で攻略して占領下に置いたにも関わらず、《大日本帝国連邦》の領有星系に対しては星海戦力の撃滅のみで占領を一つとして行わずに封鎖に留めた事からもそれは窺える。


現に戦争後期の《大日本皇国連邦》聯合艦隊との決戦はそうした他国からの声に影響して行われた部分もある。


《大日本帝国連邦》は、皇国に於いて戦争指導をした軍神に離間の計の一部として利用された。それが世間一般での通説である。状況証拠は無数と存在し、星天海軍の基本方針として当時より流布されていた。


しかし、他の大国の国力を消耗せしめる事による《大日本帝国連邦》主導の講和ではなく、皇国は最終的に首都星地球占領による併合へ舵を切った。


この際も、特に日本の首都が置かれている弧状列島に対しては一切の攻撃と占領行為は行われなかったが、《亜米利加合衆国》と《欧州国家社会主義連合》の都市と人口密集地には徹底的な質量爆撃が行われて殲滅戦に等しい有様となっていた。これは交渉窓口と権力が分散する事で戦後統治が複雑になる事を嫌ったが故の“剪定”であるとする論調が多い。無論、《亜米利加合衆国》に対しては何かしらの私怨があった事も含まれているかも知れない。


しかし、何故、《国際地球連邦》の三大国の中で《大日本帝国連邦》を戦後統治の尖兵として選択したかという疑問は残る。


 《欧州国家社会主義連合》という選択肢はなかったのか?


 皇室を保持し続けており、軍神と近しい神州国系とも思える日本を選択したと見る論説もあれば、《亜米利加合衆国》自体が欧州からの移民を起源とする国家である為、危険視されたという論説もある。最も評価を得ているのは、大日本皇国連邦の国民気質……精神性とでも言うべきものが近しく、構成国に加えても摩擦が最小限に済むというものであるが、筆者は近しいのは果たして類似点は精神性のみであるのか?という点に疑問を抱いた。


神秘の国、日本。


彼の国からすると多種多様な種族が存在し、幻想浪漫(ファンタジー)の産物たる魔導を携えた皇国こそが神秘の国であるとの主張が多いが、筆者からすると日本こそが神秘の国である。


奇跡もなく元寇、露寇、米寇という明らかな不利を撥ね退け、最古の王室を有し、他勢力と共存しながらも独自の歴史と文化を育み続けるというのは星間国家となっても尚、初めて見かける特異な文明であった。惑星内に複数の国家を擁した儘に星間国家連合となる例はあるが、一つの惑星の一角の勢力を占めながら歴史と文化、風習の平準化が成されなかった例は他にない。排他性を以てそうした状況を保持する例はあるが、最終的に文化は互いに侵食しあい、混交され平準化に向かう流れが自然である。


そうした中で、日本は新たな文化や風習を受け入れつつも、古来よりの歴史と伝統、風習が希釈されはしても失われずに保たれている例が極めて多い。


皇国が周辺諸外国の歴史と文化、風習を領土諸共に受け入れる中で本来の意義や根源的な部分の大部分を忘却の淵へと追いやった事とは対照的である。


星間国家となって相応の時を経ても尚、独自性を最後まで失わなかった国家と言える。


そうした国家であるからこそ、多くの過去を今に伝えている。


その中に、軍神の起源の片鱗を垣間見る事ができる。


未だ戦後という言葉は風化せず、両国は爪痕と困難を残している為、入出国は厳しく制限されており、事実上の鎖国状態であるが、著者は異星文化研究員という名目を以て幸運にも入国許可が下りた。降伏調印や政府間折衝に携わる者を除いて、著者で二六人目であることからもその入国制限の厳しさは窺える。


 そうした中で筆者は日本という弧状列島の津々浦々を散策した。


本来の意義すら摩滅した風習に、地方で堅固に護られる神事、そして朽ち果てた伝承と名もなき者達の伝説……それら有形無形の悉くを以て文化とするという筆者の理念をこれ程に刺激する国家は他になかったが、事はそれだけに終わらなかった。


 遠ざかる神々の背を忘れなかった民族の歴史と文化には、皇国の歴史との関連性を窺わせる部分が幾つも存在したのだ。一つ二つというものではなく、数十、数百という規模である。未だ確認されていないものを含めれば星の数と評して差し支えない数であるかも知れない。


その中でも、影響力が大きいであろうものから幾つか紹介しよう。


一つ目は、近つ淡海である。


皇国では軍神の立身出世の舞台の一つでもあるシュットガルト湖がそう呼ばれているが、日本列島では中央の近江という地域に存在する湖がその名で呼ばれていた。現在は琵琶湖という名称が広く知られ、その名称は些か陰りつつあるが、未だ星々の海を征く現代にまで残されている。この湖は嘗て完全な汽水湖であったが、列島の統一を果たした大名によって近くの海と運河で連結されて現代に至っていた。


 現地名称は琵琶湖運河。


 運河で海と結ばれた湖という共通点を持っており、過去の歴史に於いては流血の舞台ともなった点も同様である。


皇国のシュットガルト湖を”皇国が近つ淡海”と評したのは初代天帝陛下である事から日本と初代天帝陛下の関係性が窺える。そして、日本という弧状列島最大の琵琶湖に用意された琵琶湖運河の関係者として桜城という名があった。


 その造成と運用に関しては日本の統一を果たした大名によって成され、死後もその血脈を中心とした行政府によって管理されていた。だが、天皇親政を経て機械文明として産声を挙げて暫く、地球全土を巻き込んだ大規模な惑星内戦争が勃発する。


 現地呼称は第二次世界大戦。


 その末期、本土決戦の際、敵の大軍を首都京都近郊に誘引し、これらに琵琶湖運河を遡上しながら戦艦六隻による山地……現地呼称比叡山越しの艦砲射撃で撃滅する命令を出した当時の陸軍大臣が桜城の姓を持つ。この際に遡上した戦艦六隻からなる艦隊の指揮官も桜城家の分家である桜守姫家であった。


 桜守姫の姓は、地球戦役の際、《大日本皇国連邦》銀河海軍連合艦隊司令長官として軍神に宇宙艦隊を率いて立ち塞がった人物に見られるが、これはその子孫である。


 桜城家と桜守姫家という名は日本国の軍事史の中で時折、垣間見られる。


しかし、ある一時を境に桜城家の名は姿を現さなくなった。


その最後については不明な部分が多く、当時は戦火の見られない治世であり、断片的な情報から血脈が痩せ細った事による断絶であると判断できる。


皇国史でも時折、見られることであった。


二つ目は上記に名の上がった桜城家である。


日本史を語る上で欠かせない一族であり、未だに日本の娯楽媒体では世を賑わせる名である。神代の時代より天皇家を輔弼し、対外戦争では幾度となく、大君の英断を支えて戦野に在った。


桜城とは統一皇たるサクラギ皇の姓であり、その大陸より渡来した漢字という文字で記された当時の表記と、サクラギ皇による署名は同様の形状であった。


桜城家と統一皇の姓は紛れもなく文字と発音の上では同様のものである。これは少なくとも、統一皇と日本の関係を意味し、場合によっては桜城家が出自であるという事も考えられた。


 桜城という姓は日本では少なく、統一皇の気質と知識を兼ね備えた教育を二十歳にも満たぬ者に課す一族は他になかった。当時の日本の世相を見ても、二十歳に至る前の少年に軍事に於ける知識の悉くを詰め込むが如き真似をする教育は異質の一言に尽きる。そうした意味でも可能とするのは桜城家のみであった。


そして、桜城家の政治志向を端的に言うならば、狂信的軍国主義である。


皇国は星海へと進出を果たして以降、幾つもの国家と遭遇し、そして滅亡させ、興廃を見届けてきた。


その中に在って狂信的な軍国主義者というものは然して珍しいものではない。全体の為に個を滅するという価値観を厭う主義も多いが、種や民族の存続という観点から見れば、それは紛れもなく最善であった。困難に対して最大限の力を結集できるという意味に於いては。無論、その使い方を過てば滅亡する。桜城家はそうした意味でも狂信的な軍国主義者であった。


統一皇の姿勢と重なるものがあるが、同時に現在の平時には権力を有さず非常時にのみ権力を求めるという点は乖離がある。


だが、平時に権力を求めないという点は初代天帝の議会制度成立に重なるものがある。初代天帝は建国後、国営が軌道に乗って以降は議会が主導的に政治を取り仕切っていた。


 意外な程に、統一皇トウカと初代天帝陛下、桜城家の類似点は多い。無論、この時点では初代天帝陛下については些かこじつけの類である。


初代天帝陛下の御真影は、当人の希望によって存在せず、その名も伏せられ続けているが、推測は幾つも存在した。というのも御真影はなくとも、当時の画家による作画によって曖昧ながらも姿を描かれている為である。これは諸兄にもよく知られているであろうが、深緑の軍装を纏い、目深に軍帽を被る姿の概略図(ラフスケッチ)は、当時の権力者複数の証言により天帝であるとされていた。残念ながらその御尊顔は影となって見えないが、この際の軍装は、日本で昭和五式と呼ばれる軍装と瓜二つである。


昭和五式の“昭和”という文字は、日本が着て戦った第二次世界大戦前後の元号である。


元号は、日本の警ての隣国である中国で創始された紀年法である。日本では特定の年代に付けられる称号で、基本的に年を単位とするものの、元号の変更(改元)は年の途中でも行われ、過去には一年未満で改元された例もあった。第二次世界大戦後の改元は基本的に崩御や譲位に合わせて行われている。


ここで桜城家の話へと戻るが、彼の一族は礼装として昭和五式を愛用している。統一皇が招聘された際に纏っていた黒を基調とした軍装も、その形状は昭和五式と類似していた。


 付け加えると桜城家が伝統的に扱う巫皇神月流剣術は、戦野で刀剣の消耗を抑える目的と、対処し難い点を重視して突きを重視した技を中心としているが、初代天帝も戦野では“軍刀拵えの日本刀”を用いて突きを好んで使用していた。


桜城家であるという点には未だ疑義が生じる余地はあるものの、昭和五式や軍刀拵えの日本刀を使用しているという点からみて初代天帝が日本人であった事は疑いない。


ここで一つ、大きな気付きとして挙げられるのは、時系列上の無理がある点にあった。


昭和という年代は、現在より三百年前であるが、皇国に於ける初代天帝陛下の御代は五二〇〇年以上も前である。それを踏まえれば、寧ろ昭和五式と日本刀の起源が皇国側にあるのではないか?という可能性も生じるが、日本国に在って近代の軍装というのは、洋式……欧州方面の国家のものも参考にしている為、生まれるまでの改良と経緯がある。対する初代天帝陛下の纏う軍装の起源は不明確であったが、突然に現れたと言っても過言ではない。無論 、初代天帝陛下自体がいずこかの世界より到来したとされるが、昭和五式には唐突感のある改良の流れはない為、初代天帝陛下の軍装を模倣したというには無理があった。昭和五式は至って順当な流れから生まれた軍装である。


 そうした部分を踏まえ、天帝招聘という機構(システム)が時系列を逆行する可能性が指摘できる。その場合、天霊の神々は時間軸そのものへの干渉できる可能性にも繋がった。


 他にも初代天帝陛下が流布させた幾つかの政治思想が統一前の複数国家で採用されていたが、それらが昭和期までの地球で次々と誕生していた点も見逃せない。それらは驚くほどに類似しており、明らかに模倣と取れるものであった。これらが皇国から地球側に流布されていた場合、昭和五式という軍装が地球で誕生するのは更に先であるはずであった。しかし、その当時の軍装にその片鱗はない。


対する統一皇は、浸透させた戦闘教義と技術、思想を踏まえた場合、彼自身は第二次世界大戦という戦訓を俯瞰的な情報として効率的に得られる年代の人物であることは間違いなく、時間軸という面では然して差のない時代であることが窺える。桜城家の血筋が途絶えた年代を踏まえると第二次世界大戦後一〇〇年以内であると予測できた。


そして、桜城家滅亡の要因、何よりも統一皇……軍神の出自を知る手掛かりは彼自身の行動にこそあった。


 厳密には、《国際地球連邦》の降伏調印式を行った後の行動である。


筆者は軍神の降伏調印後の行動経路を追って数多くの事に気付いた。





論文と言う名の旅行日記。尚、教授には再提出を求められる模様。しかし、どこかで漏れて政府が大騒ぎする。

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