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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》
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第二九九話    二人の桜城 Ⅰ





「あれが祭壇か……」


 トウカは祭壇と呼ばれた構造物を見回す。


 神や精霊などに供物を捧げる為の架台を祭壇と呼ぶという程度の知識しかないが、祖国の神棚なども同様の分類であることはトウカも理解していた。姿形が千差万別である事は疑いなく、其々の理由がある。


 よって、眼前の石造りの土俵が闘技場の如き如き構造をしている事にも相応の理由があると、トウカはアリアベルを見据える。


「この祭壇に資格ある者が立てば継承の儀が開始されます」


 酷く簡略化された説明と思えるが、周囲の朽ち果てた兵器の残骸からなる山脈の合間に用意された祭壇は然したる象意もなく、巫女や魔導士が待機している様子もない。鋭兵が駆け回り警戒を始めるが、特筆すべき報告はないのかベルセリカは沈黙している。リシアはクレアの姿に対する動揺が続いており掛ける言葉がなかった。


 兵器の残骸による山脈に囲まれた祭壇の警備など、鋭兵と言えど小隊規模では焼け石に水である。巨大な地下空洞を前に前提であった閉所戦闘という言葉が吹き飛んだ以上、警護に限界が生じる事は止むを得ない。


「儀式や詠唱は必要ではないと?」


 兵共が夢の跡、そう呼ぶに相応しい光景の中でそれらしい儀式もなく、ただ単純な三〇M四方の石の祭壇は特別な象意もなく、ただの正方形の台座にしか見えなかった。


「はい……そもそも、私も詳しく知らぬのです。本来、資格者以外が足を踏み入れる事すら赦されないので……」


 大御巫すらも例外ではないと言うアリアベルだが、それが事実とすれば相当の譲歩であったと理解できる。


 アリアベルの斜め後……佩用した軍刀の抜刀の間合いを堅持したクレアが淡く微笑む様に、トウカは誰の尽力があったのかを察する。無論、その”尽力“の内容が憲兵らしい方法であった事は疑いなく、天霊神殿の高位神官達が(さぞ)かし肝を潰した事は聞くまでもない。


「調べますか?」


 リシアの問い掛けに、トウカは不要だと応じる。


 アリアベルとヒミカ以外の天霊神殿関係者がないとはいえ、これ以上の干渉は宗教を根拠とした遺恨となりかねない。寧ろ、宗教施設であるからこそ宗教家が手を加えるという余地がないとトウカは判断する。クレアもそうした部分を天秤に掛けて放置を選択したのか助言はない。


 ――祭壇に仕掛けを作るよりも兵器の残骸からなる山脈からの狙撃が効率的である以上はな。


 現に鋭兵は足場の悪さと範囲の問題から哨戒を断念し、祭壇周囲に展開して即応する構えを取っている。魔導士による自動魔導障壁防護。聴覚に秀でた種族による音源評定での探知、機関銃と魔導砲撃による対狙撃兵制圧を行う方針に転換したのだ。


 トウカは祭壇に用意された石造りの階段に足を掛ける。


 祭壇の高さは三〇cm程度のもので、落下しても命を落とす程のものではなかった。精々が打ち身程度であり、そうであるが故に祭壇としては不気味なものがあった。供物や舞踊を奉納するにしては全高が慎ましやかであり、目的が別にある様に感じられた。


 祭壇の上に立つトウカ。


 見渡しても四角に切り出された石材を隙間なく並べたものにしか見えない。周囲にも祭壇以外に儀式に纏わる要素は見受けられず、ただ、朽ち果てた世界があった。





「久しいな」





 左右を見回す中、変化は突然であった。


 正面に立つ中年男性。


 前兆のない顕現にトウカは眉を顰める。


神々しい光も信託もなく、神秘も幻想もない顕現。


 そこに芝居染みた権威的事象もなければ、装飾的変化もなく、ただ佇む様に存在していた。宗教家達の望む荘厳と奇蹟はそこになく、ただ寂びた現実がある。


「一応、聞くべきか? 何者か、と」


 心当たりがあっても尚、立場上、尋ねねばならない不幸に、トウカは無表情の中年を見据える。





「余こそがサクラギ・トウゴ。皇国が始まり也」




 

 静かであるが、万人を従える事に慣れた声音がトウカの耳朶を打つ。


 トウカ自身、可能性の一つとして考えなかった訳ではない。ヨエルの言葉が真実とするならば、それは当然の帰結となるが、そこへの信頼に疑義がある以上、その可能性をトウカは絶対視していなかった。時間上の齟齬に加え、父子揃って同世界に漂着するというのは些か恣意的に過ぎる為である。


 故に吐き捨てる。


「……何処かで見た貌だな、んん?」


「父親の貌を知らぬというのか? 釣れない息子だ」


 苦笑するトウゴに、トウカは渋面を隠さない。


 諸々の前提が崩れ去り、会話の切り口を見い出せないトウカに、トウゴは一層と苦笑を深くして言葉を重ねる。


「御前はどうも考えが過ぎる。そこは妻に似た様だ」


 トウゴの戦死前後の戦闘詳報をトウカは拝読する機会に恵まれたが、その内容は父親の迂闊さの産物に過ぎなかった為、己の思慮を幾分か分けて差し上げたいと応じるべきかと逡巡するが断念した。過去を詰っても意味がない。


「貴官におかれては、軍人としても迂闊な点は変わりない様だが?」


 結局、盛大に詰る事にしたトウカは満面の曵身を以て詰る。


 待ち伏せにあった隷下部隊の為に陣頭指揮をした挙句の戦死である。近代軍への過程の課題の一つとして重要視されたのが指揮統率の保全、維持に他ならない。陣頭指揮を以てそれを危うくする行為は迂闊以外の何ものでもなかった。ましてや後がない決戦でもなく、辺境の治安戦での振る舞いとしては佐官落第である。


「まぁ、俺としては歴史家になりたかったのだが……軍人家系の仕来(しきた)りには抗えなかった訳だよ。天帝になったのも偶然の産物だ」


 実情としてトウゴは、兵に好かれ、人望を持ち、それに支えられたが故の指揮官であった。


 珍しいものではない。


 だが、戦況が実力を上回った。


 トウカとしては、治安戦で戦況が実力を上回る歩兵聯隊指揮官など使い物にならないと判断せざるを得ない。


「父親は息子を養い、教え、継がせるものだが……その役目は貴官には少々、重責に過ぎた様だ。まぁ、天帝に関しては、現在も皇国が続いている点を踏まえる必要もあるが」


 皇国建国に関しては及第点と言えると、存外に伝える。裏を返せば、そこに至るまでの混乱と失脚の数々は評価できないが、建国という大事業はそれだけで評価に値するものであった。


 僅かな照れを見せる中年に、トウカは心底と溜息を一つ。予想以上に直線的な為人をしている点は、同じ桜城の血統に連なるか疑わしいものがある。


 建国まで漕ぎ付けたのは誠に幸運の依らしむるところである。


「それで? 下らない問答を重ねて終わるだけか?」


「まさか。歴代の天帝はそうであったが御前は別だ。幼少の頃に苦労を掛けた事もある。親子水入らずというのも悪くはないだろう?」


 国家を押し付けるという最大限の苦労についての言及がない事に、トウカは、順序が違うな、と吐き捨てる。


「色々と知りたい事があるだろう? 御前が天帝として選ばれた理由や天霊の神々の思惑……ああ、あの仔狐が誰の差し金かというものもあるな」


「…………総て神々とやらの差し金だと?」


 神々が次期国家指導者を選択するという特異な政治制度を持つ皇国で、神々に意志というものは不明瞭でありながら極めて大きな要素として存在する。宗教家達ですら持て余す不確実性をトウカが知る由もなかった。


神威(しんい)の御世よ、再び。とでも望む心算か? それなら神権政治でも望めばいいだろうに」


 神々が喪われつつある神威を求めて人の世に干渉する心算と言うならば、トウカはその先兵として天帝に選ばれたという事になる。無論、当人がそれを許容しないので成立しない話ではあるが、神の炎と嘯いて終末兵器を実戦投入する心算はあった。


 トウゴは鷹揚に頷く。


「それだと経済が縮小してしまう。安定を産む宗教と革新を産む資本とは甚だ相性が悪いからな。多種族共栄の濫觴たる皇国の繁栄と拡大は必要だろう?」


 同意を求める歴史家志望にトウカは顔を顰める。


 トウカもまた同意見であった。


 宗教や思想などがなくとも、肌色の違い程度で騒ぎ立てる生物が人間という種族である。そこに明らかに身体能力や身体形状の違う無数の種族が共に住まうのだ。経済格差などで私生活が圧迫されれば不満の捌け口を求め、そうした部分へ批難が向く事は歴史が証明している。


 宗教や思想は思考に根差した“嗜好”に過ぎないとしてトウカは時間を掛ければ改善可能と見ているが、身体的要素を以ての差異というのは変更が困難である。根本的解決を図ることは不可能であった。教育はそれを軽減するが、その教育という“洗脳”自体に個体差がある事を忘れた理想主義者が多い。ヒトの知能もまた差異があるのだ。そして、知能的に劣る者は、世間では経済的不利な状況に追い遣られ易い傾向にある。行き着く先は不満の発露と結合、共同体の分断であった。科学技術はそれを一層と加速させ、左派的御高説はそれを止め得ない。腹の膨れない御高説など、経済的落伍者は求めていないだ。


 故に、不満を低減させる為の平等性のある経済的繁栄と、共存という美名に付け入ろうとする潜在的脅威を排除する為の領土拡大という方便は必要最低限の国是であった。


 控え目に見ても困難である。


 祖国も失敗しつつある。


 それ故にトウカは、祖国の政治指導層の無秩序を是正しようと試みたが、それはトウカが招聘された事で結果を確認する事は困難であった。しかし、計画は実施され、有望な士官……排他的で殺人に対する忌避感も少ない若者を数万人単位で確保する事にも成功している。その代償に数万名の若者が斃れたが、政治の無為無策で人口減少に転じる未来を踏まえれば、トウカは許容できる被害範囲だと考えていた。年間、一個方面軍規模の人口が減少し続ける未来に突入する未来を阻止できるならば、費用対効果としては釣り合いが取れる。


 トウカとしては高度情報化社会の到来によって軍用通信の周波数帯にまで要らぬ半畳を挟む逓信省に半世紀は拭い難い傷を与え、軍部の影響力を拡大し、逓信省と銭儲けの為に悲劇を呼び込んだという名目で経済団体に抗する心算であった。


 逆に言えば、人権意識が進んだ先進国で、謀略の末に数万名の若者を死に追いやらねば是正できない程の問題でもあった。


「経済団体が政治家に取り入る真似を阻止しようと随分と謀殺した様だな?」どちらでも、とトウゴが瞳を眇める。


 胸中を読んだかの様な一言に、トウカは読んでいるというのも法螺とは言えないと考えた。


 時系列的に見て、己の死後である筈のトウカによる盛大な国家規模の謀略を知っているという時点で話の辻褄が合わない。何より、祖父はトウカの招聘が起きる事を、最後の表情を見るに知っていた節がある。


「そんな男を天帝に選択したが故の混乱……神々も見る目がない」


 人徳を以て王道を歩み、貴軍官民を従える為政者でも招聘したならば犠牲者の数は最小化できた可能性もある。当然、今後の犠牲者の数に限っては桁が幾つか変わるであろうことは疑いないが。


「推薦したのは俺だがな……他の神々も諸手を挙げて賛成した」


 自らを神々と同列に扱う気配が存外に滲む言葉に、トウカはトウゴも神に列せられたのだろうと納得する。基督(キリスト)教が聖人認定によって聖人を列するような仕組みであるのか。日本の様に死後、神社で祀られた事で神に転じた人物も相当に居る。勉学の神として著名な菅原道真公の例が有名であるが、早良親王の様に冤罪によって絶食死した後、要人が次々と病死し、天変地異が起こった為、追諡を受けて崇道天皇となって祀られた者も存在する。善悪を超えて神の一柱として祀られる過去は、トウカの身近にあったのだ。


 眉根を顰め続けているトウカに、トウゴは笑声を零す。無邪気なそれは、同年代の様な声音である。


「公明正大にして明朗闊達、人品に優れる賢き皇……それが一体、いかなる大事を成したというのだ? 安定と安寧だけで神々は満足しない」


 背後のアリアベルが息を呑む。トウカは見向きもしない。その意向すら知らぬ相手を祀るのは宗教家の常である。


「神々は気付いたのでは? 混沌こそが信仰心を良く育むと?」


 乱世に於いて弱き者達が縋るのは得てして信仰などの精神面の思想か、即効性のある薬物や安酒となる。安定と安寧の世となれば、不満と絶望は減少し、縋るという動き自体が乏しくなるのは歴史が証明していた。


「それは邪推だ。神々の懸念は多種族の揺り籠たる皇国の風景が世界に広まる動きを見せなかったことだ」


「阿呆ですか? 己の立場を脅かす身体能力と魔導能力に優れた身体的差異のある相手を排斥しないなど有り得ない。そんな余裕はヒトが星々の間を駆ける種族となる程の経済的余裕ができてからが関の山」


 科学の進歩による資源の流通量増加。その結果としての経済規模の向上がなければ、不満は解消されない。無論、富の再分配能力が健全であるという前提はあったが。


「御高説やら建前で人魔平等が成し遂げられるなどと……貴方が親である事を心底と恥じ入るべき案件だが」


 歴史家志望が一体、何を勉強していたのだと吐き捨てたくなるような理想論を聞かされては、トウカは身体中が発疹に襲われて転げ回ることになりかねない。政治的理想論を口にするのは中学二年生までで卒業しておくべき案件であるとトウカは確信していた。


「おいおい、俺も反対したんだ。だから、今、御前が天帝として起つ事になる」


 トウカは、トウゴの自身の招聘に大きな影響を持っていたという存外の主張に溜息を一つ。


 歴史家志望と言えど菅原道真公ではなく、余計な事をする様を見れば明らかに祟り神……崇道天皇のそれである。


 祖父を一人にする意味が分かっての言葉かと掴み掛りたくなるトウカだが、不断の努力で衝動を抑え込む。遺して来た祖父の存在は、トウカにとって最大の心配であった。妖怪染みた程に長生きしている傑物であるが、それでも老いを思わせる仕草はある。


 数々の不満と懸念を飲み込み、トウカは溜息を一つ。


「……歴史上には、公明正大にして明朗闊達でいて優れた現実主義者もいたはず。態々、血縁を抜擢するのは縁故採用だと思われるのではないか?」


 企業の採用の如き基準で図るべきではないが、息子を推薦するなど要らぬ疑いを招かれない行為である。


「だが、狐神……稲荷神が賛成に回った……いや、寧ろ、あれに唆された節もある」


「我らが神は実在すると?」


 何とも返答し難い事実に、トウカは前提の修正を迫られた。


 神への信仰はトウカにとり、祖先や歴史、伝統への信仰である。そうした複合的な要素を神として信仰する事こそが、トウカの宗教であった。


 稲荷神が実在するとなれば、桜城の姓を持つ者として看過し得ない。


「ただヒトの世を見て勝手に楽しむだけの神だよ。性格は……まぁ、あれだけど、あまり存在を気にする必要はないよ。自由気儘な女神なのでね」


 稲荷神……宇迦之御魂神は、破天荒極まりない素性である素戔嗚尊の娘である。


 古事記では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、日本書紀では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と記される女神として現在に至るまで著名であった。無論、それは稲荷神として各地で祀られている事も大きい。


 名前の“宇迦”は穀物や食物を意味しており、穀物を司る神である。“宇迦”という文字が神代には食物を意味する。それは特に稲霊を表し、“御”は神秘や神聖を示し、“魂”は霊で、その名称は稲に宿りし神秘なる霊と考えられていた。正しく五穀豊穣の女神と言える。


 その女神の性格がアレと言われてはトウカも頬を引き攣らせるしかない。機織り中の姉の部屋の屋根に穴を開けた挙句、皮を剥いだ馬の死骸を投げ込んだ父神を思えば不思議ではないかも知れないが、五穀豊穣を司る女神の性格としては珍しいものがあった。


 しかし、次に捨て置けない一言がある。


「実は稲荷神があの仔狐を遣わせた。御前一人で雪原に放り出されては、どうにもならんという配慮だよ。無論、仔狐は己の神が糸を引いていたなどとは知らぬだろうが」


「……それは」


 その好意も稲荷神が糸を引いていたが故のものであるのか。そして、即位に当たって用済みであるから死を与えたとも解釈できる。


 無論、トウカはその可能性が低い事を察していた。


 皇国一つ思うが儘にできない神が、ミユキをどうにかできるとは考え難かった。特定の高位種を自由に操る事が叶うならば、国政を誘導する事も不可能ではない。王国に於いて高位種とは有力者なのだ。


 神々が現状に満足していない事はトウゴの言動から明白であり、それは即ち皇国への干渉が酷く限定的と成らざるを得ない理由がある事を示している。精々が狐一匹を任意の地点に誘導する程度のものである可能性が高い。天帝招聘に於ける選定権に関しては、神々だけでなく神祇府側の用意も必要なので、神々の負担は存外と低いという事も考えられる。一々、神祇府側の請願……大規模術式によって招聘が行われる以上、確かに魔術的負担の大部分が神々にない事は明白であった。


「御前への干渉はそれだけだったよ。後は御前の力量と運に依るところだ」


 疑念を察したトウゴの言葉に、トウカは軍帽を祭壇に叩き付ける。


 結局のところ仔狐の死因が己に帰結する事実は避けられず、そうではないと願って詰まらぬ言い逃れをしようとしている己の浅慮に、己でなければ殴り倒したい程の軽蔑を覚えた。


「言いたい事はそれだけか?」


「まぁ、そう慌てないで欲しいな、父と子の邂逅だぞ?」


 不満を隠さないトウゴに、トウカは苛立つ。


 写真でしか顔を見た事のない相手に父親だと迫られたところで、然したる痛痒すら感じない。寧ろ、父親として何一つ遺されてはいなかった身としては、今更、父親として振る舞う相手に対する家族愛などなかった。遺族年金すら戦死した部下に祖父が分け与えている以上、トウカは父親という存在は元よりないものとして扱い続けている。


「別に交わす言葉などないでしょう。それとも刃を交わすと?」


 佩用した軍刀を軽く叩いたトウカが苦笑する。


 トウゴの剣技の技量は不明であるが、トウカと同様に腰に軍刀を佩用している姿は様になっており隙は窺えなかった。


「御前は御前の成したいようにすればいい。それを神々も望んでいるが……しかし、少しばかりおいたが過ぎる」


 軍刀を抜き放ったトウゴ。


「教育の時間だ」


 漲る戦意。


 初代天帝が武勇によって建国を成した事実を示す姿がそこに在った。








 上段に、右上に掲げる様に構えたトウゴの姿は、桜城一族の流派ではなくタイ捨流剣術のそれであると見て取ったクレアは、容易ならざると見た。


 クレアはトウカから剣術の指導を受ける中で幾つかの流派の概要を伝え聞いていた。


 タイ捨流剣術は奇抜な剣技の多い流派であり、初見の者を相手に優位を得やすい。


 トウカの一族が扱う巫皇神月流剣術が、得物の耐久性保持と閉所戦闘を重視した突き主体の剣術である事を踏まえれば対照的とすら言える。


 二人の刀は、反りがあり刀身の片側に刃がある……クレアが説明された典型的な日本刀の形状をしている。トウカの軍刀は、反射防止の為、刀身に乾溜液(タール)を塗装しているが、未だ抜き放っていない。


 ――そうでしょうね。


 クレアはトウカを良く理解している。


 茶番劇から視線を下げ、懐中時計を取り出して時間確認するクレア。地下空間(ジオフロント)の風景投影下では陽光などで確認する事も難しく、衝撃的な出来事ばかりを体験した為、体内時計も当てにはできなかった。


「止めるべきではありませんか?」


 アリアベルの問い掛けを、クレアは正気とは思えないという心情を隠して応じる。


「……初代天帝と斬り結ぶ事もまた儀式上の意味がある可能性もあります」


 初代天帝と相争うという事への忌避感か、或いは御高説を求めて止まない宗教家としての本能か。アリアベルの不明瞭な感情的産物による提案は議論するに値しないものであった。


 招聘の儀に生命の危険があるのであれば、今までの天帝招聘の儀にも失敗があったはずである。ましてや相手はトウカの父親を名乗る人物で、トウカの言葉に齟齬なく合わせている以上、少なくとも当人か、それを模倣して造られた存在である。敢えて危険に晒す可能性は低く、寧ろ情報を得られる機会を損なうという選択肢はなかった。


 クレアは遠方に煌く狙撃銃の拡大鏡(スコープ)を一瞥する。


 鋭兵科の狙撃兵は、兵科の中でも特に長距離射撃に秀でた兵士が選抜される。歩兵科の選抜狙撃兵よりも優れた技量の持ち主が多く、その大部分は耳長(エルフ)族であった。建国期より長距離射撃に秀でた種族は未だその技能に於いて他種族の追随を許さない。


 ――最悪の場合、介入は容易ですが……


 唾競り合いとなった場合、誤射を恐れて狙撃は断念せざるを得ない。分隊支援火器……機関銃による掃射などは元より選択肢としてなかった。


「そもそも、親子喧嘩でしょ? 私達が出るなんて無粋じゃないの?」


 リシアの指摘は、クレアの思うところでもあった。同時に孤児のリシアからの指摘は予想外であった。アリアベルが言及するとばかり考えていたクレアは私見を口にする機会を逸する。


「そうした懸念もありますね」


 複雑な方ですから、と言い添えるクレアだが、最悪の場合は自身が斬り込まねばならないと覚悟する。リシアも同様なのか腰に佩いた軍刀の柄に手を添えていた。


「でも、初代天帝が今上天帝と親子だったなんてね……かなり歳の離れた親子じゃないの?」


「御冗談を」


 リシアの呆れに、クレアは失笑する。


 年齢差は冗談としては悪くないが、順当に考えるならば、他世界との時間経過に差があるか、或いは神々の天帝選定は時間的制約すらも受けないという事になる。流石に一方が時間遡行の能力を有していると考えるのは無理があった。


 女性達の視線を顧みず、二人の押し問答は続く。


「御前、親父を何だと思ってるんだ?」


「|ヨエルとエリザヴェータ|(不良債権)の始末を怠った糞」


 聞けば聞く程に、何処かで命を狙われかねない内容に三人の歳若い娘達は表情を曇らせる。三人揃って多くの者に死を願われているという自覚があるが、その理由を好んで増やしたいと考える程に勇気と無謀の違いを知らぬ訳ではなかった。


 そうした中で響く甲高い銃声。


 本来は小銃用の高初速弾を本来の想定よりも短銃身で撃ち出した音は耳慣れたものであった。皇国製拳銃は魔導障壁を貫徹するべく、総じて高初速であった。それ故に人間種が安定して片手で扱うには難がある。


 銃声は一発ではない。一二発。弾倉一つ分である。


 トウカのP98自動拳銃のものである。


 クレアは溜息を一つ。


 教育の時間と嘯けども規定は示されず、トウカは同意もしていない。ならば銃を抜くのは時間の問題であるとクレアは見ていた。父親は息子の気質と論理を理解していない。故に神々の末席に名を連ねたとは言えど、その権能は現世を遍く見渡せる程のものではないと判断できる。


 身体に血が流れ出ない銃創を開けて、痛いなぁ、と嘯くトウゴには銃弾程度然したる痛痒を感じる程でもない様に思える。銃弾が効かないならば、斬撃が効く筈もない。それを知れただけでも銃撃には意味があった。


「幻影相手に御座敷剣術? それは随分と無駄な時間だな」


 P98自動拳銃を投げ捨てて、トウカは溜息を一つ。


 千日手ならば良いが、決定打を持たないトウカが不利なのは明白である為、うんざりとした表情もまた致し方ないものがある。



「これは男気の問題だ。分からないのか? 親父も詰まらない教育をしたものだ」


「御前が男を語るのかよ」吐き捨てるトウカ。


トウカの明確な怒気をトウゴは笑う。


 そうした中、理解を超える発言に、クレアはトウカの合理主義は血縁上の産物ではなかったのだと悟る。


 初代天帝の逸話を見るに、そうした部分が多分にあることは疑いないが、目の当たりにする機会に恵まれるとはクレアも今日に至るまで考えてすらいなかった。


 アリアベルは二の句が継げない……諸々の衝撃より回復していない。事の重大さを理解していなかった。


 対するリシアは場末の乱闘騒ぎを見るかのような自然体である。事実、肩書きよりも本質を見ていると言えば聞こえは良いが、北部の日常の延長線上と見て馬鹿々々しくなっただけであった。


「……面倒ね、男気を叫ぶなら潔く拳で語ればいいのに」


 北部出身者らしいリシアの発言をクレアとアリアベルは揃って黙殺する。場末で暴れる酔漢とは訳が違う。


 しかし、真に受けた男が居た。驚いたことに二人も。


 トウゴにとっての親父……つまりトウカにとっての祖父の話は、トウカにとり複雑なものであるらしいとクレアは眉を跳ね上げる。


 金属音。


 トウカの軍刀や拳銃を吊るした軍帯(ベルト)を投げ捨てる音。序でとばかりに上着を脱ぎ捨てる様に道理も投げ捨てたのだとクレアは諸悪の根源のリシアを睨む。


 リシア当人は下品な歓声を上げている。序でに近くの鋭兵達も同様であった。精鋭であっても北部出身者である事に変わりはないと分かる光景。



 そうした中で、息子は父親の美学に付き合う構えを見せた。




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