第二九八話 二つの皇国
「これは……随分な建造物だな……」
雅典の城市を思わせるそれに、トウカは呆れ顔を隠さない。
北部でも孤児院や教会などは、トウカからすると不愉快な形状が一部に見られる。明らかに違う文化のそれに、俺に負けぬ程に節操がない、とすらトウカは考えていた。しかし、アリアベルが巫女服を纏っている事を踏まえれば、トウカ以上に手当たり次第とすら言える。
小高い丘に窺える神殿を中心とした城市の姿に、トウカは防御陣地としても優秀だと見た。周囲に複数の山があり湾もある為、適切な戦力と要塞化があれば侵攻は容易ではない。
無論、現状では要塞化もされていなければ戦力もない。
「あの二つの山地に航空偵察を出せ」
「既に航空偵察は進発しております。有事には二個戦闘爆撃航空団と一個戦術爆撃航空団が。それを二個戦闘航空団が護衛する事になります」
トウカの命令に、リシアが応じる。
如才ない軍事行動にトウカは事前準備が十分にされていたと確信する。
――エップにリシア……当然の様に同行してきたラムケの紐帯か……ザムエルも居るな。
エップはそれらしい言動があり、リシアは短期間……恐らく事前準備があった故に軍を動員して見せた点を見るに同意していると取れなくもない。ラムケはトウカの提案に同意して虚報を吹聴して回り、ザムエルの協力があれば装甲師団の動員は容易となる。互いに顔見知りであり、連携する事に不安はなく、動くとなれば互いの連携確認を行うのは自然な流れであった。
「北部の者達の望みでもあるか」
連名で迫らない事を見るに、連携を知られる事を、或いは自身が圧力と受け取る事を嫌ったのかも知れないとトウカは思案する。エップが宗教的即位を求めた事自体もまたリシアやラムケ、ヴァレンシュタインの間で合意があった上での行動である可能性とてあった。否、トウカの合意から短期間で航空艦隊と、充足した装甲師団ではないとはいえ集結させた経緯を見れば、連携していると見る事が自然である。
――どこまで話が通っているのか……
皇都近郊で大規模に軍を動員する以上、陸海軍に疑心を抱かれない為に事前の根回しは必須であり、それが成されていないならば、皇都近郊で呼応して睨み合いという事になりかねない。
「そぉですなぁ」ラムケが朗らかに同意する。
周囲が容易に同意できない事を至極端的に同意する部下に、トウカは溜息を一つ。聞けば容易く事実と経緯が返されるかも知れないが、安易に訪ねる心算はなかった。取得情報の限界を晒す真似をトウカは避けたいと考えていた。
北部出身者がトウカの即位に宗教的妥当性を求めているという事実。
その意義は途方もなく大きい。
完全な即位を、疑義の余地のない完全な天帝を求めて他勢力を圧倒しようという意図もあるが、そこには不完全な権威に対する不安も窺える。隙を自覚した上で対応策があるならば、放置し続ける事に負担を感じるのは至極自然な事であった。
「警備は……憲兵隊主導か」
トウカは既に肉眼で見え始めた霊都の外周部に展開する装輪式歩兵戦闘車の姿に、治安維持活動の範疇で霊都に乗り込んだのだろう当たりを付ける。ヨエルからの進言で許可しているが、トウカの命令を天霊神殿側が素直に聞く筈もなく、他の方便を用意して望んでいる事は疑いない。
「陛下、市街地に差し掛かります。車内へ」
リシアの上申に、トウカは動かない。
怯えて姿を隠す様では軍人達から失望を招く。軍神として即位する以上、その振る舞いもまた軍神であらねばならない。国家指導者の本分からは逸脱するが、武を以て国事を掌握した以上、付き纏い続ける命題である。
「死なせたくなかったならばら全力で護れ」
トウカは兵員輸送車の展望塔から身を乗り出した儘に将兵達へ答礼する。
左右の歩兵達によって掲げられた天帝旗と旭日旗が林立し、嘶く風に揺れて視界を遮る。狙撃で射線を通す事も困難な有様であった。
「ああ、もぅ……全周警戒! 戦車隊は榴弾用意! 対空戦車は高層物に照準! 狙撃兵は兵員輸送車上に展開! 装甲歩兵は両翼を固めなさい!」
リシアが車内から怒気を其の儘に、護衛部隊に指示を飛ばす。車内で通信兵の送受話器を奪って叫んでいる姿は容易に想像できる。
風に流れる無数の旗幟は幻想的ですらあるが、それを仰ぐ者は軍人達以外に見受けられない。揺れる軍旗と軍靴の音が戦火を招く音と言い張る売国奴のそれが理由ではなく、単純に皇都擾乱に於けるトウカの苛烈無比な振る舞いを知るが故であった。市街地であるから、或いは民衆であるからという理由と常識が、トウカの号する銃砲の前には意味を成さないと広く知られているからである。
トウカが上半身を出す展望塔から、同様に……無理をして上半身を乗り出したリシア。各種族の差異を考慮して余裕のある設計と、慎ましやかな胸であるからこその芸当であった。
「天霊神殿前に停車しますが、護衛はどうなさいますか?」
人影のない通りを履帯と軍靴が石畳を踏み締める音を背景に、リシアが問う。
「剣聖に鋭兵一個中隊で足りぬと言うならば諦めて殺せるだけ殺して討ち死にする他あるまい」
只では死なぬ。死が避け得ぬならば、より多くの傷を遺して死ぬのが武士である。そうした修羅の国の視点に基づく覚悟ではないが、黙って斬られる事を恥辱とする程度には、トウカも武士ではあった。
「討ち死には兎も角、規模としては妥当かと」
閉所戦闘では投じられる戦力は限られる為、量よりも質が重視される傾向にある。閉所で物量を展開するのは現実的ではない。
ヨエルが治安維持の名目で重装憲兵を先んじて展開している為、その目を掻い潜って凶刃が迫るという事は考え難いという部分もあるが、いざとなればベルセリカが血路を開くという打算もあった。
停車した車輌群。
トウカの登場する兵員輸送車を囲む様に歩兵戦闘車と対空戦車が展開し、天霊神殿前の広場を埋め尽くす。歩兵は短機関銃や軽機関銃、魔導杖を手に周辺警戒を開始し、戦車猟兵は車輛周辺の防護を担う。
トウカは展望塔から飛び出し、車輌から石畳へと降り立つ。
整然とした街並みは規則的であり幾何学的な佇まいを見せるが、白色に統一された姿は無機質な気配を漂わせた。それは民衆の姿が見受けられない事もあって破棄された都市を思わせる。
「民衆の歓呼の声もなく、侘しい儀式になろう」
気が付けば隣に立つベルセリカの哀愁誘う囁きを、トウカは鼻で笑う。
「代わりに高らかな軍靴の音と、力強い魔導機関の駆動音がある。何を悲しむ事がある。騒々しくも力強い。国家の鳴動それに他ならない」
概念を理解すらしていない衆愚が喚く人道に弄ばれて衰退を受け入れた国家にはない、熱狂がそこにはある。結果が伴えば民衆は後に続く事は歴史が証明しており、主要報道機関の多くを押さえたトウカは熱狂を創り出す事ができた。
熱狂は躍進の糧となる。
過ぎて滅ぶならば致し方なし。
広場には重装憲兵が展開しており、周辺の建造物の屋根に歩哨を置き、小路を阻害で封鎖している。地下水道を警戒しているのか縦孔を開いて降りていく憲兵の姿も見受けられた。
連携確認を行う士官の姿を見ても事前協議が行われ、予め問題が洗い出されている事は明白であった。合同警備を事前協議なく行える筈がない。
リシアが肩に軍用長外套を恭しく掛けるに任せ、トウカは天霊神殿の長い階段を悠然と降りる千早を揺らした巫女服を見上げる。
アリアベル。
護衛でもある友人ともう一人の巫女服の少女を連れただけの行進には兵士達の動揺も少なくない。大御巫にしてクルワッハ公爵家令嬢という二つの肩書の意味は重く、勝手気儘に市中を闊歩できる立場ではなかった。
「一端、止めて身体検査を行いますか?」
「止めておけ」
満面の笑みで提案するリシアにトウカは不要と伝える。喜び勇んでアリアベルの衣服を剥ぎ取りかねない。宗教都市で宗教を足蹴にするに等しい行為によって要らぬ不興を買う心算はトウカにはなかった。必要でない無体を働く程にトウカは暴力に餓えてはいない。
トウカはアリアベルに近付く事無く、彼女が自らの前へと進み出るまで動かない。
「陛下、お待ちしておりました」
「ああ、待たせた様だな」
部下の突き上げを受けたとは口にしないが、或いはアリアベルによる蠢動があった可能性もある為、トウカの言葉は端的なものとなる。胸中ではリシアに引ん剥かせれば確認できたのではないかとすら考えていた。
アリアベルの案内でトウカは天霊神殿へと足を踏み入れる。
長い階段を過ぎ、微細極まる象意の石柱の群れを抜け、内部へと足を踏み入れる。警護の鋭兵達とベルセリカが適度に散開して深紅の絨毯を軍靴で踏み締めながら警戒に当たる。
左右の壁に掛けられた巨大な宗教画の数々。
具体性のある宗教的場面の数々に居心地の悪さを覚えたトウカは、アリアベルとの距離を詰める。幻想や神秘が抽象的である事を以てヒトを惹き付け続けるものであると考えるトウカには、酷く克明な宗教的場面とはある種の狂信性を思わせて止まない。
トウカはぎこちない歩きでアリアベルに寄り添う少女の背に視線を向ける。
アリアベルと同様の巫女服だが流れる様な黒髪を腰よりも伸ばし、衣裳人形を思わせる美しさを見せている。輝夜姫という言葉が脳裏を過る佇まいに、前髪は眉上で横一文字に切り揃えられ、目鼻立ちは顔佳人という言葉の体現を果たしており、トウカにとり祖国の美を思い起こさせるものであった。
全高のある巨大な象意を凝らされた鉄扉に、表面に複雑怪奇な魔術刻印が奔り開錠していると思しき姿に護衛の兵士達の中には口を開けて見上げている者も居る。
暫くの時間的余裕を得たトウカは、アリアベルの隣の巫女について問う。
「其の方、何者か?」
僅かな緊張を滲ませて巫女は応じる。
「ヒミカ・ランドウに御座います。当代大御巫より後継の推挙を受け、この場に参じる栄誉を与えられまして御座います」
「そうか……次代か。必要ではあるな。しかし、他の高位神官共は納得しているか?」
トウカの疑問に対し、虚を突かれたという表情のヒミカ。
目が泳ぐ様にアリアベルに向かい、そのアリアベルは瞳を眇めてヒミカを見据えた。
その仕草で後進の教育も半ばである点と、天霊神殿内の意思統率に於いて決定的な規模の多数派とはなっていない点を確信する。トウカからすると当然の話で、皇妃就任によって突然の大御巫の代替わりを促したに等しく、組織内での混乱と権力争いは避け得ぬ話であった。
それを根拠としてより積極的に介入するという思惑もあった以上、トウカとしては予想通りの流れでもある。アリアベル排斥の流れをより確固たるものとするという思惑がそこにはあった。皇妃であるにも関わらず、天霊神殿に影響力を保持し続ける事は望ましくない。
「急激に過ぎた動きに対応できるならば、内戦を上手く統制できたはずだ」
「御姉様は――」
「いいのよ、ヒミカ」
ヒミカが言い募ろうとするが、アリアベルはそれを制する。
トウカはその姿に小さな驚きを覚えた。ヒミカはアリアベルの対立派閥とは言わないまでも、関係の薄い人物が選択されると考えていたトウカには意外であった。影響力は自身が想像した程に減じていないのかも知れないとトウカは気のない声を漏らす。
「陛下、我が陛下。恐らく、思われているであろう疑問にお答えします……皆、火中の栗を拾いたくないのです」
「……ああ、成程」
アリアベルはトウカの疑念を察して端的な事実を述べる。
例え、アリアベルが去った後に主導権を獲得しても、それはトウカと天霊神殿の鍔迫り合いに於いて主導権を持たねばならないという事を意味している。それを危ぶんで組織内で要職に就く事を恐れているのだ。トウカとの争いに於いての敗北は死を意味する。特に正面切っての争いの後に生存している有力者はアリアベルを始めとして僅かであった。
「懸命な事だ。陣営内での主導権争い程に不毛な事はない……ああ、皮肉ではないぞ?」
征伐軍を編制し、国内に於ける主導権獲得を意図したアリアベルの嘗ての振る舞いに対する皮肉ではないと、トウカは明言する。自身が派手に主導権獲得の為、軍事行動に暗殺、恫喝、謀略と叶う限りの非道を成したが故に、そうした点での批難は無意味であった。アリアベルの場合、批難されるべきは甚大な犠牲者を出しながらも失敗した点にこそある。結果の伴わない政戦は異論の余地なき悪であった。
「持て余すなら我に言うが佳い。早々に間引いてやるぞ」
ヒミカへとトウカは提案する。
それは暗に介入も意味するが、ヒミカの困惑は好意的な姿勢に対するものであった。トウカはそれを察して政治に対する知見に乏しいと推し量った。
「私は、その神殿を力ではなく教義によって纏めたいと考えております」
暗にトウカの武力による統率に対する批判であるというには表情が曇り、恐らくはそう捉えられかねないからこそ言い淀んだであろう姿にトウカは溜息を一つ。
宗教家としては真っ当だが、組織を纏めるには理想が過ぎる。そして、天霊神殿は宗教を以て成す“組織”であった。
「何という事だ。アリアベル、次代は常識人だぞ?」
それが良い事であるとは限らないが。
「陛下、それは私めが非常識だと仰りたいのでしょうか?」
胡乱な瞳の批難にトウカは、気付かなかったのか、と応じる。
一軍を編制して地方討伐に出征し、そのまま他国の侵略に備えようとする巫女は、祖国でなく皇国でも前例がない。祖国では寺院の僧兵の様に、名神大社などには戦巫女という独自戦力を常備している場合があったが、それは極限られた例でしかなかった。当然、合戦に参加する事はなかった。
――僧兵も天下人に一掃された。俺が神殿騎士団を一掃するのも歴史の潮流か……
近代まで宗教が自前の戦力を保持し続けるというのは、前任者達の怠慢に他ならないが、神々の実在性が確実視される中での介入を危険視した事は、トウカも理解できないではない。資本主義の深化によって非実在性の産物でしかない神々の影を後退させた元居た世界とは違い、実在性は金銭に抗し得た。
トウカはアリアベルの批難を黙殺する。
「まぁ、巫女らしい巫女に初めて会ったのだ。統率の支援くらいはしてやる。一個鋭兵大隊もあれば十分だろう」
「それは……」
「私も正装で御会いしたはずですが……」
二人の巫女が揃って困惑する。
アリアベルに対しては、金髪碧眼で騎士団を直率する巫女が居て堪るかと吐き捨てたいところであるが、皇国では然して珍しくもない為に理解を得られないと察してトウカは追及を避けた。
複雑精緻な文様が鉄扉から去り、老女の叫び声の様な金属音……恐らくはそう頻繁に開閉が行われていないであろう扉がゆっくりと開き始める。
ベルセリカが頷き、鋭兵に先行を促す。
一個分隊の機関銃を手にした鋭兵が駆け出し、その場に展開した鋭兵小隊は軽機関銃を腰溜めに抱え、後衛の鋭兵小隊は魔導杖を構えて魔導障壁の展開に備える。
長い廊下の各所に憲兵の姿が窺えたが、小銃を手にして警戒するばかりで儀礼の為の憲兵は一人としていない。本来であれば敬礼を以て儀礼をしめす人員も用意すべき場面であるが、明らかに実利のみを追求した布陣にトウカは既視感を覚える。
「陛下、此方は地下へと通ずる部屋に御座います」
安全確認を終えた鋭兵達がリシアに問題なしと報告して散開する姿に、トウカは鋭兵という特殊部隊と近衛兵という二つの性質を持つ兵科の教育と採用はどの様な形になっているのかと疑問を抱く。概要は知っているが、特殊部隊という部分に於いては、どの様な特殊任務を想定しているのかまでは理解していなかった。ただ、空中挺身の提案を参謀本部に投げ付けた際、鋭兵にその任を負わせようという動きはなかった為、飽く迄も精鋭歩兵という位置付けという可能性もあった。
――陸戦隊は海軍の陸戦艦隊が居るとしても、空挺師団や特殊部隊は整備する必要があるな。
国家は軍閥の様にただ正面戦力で相手を如何に効率的に殴り付けるかという点に諸問題が収斂する訳ではない。軍事行動だけを見ても、救出や救助を始めとした、ただの表面的な破壊だけに留まらない任務に対応せねばならない。
「昇降機か?」
アリアベルとヒミカは潔白と安全を証明する為に先んじて鉄扉を潜り、トウカもそれに続く。
トウカの疑問は、昇降機で地下に降りるのであれば良いが、階段であれば面倒……という心理的なものではなく、護衛上の困難からの疑問であった。懸吊索を切断されては護衛の意味もない。
そうしたトウカの懸念は薄暗い部屋が僅かな浮遊感と共に降下し始めた事で氷解する。
「魔術的なものか? 機械ではない様だが……」
振動もなく、ただ暗闇の中で朧げに地下へと続く空間の継ぎ目が下から上へと等間隔で流れていく光景に降下している事を意識する事が出来た。
鋭兵達がトウカの指摘に、薄暗さを掻き消すべく、魔術で銃身から光を放射する。祖国の小銃に装着した軍用電灯の様な運用に、トウカは感心する。暗闇でも明確に周辺を確認できるだけの視力を用意でき、軍用電灯を装備せずとも光源を使用できるというのは、潜入任務などでは大いに長所となり得た。
しかし、トウカの感心と鋭兵の配慮を他所に、暗がりは忽ちに払拭される。
蒼空。
美しい青をした空を降下している。
「空間転移……ではない様です。信じ難い事ですが、地下の様です」
リシアの耳打ちに、トウカは空に僅かに窺える継ぎ目を視認して投影技術の類であると察する。しかし、足元までもが見通せる中で、緑と鉄屑の饗宴だけは投影物とは思えなかった。
「地下空間か。下の植生は本物に見えるな」
「はい。天霊神殿が誇る大霊廟に御座います……とは言え、私も入るのは二度目なのですが」
今となっては憲兵が闊歩しておりますが、と付け加えるアリアベル。
トウカは警備の都合があるとはいえ、恐らくは最奥周辺にまで憲兵の警備を許容する姿勢にアリアベルの覚悟を感じた。無論、不満が生じるものの、自らは皇妃になる事で逃げ切る余地があるので後任に問題を残さない事を優先するという割り切りが潜む事は疑いない。
地下に巨大な空洞があるというのは地殻の都合である為、地質学などの分野であり、トウカの知識の外に在った。
しかしながら、巨大な地下施設には縁があった。
相互破壊確証という歪な安寧の下でも、各国の軍隊は致命的な有事……核攻撃に備えて地下に政府機能や軍備を隠蔽しようとした。日本でも松代や京都、大湊、佐世保、呉を始めとして巨大な地下要塞が各所で建造され、司令部や大陸間弾道弾、潜水艦隊が収納されている。
地下都市を建造する利点は、地上の気候に影響を受け難く、地震に対しても有力な岩盤に都市を建造する事で、少なくとも地盤に難のある東京などよりも安全な都市を実現できた。
当然であるが問題も多く、人工的に巨大な地下空洞を実現した場合、地下水理を完全に変えてしまう事から環境への影響は避けられなかった。当然、換気や浄水、ごみ処理、浸水……そして何よりも光源の確保に多くの困難を伴う。
現にトウカの知る地下都市と称する建造物は都市という規模ではなかった。
「しかし……あれは……いや、まさか……」
トウカは眼下の森林と鋼鉄の残骸を見据える。
彼にとり未知とは言えないモノが、そこには横たわっている。
「防護巡洋艦〈畝傍〉、向こうは〈鞍馬〉型防空巡洋艦……四二式重爆撃機泰山もあるな。行方不明になった兵器か?」
航空機は消耗品という側面が大きい為、不明であるが、防護巡洋艦畝傍と防空巡洋艦鞍馬に関してはトウカの知識に存在した。方や独航艦として印度洋を航行中に行方不明となり、方や南極探査で行方不明となった事から有名である。共に同型艦はなく、眼前の艦が実物であるならば、他艦と見間違うという可能性は低かった。
「あれは、戦艦〈近江〉か? 莫迦な、桜守姫家の者が艦長をしていた筈だぞ」
一際、巨大な戦艦の姿に、トウカは愕然とする。
赤錆びて朽ち果てつつある姿であるが、布哇沖海戦で米戦艦〈ネブラスカ〉と壮絶な砲戦の末に相打ちとなった戦艦〈近江〉に間違いなかった。同型艦も存在するが、それらは戦後に対空誘導弾を集中装備する為、後甲板の主砲を撤去されている事から遠目にも判別は容易だった。そして退役後には記念艦の扱いを受けている。
「ある日、空から戦争が降ってきた、この地に天霊神殿を建立なされた初代大御巫がそう書き遺されております」
アリアベルの探るような視線を以ての捕捉に、トウカは問う。
「それは断続的なものか? 段階的に降り注いだのか?」
「一度だと思います。何度もこのような鉄塊が降り注げば、神殿の建築は困難かと思いますので」
トウカの疑問にアリアベルが明快に答える。
道理であるが、明らかに日本に起源を持つ兵器ばかりが窺える様は酷く不気味であった。戦勝国たる祖国の兵器が朽ちるに任せて森林に打ち捨てられている様は愉快なものではない。
行方不明にしろ戦没にしろ時代が数十年単位で差異がある為、トウカとしてはアリアベルの返答に首を傾げざるを得ないが、現物が眼前に在る以上、何が起きても不思議ではないと判断して沈黙する。
そうした中で、誰しもが感じ、誰しもが訊ねたいであろう問いをリシアが放つ。
「陛下は、あの残骸を御存知なのですか?」
要らぬ言葉を口にし過ぎたとトウカは胸中で自らの失態を嘆くが、同時に意味のない過去だと割り切ってもいた。異なる世界、或いは異なる時間軸ですら有り得るのだ。
「……勿論だ。あの艦は分家の者が艦長を務めていた」
戦艦〈高千穂〉を見据え、トウカは事実を吐き捨てる。
大東亜戦争自体、桜城家の指導によって戦われた戦争であり、分家の桜守姫家もまた戦野に身を投じた。
「嫌な縁だ。色々とそれらしい部分はあった。だが、あれの存在を踏まえると、俺の祖国はこの国とも関係があるらしい」
シュットガルト湖を近つ淡海と呼び、戒厳条項は明らかに昭和期の混乱を前提とした内容で、挙句に地名や文化にもその片鱗は窺えた。レンダイノなどは桜城家に所縁のある地名であり、他にも九段坂が語源と思しき地名も皇都に在る。皇都の正式名称とて祖国の気配が滲んていた。
降下が終わり、周囲が森林と鉄塊で満たされる。視覚だけの判断でも超高層建築物の全高を優に超える程の降下であると確信できる程度の距離ではあった。
縁という言葉に只ならぬもの……皇国の成立に関わるであろうナニカを気取ったアリアベルが、震えた声音で問う。
「陛下の祖国……ですか?」
リシアですら迂遠に踏み込まなかった言葉。
周囲の者達も一様に沈黙している。
トウカは答えない。
しかし、それに応える者が居た。
「《大日本皇国連邦》……日本。或いは神州日之本……八百万の神々が息衝く神国です」
突然に姿を見せた浅葱色の妖精。
開けた道の先でクレアは一分の隙もなく軍装を纏って佇んでいた。
トウカは溜息を一つ。
何てことだ、と天に唾吐きたい心情を胸中に押し込み、トウカは両目を瞑る。
彼女は来た。
総てを擲って修羅の途に帯同するという意味を理解できるだけの聡明な女性に、尚も愚かだと吐き捨てる真似はできないが、その是非については訊ねずにはいられなかった。
この場に居る。
その意味は明白なのだ。
トウカは進み出て昇降機から降りると、土の大地へと進む。
天から陽光が降り注ぎ、鳥の囀りと川の潺が耳朶を揺らす中、淡く微笑む浅葱色の妖精の姿には酷く現実と乖離した安寧を思わせる。
全く地上と変わらぬ地底世界で二人は再び邂逅する。
「御前は……御前は……本当にそれでいいのか?」
トウカは問う。
その口から聞かねばならない。
曖昧に済ませるだけの、怠惰と怯懦に身を委ねるだけの関係は最早、赦されない。
「貴方の御傍に」
右手を胸に当て、クレアは一心にトウカへと言い募る。
ヨエルは紛れもなく酷い母親だという思いがするが、娘が望む未来を掴み取るべく邁進する姿を応援すると言えば美談となる。そして当人もそう言い募るという確信がトウカにはあった。
その様に誘導されたという可能性を聡明なクレアが想定していない筈もなく、それを問う非道をトウカは選択肢に持たない。
故に問い掛けは、有り得たかも知れない未来を訊ねるものとなる。
トウカは軍帽の庇を掴み、目元を隠す。
「何もかも忘れ、安寧を享受する道もあったはずだ」 「まさに」
「ヨエルの下で愛される儘に終わる事もできたはずだ」 「或いは」
「その器量とあらば那辺で大成するは容易いはずだ」 「恐らく」
建前を口にせず、真実を鷹揚に肯定する浅葱色の妖精は、変わりなく往時の清楚可憐な面差しを湛えて頷く姿には気負いの気配はない。
立身出世にも順序がある。
トウカの元へ早々に馳せ参じれば速やかな立身出世が叶うが、それは不安定な地位となりかねない。身の危険は勿論、分の悪い政争にも頻繁に巻き込まれる事は疑いなかった。それを軍事力で押さえ付け、反動分子を睥睨するという綱渡り。安定を実現した後や、或いは後の安定した指導者に仕えて重用される途がより現実的である。
軍帽の庇からの鋭い眼光でクレアを射抜くトウカ。
二人の視線が交差する。
「総てを擲つというのか!」
馬鹿げている、とトウカは吐き捨てる。
輝かしくも安全な未来を擲ち、鉄火と硝煙の世界に身を委ねるという無謀を進んで行うのは、既に退路のない北部出身者や冷遇されていた者達が大部分を占める。それ以外の要職を占める者達は消極的協力を以て嵐が過ぎ去る時を待っていた。トウカはそれを軽蔑する心算はなく、排斥する心算もない。破壊活動に及ぶのであれば排除はやむを得ないが、そうでないならばトウカの天帝としての成果次第で評価は反転する。
トウカはクレアへと進み出る。
紫苑色の瞳で見据える浅葱色の妖精は、怯む事もなければ、臆する事もない。
「戦火が別つその日、その時、その瞬間まで」
揺るがぬ感情より放たれた不退転の言葉に、トウカはあらゆる感情を押し込んで口元を歪める。
「地獄へようこそ」
抱き寄せた浅葱色の妖精は変わらぬ柔らかさでトウカを受け入れた。
着々と伏線の回収に向かう
シンズ様、レビューありがとうございます。
いやぁ、レビューを貰うと酒が美味いですね!




