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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》

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第二九二話    皇城にて Ⅳ




「天使が強欲な事は理解している心算だ。それに当座の望みがないというのは負債が増す事を意味する」


 トウカの指摘に、右に隣席していたヘルミーネは小さく首を傾げる。


 対面で嫋やかな笑みを浮かべる彫像……熾天使ヨエルの表情は崩れない。


 ヘルミーネとしては負債の対価として研究開発費の増額を願い出た手前、上品に無欲を演出する熾天使は胡散臭い存在としか見えなかった。


 因みにトウカのヘルミーネに対する負債とは、皇州同盟軍開発部での過剰労働に他ならない。対価は表面的な表現で言うところの褒美である。しかし、褒美も研究開発費である事は傍目から見れば私的な事とは言い難く、一般的には愛国心溢れる行動とも取れた。


 しかし、何一つ褒美を望まない熾天使の前には霞む。


「陛下、我が陛下は心理的負債など気にはなさらない筈です。公に於いては物質的負債こそが真に負債と呼ぶに値すると御考えではありませんか?」


 公人として褒美を授ける以上、私的な負い目や負担を負債と評するべきではないという主張にトウカが鼻白む。


 ヘルミーネはトウカが即位に当たってヨエルの好意を利用した事を知っている。否、知らぬ者など皇国には存在しない。市井に流布する下世話な情報よりも遥かに好意的な姿勢に、ヘルミーネとしては熾天使の男の趣味が悪かったのだろうと納得するしかなかった。


 ――無機質な笑み……宗教画みたい……


 一部の隙も無く左右対称で微笑む姿は現実感に乏しいが、ヨエルが対等な姿勢を崩さない事は、ヘルミーネにとり大きな驚きであった。母たるフェンリスも首を傾げる程の奇妙な関係と言える。


 蔭に日向にトウカを支援してきた天使系種族だが、その長たるヨエルは対価を何一つ望まなかった。宰相就任こそが対価であるという姿勢を崩さない。


「気にも留める。ウィシュケの長期熟成で御前らの取り分が暴利である点を見ても明白なのでな」


 昼下がりだが、外の気配は一切感じない皇城最下部の執務室で冗談を口にする若き天帝。


 ヘルミーネとしては、トウカを襲った度重なる不幸がトウカを狂信的な主義者にしていない事に安堵していた。無論、それは表面上の確認に過ぎず、ふとした拍子に狂信性が鎌首を擡げる可能性は低くない。合理性が自己正当化と等号で繋がるトウカは機械的に屍を積み上げる真似をしかねなかった。


 それにヘルミーネは加担する形で兵器開発を進めている。


 科学技術の進展は戦争によって爆発的に促進される傾向にあるが、トウカは民生転用にも積極的である事がヘルミーネを協力的にさせていた。秘匿技術はあるが、特許を先んじて取得しつつも技術を利用した民間製品で市場を席巻しようという動きはこれまでの指導者には乏しい発想である。


 国を富ませるならば多少の火遊び……それも領土外であるならば目を瞑ることも吝かではない。ヘルミーネがそうした部分を気に留めるのは、自身の心情に負うところよりも、母であるフェンリスの不興を買う事を恐れていたからである。娘でも国益を害するならば始末する烈女である事は、娘であるヘルミーネの目から見ても明白であった。


「あれは蒸発……」


 ウィシュケの熟成過程で樽内から蒸発する酒精(アルコール)の量は“天使の取り分(エンジェルズシェア)”と称される。それを揶揄した言葉に、ヘルミーネはトウカの皮肉が健在であると知った。


「陛下の冗談は面白く御座いませんね」


 翼の一つで口元を隠した熾天使の笑声。


 二〇年熟成で半分は目減りする事を揶揄して、天使は中々に強欲だと匂わせるトウカの言い回しは中々に個性的なものであったが、ヨエルも幾星霜を生きた才女である。


「天使の利息を非難なされるのであれば、帝国で出会った御転婆娘に悪魔の取り分(デビルズカット)を要求されぬ様に気を付ける事です」


 悪魔の取り分とは、熟成後に蒸留酒を取り出す際、樽に浸み込む事で取り出されずに樽内に残る酒を指す。一部では樽に水を入れて振動させる事で取り出して利用する事もある。残滓であるが、それ故に濃厚な味と風味、薫りを持っていた。


 自然蒸発による天使の取り分と、樽材への浸み込みによる悪魔の取り分。


 どちらにしても奪われる定めにある。


「配当に(あずか)れる悪魔の取り分ならば、まぁ呑み助としては納得もできるのだがな」


 帝国の悪魔が何を指すのか思い当らないヘルミーネだが、具体的な人物に対する言及と思しき言葉に要らぬ機密が次から次へと聞かされる気がして閉口する。己の手腕以外で重要人物に押し上げられる感覚は、ヘルミーネにとって甚だ不愉快なものであった。重要人物たるの副産物は己の自由を大いに制限して憚らない。


「……天使の芳心に尚も不足と申されますか?」


 ――あ、凹んだ。


 内心は兎も角として、露骨に気落ちする姿のヨエルだが、トウカは胡散臭い表情をするだけであった。


「各府が警戒している。天使にどの権利を与えるか。それ次第で己の職責に影響が出る、とな」


 気遣った発言……と言うには端的な指摘。


「己の取り分への影響、ではありませんか?」


 ヨエルは各府の建前に苦笑するが、宗教画の如き表情が僅かに陰りを帯びる。


 利権争いに堂々と加わった上で他を圧倒するだけの実績と後ろ盾を得た天使が権力拡大に動くと見るのは不自然ではない。以前までの沈黙からは考えられぬ程に国政に関与している。ヨエルの宰相就任に対帝国戦役への協力などを見れば、以前の様に無欲な振る舞いが続くと考えられる筈もない。国政への積極的関与は当然視されている。


「司法省には元より権天使種が数多く在籍しておりますし、此度の戦役の活躍を踏まえれば陸軍への影響力も担保できるでしょう」


「天使系種族の総数を踏まえれば、その辺りが限界だろうな。各府が納得するかは別として」


 天使系種族は爵位保有者が極端に少なく、現状を権力拡大の好機を逃さないと見られざるを得ないものがある。雌伏を捨て積極的関与を見せた勢力が取り分について妥協を見せる筈がないという先入観。


「捨て置けば宜しいのです。各府に巣食う売国奴の剪定は必要でしょうが」


 愛国者の面目躍如といえる発言であるが、トウカは然したる言及もない。


 慈愛に満ちた熾天使という嘗ての風評は、トウカと連携して急進的な姿勢を見せた事で風化すること著しいものの、ヨエルとトウカの関係は相応に気付かれている様に思えた。素気無くするトウカに対して、前のめりなヨエルというのは想像とは掛け離れた関係であったが、国営を思えば好ましい事である。天皇大帝と宰相が険悪では国営は覚束無い。


 ヘルミーネは欠伸を噛み殺して二人の愛国漫談に耳を傾け続ける。


 二人の会話を止めて本題を切り出す機会は訪れない。


 実はヘルミーネは、レオンディーネからアリアベルに対する処遇への聞き込みを懇願されていた。


 アリアベルにレオンディーネ。そして、ヘルミーネは友人とも言える関係であった。


 ヘルミーネも近年は疎遠であったが、アリアベルを人並み……友人並みには心配している。


 大御巫への推認以前は公爵令嬢として親交があり、レオンディーネ程ではないにしても相応に顔を合わせる機会はあった。歳の近い少女三人が友人関係となるのは自然な流れであり、性格の違う三人は何故か上手く噛み合う。ヘルミーネが皇都工業大学に進学してからは時間的理由から疎遠となり、北部で重工業の研究開発に傾注する様になって以降は立場的理由の面からも疎遠となった。


 何より、ヘルミーネは二人に北部に居る事を伝えていなかった。技術関連の情報統制の一環として研究者の個人情報は秘匿されており、二人がヘルミーネの立場を知ったのは内戦後期である。


 そして、運悪くヘルミーネはレオンディーネに捕まり、謁見時にアリアベルの処遇について聞き出す様にとの“懇願”を受けた。私生活が疎かな自身を幼少の砌より支えた内の一人からの懇願とあってはヘルミーネも断り難い。ましてやもう一人の危機を言い募られては尚更である。


 ヘルミーネとしては、レオンディーネの如くアリアベルの生命について心配はしていない。


 トウカがマリアベルの妹を害する命令を出すと想像し難い事もある。殺害するならば内戦の咎を言い立てて横槍が入らない内に行う筈であった。皇妃にすると宣言した以上、客観的に見てこれ以上ない程の厚遇である。


 心情的には逼塞を余儀なくされて精神の不安定化を招くかも知れないが、内戦激化の一翼を担い、政教分離の大原則を破ったアリアベルを深窓の皇妃として後宮に“拘束”する事は致し方ない。内戦で多くの同胞の生命が喪われ、後の対帝国戦役での更なる戦力不足の遠因となった。


 アリアベルに憎悪を向ける者は多い。


 故にトウカは龍系種族に対する貸しとして皇妃へと望んだのだ。


 航空戦力整備に於いて枢機を担う龍系種族の歓心を買うには最適であり、その内戦を根拠として後宮に押し込んでおけばよく、要らぬ蠢動も行い難い無言の皇妃。皇国にとり政争に参加する資格を持たない最良の皇妃である。


 少なくとも助命は成る。


 心を病むかも知れないが、内戦では誰も彼もが命懸けであった。そして、多くの者が命を落とした。アリアベルだけが内戦を起点とする諸問題から例外である正統性など何処にもない。


 友人と言う立場を超越してアリアベルは大御巫として政戦を(ほしいまま)に……壟断した。


 なればこそ、ヘルミーネはアリアベルに対する発言は公式の立場、フローズ=ヴィトニル公爵令嬢として行うしかない。友としての発言は非公式なものでしか許されず、この場は熾天使も居る公式の場であった。少なくともヘルミーネにとっては公式である。


「未来の皇妃に不穏分子を集めさせて諸共に処断?」


 最もヘルミーネが懸念する可能性。


 皇妃となるアリアベルを核に不穏分子を集結させ、激発を誘う事で効率的な排除を意図するというのは可能性として有り得ない事ではない。トウカは被害者の立場として、アリアベルの処刑に同意する立場を取るだろう事は疑いない。


 ヘルミーネはアリアベルという皇妃誕生が突然であった事を把握している。それでも、トウカの謀略家、ヨエルの政略家としての手腕と二人の和やかな会話を見れば、阿吽の呼吸で政治での連携……アリアベルを利用しての不穏分子検挙を図りかねない怖さがあった。


 トウカとヨエルが視線を交わす。


「宰相。日頃の振る舞いの所為か卿は疑われている。ここはひとつ弁解してみてはどうか?」


「いえいえ、陛下に御座いましょう? 神々の代行者として懺悔を聞く用意がありますよ?」


 答える気がないという軽口とも思えるが、トウカとヨエルは呆れ顔を隠さない。ヘルミーネは口元をへの字に曲げる。交渉もしない直截な物言いに対する評価である程度はヘルミーネにも察せた。


「私、屁理屈は苦手」


「差し金はレオンディーネか? 友人に天帝の不興を買うやも知れぬ振る舞いを求めるとはな」


 感心しない、とトウカは溜息を一つ。足元が見えていないと言いたげな台詞だが、ヘルミーネとしては友人想いなレオンディーネの在り方を好ましく感じていた。己にはできない生き方を支える事も吝かではなく、そこには己の価値を徹底して研究に置いているからこその諦観もある。


「貴族令嬢としては不適格な友人です……しかし、友を想う事を如何なる局面に在っても厭わない友人は大切にすると佳いでしょう。それは終生を援く(えにし)となりましょう」


「俺に友は居ないがな。必要とも思わない」


 二者の意見は正反対だったが、後者のトウカはザムエルと悪友の様に見えるので、当人は友人というものを酷く面倒臭く、或いは高尚に捉えている事は間違いないと、ヘルミーネは沈黙を以て黙殺する。決してトウカの偏った人間関係に言及する事に臆した訳ではないという言い訳を薄い胸に添え、ヘルミーネは悲哀を共に心へと押し込んだ。


「後悔も遺恨も踏み潰すと決めた。必要とあれば皇妃とて容赦はしない」


「またその様な事を仰られて……感心しません」


 眉根を寄せた熾天使の言葉には母性が滲む。


 対するトウカは拗ねた様に一層と椅子に深く腰掛けて応じた。


「為政者に必要なのは気の置けない友人ではなく有能な配下だろう」


 ヘルミーネの母も言動からは見えぬが実績から烈女として名高いが、家族に対する母性ある姿は意外な事に多い。政治が関わらないならば、寧ろ子供達へ良く世話を焼く人物ですらある。


 対するトウカは、研究に傾倒した生き方をしているヘルミーネからしても理解できる程に両親が良心に乏しい人物……或いは育てた者が狂気に満ちた人物であると推測できる。持ち得たかも知れない可能性全てを人生の始まりから早々に打ち捨て、総てを政戦に振り切った姿だと愛おし気に吐き捨てたマリアベルの賞賛を、ヘルミーネは忘れていない。


 瞳を眇めて天帝と熾天使の会話を俯瞰する神狼娘。


 アリアベルを害する可能性の有無。


 その程度は見極めておきたいヘルミーネだが、トウカやヨエルが安易な確約をする相手ではない事は皇国の誰しもが知る事実であった。


「あの女の心配か……断言はできないが、使い潰す様な真似はしない」


「今暫くは蒼空が龍達のものになりますゆえ……杞憂ですよ」


 思いの外、好意的な意見にヘルミーネは動揺する。


 主要貴族の令嬢の身辺調査など情報部を介すれば然したるものではない為、胸中や過去などを含めた背景を見透かされている事に驚きはないが、それは好意が提示される根拠とはなり得ない。突然の譲歩を無邪気に受け入れる程にヘルミーネは若き天帝の善意を信じてはいなかった。


「それは……」


「優秀な研究者の顰蹙を買う真似は避けたいからな」


「貴女は貴女が思うよりも十二分に国家に貢献しています。誇りなさい」


 望外の評価に対して思うところはあれど、戦車開発ともなれば北部企業が主で、その中でも中核となる人物が自身であることをヘルミーネは否定しない。


 実情として、装甲車輌全般に投じる研究開発費用に関しては、今年度予算が計上されるまではヴェルテンベルク領邦軍は国内最大であった。アリアベルの意向と、常に装甲を有する特火点を可及的速やかに攻勢発起地点に展開するという領邦軍司令部独自の思想の結果である。人的資源の仮想敵に対する相対的不足は予算不足よりも深刻であり、それを補う為に装甲兵器へ莫大な予算が投じられた。


 結果としてヘルミーネはその中で立身出世を果たす。


「……どうだ、御前が側妃となってあれを気に掛けるというのは?」


 トウカの本気か冗談かの判別がつかない提案に、ヘルミーネは溜息を一つ。


 龍種と狼種の勢力争いが激化するであろう提案に乗るという選択肢はなかった。政争はヘルミーネが詳しく知るところではないものの、それによる陰惨な死は貴族令嬢として知らぬ訳ではない。


「御母様への挨拶をする勇気があるの?」


「航空支援付きの装甲師団で公爵邸に乗り付けてやるが?」


 公爵家が一つ御取り潰しとなる危機が皇都の某所で訪れた瞬間だが、ヘルミーネは口元を曲げて一笑に付す。


「いけない。そんな事だから皆が不安に思う」


「だが、最早どうしようもない程に力に恃んで政治をしているのだ。今更、妥協しては譲歩を求められかねない」


 独裁国家の発想と言えるが、不利な立場から己の意見を常に強者に力で押し付け返し続けてきたトウカの姿勢は、弊害となって政治姿勢を武断的なものと成さしめている。


「国益の面での筋は通している心算なのだがな……」


「徹甲弾を装甲に通している、の間違い」


 軍事力で既得権益に風穴を開けるトウカの姿勢は、ヘルミーネからすると痛々しさすらある。立場上、力を見せて退け続けるしかなかった男が、優秀な軍事指揮官としての看板のみを携えて天帝となるしかなかった。


 それは紛れもない悲劇である。


 その原因の一端を担う人物が肉親に在るとなれば尚更である。意図した事ではない。不幸が重なった。不運が徒党を組んだ。悲劇が戦列を成した。悪意が海嘯となった。幾らでも反論や弁解の余地はある。


 だが、トウカが初代天帝を除く天帝とは全く違う経緯で即位したという事実は揺るがない。


 そして、その事実が多くの貴族に対価を求めている。


 北部を抑圧し、解放者としてトウカが生み出され、敵対者に対価として総てを差し出せと要求している。事実として生命を対価として支払うことになった貴族は数知れず。


「妥協すればいい。総てを思う儘に成せるなんて思い上がりも甚だしい、と思う」


「あらあら、不敬ね」


 楽し気に笑声を零す姿すらある種の神聖性を思わせるヨエルだが、狂信的な愛国者である事に変わりはなく、踏み込んだ発言は死を招きかねない。


 それでも尚、言わねばならないとヘルミーネは頬を強張らせる。


 トウカの立場が不安定化した場合、最大の不利益を被るのは北部地域である。


 トウカという全体主義者の絶対的支持の源泉となるが故に、それが崩れた場合、政治学者が北部統合軍の黒の軍装に準えて“黒色の北部”と呼ぶ地域の影響力の漸減を諸勢力が図るというのは自然な流れであった。


 ヘルミーネは北部を愛している。恩顧もあった。


 若き技術者が立場を得られない中、厚遇を以て迎え入れた北部企業には大恩がある。自身の立場を知りながら政争に利用せず、寧ろ技術者として更なる立場を与えたマリアベル。そして、無数の新機軸を齎し、新たな時代を示したトウカ。


「連中が改革を受け入れるならば文句は言わんが、抵抗する以上は叩かねばならない」


「理があると示せばいい。貴方はそれを怠っている。……違う、改革の進捗を優先している」


 貴族達にも利益は十分にある。短期的には多くの権利を中央政府が有する事になるが、長期的に見れば税収は増え、領地の交通網や教育制度は充実する。


 大前提として領地毎の税収に差がある以上、大部分の貴族は領地運営に於いて大貴族の後塵を拝する事になる。トウカは国力の最大化を目指して、そうした格差を是正し、人材を最大効率で適材適所に招く為に改革を進めている。税収の分配機能の低下を改善し、交通や教育の格差に根差した貧困を撲滅しようとしていた。


 だが、それは貴族に与えられた領地運営の為の権利を大きく侵害する。


 利益は有れど、初代天帝の御代より連綿と続く大権への挑戦でもある以上、神学論争の余地まで出てくるが故に及び腰となる貴族も少なくない。貴族達も長期的な必要性を理解していない訳ではなく、性急な姿勢とトウカが権力拡大を無制限に試みるのではないかという懸念を捨て切れないからこそ抵抗を示すものは少なくない。無論、大貴族や系統種族上位種の貴族の方針に倣う貴族も多い。


 トウカは瞳を眇める。


「失敗したな」


 鬱屈とした声音だが、何処か愉悦を思わせる言葉。


 失敗。


 説得か。

 反論か。

 敵対か。


 どれを以ての指摘か判断を持て余したヘルミーネ。


 この場で無礼打ちにされる程の指摘ではなく、トウカが聞く耳のある人物であるという前提を知るが故にヘルミーネは踏み込んだ。現にトウカは座席に立て掛けた軍刀に手を伸ばす事はなく、ヨエルの光輪が変化を見せる事もない。


「今から変更しても遅くはありませんよ?」


「いや、顰蹙を買う真似は避けると口にしたばかりだからな」 


「???」


 首を傾げるヘルミーネにトウカとヨエルが揃って苦笑する。二人だけが通じ合う遣り取りにヘルミーネは、寧ろヨエルこそが皇妃になるべきなのでは?とすら考えた。


 だが、二人の見解は違った。


「御前を皇妃にしておくべきだったと言っている。諌言できる公爵令嬢ならば、貴族にも受けがいいだろう」


 浪費も少なく研究開発で成果も出せる、とトウカは付け加える。要らぬ謀略に手を出して国力を削ぐこともありませんね、とヨエルまでもが口にした段階で、ヘルミーネは尻尾を応接椅子に叩き付けて不快感を示す。


 ――アリアベルの征伐軍成立を黙認した癖に……


 己への評価よりも、アリアベルを当て馬にして北部の蹶起軍が他地方に踏み込まぬ様に牽制させたヨエルの皮肉に、ヘルミーネは表情を硬くする。


「まぁ、そう怒るな。手酷くは扱わない。大切な母体だ」


 そうした物言いが著しく不安を掻き立てるのだが、当人は間違いなく気付いておらず、また理解もしないに違いないのでヘルミーネは黙って頷くに留める。


 ――思えば、あの仔狐の存在は大きかった。


 トウカの非人間的なまでの効率性と言動が軟化していたのはミユキという存在に依るところが大きい。意外なところでマリアベルにもそうした部分がある。トウカを肯定……扇動する外付け加速装置の如き言動の多いマリアベルだったが、恋か母性か庇護欲か……トウカが致命的に道を踏み外さぬ様にしている節があった。当然、マリアベル自身の振る舞いも相当に酷い為、トウカの振る舞いが相対的に矮小化しているという点も否めないが。


 とは言え、封権制度の打破を目論むトウカへの反発を軽減するまでは期待できる筈もない。


 沈黙したヘルミーネを、見て取ったトウカは苦笑を深める。


「ヘルミーネ。この天使を邪険に扱うものではないぞ。この熾天使は航空機を知っている」


「? 機械仕掛けの――」


 トウカは鷹揚に頷く。その仕草に或いはトウカよりも造詣が深い可能性すらあると見たヘルミーネはヨエルを凝視する。龍に依存した生体兵器としての飛行手段ではないものへの言及にヘルミーネは瞳を輝かせるが、ヨエルは笑みを一分たりとも崩すことはない為、読み取れる情報はなかった。


「運用の歴史やら航空力学にも明るいそうだ。風洞試験を短縮できるだろう」


 若き英雄をしての大絶賛に、ヘルミーネとしては期待が否応なく膨らむ。


 最適な形状や配置を試行錯誤する必要がないという優位性(アドバンテージ)が計り知れない事は、トウカが内戦中に証明している。技術の最適解の模索を最小限に留めるというのは予算と期間の上で多大な貢献をした。無論、それが軍事技術であれば同胞の人的損耗を軽減し、敵軍の人的被害を拡大する事に繋がる。


 無論、ヘルミーネはそうした建前を口にはすれども、試行錯誤というものを厭うていた。


 試行錯誤というものを楽しめる研究者も居るが、ヘルミーネはそうしたものに美学を感じる事もなければ趣味とする感性もなかった。


 何かを完成させる事こそが喜びであり、海のものとも山のものとも知れぬ案件に時間を浪費するなど耐えがたい苦痛であるとすら考えていた。


 彼女は、ただ新しいナニカに触れていたいのだ。

 彼女は、ただ新しいナニカに寄り添いたいのだ。

 彼女は、ただ新しいナニカに関わっていたいのだ。


 過程を楽しむという発想はなく、完成された結果が見せる輝きこそがヘルミーネの求めるものであった。


「とはいえ、先は長いな。こちらの技術を取り入れる事で解決する部分もあるだろうが……いや、どうしても解決しなければならない問題もある」


 応接椅子に深く腰掛け直して冷めた表情を見せるトウカに、ヨエルが指摘する。


「航空燃料ですか?」


「オクタン価を上げるには含酸素化合物を混ぜるとは聞いているがな、製造方法も知らんし、そもそも原油からの精製となるとな……」


「原油、要るの?」


 二人の会話に口を挟むのは貴族令嬢として褒められた事ではないが、今更でありそれを咎める相手でもないとヘルミーネは核心部分を問う。


 トウカの逡巡。ヨエルは、いいではありませんか、と後押しする。


「工夫次第で魔導機関を搭載できるとは思うが、航空機というのは強力な発動機(エンジン)があってこそだ。正直、その出力が不足するとどうにもならん。逆に出力に余裕があるならば少々の無理は通る」


 魔導機関は優れた経済性と持続性に勝り、内燃機関は瞬発性と軽量性に勝る。


 つまり皇国が重視する魔導機関は航空分野で重視される瞬発性や軽量性に劣るという問題がある。飛行自体は可能で長距離無補給飛行や経済性重視の飛行には有用で在れども、戦闘機動に必要な小型性と瞬発性、軽量性を保持させるには不利であった。当然、両機関の併用も長期的には想定されるが、それは軍用大型機……戦略爆撃機などに使用する程度が限度であると推定される。


 トウカの言葉にヘルミーネは納得する。


 航空機の基本的な原形と、付随する各種部品の実物大模型(モックアップ)の試作も始まっている。重戦車開発も実情としては大部分が他の研究者の下で行われ、ヘルミーネは大まかな方針を示すだけに過ぎない。そうする事でヘルミーネが航空技術開発に関わっている事を隠蔽しようと試みている事は間違いなかった。


 しかし、そうした秘匿性が仇となって発動機などの精密性を要する部分の開発は遅れている。


 軽く高出力で、尚且つ耐久性と整備性への犠牲を最小限に。


 最初から全てを求める心算はないという言葉もあったが、ヘルミーネとしては後々の発展に続く原型となる程度の発動機を作製したいと考えていた。


 しかし、現状で発動機は未だ手付かずだった。


 航空機の形状最適化が優先されていた。


 発動機の選定よりも、風魔術による空力特性への干渉や防御機構、被弾時の保全機構などへの技術開発に注力している状況はトウカの要請に基づくものである。


「魔導機関は航続力に勝るが瞬発力に劣る。瞬発力が必要な航空戦では後々問題となるかも知れない」


「でも、内燃機関の技術は我が国では――」


 ヘルミーネはその意味するところを察して口を噤む。


 政戦に無数の意味を持たせるトウカだが、技術面にまで及んでいるとは予想だにしていなかったヘルミーネは肝が冷えた。その意図するところは、技術的優越の保持を目的とした戦争すら有り得るという事に他ならない。技術という知識まで明確な収奪対象としている指導者は未だこの世界には少なかった。


「油を獲りに行かねばならない。必要ならば技術諸共に、な」


 資源と技術を求めて戦争をするという意味をヘルミーネは理解する。


 ――そこも帝国から奪う心算なんだ。


 帝国は内燃機関に関わる技術に於いては先進国と言えた。


 領土に魔導資源が乏しく、対照的に鉱物資源が豊富である。


 石油とは鉱物資源の一種で、炭化水素を主成分とし、少量の硫黄、酸素、窒素などの複合物質である。液状の油であり、これらから瓦斯や水分、異物を除去……精製したものを原油と呼称された。


 帝国は原油を産出する油田が豊富に存在し、それを背景とする内燃機関を中心とした産業開発が行われている。それ故に皇国に先んじて戦車開発に先鞭を付けたと言えるが、先の戦役では航空攻撃による交通網の破壊と戦域の地形的要素が加わり、それらは戦野に物量を伴った姿を見せる前に鉄屑と消えた。


 数千という数の戦車を投じ、更には無数の各種車輛を用意した事からも帝国の産業規模の強大さは理解できるが、その源泉こそが鉱物資源……石油にある。


 対する皇国では、豊富な魔導資源を背景として持続性と経済性に優れる魔導機関が広く用いられていた。欠点である小型化の都合上、小型機械の運用に当たっては内燃機関も用いられていたが、それは周辺諸国と比して極めて限定的な規模に留まる。


 しかし、それ故に内燃機関の技術では周辺諸国……帝国に大きく水をあけられている事は否めない。それは対帝国戦役後に擱座した戦車の調査でも明らかになっている。


「帝国は魔導資源の都合上、そうした資源を用いた構造体強化に制限が付く。それ故に材料工学の一部が発展している側面がある。多くを魔術に頼る傾向のある皇国とは違う素材に対する試みがなされている点を軽視するべきではない」


「発動機に内燃機関を使うの? 面倒臭い。開発陣は魔導機関を推している」


 開発陣の説得を行わねばならないヘルミーネとしては避けたい話であった。

 



 御久しぶりです。スランプというか二日酔いというか仕事が忙しいというか……いろいろな要因で遅れておりました。 


 悪魔の取り分は某バーボンメーカーだけが主張しているものですね。ただ、デビルズカットは中々に美味いです。一本2000円くらいなので一度試されてみては?


 この話は続きます。航空機の開発経緯は説明しておかないと今後、違和感が出てしまうので。

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