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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》

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第二八八話    皇城にて Ⅱ





「欲しい、と?」


 若き天帝の問い掛けに、エッフェンベルクは一層と頭を下げる。


 エッフェンベルクは海軍府の長としてトウカと相対しているが、軍令部と聨合艦隊司令部に突き上げを受けたものであって、当人が望んだものではなかった。


 トウカは座した儘に小さく喉を鳴らすだけであった。


 機嫌を損ねた訳ではない。


 楽し気な気配すらある。


 皇州同盟は巡洋戦艦六隻と大型航空母艦六隻からなる主力艦を起工しつつあり、それが海軍に所属するかの確認。そして皇州同盟軍に所属するのであれば断固として翻意を促すという役目をエッフェンベルクは担っていた。


 ――長年の不遇が焦燥を齎すか。


 海軍は北大星洋海戦による消耗激しく、主力艦始めとして多数の艦艇を喪失した。そうした中での軍備拡大は福音であったものの、艦艇、それも大型艦ともなれば建造に二年近くは時間を要する上、トウカの海洋戦略によって以前までの艦隊は旧態依然としたものとなってしまった。建艦計画は白紙になり、空母航空戦を主眼とした艦艇と装備を整備しなければならないが、それを巡って海軍内では未だに喧々諤々の議論が続いている。


 エッフェンベルクとしてはそれを抑える為にも、巡洋戦艦六隻、航空母艦六隻からなる六六艦隊を海軍所属とする必要があった。基幹戦力があれば、それを中心として艦隊を編制できる。少なくとも戦艦を主体とするか航空母艦を主体とするかの騒ぎを最小限に留める事が叶う。


 海軍内では激しい争いが続いており、海軍と国、どちらが先に割れるかと口さがない者が発言している程であった。


 エッフェンベルクは六六艦隊を欲しているが、それは同時に天帝の方針の下で建艦計画を策定するという大義名分を欲していたからでもある。


「まぁ、あの艦隊ならくれてやる」


 至極簡単に許可が出た事に対して、エッフェンベルクは小さくない驚きがあった。


 海軍人事に対する干渉があるのではないかという懸念を捨てきれなかったのだ。特に海軍から離脱して皇州同盟軍に身を寄せたシュタイエルハウゼン提督を要職に就けるように動くと、エッフェンベルクは考えていた。


「そもそも、あの規模の艦隊を動かす水兵が同盟軍には居らんだろうに」


「お恥ずかしながら以前まで日陰者だった故、言質をなくば安心できぬ者も多いのです」


 実情としてはまさにそれ。


 しかし、艦艇建造の方針と統率を担う艦政本部長も連れ立って参内する予定であったが、急病という扱いで逃げ出したのでエッフェンベルクは一人で若き天帝と相対する事となった。心配で堪らず、確認は取りたいが自身で赴くのは畏れ多い。海軍府の要職を担う者達の偽らざる本心はまさにそれであった。


「最終的には大凡の戦闘用水上艦は全てくれてやる」


 大盤振る舞いと言えるが戦闘用水上艦と限定している部分に対して、妙な納得を覚えた。


「水上艦……潜水艦隊は直属と為さりたい、と?」


潜水艦隊。


 原状では内戦頃から試験中の潜水艦が三隻に増えたものの、未だ試験と改修は終えていなかった。問題点を洗い出し、高性能化を求めて実験と改良が続いていが、生産設備と専用船渠の製造と建築は大規模に行われている。量産となれば、かなりの規模での就役が見込まれた。


 情報開示は限定的で、水面下を航行し、魚雷攻撃を行う艦艇であるとしか知らされていない。


 実験もシュットガルト湖の進入禁止区域で行われており、艦影すら海軍は捕捉できていなかった。


「洋上補給の為の水上艦隊は必要だが、艦隊防空の為に若干の軽空母と護衛艦が必要なだけだ」


 補給艦とその護衛であれば海軍と比して僅かな規模となる。


 無論、複数の補給艦隊とそれを指揮する艦艇程度であれば、二〇隻を超えない程度と予想された。


「潜水艦隊は十年後には三〇〇隻程度の規模まで増強したいな」


「三〇〇隻……」


 思いがけない規模にエッフェンベルクは言葉に詰まる。


 精々が五〇隻程度と考えていたが、想像以上の数にトウカの海洋戦略が空母機動部隊による航空戦のみによるものではないと考えている事が明白となった。


 皇城最下層に位置する執務室に招かれたエッフェンベルクは、相応の広さがありつつも奇妙な圧迫感を感じずにはいられなかった。


 天帝の執務室は、壁に世界地図や地域地図を始めとした地図に埋め尽くされ、執務机上には書類が乱立している。


「連携する場合もあるだろうが、潜水艦の運用は政治的に過ぎるからな」


 トウカは執務席越しに壁の世界地図を見据える。


 皇国を中心とした世界地図には保有兵力や船舶量、人口が書き込まれており、師団や艦隊以上の戦闘単位を示す兵科記号が磁石で張り付けられている。


 一目で国内の展開兵力を俯瞰できる。


 そこには先日、お取り潰し……強襲占領された貴族領に居座る装甲師団の姿もあった。


 トウカは一日の殆どをこの執務室で過ごしているという噂であるが、それならば数としてしか兵力を見ていないのではないかとエッフェンベルクは懸念を抱く。しかし、同時にトウカの傷痍軍人に対する手厚い配慮を知る為、口に出す真似はしない。


「偵察と通商破壊戦くらいにしか使えぬと思いますが……」


「指定海域内で無制限にして無差別の攻撃……無制限潜水艦戦を行う。海軍府長官、貴方は外交上の面倒を必ず招き寄せるであろうそれを管轄としたいか?」


 トウカの苦笑交じりの指摘に、エッフェンベルクは言葉に詰まる。


 潜望鏡の視野は狭い為、浮上によって敵国商船である事を確認し、撃沈するというものではない。自国の艦艇以外は全て攻撃目標とするならば確認の手間は省ける為、水面下よりの雷撃のみで姿を見せず撃沈可能であった。


 しかし、それは第三国の商船を誤攻撃する可能性が常に潜む。


 ――成程、潜水艦を効率的に運用するならば政治問題が付き纏う、か。


 だが、それは裏を返せば、相対的にトウカを言い訳と弁解の利かない立場に追い遣りかねない危険性を孕んでいる。直属とするというのは、そうした意味を持つ。当然、危険ではあるが、潜水艦隊将兵は自らの立場を強力に擁護する君主の下で高い士気を以て任務に赴く事は疑いなかった。


 ――責任と士気、か。


 無論、トウカの直属となるならば、無制限潜水艦戦に対する異論を、少なくとも国内に於いては封殺できる。組織図が誰の命令と決定の下で成すかという点は隷下の者達の士気に関わる。最上位者が事に及んで逃げ出す輩では、人道に悖る振る舞いに対する命令ともなれば、達成率に関わる事は歴史が証明していた。


「責任の所在は明確とするべきだ」


「隷下将兵が負うべきではない問題であると?」


 是非に及ばずと言葉を返す事ないトウカの曖昧な笑みに、エッフェンベルクは気を呑む。


 今更ながらに眼前の若き天帝が、狂信的な実力主義者にして狂気的な現実主義者である事を思い出したエッフェンベルクは話題を変える。


「潜水艦基地はシュットガルト湖に為さいますか?」


「無論だ。水上艦襲撃を許すなどあってはならない」


 それもまた是非に及ばずと言わんばかりの物言いであるが、エッフェンベルクが脳裏に思い描き危険性を理解したのか、トウカは執務椅子に深く背を預ける。


 思い出したかの様に、書類の戦列を押し退けて、酒瓶(ボトル)に手を伸ばすと、トウカは硝子杯も使わずに注ぎ口に直接口を付ける。


「貴官の言いたい事は分かる。閉塞作戦の危険性が付き纏う運河を進出路にするのはどうか、という辺りだろう」それは俺も考えた、とトウカは言葉を重ねる。


 実際のところ、エッフェンベルクとしても悩ましい課題であった。


 皇国海軍もまた主な策源地を皇都近郊から大星洋に続く運河と湖水域に据えているが、閉塞作戦を受けた場合、主力である〈皇海艦隊〉などは大星洋へと進出できなくなる公算が高かった。地図上は広く見えるが、浅瀬と暗礁が多く、通行可能部分は限られるのだ。皇州湾という名がありながらも実情として運河と扱われている理由がそこにある。


「潜水艦隊の拡張と同時に大規模な運河幅の拡張と浚渫を公共事業として行う」


「……陛下は軍拡と公共工事の結合に熱心でいらっしゃる」


 陸軍が交通網の整備と半ば抱き合わせの折衷案を飲んだことを知るエッフェンベルクは、トウカのそうした姿勢に感心する。民衆に与える仕事を作り、広く金銭を撒く。労働と雇用は新たなヒトの動きとなって新たな労働と雇用を生む。


 新皇は経済の活性化に熱心であるという風評は朝野に満ちている。


 だが、エッフェンベルクは抱き合わせになる事で官僚側からの風当たりが大きく軽減されている点を喜んだ。戦災復興と経済活性化で金が幾らあっても足りぬと肩を怒らせて府庁街を歩く大蔵府官僚に対する言い訳にはなる。


 民衆も今は国難直後で軍事力の重要性を認識しているが、時が経てば早々に忘却の淵に追い遣り軍事費を無駄と嘯く輩が現れるのは確実であった。尤も、主要新聞社を物理的に押さえたトウカを前に、そうした主張が大勢を占める先皇時代に逆行する筈もない。


「陸軍府は装輪式車輛の大規模配備で見て見ぬ振りをしてくれたが……海軍府はどうか?」


「おや、そうなると海軍府も陸軍府宜しく見返りがあると考えて宜しいのでしょうか?」


 期待せざるを得ないエッフェンベルク。


 航空母艦や重巡洋艦、軽巡洋艦以下の補助艦艇の予算は大規模に……海軍府が想定していなかった防空駆逐艦や防空巡洋艦、工作艦などを付け加えた上で臨時予算として一括計上されたが、戦艦の拡充だけは予算が二隻分しか通らなかった。


 〈剣聖ヴァルトハイム〉型戦艦二隻を加えても北大星洋海戦で喪失した戦艦の穴埋めに留まる程度であった。逆に内戦で喪った巡洋戦艦三隻の喪失を踏まえれば減少であるとして大砲屋……砲術閥が発狂(決して控えめな表現ではない)していたからこそエッフェンベルクはこの場に居た。言わば砲術閥の突き上げ他ならない。


 故にエッフェンベルクは六六艦隊を欲したと言える。特に巡洋戦艦六隻があれば砲術閥の狂気も収まるとの判断があった。


 空母機動部隊の直衛艦として五五口径三六㎝砲三連装四基と五五口径一三㎝連装高角砲一〇基、複数の対空機関砲や対空機銃を搭載した四万tを超える排水量の巡洋戦艦。その建造は陸戦主体の内戦で計画の悉くが撤回された皇州同盟軍や、帝国による侵攻で陸軍の軍備が優先された海軍の熟練工員の雇用を維持する目的もあった。一番艦の完成は一年半後見込んでいる。


 火力としては平凡だが、代わりに速力に優れ、重巡洋艦並みの速度を発揮できる。


「六六艦隊では足りぬと言うか。強欲だな。良いぞ、実に良い。理に適う提案であれば良く上申せよ」


 トウカは笑声を零し、ウィシュケを煽る。


 目元の隈と無精髭に、草臥れた軍装を纏う姿は幽鬼の如くあるが、その瞳の断固たる意志は狂気染みてエッフェンベルクを捉えて離さない。


 望んだ皇を皇軍は漸く得た。


 軍人出身の天帝。


 それは一〇〇〇年を超えて久しい。


 トウカはエッフェンベルクの内なる感動を尻目に、一つの書類を投げて寄越す。


「皇州湾の最狭部に水上要塞が欲しい……海軍は数十年前にそう言っていたようだな?」


「まさか予算を認めて下さると?」


 戦艦ではなかった。


 しかし、戦艦を遥かに超える予算を必要とする水上要塞への言及があるとは予想だにしていなかった。エッフェンベルクは居住まいを正して受け止めた書類を読み始める。


「以前までの計画では認められぬな。設計が古過ぎる。五〇年前の設計を受け入れる真似はできん」


「しかし、最狭部の二カ所に水上要塞を建造し、合計で六〇門の要塞砲を……」


 書類を捲れば捲る程に、その巨大な規模を示す仕様が露わとなる。エッフェンベルクは事の重大性に気付いて息を呑む。


 ――戦艦一二隻分以上の予算……


 八年に分割されるとはいえ、莫大な予算を静止目標でしかない要塞に投じるのは、トウカの軍事に対する姿勢を考えると矛盾を感じざるを得ない。エルライン要塞を航空攻撃に対して無力だと考え、装甲部隊による機甲戦重視の姿勢を隠さなかった。


 今更、とエッフェンベルクが考える事も無理はなかった。


 無論、無意味という訳ではない。


 要塞とは、少なくとも現状では最強の戦力単位である。


 エルライン要塞が長年の間、難攻不落の要塞として諸外国に知れ渡っていた事がそれを証明している。不落という部分に於いては返上する事となったものの、その代償として帝国軍が支払った被害を踏まえると難攻という部分は未だ健在であり続けていると言っても過言ではない。


「これも巨大な公共事業であるからこそ予算を通し易い……という事ですか?」


 中央部の土木建築に携わる企業にとって福音と成り得る規模である事は疑いない。


 互いを援護し得る位置である最狭部の二カ所に水上要塞を建造するが、そこへの物資搬入の為の鉄道敷設や後背地への航空基地建設も加わる。


 トウカの目的は、敵水上艦隊や陸上部隊の攻撃を水上要塞で吸収しつつ、艦砲射撃と強襲上陸を容易に受ける事のない位置の航空基地からの航空支援を行うというものであろう事は疑いない。加えて航空基地は山間部を掘り進めた密閉性の高いもの……事実上の掩体壕とするとされている。


「他にも大砲屋を説得する要素はある」


「まさか、水上要塞を不動の戦艦と言い募る心算ですかな?」


 武装と防護を踏まえると機関部がない戦艦だと強弁できなくもなく、方向性は違えども大砲屋も砲門数としては戦艦二隻からなる戦隊を遥かに優越するので満足しても不思議ではない。


 トウカはエッフェンベルクの冗談を黙殺する。


 或いは大砲屋に妄言を受け入れかねない輩が少なからず居る事を知るが故の沈黙なのか測りかねたエッフェンベルクは、書類の文字に視線を巡らせるがそれらしい文言は見当たらない。


 トウカは苦笑する。


「……要塞砲は同盟軍の機動列車砲の改良型になるだろうが、六〇門も製造するのだ。次に建造する新造戦艦の主砲と共用……とまではいかずとも準同型とすれば予算低減に寄与するだろう」


 原型があるならば開発費を削減でき、量産効果も期待できる生産量となれば調達価格も低下する。


「陸軍の機動列車砲の計画と抱き合わせる事も可能では?」


「それは許さん。陸軍に列車砲は不要だ。あの手の大口径砲自体が不要だろう」


 強い口調での否定に、エッフェンベルクはファーレンハイトの苦労を思う。


 陸軍は近接航空支援の重要性に気付いたものの、未だ列車砲の威力に憑り付かれた砲兵将校も少なくない。現にトウカは内戦や対帝国戦役に於ける戦闘……特に陣地防御で列車砲を多用している。無論、攻撃を受けて爆破処分されたものもあるが、相応の活躍をしたと言える。機動野戦列車砲聯隊などは絶大な火力支援を提供し、敵を文字通り粗末な急造陣地諸共に粉砕した。


 戦艦一隻の火力は三個師団の火力に匹敵するという主張があるが、それは間違いではない。


 大部分が駆逐艦や軽巡洋艦、大きくとも重巡洋艦程度の口径しか持たぬ火砲が大部分を占める陸軍砲兵とは桁違いの火力となる。戦艦と言えば、旧式でも三六㎝砲を備えている事が多く、重巡洋艦の二〇㎝砲とは威力に於いて数倍の差があった。


「寧ろ、これからの火砲は精度と射程を重視する事になるだろう。まぁ、近接航空支援の大規模な拡充の前には優先順位は落ちるが」


 退くも進むも航空支援が大前提となる戦場で陸軍は戦う事になる。


 暗にそう告げるトウカ。


 射程が飽く迄も火砲の範疇を超えない列車砲では、運用する場面が限られる。以前まではそれが当然であったが、今となっては数十倍の“射程”を持つ戦術爆撃騎や戦闘攻撃騎、地上襲撃騎が存在していた。比較した場合、汎用性は酷く劣る。


「海軍も、飽く迄も大口径艦砲は閉所戦闘や対地攻撃支援として先々も使えるからこそ導入する。将来的には無線対艦誘導弾も現れるだろう。対艦攻撃に火砲を使う機会など珍しい時代が来るぞ」


 トウカは大口径砲を軽視している。


 否、廃れ往く兵器だと知っているのだ。


 力強い断言から、エッフェンベルクは時代の変遷を感じ取った。


 それは、空を往く航空騎の群れを見上げるよりも尚、明確にして確実な答えとして完全に姿を見せた瞬間であった。


「陛下、我が陛下、若しや要塞砲も将来的には艦載化……戦艦に転用できるようにする必要性はありますかな?」


 要塞砲は強力無比な兵器であるが、それは単独での火力に起因するものではない。要塞砲自体を防護する強固な遮蔽物こそが、精強無比たらしめる最大の要因であった。戦艦と要塞砲の砲戦に関しては、要塞砲は機動の自由を失う代わりに洋上の揺動なく敵艦を狙える上、要塞砲への直撃でなければ機能を損なう事は難しい。対する戦艦は何処への直撃であっても被害として蓄積される。有効範囲と防御力の差が顕著に表れるが故に要塞砲は圧倒的優位とされた。


 しかし、トウカは要塞砲の優位など一時的なものだと考えている。


「……当然だ。水上要塞など名目に過ぎん。そうであるからこそ、我々にとっては都合が良かろう?」


 トウカの発言に、エッフェンベルクは水上要塞の要塞砲が将来的に転用を視野に入れている事を悟る。陸上からの対艦攻撃手段として要塞砲を費用対効果からみて採算に合わないと考えている事は疑いなかった。


「大砲屋への騙りですな」


 大砲屋への方便ゆえの、公共事業という投資先としての水上要塞だが、軍事的には短期間の価値に留まるという事実を聞けば卒倒しかねない。


「数年もすれば航空屋も立場を得るだろう。加えて長期的に見れば誘導弾の精密化もある。寧ろ、過剰な誘導弾への傾倒を戒めねばならないだろうな。まぁ、数十年先の話だが」


 先々を知るからこそ、トウカは発展に於ける無駄を許容しない。


 しかし、有事に備えて相応の装備を用意する必要性が陰りを見せる訳ではない。研究開発を重視して、突然の有事に現有装備が不足する事はあってはならない。


 エッフェンベルクは、眼前の若き天帝にそれを説き、双方が納得する計画まで導かねばならない。


 近年の天帝よりも軍事を重視し、軍事を運用する術に長けたトウカ。


 状況は好転しつつある。


 決して今迄の様に泣き寝入りする必要はないのだと、エッフェンベルクは口を開いた。















「亡命帝国軍ですか……」


 アレクサンドル・ロコソフスキーは眼前で微笑む老人の提案に、何を馬鹿な事を、とは言えなかった。


 虜囚の身となって実感する皇国の豊かさは絶大なものであったが、それ故に従軍者が限定されている事は安易に予想できた。辛く困難な軍務を選択するのは大抵が貧困層であるが、皇国に帝国程に喘ぐ貧困層が存在するとは思えなかった。少なくとも戦力比の是正に大きく寄与する程の従軍は期待できない。


 実情として、アレクサンドルのそうした考えは間違いではないが正解とも言い切れなかった。


 戦力比を考慮している事は確かであるが、自国民を可能な限り生産性のある国内事業に従事させたいという意向の比重が勝った。納税と生産を担う自国民を戦争で消耗するなど以ての外であるという省庁は大蔵府を中心に根強くあった。


 それがトウカに対する帝国本土侵攻に対する意義であることは疑いない。


 採算の乏しい事業に投資する意欲など起きる筈もなかった。


 財源と採算で物事を見るのが国家の勘定方たる彼らの役目である。必要ならば、否、平時から人命に値札を付ける事を職務としている彼らだが、国防や政治などに理解を示す事は稀であった。 


 皇国が対帝国戦役と呼称する戦役に於いて生じた捕虜は、その大部分が殺害されている。


 銃殺後に重機で機械的な作業として埋め立て処分する光景……しかし、それ以上に手順書がある事にアレクサンドルは恐怖を禁じ得なかった。


 遺体を埋め、骨以外が土塊に還った後、減少した体積分、その場の土が凹む。それを見越して多めに土を盛り立てるなどと細かい指摘があるという話は機械的な残酷さを象徴していた。



 軍神サクラギ・トウカ。



 そして、新皇となって国事行為を掌握した。


 権力を掴み、握り締め続ける事に油断を持たないであろう冷徹にして冷酷な暴君が隣国に突然、現れた。


 祖国が混乱している事は、平民将校であるアレクサンドルにも容易に想像できた。


 それでも人口比から兵力数は帝国の後塵を拝せざるを得ない。


 確かにトウカが当代無双の戦略家である事は大陸総ての軍人達が認めざるを得ない事実であるが、それに仕える事を良しとするかは別である。寧ろ、トウカの隷下に加わる事を忌諱する者が少ない筈であった。


 敵には惨死を、同胞には利益を。


 単純明快である事は好ましいが、敵にこれ以上ない程に苛烈に死を強制する様は鼻白む程の振る舞いと言えた。帝国軍人として、あれ程までに死を撒き散らす絶対悪と相対した事は、アレクサンドルにとり今次戦役が初めてである。


「確かに皇国は豊かな国ですが……」


「兵が足りませぬからな。槍働きのできる者は重用されますぞ?」


 それでいいのか、と口にする程にアレクサンドルも愚かではない。


 選別は既に終えている。


 少数民族出身者と、平民出身の将校……その中でも戦役に合わせて増員された速成訓練による者達を除いた者のみが遺された形となる。


 その数、三万名余り。


 今次戦役で投じられた兵力を踏まえれば微々たるものと言える。


 それ以外の捕虜は、皆、性別年齢種族関係なく根切りにされた。


「使い捨てにされるやも、と将兵達は不安を抱いております」


「はっはっはっ、御冗談を。そうであるならば、捕虜を減じる真似なんてしないよ」


 朗らかな笑みで笑声を零す老人の仕草は、とても捕虜を虐殺した事を口にするそれではない。庭先の雑草を刈り取ったかの様な調子である。


「ところで貴官は……」


「おお、そうでしたな自己紹介が遅れました」


 然して激しい動きをしていないにも拘らず顔の汗を拭き、小太りな佇まいが軍人とは思えぬものがあるが、アレクサンドルは皇国という国家が外見に一致しない例が多々ある事を良く理解していた。清楚可憐な女性将校が帝国軍兵士を殊更に徹底して軍刀で刻むのだ。


「レジナルド・フォン・エルゼリア侯爵。序でに農林水産府長官も拝命しております」


「それは……御高名は伺っております」


 軍人ではないとの予想はしていたが、皇州同盟に在って農業関連で重用された人物の名が出た事にアレクサンドルは驚きを隠せないでいた。


 トウカやベルセリカ、ザムエルなどが皇州同盟では著名であり、多くの話題を世に送り出していたが、影響を与えた規模で言えばレジナルドも引けを取るものではない。


 寒冷地帯での食糧自給率向上に関する研究は帝国でも注目されており、一部は帝国でも転用されて実績を上げている。最近は研究成果も機密指定されているのか公表される事はないが、過去の実績は周辺諸国の農業に大きな影響を与えていた。


 だが、帝国軍人と交渉を行う為の人物とは言い難い。門外漢と言える。


 それでも選択肢はない。


 しかし、同時に重要人物である事も確かであった。


 捕虜の選別基準を見れば、帝国帰還後、特に責めを負うであろう面々のみを遺した事は明白である。その意図するところは明快で、帰国への心理的難易度(ハードル)を上げて退路を断つというものであった。


 大多数の捕虜が殺害された中で、少数民族出身の将兵が帰国した場合、密約や背信を疑われて処刑される事は疑いない。それを帝国軍上層部が事実と捉えずとも、民衆や貴族の不満への対応として銃殺を命じる可能性は少なくなかった。敗残兵である以上、それらしい大義名分を用意する事は困難ではない。


「彼は……天帝陛下は……信ずるに値しますか?」


 アレクサンドルの言葉に、レジナルドは僅かな困惑を滲ませて苦笑する。


 トウカの残虐非道な振る舞いは歴史的規模である。


 捕虜であっても将校待遇として扱われているアレクサンドルは新聞によって大凡の戦況を把握していた。


 帝国軍は皇国領内から排撃されたのみならず、エルライン要塞まで奪還され、挙句に帝都迄もが空襲を受けて夥しい数の死者を出している。


 帝国政府の批判に対し、トウカは、帝国人の人権と人命に配慮する根拠と理由を皇国は有していない、と真っ向から異論を唱えた。


 初戦での、我々は種族の絶滅を賭けた戦争を行っている、という発言を徹頭徹尾に有言実行しているトウカは新聞上の発言を鑑みても、狂信的な好戦性を備えていた。


「まぁ、ちょっと過激だけど……良いんじゃないかな? ほら、必要悪? そんな感じかな?」


 酷く曖昧な物言いに、アレクサンドルはとしては可笑しさが先立つ。


 万人に恐怖心を抱かれている訳ではない点を見れば、既存の独裁者とは方向性が異なるのかも知れないという推測もできる。


 帝都空襲をちょっと過激で済まされては堪らないが、アレクサンドルは中央政府への影響力が皆無に等しい少数民族出身であった。その為、帝都を焼かれた事に思うところはない。寧ろ、これによって帝国が揺らぐならば、故郷の独立も叶うのではないかという淡い期待があった。


 表情を軟化させたアレクサンドルに、レジナルドが言い募る。


「貴方には亡命軍中将として亡命帝国軍を率いて貰いたんだよ。場合によっては帝国に戻れるかも知れない」


「それは攻め入るという事ですか?」


 帝国陸軍少将から帝国亡命軍中将への変身にも魅力はあるが、レジナルドの言うところの凱旋とは、帝国本土侵攻の際の先鋒を意味するとも取れる。甚大な被害が予想される先鋒を帝国人に担わせるという目算と、帝国本土の地理に明るい者達を利用したいという意向は容易に推測できた。


「しかし、その、失礼ですが貴国の兵力では些か広域展開は厳しいのでは? 去りとて数万人の帝国人を戦闘序列に組み込んだところで解決する問題ではないかと」


「らしいねぇ。機動力で補える範囲も超えてるんじゃないかな?」


 然したる逡巡もなくレジナルドは頷いて見せる。


 同意されるとは思ってもみなかったアレクサンドルだが、侵攻という表現が先行していても、戦力目標などは流布していない点を鑑みて、宣伝戦(プロパガンダ)の材料と成る程度の侵攻となるのだろうと推測する。


「でも、帝国侵攻は既定路線だからね。ほら、新聞でも喧伝されているから引けないでしょ?」


 身も蓋もない政治的不始末の気配が臭い立つそれにアレクサンドルは、少しは隠してはどうだろうかと忠言したくなる程であった。


「確かに具体的な規模と予定は提示されていませぬから、侵攻と言えども色々な形を用意できるでしょう」


 少なくとも亡命帝国軍を成立させる以上、陸上部隊を投じた占領は行われると見て間違いはないが、それは恐らく大規模なものとならない。戦争という敵がいる問題に対する断定は危険であるが、少なくともトウカが帝国本土深くに踏み込む事を是とする人物ではない事は明白であった。政戦両略の軍神は、帝国本土深くに踏み込む事を利益のない戦争に他ならないと理解している筈である。


 投じた全ての資源が溶けて消える消耗戦に興じる余裕は皇国にない。


 諸外国が鼻白む被害比率で帝国の国力を漸減している事は確かだが、裏を返せば国力に余裕がないからこそ被害比率の改善に貪欲であるとも取れる。無論、通常は貪欲である程度で改善できる問題ではないが。


「帝国南部を切り取って衛星国を建国したいって意向もあるみたいだね」


 躊躇いもなく思惑を語るレジナルドに、アレクサンドルは瞳を眇める。


 有り得る事であった。


 皇国の国防上の負担を見れば、帝国との間に緩衝地帯となる国家が存在する事は望ましい。現状は皇国北部地域が緩衝地帯となっているからこそ諸問題が引き起こされている。それを利用した離間工作が帝国陸軍情報部と帝国秘密警察によって行われており、北部の独立志向を大いに助長させた。


「唆されますね……」


「唆すよぉ……」


 二人して老人達は苦笑する。密談を防止する為、控えている鋭兵達が所在無さげな表情するが、老人にとっては若者の困る表情もまた好ましいものであった。


 二人は初夏の気配さえ滲む風に揺れる木々……その根元を行き交う元帝国軍将兵達を丘から見下ろす。


 その表情は食糧事情の改善の成果として一様に明るい。無論、督戦隊の不在も大きいのは自明の理であるが、それを指摘する者は居ない。


 しかし、それはトウカによる“人員整理”があったが故でもある。


「二人居て食糧が一人分しかないならば、一人殺せば残りの一人は腹一杯に食べられる、ですか。恐ろしい事です」


 トウカが帝国軍将兵の捕虜を遇する際の発言の一つが、アレクサンドルの心胆を寒からしめた。時期外れの風すら染み入るのは決して老齢ばかりが原因ではない。


 ヒトは誰しもその身に正邪や優劣、濃淡を示す物差し(ものさし)を佩いているが、アレクサンドルの見たところ、トウカはその物差しで相手を殴り付ける事を一切躊躇しない人物である。


 これ以上ない程、露骨に己の理屈を道徳や公正道理よりも最優させる。


「衛星国ですか……心動かぬとは言えませんな」


 その衛星国に於ける軍編制の中核が亡命帝国軍となる事は明白であった。その為に編制するのであれば、全滅判定を受ける程の被害となるまで交戦を継続させる公算は低い。敵の居る……加えて嘗ての祖国から手酷く恨まれる立場であるとはいえ、中核戦力となり得ないまでの消耗となっては衛星国の軍備に響く。


「貴方がその衛星国の軍の最高指揮官となる訳だから……当然だよね」


 気の抜ける様な確約に、アレクサンドルは眉を顰めるしかない。


 農業で大功ある人物とは言え、交渉事を、それも亡命軍の編制を勧める人物として適格とは思えないが故であった。そして、それは彼以外でも間違いなく感じるであろう懸念でもあった。


「しかし、その何故、閣下が?」


 天帝となったトウカが時間を割くのは合理的ではないとしても、少なくともレジナルドが交渉役を請け負うのは職責からして適当とは言い難い。


「まぁ、今上陛下も独裁者の親戚みたいなものだから配慮してるんだよ。どうも文武の重鎮に対する提言でも遂行するか死ぬか選べと言われているような顔をされるみたいだからね」


 くすくすと笑声を零すレジナルドのそれは、青年の無茶を愛おしむかの様ですらある。


「まぁ、その、なんというか……独裁者という振る舞いが板に付いているように見えますが……」


 周辺諸国の独裁者よりも遥かに独裁者として完成した振る舞いであるからこそ、皇州同盟は勝利を重ねる事が出来た。無理と無謀を唱える奔流を押し退け、トウカは己の戦略を時間を要さずに押し通しているが、それは政戦に在って容易ならざる事である。


「直截な物言いで罵倒する姿を見れば、そう思えるかもしれないけど、あれも計算じゃないかな。軍事的実績に強い言葉……短期間でヒトを従わせるには最良の方法だよ。今はその反動に苦しんでいるみたいだけど」


「しかし、減税と公共事業の推進などで民衆からの概ね好意的に捉えられているみたいですが……」


 対して貴族を主体とした封権体制で利益を得ていた、或いは封権体制の歯車となっていた者達は、税制や教育の統一などでトウカに対して非友好的であった。そして、トウカはそうした叛服常無い貴族を叛逆に導こうとしている。


 大多数の貴族を懐柔ではなく撃滅する事に重きを置いた政策を推進している。


 妥協はしなかった。


 新聞から読み取った情報を鑑みるに、決して封権体制の打破は急ぐべきものではないし、貴族の少なくない数がその必要性を認めてもいる。


 しかし、彼らに対する妥協は、嘗て皇州同盟軍の指導者として敵対した総てを撃滅すると謳い上げて起った宣誓に背く事となる。


 妥協は相手にさせるべきもので、自身が行うものではない。


 典型的な独裁者の姿勢と言える。


 怒れる独裁者に抵抗する勇気を持つ者は少ない。


 しかし、アレクサンドルはそれを非難も否定もしない。



 思慮分別、熟慮、先見の明が100年がかりで作り上げたよりも多くのものを、憤怒と狂暴は半時間で引き倒す事ができる。



 トウカは既存の情勢を打破するべく、憤怒と狂暴という衣を身に纏ったのだ。


 そして、天帝となっても尚、纏った衣を愛用している。


「まぁ、天帝になんてなる予定はなかったんだろうねぇ……誰にとっての不幸なのか」


 レジナルドの”ぼやき”をアレクサンドルは黙殺する。


 不敬に当たる言葉であるという以上に、アレクサンドル自身にも見当が付かない事であったからこその沈黙であった。


 若き天帝か、貴族か、民衆か、軍人か。


 それは後世の歴史家が決める事に他ならない。


「僕からすると年相応の軽妙な方なのだけどね。少なくとも、信頼はできるよ。裏切らないからね」


「特に戦友は裏切らない……痛々しい程に。その点は理解していますよ」


 軍人に対するトウカの好意は本物であった。


 少なくとも傷痍軍人に対する補償を見れば一目瞭然と言えた。国家に於ける費用対効果を見れば乏しいそれは、重要であると謳われつつも御座なりにされる傾向にあるが、トウカはそれを許さなかった。大蔵府への数少ない厳命でもある。


「陛下の軍人となったならば、陛下は我らを厚遇なさる、か」


 戦場で被害担当を請け負う可能性も少なくはない。


 衛星国の成立自体が帝国の攻勢に対する盾として期待されている事は明白であり、軍事的な抑止力と帝国に対する防衛戦を宿命付けられていると言っても過言ではない。無論、軍事的に見れば矢面に立たされるが、食糧事情で言えば皇国の穀倉地帯からの輸入が期待でき、必要とあらばエルライン回廊を経由し、シュットガルト運河から大星洋の商用航路を利用しての交易も不可能ではなかった。


 帝国と違い、周辺全てが敵国ではない故に、国外から交易で得られる資源は少なくない。少なくとも隷下将兵や国民が飢えに苦しむ可能性は限定的であった。


 決して悪い取引ではない。


 寧ろ、情勢次第では故郷の者達を衛星国に引き込める可能性もあった。


「どの道、選択肢など有りませんからな。宜しい、請けましょう」


 帝国への帰還は叶わない。


 なればこそ、アレクサンドルは己が手で道を切り開くより他なかった。












 思慮分別、熟慮、先見の明が100年がかりで作り上げたよりも多くのものを、憤怒と狂暴は半時間で引き倒す事ができる。

                《大英帝国》 政治家 エドマンド・バーク


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