第二八七話 霊都にて Ⅰ
「〈第五重装憲兵大隊〉は霊都内の警備に。〈第二重装絵憲兵大隊〉は都市周辺に分散警戒、〈第三重装憲兵聯隊〉は地下水道を掌握。〈第四憲兵聯隊〉は〈神殿騎士団〉聯隊司令部に予備戦力として展開」
玲瓏な声音を以て命じる浅葱色の妖精。
副官を連れて霊都内を白亜の尖塔群より見下ろす浅葱色の妖精は、その整然とした純白の街並みに非現実性を見た。宗教による単色と規則性は純粋無垢の演出か、或いは心象風景の印象操作と取るべきかと思案する。
――詮無い事、必要とあれば瓦礫とするだけなのだから。
軍帽を被り直した妖精は市内に展開した魔導砲兵の曵火砲撃を胸裏に馳せる。
クレア・ユスティーナ・エリザヴェータ・ジークリンデ・ハイドリヒ。
憲兵中将である彼女は警護指揮官として重装憲兵隊を率いて霊都に訪れていた。
「全面的な協力。感謝します、大御巫」
クレアは隣に並び立つ金髪碧眼の巫女へと感謝を口にした。
零下の声音による感謝は周囲を委縮させるが、大御巫は然して気負う事もなく感謝を受け入れる。
実情、クレアは聯隊規模の憲兵を引き連れて突然、霊都に現れたに等しい。門を閉ざされても可笑しくはない無礼であるが、アリアベルは抵抗もなく受け入れた。神殿騎士団との睨み合い程度は有り得ると見ていたクレアは、今尚、皇都近郊に展開している〈ヴェルテンベルク統合打撃軍〉から装輪戦闘車や兵員輸送車を借用して霊都へと望んだ。
結果として神殿騎士団との衝突は愚か、睨み合いすら起きなかった。
装輪戦闘車を並べ立てて突入したならば、古式床しい装備と戦術の神殿騎士団など容易に蹴散らせた事は疑いない。そして、クレアはそれを躊躇しない。
「しかし、突然の来訪、予め連絡して頂きたかったというところが本音です」
アリアベルの苦言に、クレアは小首を傾げる。
トウカの天帝即位を名実共に叶うものとする為、霊都への招聘を願った人物こそがアリアベルである。クレアは、それを神祇府を通さぬアリアベルの独断であると見ていた。
だからこその突然の来訪であった。
アリアベルが身内に対する言い訳の理由として、急な進駐で把握していなかったという建前をクレアは用意した心算であった。
皇州同盟軍総司令部からの命令として受領した霊都進駐だが、それは霊都での治安維持活動という端的な内容でしかなかった。
その意味するところを察したクレアは、アリアベルに最大限の配慮をした心算だったが、アリアベルは以前に受けた印象よりも怜悧であった。
そして、何よりクレアの印象として腹を括っていた。不退転の決意を携えている様にすら思えた。
「よく神祇府の要職の方々を納得させる事が叶いましたね?」
忌憚なき本心を以て疑問を呈するクレア。
トウカの権威……というには武断的である為、覇権とでも言うべきそれを認めはしないが、抵抗は死を意味する程度の知性は有れど、心情として納得はしていない筈であった。よって沈黙という名の現状維持を選択する者が多いとクレアは見ていた。権力者は都合が悪くなると座視して状況の変化に期待する者が少なくない。遣り過ごすという発想である。行動せねばならないという焦燥に駆られて常に能動的なトウカとは対極と言えた。無論、結果は情勢次第である。
問い掛けに対し、アリアベルは口元を隠して漣の様な笑みを零す。
「どの道、敵対するのであれば死は避け得ぬゆえ、認めぬならばここで頸を刎ねると申し付けました」
さも当然の様に告げるアリアベルだが、背後の神殿騎士団の騎士が居心地悪げに身動ぎする仕草を見れば、相当な抵抗と異論があった事は容易に察せた。
実際に斬るとなれば神殿騎士団が行う事になるのは明白だが、内戦への参加で大被害を受けた神殿騎士団がアリアベルに従うのかという疑問がクレアにはあった。内戦に於いて神殿騎士団の精鋭は緒戦の活躍以外は然したる成果もなく大被害を蒙っている。
「御自慢の騎士団に寝首を掻かれる心配はありませんか? 必要なら警護を此方で用意しますが」
「いえいえ、御心配には及びません。戦場で現実を知ったのです。装備に勝る慈悲も容赦もない相手を敵に回す恐ろしさを知って尚、敵対する主張をする者に同調するなど」
アリアベルの指摘に、クレアは表面上は当たり障りなく頷く。
納得できるだけの理由に見えるが、実情として神殿騎士団の要職を自身の主張を認めるもので占めねばならない。内戦に投じられた者達は勝利を掴めなかった以上、評価を受ける事は難しく、その中で危機感を持つ者を要職に就けるというのは並大抵の事ではない。
内戦の実戦経験者達の説得に頷いたという可能性もあるが、そうでない場合、残留する神殿騎士団の要職者を廃し、評価を損なった敗北者を要職に据えて多数派としたという事になる。
そう簡単にできる事ではない。
噴出する不満を抑え付けつつ、体制を維持するというのは綱渡り以外の何ものでもない。
腹を括ったが故に容赦しなくなったと見るのは容易いが、大御巫から皇妃となるからこその振る舞いとも取れた。制限時間付きの強硬姿勢。皇妃となれば大御巫という立場でなくなり、報復や反撃から逃れる事ができる。
政治的に不安定なトウカは武名によって多くの事を成そうとしているが、その最たるものは敵対的な貴族を暴発させて天領を増やし、封権的な柵を廃そうとしている事である。
その暴発理由の一つとして、内戦の原因であるアリアベルを皇妃に迎えようとしている。
それを理解した振る舞いであれば上出来と言える。
少なくとも、客観的に見てトウカが求めた本分をアリアベルは自覚している事になる。
しかし、実際のところはクレアにもアリアベルが自覚しているかは不明であった。
「陛下は何時お越しになられるのでしょうか?」
アリアベルの問い掛けに、クレアは首を横に振る。
それが分かれば苦労しないというのがクレアの本音であった。
クレア隷下の皇州同盟軍憲兵隊に対する命令も、統合参謀本部長であるベルセリカからのものであったが、それは皇城府長官となったヨエルからの要請に基づくものである。
トウカは天帝即位に当たって一切の役職を放棄した。
否、大兵力を直轄とし続ける事を少なくとも表面上は避けたという点は評価できる。一軍を統率するという事は多大な重責と負担に他ならない。少なくとも兼務できるようなものではなかった。皇国で人間種が軍務の要職を占める理由が正にそれである。海軍府長官のエッフェンベルク元帥が例外中の例外と言えた。
無論、天帝に即位し、継承の儀を行えば、人間種の身体機能を大幅に増強し、各種権能を得られる。人間種を超えた振る舞いとて容易くなるが、一部の例外を除いて時間が増える訳ではない。権能の適合率と方向性は歴代天帝で多種多様であった。トウカがいかなる権能を得るかは不明である。
国家指導者が一軍の指揮統率に時間を取られる事などあってはならない。
国政と軍の指揮統率の違いが分からない為政者は、歴史を紐解けば少なくない数が居た。特に武名を手に玉座まで駆け上がった者にその傾向があり、それは国政の不均衡を招いている。
トウカはそうではなかった。
国家規模とて政戦両略に陰りはない。
戦時下の軍では良くあるが、良い大尉が良い少佐になる訳ではないという場面が多々ある。端的に言えば階級が資質を上回ったと言えば容易いが、戦場ではその証明が残酷な形で示される場合があった。平時と違い、戦時では指揮官の資質は隷下将兵の損耗率に直結する。
だが、今回はトウカのそうした判断をヨエルが利用した。
トウカの身辺警護を職分として扱う皇城府長官の立場から、皇州同盟軍憲兵隊司令部に要請。霊都への駐留と治安維持を要請。継承の儀を行う為の事前準備である事は疑いないが、トウカが皇州同盟軍憲兵隊が投じられている事を知っているかは怪しいとクレアは見ていた。
実情として、トウカは陸軍憲兵隊が投じられていると誤解をしていた。
ヨエルの巧みな言動に騙された形であるが、嘘ではない物言いであった為、トウカは警護に然して気を払っていない事もあって書類に承認印を押した事すら忘れ去っていた。
諸々を勘案した結果として、トウカが継承の儀を受ける期間は不明である。
「日取りが容易に外へと漏洩するならば、それは誘いかと」
「漏洩したならば、神祇府としても気を付けねばならないという事ですか……」
情報漏洩が意図的に行われ、それがトウカの暗殺未遂に繋がったという出来事を作り上げられては、神祇府はとばっちりである。貴族を早々に暴発させたいトウカが神祇府を利用する可能性は十分にあった。
日時が不明であるならば、そうした意図はないと言える……かも知れない。クレアはそう考えているが、実情として不明瞭な部分が多く、推論に推論を重ねる形と成らざるを得なかった。
「副官、神殿騎士団との連携に問題は有りませんか?」
振り向き、副官であるアヤヒに問い掛ける。
話を変えるという名目もあるが、神殿騎士団という装備も練度も指揮系統も違う集団との共同警備というのは難事に他ならない。憲兵隊の負担と苦痛はいかばかりのものか。
加えて神殿騎士団内に貴族の内通者がいないかの内偵という部分もある。しかし、神殿騎士団は貴族家の末席に連なる者が少なくない。貴族家と言えど裕福な家ばかりではなく、その末席ともなれば生活が苦しい場合も多い。そうした者達が立身出世を求めて門を叩くのは決まって軍か神殿と決まっている。
神殿騎士団の騎士は入団と同時に俗世たる家族とは縁が切れたという名目になっているが、それを信じる者など居ない。当然ながら本家は入団した騎士を介して神殿騎士団、ひいては神殿へと影響力を及ぼそうと画策する。弱小……地方貴族などは伝手や影響力の拡大に余念がない。行使する事を前提とした影響力ではなく、家を存続させることを前提とした影響力であるが、背後に大貴族が居た場合、それは利用されることになる。
「滞りなく。武芸に秀でようとも機関砲を相手に優位に立てる者はそういるものではありません」
機関砲が一体、何を指しているか理解したクレアは窓越しに装輪戦闘車を見下ろす。
〈ヴェルテンベルク統合打撃軍〉に配備されつつある歩兵戦闘車は戦車猟兵の素早い移動と収容、展開を可能としつつ、装軌式である為に踏破性が高く戦車に随伴可能である。加えて四〇㎜機関砲と煙幕弾発射機を備え、有力な火力で歩兵支援を行う万能車輛として扱われた。同様の車体を流用した装甲兵員輸送車や自走迫撃砲と部隊編制を行えば、高機動高火力を以て戦車の進撃を支援できるという夢の戦力単位が誕生する。
そのはずであった。
しかし、そこに予算不足が立ちはだかった。
軍人が唯一、抗えない予算不足という難敵に、トウカも唸るしかなかった。
無論、予算不足というのはある種の物言いに過ぎず、他の兵器開発や導入や部隊増設との兼ね合いの中で使用できる予算を過ぎるというものに過ぎないが、兵器とは量産性や調達価格なども大きな要素を持つ。数を減らして配備しても、軍事衝突や日々の演習での消耗で喪われる。それを補充するには再生産せねばならないが、そこに予算を圧迫されては本末転倒であった。
安価で、尚且つ大量生産に向いた構造でなければならない。
歩兵戦闘車は戦車程ではないにせよ高価であった。戦車、自走砲、列車砲という兵器を省けば最高値の車輛ですらあった。
トウカは早々に妥協した。
大蔵府などは予算増額を命令されるのではないかと怯えに怯えていたが、トウカは既に見切りを付けており、代案を皇州同盟軍兵器開発局……ヘルミーネに提出させた。
既に先行配備が行われていた装輪戦闘車と兵員輸送車の量産を拡大し、歩兵戦闘車と装甲兵員輸送車の生産を大幅に縮小したのだ。
装軌式から装輪式へ。
一輌当たりの調達価格として三分の一程度である為、単純計算で三倍の規模で配備可能な事実は、大蔵府をして驚喜させた。
「しかし、便利なものです。憲兵隊にも配備をお願いしたいものです」副官であるアヤヒの賞賛。
確かに正規軍との衝突ではなく、匪賊や犯罪組織の排除が主任務となりつつある皇州同盟軍憲兵隊からすると、機動力に優れる装輪式の戦闘車輌というものは魅力的であった。現場へ素早く到着し、大火力と装甲を憲兵に提供する。
「問題ありません。あれは返却する心算はありませんので」
一個大隊程度の貸与しか受けていないが、理由を付けて永久貸与とするのは難しくない。北部で軍人が問題を起こせば大抵は〈ヴェルテンベルク統合打撃軍〉の荒くれ者共であり、クレアは留置所の馬鹿共を返却する代償として移管手続きを提出させる心算であった。
「あらあら、先達として恨みの買い方を御教えしましょうか?」
手元を右手で隠し、嫋やかな笑みを零すアリアベルに、クレアは溜息を一つ。
「愚かな事です。貴女も大蔵府も陸軍府も。何も分かっていない」
クレアは素直に装輪式兵器へ高評価を下した大蔵府、そして性能は劣れども調達価格と整備性を鑑みて満足した陸軍に対して心底と軽蔑の念を覚えた。無論、隣で遺恨などと嘯く大御巫も例外ではない。
「車輪形状を大型化させても所詮は車輪。速度は有れども踏破性は装軌式に劣ります。交通網の整備は必須ですよ」
「……まさか、噂の高速道路建設と抱き合わせですか?」
思い当ったアヤヒが目を丸くする。
陸軍と国土交通府には長年の確執がある。
国土開発に於ける方針の違いである。
厳密に言えば、国土の隅々にまで交通網を整備したい国土交通府に対し、陸軍は他国の侵攻の助長を招くとして長年抵抗していた。
双方共に言い分はある。
国土の開発と利便性向上による経済発展を掲げて交通網整備に余念がない国土交通府は、長年放置されていた辺境部の交通事情を忸怩たる思いで眺めていた。特に北部は国策として放置されており、挙句に現在はヴェルテンベルク伯を中心とした皇州同盟傘下の企業による開発が進められている。他地方の辺境部……特に他国と国境を面する地域も同様で、戦時に敵の侵攻を容易ならしめるとして交通網の整備は最低限に抑えられていた。
近代軍は悪路すら踏破する。
しかし、それは多くの代償を必要とする。内燃機関の車輌であれば燃料を、そして破損によって補修部品の消耗は増大し、そして、それらの輸送とて遅する。当然、将兵の士気低下を招く。
国境付近の交通網は敵の侵攻路、乃至補給線となる。
敵の侵攻を助長させるならば、元より整備せねば良い。
陸軍はそう考えた。
元来、皇国陸軍は防衛的な任務に従事する装備と編制をしており、本土辺境部を主戦場とした内戦戦略を目標としていた。当然、敵を引き込む事を前提としているが、その侵攻が迅速である事は望まない。そうした姿勢から辺境部の交通網整備には否定的であった。
陸軍としても限られた予算の中で、侵攻してきた敵を望む時期で殴り付ける為、予算外の部分で妥協できないという致し方ない部分もあった。融和外交と予算削減からなる被害者意識が他府に対する妥協の余地を失くしていた部分もある。
対する国土交通府は他国との交易や辺境部に住まう国民の利便性を踏まえた上で交通網の必要性を主張していた。経済発展と流通網整備による利便性向上は輸送費を低減させ、物価の低下に寄与する。
中央部は工業化著しいが輸出は辺境部を通す場合が多く、原材料や食料などは辺境部に頼っている部分があり、その規模拡大は経済活動の拡大を齎す。流通の拡大こそが経済の拡大に繋がり、それが国家繁栄に繋がるのだと彼らは信じて疑わなかった。事実としてそれは正しい。
歴代天帝は両府の言葉を吟味した上で放置し続けた。
陸軍府の言葉を重視した訳ではなく、辺境への交通網整備が周辺諸国への侵攻に利用できる余地がある以上、融和政策を続ける上で積極的な姿勢を見せる訳には行かないという理由がそこにはあった。
「来期は国土交通府の予算が増えるでしょう」
少なくとも今期の臨時予算編成には含まれていなかった。
陸軍は比較して約三倍の大量配備が叶うと装輪式車輛群からなる部隊編制に飛び付いたが、トウカは明らかに外征を視野に入れた軍備を目指している。来期には「装輪式で攻め入る、或いは国境に展開するには交通網の整備が必須だろう」と嘯く事は目に見えていた。陸軍府は辺境部の交通網整備に同意せざるを得ない理由を与える事になる。
当然、そこにはある程度の配備が進み、進退窮まった状況まで陸軍の編制を進めておき、納得せざるを得ない状況を構築しようという目論見がある事は疑いない。
或いは、既に外征を覚悟した上で同意したのか。クレアは大いに興味があった。
しかし、それだけではない。
「今期ではなく、ですか?」大御巫が小首を傾げる。
「そこが重要なのですよ」浅葱色の妖精は眉を顰める。
重要なのは、恐らく来期から開発の号令をかけようとする点にある。
現状の北部交通網整備は、皇州同盟傘下の企業による用地確保が進められている。着工まで進捗している場所は極僅かであるが故に、国土開発府の介入を招けば資金力に押し切られかねない。一年間を置く事で皇州同盟企業に先んじて主要部分の開発を進めさせ、北部の公共工事で主導権を握らせようとの判断が成される事は疑いなかった。
北部の開発は皇州同盟に行わせる。
トウカが皇城府から皇州同盟へ予算を拠出する事で北部臣民の歓心を買おうとしているという部分もあるが、主目的は北部企業の経営状態の保全である事はい疑いない。資本力に勝る中央部の企業が参入した場合、経営状況が悪化するのは明確であった。
トウカは北部を皇州同盟傘下の企業による公共施設開発で発展させようとしている。
他勢力が北部を経済的に蚕食しようとする可能性を捨てきれないのだ。一度、侵攻を許した地域とは言え、埋蔵資源で言えば他地域に勝り、発展が遅れているが故に手付かずの利権も少なくない。
だが、それを強権ではなく、兵器配備と開発許可の時期を以て望む方向へと誘導しようとしている点には感心するしかない。
「政戦両略とは正にこの事ですね。しかし……」
それは帝国本土に陸上部隊を進出させる事を困難と成さしめるだろう。
航空攻撃……戦略爆撃を主体とした報復に転換すると即位で明言したトウカだが、クレアはその言葉を信じていなかった。寧ろ、その虚言が奇襲効果を増大させるとして電撃戦を企てるのではないかとすら見ていた。
「攻め入って鰯缶をするとでも思いましたが、中々どうして読めませんね。困りました」
アリアベルとアヤヒが蒼白となる。
悪名高い鰯缶。
別名、缶詰鰯方式と言われるそれは帝国軍捕虜の間引きで採用された。
埋葬地で少人数に分けられ、掘り下げられた穴の下へと横たわらせて銃殺。その死体が僅かに隠れる程度に土を被せ、また別の少人数を呼び出して銃殺。これを繰り返す事で効率的にして機械的に処刑する事が叶う。
捕虜が余りにも多過ぎた為、そうして間引かれた者も多く、陸軍は皇州同盟軍の合理性の一端を垣間見た形であった。加えて少数民族を主体に捕虜とした点も大きい。捕虜は帰国できたとしても何らかの取引があったのではと白眼視されざるを得ず、最終的には亡命を選択せざるを得ない。事実として大部分は亡命を選択した。
「国民を直接害しにに赴くと?」
「その可能性も捨てきれません。内憂多い状況、悪評こそが不確かなる同胞を抑止するのです……少なくとも陛下はそうお考えでありましょう」
何処かでヒトという生き物を信じきれないトウカは、必ず恐怖を予備戦力として持ち出す。歴史上の独裁者と違い経済発展を重視し、権利に鷹揚であるものの、それは義務を果たしている者に対してのみであった。彼が言うところの“売国奴”に対しては極めて残虐非道である。
アリアベルはクレアの断言に首を傾げる。
「よく、陛下の事を御存知なのですね」
アヤヒや周囲を警戒する神殿騎士団と憲兵隊員も興味深げな表情を隠さない。
鉄の意思を以て治安維持を図るクレアの見せる若き天帝に対する理解。
軍人であれば興味を惹かれぬ筈がなかった。
大前提として憲兵隊もまた恐怖による抑止力を常態的に行使している一面がある。トウカの如き露骨な振る舞いではないとはいえ、官憲とは法律と権力を背景にした恐怖心による無秩序に対する抑制こそを本質としていた。
故に見えるところもある。
少なくとも周囲はそう考えていたが、クレアとしては散々に寝台の上で彼の気質を知る機会があった為でしかない。
「……ええ、この世界の誰よりも」
浅葱色の妖精は白亜の尖塔群から陽光を見上げる。
その微笑は童女の如く無垢でありながらも、戦乙女の如く凄絶なものであった。
「軍都ルスタウ……」
アーダルベルトはトウカから次々と下令される計画書類を吟味していた。
公爵邸の一室には他の公爵……レオンハルトとフェンリスが集っており、若き天帝の思惑を察するべく議論を重ねていた。
端的に言えば分からぬものも少なくない。
「表面上は軍都という扱いだが、一部では早々に閉鎖都市という異名が付いているらしい」
「兵器開発拠点を集約して防諜を万全ならしめる。不思議な話ではないけど……」
アーダルベルトの指摘にフェンリスが注釈する。
防諜を考えればあらゆる重要施設の集約化は効率的な話である。無論、その施設が攻撃を受けた際、連鎖的に全ての開発が停止する事になりかねない危険が増大する事も確かであった。
「だがよ、中戦車開発を手放すと言ってるぜ? 裏を返せば、それ以上に重要な兵器があるってことだろ?」
レオンハルトの指摘こそが三人が共通して抱く懸念であった。
重戦車の開発を最後に重戦車や自走砲などの開発を陸軍兵器開発局や陸軍機甲本部へと移管するという宣言は皇国内の軍事諸勢力を驚かせた。無論、生産に関しては北部企業も行うが、生産量の問題から早々に他地方でも生産が開始されることになれば中期的に見て生産量でも北部は後塵を拝する事になる。
トウカはそれを長期的に見て致し方ない事だと切って捨てている。
寧ろ、民需への転換を徐々に推し進めていく心算である事は疑いない。
「噂じゃ主力戦車なんて兵器の開発が始まるらしい。しかし、研究開発の期間は二〇年。随分と長い」
直近と現有の兵器に関しては他へと投げ、先進兵器の開発へと舵を切ったと取れる。
装虎兵と競合している戦車の生産と開発を注視しているレオンハルトらしい指摘だが、先進兵器はそれだけにとどまらないだろうとアーダルベルトは見ていた。内戦中からの噴新兵器に対する力の入れようを見るに、必ず強力な噴進兵器が姿を見せるとアーダルベルトは睨んでいる。
「噴新兵器もある」
内戦中、陸軍は多連装擲弾発射機を前に大被害を蒙っているが、それを更に大型化する動きは自然な流れと言える。増してや長距離兵器としての試作と実験は内戦中にも行われていた。
ネーベルヴェルファーという呼称も本来は煙幕発射機を意味するものであるが、化学兵器運用に使用する兵器を大量配備する為の偽装名称であると考えられていた。しかし、実情としては噴新兵器としての運用性自体が先行して化学兵器の運用は成されていない。或いは、飛行爆弾の登場で予定変変更されたという事も有り得た。
噴新兵器はその威力と射程から極めて有力な兵器である。特に迎撃し難い速度である点が問題であった。
「それに飛行機械は拙いんじゃないかしら?」貴方にとって、と存外に滲ませた神狼の問い掛け。
アーダルベルトは唸る。
飛行機械。
噴進弾が相応の精密性を以て飛ぶならば、有人の飛行機械の開発が行われるのは自明の理である。無論、登場時点で航空騎の速度と汎用性を優越している可能性は低いが、戦車が徐々に高性能化している点を鑑みれば、最終的に航空騎に優越する性能を持つのは疑いない。
虎系種族や狼系種族の専有分野が戦車を始めとした装甲兵器に地位を明け渡す動きが生じつつあるが、龍種までもが飛行機械によって地位を脅かされるとなれば、軍事組織に於ける影響力は確実に削がれることになる。各公爵にとり各兵科の占有こそが軍による影響力保持の源泉なのだ。
「今更、敵対はできぬな……」
既に潮流となりつつある中で背く事は多大な労力と予算を必要とする。それは影響力を反って喪う結果となりかねない。そして、そうした潮流の根拠は既に皇州同盟軍は勿論、陸軍にも広まりつつある。押し潰すには広がり過ぎていた。
「よりにもよって……何故」
あれが天帝なのか。
と口にしないだけの理性はレオンハルトにもあったが、それは皇国貴族の少なくない数が持つ心情でもあった。
時節の急激な変遷に貴族達の心情は追随できない。
時代は余りにも急激な変化を迎え、それに対応すべく神々は先皇とは大きく異なる天帝を招聘させた。
特に先皇に何かと可愛がられていたレオンハルトとしては、受け入れ難い程に正反対の気質と主義を持つ今生天帝に対して平静な評価と対応を下し難いという自覚があるのか特に表情が暗い。
「しかも、昨日のお取り潰しだ。御味方である事を理解して頂かねば、再度の内戦は避け得ぬ」
昨夜、皇州同盟軍〈ヴェルテンベルク統合打撃軍〉の二個装甲師団が皇都近郊のノイマン子爵領とフーゲンベルヒ男爵領を奇襲占領。両子爵家の者達を逮捕。謀反を企てたとして二親等以上の者を即刻処刑。生まれて間もない者も居たが例外ではなかった。
ノイマン子爵とフーゲンベルヒ男爵の両家は元より中央貴族の中でも尊皇……先皇の融和思想に傾倒し、トウカに対して特に懐疑的であった。中央貴族の急先鋒として両家は著名であり、それ故にトウカの攻撃目標となる。
アーダルベルトは溜息を一つ。
「謀反の疑いあり……確証もなく潰しに掛かるとは、な」
「証拠の提示でも要求する?」
フェンリスの苦笑交じりの提案に、アーダルベルトとレオンハルトは苦笑を返すに留まる。
不協を買うばかりで意味のない行為と言えた。
しかし、両家のお取り潰しは多大な効果を齎す事が予想された。敵対か隷属かの決断を早々に迫ることになる事が予想される。
トウカは、領邦軍を領地規模に合わせて縮小し、教育と公共施設開発、税制の一元化を望んでいた。天帝主体の統制された国家へ舵を切ろうとしている。そうした中で税制の一本化は大貴族の負担が増し、小貴族の負担が軽減されるものである為、靡く者が少なからず出ると予想された。教育や公共施設の開発に関しても政府予算となるならば、寧ろ促進される事は疑いない。小貴族であればある程に、税制は厳しいものがあるのだ。
教育などは予算に乏しい貴族領であればある程に劣っており、教育の為、他の貴族領に嫡子を転居させるという無理をする者も少なくなかった。公共施設……特に交通に関わる部分は悲惨なもので、整備状況が酷く遅れている貴族領も少なくない。
トウカの意図するところは明白。
税制、教育と交通の格差を最小限にする事を目的としているのだ。人口分布が偏ることを抑止しようとしている事は疑いない。不便であるならば大都市へと人口は流れて不均衡を招く。それは地方を弱体化させ、中央への一方的な富の偏りを招きかねない。
貴族領という枠組みを無視して、人口と富の偏りを是正しようとしている。
急いてはいるが国営方針としては間違いではない。
三人の共通見解としては正にそれである。
しかし、敵対的な貴族を謀殺してまで性急に進める事は許容できなかった。それは余りにも危険すぎる行為であり、権力者達の反感の上に立つ国家は、傾いだ瞬間に砂上の楼閣へと転ずる。
それを軍事力を以て押さえ付けようとしている事は各領邦軍の軍備を最低限のものとしようとしている事からも理解できるが、それは根本的な解決に繋がらない。
「その、あの糞餓鬼……もとい天帝陛下は、種族の紐帯を軽く見てるんじゃないか?」
レオンハルトの指摘に、アーダルベルトも思うところがあった。
各領邦軍を縮小、余剰人員は正規軍へと編入するというのは陸海軍からすれば福音であろうが、それは書類上の部隊編制から見た場合に過ぎない。
各貴族の領邦軍は、その貴族の種族が主導権を保持して編制している場合が多い。その種族の派閥色が付いていると言っても過言ではなく、転籍したからと無関係になる事はない。再編制で大規模な人事異動が成されるであろうが、それでも完全に関係が途切れる訳ではなかった。
戦闘に秀でた種族は種族毎に纏めて編成される場合が多い。
そして、系統種族の中の高位種からの影響を受けることも予想される。天使系種族の様に系統種族内で完全な上意下達の関係にある事は稀だが、より上位の種族の影響を受ける傾向にあるのは確かであった。
人間種の如く人間関係だけではない種族的紐帯が他の種族には呪縛の如く存在する。
それは生物が群れの中で強者に従うかの如くであり、人間種が近代化による法律と思想の中で喪いつつある自然界に於けるより根源的な序列と言えた。
トウカがその辺りを理解しているかは怪しい。
兵器開発を見れば、種族的な差異をトウカは何よりも否定しようと躍起になっている様に見えた。個人の資質に依存したならば、それは効率性に乏しい事を意味する。その点を踏まえれば当然と言えた。トウカの求める効率性は種族的差異を認めない。
アーダルベルトは腕を組み唸る。
「あれ程に種族的な部分を忌避する人物も珍しい」
「……方針としては一致しているのでしょうけど、裏で強固に後押ししているヒトが居るものね」フェンリスが倦怠感の滲む声音で嘆く。
アーダルベルトとレオンハルトは視線を交わす。
知らぬ背景がある。
寧ろ、この期に及んで未だ共有されていない情報がある事に二人は先を促す。
「剣聖ベルセリカ・ヴァルトハイム」
端的な一言。
二人は納得する。
相応に有名な確執だが、それを以て若き天帝の背を押しているとなると私怨を国営に持ち込んでいる事になる。
「唆されたが故……とは言い難いが、より強固な決意となった可能性はあるか」
「ばばぁの所為かよ」
脛を蹴られて卓上で悶絶するレオンハルトを尻目に、アーダルベルトはトウカがベルセリカを重用する理由として十分だと感じた。一公爵に敵意を持ち、種族的な差異を前提とする国営に否定的な高位種という人物は希有である。リシアやザムエルも公爵への敵意こそないが、人間種であり高位種の立場に対しての配慮は乏しい。
「勝利を続ければ、容易に変革できると踏んでいるのでしょうね」
「しかも、あの熾天使も妙に好意的だ」
軍事的勝利を得続ける事は難しく、いずれ権力者と国民は幻想から覚める。その時こそトウカに妥協と安定を迫る事が叶うとアーダルベルトは考えていたが、ヨエルが背後を固めているならば容易な事ではない。政略に優れた人物であり、表面化していないながらも相当の影響力を持っているとされる。彼女は傍観者であり、行動を起こす例が少なく、影響力がどの様な形で、どの部分に及んでいるか酷く不明確であった。行使するだけが影響力ではない。曖昧な、それでいて確かな存在感は、遍在性を以て敵対者、或いは中立者の動きを抑制する。
そうした部分を最大限に利用したヨエルの権勢は不動と言って差し支えない。
脅威に他ならない。
トウカが躓いたとしても、ヨエルが手厚く助け起こすならば、他の公爵が支える余地はない。
「まさか、反旗を翻す訳にもなぁ……」
レオンハルトのぼやきに、アーダルベルトは眉を顰める。
反旗を翻すならば、再度の内戦という事になるが、それは下手をすれば国を割りかねないと公爵達は認識していた。ベルセリカやザムエルがその覚悟を以て皇都に攻め入った事は明言されており、国家を二分する争いに対する想定があると推測される。
アーダルベルトは這う様に右手を進め、ウィシュケの酒瓶を手に取る。
神龍は酒に逃げたい気分であった。
だが、僅かずつであるが、トウカの思想や姿勢を彼らは理解しつつあった。




