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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》
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第二八六話    皇城にて Ⅰ





「これは……正気ですか?」


 種族的に恰幅の良い者が多い中、小柄な岩人(ドワーフ)族……種族的に見て妙齢の女性は若き覇権主義者の頂点を見上げて問う。


 エルヴィラ・仁科。


 物理学者は若き覇権主義者から与えられた資料に唸るしかない。


 原子力を用いた極めて強力な爆弾の開発。


 国家機密であり、その中でさえ表面上は消費電力増加に伴う新機軸の発電設備開発とされるそれは、紛れもなく国家に於ける最重要軍事機密と言える。


「神炎計画……確かに、一考の余地はありますが……」


 神の炎と称する兵器を眼前の天帝がいかに扱うかなど自明の理である。


 可能性として語られる事すら耳にしていない原理と理論を前提とした技術開発に対する懸念はあれど、エルヴィラの直感はそれが可能であると囁いていた。無論、そこには若き天帝が見知らぬ原理と論理を元に軍事力を振り翳して勝利を得た事が科学者の間でも有名であったという理由もある。


 兵器利用の為の新素材の配合比率や兵器部品の構造の最適化が然したる猶予……段階的な仕様変更もなく次々と生み出されるのは、明らかにトウカが多くを知るからである。


 技術とは広大な裾野に影響を受けて成立する場合が多く、単独で突出するという事は稀である。技術とは無数の基礎技術の複合物なのだ。よって一つが抜きん出るとは考え難い。そこには複数の基礎技術の底上げがなければならない。


 しかし、皇州同盟傘下の企業……特に軍需企業などはトウカの到来に合わせて突出した技術が幾つも出ている。現行の基礎技術を無視した技術が幾つも運用されようとしている。寧ろ、北部の産業はいかに突然降って沸いた技術を採算の合う方法とするかに腐心した研究開発に重きを置いていた。


 正解を知るが故に、正解の模索ではなく、正解に至るまでの道筋の構築に熱中している。


 それは、市場や現場などへの調査費が激減している事からも分かる。


 答えを知る以上、調査など必要ないのだ。


 皇城の一角。


 穏やかな日差しを受ける庭園の四阿(ガゼボ)での会話。


 対面に座したトウカは然したる気負いもなく、緑茶を啜っている。神州国風の四阿でもない中、湯呑を出されるというのは出身民族を鑑みた配慮か、或いは自身の好みでしかないのか。トウカの為人を知らぬ身として、振る舞いの根拠すらエルヴィラには見い出せない。


 ただ、四阿(ガゼボ)の周囲を彩る庭園から見いだせるものもある。


 瓦礫の山。


 美しい彫刻と植物からなる幾何学的な庭園として知られていた皇城の庭園は、攻城戦に於ける激しい戦火に晒された挙句、修復作業は後回しにされ、それどころか対空陣地が乱立し、対空砲の砲身が雑木林の如き風景を見せている。


 近くでは射撃指揮装置が稼働しており、エルヴィラとしては射撃計算と射撃統制を行うそれに興味を惹かれていた。機械的な計算機が兵器に進んで組み込む動きは乏しかった。皇国では砲兵将校などに射撃技能に秀でた耳長族(エルフ)を当てる事で命中精度への追及が行われており、機械化へ向けた試みは低調だった。既得権益化した耳長族砲兵将校による火砲分野への介入もまた機械化への動きを阻害している。


 そうした中での皇州同盟軍による射撃指揮装置の機械化率向上である。


 科学者としては称賛せざるを得ない。既存の既得権益を退け、余念なき発展を目指す事は好感すら抱く。


 だが、トウカの覇権主義には苦言を呈したいとエルヴィラは考えていた。無論、直截口にする程に無鉄砲ではない。


「計画は既定路路線だ。期間は二十年、予算は望む儘に。後世の名声と悪評も欲しい儘に」


 トウカの言葉は酷く直截的であった。


 飾る真似もせず、利点と欠点を提示する様は狂気と言える。


 悪評と言うに留まるのは、情勢によって運用が変わるからであろう事は疑いない。逆説的に言えば、それは各地での運用が容易であると見ているからに他ならない。


 戦略的運用に自信がある……少々の不便があっても戦略で補えると見ているのか、諸々の問題を科学的に解決できる目算があるのか、エルヴィラとしては判断が付かなかった。


「何故、私なのでしょうか?」


「物理学に秀でて独身、なにより魔導技術への傾倒を危険視している」


 指摘に対してエルヴィラは苦笑するしかない。


 皇立魔導院に解散を命じ、籠城して抵抗する職員を排除するべく包囲作戦が展開されている中での発言としては踏み込んだものがある。


 合理的な発展を阻害する皇立魔導院を排除すると宣言したトウカだが、それは科学より魔導を優先するという意味ではない。


 しかし、先の発言を見れば魔導よりも科学を重視する事を鮮明にしたと取れる。


 魔導士よりも科学者を。


 それは、科学者達が待望した一言でもある。


 しかしながらエルヴィラは科学のみによる発展もまた危険だと考えていた。何より、魔導技術は皇国が他国に優越する分野であり、科学技術との相互補完を可能とする余地が十分にあった。


「ふむ、俺を、いや我を危険視するか」


「はぁ、いえ、そう言う訳では……」


 素直に本心を口にする真似はできないが、本音を言えば、大規模破壊兵器を眼前の穏やかな覇権主義者に与えてよいのかという疑問があった。


 帝国を滅ぼすと、民衆を攻撃目標とすると明言する天帝。


「敵国の民衆を根絶やしにすると息巻く男に渡せる兵器ではないか」


「……懸念はしてはおります」


 トウカの背後に立つ紫苑色の短髪の女性将校が失笑する。そして剣聖と思しき女性に小突かれた。


「本来、力とは無色透明だ。そこに色を付けるのは、飽く迄も使用者に他ならない。皇国にとり都合の良い色を付けたいものだな」


「使用の否定は為さらぬのですか? 帝国を滅ぼす為に必要だと」


 納得させる為に虚言を弄する事もないトウカに、エルヴィラは驚いて見せる。


 他の科学者が居る為、エルヴィラである必要はないと見たか、或いは己の権威に抵抗すると見ていないのか判断できないが、傲慢からなるものではない事だけは表情から理解できた。


 穏やかな表情。


 背後の剣聖と紫苑色の髪の女性に着席を促す姿は、大凡権威を感じられない。天帝ながら軍装ではあるが、軍人とすらも思い難い仕種には、市井の風評とは大なる乖離がある。


 乱立する高射砲の砲身を背景にずるずると音を立てて緑茶を啜る天帝。


 しかし、片鱗は窺えた。


「実戦配備に二〇年は必要だろうが、それまでに帝国を滅ぼす事は容易い。そこまで無能ではない心算だ」


 端的な宣言。


 エルヴィラはそれを己の才覚への過信とは受け取らない。


 有言実行の男である事は戦績が示している。


「では、どちらに?」


「情勢次第だな。だが他大陸への使用が前提となるだろう」


 それ程先までをも見据えているのかという驚きは過去に終えている。


 心当たりは無数にある。


 それは皇国に於ける特に著名な科学者達の間では共通の心当たりである。


「他国や他大陸からの動植物採取の御命令も、未来を見据えたものでしょうか?」


「そうだ。いずれ遺伝子を操作する分野は産業の一翼を担う事になる。未だそうした認識がない状況で遺伝子情報を集め回るのは問題とならない」


 時代を先取りした指示は多岐に渡るが、地質学者や海洋学者に対する沿岸部や海底の調査、統計学への巨額の出資、生物学への設備投資……あらゆる技術分野への投資がトウカの一存で決まっている。


 無論、投資が増大する分野もあれば例外もある。


 特に社会調査などを明確に統計学の範疇とし、社会学への国費投入の禁止と国立大学での学科廃止などは波乱を巻き起こしている。


 選択と集中は科学に在っても例外ではなかった。


 決して魔導が排除された訳でもなければ、科学の全てが受け入れられた訳でもない。


 優遇も冷遇も国益となるか次第。


 冷静で冷酷で無慈悲なまでの取捨選択。


 選ばれたという喜びはない。


 彼の望む国益が血塗れであると知るからである。


「受けるか? 歴史に名を残し、一時代を己が手で築き上げるか?」


 湯呑みを置き、是非を問う天帝。


 エルヴィラは頷く。


 科学者である以上、予算と名声には抗えない。


 兵器である以上、運用の余地はあるという姿勢であるのは嘆かわしいものの、他大陸との争いともなれば大規模破壊兵器の運用も致し方ない。それ程の国力差があり、思想も違う相手ともなれば敗北は許されない。


 最善の模索として戦略兵器の保有は“あり”である。


 共和主義者と宗教家の果てなき争いに巻き込まれる事への準備であるならば、否とは言えない。


「問題は原料ですね」


「そうだな。既に情報部に指示を出している。共同での資源採掘事業を立ち上げても良いし、国外であれば攻め取る……と言いたいところであるが、遠方への戦力投射となれば負担も大きい」


 資源確保の手段に軍事力行使が選択肢として加えられているそれ。


 エルヴィラは危うさと頼もしさを感じた。


 皇国は多種多様な資源を国土に有する恵まれた国家に他ならないが、それを断固として守る事を厭わないであろう天帝の到来は望ましいものがある。近代の天帝は譲歩によって安価で資源を輸出する事で外交的成果を演出している者も少なくなかった。安定と安寧の対価としては安いとの判断であろうが、その判断が周辺諸国の更なる譲歩を招く側面もあった。


「そもそも、惑星上には銀の数十倍程度は存在する資源だ。そう珍しいものではないが……抽出方法がない以上、直近では相応の純度を持つ鉱石を特定地域からの産出に固執せざるを得ないからな」


 良く知っている、とエルヴィラはトウカの化学方面に対する知識に瞠目する。


 こうした資源に注目している個人が存在していない訳ではなく、エルヴィラ自身も心当たりがあった。それは技術者の界隈でも認識していない者が大半の分野であり、そこへの造詣までもが深いとなれば、エルヴィラとしても賞賛する事も吝かではない。


 放射線に対する理解。


 恐ろしいものがある。


 近年、そうした論文が出回った事をエルヴィラは把握していたが、その論文よりも遥かに多くを知り、既定事実としているトウカに不気味ななにかを見た。


「陛下が仰られるところの放射線?ですか、それを論文にした者が協商国に居ましたが……」


「リシア。是非、好待遇で我が国に招聘しろ。無理ならば適切な処理が望ましい」


「はい、陛下」


 敬礼と共に四阿(ガゼボ)から去る紫苑色の髪の女性将校。


 その意味するところを察する程度にはエルヴィラも政治を理解している。協力拒否の対価は高価なものであるという現実を見せつけられては反抗心など萎えてしまう。


 しかし、同時にあらん限りの予算と、天帝当人の知識によって好奇心を満たす事へ意識が傾きつつあったエルヴィラはそれを無視して質問を重ねる。


「この画期的な発電方法の模索と言うのは?」


「まぁ、簡単に言ってしまえば爆発物も制御できる僅かな爆発にまで落とし込めば発電に転用できる、という話だよ」


 既存の火力発電に通ずるものがあるような物言いだが、扱う物質と反応による爆発力を踏まえれば制御は容易な事ではない。


「魔導発電では不足でしょうか?」


「将来的には不足するだろう。致命的な規模で」


 将来の発展には電力が要る。


 エルヴィラとしても共通の見解を持っている。


 工業の大規模化と工業製品の複雑化に合わせて産業規模は拡大し、人口増加は今後増加する電気を用いる製品が国内で大規模に扱われるであろう意味する。予想している以上に若き天帝が電力不足を心配している点を見てエルヴィラは認識が甘いのだろうと納得する。見えない発展の余地が若き天帝には見えているのだ。


 トウカは未来を知っているが、石油が国家の血液であるとする時代すらなかった異世界にとって、生活を支える物資という感覚は乏しいものがある。空気中を漂う魔力をある程度、運用できるからこその認識であった。


 大前提として魔導発電は言ってしまえば艦艇の主機と同様の方式による発電である。空気中の魔力などを吸収、備蓄し、それを術式に利用して推進器による推力に変換する。燃料費がない夢の発動機と言えるが、同時に維持管理には魔導鉱石を必要とし、運用と維持管理には魔導工学と機械工学の両方の知識を必要とした。運用は維持管理を含めた場合、決して安価という訳ではない。


「それにつけても電力の欲しさよ、だ。それに火力発電なんぞに頼れるか?」


「まぁ、自然保護に五月蠅い種族も居りますので」


 苦笑と共にエルヴィラは同意するしかない。


 岩人(ドワーフ)族と耳長(エルフ)族の確執を当事者として知るが故の仕草である。


 両種族は伝統的という枕詞を使用できる程に不仲である。その理由は、古来より産業……ものづくりの為に木々を切り倒す岩人族と、森林と共に生きる事を種族としての誇りとしている耳長族が平和的に共存できる筈もなかった。建国時にもその確執は表面化しており、初代天帝の手を煩わせたという記録がある。


 トウカの発言を見るに、新たな発電方法の模索は環境保護に対する熱意からではない事は明白だが、副次効果としては悪いものではない。


「ですが、有害物質を撒き散らす危険性もあるようですが……」


 机上の資料を再確認し、エルヴィラは懸念を口にする。


 放射線という物質に対する理解も乏しい中での実験は多大な危険を伴う。無論、手元のトウカ直筆であろう資料を見ればその性質の大部分は理解できた。しかし、それ故に既存の技術では事故の際に対応できない事が確定している。


「事故か……どうなると思う?」


「最悪の状況ともなると、生物の大部分が死滅するのでは……」


「派手に分裂反応が誘発された場合はな。しかし、そうではない規模の場合、人間が地域から遠ざかることで動植物の楽園になるだろう」


 耳長(エルフ)族共は喜ぶだろうな、と肩を竦める若き天帝。相当の皮肉屋である。


 だが、魔導障壁の改良によって放射線の遮断の模索が書類上で提案されている為、全くの無策とは言えない。


「しかし、発電ですか……」


 若き天帝の望むところの物質……ウラン235は一つ核分裂反応を起こせば中性子が複数個放出されるが、一つ以外は他物質で吸着させ、一回の核分裂反応につき一つの中性子が飛び出すように操作し、次のウラン235に衝突して再び反応を起こす。そうした連鎖反応によって出力を維持安定させる事で可能となるのが原子力発電である。


 エルヴィラとしても理論は理解できた。


 手元の資料は既知の技術として記されている。それに伴う危険性も指摘も的を射たものであるし、否定し得る材料はない。


 しかし、同時に核分裂反応に使われる中性子が一個を僅かでも上回れば短時間で指数関数的に反応が増加することになる。そうした繊細な維持管理を成す技術は根本的に困難が無数と付き纏う。書類上に記された様に簡単な問題ではない。


 現状では技術的困難を伴う事に変わりはなかった。


「出力調整は困難を極めます」


「発電に関しては三〇年後が目途だ。急がないし、何より抽出ができなければ、な」


 五〇年後には海水から抽出したいところだ、と付け加えるトウカに、エルヴィラは国家百年の大計という言葉が過る。若き天帝の脳裏には既に国家方針が形作られているのだ。即位を強攻……強行して数日にも関わらず、既に指針が決まっているという事は即位前より準備があったと考えて然るべきである。或いは、国事行為を担う事を以前より想定していたか。


「粗精製から転換、そして濃縮……多種多様な材料と設備が必要なようですが……」


「準備させる。なければ作る。そこからになる」


 期待している、と若き天帝は微笑む。


 エルヴィラに拒絶の余地はない。


 何よりも彼女は探求の徒なのだ。











「悪くはない。優秀で探求心も功名心もある」


 トウカは既に去って姿を見えぬ物理学者をそう評した。


 同時に、最終的には終末兵器の威力に心底と後悔して批判を展開して自身の心身を守ろうとするであろうとも見ていた。最善は、研究開発後の運用など運用側の責任と問題で知った事ではない鼻で笑うが如き品性の人物であったが、トウカは能力を最優先とした為にエルヴィラとなった。


「陛下、宜しいのでしょうか? 随分と不遜な懸念をする科学者に御座いますが」


「良い。形にできたならば後は好きにさせても構わない。無論、情報漏洩を意図したならば話は別だが」


 不慮の事故などが起きるかも知れない、とトウカは嘯き、紫苑色の前髪を揺らして女性将校は、危険物質の啓蒙に相応しい死に様となるかも知れません、と応じる。無論、同席する剣聖は呆れ顔を隠さない。


 トウカにリシア、ベルセリカの間では終末兵器の情報が共有されている。


 ベルセリカなどはその威力に懐疑的な見方を隠さないが、リシアはトウカが投じる予算規模から、それだけの価値と威力のある兵器なのだろうと判断していた。トウカとしては実績のある者の言動を判断基準にする真似は望ましくないと考えていたが、この兵器に関してのみは理解者が居る必要がある為に座視する。



 行動は言葉よりも声が大きい。



 実績は後の決断までをも好意的に見せる。それ故に遅れる事業や計画があるのだから度し難いが、実績の乏しい者よりも実績のある者が場数を踏んでいるのは大凡に於いて真実であった。よって人事とは有史以来、斯くも匙加減を必要とする要素であり続けている。


 リシアは統合参謀本部直属の〈即応機動打撃群〉の指揮官を拝命している。


 実情として〈即応機動打撃群〉は未だ書類上の存在に等しく、リシアが何処からから連れてきた〈北部特殊戦部隊(ソンダーコマンド・ノルド)〉を基幹戦力とした小隊規模でしかない。それも不正規戦を主任務とする人員であると報告されている事から、トウカも正規軍の如き槍働きを求める心算はなかった。


 眼を眇め、トウカはリシアを見据える。


 陸軍と皇州同盟軍の推挙を以て統合参謀本部に組み込まれたリシアだが、トウカは言動としてはなかったものの与える職責に悩んだ。しかし、ファーレンハイトはそれを見越していた。


 陸軍士官教育課程を途中で投げ出したリシアを、国家中枢に近い統合参謀本部の参謀将校として招くのは反撥を招きかねない。それを跳ね返すだけの専門知識をリシアは持たないが、実戦経験は相応以上に有している為に余計に話が拗れる可能性がある。


 トウカは将官という立場を得て初めて理解した事がある。


 将官の中には、実戦経験の不足を劣等感(コンプレックス)としている者が少なくない。


 民衆が思うよりも軍隊に於ける実戦経験者というのは少ない。近代ともなれば有事でも後方支援要員の数が多数を占め、戦線と戦域の拡大は交戦機会を低減させた。故に戦場に赴いても実戦経験と見做されない場合とてある。ましてや皇国は近年の内戦や対帝国戦役を除けば大規模な戦争に従事していない。現在の高級将校達の大部分は実戦経験を経験していない、或いは乏しかった。


 そこに領邦軍士官教育しか受けていないものの、実戦経験豊富なリシアが着任して何も起きないはずがない。


 否、厳密に言えば他の参謀将校達の隔意よりも激発したリシアが何をしでかすか分からないという恐怖があった。


 トウカもリシアが皇都擾乱に紛れ、嘗て諍いのあった商家の一家を殺害した事は掴んでいた。混乱に乗じて私闘をやらかすなどマリアベルの如き振る舞いである。国益という観点から座視できない出来事だが、件の商家が国益に反する取引を他国と行っていた形跡がある為、それを背景に正当化できなくもない。


 無論、トウカの心情に対する正当化であって法律に対するそれではない。


 否、そもそもトウカは即位前後に関わらず、法律を呼吸する様に破っている。法律書など鈍器に過ぎないという姿勢を以てトウカは敵対者に抗していた。思想や政体に関わらず、法律とは既存の組織や権益を保全するべく構築される傾向にある。それを守って既存の権益に斬り込もうとするのは効率が悪く、事態の長期化は反撃と紐帯の余地を与えかねない。


 体制の破壊者は叶うならば既存の法律を斟酌するべきではない。


 それは時間と資源の浪費となる。


 それがトウカの判断であった。


 情報伝達技術の進歩以前の民衆の権利や主張は、大凡が公正な裁判制度と適正な税制に収斂される。為政者の順法精神や権利に対する理解など上辺だけの批判でしかない。無論、それ故に明確な利益のみを選択するという峻厳(シビア)な一面を持っているが、それを満たせば致命的な危害が及ばない限りは座視する傾向にある。


 トウカの皇国臣民に対する再定義。


 民衆の扇動で一度、失敗したトウカは民衆を政治的大義や曖昧な利益で動かす事が困難であると認識した。明確にして露骨な利益誘導でなければ駆り立てられないと見て、トウカは一層と権力への執着を強くした。


 民間からの圧力による封権体制の打破という風潮を醸成するには時間を要する。それをトウカは待てない。


 焦燥を抱くトウカだが、それを払拭するに値する成果は遥か彼方にある。


 ミユキを失っただけの成果が要る。


 己が納得できるだけの。或いは、そんなものはないのかも知れない。トウカはそうした苦悩と懸念の中に居た。


 それを隠す心算もなければ、それによって方針を変更する心算もなかった。


「随分と先ばかり見ているわ……貴方、足元を掬われるわよ?」


 忠告と言うには呆れの念が滲むリシアの指摘に、トウカは溜息を一つ。


 ベルセリカは負い目を感じてトウカの姿勢を咎めはしないものの、その物言いたげな表情を見れば何を口にしたいか一目瞭然であった。


 トウカは懐から携帯酒筒(スキットル)を取り出し、口を付ける。


 樽出し原酒(カスクストレングス)の喉を焼く様な酒精(アルコール)の刺々しさと、熟成年数若く未熟な香りは無遠慮そのもの。労わりも安らぎもなく、それはトウカが酒に求めているものではなかった。


 酒精交じりにトウカは言葉を返す。


「ミユキを失った様にか?」


 皆が避ける話題。


 周囲の配慮は煩わしさすら伴うものである。決して心身を案じたものではなく、怯えからものである事が救いである。


 リシアは舌打ちを一つ。女々しいとの批難が滲む。


 すかさずベルセリカが紫苑色の頭を小突く。


 トウカは苦笑を零した。


「冗談だ。信じる者は(足元を)掬われる。良く理解している心算だ」


 信ずるべきでないものを信じる程にトウカは無能ではない心算であったし、少なくとも信仰などに淫する無様は先祖に申し訳が立たない。少なくとも当人はそう先達に強く恃んでいた。


 軽やかな笑声を零す三人。


 周囲を警護する皇州同盟軍鋭兵達が短機関銃を手にしたまま怪訝な顔をする。


「しかし、御主……継承の儀に赴く心算か?」


「身内にも権能という奴を手に入れねば正式に天帝とは認め難いと嘯く輩も多いはずだ。避けては通れない」


 トウカとしては権能というものに興味があった。


 天皇大帝。


 他国の指導者とは一線を画する任命方法だが、何よりも権能を以て国家の統治を成すという部分が最大の差異である。歴代天帝の中には権能を頼みに戦場を文字通り一文字に切り裂いて師団規模の敵を刹那の内に薙ぎ払ったなどという逸話があった。国家指導者が前線に立つが如き振る舞いには失笑するしかないが、トウカとしては男として権能というものに心惹かれる部分もあった。


 何より、権能は過去の天帝の記憶を総攬する事が叶う。


 トウカはそれを切望していた。


 高度な演算能力もあるというが、重要なのは飽く迄も過去の総攬にこそある。


 過去という事実の積み重ねが手中に収まるならば、それは皇国史を手中に収めるに等しい。忌憚なき当時の歴史を知れるならば、トウカに不足する政情把握も困難ではなかった。皇国は長命種が政戦の実験を握っている事が多く、それは歴史的経緯からくる事態を数々巻き起こしている。


 今後の政戦への対処の為にも、トウカが過去の総攬を望んでいる。師団規模の敵を撃滅するだけの火力など自身で行使する必要などないし、汎用性があったとしても不要とすらトウカは考えていた。


「私の〈即応機動打撃群〉は編制が始まったばかりだから護衛は難しいわね。でも、〈北部特殊戦部隊〉の出身者は不正規戦に特化した部隊よ。念の為に浸透させておくわ」


 リシアの進言に、トウカは頷く。


 統合参謀本部の警護や緊急性と秘匿性の高い特殊任務の為に編制が決まった。


 トウカとしては陸海軍の実動部隊の範疇を侵食すると見て異論が出ると考えたが、陸海軍府の両長官は特に異論を挟む事もなかった。皇州同盟軍から兵力を抽出する為、戦力を隷下から削がれないという事もあるが、それ以上に“秘匿性の高い特殊任務”というものを危険視したからである。


 内容としてはトウカも決めておらず、状況に合わせて即応できる高機動力の部隊を欲していたというだけに過ぎない。


 陸海軍は政治沙汰になる事を厭うた。


 国内での暗殺、政治家や貴族への恫喝に使う非合法活動の戦力になると見たのだ。要らぬ遺恨と不興を国内で買いたくないとの意向がそこには滲む。トウカもその点に関しては致し方ないと考え、また陸海軍府を経由せずに運用できる戦力を両府が許容したという根拠ともなり得る。


「最終的には〈即応機動打撃群〉を基幹戦力として近衛軍を再建する事になるだろうが、それまでには成果を積み上げておくのも悪くない」


「汚れ仕事も請け負う近衛軍? 情報部も加えたなら、小さな同盟軍ね」


 実情としてそうなる為、トウカとしても反論はしない。


 皇州同盟軍の装甲兵や鋭兵を主体として編制する事で単独でも有力な打撃力を誇る戦力単位(ユニット)とするが、ザムエル隷下の〈ヴェルテンベルク統合打撃軍〉などからは戦力抽出を行わない。数年先とは言え、陸軍は皇州同盟軍を隷下に加える事を待望しており、それは紛れもなく装甲戦力に期待をしたものであった。


 三個師団……一個軍団規模の近衛軍編制を想定しており、そこに各種航空部隊や水上部隊も加わる。国外への緊急展開を想定したが故の三軍体制であった。


「直近の護衛は重装憲兵聯隊に行わせる。市街戦も得意と聞く」


 内戦中も憲兵隊で手に負えない事件では重装憲兵隊が投入され多大な成果を上げている。屋内突入や閉所戦闘などは寧ろ正規軍よりも経験がある為に期待できた。


 皇州同盟軍重装憲兵隊は市街戦を得意としているが、当時に憲兵であるが故に警護任務などの訓練と用意があった。


「しかし、某が統合参謀本部の長か……畑違いで御座らんか?」


 幾度も尋ねられた問い掛けに、トウカは苦笑するしかない。


 古の騎士としては専門外な役目を請け負う事に抵抗があるという様に見えるが、トウカは己の不在時に即座に戦時体制を延長して譲歩を迫った主犯格がベルセリカだと情報部より資料を得ていた。


「やめて欲しいな、剣聖。白々しい。決戦已む無しで強気に出た貴女はどうした?」


 トウカは酒精交じりの苦笑で応じる。


 ベルセリカの振る舞いに中々どうして侮れないと、トウカは感心したのだ。


 参謀本部が追認した事からも分かる通り、それは政治的譲歩を迫る上で有効な策であった。些か綱渡りと思えるが、陸海軍と肩を並べて対帝国戦役を戦い抜いた事から両軍が敵対する可能性は低い。内戦を戦った者達は、皇州同盟軍将兵が進退窮まれば狂信的なまでに被害度外視で抗戦する事をフェルゼンで思い知った。根に持つのは何も君主たるマリアベルだけではないのだ。


 敵対するのは中央貴族を始めとした領邦軍による連合軍。


 連合すれば規模の上では侮れぬが、皇州同盟軍も段階的な動員で三〇五万に届こうかという総兵力に膨れ上がりつつあった。無論、帝国に対する抑えを考慮すれば投射戦力は一〇万以下にまで減少する。それでも統一された指揮系統の下で装甲部隊を中核とした戦力が航空支援を受けて各所撃破を行えば、練度と連携に不備があり装備と戦闘教義(ドクトリン)まで違う連合軍など一蹴できる事は疑いない。


「せめて皇都まで攻め入ってあの女だけでも道連れにしてくれようと思った次第よ。事の運び様では北部独立の時間と銭を捻出できるやも知れん」


「皇都を占領すれば出てくると? 早計だと思うが」


 意外と何も考えていないであろう意見に、トウカは頬を引き攣らせる。


 皇都は皇国の政治中枢だが、実情として天帝不在で国政が滞りつつあった以上、見限って首都機能を他の大都市へ委譲するというのは悪手ではない。委譲の隙を縫って七武五公の権限を拡大して事に応じる公算が高い。敵は皇都を占領するだけの実力と規模を有する戦力であるという論法が有効になってしまえば、七武五公の専横を許す結果になりかねなかった。


 だが、トウカはセルアノが北部を衰退する事を吹き込んだが故の急進性だとも把握していた。情報部も無能ではない。ベルセリカの振る舞いは、経済的衰退を回天する博打だったのだ。


 それでも、剣聖が口にしないのであればと、トウカは気付かぬ振りをする。


 彼女がセルアノを守るのであれば、組織内の混乱を望まないのであれば、その思惑に乗る事も、トウカは吝かではなかった。


 トウカの表面上の指摘はベルセリカにとって想定内の事であった。


「そう、そういう輩が統合参謀本部の長じゃ。不安で御座ろう?」


「……辞退を望むと?」


 フェンリスを殺したいと普段から酒を煽れば口にしているにも関わらず、その為の権力保持を厭うなど我儘姫かと、トウカは胸中で毒突く。


 しかし、考えてみれば伯爵令嬢という姫に近い出自である事を思い出し、トウカは頬杖を突く。高貴なる出自とは我儘なものなのだ。北部出身である場合は特に。


 ベルセリカは首を横に振る。


「辞退はできぬ。御主を放置して退くなど士道不覚悟の誹りを免れん」


「ならば何を御望みで?」


 迂遠なお願いにトウカは呆れ返る。見目麗しい女騎士の願いともなれば、巷では心躍る者も少なからず存在するが、トウカはそうした性質(たち)ではない。


「有能な人材を補佐に付けたいと思っておるが、陸軍閥での」


「引き抜け、と? 態々、天帝を通そうとするのです。それなりの立場ですか?」


 面倒な案件だとトウカは頭を悩ませる。


 陸海軍も大規模な軍拡に向けて組織再編を進めている最中に有望な人材を引き抜かれる事に難色を示すだろう。優秀であればある程に、今後の組織拡大には欠かせない人物となる。


「誰だ?」


「陸軍参謀本部付きの……シャルンホルスト大佐と言ったかの?」


 妥当な人材を要求するという感心と、つくづく狐に縁があるという賞賛の入り交じった視線にベルセリカが狼耳を揺らす。一瞬、言い淀んだのは狐系種族を近しい立場に招く発言に対し、トウカに要らぬ連想をさせるのではないかという懸念があったからであろう事は疑いない。


 トウカは思案する。


 ネネカ・フォン・シャルンホルストという小さな参謀将校は優秀である。軍事的合理性が軍装を纏ったかの様な人物であり、些か最善に固執し過ぎる人物であるが、それはトウカ自身も自覚していることであって非難できるものではない。少なくともトウカは個人的に悪感情を抱いてはいなかった。


 トウカが皇城突入したと聞き、即座に駆けつけてきたファーレンハイトが小脇に抱えていたのは、決して参謀将校の中で一番小柄で抱え易いからではない。致命的な波風を国内に立てぬ様に献策を期待したのは明白である。そして、年若い小狐であれば、失言と失策があったとしても庇い易く、トウカの狐に対する執着から相手が矛を収めるであろうという目算があった可能性とてあった。


 種族的な理由から抱えて駆け込んだとも取れるが、同時にその智謀を恃んだ可能性もある。


「有益な人物だな。此方で説得しよう」


 ファーレンハイトは当然として、ネネカもまた説得せねばならない。


 陸軍に未練がある中で異動するのは得策ではなかった。陸軍寄りの献策が続いては海軍が不満を持つ結果となりかねない。ネネカの言動次第では無理強いはできなかった。個人の心情に対して軍刀を持って迫るだけの無意味はトウカでも理解している。そして、嘗ての様に強制して解決する問題ではない。


 最早、陸軍は友軍……隷下なのだ。


 軍務であるが、不必要な、或いは望まぬ無理強いは望ましくない。増してや新規事業の構築である。自発的に振る舞って貰わねば負担軽減は叶わない。


「枢密院の如何(いかが)わしい連中を叩き出したは良いが、人手不足だ。セラフィム公とエルゼリア候は内定しているが、二人ですら兼務だからな」


 トウカは携帯酒筒(スキットル)のウィシュケを飲み干した緑茶の湯呑みに注ぐ。


 琥珀色……というには熟成年数が若いので薄い印象を受ける液体を口に含み、トウカはその酒精の刺々しさとそれ故の薫りを愉しむ。


 ヨエルは皇城府長官を兼務し、エルゼリア候は農林水産府長官を兼務する。宮廷政治と食糧生産に関わる提言者を確保したものの、内務や外務、軍需や経済、技術などの提言者は未だ選定段階にあった。トウカは各派閥の色が強い者を避けたい意向だが、派閥に招かれていないにも拘らず優秀な者は基本的に人格に難がある。実力を大前提に、愛国心を持ち、国益を優先し、組織に適応できる人物となれはそう居るものではなかった。


 各種組織編制は前途多難であった。


 しかし、比較的近しい人物が多い為、要らぬ儀礼を省ける場合が多い事が救いであった。


「堅苦しいのは良いとしても、要らん前置きと建前は目障りな事この上ない」


 報告と進言は要点を端的に示すべきであると信じて疑わないトウカは、軍の戦闘詳報の如き簡潔さを求めてすらいた。


「権威とはそうしたもであろうに」


「それも確かだがな、その内、夕飯の献立まで長々と上奏し出しかねない」


 挙句に要らぬ程に贅を凝らした料理を用意しようとする為、トウカとしては悩みどころであった。繊細な味付けも食えぬ量も彼には不要なものである。しかし、皇城の料理人達は国内最優として選出された者達である為、下手な軍人よりも矜持を持ち合わせていた。


 最初、総料理長に食事は細やかなもので良いとトウカが伝えた際は、絨毯に崩れ落ちての大号泣だった事は記憶に新しい。


「後々を思えば非公式とは言え、私達がこうして普段通りに接する事も問題よ?」


「御前が跪拝して上奏したいと乞うならば止めはしないが……」


 リシアの指摘にトウカは鷹揚に応じるが、大袈裟にしかねない部分がリシアにはあったと遅まきながらに築く。


 堂々たる上奏に見えても、内情は自身を推すものだったとして不思議ではない。


 だが、トウカは何一つ咎めはしないだろう。


 自身が恣意的な国営をするという風評もまた、トウカが欲しているものの一つであるのだ。







 行動は言葉よりも声が大きい。


             猶太(ユダヤ)民族の格言



 長期休みの方が多いのかPVとポイントが増えているので前倒しして投稿しました。HPにまで感想をくださる方がいて有り難い限りです。


 Twitterでの評価も偶に見ています(大体、教えてもらうのですが


 コロナが流行っていますが、私は一月に派手に風邪を引いてまして、当時は「これは武漢肺炎だ」とみんなと笑ってたのですが、今にして思えば本当に罹っていたのかも知れませんね。


 因みにトウカ君みたいな指導者なら、隣国で疫病が発生した場合、即座に航空機の運航を差し止めて、大きな港には軍を派遣して警備させるでしょうねぇ……なにせ他国のヘマで己の評価を上げる機会なので勇んで極端で目立つ対応をします。原因が国外と決まっている場合、旗色が悪くなれば原因追及で失態の印象を軽減できるので。


 ついでに言いますと、大阪の元弁護士のあれは悪手ね。為政者視点で言えば敵は国外に作るべきなんで。


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