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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》
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第二八四話    我、天皇大帝に罷り成る



 トウカは赤い絨毯を踏み締め、文武の重鎮達が居並ぶ中を進む。


 皇州同盟軍第一種軍装。その胸元を防弾が期待できるのではないかという程の無数の勲章で飾り、旭日旗をして左肩より流れる曙光となった片外套。軍刀を佩用し、P98自動拳銃を拳銃嚢(ホルスター)に収めた姿は堂々たる高級将校のそれである。


 多くの視線を受け、トウカは敬礼を以て進む。


 事前確認や予定表もない即位式だが、武官達は一糸乱れぬ答礼を以て軍事的礼儀を通す。文官は一様に困惑顔であるが、トウカが一瞥するとヨエルを始めとした者達が答礼する。慣れぬ文官達も続くしかなかった。


 紅い絨毯の敷かれた階段。


 直前で足を止め、トウカは紅い赤い……血染めであるかの様な(きざはし)を見上げる。


 天頂に窺える皇座。


 左右にヨエルとベルセリカが控える至尊の座。


 然したる感慨はない。


 座り心地の悪そうな椅子だという感想程度はトウカにもあるが、権威とはそうしたモノにこそ宿ると歴史が証明している。民意ほどではないにせよ近代に於ける効率性とは甚だ相性の悪い概念なのだ。


 トウカは深紅の階へと足を掛けた。


 深紅の階を悠然と進む黒衣の軍神。


 振り向く無様はしない。


 一歩、二歩、三歩と、皇座との距離を詰める。


 トウカが嘗て予想したそれとは違う古惚けた木製の椅子。初代天帝が座したが故の権威であり、権威を魅せる為の舞台装置として誂えられたそれではない。


 トウカは旭日の片外套を振り払い、家臣を顧みる。


 振り返る瞬間に抜き放った軍刀を掲げ、至尊の権威を得た若き男が感情を発露させる。



「我、天皇大帝に罷り成る!!」



 その大音声に、一斉に傅く文武の重心達。


 文武の重臣と言えど、その比率は武官が遥かに傾倒していた。トウカが戦災復興を優先せよと布告した事と、従軍した貴族達が軒並み参加できる状況でなかった事による不均衡であったが、その光景はトウカの今後の治世が何を重視するかを明確に示しているとして永く人々の記憶へ留まる事になる。



『天帝陛下、万歳!』



 無数に続く鯨波の如き歓呼の蛮声。


 武官の、軍人達の歓呼の声。



「皇国、万歳!」



 若き天帝は叫ぶ。


 床に軍刀を突き立て、皇座に腰掛ける。


 右手を上げ、鯨波の如き蛮声を制するトウカ。


 軍人達の歓喜の姿を眺めていたく思えども、即位には方向性と指針を添えねばならない。


 中央の通路に敷かれた深紅の絨毯から左右に分かれて傅く文武の重臣。その最前列で傅く者達……特に武官側で傅く三人の公爵へと視線を落とす。



「ふむ、七武五公は揃い踏みか……」



 驚いた事にベルセリカの弟……当代シュトラハヴィッツ伯爵まで居るが、それ以上のティーゲル公レオンハルトまでもが傅いている光景は現実感に乏しい。



「ティーゲル公、貴官も頭を垂れるのか?」天帝は問う。

「天命なれば」頭を一段と深く下ろして神虎は応じる。



 納得の理由。少なくとも皇国貴族にとっては是非もない理由であろう事は疑いない。天に刃を向ける無意味を望まないと言えば聞こえは良いが、実情として皇国貴族の間に亀裂が走る事を避けたいという意向がある事も滲む。元より隔意のあった北部貴族との内戦ですら想定を遥かに超える被害と規模を齎したのだ。もう一つの隔意ある貴族の連合体を形成する危険性を七武五公は良く理解していた。


 しかし、トウカはその意思を、詰まらぬ、と吐き捨てる。



「領地に戻り、蹶起の準備をしても咎めぬぞ。他の者もだ」



 若き天帝は立ち上がると、総ての文武を睥睨する。


 例外はない、と。


 目障りな封権制度を短期的に排除するには叛乱鎮圧の名目が望ましい。領地を天領として接収する事が最短の道である。当然、貴族も単独での叛乱など展望もない為、周辺貴族の動向を窺う。旗頭となるべき者と賛同者の規模が伴えば雪崩を打って叛乱に参加するだろう。



「総てを喪う覚悟が、総てを賭する覚悟があるならば起つが良い」


 それは囁くようでいて。


「力なき皇と謗るならば己の武を以て我の正当性を問うが良い」


 それは唆すようでいて。


「奈辺とも知れぬ出自の武辺者であると断ずるならば抗うが良い」


 それは願うようでいて。



 天帝は明言する。



「その総て! 一切合切悉く! 根絶やしにしてくれる!」



 哄笑と共に吐き捨てる。


 天は笑声を轟かせ、己の兵権に問う。



「陸軍府長官!」


「はっ!」傅く禿頭の宿将。


「陸軍の準備は万全か?」


「御国の為、草生す屍が必要とあれば」


 ファーレンハイトが陸軍府長官に親補せられる事が明言された。



「海軍府長官!」


「ここに」傅く白髪の名将。


「海軍の準備は万全か?」


「御国の為、水漬く屍が必要とあれば」


 エッフェンベルクが海軍府長官に親補せられる事が明言された。



 天帝の兵権が両翼たる陸海軍府は、共に現状の体制を前提として存続する事が決まった瞬間である。多くの者は皇州同盟軍総司令部や参謀本部からの将官が要職を占めると考えていたが、トウカは人事的混乱による即応性低下を忌避した。


 若き天帝は総てを睥睨する。



「我が戦備は十全である! 敵するならば早々に備えるが良い!」



 応ずる声なき事を嗤い、トウカは皇座に腰掛ける。



 そして一拍の思案。



「……近衛軍は解体、陸軍の指揮下に加える」


 動揺はない。


 寧ろ、近衛軍総司令部の将官が軒並み死を賜っただけに留まらないのではないかという懸念が払拭されたと言える。近衛軍各部隊の指揮官や参謀にまで咎が及ぶ可能性とて考慮する者も居た。


「皇州同盟軍は頃合いを見て解体、武装親衛軍として再編制する。尚、これは臨時編制であり一〇年後を目途に順次陸海軍へと糾合する」


 皇州同盟軍所属の将官達が一様に驚きを見せるが、そこに悪感情は見られない。北部から天帝が現れ、皇軍そのものが隷下に加わる以上、皇州同盟軍が別の形で存続し続ける事は軍事上の非効率に他ならない。


 それでも尚、今暫くは別組織としたのは装備と編制、戦闘教義、戦術の違いに加え、対帝国戦役に於いてある程度は是正されたとはいえ、内戦に於ける遺恨がある為なのは明白であった。共に戦列を成したとはいえ、内戦で干戈を交えて未だ一年の期間すら置いていない。隔意は両軍事組織の奈辺に転がり燻っている。


 そして、皇州同盟軍将官達の驚きはそこにない。


 十年という期限が設けられた事である。


 皇州同盟軍将官達はトウカという苛烈無比な指導者の振る舞いを良く理解していた。遺恨など先鋭化した部分を暴発させて厳罰に処する事で押さえ付ける程度は躊躇しない。それでも尚、譲歩と見せかけたそれを十年という期限付きで成したという事は別の意味を持つと思い当たったからである。


 つまりは十年内に皇州同盟軍を運用する必要があるという事である。


 軍事力とは本質的に敵対勢力を殴り付ける棍棒である。


 抑止力などという綺麗事もあるが、皇州同盟軍という周辺諸国の国軍と比して小規模極まる辺境軍に過ぎない。自軍が抑止力として戦線を展開できる規模ではない事を痛感していた。敵を防ぐ壁とはなり得ず、敵を殴り付ける棍棒としかなり得ない。故に戦力を纏めて棍棒として扱われるのだという確信があった。


 それは間違いではない。


 問題は、内外のどちらに振るわれる事を想定すべきか。或いはどちらにも振るうのかという点にあった。


 先の宣言に基づくのであれば、貴族の暴発を考慮してのものである。皇州同盟軍という暴力装置を振り翳して国内の抵抗勢力を殲滅するという意図は明白であった。十年という期限は、敵対的な貴族を完全に撃滅する期間と取れる。


 だが、それだけではない。


 トウカは屈辱と遺恨を忘れない男である。


「政戦に於ける指針は、第一に経済発展、第二に軍備拡充、第三に帝国滅亡……」


 総てを成すという意志を以て彼は至尊の立場に在る。


 内憂をそのままに外患を討つ。


 無謀な振る舞いと見えたのか武官達の動揺は激しい。


 しかし、トウカとて承知の上。


「既に! 既に! 帝国は戦役で五〇〇万を超える戦死者を出している! 我は帝国臣民の悉くを攻撃目標とした大規模な航空戦を展開し、帝国の国力を削ぐ心算である!」


 大規模な陸上戦力の衝突を前提としない帝国への攻撃強化。


 その主張に納得を見せる武官達。


 航空戦力が戦争の趨勢を決める事は既に証明されている。対する帝国は龍を資源として消費している為、戦闘に適した大型の龍の保有数に置いてい諸外国と比して劣っている。皇国は龍系種族の保護政策によって周辺諸国に比して絶大な保有数を誇り、周辺諸国を合計した数の更に六倍の数を有していた。


 いずれは周辺諸国も龍の保護と育成に力を入れる事は明白であり、戦力差が減少する事は明白である。それまでに敵対的な帝国を滅亡に追い込む事で、将来的な国防に於ける費用対効果(コストパフォーマンス)の低下を意図している事を察した者は多い。帝国滅亡という武威を以て周辺諸国の軽挙妄動を抑止するという意図もある。


 トウカは漣の如き言葉の無秩序を圧するが如き声音と絶対性を以て断言する。


「目標は銃後……民衆それ自体である!」


 文武の重臣の絶句。


 結果として、という方便ではない。民衆を主目標として攻撃するという公式宣言は政戦に多大な影響を及ぼす事になる。


 特に文官達の表情は暗く、外務府などは周辺諸国との外交に関して多大な危険性(リスク)を背負う結果となる。皇国が今までに築き上げた融和的な外交姿勢の終焉と、武断的な外交の到来。それは突然であり、軍神から天帝へと成った男は翻意を促せるような相手ではない。敵するは根絶やしぞとばかりに悉くを手打ちにしてきた戦争屋なのだ。



奴儕(やつばら)めらは異種族討滅を掲げる国家である! 妥協の余地なし! 国交もなし! 只々、武力による相互理解のみがある!」



 思想形態(イデオロギー)で妥協の余地なく、現在に至るまで国交断絶が続いている相手への融和など画餅に過ぎないと、外務府は突き付けられた形であった。


「皇国と帝国は同じ大陸に共存能わず! 一方が滅ぶより他なし! よって我は帝国に滅びを要求するものである!」


 貴族の暴発とて待つ必要はない。


 敵する余地あらば、それは敵なのだ。


「帝国は朝敵である! それに与し、この聖戦が戦列に加わらぬ者もまた朝敵である!」


 賛意を示さず、協力しないならば帝国に与するものであるという論法を以て彼らを打つ事をトウカは決めていた。


 国家の敵を打つ最中に非協力的な態度を示すならば、宣伝戦によって敵対者の名誉と利益を大きく毀損させる事が叶う。分断し、各所撃破する余地は大いにあった。明確な道筋はないものの、有事下の国家に於いて孤立する意味は重い。組織の運営は困難を極め、分断や崩壊の憂き目に合う。地方規模で長年に渡る冷遇を受けた北部と違い、国家の存亡を賭けた生存競争ともなれば条件は変わる。


 国家の敵。


 その看板を背負う覚悟の在る者だけが、トウカへの挑戦権を持つ。


 それを周囲に問う代償として、トウカは内憂と外患へと同時に相手取る事になる。


 軍刀を抜き放ち、その国威の刀身を若き天帝は掲げる。



「我が皇御軍(すめらみいくさ)よ! 北方に在れ!」



 御聖断は下された。











「何卒、御寛恕頂きたく御座います」


 大御巫であるアリアベルは平伏する。


 傅くそれではない神州国の振る舞いを見せる姿に、アーダルベルトは溜息を一つ。


 娘の服装が純白の(かみしも)を纏ったそれであるという事実は単純明快である。


 己の肚一つで神祇府への処罰を収めようと試みている事は明白であった。


「前時代的なことね……」リシアが呆れを滲ませる。


 切腹という行為は神州国の風習に過ぎず、神州国系に見える顔立ちであるが、そうではないと知るアーダルベルトとしては見当外れな覚悟の示し方と見えた。


 トウカが切腹という風習のある国家の出身であるという考えはなかった。


 次元漂流者であると推測されるトウカと、神州国の起源が近しいものであるという考えが過るが、それは余りにも乏しい確率である。


 アーダルベルトはヨエルを一瞥する。


 若き天帝の来歴を知るであろう熾天使の言動は、平素の振る舞いを知る者からすると、トウカが皇座から国家を総覧すべき立場に転じた事に匹敵する驚天動地の出来事と言える。


 皇城の一角。


 天威の間と呼ばれる国家枢機を担う者達の議場に集まる面々。大部分の七武五公に各府の長を中心とした高級官僚達が一堂に会する様は壮観の一言に尽きる。


 天帝の勅命によってのみ開催される枢密議会を即位宣言後に開催すると宣言し、欠席者は一人としていなかった。


 恐怖もまた権威という側面もあれば、怖いもの見たさという側面も捨て切れない。


 治世に関しては頂点に上り詰めた為、安定的に行うのではないかという期待があっても不思議ではない。政治を志す者は頂点に上り詰めれば、今迄の主張を曲げる必要に迫られる。それを出来ない者は往々にして叶わぬ理想を追い求めて国を傾けた。


 無論、主張の転換は支持者から見れば裏切りとも取れるが、利点もある。



 突然、態度を変える事により、以前の支持者を失う前に新しい支持者を獲得する事ができる。



 状況次第でそうした展開を演出できる事は歴史が証明している。トウカであれば北部を裏切ったと思わせず国民全体からの歓心を勝ち取り得ると、アーダルベルトは見ていた。体面と実情が一致している必要はない。有象無象の文武の輩を排した枢密会議であれば、そうした本心を垣間見えるという期待が多くの参加者にはある。


 そして、その辺りを察しているのか、大いに煽って見せる若き天帝。


「絨毯も丁度赤いとはいえ、臓物をぶち撒けられては叶わん。どうしても腹を召したいと嘯くならば、近衛の長どもの墓穴の前でするといい」


 興味がないと言わんばかりの態度。


 事実としてアリアベルは大御巫を辞すると明言しており、クロウ=クルワッハ公爵家令嬢でしかなくなった。


 アーダルベルトとしては是が非でも助命したいが、情勢がそれを赦さない。内戦勃発の直接的要因としてアリアベルの征伐軍成立がある以上、トウカですらそれは難事であった。それを成さぬと言うならば、他に責任を求める事になるが、それが可能な人材は少ない。


 他ならぬトウカしかいないが、天帝が責任を負うと口にするのは権威に響く。陸海軍府長官では格が落ち、座視した七武五公では立場として弱い。消去法はアリアベルの死を確実なものとたらしめていた。


 トウカはアーダルベルトを見据える。


 アーダルベルトは皇座からの視線に傅くのみであった。


「……御前が腹を切ったところで神祇府の排除は変わらん。税の免除を赦さず、布教と神殿建設は許可制に、歴代の大御巫は家族を召し上げる制度とする。当然、一定数以上の神職の集会も禁止だ」


「それは……」


 神祇府の特権の大部分を赦さない姿勢にアリアベルだけでなく、多くの者が絶句する。


 国教に対する事実上の制限である。


 皇国は特定宗教に対する制限を有さない国家であるが、今迄は神祇府隷下の天霊神殿が絶対的な優位を誇っていた。神々との過去や神罰による矯正が宗教としての腐敗に歯止めを掛けていた結果と言える。


 他の宗教にとり好機と言える。


「そもそも、俺は御前らの神など知らんし、信仰心は霊都ではなく稲荷山にある」


 報じ奉る神がいない場所に赴いて天帝への推認を受ける必要性はないと示すトウカ。


 これ以上ない程に天霊神殿の権威と天帝の権威の分離を指向するトウカに対し、政府閣僚や七武五公も鼻白む。


「天帝招聘の儀もいずれは皇城府主体とする」


「陛下、陛下、どうか、どうか段階的なものとして頂きたく御座います」


 アリアベルの平伏を、トウカは鼻で笑う。


 娘に同意するかのように頷いた者達をアーダルベルトは記憶に留めつつ、同時に横で頷いていたレオンハルトの脇腹を机下で抓る。トウカもまた頷いた者達を記憶し、アリアベルを一瞥していた。


 神祇府に対する振る舞い自体が踏み絵として扱われるならば、或いは抵抗の旗頭として敵対者に押しやろうとしているのであれば、大前提としてトウカによる譲歩はない。第一に段階的な権利の制限とは政治的に見てこれ以上ない程の悪手である。反感を招く政策や決断は小分けにすると長期的な印象の悪化を招く。


 よって、神祇府に対する各種制限は成すならば一斉に行うべきである。


 混乱も期待でき、切り崩しも図れる。尤も、座して死を待つべきではないと反抗の意志で固まる可能性も増加する。


 しかし、それこそがトウカの思惑でもある。


 叛乱を企てる者にとり、宗教的権威とは己の正当性を裏付ける上で重要な要素と言える。可能ならば陣営に加えたいと考える筈であった。


 だが、トウカは清々しいまでに武力しか見ていない。


 少数に過ぎない神殿騎士団は、戦争によって更に消耗している。


 皇州同盟軍の敵ではないと見たのだ。


 陸海軍であれば神祇府との戦闘は忌避する者も少なくないであろうが、皇州同盟軍に関しては内戦で干戈を交えた実績がある為、安心して神殿騎士団の排除に差し向けられる。


 そうした経緯を別にしても、大前提として航空戦力の前では動けぬ霊都という宗教的象徴を抱えた神祇府は圧倒的不利を免れない。


 アーダルベルトはその辺りを読み切っていた。隣のフェンリスも同様であり、その表情は険しい。


 政戦両略。


 トウカをそう評する者が多いが、それは間違いではない。武断的姿勢と軍事的活躍から政治面が霞んでいるように見えるが、軍事的勝利を最大化させる為の政治情勢の確立と、敵対勢力の分断を目的とした攻撃的政治力に関しては他者の追随を許さない。


 彼に取り、政治すらも敵を叩く棍棒なのだ。


 否、彼は理解している。


 政治には敵がいる。


 敵が強大であればある程に、その支持は熱狂的なものとなり、狂騒のままに大事を成せる。


 良識ある人々は危機感を募らせるに違いない。強権化へと駆け出しているが、帝国というこれ以上ない程に明確にして生存を脅かす敵への攻撃を躊躇する、或いは邪魔をする者達としてトウカは天霊神殿と叛乱貴族を政戦の両面で攻撃するだろう。


 民衆が好む単純明快な勧善懲悪。


 そうした流れを作ろうと腐心している事が眼前の主張からは読み取れた。


「ならん、潰す」


 敵に猶予を与えてはならない。混乱を最大化し、分断による各所撃破を意図するのは政治でも変わらない。形勢を立て直す機会を与えてはならない。トウカは政治の根本を逸脱しない。


「宗教が敵となりますが、宜しいですか?」熾天使が端的に要所を指摘する。


 トウカは逡巡を見せる。


 アーダルベルトとフェンリスは視線を交わす。


 予想だにしない事であった。


 トウカとヨエル、アーダルベルトとフェンリス両者では見ているものが違った。


 前者二人は、元居た世界に於ける中東の争乱を理解しているが故に、宗教の煽動を受けた不正規戦が終わりなき乱痴気騒ぎとなると懸念した。石油確保の為、《波斯(ペルシャ)帝国》に梃入した苦労は外務省と陸海軍省の距離を縮めた程である。ヨエルの指摘はそうした意味も含んでいたものの、アーアルベルトとフェンリスには分からぬ事であった。


「面倒か? 聖なる戦だと煽る輩が居るか? ……それは僥倖だな」


 戦力の糾合を目的として不満ある者達が纏まるならば、トウカにとり悪い事ではない。雌伏を選択される事が問題で、その場合、戦力拡充の時間的余裕を与える事になる。自身の政治基盤の不安定なトウカが、時間を与えれば一層の不利を免れないと見ている事は傍目にも明白であった。時間的猶予を、立ち直らせる期間を敵に与える事を何よりも嫌う為人は、内戦中の政戦を紐解けば一目瞭然である。


 トウカは暴発させることを最優先していた。


 戦後間も無くということもあり、動員解除間もない皇州同盟軍と陸海軍は強大な戦力を保持している。


 今こそが最も戦力比率で優越している。


 アーダルベルトもフェンリスも、トウカの未だ内に敵がいるという強迫観念と不信感の払拭の困難を思い知る形であった。


 それでも切っ掛けはあった。


 ――宗教を敵する事を躊躇した、か。


 宗教を差し出せば落ち着くのではないかと期待する程にアーダルベルトは愚かではないが、宗教が単純に武力行使で片付く相手ではないという認識は、情勢次第で均衡状態を作り出す一助と成り得る。


 それでも尚、強気を崩さないトウカの姿勢は隙を見せぬという一点に於いては為政者として上出来と言える。尤も、それが国内に向けられることをアーダルベルトもフェンリスも望まない。


「おい、御前は現状でも大御巫か?」


 心底とつまらない、と頬杖を突く若き天帝。


「継承の儀は致しておりませんが、神祇府高官の総意は得ております」


 公爵令嬢としての死では意味はなく、大御巫として咎を背負い死なねばならない都合上、生前の継承は望ましくないという意向が其処にはある。


 アリアベルの返答に、アーダルベルトを見据えるトウカ。


 ――アリアを利用する? それは……


 意図するところを図りかねたアーダルベルトだが、現状でアリアベルという大御巫は鬼札でもある。内戦勃発の原因とする以上、扱い次第で民衆の憎悪の矛先はトウカに向いかねない危険性を孕んでいた。早々に処分する事が望ましく、下手に生存した場合、常に政治情勢次第で担ぎ出される、或いは弱点として存在し続ける事になる。さりとて無罪とはいかなかった。帝国による天帝招聘の儀への妨害に全ての原因を求める事は難しい。


 政治的に見て許してはならないのだ。


 許しては他に咎が及びかねない。或いは天帝の権威が揺らぐ可能性すらあった。


 トウカが皇座の肘掛けを殴り付け、舌打ちを一つ。心底と腹立たしいと言わんばかりの振る舞いであった。


 冠帯を拒絶し、軍帽で即位した青年の軍帽が傾ぐ。


「外務府長官! 何処だ!」


「は、はい、陛下。御呼びでしょうか?」


 人相を知らぬのかトウカは周囲へと脅しつける様に問う。


 トウカにとり外務府という極めて評価の低い組織の長は人相を記憶に留め置くに足らぬのだとアーダルベルトは確信する。


 外務府は外交に於いても融和政策を堅持しているが、それは消極的な譲歩の連続に他ならない。傍目には融和的に見えても、実情として段階的な譲歩でしかないそれは、右派から見れば将来性に乏しく見える。


 ――民間交流や経済交流拡大による国家間の関係を破断し難くする……などという考えはないのだろうな。否、寧ろそうした姿勢は忌諱している、か。


 戦時下ではないという消極的な平和は数値化できず、その維持を齎す個々人の人間関係などもまた然り。経済交流の規模拡大は数値化できるが、重工業製品や兵器の輸出に偏重した皇州同盟には然して重視すべき案件とはなり得ない。


 トウカは立ち上がった外務府長官を睨み付ける。


「名前は? 名前を言え! 然して活躍のない男の名を留めると思ったか!」


 大音声での叱責。


 同情の視線が多いものの、陸海軍府長官を始めとした武官からの視線は厳しく、表情は険しい。国防を一層と困難と成さしめる融和政策の下で行われた外交を軍人達は疎んじている。外交的無様は軍人の士気を大いに下げ、それは軍人達では対処し難いとなれば当然と言えた。


「……ハルトムート・フォン・ヘルツベルク伯爵です、陛下」


 絞り出すような声音で中年と呼ぶには若い白猫族の男性が答える。先端の黒い白の尻尾が揺れた。


 怯懦を嫌うトウカとは相性が悪いとアーダルベルトは見たが、トウカは端的な疑問を呈する。


「婚姻外交に使える歴代天帝の血縁は……皇族はどれほど確保できる?」


 存在の確認ではなく、確保できるという物言いに残酷なまでの率直さがある。僅かなりとも血縁として機能するならば政争の道具とするという苛烈な意思が其処には見える。


「二人ほど居られます。しかし、三代前の天帝陛下の血筋で在りますれば、その些か血としては……」


「薄いか。まぁ、皇国の天帝選出の特異性を見ればそうなるか」


 一拍の思案。


 皇国の特殊性への理解が盤石ではないと取れる発言だが、トウカは気にも留めない。アーダルベルトとしては、トウカの思惑が何処にあるのか図り兼ねた。



「大御巫……いや、アリアベル」



 トウカは平伏するアリアベルを見下ろす。


 全ての視線が大御巫へと集中した。


 アーダルベルトは感情を表面化させる無様を見せない。隣のレオンハルトの表情を心配する事が、娘への憐憫を減衰させていた訳ではないく、ただただ諦観があった。


「もし死ないならば役目を与えてやる」


 馬鹿な、と口にはしないが、悪手を打つ知性を疑う程にアーダルベルトは若き天帝を知らない訳ではない。


 顔を上げたアリアベル。


 期待や驚きではない。


 皇国の危機を察した故の振る舞いであった。




「皇妃になれ」




 誰一人として声を上げない。


 沈黙が絶対君主として振舞い、皆がその意図するところをまで思考が及ばないが故の安寧だが、それをアーダルベルトは乱さねばならなかった。


「陛下、それはッ!」


 禁じ手だと、アーダルベルトは立ち上がる。


 極めて残酷な現実を娘に押し付けようとしている事を察したアーダルベルトだが、それが皇権の失墜を招きかねない危険な行為だからこそ翻意を促さねばならなかった。


「ただの戦争屋では批難し難いだろう? 御前の隣の猫も」


 身内の批判は自己批判と似て受けがいいぞ?とトウカは罵倒する様な声で薦める。


 意図するところは明白である。


 相手に弱点があるならば結束も批難も難易度は下がる。蹶起への難易度を下げ、早期の叛乱を招こうとしている。或いは、叛服常無い貴族を炙り出そうとしている。


 アリアベルを戦乱の引き金にしようとしているのだ。


 当然、大御巫の立場に留める事で神祇府の切り崩しを図る事は明白であった。龍系種族も神龍の娘が皇妃に選出されたとなれば、トウカを支持する姿勢を鮮明にする事の利益に着目せざるを得ない。


「利点などありますまい」


 敢えて否定して見せるアーダルベルトだが、龍種も連携しているのではないかという猜疑の視線は増すばかり。アリアベルが娘である事もアーダルベルトの立場を悪くする。


 トウカは龍種を引き込もうとしていた。


 否、厳密には龍種と叛服常無い貴族の分断を図っていた。


 その意図が航空戦力拡充に必要不可欠な龍種の確保を遅滞なく進めるという部分にあることは勿論、政治的な分断を意図している事は間違いない。アーダルベルトが拒否しても、皇妃として龍種を迎え入れるという厚遇を示されては、一考すべきという意見が噴出する事は避けられない。皇権に結び付く優位性は、貴族政治の中に在って絶対的な優位性を持つ。


 例え、それが軍国主義的な男が握り締める皇権であったとしても。


 とは言え、龍達も貴族内での衝突は避けたいと考え、間を取り持つべく動く事は想像に難くない。


 ――龍に蝙蝠の如き振る舞いをさせる、か。


 手強い。


 斯くも攻撃的な形で政治力学の何たるかを示す姿は天帝として何ら才覚に不足なきものを見せるが、それが猜疑心を根拠として国家内の分断を招く為に振るわれる現状を、アーダルベルトは胸中で嘆く。


 トウカの胸元。右の胸衣嚢(ポケット)で鈍い光を放つくすんだ銀細工の象意を見せる簪。


 アーダルベルトは、何たることだ、と囁く。


 左右のフェンリスとレオンハルトは、アリアベルの処遇に対しての嘆きと捉えたのか哀傷滲む横顔を見せるが、アーダルベルトはそれを指摘する心理的余裕などなかった。


 死した娘は今尚、己の政道に立ち塞がる。


「病魔に侵されていない龍の高位種ともなれば頑丈だ。少々乱暴に扱っても壊れないのは十分な利点と言えるだろう? なに、子を成せば返してやる」


 吐き捨てる様に利点を口にするトウカ。


 口にした自身ですら信じていない物言いに、若き天帝の隣に立つ紫苑色の髪の佐官が失笑する。天帝はそれを咎めず、多くの貴族はそれに顔を伏せた。


「なら、それなりの爵位を持つ貴族に娘を差し出させるか? 一向に構わんぞ? 五体満足で返せる様に手加減はしてやる」


 暗にアリアベルであれば残酷な扱いをしても構わないという存外の主張に、アーダルベルトはトウカの譲歩を見た。


 ――少なくともアリアが同情される立場にもなる。


 トウカはアリアベルを優しくは扱わないと宣言し、女としての幸福など与えないと吐き捨てに等しい。ある意味、アリアベルは生贄であり、死よりも困難な途を与えたと弁解できなくもなかった。そして、アリアベルでなくなれば、他の高位貴族から令嬢を召し上げる事になる。それも公爵位からでなければ、繋がりを確固たるものとする為、一人とは限らない。


 娘を死地に送るに等しい。


 しかも、子を成せば実家に突き返すと宣言しており、それは家臣に下げ渡すという配慮すらない。路傍に捨てるに等しい行為である。他の貴族に貰い手が付くはずもなかった。


 アリアベルの立場が、皇妃という立場が決して栄達の途ではないと公言された。


 それは大きな意味を持つ。


 皇妃とは天帝に愛される立場ではない。


 後宮の主導権争いの余地などない、例え貴族令嬢であっても邪魔立てすれば血祭りにあげるというトウカの断固たる意志に、異論など出る筈もなかった。








突然、態度を変える事により、以前の支持者を失う前に新しい支持者を獲得する事ができる。



                花都(フィレンツェ)共和国 外交官 ニッコロ・マキャヴェッリ



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