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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》
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第二八三話    不安定な天



「突入! 突入! 突入!」


 ザムエルの号令の下、歩兵部隊が突入を開始する。


 巨大な石橋を機関銃陣地と迫撃砲陣地からの支援を受けて前進する歩兵の戦列。魔導士が追従して魔導障壁を展開しながらの前進である。


 中戦車も支援砲撃を開始する。


 榴弾が石造りの城壁を損ない城壁上の近衛兵が宙を舞う。


 近衛側からの応射が開始される。否、恐慌に駆られたが故の攻撃であるのか散発的であった。


 しかし、散発的な応射は徐々に統制の取れた本格的なものになる。


 反撃せねば戦意を維持できないという事もあるが、実情として座視は侵入を許す。既にベルセリカの剛剣によって正門は破砕され、突入口は確保されており、近衛側としては阻止行動としての反撃をせざるを得ない立場にあった。


「精鋭の名が泣くな。訓練で成果を残そうとも実戦経験の欠如ではこうなるか」


「はい閣下、同士討ちも起きている様です」


 投降者は軍装の上衣を脱ぐようにと伝えており、白の襯衣である為に判別は容易であった。寧ろ、近衛も黒衣である為、皇州同盟軍との判別の難易度は高い。


 トウカとしては、近衛が戦力を保持した儘に後退し、友軍を城内に誘引して迎撃されては被害が累積すると考えていた。無論、トウカの呼び掛けに応じた現役軍人や傷痍軍人達が続々と集結しており、拠点として占拠された百貨店周辺には、確保された陸軍府兵部省の武器庫から次々と運び込まれていた。


 消耗も早い。


 しかして増強も早い。


 階級章と経歴を以て部隊を手早く小隊規模で編制し、武器庫からの小銃と魔導杖、手榴弾、拳銃などで武装されて次々と戦闘序列に組み込まれているのだ。史上類を見ない特殊な戦闘と言えた。


 ――主君の居城を血に染める訳にもいかんか……


 トウカの即位を認めない以上、近衛はその名と存在意義に賭けて後退できない。それはトウカの予想通りであり、だからこそ済し崩しの戦闘を求めていた。


 ――流石に増援はないか。


 増援があれば近衛側も攻城側に戦力の消耗を強要できるが、複合的な理由から増援がない可能性もある。近衛という看板は純軍事的な判断を優越する場面が多い。天帝の居城防衛ともなれば尚更である。


「後退して戦力を糾合しないのでしょうか?」エーリカが問う。


「ないな。恐怖に駆られた者、負傷した者、或いは投降に傾いたかも知れん奴を受け入れてみろ? 統制の危機だ」


 迂遠に見捨てる事が、死守命令が最善だとするトウカに、ザムエルが天を仰ぐ。死守命令を躊躇せぬ兵士は手強く、排除するには多くの犠牲を必要とする。大部分が途中合流した隷下将兵であるとはいえ、積み上がる犠牲に対してはトウカも思うところがあった。


 一台の中戦車が砲塔を貫かれて誘爆する。


 舞い上がる砲塔。


 何十人分の重量を持つ鋼鉄の箱が飛来する様は酷く現実感を欠く。


 土嚢を正面と天蓋に積み上げて即席の特火点(トーチカ)とした中戦車の防護を貫徹した魔導砲撃に、トウカは顔を引き攣らせた。本来想定する決戦距離からすると至近……一〇〇M程であるとはいえ、積み上げた土嚢の数は相当な量であり、そこに戦車自体の魔導障壁もある。


 誘爆による炎の余波を、手を翳して顔より遠ざけるトウカ。春先にしては無粋な熱だとすら嗤う。


「困った事だ。実戦経験の不足を地力で補ってくる」


 相応に戦闘に秀でた種族の中から選抜した近衛兵は精強である。短時間であったとはいえ、中戦車の為に用意した防護の全てを貫徹して見せた手腕は相当と言えた。阻止攻撃が間に合わなかったところを見れば、詠唱時間を最低限としつつも撃破して見せたと取る事ができる。


「閣下、危険です! 後退を!」騒ぐリシア。


「おいおい、指揮官が退()けるか。寧ろ前進だろう、時間もない」


 進言したリシアの軍帽の鍔を叩いて目深にすると、トウカは苦笑と共に抜刀する。


「ヴァレンシュタイン上級大将……いや、元帥」


「おう、我が陛下」


 肩に担ぐ様に軍刀を弄ぶトウカに、ザムエルは戦闘指揮車より飛び降りて御前に傅く。


 時を同じくして東の空より姿を見せ始めた大型騎の一群。


 北側からではないのは首都航空隊の航空基地を迂回したからであろう事は疑いない。護衛戦闘騎の姿があれども、首都航空隊による発見を遅延させるのは交戦時間を低減させる効果を期待できる。


 しかし、その判断の結果として到着までの時間を要した為、空挺降下の予定時刻を超過していた。


 だが、それが姿を見せた。


 最早、猶予はない。


「突入する。正門周辺は残敵掃討となるだろうが、城内は激戦だ。加えて高所を取られている以上、空挺の混乱に乗じるしかない」


 正門周辺と皇城本営の間には相応の空間があり遮蔽物も少ない。空挺の混乱に乗じて距離を詰めるしかなかった。


 ――二度も攻城戦をする羽目になるとはな。


 帝都の帝王の居城を含めれば、二国の枢機に攻め入った事になる。実に数奇な事であるが、トウカとしては先祖が相当数の攻城戦を経験していた為に驚きはない。とは言え、先祖が経験した事もない堅城に二度も攻め寄せるのは、幾ら空挺という手段が在れども難事である事に変わりはなかった。


「戦略爆撃航空団には対地攻撃仕様の騎体もある。相応の支援は望めるが、長駆飛来した都合上、滞空時間は限られる。支援を望める内に踏み込む他あるまい」


 皇城は損傷し、血塗れとなる。


 皇軍双撃の果てに。


「最悪の中の最善ですな」


 身内での争いの時点で最悪であるが、長期化は消耗戦を招き、一週間を超えて終息できなければそれは内戦である。犠牲を積み上げてでも短期決戦を指向せねばならない。他勢力や他国の蠢動を招いたならば、後に今以上の被害を積み上げる事になりかねない。


 今日、犠牲を厭うならば、後にそれ以上の犠牲を生み出す事になる。


「戦友諸君、御身がなどと諫めてくれるなよ。先程は引いたが、これが最後なのだ」


 天帝となったならば、野戦を行う機会などある筈もない。国家が黄昏を迎えたならば有り得るが、それでも尚、皆無に等しい可能性である。


 トウカは周囲の者達に苦笑を零して見せる。


 トウカ自身が錦の御旗である。


 正当性は彼自身なのだ。


 御旗は最前列で高く掲げられねばならない。


 ――死ねばそれまでの男だったということ……


 トウカは石橋へ向かって歩き出す。


 ザムエルやリシア、エーリカ、シュケーテル……周囲に集結していた将校達もトウカに続く。


 石畳には正門に攻め寄せた皇軍兵士達が折り重なるようにして斃れ伏している。負傷者を担架で後送する衛生兵達に生存確認をする兵士……呻きと共に蹲る兵士も少なくない。


 迫撃砲の破片効果によって金属片に切り裂かれた遺体などは臓物を撒き散らして斃れており、通行を妨げない為、左右へと追い遣られていた。中には零れる臓物を抑え込もうと試みたのか両手で腹を抱えて事切れている兵士も見受けられる。


 左右を遺体に囲まれた途を往く。


 軍神の即位。


 其れを示すかの様な進行。


「閣下、これを」


 トウカの知らぬ部隊である〈北部特殊戦部隊〉の兵士から布を受け取ったリシアが、トウカへと掲げる。


 邪悪を払う太陽の旗……旭日旗。


 トウカはそれを受け取り羽織ろうとするが、佩用する軍刀の取り回しに影響が出ると見て、太陽を中心に二つ折りに畳み、リシアから受け取った戦闘短刀で太陽部分に二つ穴を開けて左肩の肩章部分に通す。左肩だけの片外套……時折、諸外国の大礼装で見かけるものであった。


 閉所戦闘と成り得る城内で軍旗を掲げるのは意義が薄いという事もあるが、トウカは弾に破るる程こそ誉なれなどと嘯く趣味はなかった。


 邪悪が陽光を纏うのは異世界であっても共通である事を、トウカは知っていた。しかし、邪悪が旭光を纏う皮肉をトウカは知らなかった。



「皇軍、前へ!」



 軍神の号令。


 屍が、血が、悲劇が彩る途を進む皇軍将兵。


 血涙と臓物で舗装された石畳を軍靴が踏み付け、甲高い音を響かせて進む姿は威風堂々。


 後に軍記物の一説を飾るに相応しい一幕として記される姿は酷く残酷であり、当事者達は撒き散らされた屍の破片を避けながらの行進であり滑稽なものであった。当事者達はこの行進を大きな出来事として捉えなかったが、風聞を伝え聞いた者達は大きく捉える事になる。


 後の大事も、今の小事に過ぎない。


 歴史とは、そうした程度に過ぎない事こそが多数を占めるのだ。そして後に周囲が騒ぎ立て脚色して歴史となる。


 トウカだけは血溜まりも爪先に絡み付く臓物すらも避ける事はない。


 脛まで飛び跳ねた血と臓物を踏み締めて進む。


 血に塗れたと嘆く事など無意味であり、手が血に塗れたならば拭けばよい。嘆く核兵器の開発者にそう言葉を浴びせた国民帝国の大統領の如く合理性を彼は未だ失っていなかった。


 軍神は天帝と成りて、之よりも血を流し続けるのだ。


 今更、厭う理由など在りはしない。


 濃厚な血と臓腑の臭い。


 覇道の臭い。


 トウカが望んでいた臭い。


 戦野と変わらぬ光景を望む場所で……支配する大都市ですら例外としないだけの権力の保持とは血と臓腑に塗れた臭いを伴うものなのだと、トウカは苦笑する。


 それは傍目には、遠足に向かう子供の様な姿だったと後に周囲の者達は言う。









「御待ちを、話せば分かる――」


「――問答無用」


 トウカはP98自動拳銃の引き金(トリガー)を引く。


 小銃弾を使う大型拳銃は重く、只の人間種に過ぎないトウカには射撃姿勢を保持し続ける事は難しい。早々に下げた銃口から立ち上る硝煙は炸薬を多く封入した強装弾の為、長く揺らめいて若き軍神の鼻腔を擽る。


「話し合いだと? この期に及んで何を今更」


 軍事的妥協とは、双方の継線能力の限界や政治的停滞によって生じる。既に攻め入られて銃口を突きつけられている段階で耳を傾けるのは、要らぬ妥協の余地となりかねない。全てを奪い、手にするべく攻め入った男の振る舞いではなかった。


 ――俺は皇都と皇国の中央政治に疎い。


 皇国中央政治の情勢が不安定である以上、会話の中で付け入られる余地があるのであれば、暴力で解決すべき問題となる。加えて二つの勢力間の軍事的均衡が著しく乱れたならば、対等な政治や話し合いというものは成立しない。一方的な譲歩は政治ではない。軍事的均衡があってこそ政治の出番がある。



 強きがいかに大を成し得、弱きがいかに小なる譲歩を以て脱し得るか、その可能性しか問題になり得ないのだ。


 トウカは総てを要求している。譲歩の行き着く先として相手の死を望む以外の選択肢はない。


「陛下、心を御鎮め下さいませ。最早、大勢は決したのです」


 廷臣の如く優美に傅いたヨエルが慰撫するものの、トウカは中央貴族との全面対決を厭う心算はない。そうした姿勢を見せれば譲歩させる余地があると踏み込まれる事は明白だった。


 トウカは皇城内、近衛軍司令部に併設された司令官室に視線を巡らせる。


 高初速の小銃弾に頭部を貫徹されて仰け反る様に倒れた近衛軍総司令官は、執務室の向こうに消えて窺えない。それでも硝子を通して垣間見える近衛軍総司令部からは司令部要員が蒼白の表情で拘束されつつある姿が見受けられる。


 傅いたヨエルを一瞥し、トウカは執務机に自動拳銃を置くと、懐から煙草箱(シガーケース)を取り出して選んだ葉巻を銜えると、執務机へと腰掛けた。


 血の匂い。弾痕、脳漿と骨片に彩られた壁に背を向け、トウカは点火機(ライター)で葉巻の先端を焙る。


 芳ばしくも儚い香薫。


 今はもう喪われた女の気配。


 トウカは義務感に駆られた。


 残酷で在れ、と。


 嘗て北の僻地で絶対的君主として振舞った廃嫡の龍姫の如き統治を成さねばならない。背を見せず、冷酷無比と悪逆非道の二枚看板を以て朝敵を抑止する。容易ではないが、勝利の為に孤立を厭わず政治的に逼塞を余儀なくされたトウカにとり、軍事力のみが抑止力と成り得るのだ。トウカは権威を手にしつつあるが、未だ政治力は大きく水をあけられている。


 往時渺茫として全て夢に似たりと言うには未だ記憶に新しい乙女の記憶を振り切る。


「連中を撫で切りにせよ」銜え煙草で囁くトウカ。


 熾天使の逡巡、韋駄天は天井を仰ぎ、剣聖が唸る。紫苑色の情報将校は嗤い、韋駄天の妹は蒼白となった。


「大尉、あの者達を適切に処理しなさい。ええ、そうよ。庭園に穴でも掘って埋めておきなさい」


 リシアが控えていた〈北部特殊戦部隊〉の士官に告げる。トウカの命令に対する遅滞を避けるという忠臣の念からではなく、純粋にそれを愉しんでいる事が横顔から読み取れる。


「陛下、宜しいのですか? 暫しの猶予があれば説得できますが」ヨエルの問い掛け。


 諸々を足さずに端的に指摘する意味をトウカは察せぬ程に愚鈍ではない。


 近衛軍将校の大部分は有力貴族出身の者達である。これを害するということは各貴族家との関係悪化を意味する後の統治に尾を引くことは間違いない。トウカは既に軍事力で総ての勅命に頷かせると決めていた。しかし、味方や中立を期待できる者達まで恐れからか距離を置く、或いは敵対化するというヨエルの迂遠な指摘には大いに頷けるものがある。


 なれど、それこそがトウカの目的なのだ。


 敵が強大であればあるほどに味方陣営の結束と急進性を強固とする根拠となる。


 そして、トウカは貴族勢力の漸減を望んでいる。


 所領が各地にあり、個別の税制と法律を持つ封権制度など近代国家の統治には足枷でしかない。税制と人口把握を煩雑化させる優位性など統治者には一つとしてない。トウカは多くを天領として接収し、各種制度の統一化と人材と物資の流動性向上を図る心算であった。


 それによる発展が起きれば、他の貴族領は人口流出と税収の低下を見る事になる事は疑いない。中央集権化は各貴族の影響力低下が前提となる。よってトウカと貴族の大部分は敵対する運命にあった。


「熾天使、貴様も敵するか?」自動拳銃を再び手にしたトウカ。


 七武五公が軒並み敵対するのはトウカとしても本意ではないが、強固な権力基盤を持つ者が不鮮明な動きを取る事もまた警戒の為に戦力を拘束される。


「陛下、我が陛下(マイン・カイゼル)。私は陛下に仕える為に在りますゆえ」


 銃口を向けたトウカに臆する事もなく、ヨエルは傅いた姿勢を身動ぎさせることもない。


 自動拳銃の銃口がヨエルの頬に触れる。


 先の発砲で熱を持つ銃身が熾天使の頬を焼く。


 しかし、熾天使は微動だにしない。


「……関心しません。臣下を試すが如き振る舞いをしているかと見えて、その実、己の運命や天命などというものを試さんと為されている」溜息を吐く熾天使。


 唇を尖らせて非難する熾天使に、剣聖や韋駄天が感心しないとという表情を見せる。その感情の相手がトウカかヨエルか。それは判断が分かれる。


「勝利の女神や運命の女神に願い奉るなど……引き倒して奉仕させるのが貴方の一族ではありませんか」


 それ故に建国が成ったと言いたげな物言いだが、一族という枠組みで語られては父だけの振る舞いと一笑に付すこともできない。桜城一族は狂気と悪意で道理や摂理を押し退ける為に存在する一族である事を祖国の歴史上で証明し続けていた“実績”がある。


「女神に畏れ多いと思われるのでしたら、一度、熾天使で御試しになられてはいかがでしょうか?」


 胸に手を当て、名案とばかりに提案するヨエルに、周囲の者達が一様に驚きの表情を示す。しかしながらそれは、そうした冗談を口にできるのかという驚きの色であり、それを本心からのものと考えたそれではない。トウカだけが、それが冗談ではないと知っていた。


「俺は政戦が関わらぬならば紳士的な心算なんだがな」


 実情は兎も角として、ミユキにはそうであったし、要らぬ噂を吹き込まれては堪らないと相応に振る舞っていた自負があるトウカ。


 それでも熾天使相手では旗色も悪い。


「私の娘を傷物に成されたのにですか?」


 トウカは言葉に詰まる。


 周囲も驚きと非難、呆れを以てトウカに視線を投げ掛ける。


「……知らんな……」


 多くを語れば要らぬ追及が起きると見たトウカだが、それ以上にトウカがクレアの下に居た事を知る言葉に何と返せばよいか理解が追い付かなかったという部分が大きい。


 トウカを隠蔽したという事実が表面化した場合、クレアの立場は酷く難しいものになる。


 状況を悪化させたと批難する者も居れば、天帝のお手付きとして利用しようとする者も現れるだろう。何よりもクレアを傷物にされたヨエルの立場が、娘を傷物にされた母か、或いは言い寄る女の娘に手を出された女というどちらに重きを置いているか不明確であった事も懸念材料に他ならない。熾天使と浅黄色の妖精の関係が悪化する事をトウカは望まない。


 自身が加害者になるだけで治める事が最も被害を極小化できると、トウカは僅かな間に判断した。


「あら、可愛い妖精を貪り弄んだ挙句、後は知らぬと仰せられる?」


「……全て御前の思惑に依るところか?」


 全てを知って尚、クレアの下での厭離穢土を放置した事をトウカは疑う。その流れ自体も仕組まれた事ではないかと。そうなれば、クレアはただの餌として扱われた事になる。浅黄色の妖精がトウカを騙し遂せる程に器用な者ではない以上、トウカはクレアが己を謀ったとは考えなかった。


「話を逸らされますか……それも宜しいでしょう」


「……貴様もな」


 互いに本心を語らず、核心的な部分を避けて沈黙する。互いに踏み込みが過ぎれば、不利益が嵩むと見た事もあるが、実情として二人して浅黄色の妖精を慮って身を引いた。過度な警戒と猜疑心が互いの意思の把握を困難とさせたのだ。


 互いを見据える二人。


 執務机に座り葉巻を銜えて紫煙を燻らせる天帝。

 傅いて忠臣であることを示す金髪碧眼の熾天使。


 共に歩み寄る姿勢を見せても、最後は相手に妥協をさせねばならないと考える二人は、客観的な振る舞いで対極を成しても結局のところ似た者同士でもある。トウカが父と似ているのか、ヨエルが過去を背負っているのか。その答えは過去にしかない。


 二人の沈黙。


 それを邪魔する様に慌ただしい足音が近づく。


 制圧間もない為、警戒を意図した視界確保を求めて開け放たれたままの扉から小さな狐を抱えた大きな狐が転がり込んでくる。


 新進気鋭の子狐参謀を抱えた宿将と名高い陸軍府長官であった。


「……陛下、近衛軍司令部の面々を撫で斬りになさるというのは本当でしょうか?」


 抱えられたままに乱れた軍帽を整え、軍帽から突き出た狐耳を引っ張るネネカの一言。無礼が参謀飾緒を下げたが如き振る舞いであるが、むさ苦しい狐男に抱えられては臣下の礼を取る事もできない。


 ――諫言ならば己で口にすればいいものを。小さな、それも狐に言わせるか。


 トウカは呆れるが、同時に若者に言わせて勘気を買っても若気の至りと擁護して治める事が容易いと考えている事を見透かしていた。ただ優秀なだけで主君との遣り取りで矢面に立たせるはずもない。トウカとしても小さな狐を撫で斬りにしろとは言い難い。


「事実だ。兵に責めを負わせる訳にもいかん。司令部が責めを負うという形が必要だ。貴族であるならば尚良し。信賞必罰に例外なしと示す事が叶う」


 例外を許すには相応の理由が要るが。現状ではそれがない。よって、それはトウカにとり許容し得る死であった。


「それは早計かと。此れよりの軍拡、将校は不足しましょう。使えば宜しいのです。串歯が抜け落ちるが如き戦野。将校は幾ら在れども困りません」


 軍拡を既定路線のように語るネネカに、トウカは苦笑するしかない。


 事実に当たる意見だが、正面から正しさ以上に優先するものなどないと言わんばかりの物言いに鼻白む者も周囲には居た。自身がそうした直截的な物言いで己の意見を通す事が少なくない故に、そうした物言いで迫られる事をトウカは新鮮に感じた。


「軍事的正論と見えなくもないが……指導者に敵意を抱いたであろう将校に兵を預ける事を良しとするのか?」机上で胡坐を掻くトウカ。


 最大の理由は貴族の暴発を意図した動きの一環に過ぎないからであるが、同時に責任の所在を明確とする事で近衛軍兵士に咎が及ぶ事を避ける為でもあった。


「陛下、貴族を暴発させたいという御考えなのでしょうか?」


 ざわめく周囲。


 ファーレンハイトなどはネネカを抱えたままに蒼白となっている。後から悠然と入室してきたエッフェンベルクなどは普段の糸目が崩れていた。


「中央集権は近代国家の最低条件だ」


 明言を避けつつも、既定路線である事を告げるトウカ。中央集権を望むトウカと貴族の衝突は避け難い。北部に関しては復興や混乱による経済的困窮から皇州同盟への従属が強まる為に“要請”は断れないが、他地方はそうした背景がない。しかして増税などで負担を掛けての暴発は民意を失う。貴族だけを狙い撃ちにする必要があった。


「では、ティーゲル公と敵対されれば宜しいのです」


「……不満ある者が集まる。互いに扇動が行われて暴発する、か」


 大きな提案を無遠慮に投げつけるネネカだが、トウカもそれは考えなかった訳ではない。


 七武五公の一翼が公然と敵意を見せるならば旗頭としては十分。不満ある有力貴族がレオンハルトの下に集結する事は疑いなかった。同時に他の七武五公がどう動くかという懸念点がある。敵が強大になれば鎮圧までに時間を要する事になり、他国の蠢動も有り得た。これ以上、現有戦力を消耗する事は得策ではない。大前提として勝利の可能性も高くはなかった。


 七武五公の中で最もトウカと険悪であると有名なレオンハルト。


 周囲も二人の不仲からなる対立に疑問を抱く事はない筈である。寧ろ。不満ある者達による盛大な煽動が行われる事は疑いない。


「それに、御邪魔でしょう?」


 唆す様な物言いにトウカは紫煙を零しながら苦笑する。


 国家の忠臣とされる公爵の一人を謀殺せよと言い放つ苛烈な幼狐は中々に交渉が上手い。公爵謀殺という過大で強引な要求を、敵対的な公爵への苦慮という個人的問題と矮小化させる点などは、軍神の主張を通す際の常套手段に類似している。敬意による模倣(リスペクト)を受けたトウカとしては邪険にもできない。


 しかして下手な返答は再度の内戦を招く。


 ある種の謀略かとも警戒するが、トウカは陸海軍が自身を突き放す可能性は低いと見ていた。七武五公の消極的な外交政策下では大規模な軍備拡充は望めない。熾烈な本土決戦で屋台骨の揺らぐ陸軍や、北大星洋海戦で多数の主力艦を喪失した海軍は今後の軍備を絶対視している。以前の軍備で受けた被害を踏まえ、以前以上の軍備を望むのは当然であった。それを明確にしているのはトウカだけである。


 しかし、ネネカはトウカの予想を超えた上申を見せる。


「――と、いう筋書をティーゲル公に要請してみてはどうでしょうか?」


 刹那、トウカは思考の余地を逸する。


 思考を手繰り寄せるまでに幾許かの時間を要する上申であったが、トウカはその意図が奈辺にあるか察するだけの余裕はあった。


「抱き込むか?」


「はい、陛下。あちらも、まぁ、その不幸な行き違いはありましたが、互いに理解した上での対立の演出であれば貴族を統制(コントロール)下に置く事ができるのではないでしょうか?」


「陛下、名案ではありませんかな? それならば多くを従える事も叶いましょう」


 エッフェンベルクの追従に視線を投げ掛ける事もないネネカをトウカは机上から見下ろす。


 リシアとザムエルは沈黙しているが、ベルセリカとヨエルは嘆息している。前者は語るに値しないと、後者は意味のない上申に呆れていると、トウカには見えた。四人はトウカを良く理解していた。


「正論と見える」


「はい、一分の隙もない政戦の上策(ベター)です」


 自画自賛というには当然視が過ぎて表情の変化すらないネネカ。


 しかし、トウカは紫煙と共に吐き捨てる。


「好かんな」


 端的に言えばそれに他ならない。


 気質的な問題。

 思想的な問題。

 軍事的な問題。


 諸々から背を向けた政治的妥協に過ぎない。有象無象の貴族の暴発を先延ばしにする為に、将来に先送りすべきではない問題が多々ある点を無視している。否、猶予捻出によって打開策が見いだせるとの楽観的予測を前提としていた。


 希望を見せれば靡くとは、それ実に詐欺師の振る舞いに他ならないが、ネネカはトウカ……北部臣民の気質を理解していない。


 今解決できない問題が数年程度の猶予で解決に向かう事はないのだ。特に人間関係の不信感を含む利権問題であれば尚更である。


 人間関係というものが早々に解決できる程度の問題ならば、マリアベルは追い詰められる事もなかった。


「はぁ」


「好かん好かん、全く好かん」


 マリアベルならば手打ちにする上申であった事は疑いない。


 正論と利益だけで物事を転がせるネネカは実に優秀な参謀将校と言える。それを目指し、成してきたという自負があるからこそ、トウカにも上申できたのかも知れないが、彼女は大前提を忘れている。


「矯激極まる輩に、貴族に配慮しながらの政治を成せというのか? 余にそれが成せると?」


 トウカは抜き身の軍刀を振り翳して政治をするのだ。


 そこに配慮はない。あってはならないのだ。それでは軍刀を手にして政治という舞台を彷徨する意味がない。


 トウカは床に立つと、卓上に飛び散り未だ乾かぬ血に葉巻を押し付けて火を揉み消す。


「今更、何を言うのか……」


 引き金は引かれた。


 銃弾は戻らない。

 人命は返らない。

 切望は届かない。


 ヒトは何時でも還らざる途を歩いている。


 トウカは軍刀を抜き放つ。


 そして執務机の端に置かれていた近衛軍記章の縫い付けられた軍帽……近衛軍司令官のものと思しき軍帽を斬り飛ばす。皇巫神月流の滑る様な太刀筋ではない叩き付けるが如き太刀筋は、大陸の蛮族が扱う苗刀の如き粗雑さを以て軍帽を両断した。


 二つに分かれて弾け飛び、軍神の視界から消える軍帽。


 力任せの振る舞いに動悸を覚え、喘ぐ様に左手で胸元を押さえたトウカ。


 そして右手の軍刀を子狐参謀へと向けた。


「最早ッ! 最早っ! 一片の配慮も妥協もなし! 従え! さもなくば死ね!」


 貴様らもだ、と軍刀で周囲の者を指し示したトウカ。


 喪って尚、配慮と妥協を求められるのでは、喪った意味すらも乏しい。喪った事象それ自体に対し、トウカは特別な理由を与えねばならないのだ。少なくとも当人は自らの心に、そう強く恃んでいた。



 愛情には1つの法則しかない。それは愛する人を幸福にする事だ。



 それを成せなかった以上、それ相応の理屈を示す必要がある。他者に対し、そしてそれ以上に己に対して。それがトウカが喪って尚、立ち上がる事の代償であった。


 それはよくある歴史の一幕。


 ――時代と方法は変化するが、人間はずっと同じままで、その人間が生み出す結果も同じだ。


 歴史家は莫迦が莫迦を繰り返していると後世に書き記すと、トウカは確信している。人は賢くなる訳ではなく、ただ知識が増えるだけだという死刑囚の言葉は真理を突いたものであった。


 周囲の者達が一斉に傅く。


 後に皇国の枢機を担う事になる者達は、不安定な天を仰ぐ決意をせざるを得なかった。

 








「強きがいかに大を成し得、弱きがいかに小なる譲歩を以て脱し得るか、その可能性しか問題になり得ないのだ」


          「戦史」第五巻 メーロス対談 《古代アテナイ》 政治家 トゥキディデス




『愛情には1つの法則しかない。それは愛する人を幸福にする事だ』 


          《仏蘭西王国》 小説家 スタンダール




「時代と方法は変化するが、人間はずっと同じままだし、その人間が生み出す結果も同じだ」


「人は賢くなる訳じゃない。ただ知識が増えるだけだ」


          《亜米利加合衆国》連続殺人犯 カール・パンズラム




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