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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》

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第二七四話    其々の目標




「ああ、全く……情けない事だ」


 トウカは宿痾(ふつかよい)に霞む思考を物理的に殴り付け、痛みで上書きすると、台所(キッチン)の蛇口から水道水を零しながらも飲み続ける。


 水道水が頬と顎を伝い、金属製の流し台(シンク)を叩く音が深夜の居間に響く。


 衛生魔導士には、体内の特定成分を浄化する術式が扱えるが、今のトウカはそうした者達を呼び付ける事が叶う立場ではない。寧ろ、そうした立場でも、職務に支障が出ない範囲に於いては呼び付ける事はなかった。細やかな男の意地であり、それはトウカに限った話ではない。男性とはそうした宴席で意地を張りたい生物なのだ。


 水分補給をして寝るしかないトウカとしては辛いところであるが、それすらも現状では有難く感じていた。悩ましい鈍痛は、耐え難い過去から距離を置かざるを得なくする。


 トウカは水道水を飲み終えると居間へと這う様に進み、応接椅子上へと転がり込む。


 鈍痛を抱えながらの生活だが、巷で言うような酒に逃げるというそれを忌避する如き感性は最早、何処かで喪って久しい。


「御前等も、俺の言葉を望んでいたのか……」


 一度たりとも口にしていない訳ではない。


 しかし、数える程に過ぎなかった事も確かである。


 今となっては詮無き事であるが、花束の如き愛の言葉を用意すべきであったのかも知れない。


 それで結果が変わる事はないが、もう少し望ましい幸福が奈辺に姿を見せた可能性もある。彼女達の幸福はトウカに取り複雑なものであった。一般的な恋愛を理解できなかったトウカに与えられるものではない。


「莫迦らしい……」


 死者は言葉を望まない。


 ただ喪われるだけなのだ。


 魂魄や霊魂などの概念があり、天壌に召される事もなく地を彷徨う例は少なくない。幻想浪漫(ファンタジー)息衝(いきづ)く大地であればこその現実だが、そうした存在の捕捉や捕獲、判別は専門家の領分である。幻想浪漫とて現実となった以上、相応の理論(ロジック)の下で作用した。妄想の如き汎用性など欠片もない。


 終わった事である。


 そして、トウカの戦う意義も消え失せた。


 寧ろ、北部への義務は十分に果たしてやったとの自負が彼にはある。国家は七武五公が舵取りを担えば良く、寧ろ今まで主導権確保に消極的であった点は非難されて然るべきものであるとすら、トウカは考えていた。権利には義務が伴い、権威には挺身が伴う。トウカの見たところ、七武五公は義務と挺身を果たしていない。天帝不在など言い訳に過ぎず、国体と国家は不可分であり、一方の不在と損失を根拠に沈黙を決め込むが如き真似は、股肱の臣たるの役目を果たしているとは言い難い。


 トウカは応接机の上に置かれていた見事な硝子細工の装飾が成された正方形に近い形状の酒瓶を手に取る。装飾過多のウィシュケの酒瓶は基本的に複式(ブレンデット)に多く、銘柄を見れば皇国東部で有名な蒸留所の一本であった。


 置かれていた硝子杯(グラス)を手に取り、無造作に注ぐ。


 それを嚥下すると思いの外、高い酒精(アルコール)にトウカは暫く噎せ返る事になる。張札(ラベル)を見れば、六割方が酒精(アルコール)であった。調整された複式(ブレンデット)とは思えない酒精(アルコール)度数である。


 不意打ちに咽るトウカ。


 酒にまで見放されたと、トウカは天を仰ぐ。


 惨めなものである。


 軍事戦略上の敗北以外の惨めさなどトウカは知らない。


「どうしろというんだ……」


 ウィシュケを口に含み、口内が焼ける感覚と鼻に抜ける樽の薫りがトウカの荒れる心を落ち着ける。トウカの友軍は今となっては酒精(アルコール)しか居ない。裏切りもせず、安寧を齎す存在である。


 トウカは応接机に置かれた新聞を手に取る。


 一面に、帝国軍の蛮行とそれに対する報復の成果が写真付きで示されている。


 北部で避難を拒絶した村の村人が皆殺しにされた顛末や、そうした出来事に対する報復として戦略爆撃を頻りに正当化している。殲滅戦争の大義名分を確認するが如き記事を、トウカは鼻で笑う。


 ――不安なのか? 莫迦らしい真似をする。


 戦略爆撃と言えばそれらしいが、言ってしまえば空前規模での大量虐殺に他ならない。実情としてそれを意図しているのだから当然と言えば当然だが、トウカも皇州同盟軍内では、民衆への被害よりも工業力や生産設備、交通網の遮断などに重きを置いた説明をした。一方的な虐殺という行為をさも当然の如く肯定する者ばかりではない為である。逆に軍人であるからこそ肯定できる者も居る。一般市井であれば極めて少ない筈であった。


 エレンツィア空襲の成果が強調されているが、トウカは寧ろ艦隊も出して沿岸都市を積極的に艦砲射撃で攻撃するべきだと見ていた。長い海岸線を抱える帝国の海軍は全てを防護し得るだけの海上戦力を持たない。


「殺せる時に殺しておけよ」


 思想(イデオロギー)を掲げた、多種族の揺籃を護る戦争である。制限など設ける意味がない。明確に多種族間の平等を否定する国家が好戦性を露わにした挙句、戦争状態となっているのだ。最早、敵の国力をあらゆる手段を行使して削ぐしかない状況である。


「まぁ、ラムケが殺してくれるだろう」


 降下猟兵部隊は師団規模まで増強される事が決定しているが、空挺を含めた特殊作戦への投入が前提の部隊はラムケの隷下に集中する事になっている。設立予定の強襲上陸を担う海兵隊も組織が安定するまでは同様であった。


 そうした戦力を有するラムケが沈黙している筈がない。


 面倒見の良いラムケは荒くれ者達の統率に長けているという事もあるが、熱心な愛国者でもある彼が義憤に駆られて問題を起こす事を期待しての人事でもあった。対帝国戦役に於ける新たな火種として期待できる。


 人事変更の話題はなく、トウカの方針は遺言染みたものとなって既定方針となっている。エレンツィア空襲を見れば理解できた。


「俺が酒に溺れて死ぬかのが先か、帝国が滅亡するのが先か……」


 帝国の滅亡だけは見届けたいと考えていたが、皇都は首都だけあり酒に恵まれていた。深酒が過ぎて気が付けば天壌の奈辺で神々の裁定を受ける立場となっていても可笑しくない。或いは、閻魔の如き輩が居ても不思議ではなかった。


「賭けにもならんか」


 酒精交じりの溜息を一つ。


 帝国南部の諸都市を焦土に変えて終わる程度に留まるのが妥当なところである。帝国が南部を分割すれば、混乱は容易に抑えられる。無論、皇国軍が帝国南部に侵攻し、そこを起点に戦略爆撃を繰り返せば話は変わるが、生じるであろう無秩序な連戦の消耗に皇国軍が巻き込まれるか否かという点にかかっている。


 帝国の国家理性が健在であれば、帝国は南部を放棄する事で存続するに違いなかった。食糧自給率の問題はあれど、諸都市と交通網が爆撃される地域での食糧生産は多大な困難が伴う。そもそも、交通網が寸断されれば食糧は生産地で腐るに終わる。


 皇州同盟の地力を踏まえれば、帝国全土を空襲する事は困難であるが一地域の交通網を壊滅状態に追いやる事は不可能ではない。


「詰まらない結末だな……これも歴史か」


 劇的な歴史などそう多くはない。


 しかし、歴史のとっての劇薬は北部に数多く転がっている。長期的に見れば皇州同盟自体が火薬庫に他ならない。


 皇都の片隅から、自らの決断により特定の指向性が加わった新聞を眺めながら歴史を俯瞰する。アントニオ・サラザールの如く心を乱させない為、古新聞を手渡されているのでなければ、安楽にして優雅な生活であると言えた。

 











「行けるか?」


 ザムエルの問い掛けに、艦長が顔を引き攣らせながらも応じる。


 強襲揚陸艦で運河に突っ込む。


 言うは易しであるが、多大な困難が伴う上に、座礁の可能性も高い。両岸からの攻撃にも晒される危険があるが、強襲揚陸艦も輸送艦も然したる装甲を備えている訳ではなかった。


 シュットガルト運河の様に複数の艦艇が同時に航行できる広大な運河ではなく、然したる水深がない。数値上は可能であるが、という但し書きが付くそれを成せと言われた艦長は顔面蒼白である。


「御主、正気か?」


「勿論ですよ、剣聖殿」


 港湾区画に揚陸しても国会までは相応の距離があり、進出は容易ではない。皇都憲兵隊や警務隊による阻止行動を受ける事は明白であった。当然、ザムエルは妨害の悉くを武力で打ち払う心算であったが、遅延によって国会議員が逃げ出す時間を与えては意味がないとも理解していた。


 作戦目標を成し遂げるには、国会への迅速な戦力投射が必要不可欠である。


 障害物が多く、咄嗟戦闘が生じやすい地上都市部の進出は不確定要素が多かった。作戦参謀が地図から侵攻路を策定していたものの、皇都は敵にとって勝手知ったる裏庭に等しい。射角を十分に確保し、遮蔽物を用意した相手を食い破りながら進むのは、大規模な装甲部隊を投入できない現状では現実的ではない。


「突入時には魔導士を甲板に上げて両岸からの攻撃に備えます。重機と対戦車小銃を装備した兵士も同様です。幸いな事に、この艦も輸送艦も軽巡相当の備砲があるんで、一方的な真似はさせませんよ」


 一方的に撃たれて黙る程にザムエルは上品ではない。全力で応射する心算ですらあった。幸いにして重機関銃や対戦車擲弾筒などの弾火薬は豊富に搭載しており、必要とあらば迫撃砲を甲板に展開する事もできる。揺れる艦上からの照準と保持は容易ではないが、火力不足を十分に補えるとザムエルは確信していた。ヴェルテンベルク領邦軍時代からの迫撃砲を重視する姿勢は皇州同盟軍に変わっても続いている。安価で軽量でいて、野戦砲よりも射程は劣るものの大火力を投射できるというのは、予算の限られる中で国軍と張り合おうとする軍閥には魅力的な兵器であった。


「しかし、〈皇海艦隊〉が居ます」エーリカが指摘する。


 指揮所に居る皆が沈黙した。


 〈皇海艦隊〉は皇都に面する皇海を防衛する皇国海軍最精鋭の艦隊である。戦艦二隻を基幹とした艦隊で、規模としては然して大きいものではないが、新鋭艦を主体にしており、将兵も高練度を誇っている。


「引き籠り共がどう出るかは分からねぇよ。出たとこ勝負だな」


「そんな適当な……」


「まぁ、御主は機動戦でも出たとこ勝負であったが」


 エーリカとベルセリカの視線に晒されたザムエルは、寧ろ胸を張って見せる。


 咄嗟に勝負に出られない指揮官は、今後の流動性を増す戦場では後手に回る事になる。とは軍神の言葉であるが、ザムエルの場合は、意思決定速度、部隊速度……諸々を含めた速度は、攻撃力に加算されると考えていた。奇襲効果と敵の対応時間縮小によって戦果拡大が容易になるという発想である。現にザムエルは内戦中に奇襲効果と敵の対処能力を飽和させる事に重きを置いていた。


 野戦将校として優秀なザムエルは、何よりも時間を味方に付ける事に焦がれていた。


「〈皇海艦隊〉と言えど、日頃は哨戒で分散してるんだろ? 挙句に停泊中の艦艇は、そう簡単に動けねぇって聞いたぜ?」


 ザムエルも艦船の運用に纏わる概要だけは聞き齧っていた。


 艦艇というものは、急な出撃を行えない。


 半舷上陸させている乗員を呼び戻し、尚且つ、出撃に耐えられるだけの出力を獲得するべく機関出力を上昇させねばならない。必要であれば燃料と弾火薬、食糧、生活に必要な各種備品の補充も行わねばならない。


 特に魔導機関の出力を運用可能な状態……臨界点にまで引き上げるには、戦艦などの大型艦であれば四時間は必要とする。これは内燃機関でも同様で、魔導機関が優越する点とはなりえなかった。寧ろ、瞬発性……最大出力発揮までの時間は内燃機関の方が優れている。


 有視界まで迫れば、後手になる可能性は低い。皇都へ続く河川に踏み込めば、居住区や民間船舶への流れ弾を恐れて安易な攻撃はできなくなる。


「まぁ、ばれなきゃいいんだよ。そもそも撃つとは思えんが」


「〈皇海艦隊〉司令官は硬骨の武人と聞きますが……」


 エーリカの指摘も正しいが、それ故に撃てないとも言える。


 皇国海軍へ絶大な便宜を図っている皇州同盟軍と今再び干戈を交えるという決断は、〈皇海艦隊〉の今後に差し障る可能性大である。


「御前、あの大海戦に参加できなかった唯一の主力艦隊の指揮官が皇州同盟軍に砲門を開けると思ってんのか?」


 任務上の諸問題や、法的妥当性も〈皇海艦隊〉に味方しているように見えるが、情勢はそうではない。皇州同盟との連携に水を差すが如き行為を、大星洋海戦に参加していなかった艦隊がなしたと成れば、海軍内での軋轢は相当なものとなる。


 大星洋海戦に参加した主力艦は三割を喪失し、四割が長期間の修理を要する状況に陥った。事実上の連戦であるが、格下と考えていた帝国海軍を相手にした結果としては手放しに喜べる勝利ではなく、参加した海軍将校の焦燥は大なるものがある。そうした状況下で海軍は新機軸の兵器を皇州同盟に求めた。


 皇州同盟軍では、弾道兵器や長距離通信、対艦航空攻撃などの研究が続けられており、一部は実戦配備されつつある。加えて、内戦後の一部艦艇の譲渡や建造への助力、大星洋海戦への介入から、その実力が明らかとなりつつあった。


 厳しい実戦を経た海軍将校達が、協力体制による海軍の拡充を望むのは自然な流れであった。内戦による遺恨はあれども、戦艦二隻の永久貸与や渡洋爆撃の共同訓練……何よりも大星洋海戦に於いて重要な活躍を果たした事で好意的にも見る者とて少なくない。


 夷狄との争いに於いて自らを(たす)け、共に国体護持の本分を果たした。


 そうした事実が同胞意識を生みつつある。


 感情と実利の面で皇州同盟は海軍を絡め取りつつあった。


 そうした中で、皇州同盟軍に弓引く真似は海軍内での孤立を意味する上、海軍上層部の方針とも相容れない。焦燥と危機感は遺恨と消耗を融解させる。


「まぁ、理屈を捏ねても仕方ねぇよ。出くわした艦の艦長次第とも言えるしな」


 結局のところ、発見した艦艇の艦長による采配次第である。


 上級司令部への通報すら控えるならば、問題は最小限に押さえ得る。


 予定にない艦艇の侵入として阻止行動を取る、乃至、上級司令部に通報するとなれば問題は大きくなる。前者であれば、駆逐艦や軽巡洋艦程度であれば総トン数にものを言わせて推し通る事はできなくもないが、砲戦ともなれば不利となる。後者であれば,複数艦艇に包囲されて身動きが取れなりかねない。


 無論、見つかり不信感を抱かれればの話である。


 敵軍扱いされていない現状、入港に問題がある訳ではない。事前通達と入港審査はしていないものの、大都市の入出港の不敵際や諸々の遅延など珍しくもない。一々、艦艇が出動して該当船舶を警戒していては艦艇など幾ら建造しても不足となる。


「まぁ、伸るか反るかの大勝負だよ。後方を厄されては、アテンローツェに戦力を集中させ続ける訳にも行かんだろ?」


 中央貴族領邦軍による連合軍の全容は未だ不明確であるが、航空偵察の結果を見るに、有力な戦力の大部分は既にアンテローツェ伯爵領に展開しつつあると判断されていた。


 可能であれば分散を招きたい。


 皇都を装甲部隊で直撃する事を中央貴族が許容しないのは、ザムエルですら察せる事実であった。貴族院という談合機関を破壊される事を彼らは望まない。議会の混乱は許容できても貴族院の権威失墜は許容できないのだ。


 だからこそ内戦の本格化にも消極的賛成に留まった。積極的賛成は衆議院からである。


 ――まぁ、分散する程の連携ならば有り難いが、そりゃないだろうな。


 各所撃破を招く程度の指揮官であるとは思えない。連携の実績のない領邦軍を纏める指揮官である。卓越した資質か肩書を持つ人物であると推測されていた。


 恐らく急伸し、〈ヴェルテンベルク統合打撃軍〉を撃破。後に転進して皇都救出に移ると見られていた。


 当然、ザムエルはそれを許さない。


 その場合、決戦を避け、航空攻撃による地上阻止と後退戦が展開される事になる。後退しながらの敵戦力漸減を以て応じる予定であった。


「ダルヴェラ大将なら上手くやってくれるだろう。こっちは早々に国会で焚き木をして、衆議院議員の家庭訪問だ」


 結局、既に行動計画は決まっている。


 後は迅速に成すというだけである。

 








「意味などないだろうに……」


 トウカは竹刀を投げ捨てて溜息を一つ。


 居候の身として、剣術指南を求められては断る訳にも行かないが、クレアは曲剣(サーベル)を利用していた為、中々その癖が抜けない。


 皇国軍に於ける剣術は曲剣(サーベル)が主体となっている。


 近代に入り刀剣の類は主武装の地位から退きつつあるが、魔導障壁に対する優位性から曲剣(サーベル)は未だ歩兵装備の一つとして扱われている。それは反りが乏しく銃剣の役割を備え、小銃に装備すれば長槍の如く扱えた。


 太刀ではなく曲剣が採用されたのは、片手で扱える上に軽量である事から、歩兵装備として優れるとの判断からである。だが、内戦で太刀を軍刀拵えにした武装をする一部の北部貴族領邦軍との戦闘で押し切られた例が散見される事から議論の余地も生じている。


 曲剣は軽量であり、強度不足である事から、刺突以外で致命傷を与え難い。特に皇国軍の軍装は防弾、防刃術式が編み込まれており、曲剣(サーベル)は刺突以外で特段と致命傷を与え難かった。


 しかし、刺突を受けても敵兵が止まらない事は多々ある。


 特に北部では示現流に近い思想を持つ剣術が多く、敵の武装や防護諸共に押し斬る威力重視の斬撃を主体にしている。刺突を受けても止まらず、上段からの斬撃で相打ちに持ち込む例は少なくなかった。曲剣(サーベル)や小銃を圧し折って頭部を割かれていた例も少なくない。


 死なば諸共。


 北部の領邦軍にはそうした思想が蔓延し、それは地域の気質を源流とする。ベルセリカが剣聖となった時代から変わらず、剣術にも進歩はなかった。戦場の剣である。それは酷く野蛮で、単純明快な暴力の発露であった。


 そして、禄でもない事であるが、裂帛の戦意に支えられた一撃を、近代化によって喪われた歩兵装備は受け止め得なかった。


 時として進歩は、過去の遺物に圧倒される。


 皇州同盟軍では太刀を軍刀として正式採用されているが、それは内戦時にトウカが運用した事で人気を博した事も大きい。自費で購入する者が後を絶たず、正式採用としてしまえば配備本数を圧縮できるのではないかという皮算用もそこにはあった。火砲と機関銃の増強に魔導車化の推進で予算を圧迫される中、原始的な装備の変更に予算を取られたくはないと考えるのは、組織の予算配分を考える者達にとり至極当然の意見である。


 ――セルアノが強固に推進しているのだろうな。


 守銭奴というには銭儲けにも勤しむ事を厭わない主席政務官は、身代を大きくする事も忘れず、トウカはそうした点を高評価している。それができる財務官僚は少ない。それでも、本質的には守銭奴の其れであり、彼女の基準は明快な程に金銭へと置かれていた。


「どうも一撃が軽い。片手剣を主体にした弊害か」


 トウカはクレアの剣技が戦場の剣であると理解しつつも、それがあくまでも副兵装として扱われているのだと改めて思い知る。


 軽量で手数に富み、運用の負担が少ない。


 それは元居た世界でも同様で、大日連陸軍以外は軍刀などの儀仗用として、実戦での運用を想定していなかった。山刀(マチェット)の代替品を始めとした様々な理由を付けながらも軍刀などは兵装の一つとして消えることはない。


 それは狂気に満ちた美学の産物である。合理性を超越し、精神性の在り方として携える事に価値を見出した武器以上の存在であった。


 奇しくも皇国では刀剣の運用が必要な場面が生じたが、トウカからすると人間種以外の膂力に勝る種族が少なくない以上、曲剣(サーベル)細剣(レイピア)の如き速さを追求した刀剣は速度の面で過剰であった。他国に既に膂力から生じる速度で勝る以上、剛性を求めるべきである。


 ――まぁ、高位種が嫌がったのだろうな……


 刀剣は抵抗の象徴として知られる。それはトウカの世界でも皇国でも変わらず、普遍性を伴う事実であった。ヒトとしての心身を有し、近しい歴史を歩むならば必然であり、不自然な事ではない。魔導技術ですら一大系に過ぎず、世界の大前提を変えるだけの神秘足り得ない以上、刀剣の登場と隆盛もまた約束されていた。


 しかし、魔道障壁による優位性が飛び道具によって完全に損なわれたとは言い難い状況が近代まで続くとは、神々の皮肉も極まれりと言えた。加えて、刀身に多くの術式を刻印できる面積がある為、魔術的な攻勢と防御に優れる。銃弾では限界があり、この点こそが刀剣の歩兵装備としての優位性を保証し続けていた。


 しかし、それも野戦砲の破片効果と銃弾の高初速化が上回りつつある。


 トウカの元居た世界と比して、銃器が基本的に長銃身なのはそうした理由もある。長い銃剣を装備しようとした例もあったが。


 官舎の隅に誂えられた小さな修練所には、最低限の用意がなされている。将官用官舎であるだけあり、個人に対しても十分な生活空間が保証されていた。無論、武芸を嗜む将校が多い実情に配慮した産物である事は疑いない。


「とは言え、神州国の様な相打ち已む無しの思想を陸軍は嫌っていますから」


「だろうな、人命が高価だとそうなる」


 人権意識の向上によるものではなく、予算不足からなる人命の高騰とて齎す結果は同じである。


 クレアの言葉に同意し、トウカは袋竹刀を下ろす。


 一度染み付いた戦技を修正する事は容易ではなく、寧ろ咄嗟戦闘で多用される刀剣のものでは害悪とすら成り得る。瞬発的な戦技が多用される中、判断に巍々が生じる真似は透けるべきであった。


 ――しかし、袋竹刀とは……懐かしい。


 一本の竹を複数に割り、白革を被せて筒状に縫い合わせたものである。竹刀の台頭によって見る事は少なくなった。上に被せる白色の革筒の起源は、遠出する武家が鞘全体へ被せて汚れや損傷を防止したものからであるが、それすらも近年では見ない。大日蓮陸軍の最新型軍刀などは鞘を強化合成樹脂による一体成型にすらなっていた。


 トウカも祖父との修練では袋竹刀を利用していた。二人の打ち合いが激しい為、竹部分が損傷し、それが肌に擦れて怪我の原因となる為である。


「俺の剣術とは随分と違う」


「素早い刺突と手数で圧倒するものですから」


 トウカの剣技も戦場の剣であり、刀身部分の負担と消耗を踏まえて致命的な部位や手足への刺突が主体となっているが、骨部を避けながら斬り払う事も少なくない。尤も、戦場で曲芸染みた剣技は現実ではなく、刀剣は往々にして棍棒の如く扱われる。自らも動けば敵も動く。そうした中で、敵の特定部位への攻撃は容易ではない。早々に撃破してしまう事が一番、自らの勝利と安全に繋がる以上、それは自明の利であった。


 攻撃範囲として刺突は点であるが、斬撃は線である。


 後者は避け難く、命中率も高い。防護も容易であるが、諸共に押し切る者も少なくない。


 結果として唾競り合いが起き、刀身が消耗する。無論、相手が小銃であっても防護されては刀身の消耗は避け得ない。


 大日連陸軍は市街地や密林でも咄嗟戦闘の実績から軍刀による斬撃を今だ信仰している。剣術が盛んで軍への入隊前より将兵全般の技量高く、閉所戦闘や障害物にも対応できる事がそれを後押しした。


 対する皇国は違った。


 種族的優越から、刺突を敵に先んじて叩き込めると刺突に傾倒した曲剣(サーベル)を重視したのだ。無論、装虎兵や軍狼兵、騎兵などとの共用装備として予算低減を意図した部分もあるだろうが、純粋な人間種が少ない皇国では、周辺諸国の国民より反射神経や膂力で優れる部分がある点に基づいた判断であった。


 だが、今次戦役に於いて、それが幻想に過ぎない事が露呈された。


 大部分を占める混血種とて人間種に対して各種部分で優越すれど、それは然したる程の差ではなく、寧ろ疲労や練度の差が遥かに大きい。そして、兵力差から連戦が続き、耐久性の低い曲剣(サーベル)は酷く消耗した。加えて塹壕戦での近接戦闘に於いて最も活躍したのは、散弾銃や皇州同盟軍の短機関銃である。しかし、それらも銃弾不足で忽ちに鋼鉄の置物と成り果てた。


 陸軍は、今次戦役……ミナス平原会戦の最中、太刀や大太刀を各地から手当たり次第に買い上げた。戦時体制となった事で青天井となった予算を背景に名刀も魔剣も例外ではない。


 斯くして今次戦役に於ける塹壕戦では、(いにしえ)の如き戦闘が行われた。


「憲兵隊でも太刀を主体にした剣術を採用します」


 指揮官が扱えぬでは恰好が付きませんから、とクレアは袋竹刀を棚へと置く。


 トウカとしては、これからは短機関銃の量産が始まり、拳銃弾と共通規格の短弾薬(クルツパトローネ)の生産増強が行われる為、刀剣の採用など好きにさせておけというのが正直なところであった。帝国軍撃退までは、生産管理の一環として生産停止させていた散弾銃も、半自動式(セミオート)式散弾銃が正式採用されたならば再開される筈である。


「無駄な事に時間と労力を割く真似をするものだ……」


 閉口するトウカだが、クレアは鈴の鳴る様な笑声を零す。


 眉を顰めるトウカ。


「貴方が神剣でクルワッハ公の左腕を切り落として……いえ、撃ち落として見せたからですよ?」


 内戦中の半ば博打であったそれに対する言及に、トウカは眉を顰める。


 神剣を砲弾内に内封し、鉄壁の魔導防禦を誇るクルワッハ公の護りを貫徹するという無謀。高初速の多薬室砲で極近距離からの水平砲撃という真似は軍事史に於ける唯一の実例となった。


「莫迦な事を……斬り掛かった訳でもないぞ?」


 神剣の特性を利用しただけであり、剣として運用した訳ではない。そこに剣技はなかった。


 確かに、刀身の面積を利用した術式刻印で魔導障壁に対する優位性は銃弾などとは隔絶したものがある。しかし、高位種を相手に刀剣での戦闘距離まで接近する事は至難の業であり、例え接近できたとしても、全てと言っても過言ではない程に優越した差がある高位種との近接戦闘に勝ち目がある筈もない。


 トウカの神剣と多薬室砲を用いた奇策とて、不意を突く事に特化したものである。軍刀を装備したからとて高位種に対抗できる訳ではない。


「それでもです、本来は抗する事の出来ない相手に一撃を加えられるかも知れない可能性。将兵ならば欲してしまうものです」


「理屈は分かる……」


 その程度の声に負けるとは陸軍府も存外不甲斐ない、とトウカは吐き捨てた。


 将兵の声に推されて費用対効果に乏しい装備を正式採用する様では先が暗い。予算に余裕があるならば、不足する弾火薬の生産設備増強に充てるべき場面である。


「何でも、最近では軍刀を自前で購入して刀身を黒く塗装する事が流行りだとか」


「……品のない真似をする」トウカは顔を逸らす。


 皇州同盟軍でも内戦中にそうした動きがあったが、陸軍でも同様の真似をする者達が居るなど、トウカは予想できなかった。内戦中の遺恨から両軍の関係は抑制される傾向にあると考えていたが、度重なる勝利はそうした風潮を打破しているとの証左である。


 苦笑するクレアに背を向けるトウカ。


 形勢不利と見れば、迅速なる決断を以て、撤退を実現すべし。


 護るもののないトウカにとって、踏み止まる理由などなかった。


「どちらへ」


 背にクレアの、感心しないと言わんばかりの問い掛けが突き刺さる。


「酒だ」


 何を分かり切った事を、とトウカは吐き捨てる。


 人類最古の友人だけは、彼を非難しないのだ。





民衆政治家を銃剣で小突いて教育しようね?という発想です。法治国家とは……まぁ、仕方ない。分離独立を叫ぶ地域の軍閥だもんね。


推敲は明日します。


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