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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》

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第二七三話    一つ屋根の下




 トウカはクレアと取り留めのない会話に花を咲かせていた。


 戒厳前夜と言わんばかりに皇都内は警務隊と中央貴族義勇兵の戦列が行進していた。クレアの軍官舎から見える限りでも相応の装備と練度である事が窺え、警務隊は皇都擾乱時以上の重装備が見られた。中央貴族からの貸与であるとは、若き憲兵総監の弁である。


 おまけに空には航空歩兵の大群が飛翔している。


 見事な編隊飛行であり、箱型背嚢の様な背部弾倉を備えた重機関銃に、どこから手に入れたのか、皇州同盟軍の秘匿兵器である対戦車擲弾発射機(パンツァーファウスト)を抱えた航空歩兵まで存在する。魔導杖は見受けられない。彼女達は総じて優れた魔導資質を持ち、近距離魔導戦であれば魔導杖という媒体の必要性に乏しかった。


 皇都上空は、数千機を超える戦闘回転翼機(ヘリコプター)の大群が睥睨しているに等しい状況だった。航空迷彩……群青色に翼を染め、瑠璃色の軍装をした彼女達は、トウカに終わりの見えない足止めを強いている。


地下迷宮(ダンジョン)もありましたが、近代に入ると悉くが排除されました」


 知らぬ知識や歴史を披露するクレアとの生活は、既に三日目を数えている。


 彼女は憲兵将校として多くの者を統率していた現場指揮官の経験からか、ヒトに知識を与える事に秀でている。教鞭を執るに相応しい実力を備えており、職業を間違えたのだろうと、トウカは皇国の歴史を紙に記すクレアを見つめた。


「主な要因は軍事技術の発達か?」


 中々に絵心のある地図と概要の記された紙に視線を落とし、トウカは問う。


 火炎放射器や毒瓦斯(ガス)の登場で、密閉空間に潜む魑魅魍魎に居場所がなくなった事は容易に察せる。相手の生存や人権を考慮しない閉所戦闘は極めて残酷でいて効率的なそれに終始すると推測できた。


 ――沖縄での熾烈な地上戦でもそうだった。


 一九四五年から生じた沖縄を巡る攻防では、陸軍指揮官・宮崎繁三郎中将隷下の軍団が沖縄で熾烈な不正規戦を展開した。それは洞窟や森林などの自然環境を利用した徹底的な遅滞防御で、海軍艦隊集結までの貴重な時間を稼捻出する事に成功している。


 その最中、無数の洞窟を巡る戦闘では、民間人を巻き込みながらの凄絶な戦闘が行われた。


 米軍は洞窟の全てを歩兵で攻め落とすのは困難であると判断し、沖縄攻防戦中期より積極的に毒瓦斯(ガス)兵器の運用による排除を選択したのだ。


 民主主義も帝国主義も権威主義も共産主義も……ヒトがヒトたるに過ぎない以上、残酷さは背景に関わらず鎌首(かまくび)(もた)げる。


「いえ、土木技術の発達です」


「それは……生き埋めか?」


 戦車が塹壕に踏み込み、信地回転で塹壕諸共に詰めている歩兵を磨り潰すという行為は両軍で見られた。最も大戦後期は両軍の携帯式対戦車兵器の能力向上から見られなくなった戦術でもある。安易な接近は無視しえない危険(リスク)となった。


「簡単な話です。水路を掘り進めて、地下迷宮(ダンジョン)に繋げて水没させたのです」


「……土建屋の権利が臭う話だな」


 河川の氾濫を防止する為に堤防を建設する感覚で地下迷宮(ダンジョン)を水没させるそれに、トウカは、幻想浪漫(ファンタジー)も希望もない、と苦笑するしかない。


 現実である以上、幻想浪漫(ファンタジー)も現実という(かせ)に縛られざるを得ない。


 現実主義は、子供達が願って止まない幻想浪漫(ファンタジー)にすら寄り添っていた。


 ――ああ、現実だったのか……


 今次戦役は、異なる世界だからと、科学技術に劣るからと、自身の全てが通用すると勘違いした男が下手を打っただけに過ぎない。総てを知った後世の歴史家達は、そう記す事だろうとトウカは確信する。


 トウカは主義主張を衣服の様に変える。


 自らの野心と思惑を通すべく、その時、最も扱い易いモノを選択する。時世と技術革新に対応できる主義主張を携え、歴史に名を残す指導者達は新たなる潮流を渡り歩いたと知るからである。


 トウカは主義主張ほど当てにならないと理解している。


 第三帝国(サードライヒ)を率いた彼も、所業から極右と勘違いされているが、労働者向けの左派政党から始まった。国難に在って行き着く先は結局同じで、主義主張など意味を成さない。主義主張とは本質的に政敵と外敵を殴りつける為の方便に過ぎないのだ。


 少なくとも、トウカはそう確信していた。


「ここは現実か……」今更だな、とトウカは溜息を一つ。


「ええ、貴方の世界と同じく」クレアは淡く微笑む。


 クレアに心情を吐露した最中、元の世界へと言及したトウカは、自身の過去を口にする事を躊躇する必要がなくなった。自らの瞳を知られた以上、然したるものではなくなったという開き直りもあったが、クレアが本心を見せた以上、隠し立てする事も憚られたという感情の発露に過ぎない。


 最早、何者でもなくなったトウカに躊躇するものなどない。


 無論、成さねばならない事もある。


 クレアの指摘と補助を受けながら、トウカは書類作成に勤しんでもいた。


 トウカは異なる世界もまた現実である事を知った。魔導技術も現実主義に蚕食されて神秘は駆逐されつつある。なればこそ、進歩の方向性には画一性が見られ、(いず)れ訪れる世界は大差ないと見ていた。


 要らぬ混乱を招いた分だけは、皇国に、北部に還元しておこうというと、トウカは考えた。


 無断退職への詫びである。


 トウカは、今尚、技術発展の段階としての技術大系を示すだけの知識がある。


 名も亡き無数の者達の時間と血涙を経た数百年の技術と、数千人の天才が記した輝かしくも愚かしい現実、歴史に名を残す指導者達が数百、数千万の生命を引き換えに見た未来を、トウカは知っている。


 発展の方向性と技術の最適解……


 歴史に先進国として名を残す為の指南書。


 それを生かせるかは、皇国の指導者層と臣民次第。


 受け入れられるかは、トウカも知らぬ事である。


 しかし、その道を歩む者が居るならば、(いず)れは(みち)へと転じるだろう。


 後に続く者達も()くの(ごと)く歩み、踏み締められて明確な(みち)となる。


 成して栄華を後世に伝えるか、或いは派手に損じて亡国と途絶えるか。


 それは、皇国次第である。


 総てから背を向けたトウカだが、少なくとも手切れ金だけはくれてやる、とばかりに記していた。


「俺も元の世界では爪弾き者だが、君ほど多くの者に恨まれてはいなかった」


「それもそうですね。でも、憲兵でもない一般人が政治家にそれ程に恨まれるのも才能ですよ」


 さらりと自身の過去を指摘されたトウカは、必要経費だ、と生真面目に応じた。


 憲兵も恨まれるからこそ手当てが厚いのですよ、と鷹揚に応じたクレア。


 遺恨を金銭や利益に変換する事を厭わない点は、トウカもクレアも類似している。無論、トウカは個人の思惑によるものであり、クレアは職業的な部分に負うものに過ぎない。共に憎悪の対象とはなるが、その過程と規模は全く違った。


 穏やかな笑みを見せるクレア。


 清楚可憐と表しても差し支えないそれから、トウカは視線を逸らす。


 妖精の血脈として、クレアには穏やかな神秘性が取り巻いている。ヨエルの如き絶対的な神聖性……庭園の中央に君臨する神代からの櫻の如き印象ではなく、敷き詰められた土瀝青(アスファルト)の縁に一つ咲く雛菊のような気配がある。


 陽だまりの中、路傍で咲く何気ないそれ。


 ――いや、雛菊というには可憐に過ぎるか。


 ともすれば雑草扱いされる雛菊に例えるには不釣り合いな顔立ちに、トウカは思い浮かべた花言葉を脳裏の片隅に追い遣る。


 白雛菊の花言葉は無邪気。

 赤雛菊の花言葉は無意識。

 黄雛菊の花言葉はありの儘。


 制服が性格を形作るという言葉があるが、軍人の場合、兵科章が性格を形作ると言っても過言ではない。閉鎖環境で同じ兵科章の者達に囲まれて兵営生活を送れば、それに染まるのは当然の帰結と言える。無論、一般市井から見れば軍人と一括りにされるが、軍人であれば所属という色に違いを見い出す者も多い。


 それでも色に染まらず、クレアはトウカの眼前で咲いている。


 国家や軍が求めた色が全てではない、と。


「君は職業を間違ったな。教師か接客に進むべきっだった」


 人当たりも良く説明にも優れる。おまけに頭脳明晰でヒトを扱う術を知っていた。後者に関しては軍人の道へと進んだが故の後天性のものかも知れないが、ヒトの資質がいかにして培われるかなど結果論でしかない。


「私としては、針子に憧れます」


「意外だな。まさか、軍装の縫い付けも自分でしているのか?」


 トウカは、クレアの一分の隙も無い軍装の上着を思い出す。兵科章や階級章、憲兵飾緒などを記憶から思い起こす。そこに乱れはなく、服飾部への依頼ではなかったのかと感心する。


 トウカは、軍装の象意に関しては服飾部に丸投げしていた。


 ミユキが行うと買って出たものの、縫い針で指をさす度、狐耳と尻尾がぴんと立つ背中を見かねた結果である。裁縫は感性(センス)に負うところが大きい。トウカも裁縫はできなかった。


「後で貴方の軍装も直しますね」


 クレアは、居間(リビング)の端に吊るされたトウカの軍装上着を一瞥する。縫い直す為に持ち出したのかとトウカは納得した。


「いや、解れているが……下手に小奇麗では怪しまれる」


「それならば、一般的な服装に変えてみては? きっと似合います」


 今にして思えば、クレアの意見は正しい。極自然に軍装に袖を通す事が当然となっていたトウカには、軍装以外に袖を通すという選択肢がなかった。マリアベルと逢引き(デート)した際の紳士服程度しか袖を通した記憶がない。


「いや、そうだな……俺は軍人ではなくなったんだな」


 トウカは元いた世界で軍人であった事は一度としてない。一般人として軍人や政治家であっても逸脱していると批難されて当然の真似をしていたが、兎にも角にも彼が軍人となったのはヴェルテンベルク領邦軍入隊からである。それも領邦軍であり、言わば貴族軍……貴族の私兵である。内戦中に北部統合軍として連合軍を形成、戦後は皇州同盟軍という軍閥に発展した。


 振り返れば、トウカは国家の軍人となった事など一度たりともなかった。


「まともな経歴じゃないな。貴族の私兵に軍閥指導者だぞ?」


 第二次世界大戦中、大陸で好き勝手振る舞った馬賊を彷彿とさせる禄でもない経歴である。


 一体どんな服装をしろというのか、とトウカは苦笑する。


 一般人も同然となり果てても、トウカは衣服を選択するという選択肢に現実感を抱けなかった。元いた世界でも、普段着は軍用ばかりであり、見かねた幼馴染が購入してくる始末であった。


「まぁ、ほとぼりが冷めたら買いに行くか……」


 古代迷宮を転用した地下街というのも見てみたいと、トウカは考えていた。


 無論、出入り口や要所に憲兵隊が展開している為、トウカも混乱が収まるまで訪れる事は難しいと理解していた。


「まさか、今から準備します」


 心底と不思議そうに首を傾げる憲兵総監に、トウカは眉を跳ね上げた。針子に憧れると口にした以上、裁縫に相応の自信がある事は窺えるものの、材料などを購入する事を踏まえれば、結局は混乱を終えて以降になる。であるならば、市場で見繕って購入する方が費用対効果も優れた。そもそも、憲兵総監の労働単価は安くない。


「材料はあるのか?」


「大丈夫です、お任せください。格好いいのを用意しますね」


 悪目立ちする予感がしたトウカだが、問題を起こす傷痍軍人もそれなりに目立たざるを得ない状況なので、然して変わらぬか、とクレアに「頼む」とだけ応じる。当人のやる気を削いでは申し訳ないという心情が上回った。


 クレアは、トウカの腕を掴み居間から進み出る。


 急な強引さに目を回すトウカは、手狭な一室に連れ込まれる。寝台(ベッド)がある寝室などではなく、無数の布や軍装が無造作に置かれ、端には人力と思しき裁縫機(ミシン)が佇んでいる。糸巻や多種多様な針や紐などが棚に隙間なく詰められており圧倒されるものがある。どこか軍の電信所の様を思わせるものがあった。


「これは……」


「私は基本的に軍装も自分で誂えていますから、このくらいは用意しておかないと」


 確かにクレアの軍装は他の憲兵将校とは一線を画す流麗な形状をしている。


 無論、軍の規定から逸脱している訳ではなく、規格品よりも身体に合わせて誂えられている為、全体的に細身で流麗な印象を受けるのだ。隙のない憲兵総監という印象をより強固にしているのは、その自作した軍装も一役買っていた。


 トウカは裁縫途中の軍装、青の格子柄を裏布としたそれを一瞥する。内側は女性らしい象意をしていた。目に見えぬ部分にまで(こだわ)るのは女性の(さが)であると、トウカも理解している。


「……普通で頼む」


 不安を掻き立てられたトウカだが、皇国男性の平均的な衣服というものを記憶に留めてはいない。興味のない事であるという理由もあるが、そこには周辺諸国と大移動による建国という影響から地域毎の服装の差異が大きいという部分もあった。統一した民族衣装というものはなく、寧ろ種族毎ですら地域による差が大きい。


 ――民族衣装だからと革製半ズボンで押し掛けた総統閣下の様な羽目にはなりたくないが。


 某有名音楽家の自宅に押し掛けて、流石に恥ずかしかったのか、待ち時間にもじもじしていた総統閣下の武勇伝を再現する訳にも行かない。尤も、訪ねるべき相手などおらず、戒厳令前であるかも知れぬ状況では妄想に過ぎないと言えた。


「まずは身体を測りましょう」


 特注(オーダーメイド)なのですから、と紐定規を手にトウカの胸囲を測るクレア。


 自身の衣服しか製作していないのか、身体を測る手付きは慣れぬものであったが、トウカはその行為を黙って受け入れる。脱衣が必要ないのかとも考えたが、上着は元より脱いでおり、然して厚着ではなく誤差範囲と判断されていた。


 無論、クレアの耳元に朱が散る様子を指摘する真似はしない。


 背に回された両手に、胸板に触れる女性の柔らかさ、浅葱色の髪からの薫りが鼻腔を擽るそれに、トウカも意識を割いてしまっていたという事もある。


「有難うございます。これで誂える事ができると思います」


 壁の黒板へと数字を記入するクレアの感謝に、トウカは気のない返事を返すのみに留まる。


 漂泊の傷痍軍人であったかと思えば、女性と二人屋根の下で過ごすという状況。


 トウカは、未だ戸惑いを払拭できていなかった。








「う~ん……」


 食卓に突っ伏したトウカの呻きに、クレアはどうしたものかと酒精(アルコール)交じりの溜息を一つ。


 傷心を癒す為に酒精(アルコール)に逃げる傾向のあるトウカに、クレアは何とも言えぬ感情を抱いていた。


 確かに、自害される事や自棄を起こして皇都で義勇兵を募って国会で議員を撫で切りにするなどという暴挙に走らないだけ救いがある事は確かである。不満を抱く傷痍軍人は少なくなく、嵩む戦費と復興予算、そして何よりも無秩序を収拾できず増す混乱が傷痍軍人を置き去りにしつつあった。


 傷痍軍人という労働者に十分な受け皿を政府は用意できていない。


 対する北部……皇州同盟は復興に必要な労働力を傷痍軍人にも求めており、皇都で日銭を得られないと見た傷痍軍人の一部は北部に流れている。


 しかし、それは戦争を五体満足で、精神を病まずに居た者達である。


 治療を終えた者は十分な保証を受けられないまま、春風の下で彷徨する事となった。当初は英雄として傷痍軍人達を迎えていた民衆も、彼らが問題を起こすようになった今、隔意を抱くようになっている。


 悪循環。


 皇都などの主要都市で傷痍軍人達は、早々に居場所を失いつつあった。


 熾烈な戦争を終え、心身に深い傷を負い、挙句に軍隊という箱庭から解き放たれた傷痍軍人達を糾合する事は難しくない。現に極右団体や非合法組織の勧誘に応じる者は後を絶たず、今では実戦経験……それも熾烈な塹壕戦の経験を持つ兵士達が皇都の闇を担いつつある。


 僅か一か月程度の出来事である。


 そこに自棄を起こしたトウカが現れてはどうなるか、クレアには想像もしたくない事であった。やり場のない感情を抱く傷痍軍人達の代弁者などと言い出せば、皇都は無秩序な市街戦の舞台となりかねない。


 結局、トウカは軍事力を行使する理由を無意識に求めている。


 クレアは、闘争を義務としている姿勢に狂気を感じた。


 まともな教育ではないのだ。


 トウカが語る祖父は異世界の英雄と言うに相応しい戦功を有しているかも知れないが、教育者としては失格どころか破滅的なものがある。否、明らかにトウカを暴力装置として教育している。善悪や正邪による判断ではなく、数値と統計に裏打ちされたそれを度が過ぎる程に絶対視する姿勢は、情操教育などが行われていない事を示していた。


 ――この世界に来た所為で余計に拗れたのね。


 女性の為に争うというそれは一般市井の範疇に収まるのであれば、愛ゆえの勇敢さと称賛を受けたであろうが、トウカの愛する相手はより大きな枠組みの維持を望んだ。幸か不幸かトウカには、それを可能とする実力があり、惨劇を撒き散らす事を忌避しない酷烈さがあった。


 運命。


 そんな言葉がクレアの脳裏を過る。


 二人で囲む食卓。


 楽しい一時である事は間違いないが、互いの認識と背景に驚くこと(しき)りで、その点に思いを巡らせて何とも言えない笑みを浮かべる事も少なくない。


「民衆の好意だけで成立する至尊の立場、ですか……」


 驚嘆すべき軌跡を頂く国家に居たのだ。


 クレアは葡萄酒(ワイン)を口に含む。


 一本で迫撃砲を一つ購入できる程度には高価な葡萄酒(ワイン)であるが、悩ましさがその豊潤さを妨げている。とはいえ、皇都で各貴族の舞踏会に招待された際、手土産として渡されたもので、クレアはその価値をあまり理解していなかった。そもそも、彼女は酒に然したる拘りはない。


 しかし、トウカが葡萄酒(ワイン)に弱いという事だけは、クレアも理解できた。


 酒が入れば泣き言が混じるのは傷心ゆえであろうが、クレアとしてはトウカの忌憚なき本心を聞ける為に望ましい事であった。


「道理で過去がないはず……しかし、異世界なんて……」


 初代天帝と同様のそれに、クレアは奇縁を感じざるを得ない。


 国父である初代天帝も過去が謎に包まれた人物であるが、異世界出身であるとされている。それも、軍事戦略や複数の政治体制への言及や、航空偵察を用いた奇襲などを重視していた事から、極めて進んだ文明を有する世界……先駆文明の出身者である公算が高い。


 先駆文明からの到来であれば、初代天帝もトウカも辻褄は合う。


 しかし、トウカが先駆文明の存在を明言した事で確実となった。初代天帝が自身の過去を明らかにした文献はなく、不確定であったのだ。それが今、証明された。


 歴史家が求めて已まない現実が、酒に酔って突っ伏している。


 クレアは皇都の片隅で歴史が動いた気がした。


「文明を滅ぼせる国家ですか……」


 そうした国家で軍人家系に生まれるというのは、果たしていかなるものなのか。クレアには及びもつかない事である。戦略兵器の応酬ともなれば、それはヒトの戦争ではなく、兵器にヒトを組み込むが如き戦争となるだろう。純粋な敵国の国力と人口を効率的に削り合う消耗戦。最早、それは戦争の形をした生存競争である。


 トウカが苛烈である理由を、クレアは察した。


 滅亡するならば、文明を道連れにする事を前提とした戦闘国家の軍人なのだ。


 クレアは知らぬが、トウカの世界で言うところの相互破壊確証である。


 ヒトとしての野蛮さは洗練され、理屈を与えられて軍事戦略に組み込まれた。決して野蛮さは喪われる事はなく、寧ろ、それを振るう為の理屈と根拠だけが蓄積されるのだ。どれ程に文明が進めども、ヒトがヒトたる限り野蛮さは失われない。


「文明の進む先が、滅ぶるならば全てを根絶やしにすると触れ回る国家の成立とは……罪深い事です」


 愚かしいとは思うが、情勢がそれを費用対効果に優れると判断したのであれば、国家はそれを是とする。


 そして先駆文明の有する野蛮さに皇国は救われた。先駆文明の野蛮さの体現者が荒れ狂うそれに抗し得る者など誰一人としていなかったのだ。


「でも、今、貴方は私の下に居る」


 文明が進めども、ヒトの感情に然したる変質はない。


 女を失って惑う姿に、文明や技術、法律の進歩はあってもヒトそのものの進歩は然したるものではないのだろうと、クレアは察した。確かにヒトが世界の歴史上に姿を見せて以降、心身に自発的なものによる大きな変化はなく、環境変化による受動的なものでしかなかったのだ。


「ただただ、溺れていても貴方は許される……国家を救ったのですから」


 立ち上がったクレアは、トウカの肩に毛布を掛ける。


 魔導資質と膂力を以てしてトウカを寝台に運ぶ事は容易いものの、目が覚めれば再び酒を飲み始める事は数日間の生活から察せた。


 きっと、酒精(アルコール)に溺れるに任せる真似を放置している自身は、世間一般からみれば碌な女ではないのだろう、とクレアは自嘲する。


 しかし、それ以外に選択肢などあるというのか。


 クレアとしては自己弁護に過ぎないと理解しているが、戦場から傷付いて帰還したと言うには、多くのものを背負い過ぎているトウカを癒すなど容易にできる事ではないと見ていた。偏執的であり、猜疑心の強いトウカは酷く醒めている。追い詰められても縋らず、警戒心を増す人物への立ち振る舞いは難しい。


「好きに振る舞うと良いのです。私は貴方に総てを与える」


 望む(まま)に、願う(まま)に。


 先が見えず、或いはないとしても。


 それまでを愉しもうと、クレアは決意していた。


 泡沫の夢を須臾(しゅゆ)とする努力を惜しんではならない。例え永遠を得られずとも、それに近付ける事を厭うては、破綻の音色が足早となる。


 クレアは退役しようかと考えていた。


 既に皇州同盟軍は強力無比な軍事力を備える土壌を形成する算段が付いており、戦略爆撃騎部隊による抑止力が大規模戦争を抑止するだろう。対抗手段を周辺諸国が実戦配備するまで期間を利用して工業力と公共施設(インフラ)を整備し、強大な軍備を大過なく支える基盤を形成する事は難しくない。


 その為の方策は参謀本部で内戦中より、皇州同盟傘下企業を含めて議論がなされていた。


 憲兵総監の後任は、ベルセリカがヨエルとの関係がない者を望むだろう。


 トウカが不在であり続けるならば、二人の確執は宿命付けられている。


 外敵を悉く打ち払うべく成立した皇州同盟を継承した剣聖と、皇国の保全を大前提とした熾天使。

 相容れる筈もない。


 ベルセルカは、諸勢力の主張や思惑、感情などを斟酌する事もなく、冒険的な軍事行動で立ち塞がる可能性のある全てを打破しようとするだろう。そうした姿勢を“継続”しなければ生命の危険すらあるのが現状の皇州同盟である。奇蹟の連続への要求は根強い。


 無論、それは建前である。


 剣聖ヴァルトハイムとヴィトニル公フェンリスの間の確執は有名である。


 内戦でも衝突し、憎悪を露わにしていた点を見るに、そこを乗り越えて手を結ぶというのは容易ではない。寧ろ、排除する機会を窺っていると見るのが一般的である。


 問題は、それだけではない。


 皇州同盟軍将兵の少なくない数が、戦えば勝てると無邪気に信じている。


 大被害を蒙ったが、それでも尚、戦勝が無数の悲しみを押し潰した。或いは、余りにも多くを失っただけの価値があると信じ、縋らざるを得ないのかも知れない。


 だが、それが次の戦火を望む事に繋がる。


 戦争という凄絶な非日常を経験した者の多くは、次の戦争を忌避する者が多いが、皇州同盟はそうはならなかった。トウカの思想誘導を行うまでもなく、危機と困難は戦って退けるという教育が主流の北部臣民に妥協はない。数百年に渡り、人口流出や経済的困窮の対応の一環として、郷土愛の醸成と、他勢力への迎合を避けるべく北部貴族の多くが実施した教育制度は、尖鋭的な姿勢を北部臣民に植付けた。


 本来であれば、尽きぬ不満を抱えたまま国家の一地方で燻るに終わる……時間を掛けて燃え尽きていくに過ぎない怒りであったはずであったが、軍神の到来が総てを変えた。不満を敵へと叩き付けて勝利し得る才覚を持った英雄を北部は手に入れたのだ。


 そして、最大の問題は、トウカの行方不明を北部の貴軍官民の大部分が中央貴族の謀殺であると考えている点である。帝国を退けた以上、国内問題が再燃するのは必至であり、機先を制してトウカを謀殺するというのは一見すると筋が通っていると思える為、容易に否定し難いものがある。それだけの実績がトウカにはあった。


 しかし、現状を見れば理解できるが、埋め難い溝と敵意の応酬が始まり、無秩序な内戦に繋がる公算が高い。そうした誰しもが疑う状況で、被害が増す一手を中央貴族が取るとは考え難いのだ。


 トウカの行方不明すら、総ての問題の根拠を他地方に押し付けていた過去を踏襲した。


 彼が喪われるだけで、状況はここまで悪化した。


 その点こそが、彼が救国の英雄に他ならない現実を示している。


 酒精(アルコール)交じりの夢から脱したトウカが唸る。


 唸りながら食卓上で頭を振る姿に、クレアはトウカの硝子杯(グラス)へと葡萄酒を注ぐ。迎え酒である。


 男を甘えさせる事に、クレアは例えようもない悦楽を覚えていた。


 尽くすという事も悪くはない。


 天使系種族であれば成立理由に依るとこであると言えるが、クレアは妖精系種族である。系統上は幻想種とされ、大部分の種族とは違う自然発生的な種族である。自然に寄り添うだけの種族が近代化に巻き込まれてヒトと共に生きる様になったという経緯を持つ。妖精自体に特殊な精神性がある訳ではなく、寧ろ妖精系種族は千差万別であり分類が難しい為、未だ厳密に区分されていない。


「天使に育てられたからでしょうか?」


 苦笑を零しながら、眠気に唸るトウカに硝子杯(グラス)を差し出す。


 両手で硝子杯(グラス)を掴んで葡萄酒を啜る様に飲むトウカ。


「もう夜ですよ。御眠りになりますか?」


「むぅ……今から本番……」


 完全に泥酔者の物言いであるが、クレアは乾酪(チーズ)の盛られた皿をトウカへと押し出す。つまみとして卓上に放置されていたが、未だ半分以上が残っている。


 もしゃもしゃと乾酪(チーズ)を食べ始めるトウカ。


 皮に強い臭みのある乾酪(チーズ)であるが、それ故に酒に合うと一部から絶大な支持を受けているそれは、皮以外の部分も青(カビ)があり、甘味の中に僅かな刺激がある。眠気覚ましには丁度良い。


「何時まで自宅待機が続くのか。俺だけ一人出てたら目立つからなぁ」


 軍官舎周辺は、皇州同盟軍人や陸海軍高官なども少なくない為、皇都憲兵隊や警務隊などが重点的に警戒している。当然、航空歩兵いよる哨戒網も密度が高く、とてもではないか突破できるものではない。特に航空歩兵は高度毎の哨戒網を形成しており、建造物の全高に近い低高度に()ける哨戒までなされていた。


 ”と航空歩兵の運用は、戦闘回転翼機(ヘリコプター)や偵察回転翼機(ヘリコプター)に近いと考えていたが、あれならば小型無人機(ドローン)に近いものがある。地上付近で行動できるというのは大きな強みだな”


 そう口にするトウカの言葉の一部は、クレアにも理解できないが、完全に気を許してくれている事だけは理解できた。或いは、全てに対する配慮を止めているだなのか。


「昨日の雨がなければ、側溝を匍匐前進して隣の区画に移れるたんだがなぁ……」


 無理を言う、とクレアは側溝の先が地下水道に繋がっていると説明する。


 皇都には水棲種族の為、地下水道が整備されている。下水道とは別であり、地上で車輌輸送が限定的な規模に留まるのは、この地下水道を利用した船舶輸送が発展しているからであった。よって地下水道では船舶が往来し、水棲種族も泳いでいる。ヒトの眼は相応にあった。無論、地下水道から地下街に逃れるという手もあるが、有事に備えた拠点設営が地下街では始まっている。地上での戦闘に自信を持てない警務府主体の動きであるが、戦車や装甲車輌、航空攻撃を無効化できる上、戦闘正面を制限できる地下都市での持久戦は警務府に取って合理的な選択と言えた。尤も、治安維持組織が軍事組織と正面切って交戦する覚悟を固めるという事自体が異常事態と言えるが。


「この辺りは安全です。貴方への警戒態勢が解かれてからでも遅くはないと思います」


 引き留めようという意図もあるが、天使系種族の哨戒網を潜り抜けて皇都を脱する事ができるか否かを、クレアは訝しんでいた。大都市としてヒトの出入りと物流が膨大な皇都であり、脱出は容易に思えるが、数千年に渡り皇都で国体護持を担っていたヨエルが無策である筈がなかった。


 皇都は魔術都市でもある。


 軍事都市とも言われるフェルゼンの如く明らかに戦備を窺わせる部分は少ないが、皇都には数多くの仕掛けが成されていた。籠城戦に防災を主体としたそれは、クレアも説明を受けており、科学技術寄りの装備の多いフェルゼンとは対照的に、皇都は魔導技術主体であった。


 皇都の形状そのものが魔術陣に見える事も相まって、一部では有事には空中都市になるという噂が一部では熱狂的に支持されている。


「……飼い殺しにされてるみたいだなぁ」


 人聞きの悪い話である。天使系種族の如き立ち振る舞いをしている心算は、クレアにはなかった。寝起きに酒を勧める姿は、完全に天使系種族の男を駄目にするそれであるが。


「私の伴侶に永久就職などどうでしょう?」クレアとしては花嫁に永久就職する事も吝かではない。


 クレア自身も相応に酔っていた。軍務がなければ、することがないという程ではないが、彼女もまた突然の軍官舎に押し込まれての休暇に戸惑っている。


「積極的だなぁ、君は」


 この三日間で幾度も行われた遣り取りにトウカは嫌悪感を示す事もない。


 嫌悪感が消え失せた事を喜ぶべきか、若しくは軽く流される程度の話題になってしまった事に危機感を抱くべきか、クレアとしても悩むところであった。


「愛の言葉は、ここぞという時だけに使うべきだと思っていませんか?」


「当然だ。口にすればするほど価値が下がるし、疑われもする」


 実に男性的な理由である、とクレアは苦笑する。同時に、頻りに愛を囁く男性に不信感を抱く女性が居る事も確かである。


 ――まぁ、あの二人は違うでしょうが。


 元より全力であるミユキと、愛に餓えたマリアベル。


 共に相手を求めて止まない人物であった。前者は余りにも天真爛漫でいながら踏み込む事を躊躇し、後者は意地に邪魔されて素直になれない。情報部の報告書を見る限り、形は違えど二人は本心では愛の言葉を渇望していた。それ故に尽くすのだ。


「女の子という生き物は、何時(いつ)だって愛の言葉が欲しいんですよ」


 素直にそう言えばいいが、それを言える者は少ない。


 ミユキにせよマリアベルにせよ、或いはリシアにせよ。


 好意を伝えても、愛が欲しいとは口にしなかった。


 男が愛の言葉の価値が消耗性であると信じる様に、女もまた願って口にさせた愛の言葉に価値はないと無意識に見ているのかも知れない。


「……あの二人もか?」


「……例外なんてありませんよ」


 二人の視線が交錯する。


 捨てられた子犬の様な瞳のトウカに、クレアは“しょうがないヒト”と苦笑を零す。


 政戦以外では、全く以て鈍いトウカへ常識を教える事は、クレアにとって嬉しくもあり悩ましい一時であった。ヒトという種族であり、身体的な差異が然してない以上、当然であるべき部分にまで無理解があるのは危機感を抱かざるを得ない。


「そうか……」


 酒精(アルコール)交じりの悔恨が漏れる。


 ぐずぐずと鼻を啜る少年が静かになるまで、クレアはそっと見守り続けた。







 なんとか投稿できました。評価があると嬉しいです。頑張れます。きっと。たぶん。恐らく。



 そういえば、Twitterで本作品の面白い感想がありましたね。



 中二病拗らせまくってた極右思想を叩き壊して右寄りにまで戻すほど思想のアクは濃いという感想で、貰った身としては狐耳高々な気分です。まぁ、トウカ君に関してはただの狂信的マキャベリストに過ぎなくて、実は思想なんて何もないんですよ。相手を殴りつける時に使えそうな思想や主義を使うという姿勢ですね。思想に固執して色々と逸する者も世の中には多いですが、その逆もまた波乱を呼ぶ訳です。


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