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紫苑穢国のエトランジェ  作者: 葛葉狐
第三章    天帝の御世    《紫緋紋綾》

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第二六九話    帝都にて Ⅳ






吝嗇(けち)はいかんな。盛大に撃ち込むが良いぞ」


 帝都イスキア記念公園内に並べられた一五㎝野戦榴弾砲による砲列が曳火砲撃を敢行する。腹の底を圧迫する砲撃音の中、深紅の詰襟という諸外国では有り得ぬ色の軍装を翻したミリアムは、双眼鏡で帝都中央の帝城……アナスタシヤ宮殿を確認する。


 目標が大型である為、次々と着弾する榴弾。


 先の空襲を受けた箇所……通行などに必要な最低限の修理が行われている最中である為、魔道障壁は展開されていない事が直接攻撃を可能と成さしめた。


 技能職の砲兵を集めることは難しく、一五㎝野戦榴弾砲は六門に過ぎないが、帝都各所に運び込まれた迫撃砲も加わり、帝城は噴火したかの様に盛大な黒煙を噴き上げる。


 帝都への戦闘員と武器団火薬の運び込みは河川輸送によって意図も容易く行われた。復興の迅速化……目標値(ノルマ)を達成すべく警備や確認作業が疎かになっている状況で、帝都には多くの違法品が流れ込む結果となっている。


 その中に野砲や迫撃砲……重火器などもまた含まれていた。


 河川輸送を担う商会であることを最大限に利用した輸送であり、今次作戦に於ける七〇〇名を超える人員もまた同様であった。


「同志、高速艇の準備は完了しています」


「うむ、往こうか」


 見事な敬礼を以て上申する銀の長髪を靡かせた褐色の副官に、ミリアムは鷹揚に頷く。


 煙管(パイプ)を咥え、紫煙を棚引かせたミリアムは、漆黒の外套(マント)と深紅の軍装を翻し、近くの河川へと歩を進める。


 イスキア記念公園中央を縦断する様に流れる河川を利用した襲撃行動は、ミリアムが帝都に訪れた当日に策定したもので、その為の事前調査と準備は十分に行われていた。加えて運河輸送を独占的に利用する以上、帝都内の労農赤軍には潤沢な装備が供給できている。


 河川沿いの高速艇へと一息に飛び乗ったミリアムは、数十という数の高速艇が係留された姿に満足げに頷いた。暖機運転の為、内燃機関で生じた黒煙が煙突を経由して黒煙を噴き上げる光景は頼もしさを感じさせる。


 本来であれば、憲兵が確認に訪れる規模の黒煙であるが、帝都復興では日雇い労働者が太鼓(ドラム)缶に薪を()べて暖を取り、調理もする光景が日常となった。確認を行おうという物好きはいない。


「此れより進発します! 目標、帝城、アナスタシヤ宮殿!」


 イシュタルの命令に、蛮声を張り上げて応じる同志達。軍人の如き洗礼された動きは感じられないが、そこには革命という茶番劇の熱に浮かされた献身と挺身が窺えた。


 係留の(もやい)を解き、次々と運河を遡上する高速艇。


 その一隻にミリアムとイシュタルは座乗していた。


「随分と(ささ)やかな艦隊よの」


「……流石に駆逐艦を強奪して遡上する訳にはいきません」


 イシュタルの言葉にミリアムは、砲艦であれば可能だったのではないかのぅ、と片眼鏡越しに瞳を瞑って見せる。周囲の同志達が笑声を零した。


 忽ちに増速する高速艇。傾いた甲板。二人の後甲板も傾くが、二人は手摺を掴み、立ち姿で前方の帝城を見据える。


 その最中にも次々と砲弾と迫撃砲弾が帝城へと着弾する。敷地内に落下したものは、城壁によって遮蔽されて着弾観測すら困難であるが、城壁を始めとした建造物へも着弾はあった。中央に位置する帝王の居城は先の空襲で倒壊しているが、他の尖塔や施設などの一部は未だに健在である為、攻撃目標は十分に残存していた。


 その一つである尖塔の一つが砲撃によって圧し折れる。


「霊廟に当たりましたね」


「先祖も良き眠りを齎せぬ末裔を恨むであろうな」


 先に見え始めた帝城の水門を一瞥したミリアムは「先祖に配慮していては専制君主制の看板など守れなかろうが」と嘲笑を口元に刻む。


 水門から得た水を以て長大な外堀を水で満たし、内部に引き込んだ水資源を生活用水や消火に使用している帝城の水門は四方に存在し、その其々が相応の防禦設備を有していた。


 しかし、東水門だけは、先の空襲によって破壊されており、未だ修理すら開始されていない。海軍の防雷網を転用したと思しき応急処置がなされているものの、周辺の砲台の大部分は修復されていないままであった。


「特務艇を突入させよ。水門の防禦を打ち破りなさい!」


 イシュタルの命令に、四隻の特務艇が水飛沫を巻き上げて進み出る。


 甲板と船体に追加装甲を施し、船内に大量の含水爆薬を満載した自爆用舟艇の爆薬搭載量は、海軍艦艇が使用する魚雷に匹敵する威力を生み出す。


 残すは直線となった水路を掛ける群青に塗装された特務艇と高速艇。


 各高速艇の前甲板に特設された連装機関砲の支援を受けた特務艇。高出力の内燃機関と後の運用を想定しない増速を以て加速する。


「大衆的英雄精神を発揮せよ!」通信越しに叫ぶミリアム。


 水門へと迫る特務艇。


 直線という事もあり六〇ntを超える加速を見せる中、操縦を担っていた兵士が水路へと飛び降りる。飛沫を挙げて水路へと落下する兵士だが、助かるかは神々の思惑の範疇であった。高速で航行する艦艇から飛び降りて意識と位置を保つには相応の幸運を必要とする。


 特務艇が一層の加速を見せる。


 城壁上の機関砲の砲撃を受けた一隻が蛇行し、水路端に衝突し爆発する。


 閃光が視界を満たし、衝撃波が頬を撫でるが、ミリアムは気にも留めない。久方振りの戦場に高揚しているという事実以上に、槍衾の如き砲列を形成した列車砲の一斉射と比較しては細やかなものに過ぎないという実体験からであった。


 残存する三隻は予定の進路を直進する。


 時折、水路端に船体を掠りながらの直進であったが、特務艇は防雷網へと突き刺さり、目も眩まんばかりの閃光を奔らせる。


 爆炎が天壌を焦がし、城壁を隠し、水路を黒煙が駆け抜ける。


 視界が悪いものの、防雷網が破壊されたと期待して進むしかない。船は急に止まれず、水路を逆流する爆風に浮き上がる船体にしがみ付き、革命家達は突き進む。


 そして、水門を突き抜けた。


 忽ちに通り過ぎた水門を振り返れば、ミリアムが想像していた以上の破壊が広がっていた。


 飛散した破片が城壁を傷付け、一部の高速艇が破片を受けて損傷する程の威力であった。工事現場で使用する含水爆薬と言えど、多量であれば相応の被害を齎す。ましてや目標は魔道障壁を解除している状態の石造城壁に過ぎない。近代化時に鉄骨による構造強化は成されていても、所詮は材質として脆い石材が大部分を占める事実に変わりはなかった。ヴェルテンベルク領の領都フェルゼンの様に装甲を内包している訳ではない。


 水門と周囲の砲座や銃座は軒並み沈黙している。


 先の空襲によって損壊した砲座の損耗を補うべく、特設された機銃座などは土嚢と兵士諸共に投げ出され、或いは銃身が圧し折れ、圧し潰された機銃が躯を晒していた。


 次々と爆心地となった水門を駆け抜ける高速艇。


 前甲板の連装機関砲が唸り声を上げ、然したる目標を定めずに次々と砲炎を吐き出す。機関砲に飛び付いて弾倉を跳ね上がらぬ様に抑え込む兵士。射耗した弾倉を投げ捨て、次の兵士が新たな弾倉を抑え込む様に押し込む。


「練度も装備も劣悪、引き際を間違えぬ事です!」

「誰に言うておる! 妾が引き時を違えた事など!」


 無数とある。


 引かず媚びず顧みずの姿勢こそが、自身の絶大な支持基盤であるとミリアムは理解していた。しかし、それを根拠に自身の強権的な姿勢を正当化する彼女の失敗は多い。


 それでも、有事の際には積極性が打撃力に加算される場面は多い。


 今回の襲撃がそれを示していた。


 水門を突破した高速艇は、水路最奥……帝城に迫る支城の桟橋に次々と船体を押し付ける。再度の使用予定はあるが、撤退時は戦死者によって運用数が減少すると見て損傷への配慮は限定的であった。先に桟橋を占領した部隊は、停止した高速艇の連装機関砲の支援を受けながら、後続の上陸支援を行う。


「帝城へ踏み込むがよい。他は捨て置け」ミリアムの指示は単純明快であった。


 民兵が大部分を占める労農赤軍の練度を踏まえれば、迂回行動や陽動など望むべくもない。下士官を軍人崩れや傭兵出身者で固めていても尚、皇国軍の如き精強さは期待できない。元の帝国軍からして人海戦術と広域戦線の重視で兵士の練度に重きを置いていない。寧ろ、帝国陸軍はいかに最低限の練度の兵士を短時間で育成し、戦線へ大規模に投射するかという点こそを重視している。帝国に在って組織される叛乱軍は、高練度の将兵を確保できる土壌を持たなかった。帝国で高練度の部隊とは親衛軍であり、それは高給と名誉の約束された立場であるが故に叛乱軍に身を投じる例は極稀である。


 混乱の間隙を突き、襲撃行動の連続を以て混乱状況を長引かせる他なかった。


 幸いな事に、先の帝都空襲によって帝城に詰めている近衛兵……親衛軍将兵は少なくない数が幽世に転属しており、指揮統率は確実に低下していた。加えて損傷した城壁部分などの封鎖や警備の為、少なくない兵力が外周部に割かれている。


 混乱の中に在っても、独自判断で移動する真似はできない。無論、そこには突入が陽動であり、誘引されて手薄になった崩れた城壁部分から本隊が突入してくる可能性を考慮しての事もあるが、防禦部隊の配置とは元来、自由度が低い。命令のない配置変更は敵前逃亡と捉えられかねなかった。


「迫撃砲部隊が陸軍の通信塔を圧し折ったわ。好機よ」通信機からの報告に、イシュタルが小銃を手に取る。


 帝都空襲で破壊された陸軍の通信塔だが、それを補うべく仮設されていた通信塔を、今一度、重迫撃砲が圧し折った。射程を犠牲にし、代わりに可搬性と運用性を向上させた迫撃砲という兵器は、練石(コンクリート)の密林である帝都中央区画にあって、その威力を十全に発揮した。急角度の曲射弾道は建造物を避けて目標を攻撃可能で、持ち込みも容易である。展開地点の規模も小さく済み、運用時も周囲を遮蔽物で擬装する事ができた。


「向こうの突入はどうじゃ?」


「難儀しているようね。火力を集中しているみたいだけど、突入に苦労している」


 ミリアムとイシュタルを含む突入部隊は本隊ではない。


 崩れた城壁部分の突破を意図した本隊が一個大隊の兵力を以て突入を図っていた。ミリアムとイシュタルの部隊は陽動であるが、場合によっては役目が逆になる事も想定している。ミリアムも野戦将校としてはそれ相応の実力があった。


 進み始めた同志達に護られ、ミリアムは帝城の敷地を進む。


 先の帝都空襲による被害で庭園の木々や石像は砕け、倒壊している建造物も少なくない。復旧は後に回されているとしても、移動経路確保の為、片付けられている部分もあるが、それでも遮蔽物には事欠かなかった。


「二時の方角、陣地を排除しなさい」


 イシュタルの命令に、銃口に擲弾筒を押し込んだ兵士達が遮蔽物から擲弾を撃ち込む。


 土嚢によって形成された機関銃陣地から敵兵が弾き飛ばされるかの様に吹き飛び、すかさず兵士達が銃剣を煌かせて突撃する。


 混乱はミリアムの想像以上なのか、近衛兵の姿は時折見受けられる程度であった。


 だが、既に一〇〇m程度の距離にまで迫ったアナスヤシヤ宮殿。その直前の庭園で足止めを受ける。


「軽機関銃に魔導杖を有した有力な部隊……ここまでね」


「遮蔽物があればのぅ」


 二人はアナスヤシヤ宮殿への突入が難しくなりつつあると判断していた。


 遭遇戦で殺害した敵兵士の部隊章を見るに、敵は〈第一親衛軍〉所属である事が判明している。


 〈第一親衛軍〉は、帝都イヴァングラード南……サンクトシャーテンブルク離宮に司令部を置く戦闘単位(ユニット)で重装備で知られる編制をした戦力である。その運用は戦場阻止や強襲に特化していた。


 帝城守護を担う〈帝域親衛軍〉とは別の軍が帝城内に纏まった数で展開しているという報告を、ミリアムは受けていない。派閥意識の強い要地守護を担う〈帝域親衛軍〉が他部隊の展開を座視する筈もなく、そうした動きがあれば騒動が起きても不思議ではない。


 ――防衛戦力の不足を認めて増派を認めた? あの愚物がの。


 〈帝域親衛軍〉司令官の人物評を踏まえれば有り得ぬ事であるが、現実として眼前には〈第一親衛軍〉所属の兵士が一個小隊規模で展開している。


「時間がないわ。斬り込むか、後退するか」


 選択しなさい、とイシュタルが視線で問い掛けるが、ミリアムの腹積もりは決まっていた。


「突入する! 大衆的英雄精神を発揮せよ!」魔導杖を振り上げ、ミリアムが叫ぶ。


 帝都の混乱は未だ終わっていなかった。










「遮蔽物を利用して防衛線を形成する。軽機は射耗を恐れるな。長期戦は考慮しなくていい!」


 ユーリネンは、抜き放った軍刀を握り直しながら命令する。


 砲撃と襲撃の報告が伝達されるや否や、エカテリーナは直衛の〈第一親衛軍〉所属の一個小隊の指揮権をユーリネンに投げて寄越こす。自身の責任の範疇で指揮権を貸与するとの言葉に、ユーリネンは荒れ狂う感情を押し込んで目深に軍帽を被るしかなかった。


 ユーリネンとて無策で帝城へと乗り込んで不満を撒き散らした訳ではない。


「おい、そこの。信号弾の赤を三発、青を二発打ち上げろ」


 既存の信号の運用方法とは違うそれに、逡巡もなく応じる親衛軍兵士。高練度であるだけに、その動作に淀みはない。


「貴軍の救難信号かね?」スヴォーロフが興味深げに問う。


 個別で信号弾の意味を策定する部隊は少なくない。共通の情報伝達以外の要素を付け加える為の方策であり、帝国陸軍もそれを許容していた。


「軍神曰く、備えよ常に、です」ユーリネンは独語する。


 陸軍総司令部でのドルゴルーコフとの遣り取りを警戒して一個大隊を分散配置していた様に、帝城参内に当たっても同様の措置を取っていた。


 小銃射撃に対し、軽機関銃や魔導杖を装備した部隊による反撃を行う親衛軍兵士達。投射量の差から戦況は優位に推移する。


 しかし、敵にも優秀な魔導士が居るのか、遮蔽物諸共に親衛軍兵士の一部が吹き飛ぶ。地面に叩き付けられて四肢を前衛的な形にされる者や、巻き上げられた石塊に押し潰される者を横目に、ユーリネンは舌打ちを一つ。


「あら、指揮官はいつでも泰然自若とするものではなくて?」


「親しみを表現している心算なのですが」


 銃弾と魔導弾の飛び交う中、木蔭に座り優雅に紅茶を嗜むエカテリーナの言葉に、ユーリネンは肩を竦めて見せる。スヴォーロフは手にした曲剣(サーベル)を手に、いざとなれば近接戦闘を演じる心算である事が窺えた。


「ところで、あの完全武装の観光客は貴女の友人ですかな?」


「あら、私に友人はいないわ」


 嫋やかに微笑む白き女帝に、ユーリネンは沈黙を以て応じる。


 

 沈黙は軽蔑の最も優れた表現である。



 素面で友人が居ないと言える者に碌なものがいないという持論を持つユーリネンとしては、その持論が補強されたと確信する。当然、軍神にも友人が居ないと彼は確信していた。周囲には共犯者や狂信者ばかりであると確信すらしていた。


 悪意と殺意の飛び交う中、作り物めいた美しさを陰らせる事もないエカテリーナは天を仰ぐ。


「あら、紅い彗星ね」


 漣の様な笑声を以て昼下がりの晴天を指し示す。


 それは深紅の軍装を纏う革命家だった。


 魔導杖というには凶悪な姿をしたそれ、長巻のような構造をしたそれを振り翳し、深紅の軍装と漆黒の外套(マント)を羽織る片眼鏡(モノクル)の女性。妖しげな美しさは、エカテリーナの深窓の令嬢の如きそれではなく、躍動感の伴う動的な仕草を思わせる容姿であった。


 その容姿からは想像も付かない脚力で遮蔽物となっている石造を親衛軍兵士諸共に蹴り飛ばした深紅の革命家は、刀の様な有効部を持つ魔導杖を振り被り、エカテリーナへと迫る。


 庭園に深い足跡を残す脚力での踏み込み。


 咄嗟に応じたのは、最高齢のスヴォーロフだった。


 叩き付ける様な曲剣による斬撃に、深紅の革命家は魔導杖を叩き付ける様に上段から応じた。結果としてスヴォーロフが弾き飛ばされる。魔導処理の成された曲剣は折れないが、その衝撃と威力を軽減する訳ではない。


 しかし、それによって生じた時間的猶予を親衛軍兵士達は見逃さない。


 銃剣を装備した小銃を振り翳して迫る親衛軍兵士。しかし、それすらも次々と薙ぎ払い、深紅の革命家は尚もエカテリーナに迫ろうとする。無駄のない洗礼された武芸のそれだが、刃先を打ち込む部位を見れば修羅のそれであった。相手の腸を抉る様な一撃が多く、酸鼻を極める光景がそこにある。正道の武芸ではない。


 ユーリネンは軍刀を構える。


 皇国で鹵獲した軍刀だが、思いの外頑強である為、ユーリネンは重宝していた。


 しかし、一太刀。


 それだけで余りの威力に軍刀を取り落とす。手が痺れ、身体強化の術式によって膂力を底上げしても尚、深紅の革命家の膂力には届かない。一部の親衛軍兵士が友軍誤射を承知で軽機関銃の掃射を行うが、それは強固な魔導障壁に阻まれて表面上で火花を散らすに留まる。


「御主、どこかで見た顔よな」


「ユーリネン子爵だ。貴官は何者か?」


 痺れる右手を左手で押さえ、滲む脂汗を其の儘に、ユーリネンは誰何する。


 一拍の小さな驚きの後、「知らぬか」と苦笑する美しい革命家。切り捨てた兵士の血が滴る魔導杖を血振りして朗々と応じる。


「ミリアム・S・スターリン。労農赤軍総司令官にして、スヴァルーシ共産党の書記長ぞ」


 巷で噂の労農赤軍の首魁が朗々と宣言するそれに、ユーリネンは眉を顰めた。


 労農赤軍との連携の可能性に言及した矢先に現れたという点を以て、既に連携しているのではないかと考える者は必ず出てくる。妄言に等しいそれに相応の根拠を用意して見せたミリアムが、全てを計画さえしていたのではないかとすら思えた。


 ――まさか、イーラッハ伯爵家にレルヒェーリン伯爵家、ゼレノイエフ男爵家……武断的姿勢の貴族家のいずれかが……いや、それは。


 帝国からの性急な独立を求める三家をユーリネンは抑えていたが、別で蠢動された場合、察知できるだけの備えはなかった。そうした諜報員の育成に熱心ではあるが、それらの大部分は帝都や門閥貴族の動向把握に投じられる。


「無礼な客人を招待した記憶はないのだけれど」


 ミリアムの名乗りに、エカテリーナが純白の衣裳(ドレス)を翻して立ち上がる。


 困惑を張り付けた(かお)であるが、その瞳には隠し切れない興味の色が窺えた。


 自身が特別と考え、戦野でも死なぬと考える将兵は少なくないが、エカテリーナの場合、それを可能とするだけの才覚と強運があった。少なくとも、ユーリネンは帝族として軍神と相見えて五体満足で逃げ切れるとは考えない。彼自身、人間種としては優れた戦技を有するというのは有名な話で、内戦時には野戦将校として銃器や軍刀の扱いに長けた姿が確認されている。


 いかなる遣り取りがあったのか、ユーリネンには分からない。


 だが、軍神の攻勢を乗り切る実績を持つ人物である事は間違いなかった。


「その方、あれに傷物にされた阿呆な帝女かの?」


 共産主義を極短期間で広範囲に流布させたからこそ誰しもが理解しているが、ミリアムは煽動の才能を嫌という程に持ち合わせている人物である。それがユーリネンの人物評としても確定した瞬間だった。


「ええ、そうなの。責任をとって貰わねばなりませんね」


 紅茶碗(ティーカップ)を投げ捨て、純白の扇子を広げて口元を隠して見せて軽やかな笑声。女帝と評価されるに相応しい仕草と佇まいだが、口元が隠されたが故に表情に確信を持てなくなる。


「阿呆ぅ、抜かせ。あれは獣耳と尻尾のない女子(おなご)に興味など抱かぬよ」


 ――ふむ、同好の士であるのか。


 益々と生まれる国を違えた、否、ユーリネンこそが違えた可能性も捨てきれない。本場の狐娘というものを見てみたいと考えていたユーリネンだが、皇国侵攻では、逃げ足も速く、直感に秀で、軍人や軍属としても魔導士や後方勤務が多い狐系種族と遭遇する機会はなかった。


 噂はあるが、親しげな様子を見せるミリアムの物言いを見るに、真実なのだろうとユーリネンは唸る。


 エカテリーナの生命に関しては責任を負う立場ではないので、ユーリネンとしてはミリアムの口の軽さに期待して情報を得る心算で軍刀の切っ先を下げた。無論、帝女討死の際の追求は想定しているが、この場に居る時点で似たようのものである。


 しかし、ミリアムの興味はユーリネンにも向けられた。


 興味深いと言わんばかりの視線が振り翳される。ミリアムの背後に佇む銀髪褐色の女性が呆れを滲ませるが、諫言しない点を時間稼ぎと見るか、諦めと見るか、ユーリネンは判断しかねた。


「しかし、卿は妾の襲撃を読んだか。あれの輝かしい勝ち戦に土を付けてくれただけあるわ」


 とんだ買い被りであると言い捨てたいが、共産主義者からの評価は無駄にならないと、ユーリネンは沈黙を選択する。


「あら? 彼は勝ち等していないでしょうに。勝ったと勘違いさせる事に長けているだけで」


 エカテリーナの言葉に、言い得て妙であると、ユーリネンは胸中で同意する。


 しかし、それを真似できる器量が己にない事も理解していた。


 トウカは錬金術師の類である。


 無から有を生み出すに等しい真似をする。


 ありあわせのモノで大事を成す以上、無から有を生み出すという言葉は厳密ではないが、その費用対効果を見れば、そう評しても差し支えない規模のものがある。


 負け戦を負けていないと言えるだけの、戦果と目新しく印象的なナニカを用意するなど、通常の軍人には不可能な事で、そこに政治や経済まで動員するとなれば職責を大きく逸脱する。当然、そうした他分野に介入して結果を出すことは多大なる困難を伴う。


「勝利など大多数が認めれば、何とでもなろうて。実体がどうであれの」


 多大な被害を積み上げても尚、優勢であると嘯く帝国政府に対しての揶揄を含んでいるであろうそれに、ユーリネンはやはり胸中で同意する。


 無論、実体を限りなく真実と錯覚できる程に体裁を整えるトウカと帝国政府では雲泥の差がある。正直なところ、トウカが本当に行方不明で新たな仕官先を探しているのならば、客将として好待遇で迎え入れたいとすら考えていた。帝国に痛打を与えた英雄と紹介すれば、皇国侵攻で衝突したという点など政治的には霞む。


 明らかにトウカとの関係を窺わせるミリアムと敵対する理由は、実はユーリネンにはない。寧ろ、共産主義者である以上受け入れ難いが、非公式な協力程度であれば取り付けておきたい相手ですらあった。


「いずれにしても、まぁ、妾の目的は達した」


 ミリアムが遠方を一瞥する。


 帝城の一角、尖塔に翻る黄金の鎌と槌の刺繍された紅旗。


 突入時の混乱や銃声を踏まえれば、然したる規模ではない為、それは部分的な占領に過ぎないと理解できる。しかし、国家の中枢に叛乱軍の旗が一時的とはいえ翻ったという事実は多大なる意味を持つ。


 国内に於ける政治的権威の失墜である。


 外敵による一時的な襲撃による失墜ではない。国内要因による政治的権威の失墜ともなれば、国内諸勢力への影響は帝都空襲よりも多大なるものがある。国内政治の混乱を一般市井にまで印象付ける上、権威の失墜は諸勢力の権力増大と専横を招く。


 外敵の責任ではなく、完全に国内政治の失態として見られるという意味は大きい。


 トウカがアリアベルの指導力を毀損する形で内戦を展開した点も、国内政治の失態を印象付ける戦略的意義があった。既存政治や統治機構に対する不信感を醸成し、軍隊などの実力集団や国力の根源である民衆へ指導部に対する疑問と不信感を生じさしめる。


 あらゆる手段を以て、敵勢力の不和を招く。


 それは直接的な軍事行動に留まらない。


 寧ろ、表面上は自身の軍事行動との関係性を低減させる事で敵対者の失態と思わせるという行為は、彼の常套手段の一つであった。


 周囲の兵士達、叛乱軍側も含む彼らは一様に困惑の表情を隠さない。


 双方の指揮官が停戦合意もなく、唐突に話し込むという展開は士官学校でも想定していない行為である。困惑は当然であり、軍人としての教育を受けていない叛乱軍兵士も同様であった。敵が敵とも思えなくなる余地ができれば、矛先は鈍る。


 しかし、それはその場に居て経緯を理解している者に限る。



 野太い銃声。



 帝国陸軍正式採用対戦車小銃であるエリコフPTRS504の野太い銃声は、一際高く庭園に響いた。


 狐耳と尻尾を揺らし、砕かれた石像上に立つ一人の女性軍人。


「リーリャか」


 その銃声を合図に無数の兵士達が突入を開始する。


 深緑の軍装に獣人系種族ばかりの編制。


 辺境軍所属、〈第二六四狙撃師団〉隷下の〈第一狙撃歩兵大隊〉の面々であった。


 長銃身の小銃に銃剣を装備し、展開する姿は指揮官であるユーリネンからしても高練度のものであった。親衛軍に引けを取るものではない。寧ろ、遮蔽物を利用した展開に関しては好くれていると言えるだろう。当然、膂力も勝り、感覚も優れる。


 新たな増援の展開にも叛乱軍は足並みを乱さず、銀髪褐色の女性将校の命令の下、ミリアムを中心とした堅固な方陣を形成する。魔導士も多く、展開した魔導障壁の間隙から突き出す銃身に揺れは少ない。精鋭部隊と言えた。


 魔導杖を取り落とし、よろめいた程度のミリアム。魔導障壁が対戦車小銃弾を阻み、衝撃の大部分を空気中へ逃がした。対戦車兵器を個人で防護するという人間離れした実力に、ユーリネンは顔を引き攣らせる。


 ――そうか、その可能性もあるのか。


 人間種ではない可能性も十分に有り得た。魔導資質に優れる人間種も存在するが、数は極めて少なく、軒並み軍へと徴兵される傾向にある。軍に記録がない以上、ミリアムが他国や帝国が統治を疎かにしている地域出身の異種族であるという可能性は低くない。


「痛いのぅ」ミリアムが右手を無造作に振り翳す。


 リーリャの立つ石像の残骸が横薙ぎの衝撃を受けて更に微細な石材へと変わる。リーリャは卓越した脚力で逃れると、地を這う様に駆ける。


「感心しません、閣下。師団長が迂闊に身を晒すなど」


 ユーリネンを背後に、曲剣(サーベル)を構えたリーリャ。


 人間種による優越を掲げる帝国の中枢に、獣系種族で統一された部隊を展開するという暴挙を諸勢力がどう捉えるかと考えるだけで、ユーリネンとしては愉快な気分になる。


 背後を一瞥すれば、スヴォーロフが顔を引き攣らせていた。エカテリーナは変わらずの微笑を湛えている。


「潮時かの」


 右足の甲で掬い上げる様に魔導杖を浮き上げて掴んだミリアムは、何気ない仕草で魔導杖の石突きを利用して足元の石礫を打つ。


 飛び来る石礫。リーリャの曲剣(サーベル)が弾く。


「おや? 御帰りで」


「なんの。御主も逃げねばなるまい?」


 何なら帰りの足を用意してやろうかえ、とミリアムが嗤う。


 それが撤退の合図となった。


 ミリアムが踵を返して歩き始め、方陣がそれに合わせて後退する。


 しかし、方陣の動きが止まる。


「ああ、そこの白いの」ミリアムが嗤う。


「何かしら、紅いの」エカテリーナも笑う。


 二人の視線が交錯する。


「あれは獣耳と尻尾のない女子(おなご)には靡かぬぞ?」


 鬱陶しい程の念押し。


 呵々大笑を残しながら再び方陣が遠ざかり始める。


 エカテリーナが抜け落ちた表情で遠ざかる方陣を見据える姿に、スヴォーロフが溜息を一つ。

 

 そうした姿に対して意識を裂く余裕はユーリネンにない。


 リーリャが視線で共産主義者への対応を迫るが、ユーリネンは黙して首を横に振るしかない。手痛い逆撃を受けては敵わないという問題もあるが、帝城からユーリネン達が撤退する為には、実力行使が必要な場面があると見越しての事であった。


 獣人系種族ばかりの部隊が帝城に強行突入した以上、帝城を守護する親衛軍がどの様な動きを取るか予想できなかった。エカテリーナを守った実績を言い募っての撤退には時間を要する。その間に諸勢力が蠢動して対応が変われば、謀殺の可能性が増大しかねない。


「城壁の親衛軍は?」


「催涙瓦斯で黙らせました」


 最近、ヴェルテンベルク領で生産された兵器が市場に出回り始めたが、重火器や装甲兵器は敵対的ではない国家の国軍にしか販売されない。しかし、禁止されていない兵器でも、販売されている各種軍事物資の中には帝国では入手し難いものも無数と存在した。それらを三角貿易で購入し、ユーリネン子爵家の領邦軍では一部が配備されている。


 その一つが催涙瓦斯である。


 帝国では主敵としていた皇国に対し、瓦斯兵器の有効性が乏しいとして生産が低調であったが、皇州同盟軍は暴動への抑止力として催涙瓦斯の有効性を喧伝している。指揮統制に乏しい暴徒が瓦斯兵器に対する組織的対応を成せるはずがないという主張は正しく、幾つかの小国ではヴェルテンベルク製の催涙瓦斯が暴動鎮圧で実績を上げていた。


 親衛軍は精鋭であるが、化学兵器への対応能力は乏しかった。


 帝城の魔導障壁や風量制御術式に依存した防護を前提とした重武装部隊なのだ。そうした帝城の防禦設備の大部分は、先の空襲時に損壊している為、彼らは対処能力の面で不備がある儘に防衛戦闘を実施せねばならなかった。ユーリネンはそれを予期していた訳ではないが、友軍として近付いて運用すれば相応の奇襲的効果を発揮できるとの判断から催涙瓦斯を持ち込んだ。


 ユーリネンは天を仰ぐ。


 ここまで拗れては、最早選択肢は一つしかない。


「我々も帰ろうか」


 流動的な情勢に想いを馳せても時間の無駄である。全ての情勢に対応できる軍事力という名の棍棒を整備する他なかった。


 しかし、それを許さない者も居る。


「あら、帝姫を守った実績を放棄するのかしら?」


 エカテリーナの意図は明確ではないが、彼女と連携していると誤解された場合、諸勢力による国内政治に巻き込まれかねない。


「おや、実績になると? では、勲章は宜しいので麦の物納でお願いできますかな?」


 偽らざる本心であった。


 帝国北部よりは恵まれているとはいえ、東部の穀倉地帯は東部の人口の食糧を賄うには足りない。魚介類によって補っているものの、大規模な保存を考えた場合、魚介類には限界があった。そして魚介中心の保存食故か諸外国の平均寿命よりも短い。無論、貧困層と食糧難によって帝国全体の平均寿命自体も目を覆わんばかりである為、その点を重視する者は少ないが。


「難しい事を言うのですね……まぁ、善処しましょう。帰りは共産主義者を追撃するという名目で往きなさい」容易くユーリネンの撤退を認めたエカテリーナ。


 戦闘を終えた事で弛緩しつつある空気の中、ユーリネンとエカテリーナはその光景を見やりながらも言葉を重ねる。


 斃れた友軍兵士の安否を確認し、まだ息のある叛乱軍兵士を救命可能か否かで選別する。助からぬ者には慈悲の一撃(クー・ド・グラース)を与え、助かる者には治療を施す。捕虜に対する慈悲ではなく、敵軍の情報を得る為に生存者を可能な限り残したいという意味からであった。


 しかし、それらの光景は遠方からの魔導砲撃で一掃される。


 スヴォーロフが「味方諸共か」と眉を顰めるが、重戦略破城槌という十死零生の兵器を運用した帝国軍の元帥に言えることではいと、ユーリネンは胸中で考えていた。同胞に生還の望めない軍事行動を強制するのは、あの軍神ですら実績がない。精々が扱いかねた極右を死傷率の高い戦場に投じた程度のものである。


 ユーリネンは肉片と鮮血、土塊と石礫の降り注ぐ中、或いは優しさではないのかとすら考えていた。


 国家間戦役ですら真っ当に捕虜を取らない相手に、元より法律と条約が適用されない叛乱勢力の兵士の末路など悲惨極まるものであると容易に想像できる。無論、証拠隠滅の側面もあるだろうが、物事は常に多面的な要素を持つ。ユーリネンはミリアムを慈悲深い指導者だと見ていた。引き際を弁えた野戦将校とは隷下将兵を大切に扱う。


 敵には悪鬼羅刹の如く振る舞い、味方には慈悲深く振る舞うからこそ、短期間で有力な軍勢を組織できるのだ。黎明期の軍事組織は、指導者の魅力や人望に興亡を左右される。強力な後援者も背景も思想も……指導者一つで急激な変化を迎える例が多い。


 魔導士による魔導障壁の防護を受けたユーリネンとエカテリーナは感慨もなく、人体と血涙、土塊と石礫による季節外れの驟雨を見上げる。


「辺境の不満……いえ、慟哭確かに聞き届けました」


「……それが御望みであると確信しておりましたので」


 ユーリネンは、その点だけは理解していた。


 直接の面会を必要とする会話はなかった。何かを求めるのであれば、帝族としての勅を出せばよく、大事になる事を厭うならば、陸軍経由で封緘書類を送付すればいい。つまり面会それ自体が目的であり、効果を発揮する状況が用意されているに違いなかった。


 エカテリーナは、東部へと舞い戻るユーリネンに手土産を与えた。


 帝女へ苛烈に直訴し、帝女もそれを是としたという実績。それを以て、今一度、猛る者達を鎮静化させる手札の一つとする事は不可能ではない。こうした出来事の直後に叛乱沙汰となれば、好意的な帝女の面目を潰す事になる。交渉相手を失って泥沼化した叛乱は誰しもが望んでいない。


 帝国東部の密かな紐帯で重要な位置を占めるユーリネンとの面会。


 ユーリネンは帝国東部で存在感を増し、交渉の窓口と判断される。そして、それはエカテリーナにとっても費用対効果に優れる利益の創出方法であった。同時に、ユーリネンの存在感の一端を担う事で、彼自身がエカテリーナに敵対的な行動を取り難くしたのだ。


 上手い、とユーリネンは感心する。


 面会一つで、双方に無数の利益が生じるのだ。中身が然してない会話であれば、門閥貴族も重要視しない上、激昂して不満を発言したという事実が、色気を完全に失わせる。その意図がユーリネンにはあった。エカテリーナとの色恋沙汰を勘繰られる余地を潰したのだ。


 無論、エカテリーナが真実を求めていたという部分もあると、ユーリネンは判断していた。その指摘を受けたという事実が彼女には必要なのだろう。


 建前を垂れ流すなど無意味であり、彼女は真実を求めていた。帝国東部に於ける諸貴族による紐帯の要点であるユーリネンを招聘し、その言葉に耳を傾け、相応の政策が宣言される。それが有益なものであれば、結果を見る為に少なくない東部貴族が静観に転じる事は疑いなかった。


 ――それはそれで、要らぬ注目を受けるのだがな。


 しかし、会話の中で唯一上がった政策である帝国南部と東部を連結する鉄道路線建設の促進は、抗いがたい魅力があった。穀倉地帯との連結は好ましい事であるし、輸送単価の低下は市場価格も低下させる。海産物を加工して出荷する事も可能であり、費用対効果に見合うだけの資金流入も期待できた。無論、人的交流を最小限にする努力は必要である。国是に忠実な主義者の流入は可能な限り低減させねばならない。獣人系種族の存在が問題視される状況はあってはならない。


 些か芝居臭かったですね、とエカテリーナは苦笑する中、ユーリネンは力強く肩を叩いてくるスヴォーロフに胡散臭い視線を投げ掛ける。


 親衛軍兵士も居る中でスヴォーロフまでが同席する必要はない。密会と疑われぬ様に室内ではなく庭園が選択された事は疑いなかった。


「やはり私が見込んだ男だ。いや、あいつの教育の賜物か」


 人体と血液が撒き散らされた庭園の片隅で朗らかに笑う帝国元帥。


 帝都に転がる非日常。


 祖国の首都も戦時下を自覚している様に思えたユーリネンは悪い気はしなかった。辺境の者達だけが戦時の危険性(リスク)を押し付けられていては堪らない。不幸とは皆で分かち合うものである。ユーリネンはそう信じて疑わない。帝国という国家は苛烈な生存競争を強いられる国家である。その国是に従って彼は他勢力に不幸を押し付ける事を厭わない。政府や帝室も例外ではなかった。


 嘗て戦斧を掲げて戦野で勇戦した宿将は、未だ狂気を忘れていない。


「貴官、中々どうして熱い男ではないか。父親に負けておらぬぞ」楽し気なスヴォーロフ。


「閣下もですか……」辟易とした顔をして見せるユーリネン。


 ドルゴルーコフとの関係もあるのだろうと推測できる発言であるが、或いはエカテリーナではなく二人のいずれかがユーリネンを利用しようと考えたとも取れる。


 ――死して尚、面倒を残すか……


 協力という言葉が真実か否か、ユーリネンは測りかねていた。


 ゼレノイエフ男爵家の領邦軍部隊が帝都近郊に、匪賊討伐への支援を目的に展開している。合流して離脱せねばならない。御誂え向きに共産主義者の追撃を名目に撤退するべく、ユーリネンはリーリャに命令を伝達する。


 帝都擾乱は、共産主義者の政治的売名を目的としたものとして後世に名を残す事となる。


 だが、関わった其々の権力者や軍人達による水面下の駆け引き……迂遠にして決定的な意思疎通が図られた事は歴史の堆積物の一つとして忘れ去られる事となる。


 歴史的事実とは当事者にのみ赦された特権なのだ。






 沈黙は軽蔑の最も優れた表現である。


          《大英帝国》植民地 愛蘭土(アイルランド) 文学者 ジョージ・バーナード・ショウ



ミリアムさん、赤い彗星説。シーマ様感漂うけど。

エカテリーナ氏、白い悪夢説。

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